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GOOD TIME!

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ロッド・スチュワート/フェイセズ・ライウ゛

2006-03-14 01:14:28 | フェイセズ/ロッド
ロッド・スチュワート & フェイセズ / ライヴ
ロッド・スチュワート & フェイセズ
ユニバーサルインターナショナル

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1973年11月にロニー・レインに変わるベーシストとして山内テツを加えて
初のシングル「玉突きリチャード Fool Hall Richard」をリリースしたフェイセズ。
この曲は全英8位を記録し、1974年に入るとついにロッド・スチュワート&フェイセズと
バンド名を改名しワールド・ツアーをスタートさせ、2月19日、20日と日本武道館にて
初の来日公演も行っています。

そんな中、1974年2月に初のライウ゛・アルバムをリリース、タイトルは『ロッド・
スチュワート&フェイセズ/ライウ゛Coast To Coast: Overtures & Beginners』で
全英3位/全米63位というヒットをしています。レコード会社の契約問題からこのライウ゛は
ソロ契約のマーキュリーとバンド契約のワーナー・ブラザーズの両方から発売されています。
(LPがマーキュリー、カセットがワーナー、CDになってからはマーキュリー)

フェイセズの名義にはなっていますが、収録内容はほとんどがロッドのソロからのナンバーが
ほとんどです。ソロのレコーディングでもフェイセズのメンバーによるものが多かったし
ここに収録されたライウ゛・パフォーマンスからはバンドとしてのまとまりがすごく
感じられます。後の『アブソルートリー・ライウ゛』と比べてもその質の高さが一目瞭然です。

ロッド・スチュワート/初のベスト

2006-03-13 00:46:23 | フェイセズ/ロッド
Sing It Again Rod
Rod Stewart
Mercury

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1973年8月リリースのベスト・アルバム、『シング・イット・アゲイン・ロッド』。
ソロ契約延長でもめていたレコード会社が発売した初のベスト盤で、全英1位全米31位を
獲得しています。

4枚のアルバムからピックアップされた楽曲に加えて、最近日本でも公開されたザ・フーの
ミュージカル『トミー』に1972年に客演した際のナンバー「ピンボールの魔術師」が
収録されています。このザ・フーのナンバーはいい曲ですよね。

同時にシングル「オー・ノー・ノット・マイ・ベイビー」も発売され(ベスト未収録)、
全英6位/全米59位を記録している。このB面に収録された「ジュディー」が初めて
ロッド・スチュワート&フェイセズのクレジットがされていて、ここからフェイセズは
ロッドのバック・バンド的な扱いになっていくわけです。




ロッド・スチュワート/フェイセズ らすと

2006-03-12 02:49:36 | フェイセズ/ロッド
Ooh La La
Faces
Warner Bros.

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1973年4月リリースのフェイセズにとって最後のスタジオ・アルバム。
「マギー・メイ」の大ヒット以来ソロとバンドとのバランスが狂ってきていたロッドと
あくまでバンドとしての意識の強かった他のメンバーとの葛藤が露になってきた頃ですね。
ロッドはソロ契約の延長問題で1972年後半から裁判になっていて、ライウ゛活動は行って
いない状況でのレコーディングだったようです。

チャート的にはフェイセズとしては初の全英1位を獲得(全米は21位)し、
先行してシングル・カットした「いとしのシンディ Cindy Incidentally」も全英2位(全米
48位)とヒットし、イギリスでのフェイセズは人気バンドであったことを示しています。

内容は全曲オリジナルで、後半にはロッドが参加していない曲が3曲も!!
フロントマンとして以上に目立っていたウ゛ォーカルの存在を、あくまでバンドのメンバーの
1人、と他のメンバーがアピールしているようで、前半5曲と後半5曲では
かなり雰囲気が違います。特にロニー・レインはその持っている才能をフルに発揮し
1品で書いた曲が2曲、ロンとの共作が1曲、ロッドとの共作が2曲、ロッド以外のメンバー
4人によるインスト・ナンバーと八面六臂の活躍。このアルバムのバラエティー豊かさに
大いに貢献しています。

しかしそのロニー・レインはマネージメントとのゴタゴタを理由にこの発売の1か月後に
バンドを脱退、スモール・フェイセズからずうーっとバンドを支え続けていた人間が
欠けたことでフェイセズの解散はカウントダウンに入っていきます。

この1972年8月に唯一リリースされたロッドのソロ・シングル「オー・ノー・ノット・
マイ・ベイビー」(キャロル・キング作)のB面に収録された「ジュディー」は初めて
ロッド・スチュワート&フェイセズのクレジットが使用され、フェイセズをロッドの
バック・バンドとして扱おうとする思惑が現実のものとなりだしたわけですね。



ロッド・スチュワート/4枚目のソロ

2006-03-11 01:04:08 | フェイセズ/ロッド
Never a Dull Moment
Rod Stewart
Mercury

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1972年7月リリースのロッド4枚目のソロ・アルバム『ネウ゛ァー・ア・ダル・モーメント』
全英1位、全米2位に輝き、前作に続き大ヒットしてます。
このアルバムを制作した時期がフェイセズ・ツアーのタイミングと重なっているためか
ほとんどの曲でフェイセズのメンバーが参加していて、このあたりになるとどっちのアルバムか
わからなくなってきてますね。

スチュワート/ウッドのナンバーは全9曲中なんと3曲もあり、カウ゛ァー5曲と
「マギー・メイ」トリオのスチュワート/クィッテントン作が1曲と言う内容。

「トゥルー・ブルー」はまさにフェイセズ・ナンバーで僕の大好きなナンバー。
曲の演奏やミキシングより車のSE録りの方に時間がかかったらしいです。
この曲は1日1回聴かないと物足りなくなるほど気に入ってます。

このアルバムからは「マギー・メイ」の続編ソング「ユー・ウェアー・イット・ウェル」が
シングル・ヒットしていて全英1位、全米13位にランクイン。

カウ゛ァーは再びボブ・ディランのナンバー(「ママ・ユー・ビーン・オン・マイ・マインド」)
を取り上げ、ジミヘンの「エンジェル」をシングル・カット(全英4位/全米40位)、
エタ・ジェイムスの「アイド・ラザー・ゴー・ブラインド」、そして敬愛するサム・クックの
「トゥイスティン・ザ・ナイト・アウェイ」をカウ゛ァーと、
いい曲をピックアップし自分流に歌い上げるという現在に至るロッド・スタイルが
完成したかんじです。

余談ですが世良公則&ツイストの『ツイスト』はロッドのこのカウ゛ァーから取ったらしいですよ。





ロッド・スチュワート/フェイセズ 馬の耳

2006-03-10 00:40:20 | フェイセズ/ロッド
馬の耳に念仏
フェイセズ
ワーナーミュージック・ジャパン

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1971年12月リリースのフェイセズ、サード・アルバム『馬の耳に念仏』。
ロッドのソロとしてのブレイクの後なだけに、フェイセズとしても最大のヒットと
なった作品で。全英2位、全米6位を記録しています。

シングルとしても最大のヒット・ナンバー「ステイ・ウィズ・ミー」を収録、この曲は
全英6位、全米17位にランク・イン、スチュワート/ウッド作。
イントロからしてしびれるロック・ナンバーで、ロンのスライド・ギターが素晴らしいです。

アルバムの構成は全9曲中、看板ライター・チームのスチュワート/ウッド作が4曲。
もう1枚の看板のロニー・レイン作が2曲、レイン/マクレガンが1曲、レイン/スチュワート/
ウッドが1曲、チャック・ベリーのカウ゛ァーが1曲という内容。
ロッドがウ゛ォーカルを取らない曲が3曲もあり、なかでも「デブリーズ」はいい曲です。

このアルバムでは「ミス・ジュディーズ・ファーム」、「トゥー・バッド」がライブで
よくやってました。ライウ゛といえばフェイセズの真骨頂な訳ですが
それを象徴するかのようなジャケットもいいですね。
この頃だとロッドのヒット・シングル「マギー・メイ」とフェイセズの「ステイ・ウィズ・ミー」
をひっさげてのライウ゛だったでしょうから凄く人気があったでしょうね。
ジャケットを見ていると、ホントそう感じます。

しかしこの1971年にロッドは3枚のアルバムをリリースしているわけで
今では考えられないくらい精力的ですね。この当時ほとんどのバンドが1年に1枚ペースくらいで
作品をリリースしてましたが、流石に3枚は多すぎですね。