もし仮にそれが一生残る傷ならまぁ確実にNoだろう。なんなら不幸を願うに違いない。
加害者が幸福になるなど許されることではない。
あんなことをしておいてのうのうと幸せに生きるのかと、被害者に言われたとき、なんと言うつもりなのか。
昔の話だろうが関係ない。やった側には昔でもやられた側には今に残ることだ。
断じて次などない。
己の犯した罪を悔やみ苦しみ続けねばならない。
私は神が嫌いだ。
信じていれば加害者だろうと被害者だろうと無差別に救いを与える存在など悪に他ならない。
加害者をなんの関係もない存在が許したところで意味はない。
被害者が許そうと意味がない。
加害者自身が許すなど以ての外だ。
因果応報こそがこの世で最も重要なことだ。
罪には罰を。
誰かを傷つけたならその100倍は苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで苦しんで生き続けなければならない。
死ぬことは許されない。
死は逃避だ。
苦痛を味わい続けることだけが唯一加害者の持つ権利だ。
「次に生かせばいい」などという人間が嫌いだ。
目の前の人間がどれだけの罪を犯したかを想像する力が足りていない。
無配慮で無自覚だ。
相手の苦しみは自業自得で、それを取り払うことは被害者への冒涜に他ならない。
次などない。誰かの次を奪った人間に次などあっていいはずがない。
正しくない人間が正しくあるためには何もしないしかない。
正しくない人間が生きる意味は既に犯してしまった罪に苦しめられることだけだ。
死ね、死ね、死ねと唱えながら愚かな自分を憎んで恨み続けることだけが正しくない人間の取るべき生き方だ。
どんなに苦しくても他者に責任をなすりつけてはならない。
何故なら苦しいのは自分のせいであり、その苦しみは己の愚かさへの罰であるから。
それを他者のせいにするのは愚かさの塗り重ねだ。
加害者に救いなどあってはならない。
無実な人間に幸福を、罪あるものには最大限の苦痛を。
罪を犯した人間が幸福など求めていいはずがない。
あぁ、誰かを好きになって、その人に殺されたい
憎まれて憎まれて包丁で何度も刺されて死にたい
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