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イタンデイコウ!

ひっそりたたずむ、設備たち

それは未来への贈り物 2

2015年08月18日 | アレ
エレベータはワイヤーロープでカゴを吊り下げ、レールに沿って
上下する乗り物。だから重力に立ち向かう安全装置が複数
装備されている。これもその安全装置のひとつ、ディスクガバナー。




ガバナーは日本語では「調速機」。文字通り速さを調べる機械。
カゴが一定の速さを超えないか機械室で見ている、いわば密偵。
この一定の速さとは、現在の法令では定格速度の1.3倍、1.4倍。
ガバナーが異常過速を検知したら、1.3倍を超えないうちに動力を
切り、1.4倍を超えないうちにカゴを自動的に止めなければならない
とされている。日本で最初のエレベータの法令と言われるのは
大正15年に東京府で出された昇降機取締規則。基準は不明だが、
第23条でこれも規定されていた。

ガバナーが作動すると、斜めっている棒がまっすぐなるらしい。
密偵の命を受けてこれを実行するのが、カゴの下についた「早利き
非常止め装置」である。
それがこれでは?と思うのだが




「ガイドシュー」というカゴの上につく部品にも似ており、判断が
つかない。どちらにしてもこの部品、ボルトで止める面とレールを挟む
面の位置がスッキリしないのである。

それは未来への贈り物

2015年08月15日 | アレ
リニューアル工事が終了し、この7月に「みなと敦賀の古くて新しい博物館」として
再オープンした敦賀市立博物館に行ってきた。何度が訪ねている館だが、
気がかりだったのがエレベータの行方だ。


  

竣工当時は大和田銀行だった建物なので、新たに銀行内部が再現された。
エレベータは以前には3階の物置チックな場所に置かれていたので、この機会に
しまわれてしまうのではないかと危惧していたが、なんとセンターで再デビュー。




さらに保管してあったが「出せない」「見られない」という状況にあった機械類が、
これを機会に展示されていたのだ。(これを知って見に行った)


  

機械が残っていたのは聞いていたが、まさかここまで残しているとは思わなかった。
しみじみとそう思う部品がこれ。




上に他の部品が載っているので「台」と成り下がっているが、これはカウンターウエイト。
人が乗るカゴと常に反対方向へ動く(人が上がるとウエイトは下がる)のと、
カゴの裏にいる部品なのでその姿を見ることはほとんどない。巷でよく見るガラス張りの
シャフトなら、これがよくわかる。
U字型の凹みにはカウンターが走るレールが入り、穴にはワイヤーが入る。
・・・・って書いているが、ちと不安。というのも、カウンターのレールってこんな形だったっけ?

博物館の使命のひとつは、過去から未来へモノを引き継ぐことである。
これを保存した担当者の思いは2015年の今、しかと受け止めたぞ。

私を動かす、背中のザワザワ

2014年12月10日 | アレ
ネットで外国の電気スイッチメーカーを調べていたら、スイッチだけじゃなく
上下に動く輸送設備を製造していたことが判明した。そのサイトの写真を
眺めていたら、久々に背中にザワザワを感じた。
この突き動かされるような「追いかけたい」という衝動が、私を知らない場所へ
誘い、知らない人に会う勇気を与え、動かしているんだろうと思う。
そこには他人との関係は、一切ない。
上下に動く輸送設備と「私」との、いわば一騎打ち。

これを俗に「情熱」と呼ぶのだろうが、送水口に目をくれなかったのは
送水口に対して、この前のめりになる衝動がないからだと思う。
ちなみに背中のザワザワもそうだが、本当に感動すると周りが「無音」に
なる。周囲の音がまったく聞こえなくなるのだ。
上下に動く輸送設備との、ほんの束の間の対峙。それは至福の時間だが、
「調べてもわからない地獄」へのスタートでもある。

おまえご苦労、ワシご苦労 5

2014年11月29日 | アレ
近頃このブログで送水口のネタが多かったのは、送水口がラクだったから。
建物内部の設備を撮るのは、いろいろあって大変なのだ。それに引き換え、
建物の外にある送水口は、撮るのがラクというより撮ることにストレスがない。
明るければいつでも撮影できるし、どこでも自由に撮影できる。

実はこれがうらやましくて、うらやましくてたまらなかったのだ。
ちなみに私が送水口の写真を撮っていないのは、スッタモンダの上で内部の
設備写真を撮った後は、ぼろ雑巾のように疲れてそれどころではないのが
実情。そんな余力が一滴も残っていないのである。このひと月ほど
「送水口はいいな病」に罹っていたのであるが、今は亡き祖母が大掃除の
終わった後などに言っていた言葉を思い出した。それは

おまえご苦労、ワシご苦労。

意訳は「自分ばっかり大変だと思うなよ、みんなそれぞれ大変なんだよ」
であろうか。私が知らないだけで、送水口には送水口なりの見えない苦労が
あるのかもしれぬ。それに内部の設備は輸送設備、暖房、シャッターなど
すべて単発ものに映るが、追いかけると意外なつながりが見つかって面白い。
そこは内部設備の醍醐味であるが、同時になかなか人にわかってもらえない。

やっぱり送水口がうらやましいぞ!

おまえご苦労、ワシご苦労 4

2014年11月28日 | アレ
運よく設備担当者の立ち合いのもと、上下に動く輸送設備を見学できたら
確認するところはいろいろある。確認は「この目」でやらないと気がすまない。
輸送設備のフレームに、あるプレートがついていたという昔話を聞いたので
設備担当にその話をすると「何十年とメンテナンスをしてきたが、そんなのは
ついていない」と言って確認してくれない。こちらも通常では見ることのない
フレーム部なので、なんとしてでもこの目で確認したいのだ。
見てくれ、それはないの応酬が続いたが、設備担当がようやく折れてくれて
フレーム部を白日の下にさらしてくれた。そのケーブルの束の裏に隠れている
やつが、プレートだと説明してようやく双方安堵した。

このプレートの件は、実は違う場所で同じことがおこっている。
こちらの担当者とは天井裏に乗せろ、危険だからダメの応酬があったのち、
後で写真を送るからといって終了した。後日、すごくきれいに残されている
プレートの写真が届いた。この担当者も何十年とメンテナンスしていたが、
今まで気がつかなかったそうだ。時には担当者との小競り合い?もあるのだ。

夏休みイコールお盆休みである。
お盆に見学する旨の連絡していた輸送設備を見ることになった。この輸送
設備は手動式、ハンドルでアップダウンさせる形式である。この形式は
階の途中で止められるので、止めてもらった。するとシャフトの鋼材に
明らかに花びらと思われるものが散乱している。誰かが誤って落とした
とも考えられるが、それにしても状況が不自然。なぜならばオペレーター
いわゆるエレベーターガールがいるので、階の途中で止めてドアを開き、
掃除をすることが可能だからだ。帰ってからしばらくたってこの時の
写真を整理していた。すると


ひ~、なんか写ってるよ~

あわてて写真とネガを塩まみれにしてビニールに入れ、処分した。
オペレーターに聞くに聞けなかったが、やっぱりなんかあったんだな。

おまえご苦労、ワシご苦労 3

2014年11月27日 | アレ
上下に動く輸送設備が設置されているのは外からでも確認できるのだが、
建物の用途が「倉庫」となると関係者以外は立入禁止である。

ダメを承知で、とある倉庫の社長に直談判してみた。そうしたら炎天下
アスファルトに汗がしたたり落ちるほど説教を食らうハメに。しかも30分は
食らっていたかと。この時は「ひ~」と逃げ返ってきたが、のちに見学させて
くれることになった。が、どちらにしても内部は倉庫。首をちょっとでも振ると

「キョロキョロするなっ!」

と社長が後ろからゲキを飛ばしてくるんである。今回社長との間に入って
くれたのは設備担当。こちらも無事に機械室の見学を終えたのである。
その後、倉庫はマンションに変わっていており、見ていてよかったと痛感した。

ある公会堂に今は使われなくなった輸送設備が残っているので、見学の
申し込みをしたところ、無事に許可かおりた。見学は機械室のみである。
当日は掃除道具を持参して見学の挨拶に行ったところ、担当者が
「はぁーん、会社休んで来た?ああ、いいご身分だねえ」とイキナリ
打ち込んできやがった。この挑発に乗ると開錠してもらえなくなるので
かわしておく。(機械室は法令で施錠が義務づけられている)
マシンに会えれば辛いこともなんのその~と、モーターを拭いていたら
マシンの銘板がすべて外されていたのである。

あまりのことに、一発KOノックダウン。
おやじのイヤミなどカワイイものだった。

おまえご苦労、ワシご苦労 2

2014年11月26日 | アレ
手紙を書いても100%返事がこないのが病院であるが、またしても資料を持たない時に
頭の中に青信号が点ってしまった。今度は大学病院である。

とりあえず事務室に行き、明らかにヒラと思われる職員にコレコレと説明をする。
が、ヒラくんに話したところでどうしょうもないことはわかっている。ヒラくんも
上下に動く輸送設備を拝見したいと言われて困惑するばかりである。
次にヒラくんの上司が登場した。また同じようにコレコレと説明する。上司にしても
そのような要件は初めてであろう。話は聞いたものの困った上司は「この人は理事?」と
思うような、見た目からして明らかに偉い人にバトンタッチして帰って行った。
で、この偉いさんにもコレコレと説明をすることとなった。

偉いさんは「話はわかった」としながらも、それを見ていったいどうするのだと逆質問を
繰り出してきた。「どうもしない」というのがその答えであるが、まさか答えるわけにも。
ちなみにこの時点で1時間以上は経過している。この偉いさんを説得できなければ
もう終わりだ。そこでどうするのだという質問に「それが学問だから」とカマしてみた。
もうヤケッパチ作戦である。自分のしていることは学問どころか、研究ですらないのだが
とりあえずカマす。ここは大学病院で、同じような症例を集め分析し治療にもっていく。
私も同じことで、戦前の輸送設備のデータを収集し分析し、結論を導き出す。その行為は
どの分野においても「学問」と呼ぶのではないか、と。

ああ、もう無理。これ以上語る言葉を持ちません。
今回見たかったのは、「寝台用」というカテゴリーがなかった時代の寝台用だから。
結局許可がおり、某ファシリティーズのおじさんに同行していただき、無事に機械室の
見学も終えたのである。

おまえご苦労、ワシご苦労

2014年11月25日 | アレ
「岸から手を離し、流れに身をまかせたら激流だった」ならば手を離さなければ
よいのだが、その先が激流であるとは思わないから、手を離すのだ。
私の激流のほとんどは、上下に動く輸送設備を見に行く時。
社会人だからアポをとって訪問するのが礼儀だか、病院というやつは手紙を書いても
100%返事がこない。電話では怪しまれる。そこで突撃訪問する事態になる。
ちなみに訪問するときは必ず「頭の中の青信号が点いた」時。これが点かない時に
行くと、立ち直れないほどの精神的ダメージをくらってくる。
困ったことに、この青信号がいつ点るのかは予測不可。資料を何も持たない時でも
これが点くと、逡巡しながらも足を進めざるを得ないのである。

戦前に竣工した病院に向かったものの、誰に何をどう言ったらよいのかわからない。
そこで受付の女性に「東京から参りましたFaciと申しますが、総務の方に取り次ぎを
お願いしたい」と申し出た。女性は取り次いでくれたが、全身の毛が逆立つ「違和感」を
感じた。なんだろう、この違和感は・・・・と思っていたら、向こうからスーツをパリッと
着こなした年配の男性と若い男性がペアでやってきた。2人とも驚くほど緊張しており、
落ち着かない。挨拶を交わした後、愕然とするその理由に気づいた。

来るがいきなり総務を呼び出しているから、クレーマーだと思われている?

おたくの病院の治療方針にクレームをつけにきているわけじゃありません、と言うと
安堵の表情を浮かべていたが、ではどういう要件で?と言われたら・・・困るよな。
この状況じゃものすごく言いづらいし、でも言わないとダメだし。

「こちらにある上下に動く輸送設備を拝見したい」

これまた違う緊張が2人に走ったが、すぐに「少々お待ちください」と離れた場所で
合議が始まった。思うより時間がかかっているのでダメだと思ったが設備担当の2人に
引き合わせてくれ、無事に機械室の見学も終えたのである。

さよなら2人乗り(号泣)

2014年08月20日 | アレ
規格型のエレベータは定員が決まっている。今は規格からはずれたエレベータを
製作することはあまりない。規格外のエレベータにはこういう面白さがあるのだ。
定員ナント2人乗り。






1人当たりの体重は65Kgと決まっているので、150Kgなら3人は乗れないことになる。
怒られるのを覚悟で床面積を測ろうとコンベックスを持って行ったが、建物が解体予定と
なっており、中に入ることができなかった。む、無念なり(号泣)。

九里さん!その技術はなんですか

2014年08月19日 | アレ
この盆に九里博武のお墓参りをしてきた。知らない人の墓を拝むと、なにやら
「ついてくる」と昔言われたが、ついてきて技術のレクチャーをしてほしい。

神戸で内外エレベーター株式会社を創立した九里博武は、
「大阪中之島朝日ビルのエレベーター完成に全力を傾注した結果、経営に
困難をきたすことになった」と後世に伝わるが、あくまでも伝聞。
この朝日ビルとは昭和6年に竣工した大阪朝日ビルディング。エレベータは
客用4台が米国のウエスチングハウス社、荷物用1台が内外エレベーター製。
内外が設置したのは、積載量2000ポンド(約900Kg) 速度毎分150尺(約45m)
停止階10。制御装置はカースイッチ・コントロール。ドアはドアエンジン搭載の
二枚扉二重速度。データを見る限り、当時フツーのエレベータ。だからこれで
「全力を傾注した結果、経営に困難をきたす」というのがわからなかった。

タケナカブックスの近代建築設備の系譜には昭和2年竣工の朝日新聞東京本社の
設備データが掲載されていた。念のために朝日新聞社が発行した「東京朝日新聞
小観」でも確認したが、同じデータだった。客用の3台は米国オーチス製。
内外は社員用1台を担当した。そのスペックは以下のとおり。

平常の積載量は2000ポンド、速度は毎分150フィート(約45m)。必要に応じ
積載量を4000ポンド(約1800Kg)、速度毎分50フィート(約15m)に変更し
金庫等の重量物の昇降に使用することができる、この容量変更の方法は正歯車減速
方法によるもので、巻上機の電磁制動機枠に装置した二組の歯車装置をハンドルに
よって移動するのみで簡単に行われ、従来の平衡重量錘増加等の煩雑な手数を要しない
特徴がある。

・・・やべっ!わからない。というか、積載量が変更できるものを今まで知らなかった。
両機を比較すると九里は東京本社の物件で全力を傾注し、その開発費の膨らみで
経営が困難になったのではないか。戦前の特許を調べる台帳を何度か特許庁で閲覧
したが、九里の名は記憶がない。おそらく特許などは取っていないだろう。

ここはふりだしに戻って、戦前図書で九里の技術のカケラを探しますとしますか。