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なぜ「活動家」と名乗るのか──岩盤を穿つ

湯浅誠,2013,なぜ「活動家」と名乗るのか──岩盤を穿つ,筑摩書房.(10.7.24)

他なる社会の可能性を夢見てそれに形を与え、場を作り、共同性を練り上げ、夢見る条件を作る。これが活動家の仕事だ。2008年暮れから年明けの「年越し派遣村」や、2009年10月から2012年3月までの内閣府参与など、一貫して貧困問題に取り組んできた著者が、「活動家」についてわかりやすく伝える。

 湯浅さんは、2000年代の貧困問題の可視化に大きく寄与した。

 本書では、リーマンショックと年越し派遣村の開設、民主党政権の成立に至るまでの、反貧困運動の軌跡が克明に再現されている。

 湯浅さんは、リーマンショック後に横行した「派遣切り」に強く怒りをぶつける。

 とはいえ「派遣切り」に対する第一の責任は、なんと言っても企業の経営者にあります。いまや非正規労働者は労働者全体の四割に迫りつつあります。どんな職場も、非正規の人たちの存在なくしては成り立ちません。しかも、二〇〇二年から二〇〇七年までは戦後最長の好景気で、多くの大企業は史上最高の経常利益を更新し続け、株主配当・経営者報酬は上がり続けました。企業の経営者は、いわば非正規の人たちに食べさせてもらっていたわけです。にもかかわらず、不況期に入った途端にその人たちの命を危険にさらしている。何千万もある自分の役員報酬を削って、せめてこの年末年始だけでも、次の仕事が見つかるまでの間だけでも、非正規の雇用と住居を守ると宣言する経営者はいないのでしょうか。好景気のときに溜め込んだ内部留保を一部でも放出しようと考える経営者はいないのでしょうか。
よじよう
 「派遣切り」を行っている大企業の中には、減ったとはいえ利益を出し、株主配当を行っている会社もあります。余剰があるなら、人々の命を支えようとは考えないのでしょうか。
 企業の社会的責任は存在しないのでしょうか。どの企業も環境保護を訴え、それが企業の社会的責任だと言います。環境は大切だが、人の命はどうでもいいとでもいうのでしょうか。「地球を大切にしています」などといった欺瞞的な広告は即刻止め、「私たちの企業は、非正規労働者の命など何とも思っていません。そんな私たちですが、よければ商品を買ってください」と正直に言うべきです。
 私は怒っています。そして、こんな企業や経営者たちが「日本をリードする」などと言われていることが情けない。私は大企業の経営者のみなさんに問いかけたいと思います。「あなたたちは、自分の子や孫に、人の命を大切にしなさい、と言えますか?」
(pp.62-63)

 高齢化も一因とは言え、相対的貧困率は、反貧困運動が展開された時期とほぼ同レベルにある。

 反貧困をはやりすたりで済ませられるには、貧困による苦痛と不幸はあまりに重い。

目次
第1章 NOと言える労働者に―派遣切りに抗して
第2章 生活保護の野宿者の現実
第3章 貧困は罪なのか?
第4章 自己責任論が社会を滅ぼす
第5章 ぼくは活動家
最終章 政権交代で問われること


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