犬とキャンプと写真好きな爺&婆の気ままな日誌

昔話:給食

 小学校の給食は初めの頃、脱脂粉乳だけだったと思います。皆、ランドセルの
わきのフックにアルマイト製コップを提げて通学しました。
 いくら食糧難とは言っても給食の脱脂粉乳とトマトジュースはひどい味でした。
コッペパンとおかずが給食に出てくるのはしばらく後になってからです。

          

 上野駅の周辺には浮浪児(戦災孤児)が沢山いました。貧しさ、ひもじさが当たり前ですから、
家で初めて真っ白な食パンに真っ白なお砂糖を付けて食べた時の感動がでも鮮やかです。
 パンもお砂糖も真っ白でまぶしく見えました。

 小学校と言えば、当時は冬になると教室の前の方にだるまストーブが据付けら
れて、これに石炭をくべて燃やしました。
確か、上級生は順番にストーブ当番をしました。勿論、着火材など有りませんから、ストーブの
ロストルの上に丸めた古新聞と焚付け用の薪をのせてマッチで古新聞に火を着けます。
 薪が燃えてきたら少しずつ石炭をのせて燃やしました。

          

 薪が充分に燃える前に、たくさん石炭をくべると火が消えてしまいます。
こうなると、クラスの皆に冷やかされながら初めからやり直しです。

コメント一覧

セーラ爺&婆
鯨ベーコン
コニノアママさま  爺は、鯨カツ、鯨ベーコンを懐かしく思い出します。
 鯨カツは高校時代にフェンス(バラ線)を乗り越えてお店へ駆け込み、ソースをたっぷりかけて・・・ 昔はベーコンというと鯨で、あまり得意ではありませんでしたが今は高級j品になってしまいましたね。 “マーガリンはバターの代用品”のイメージが強く残っていて今でもバターの方が好きです。
コニノアママが脱脂粉乳のご経験が おありとは、驚きです。
そう言えば、給食のトマトジュースはアメリカの放出物資で、MSA=日米相互防衛援助協定だそうです。
コニノアママ
懐かしい~です!私は小学校1年の時に、脱脂粉乳食べました。生ぬるくて微妙な味だったような記憶があります。アルマイトの食器に先割れスプーン、四角いマーガリンがなかなかパンになじまなくて苦労したっけ。。
でも、カレーうどん、鯨肉の竜田揚げ、揚げパン。。今食べたら、どんなカンジなんだろう?
ストーブも懐かしいです。コークス当番があって、用務員室から運んできたなぁ。先生が火を点けるのを見てるのが面白かったです。
すごい昔のことのようですが、なぜか教室の端々まで浮かんできます。
セーラ爺&婆
コークス!
ルイリオ母さま  そうですね、今売っているコッペパンは、昔のものとは何か違いますね。香りですか。今の方が原料が良いはずですが昔のコッペの方が美味しかったような気がします。爺の頃の脱脂粉乳、トマトジュースは確かアメリカの援助物資(MSA?)でした。 “コークス”・・・懐かしいものを思い出させてくれましたね。あれでイガクリ頭を擦ると髪の毛がひっかかかって「いてっ!」となるのを思い出しました。
ルイリオ母
懐かしい~
脱脂粉乳、私の時代は最後の頃にコーヒー味とかありましたね。あまりお菓子もなくおやつに牛乳や夏みかんなどで今のようなお菓子はなかったので脱脂粉乳もまずいと思わず飲んでいました。コッペパンの味も覚えています。時々昔のコッペパンというパン売っていて買ってみますが、香りが違いますね。
だるまストーブもありました、私はコークスでした。火をつけるのがとても好きで当番がくるの楽しみでした、きっと石炭は火のつけ方難しいんでしょうね。
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