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本と音楽とねこと

母を捨てる

菅野久美子,2024,母を捨てる,プレジデント社.(7.26.24)

虐待、いじめ、家庭内暴力、無理心中未遂
毒母との38年の愛憎を描いた壮絶ノンフィクション
私は何度も何度も、母に殺された――。 
私の頭には、いつも母があった。
しかし、母と縁を切ってからは、自由になれた。
ノンフィクション作家である著者は、かつて実の母から虐待を受けていた。
教育虐待、折檻、無理心中未遂。肉体的、精神的ネグレクトなど、あらゆる虐待を受けながら、母を殺したいほど憎むと同時に、ずっと「母に認めてもらいたい」という呪縛に囚われてきた。
その呪いは大人になってからも著者を縛り、ノンフィクション作家となって孤独死の現場を取材するようになったのも、子どもの頃の母の虐待が根源にあることに気づく。
そこで見たのは、自信と同じように親に苦しめられた人たちの“生きづらさの痕跡”だった。
虐待サバイバーの著者が、親の呪縛から逃れるため、人生を賭けて「母を捨てる」までの軌跡を描いた壮絶ノンフィクション。

私は母の介護をしたくない、死に目にも会いたくない、墓参りもしたくない。私はもう母と向き合いたくない。虐待、引きこもり、家庭内暴力、無理心中未遂…毒母との38年の愛憎を描いた壮絶ノンフィクション!!

 生きづらさ時代ルポ 女性用風俗超孤独死社会──特殊清掃の現場をたどる、家族遺棄社会──孤立、無縁、放置の果てに。孤独死大国──予備軍1000万人時代のリアル、といった優れたルポルタージュを手がけてきた菅野久美子さん。
 本書では、実母から受けた凄惨な虐待、学校での陰湿ないじめ、不登校、引きこもり、自殺未遂等の経験が赤裸々に語られている。

 「母を捨てる」ということは、虐待されていたときの子ども時代の自分に向き合うということであった。

 私は、母から確かに虐待された。愛すべき母から、心身に暴力を受けた。しかしこれまでの人生で、その事実を見て見ぬふりをしていた。それは今の今まで、大人になってからも、ずっと私は母に愛されたいと思っていたからだ。だから私はずっと、私の中の「少女」をどこかに置き去りにしていたのだ。亡き者にしていたのだ。
 だけど私はきっと、長年の少女と無性に出会いたかったのだと思う。あのときの少女を認めてあげたかったのだ。よく生き延びたねと、ただただ頭を撫でて、抱きしめてあげたかったのだ。時空の狭間をさ迷っているあの子に、居場所を与えてあげたかったのだ。そうしなければ、あの子は亡霊のように私の心のどこかにいつもいて、ずっと悲しそうな顔で所在なさげに私を見つめ、苦しんでいただろう。
 母を捨てることは、はじめて自分の中のあの子と出会うことでもあったのだ。それは、人生の後半戦を生きる私にとって、自身の過去とあらためて出会うことにほかならなかった。こうして母の虐待を書き出してみると、それはとてつもない「痛み」を伴うことでもあったと思う。しかし、それと同時に、母を捨てたもっとも大きな贈り物だった。
 なぜなら自分を大切にするための一歩、自分の人生を生きるための一歩だと気づいたからだ。私の中の少女と出会い、再会できたこと──。それはふらふらと頼りないながらも、自分自身の足で大地を踏みしめ、自分の人生を生きることを意味する──。
(p.32)

 菅野さんの両親は、好き合って恋愛結婚したものの、やがて関係は冷え切ってしまう。
 母は、菅野さんを虐待した挙げ句、作文コンクールの入賞など、親戚や隣近所に自慢できる功績を要求し続ける。
 そして、父の関心は、我がことのみにとどまり続け、引きこもった娘のことなどつゆほども気に懸けない。

 その頃の父は、いつもピリピリしていて不機嫌だったように思う。父にとって家庭とはただの入れ物に過ぎず、出世で頭がいっぱいだった。いや、そう装っていただけなのかもしれない。毎日リビングで食事をして、新聞を読み、風呂に入り、バタンと戸が閉まる音がして、自室に引きこもる。
 途端に私たちと父の間に壁が立ちふさがり、音信不通になる。仕事というのは言い訳だろう。父は目を背けたかったのだ。
 私が引きこもっているとき、父親はひたすら教育法などの本を読み漁っていた。もちろん、児童のためでもなければ、私のためなんかでもない。それは、教務主任、教頭、そして校長試験と、出世街道を駆け上がっていくためだ。
 家庭に無関心な父だったが、たった一回だけ、私の前で感情を露にしたことがある。それは、教頭試験の前日あたりだったと思う。あの瞬間を、私はいまだに忘れることができない。父が私の前で、まるで幼児のようにワーワーと泣きじゃくったからだ。
 「お願いだから、俺のために、学校に行ってくれ!出世に響くじゃないか!」
 なぜあのとき突然、父が私にそんなことを言って感情をむき出しにしたのか、わからない。おそらく昇進試験に対して相当ナーバスになっていたのだろう。
 教員の父にとって、不登校の娘がいることは大きな痛手で、脛に傷、目の上のたんこぶだったに違いない。自分の子どもも教育できないなんて――。そう後ろ指をさされかねないからだ。
 それは思いどおりにならない幼児が、ただただ癇癪を起こす様子とそっくりだった。今思うと、父は大きな子どもだったのだと思う。父にとって、子どもはただのお飾り、パーツにすぎなかったのだ。
 わが家庭を振り返ってみると、子どもが、子どもを生んだのだと思う。父も母も、家庭を築いてはいけない未熟な人間だった。
(pp.120-121)

 菅野さんが、母の呪縛や引きこもりからの脱出の糸口を掴んだのは、入り浸った図書館で出会った書物からであった。

 学校に行っていない私にとって不幸中の幸いだったのは、時間が無限にあったことだ。何気なく手に取った本の中から、社会学やフェミニズムという学問を知ったのは、その頃だ。
 私は社会学者の宮台真司さんや、臨床心理士の信田さよ子さん、引きこもり研究の第一人者である精神科医の斎藤環さんなどの著書を無我夢中で読み漁った。家族という入れ物が、ガラガラと内部で音を立てて崩れ落ちている感覚。そんな九〇年代のいびつさを描いた事件もののノンフィクションも、これでもかと乱読した。私にとってそれは、身に迫る命の危機を乗り切るための糧であり、リアル以外の何物でもなかったからだ。
 その中でわかったのは、母や私の苦しみは、けっして自分特有のものではなかったということだ。つまり、私と同じ状況で悩んでいる母子たちが、日本中にごまんといることを知った。
 引きこもり、いじめ、虐待、校内暴力、家庭内暴力、不登校。その頃、九〇年代を象徴するいびつな社会現象が世の中を騒がせていた。しかし、そこにあったのは、家庭の問題が起きる歴史的な経緯や背景だった。自分を殺して家庭という牢獄に閉じ込められてしまった女性の生きづらさである。それは、母の生きづらさと重なるものがあった。
 読書体験を通じた衝撃的な目覚めは、私にとって巨大だった母が、「小さな点」かもしれないと思えた瞬間にある。
 九〇年代、多くの母親たちが私と似た地方のニュータウンに住み、行き場のない鬱屈や苦しみを抱えていたようだ。そう、私の母と同じように――。しかし、国や社会はそれに目を向けることはなかった。
 私は引きこもりという過酷な状況の中に身を置きながらも、たくさんの書籍から得た知識によって、自分が社会のどこに位置しているのか、そしてその苦しみの正体を、ほんの少しだけではあったが俯瞰することができた。
 大人たちの言葉は、中学生の私にとってはときに難解な内容だった。それでも、私一人で抱えていた理不尽な「世界のからくり」が次々に解き明かされていく様は、まさに目から鱗だった。
(pp.126-127)

 とくに、あまりの生きづらさに何度も自殺未遂をはかった菅野さんが救われた書物は、鶴見済さんの『完全自殺マニュアル』だった。

 そこには、エンジェル・ダストという強烈なドラッグを、金属のカプセルに入れてネックレスにして、肌身離さず持ち歩いている鶴見さんの知人の話が出てくる。
 「いざとなれば、これ飲んで死んじゃえばいいんだから」
 鶴見さんは、「この本がその金属のカプセルみたいなものになればいい」と、前書きを締めくくっている。この本の鶴見さんの言葉は、誰よりも優しく、私の心に染み入った。そして、生きづらさを抱えていた私に寄り添ってくれるものだった。
 私は、この前書きを数え切れないほど読み返した。そして目をはらすほど泣いた。もう私には、価値がない。とにかく生きるのがつらい。苦しい。死にたい。しんどい。どうすればいいかわからない。すべてを終わらせたい。そんな無限ループの中をさまようしかなかった私。
 だけど、いざとなれば死んじゃえばいい。そう思うと、張り詰めていた私の心はスッと楽になった気がしたからだ。
(p.134)

 面と向かっていきなり不幸話を聞かされるのは迷惑千万であるが、書物での不幸語りは、読むも自由、読まぬも自由。
 迷惑どころか、被虐当事者にとって、生き延びるための力となってくれるものであろう。

 2000年代以降。自らの被虐経験を語る書物が量産されるようになった。
 それは、児童虐待防止法、DV防止法等が施行され、虐待や暴力が、個人だけの問題ではなく、多くの被害者がいる構造的な問題でもあることが認識されるようになったためだ。

 本書も、その一冊であるが、よく考え抜かれて書かれた良質の文章は、辛い思いをしている人びとのこころに深くしみ入ることだろう。

目次
プロローグ
第1章 光の監獄
第2章 打ち上げ花火
第3章 機能不全家族
第4章 スクールカースト最底辺
第5章 金属のカプセル
第6章 母の見えない傷
第7章 性と死
第8章 母を捨てる
エピローグ 私の中の少女へ


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