見出し画像

本と音楽とねこと

「女子」という呪い

雨宮処凛,2018,「女子」という呪い,集英社クリエイティブ.(7.27.24)

男から「女のくせに」と罵られ、常に女子力を求められる。上から目線で評価され、「女なんだから」と我慢させられる。私たちは呪われている?!「男以上に成功するな」「女はいいよな」「女はバカだ」「男の浮気は笑って許せ」「早く結婚しろ」「早く産め」「家事も育児も女の仕事」「男より稼ぐな」「若くてかわいいが女の価値」…こういうオッサンを、確実に黙らせる方法あります!

 家父長制をそのまま体現しているかのようなオヤジたちの生態に、戦慄する。

 イタさ全開の怖いもの見たさ、というものがある。
 とくに、小金持ちで、若い女の尻を追いかけ回しているオヤジは、このうえなくキモい。

(前略)そんなことを思ったのは、17年6月に創刊されたシニア男性向け情報誌「GG」(GGメディア)という雑誌を読んだからだ。
 創刊前から、いろいろと話題になっていた。なんといってもこれを仕掛けたのは「ちょい不良おやじ」の名付け親で、男性向けファッション誌「LEON」(主婦と生活社)を創刊した1951年生まれの岸田一郎氏。GGはシルバー世代のなかでもひときわ輝くゴールドな世代という「ゴールデン・ジェネレーションズ」の略。この言葉と「爺」を掛け合わせて『GG』。「定年後は自由に生きたい」「まだまだモテたい」という50~60代を読者対象にしているという。
 創刊直前、この雑誌についての岸田氏へのインタビューが「週刊ポスト」(17年6月1日号、小学館)に掲載されたのだが、ネット上で大きな批判が湧き起こったことをご存じだろうか。インタビューのタイトルは「ちょいワルジジ」になるには美術館へ行き、牛肉の部位知れ〉。岸田氏は〈美術館には”おじさん”好きな知的女子や不思議ちゃん系女子が訪れていることが多い〉ので、そういう女子にうんちくを披露して、「ランチでもどう?」と誘うノウハウを披露。また、牛肉の部位を覚えておくことの重要さも強調。「ミスジってどこ?」と聞かれたら「キミだったらこの辺かな」と肩の後ろあたりをツンツン。「イチボは?」と聞かれたらしめたもの。お尻をツンツンできますから(笑い)〉と語っている。
 このインタビュー記事には、当然、女子たちから悲鳴のような「キモイを通り越して犯罪!」「絶対通報する!」などの言葉が連発されたことは言うまでもない。が、怖いもの見たさで発売日に思わず購入。「金は遺すな、自分で使え!」というキャッチコピーが金文字で大書された『GG』の表紙をめくったところ、血圧が急激に上昇し、動悸、息切れ、めまいという症状に襲われたのだった。
 いや、いろいろすごかった。・・・・・・っていうか、ここまであっけらかんと「モテたい」とか言えるジジ(『GG』ではジジイではなくジジと言う)って生きてて楽だよな、とちょっと羨ましくなったほどだ。感想を一言で言うと、とにかくジジに都合のいいことばかり書いてある。高級スポーツカーのランボルギーニを紹介する記事では、なんか小説っぽい文章が載っていて、その内容は以下のようなもの。
 ドライブ中、高速道路のパーキングエリアにランボルギーニを停めると、なぜか25、26歳の若い女が「お願い、乗せてください!」と車に乗り込んでくる。話を聞くと彼と別れたばかりで、そこから始まる若い女とのドライブ。その最中、〈レインボーブリッジ、今は君のもの〉とか言って悦に入るジジ。
 また「死ぬまで恋するレストラン」という記事では、神田の激セマ焼肉店が紹介されている。店が狭く、肉を焼く七輪を共有するため「出会いが生まれる」とのことで、そんな焼肉屋で出会った女子二人を近くのラーメン屋に連れていくという展開なのだが、中年男一人に女子二人という組み合わせを“艶ジジ〟界では『3P飲み』と呼んでいます(笑)〉という説明までご丁寧に入る。
 全ページに共通しているのは、恋がしたい、モテたいと言いながらも、彼らの視線は決して女子本人には向けられず、「若い女を連れ回してる俺様、カッコいい!」という「自分萌え」のみであるということだ。
 年齢に関係なく、こういう人といると、一人でいるよりよっぽど寂しかったり傷ついたりする。こちらの人格なんかなんの関係もなく、ただ「年下の女」「若い女」という属性だけで連れ回し、自己満足の道具にしているからだ。だけど『GG』を読む世代って、まさにその程度の女性観の人が少なくない気がして怖くなる。頼むから、GG世代は下の世代に「男とは」「女とは」なんて時代錯誤な説教をしないでほしいと祈るばかりだ。
(pp.42-44)

 「女になる/女である」ことを否定されると同時に過剰に眼差される。
 勝手に欲望の客体として眼差し、侵襲してくるオヤジ。
 それに抗していくには、自らにかけられた「呪い」を解いていくほかない。

 それにしても、と思う。
 この国では、なんて「普通に大人になる」ことが難しいのだろうと。例えば、カビさんの〈子供でいた方が両親は可愛がってくれると思ったから 大人になってはいけないと思っていた〉という一文。この言葉に、共感できる人は多いのではないだろうか。
 一方で、社会も「女の子」の「成熟」に変に敏感だ。年相応に、恋愛や異性や性的なことに興味を持つと「親」や「教師」的な存在からは全否定される。しかし、突然「大人の男」は「お前の性を売れ」という圧力を直接的・間接的にかけてくる。同時に「未熟であれ、成熟などするな」というメッセージも投げかけてくる。自分が成熟したほうがいいのか悪いのか、自分が何かトンデモなく隙だらけだから変なオッサンに声をかけられるのか、心も体もいつも傷ついてちぐはぐで、常に欲望の主体ではなく客体として扱われるので、自分は本当は何がしたいのか、当たり前にある自らの欲望と折り合いがつけられなくなる。そんな無限ループ。そして「女」であることから降りたくなる。
(p.173)

 相手が好きだからとかではなく、自暴自棄の果てに、あえて自分を損じる行為としてのセックス。性的な問題には、自己肯定感や自尊心といった問題が深く関わってくる。教師をはじめとする大人たちは「性行為をするな」という意味で「自分を大切にしろ」と言ったが、私は自分を大切にする方法なんてわからなかったし、そもそもそんなことを言う大人たち自体、私たちを大切にするどころか「お前らには価値なんかない」という扱いしかしていなかったのだからなんの説得力もなかった。
 そうしてそんな10代の頃は、知らないオッサンなんかが「お前の性を売れ」と声をかけてくる時期でもある。今が一番高いんだ、売り時なのだ、これからお前の価値は加齢とともに暴落するだけなのだ、ということをあの手この手で畳みかけてくるオッサン。突然、そんな欲望の対象になっていることに戸惑いまくっているのに、同時に親や親戚なんかは、お前の性を安売りするな、とにかくもったいぶって、いい「物件」をゲットしろ、条件のいい男に高く売りつけろ=安定層と結婚しろ、なんてメッセージを送ってくる。
 なんだか自分の性は、いつも誰かに買い叩かれたり値踏みされたりしているようで、自分のものなのに、それを主体的に考えることさえ許されない。その違和感を言葉にもできなくて、ずっと宙ぶらりんな感じ。それがこの国の多くの女性にとっての「自分の性」ではないだろうか。
(pp.182-183)

 本書に書かれていることは、女性からしたら「あるある」の連続だろう。

 言語化されていない「生きづらさ」は辛い。
 雨宮さんは、自分や友人の経験、映画や書物から、生きづらさの正体を突き止め、言語化していく。

 本書は、「女子」という「呪い」をかけられ、辛い思いをしてきた女性を、大いに力づけ、鼓舞してくれるだろう。

目次
1 オッサン社会にもの申す
紫式部の時代にもあった無知装いプレー問題とは?
「男らしさ」という勘違い ほか
2 女子たちのリアルな日常
持つべきものは、看病し合える女友達
「迷惑マイレージ」を貯めて孤独死に備える ほか
3 「呪い」と闘う女たち
AVで処女喪失したあの子の死
メンヘラ双六を上がった女 ほか
4 「女子」という呪いを解く方法
世界の「女子」も呪いと闘っている


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「本」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事