わきのフックにアルマイト製コップを提げて通学しました。
いくら食糧難とは言っても給食の脱脂粉乳とトマトジュースはひどい味でした。
コッペパンとおかずが給食に出てくるのはしばらく後になってからです。

上野駅の周辺には浮浪児(戦災孤児)が沢山いました。貧しさ、ひもじさが当たり前ですから、
家で初めて真っ白な食パンに真っ白なお砂糖を付けて食べた時の感動がでも鮮やかです。
パンもお砂糖も真っ白でまぶしく見えました。
小学校と言えば、当時は冬になると教室の前の方にだるまストーブが据付けら
れて、これに石炭をくべて燃やしました。
確か、上級生は順番にストーブ当番をしました。勿論、着火材など有りませんから、ストーブの
ロストルの上に丸めた古新聞と焚付け用の薪をのせてマッチで古新聞に火を着けます。
薪が燃えてきたら少しずつ石炭をのせて燃やしました。

薪が充分に燃える前に、たくさん石炭をくべると火が消えてしまいます。
こうなると、クラスの皆に冷やかされながら初めからやり直しです。