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イタンデイコウ!

ひっそりたたずむ、設備たち

イエローが好きなのね

2014年07月19日 | アレ
昇降機技術基準の解説は何色があったか気になったので、本箱をガサゴソしてみた。

  

  

この本をイエローブックと呼ぶわけだ(笑)。
新しい順に2014年版、2009年版、2002年版、1994年版。
1994年版だけB5サイズ。これが一番使いやすかった。これ以降はA4になってかさばるし、
無駄に文字がでかくて老眼でさえ閉口する読みにくさ。この本がいつから発行されたのか
調べると、1994年より以前のものがでてこない。ということは、この本全部揃っている?
と思ったら、昇降機「の」技術基準の解説という本が昭和52年版で発行されている。
しまった!タイトルが変わっていたとは、予想外。


イエローブック

2014年07月18日 | アレ
4月に発行されたのは知っていたが、ちょっとためらっていた本を買った。
それは数年に1度出版される「昇降機技術基準の解説 2014年版」。




この本を指して「エレベータのバイブル」と表現する人もいるが、私からすると
知っていて当たり前なことが網羅されている本である。が、この知っていて
当たり前が私の頭ではなかなか理解できなくて、そこが読めば心落ち着く
「バイブル」とは違う。ともあれ楽しくも悩ましい本である。
(性能評定の導入からつまづいております)

この本は出ると必ず買っているが、2009年版はなんと2冊も買っていた。
知り合いが1冊もらってくれたので、やれやれである。




この本は8千円するので、まさか「やっちまう」とは思わなかった。
技術基準の解説はその時の本の色で呼ばれることがある。2009年は黄色
なので「イエローブック」。グリーンになった時は「グリーンブック」。
まさか2014年版もイエローで来るとは!



九里博武、ここに眠る

2014年05月02日 | アレ
先日、内外エレベーターの資料を探していたら、スゴイものを発見してしまった。
それは内外エレベーターの創業者、九里博武名義の墓地使用権承継申請書。
新潟県(さすがに本籍黒塗り)の士族で死亡者族籍氏名欄に孫次郎とあれば、
ほぼ確定だ。そういうわけで、あわてて青山霊園へと向かった。
青山霊園に足を踏み入れたことがないので、アメリカ映画にでてくるような整然とした
公園墓地を想像していたら、鬼太郎がいてもおかしくないような墓場群だった。
書類には墓の位置番号が書いてあるので、その通りに進む。
現れた一角が九里家の墓所で、墓は全部で8基。


化けて出ませんように

正面の墓石には「陸軍砲兵中佐 正六位勲三等 九里孫次郎之墓」とある。

化けて出ませんように

左手に「九里博武 妻 正子之墓」と書かれた墓石がある。

化けて出ませんように

墓石を探す目的は、亡くなった日を知るため。
ちなみに資料で見ると博武の妻は確かに正子である。
今までまったくわからなかった博武の命日は昭和41年5月28日、行年75才。
明治生まれのイメージが強かったせいか、もっと前に亡くなったと思っていた。
妻の正子は昭和55年6月4日、行年83才。確認のために誕生日から計算してみたが
行年はどちらも合っているので、ここが九里の眠る地だ。右手には6歳下の弟、博忠夫妻の
墓と、誰かまだ判明しない名前が入った墓石がある。

青山霊園ではここに眠る有名人の墓がマップになったり、リストになって配布されている。
その中には鉄道大臣も務めた内田信也の名がある。彼はA.B.SEE エレベータの輸入を手掛けた
内田商事の取締役でもあった。草葉の陰で2人は、どんなことを語るのだろう。


悼みに行ったが 2

2014年03月21日 | アレ
大正11年に設立された内外エレベーター株式会社は、今はない。
大阪の朝日ビルに心血注ぎ込み、どうも会社の活動をやめてしまったようだ。
「よいものを設置する」と「採算」は吊りあっていなければ商売とは言えない。
九里博武は採算度外視で理想の技術を追い求めたのだろう。
そんな九里が大正15年に設置した、宝塚ホテル本館のエレベータを見に行った。


階段の吹き抜け部に設置するタイプ。エレベータは1箇所である。
1階にあった大食堂・小食堂の配置から考えると、客専用というより地下の厨房から
料理を運ぶ荷物用も兼ねていたようだ。だから国産メーカー採用だったのもうなづける。
また同じ兵庫県の企業として、神戸の内外エレベーターを応援したとも考えられる。
今も客荷兼用のようで、きれいに使用しているとはいい難い。(三菱電機製)
宝塚ホテルの本館は竣工当時は地下1階、地上5階建て表記であるが、2階が
ロビー階となり本来の地下1階は1階となった。このズレで6階表示ができたのだ。


竣工当時は今の4階から6階が客室であったが、現在は4階を事務所として
使用している。なので4階は配管が走る、客室フロアとは異なる光景である。


事務所フロアの共同トイレは東陶の衛生陶器。金隠しが妙に薄いタイプ。

客室フロアより昔の名残があるという話だが、さほど残っておらず。
本館ツインの部屋に戻る途中、おもしろいものがあった。



階段を上り終わる手前の部分に、タラップと背当てサークルがついている。
見上げるとこんな感じ。


これは現在も現役で使用している、エレベータ機械室の入口。
今は法令で直梯子といったこのやり方はできないはずである。
兵庫県から出された依命通牒では金属回収されない条件のエレベータであるが、
用途がホテルなので供出した可能性もある。根こそぎもっていかれる金属回収では、
このタラップが無事だったとも思えず。さらに客の目に触れる場所なので美観上、
竣工当時は木製の梯子あたりを使用していたとも考えられる。
宝塚ホテルの本館を訪れて九里を悼むつもりだったが、新しい技術を追いかけ続けた
九里には、過去を振り返ることは不要であろう。

参考文献 
株式会社宝塚ホテル新築概要 建築と社会  大正15年5月
話してごらん、その歴史 タイムリミット20年  エレベータ界 2008年1月号 




悼みに行ったが(二度と泊まらぬ!宝塚ホテル)

2014年03月20日 | アレ
日本の商売を指して「技術で勝って、ビジネスで負ける」という言い方があるが、
まさにそうだったと思うのが、大正11年に九里博武が神戸で設立した内外
エレベーター株式会社。先日取り壊された大阪・中之島の朝日ビル(昭和6年)の
エレベータを設置した会社である。同じく内外がエレベータを設置した建物に
兵庫県宝塚市の宝塚ホテル本館(大正15年)がある。神戸の知人との雑談で
この建物が現存していることを知り、いつか訪ねて見たいと思い焦がれていた。
その理由はただひとつ。
九里
 くのり 博武を称え、悼んでやりたかったのだ。当時のものは残っていないだろうが、
とりあえず宝塚ホテルに事情を手紙に書き、投函した。ホテルからは折り返し電話が
あり、資料を送るかと聞かれたので、泊まる時に直接フロントで受け取ると答えた。
この時に、館内の案内もお願いしておいた。

ああ、楽しみ、楽しみ。

宿泊プランは本館シングルルームの【早期得割】3週間前だから最安値でお得♪
早い者勝ちプラン朝食つき、とサスペンスドラマばりに長いタイトルの9千9百円で
あった。


フロントに到着すると電話で話をした担当者は休みであった。言っていた資料を
受け取ろうとしたが、他のスタッフに何も伝えられておらずイチから説明するハメになった。
こういうやりとりがイヤで手紙を書いたのだが、館内の案内の件も伝わっていなかった。
とりあえず疲れたので(東京駅から18きっぷ)部屋に行き、夕食を食べたのだが
何か落ちつかねえ。なんだ、この湧き上がる違和感は?


夕食後に館内を案内していただけることになったが、フロントに「あの部屋は本館か?」と
たずねたら「西館」というのだ。たしかに持っていたカギにも西館とある。つまり
先ほど夕食を食べた部屋は西館のツインルーム。いやいやいや、ワシは本館の
シングルルームに泊まりたくて3週間も前から予約していたんですが?

本来予約していた本館シングルルームはふさがっているとのことで、結局本館の
ツインルームに案内された。このフロントスタッフが何度も「グレードアップ」の言葉を
口にするので不愉快だった。


確かに泊まった部屋(赤矢印)はいい部屋だったと思われる。

そもそもグレードアップって、ホテル側の初歩的な落ち度で本来予約した部屋に
泊まれない客に向かって使う言葉なのか?
とりあえず本館に泊まれたのでヨシとするしかないが、この部屋のエアコンの音が
結構大きく(震動系の音)、テレビのリモコンの反応が悪かった。テレビのリモコンは
西館のも反応悪く、西館の洗面所のカランはクレンザー跡が白く残っているような
状態だった。(入っていきなりのこれには幻滅した)
ホテルの朝食は奈良ホテルで経験しているが、かなり胸躍る。だから今回も朝食つき。
が、朝食の会場でビックリ。ビジネスホテルのよくある無料サービスとたいして
変わらなかった。

九里を悼みに行ったはずが、二度と泊まらないホテルに出会うとは思わなかった。
ちなみにチェックアウト時に「電話で話したスタッフが、渡すと言っていた資料は
郵送してください」とお願いしてきたが、いまだに送られてこない。
レベルの低いホテルだったなと思うだけで怒りはないが、今さらながら奈良ホテルの
凄さを思い知ったのである。

さよならエレベータ界

2014年01月07日 | アレ
通勤途中のネット検索で、朝から受けたショック。
エレベータ界が休刊 だよ!しかも前号で休刊。

エレベータ界は、日本エレベーター協会(エレベータから変更)が昭和40年から
発行している業界の機関誌。創刊の頃は同人誌のような雰囲気があり、執筆者も
業界では顔なじみなんだろな、といったほんわかな感じが微笑ましかった。
「ベータートーク」のコーナーは著名人との対談だが、インタビュアーがプロじゃ
ないのでゲストとトークは進むものの、エレベータ方面に話をうまく誘導できず、
毎度ヘアピンカーブ並みにオチがつく。これがまた、おもしろかったのだ。

エレベータに対する知識を授け、技術者たちの昔話に驚き、具体的な採用
データを知る。この雑誌なくしては、今の私は作られなかっただろう。
エレベータ界は、こんな素人に6回も連載させてくれる包容力もあったのだ。
近年は読み物が減り、業界の報告媒体の様相を呈していたが、まさか休刊する
とは思わなかった。

旧いものと新しいもの

2014年01月02日 | アレ
奈良ホテルには100年にわたって使われる設備としてラジエーターが
あるが、昨年新しい設備も登場した。それは「エレベータ」。
明治42年(1909年)に竣工した木造2階建ての本館にはエレベータが
なく、不便という声もあった。エレベータの設置をネットで知った時には
「やっちゃったな~」と思っていた。なぜならば、エレベータを取り付ける
改修事例はたいてい「使いにくい裏側に、不格好につける」だったからである。
これが設置されたエレベータ。

  

外装・内装とも華やかだが、落ち着いたデザインである。
揚程と乗り心地からすると油圧であろう。で、外側からシャフト位置の
確認に出たところ、設備系のおっちゃんと出会ったので位置を聞いたところ
「フロントに話してやるよ」と言うので、ついていった。話をしたのは
フロントではなく、ドア付近にいた人だ。

「エレベータのシャフトは、どこについていますか?」

この質問だけで警戒心バリバリ出されて、たいへん困った。
「どうしてそんな質問を?」みたいなことになり、しょうがねえから
「好きなんですけど」と告白するしかなかった。
このブログを読むとラジエータ狂いに見えるかもしれないが、あれは
「本気じゃないけど、浮気じゃない」レベル。本気は戦前のエレベータの
追っかけである。だから現代のエレベータとの比較は必要不可欠。
結局シャフトの位置は、こことわかった。

 
いや~ビックリだぜ。客室の並びが始まるという使いやすい位置に
設置して、外側からはシャフトだとわからないように設計しているよ。
防火上いろいろ制約もあったと思うが、素晴らしい改修だった。
ちなみにメーカーは三菱電機。愛知県は稲沢生まれだね。