数年前、エロマンガ先生のTVアニメを観た。
今まであまり観たことのない部類のアニメで、どのキャラも魅力的で、素晴らしい作品だと思った。
最近になってそういえば原作はどこまで進んでいるのだろう、と原作小説を買って読んでみた。
滅茶苦茶面白かった。
どうしてこんなに面白いものを書けるのだろうという程度には面白かった。
というわけで、同作者の過去作であり、妹ものの金字塔「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」(以下、俺妹)のTVアニメを観た。
正確には第1期「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」、そのルート分岐で2期へ繋がる「俺の妹がこんなに可愛いわけがない TRUE ROUTE」、第2期である「俺の妹がこんなに可愛いわけがない。」を最終話まで観た。
さて、俺妹がどんな作品かといえば、妹が可愛い作品である。
これはエロマンガ先生も同様なのであるが、それらの違うところは実の妹か義理の妹か、という点である。
俺妹の方が実の妹でエロマンガ先生が義理の妹である。
俺妹の感想を述べると、これまた面白かった。ただし、個人的な好みを言うとエロマンガ先生の方が好きだった。
というか、ああ、これを書いた結果ああいうふうに書けるようになったのだなぁと思った。
しかし俺妹もかなり面白い。そこは誤解してほしくない。
俺妹を観ていて思ったのは、あぁ古い作品だなぁ、ということだ。
まず第一にオタクが迫害されているものだということ。
今でこそアニメもかなり広く人気を持ち、オタクを名乗ってもへーそうなんだ、程度にしか思われないが、ちょっと前まではオタクであるなどといえば犯罪者予備軍だのなんだのと言われ、概ねの社会的コミュニティで疎外されるのは当たり前のことだった。
俺妹はその真っ只中くらいの作品だろう(と思っている。実際にそうかは知らない)。
主人公の妹は眉目秀麗文武両道、勉強もできるし運動もできるしモデルをやっているくらいの超人だ。
実はこの妹にはエロゲーや美少女アニメが大好きであるという秘密があり、それまで隠していたのだが、偶然にも主人公にバレてしまう。
妹は今までのすごい人間である自分のイメージを保つために、主人公に「人生相談」としてオタク趣味を隠すのを手伝うよう迫る。
それ以降、様々な出来事が起き、主人公と妹はオタク友達やモデル仲間、部活の仲間など、様々な人間に出会い、ストーリーが展開していく。
その最中で、主人公は何人かの女子から好意を持たれるのだが、最終的にそのタイトル通り、全員を振って妹に告白する。
ちなみに妹も兄のことが相当好きなので、はれて兄妹は結婚...とはならないがまぁそこら辺は実際に自分で観てみてほしい。
うーん、面白かったなぁと思い、この作品の評価を見てみると思いのほか低い。
まぁ自分の評価は自分の評価なので別にそれは構わないが、一体どうしてこういうことが起きるのだろうと、幾つかのレビューを読んでみた。
まず、大して描写もないのに主人公が色んな人に好かれすぎという点だ。
これはきっとアニメというどうしても必ず何かを削らないといけない媒体においては仕方のないことじゃないかなぁと思う。
話の展開が急というのもこれと同じ理由で説明がつくだろう。
そして今日の本題、実の妹と恋愛に発展しちゃうのが気持ち悪い、という評価だ。
言わんとすることはわかる。実際に妹がいる人が観たりすればそう思うのも道理だろう(そもそも観るなよと思わなくはないが)。
そうでなくても近親相姦(行為に及ばないにしろ)に忌避感を覚えるというのはまぁ仕方ない行為なのかなぁと思う。
しかしながら近親相姦の何が悪いのだろうか。
当然ながら法律で禁じられてるから、とかそういう理由で言っているわけではない。
そして、少なくない場合で、虐待的側面を持つ近親相姦というのもあるが、これのことを言っているわけではない。
要するに、兄妹であるという点を除けば、法に触れない一般的な(という言葉が適切かはわからないが)交際と変わりないものであったとき、それを罰する理由はどこにあるのだろうか。
言ってしまえばそれも一つの愛の形だろう。
昨今叫ばれるLGBT(その他多くの多様性のための用語の代用としてここでは用いる)と何が違うというのだろうか。
子供に障害がある可能性が高まるから、という話はよく聞く。
だがそれは優生学と何が違うのだろうか。
あるいは、子供を産まないよう細心の注意を払えばなんの問題もないのだろうか。
あるいは気持ち悪いから、という意見もあるだろう。だがそれは第三者の意見であり、かつ主観的で、禁止する理由にはならない。
おそらくだが、近親相姦を認めることで起こる問題も様々存在するだろう。
だがだからと言って頭ごなしに禁じるべきことだろうか。
社会に対して問題があること、あるいは男と女が結婚して子供を産むというシステムからの逸脱、あるいはそれに対する忌避感を根拠にした禁止というのは、今よくないものとして考えられるようになってきているのではなかったか。
それらが正しいか、正しくないかというのは言及しない。
だが、考えてみる価値はあるのではないか。