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多様な社会はなぜ難しいか──日本の「ダイバーシティ進化論」

水無田気流,2024,多様な社会はなぜ難しいか──日本の「ダイバーシティ進化論」
,日経BPM(日本経済新聞出版本部).(9.6.24)

口では多様性を唱えつつ、経営会議は「日本人男性ばかり」。
こんな会社が日本にまだ多いのはなぜ…?  

安倍政権で最重要項目に掲げられたにもかかわらず、
なかなかふるわない女性活躍の現状を分析。 

逃げ恥、男性育休、MeToo、「日本死ね」、あたしおかあさんだから、LGBT、ポテサラ論争、ゲス不倫等
近年話題をよんだトピックをとりあげつつ、ダイバーシティが根付かない日本社会の、問題の深淵に迫る。    

日経女性面の人気連載を大幅加筆のうえ書籍化!

MeToo、ゲス不倫、男性育休、LGBT、ポテサラ論争、五輪組織委、逃げ恥、♯わきまえない女、卒婚、生理の貧困、まだ結婚できない男、マタハラ、タラレバ娘、女性入試差別、プリキュア、配偶者控除見直し…ジェンダーギャップ指数G7最下位。この国の「かわらなさ」の正体は。日経連載コラムを大幅加筆のうえ書籍化!

 日本政府推奨の、30代前半までに子ども二人を産み育てながら就労を継続するというライフコース。

 水無田さん自身の、就労を継続しながら子どもを産み育てた経験からくる、そのライフコースの難しさの指摘は、とてもリアル、である。

 まず、22歳で大学を卒業するまでにファミリーフレンドリーな会社に内定をもらう。そこから3年間血眼で婚活し35歳までに伴侶候補をつかまえる。結婚相手との平均交際年数は4年、結婚準備に半年から1年かかることから逆算した年数である。そして交際3年以内にプロポーズにもちこみ、28歳で婚約、2歳で結婚。直後に妊活し30歳までに妊娠。排卵は1年間12回だが、最短で職場復帰するためにベストな出産時期は自治体が来年度の保育所募集を締め切る前の8~10月であり、排卵3回分しかチャンスがない。このように31歳までに第1子を出産、妊娠中から保活して託児先確保、30歳で職場復帰。さらに第1子は1年以内に卒乳し排卵を回復して35歳で第2子妊娠、34歳で第2子出産。これらをこなしつつ、妊娠予定の30歳までにマタハラにあわず大手を振って産休・育休を取得し得る程度のキャリアを確立せねばならない。
 いったいこれは何のF1レースだろうか。(後略)
(pp.68-69)

 無理ゲーでしょ、こんなの。

 2016年にドラマ化され話題になった「逃げるは恥だが役に立つ」(卒パで星野源の「恋」をゼミ生と一緒に踊らされたw)。

 同作は、大学院修士課程で心理学を修めたものの、職に恵まれず派遣社員として働いていたヒロイン・みくりが、冒頭派遣切りにあってしまう。就職活動をしながらアルバイトとして、父のかつての部下・平匡の家事代行アルバイトを始めたが、やがて父の定年退職を機に両親が憧れの田舎暮らしを始めるため自宅を手放すと聞かされる。両親に着いて行くかどうか考えあぐねたみくりは、思わず平匡に家事全般を引き受ける「契約結婚」をもちかけてしまい・・・・・・というストーリーだ。
 2016年にドラマ化され大ヒットしたが、最も話題となったのは、みくりと平匡の間に恋愛感情が芽生え、本当に結婚しようとなったときに「仕事としての家事」が「愛情による無償労働」に変換されることの不条理に焦点が当てられたときだった。
 漫画では、平匡はみくりにプロポーズした後、家事労働の報酬は「お互いに定額制のお小遣いにして余った分を貯金」することを提案する。それを聞き、みくりは心の中で「固定給!!残業代ゼロ法案出たー!!」「結局それって今までと同じ仕事量を少ないお金でやれってことでしょ?」「ブラック企業やないかーい!」と叫ぶのだが、ドラマはもっと端的だった。
 なお、漫画では描かれなかったが、ドラマで映ったみくりの家事労働の給与明細は月額19万3000円となっていた。これを平匡に「結婚したら給料を払う必要がなくなる」と言われて、みくりはそれを「『好き』の搾取」と指摘したのである。月額20万円近くの家事労働が、個人的な愛情関係をベースにした途端、「無料奉仕」になってしまうのはおかしくない?というのだ。私はこのシーンを見て、1960年代の第2次主婦論争の眼目となった「家事労働は有償か無償か」の議論を想起させられた。
(pp.227-228)

 思えば、テレビドラマで、家事労働がアンペイドワークとして押しつけられてしまう理不尽がモチーフになったのは、注目すべきことであった。

 非婚化がなぜ進んでいるのか。
 その一因についての水無田さんの説明は、とても秀逸だ。

 かつての「皆婚時代」、結婚はロールプレイングゲームで言えば難度の低い「イージーモード」だったのだ。何しろ、プレイヤーは最初からミスリルの鎧のような「堅強な武具(安定雇用)」を身につけ、周囲は「しんせつなむらびと(近所の世話焼きおばさんや若手社員を結婚させようと手ぐすねを引いて待っている上司など)」で溢れ、ダンジョンを一つか二つ制すれば「クリア」できるゲームだった(結婚相手とのおつきあい年数は平均2年程度だった)。
 これが2020年代の現在は、「ハードモード」ないしは大変すぎて「レジェンド・モード」になっているのである。プレイヤーは不安定雇用も増え若年層ほど昇給も鈍化するなど、武具で言えば一向に「たびびとのふく」や「なべのふた」からアップデートできずにいる。「しんせつなむらびと」は消え、制覇すべきダンジョンの数も増え(結婚に関しパートナーと摺り合わせるべきことがらも増えた)、しかも迷路は入り組み巨大になっている(ライフコースが複雑になっている)。このためクリアまでとても時間がかかるようになった(結婚する相手との平均おつきあい年数は4年を超えている)。投入した時間やお金などがそのまま「クリア(婚姻)」に結びつくかどうかは未知数で、しかも、せっかくクリアしてもデータが「強制消去(離婚)」になるケースも増えた。
 結婚とは、そこまでしてクリアしなければならないゲームなのか。仕事や勉強ならば投入した時間やお金は相応に成果をもたらすことが期待できるが、結婚は異なる。とりわけ、一人単位での行動で充足できる、仕事が楽しくやり甲斐がある、趣味を大事にしたい・・・・・・等の志向性がある人にとって、結婚とは「時間とお金を際限なく吸い取られる上、効用が微妙なクリアに値しないゲーム」となる。
(pp.252-253)

 2021年、森喜朗のオリンピック委員会(JOC)の会合での女性蔑視発言に関連して。

【徹底解説】森喜朗氏の「わきまえている女性」発言、問題点はここだ。

 ことほど左様に、日本でダイバーシティを浸透させるのは難しい。そして、「森喜朗」は根強い。この場合の「森喜朗」とは、個人名というよりは日本型権力決定機構の集合体である。もちろん、現実の森喜朗氏の失言から彼が辞任に至る一連の騒動には呆れたが、問題の核心はそれだけではない。森喜朗が森喜朗であり続けることを容認してきた日本社会の構造的問題を、今こそ真剣に考えなければならないと再認した。
 周知のように森氏は、日本オリンピック委員会の臨時評議会で、「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」ので、「発言時間を規制すべき」だが、同委員会の女性理事たちは話も「的を射て」おり「わきまえて」いるとの見解を述べ、国内外で批判を浴びた。
 海外メディアは日本社会の女性差別を象徴する発言として報道した。この種の問題が起こるたびに、外国では「日本はジェンダーギャップ先進国最低水準の女性差別の国」とテンプレで報じられるのだが、日本ではその事実はあまり語られていないように思う。
 いや、たとえ海外から日本社会の構造的な女性蔑視問題を現状を指摘されても、それらの声は本当の意味で日本の意思決定の場には届かない。そこには、「どうせ外国人の言うこと」、「日本人の感覚とは異なる」、さらには「うちでは妻の発言権の方が強いのに」等の感覚がこびりついている。日本の女性は、たしかに私的な場では家族に対して「強い」人もいるかもしれないが、それと公的な意思決定の場で意見が尊重されるのかは別問題であるはずだ。
(pp.263-264)

 エピローグ所収「女性蔑視発言で見えたこと 権力集団の均質性保持志向」でも書いたが、テレビのワイドショー番組などでは、森氏は「高齢だから仕方ない」「これまでの功績は評価すべき」「他に五輪を統括できる人材がいない」等、森氏を擁護する意見も散見した。印象的であったのは、擁護に回るコメンテーターはいずれも困ったようににやにや笑いを浮かべながら、言外に「みなまで言うな」「分かるでしょ」的な身振りであった点だ。
 彼らは共通して、「女性差別はたしかに良くない」が、「それを気にしていたら、物事は進まない」のだから仕方ないと言わんばかり。いったいこの巨大な人権問題を放置してまで、彼らが、いやもっと言えばこの社会が守ろうとしている「森喜朗的なるもの」って、何だろう・・・・・・と考え込んだ。
 おそらく森喜朗的なオールドスタイルのおじさんは、どこの組織にもいる。意思決定の場には女性や外国人のような「異物」はいない方が「話が早い」と思っていて、「自分のミウチ」にならなければまともに相手にはしない、そんなおじさんである。
 「謝罪会見の森喜朗」もひどかった。耳の痛い質問はがんがん遮り、個人的に普段から親しくつきあっているらしき記者には打って変わってにこにこ対応。ああ・・・・・・、こういう風に「懐に入って」ミウチ認定してもらわねば、まともに取材をさせてやらない的なスタンスで、ずっとやってきたんだな・・・・・・、という雰囲気が充満していた。これでは、まともに政治報道などできないのではないか。少し背筋が寒くなった。
(pp.265-266)

 大切なことなので繰り返し述べたい。権力者が異質な他者を新規メンバーに受け入れるとき、「彼ら(この場合女性)は一般的に自分たちにとって都合が悪い(話が長い)が、あなた(組織委員会の女性理事)はそうではない(権力者の意向を「わきまえて」いる)から認める」というのは、マイノリティの「分断統治」話法である。これを、女性をはじめとする異質な他者を「褒めている」と考えるのは、無意識の偏見の偏見に基づく発想である。
 南アフリカ共和国で行われたアパルトヘイト(人種隔離)における「名誉白人」も、男性中心社会の「名誉男性」も、マイノリティを「一部の権力集団に都合のいいエリート」と「その他大勢」に分離し、前者のみを容認することで、旧来の権力集団の均質性保持を志向する発想だからだ。結局、「権力ある高齢男性」か「彼らと同じ発想のできる名誉男性」しか意思決定の場にいないのであれば、ダイバーシティなど絵に描いた餅ではないのか。
(pp.267-268)

 どこの組織をみても、役職者は「高齢の男性」ばかり。

 富と権力を占有する「高齢の男性」に、後釜に座るべく、あるいはおこぼれにありつくべく媚びる男と女。

 ダイバーシティ推進やらSDGsやら、空虚なスローガンばかりが漂い、そして消えていく。

目次
はじめに 日本社会にある異物
第1章 「女性活躍」と「ダイバーシティ」の齟齬
第2章 なぜ日本のダイバーシティは進まないのか
第3章 かわったようでわかっていない
第4章 日本の母に課される荷はなぜ重い?
第5章 わたしたちのガラパゴスな結婚
第6章 まだ居場所のない男
エピローグ 日本でダイバーシティを実現するために


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