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2005年3月6日午後4時24分、私の母は、限りなく愛したこの世を去って行った。我々兄弟姉妹7人にとって、これは母のいる時代の終わりであり、母のいない時代の始まりでもあった。
母の最期のとき、私は母と同年代で、10年も陳情を続ける年配者たちの法律相談に対応するため、北京に戻ったばかりだった。4番目の弟の電話を受けた私は、その不吉な予感に我を失った。電話口では、40歳の弟の号泣する声が響いていた。この時、巨大な悲しみと心引き裂くような絶望が、周りのすべてを呑み込んで行った。私は、病院のホールで自分が泣き崩れた経緯を覚えていない。ただ、顔が当たった床の冷たさだけが残っていた。妻と義母に抱えられ、私はようやく、顔の大部分が感覚を失うほどしびれているのに気づいた。しかも、酸欠のため目の前はもうろうとしていた。私は泣きながら帰宅し、泣きながら夜を徹し帰省する支度をした。私の千里に及ぶ車の旅は、暗闇の中、こうして始まったのである。絶望と悲しみ、そして呆然を道連れにして。
普段は5時間の道のりだが、私はもうろうとしていたため、8時間以上もかかってしまった。この道中は、途方もなく長かった。太原の姉の家で1時間ほど休憩したあと、私たちは再び、苦しい旅へと足を踏み出した。
いまだに貧しくとも永遠に私を深い郷愁へ導く山里の村に戻るたび、出迎えの人々の中には、決まって母の姿があった。だが今回、初めてその母の姿が見えない。しかも、永遠に母はいないのだ。家族はみな、声を上げて激しく泣いた。そして、きつく閉められた棺(ひつぎ)を目にすると、私はもう悲しみをこらえられなかった。それから、庭を這いつくばりながら母の棺まで進んで行ったとき、心引き裂く絶望と底知れぬ悲しみは再び極限にまで達した。
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