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日本人として日々の暮らしの中で思うこと、知りたかったこと

マーシャル諸島のルニットドーム

2020-03-14 20:23:55 | 米国
■マーシャル共和国
太平洋のほぼ中央に位置。サンゴ礁の「ビキニ環礁」「エニウェトク環礁」などがあるマーシャル諸島は180平方キロメートル(霞ケ浦とほぼ同じ大きさ)で「真珠の首飾り」とよばれる美しい諸島からなるミニ国家で、1990年12月22日に米国から独立。

人口は5万8413人(2018年、世界銀行)。首都はマジュロ環礁の中心マジュロ。そこを中心に、200万平方キロメートルの広い海域に29の環礁と5つの島で構成されている。

サンゴ礁の島の数は1200以上といわれ、島々が輪の形に並んでいることから、「太平洋に浮かぶ真珠の首飾り」と呼ばれている。 



■マーシャル諸島の歴史
1528年 - スペイン人サーベドラが発見。スペインが領有を宣言。
17世紀にスペインが領有を宣言したものの、そのまま放置。
1885年 - ドイツが保護領とする(独領ミクロネシア、ドイツ植民地帝国)。ココヤシ栽培、コプラの生産が行われた。

近代史
1914年 - 第一次世界大戦において日本が占領。
1919年 - 国際連盟からの委任で日本の委任統治領(外地)。
1920年 - 国際連盟が、日本の委任統治領として承認。
1944年 - ギルバート・マーシャル諸島の戦いにおいて米軍が占領。
1947年 - 国連は、米国の信託統治領(太平洋諸島信託統治領)として承認。

■第二次大戦後に米国による原水爆実験場となったマーシャル諸島
「クロスロード作戦」が始まりだった
1946年7月に実施された原爆実験「クロスロード作戦」では、終戦時、航行可能な唯一の日本海軍の戦艦「長門」が米軍に接収され核実験の標的艦として沈没。 この作戦では「長門」をはじめ、大小71隻の戦艦を標的とする核実験2回が行われた。当時沈没した長門は今も海底に眠っているといわれている。

マーシャル諸島一帯は世界の大都市から遠く、船の航路からも遠く、島民も少ないため、戦後米国によって核実験場に選ばれた。


戦後の最初の核実験として46年の「クロスロード作戦」で始まり、その後1947年から58年までマーシャル諸島では合計67回核実験が行われたといわれている。


その間、島民は1948年に200km離れた環礁に強制退去させられ、1980年になるまで帰還を許されなかった。


1954年、ビキニ環礁において、水爆実験(キャッスル作戦)実施され、このとき近くにいた日本の遠洋マグロ漁船第五福竜丸と船員が被爆。

■独立史
1979年 - 憲法を制定し、マーシャル自治政府が発足。アマタ・カブア政権誕生。
1982年 - 米国と自由連合盟約を結び、信託統治領から脱却。
1986年 - 米国との自由連合盟約国として独立。
1990年 - 信託統治が終了。
1991年 - 国際連合に加盟。国際社会で独立国家として承認。しかし、自由連合盟約に抵触しない範囲でしか外交権を行使出来ないという制限が加えられている。
2008年 - IOCに加盟。北京五輪で五輪初出場。


そして現在、一見平和そうなこの小さな島国は恐るべき「時限爆弾」を抱えており、それが「ルニットドーム」 と呼ばれている。


マーシャル諸島のエニウェトク環礁にある「ルニットドーム」
人体に有害なプルトニウム239などを含む8万4865㎥分の「放射性汚染土」が埋め立てられたドームで、コンクリートの蓋がされている。

コンクリートの劣化や島の浸水によって中の物質が流れだし、プルトニウム239の海洋への流出が始まっているとみられている。


■「ルニットドーム」
米国防総省核兵器局(DNA。現エネルギー省)は米国がビキニ環礁やエニウェトク環礁の核実験に伴う核廃棄物の海洋廃棄を望んでいたが、国際条約上廃棄物処理法違反になってしまうため、8年かけてマーシャル諸島大小の島の内3島のみ除染。

米議会の予算は全ての島々を除染する予算は下りず、3つの島を除染したところで2億1800万ドル(約218億円)の予算が底をついてしまい終了。

表面の汚染土をかき集め、汚染された瓦礫に混ぜ、エニウェトク環礁のルニット島北端にある核爆発で出来た直径106mのクレーターに流し込んで358枚のコンクリートパネルで上を固めて「安全になった」として島民を33年ぶりに島に呼び戻したというのだ。


そして1983年にマーシャル諸島の政府から自由連合協定書にサインをもらって米国は本国に撤収。1986年に米国との自由連合盟約国マーシャル共和国として独立。


島には「除染の技術」そのものも、そもそも「汚染」という言葉すらなく、島民はドームの中身を「毒」と呼んでいるのだそうだ。


しかし、米国の核実験で生じた放射性汚染土などを埋め立てたルニット島のドームの中には「プルトニウム239」(注)も含まれているといわれる。


(注)プルトニウム239:
アルファ粒子を放出してウラン235に崩壊する。アルファ線源としては、外部線源である限りはそれほど危険ではないが、粉塵として摂取または吸入すると極めて危険で、高い発がん性を有する。1ポンド(454グラム)のプルトニウムを酸化プルトニウムの粉塵にした場合、2万人に癌を生じさせると推計される。半減期は2万4千年。


コンクリートの耐用年数は長くて100年ほどということで、悲劇的状況となるのは必至といわれている。


■ドームの中身は既に流出が始まっている
現在ドームにはひび割れが確認されており、島の土壌が浸水性であるため、既に汚染物質が海中や大気中に漏出しているといわれている。


2014年に日中共同チームがまとめた調査によると、マーシャル諸島のプルトニウムの到達距離として、既に海流に乗って中国・珠江でも検出されている、などの指摘がある。


■米国の核実験の歴史
1945年から1963年にかけ、地上や海洋岩礁などで一連の原水爆実験が行われた。


実行されなかったが、1958年にはA119計画(ProjectA119)という月面での核実験まで計画されていたといわれる。


1963年8月5日に米、英、ソ連との間で核兵器の一部の実験を禁止する「部分的核実験禁止条約」が締結されたことで、63年以降は主にネバダ州の地下核実験場で核実験が行われてきた。

引用元:


■第1回目の実験:
トリニティ(英語: Trinity)
1945年7月16日にアメリカ合衆国で行なわれた人類最初の核実験である。
この実験は米・ニューメキシコ州ソコロの南東48km(北緯33.675度、西経106.475度)の地点で行なわれた。

実験場は現在ではアラモゴードに本部を持つ米国陸軍ホワイトサンズ・ミサイル実験場の一部となっている。

トリニティ実験は爆縮型プルトニウム原子爆弾の爆発実験で、同型の爆弾『ファットマン』が、後に日本の長崎県長崎市に投下された。この実験による核爆発は、約20ktのTNTの爆発と同規模のもので、この核実験によって「核の時代」の幕開けとなったといわれている。


■第2回及び第3回の実験
ヒロシマ:
第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、米軍が日本の広島市に対して世界で初めて核兵器「リトルボーイ」を実戦使用。これは、人類史上初の都市に対する核攻撃である。この核攻撃により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万 - 16万6千人が被爆から2 - 4か月以内に死亡。原爆投下後の入所被爆者も含め56万人が被爆

ナガサキ:
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分に、米軍が日本の長崎県長崎市に対して投下した、人類史上実戦で使用された最後の核兵器である。
アメリカ合衆国連邦政府は、長崎市に投下した原子爆弾のコードネームを「ファットマン(Fat Man)」と名付けていた。正式名称はマーク3(Mk.3)核爆弾(以下『原爆』と記す)。原爆の投下により、当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡。」建物は約36%が全焼または全半壊。


■第4回及び第5回の実験
「クロスロード作戦」
第二次世界大戦後の1946年、米国は、当時信託統治領であったビキニ環礁を核実験場に選び(住人170人は無人島のロンゲリック環礁に強制移住させられ)7月1日と7月25日のクロスロード作戦という二度の核実験(21キロトン級原子爆弾を用いたエイブル 実験(Able)とベーカー実験(Baker)の2回の爆発実験)を行った。

これは1945年のトリニティ、広島、長崎に続く、史上4番目と5番目の核爆発とされ、第二次世界大戦後の最初の核実験であった。

「ビキニ環礁」
再び54年から核実験は1958年7月まで続けられ、12年間に23回の核実験が実施された

「エニウェトク環礁」
マーシャル諸島にあるエニウェトク環礁は、米国による44回の核実験が実施された。爆発規模の総量は約3万2千キロトン、広島原爆(16キロトン)の約2千発分。一連の実験で生じた汚染土などを投棄した「ルニットドーム」は劣化が進み、現在放射性物質の海洋流出が懸念されている


1963年8月5日に米、英、ソ連との間で核兵器の一部の実験を禁止する「部分的核実験禁止条約」が締結。

このため63年以降は米国の核実験は主にネバダ州の地下核実験場に場所を移した。


■日本の抱える矛盾
昨日、2016年に公開されたゴジラシリーズの最新作「シン・ゴジラ」をdTVで観まして、その中の「自国の利益のために他国に犠牲を強いるのは覇道である」という台詞が心に残りました。


米国の核開発の歴史はまさしく「覇道」であり、先の大戦によって日本人は「覇道」に人種間の憎悪が加わったときの恐ろしさを心底味わいました。


湾岸戦争では「劣化ウラン弾」という「汚い核」が使用されたといわれていますが、原子爆弾投下という核兵器使用による唯一の被爆国が日本であるのに、今の日本は「日米安保条約」による米国の戦略核および戦術核という「核の傘」によって仮想敵国で核保有国である中国、ロシア、北朝鮮による攻撃や侵略から守られているという立場。


戦後70年たった今、日本は自国の国民の生命・財産や国土を守るための軍隊である「自衛隊」の存在と現行憲法の間にとっくに齟齬をきたしているにも関わらず、名誉ある独立国としてふさわしい憲法に改正することに反対し、「いざとなれば米国が(これらの国々から)全力で日本を守ってくれる」という幻想をもっている人々がいまだにいるという状況。


世界の常識に照らして、この矛盾をおかしいと思わず、「自分の国は自分達で守るべき」という当たり前の矜持さえない人々というのは、例えば「竹島」が韓国によって奪われたときの状況を知らないし、知ろうとしない人々のようです。



ご興味のある方は引用元を参照:







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2 コメント

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緊急時の備え (泉城)
2020-03-15 02:06:14
核爆弾の開発の過程はおぞましいです。
ただ、勝者が歴史を造っている現実では、
核爆弾が軍事の最たるものですから持たざる国は持てる国の傘下に入る宿命です。虎視眈々と領土を狙っている覇権国家に対して日本は米国の核の傘下に入るしか選択の余地がないようです。それと同時に普通の国として行動できる法の整備と自衛の力を持つべきですね。
今回の武漢ウイルス事件が奇しくも緊急時における備えや態勢が不十分であることを認識させ、また経済的に中国寄りになっているリスクを露見させました。
ほんの少しの物品が不足するだけで社会は混乱し安全が保障できない状況を生み出しました。リスク分散のためにサプライチェーンの再構築の必要性を痛感させます。
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おはようございます (kamakuraboy)
2020-03-15 06:24:04
コメントをありがとうございます。戦後GHQがつくった「日本国憲法」によって普通選挙が実施されるようになり、男女平等の民主主義国家となったし、在日米軍に国防を任せるという「吉田ドクトリン」で経済に集中して高度成長を遂げ、2010年に中国に抜かれるまで42年間、GDP世界2位という経済大国の地位に上ったのも米国のおかげではあります。

しかし今後は「米国の核の傘」の下にあっても、基本的には「自分の国は自分で守る」という姿勢が必要だしそれは当たり前のことですね。

経済において中国のサプライチェーンから脱していくべきだということを政府が先日表明しようですが、速やかに再構築に踏み切れるかどうか、大企業には可能でも中規模の企業だとなかなか難しいようです。やはり政府の支援が必要なようです。
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