河合香織,2023,母は死ねない,筑摩書房.(9.12.24)
「育てたい」「愛したい」それだけの願いを叶えることが、こんなにも難しい。注目連載待望の書籍化!一人として同じではない女性たちと、己自身の切なる声―自らも母としてあがくノンフィクション作家が聴き取り、綴る。
「母」であっても、「母」でなくても 河合香織『母は死ねない』刊行によせて
本書は、母性愛を賛美した作品ではないけれども、わが子の存在を愛おしく思って、「子どものためにわたしは死ねない」と強く念じ、たとえわが子を喪ってもなおその生の痕跡を追い求める、そんな女性たちの想いが収められている作品だ。
本当に母は死ぬないのだろうか。
当たり前の子育てができないことに、普通ではないことに苦しみ続けてきた遺伝性難病の子をもつ母は、自死を選んだ。だが、彼女が母として劣っていたとはどうしても思えなかった。必死に生きて、生き抜いてきた。遺書には残していく子どもや家族に対する謝罪の言葉が連ねられていた。母は死ねないなんてとっくに知っていたのだ。それでも終わりを選ばざるを得なかったことを他人が否定はできない。
だんだんと私は、母は死ねないなんて思う必要はないと考えるようになった。
養子を迎えて生きる母がこう言っていた。それぞれが抱える絶望を、家族だからといって聞かなくていいし、語らなくていい。家族が向き合って、絶対的な愛情を持つべきだという規範にとらわれたとたん、苦しくなる。家族はそっぽを向いていても、ただそこにいるだけでいい。痛みを見つめ合って話し合わなくてもいい。同じ山を見て、同じ歌をくちずさむことができればいいのだ。
同じような思いを、さまざまな言葉で母たちは繰り返した。
私は子育てに自信がなくて、いつも自分を恥じていた。それは、母は「かくあるべき」とい姿が明確に存在するのだと考えていたからだ。自分の母がしてくれた程度のことも、子どもにしてあげられない自らを責めてきた。
自らの母に対しても、向き合えないことに痛みを感じていた。私は母を傷つけられない。母は私を傷つけたくない。きっとこれは私たちなりの親子の接し方なのだ。正面から腹をわって話し合えたらいいだろう。しかし、なにもかもは顕にしない関係もある。かわし合って、核心に踏み込まないのも家族のひとつの形だと思うようになった。
母と子の間に薄い膜が存在することは何も悪いことではない。それぞれが別個の人格として生き、尊重しあっているからとも考えられる。小さい頃はどこにでもついてきた子どもの知らない顔が増えていくのは、一人の人間として歩み出していく喜ばしいことでもあるだろう。
母は死ねないという気持ちが私の中に生まれたのは真実だ。今も子どもを悲しませないためにできるだけ生きなければならないという思いは持っている。そして、どれほどつらくても子どもの流した血は最後まで拭く、拭きたいと願うのが母であるということも。しかし、それは時として母のエゴともなる両刃の剣だとも思うようになった。
そして、母はその役割にいるだけの人間でしかないということも知った。私たちは、不完全な母であり、不完全な娘であり、不完全な女であり、不完全な人間だ。私もそうだし、母もそうだった。子どももきっとそういう親になるだろう。
(pp209-211)
長期間にわたっておなかで育て、からだを引き裂かれるような苦痛の果てに産み落とした子、自らの遺伝子を継承している子、自力で生きてはいけない脆弱な存在としての子・・・等々、わが子を愛おしく思う根底にある経験と想いはさまざまであろうが、いつしかそんな想いも断ち切られるものであることは、人類普遍の真実である。
それならば、なんで生んだの?と問うことは、酷なことだ。
子どもは、「生まれてこなければ良かったのになんで生んだ?」という問いを封印したまま、大人になり、同じことを繰り返して、親になる。
そして、親は死ななくとも、いつしか子どもは離れていく。
子どもが先に死んでしまうこともある。
親子なんて、家族なんて、たかがそれだけの存在だ。
ありきたりな自分たちが想像もしていなかった困難に直面したとき、それを乗り越える糧となったのは、人との関わりや、人生というものが思い通りにならないもどかしさを自覚することだった。
最愛のわが子が失踪し、すべての力をかけて子を探した母が苦しみの末に、もし自分が人に伝えられることがあるならばこのようなことだと語った。
「出産も、子育ても、自分の思い通りにいかない日々を積み重ねていく。その時間から、人生も人も思い通りにはできないというのを学んだ」
この言葉が、母が子の死を受け入れた時に発された言葉であることに圧倒される。
子どもは母と一体化した相手ではなく、自分の思い通りにならない他者である。もどかしく、時に喜ばしく思いながら、そのことを心から知ることで、互いの人生を認めあう関係が築けるのだろう。それがどのような結末であったとしても。
その自明の事実に立ち戻ることが、母と子の呪縛から、あるいは力の不均衡から逃れられる唯一の手段ではないかと思った。
(p.213)
綿密に取材された事例から、子をもつ、もっていた女性たち一人一人の切なる想いが伝わってくる。
ノンフィクション作品の名手による文句なしの良作だ。
目次
母と生の狭間で
ほんとうのさいわい
人生に居座る
子を産む理由
風の中を走る
友ではない友
朝の希望
誰のせいでもない
生まれるかなしみ
海と胎動
ただ家族として
不完全な女たち
母の背中
死を選んだ母
何度でも新しい朝を
その花は散らない
花を踏みにじらないために