梅雨らしい日々もいい

2009-06-21 07:05:15 | Weblog
今朝はしとしと小雨が降っている。暑くもなく寒くもなくしっとりした空気がある。梅雨に入ったと宣言されて久しいが、
梅雨らしい梅雨も来なかったからこんな日もあっていい。

パラサイト・寄生者の存在が意識レベルまで影響を与える 生かし生かされる共生状態を良好に保つ
前からガンってなんだろうと思っていたが、パラサイトとしての存在と考えるとやはりどうやって共生して
行ったらいいんだろうと
生命体はすべて永らえるべく戦略を持つ、自分にしてみても意識して出来ることをやるように数年前からなって来た、
気持いい状態を維持すべく行動しているもんな。

話はがらっと変わるが、「百歳万歳」っていうNHKの番組も好きで日曜の朝観ている
百歳の生き様を見させていただいて、彼彼女の人生のあり様を尊敬の念を持って考え、想像する。

また話は飛んで、「PARIS」という映画を観た。レビューの主役的存在の男性が致命的心臓病の病に冒されて
心臓移植しても余命の確率は低いというストーりーを中心に据えながら様々な職業の人々の生き様を見せてくれるいい映画だった。

生きることを楽しむ・・・歴史の教授が美しい受講生に恋をする。同僚が色んな歴史史実を解き明かそうと
情熱を燃やしていることへの、自分が失ってしまったものへの嫉妬からマニアック呼ばわりして納得しようとしている最中。
セラピーを受ける場面、恋が実って付き合う中で見せるロックンロールを踊る場面、けどやはり彼女には若い恋人がいる。
2枚目的存在を見事に演じていた。
それぞれ恋をして、そうちょっと想像出来ない一面をみせる、その活き活きした様。
人間ってこういうもんなんだよと・・・

別れた妻に対する未練ではないが、幸せであって欲しいと願う気持ち、
その妻が新しい恋人が出来てその嬉しさの高ぶりが招いたバイクの事故で亡くなってしまう、
その遺灰を出会いの場所に立つビルの屋上からこっそりとしかも大胆に空中に撒く姿・・・

ドナーが見つかって移植手術を受けに病院に向かうタクシーの窓から、登場してきた人達の日常の姿を見せてエンディングに向かう。
彼の手術成功して欲しいという願いをもたせる流れ・・・でした私には。

その前にFROM EASTで上映された「キャラメル」もレバノンのエステサロンを取り巻く人間模様を描いた楽しい作品だった。
映画の素晴らしさって世界中そう確かに色んな習慣慣習文化的な営みが若干違っていても、人間の心の在り様は同じなんだなと、
泣き笑い幸せを願い・・・そんな思いを様々な手法でとらえて表現して心を揺さぶってくれる。
Life is beautiful !

ガンの思いも永らえるべく行動するに違いなく、宿主を弱体化する方向に向かうとは信じ難い。
だだウイルスと違って伝染というか感染して永らえる種でないから話は全く別物なのか?
寄生という範疇におさめるべき病ではないのかな。でもより生き長らえるべく行動するということは生命体として
当然の意思である気がするし、自分に不利な様には働かないのではないかと考えてしまう。
ガン検診は1度も受けたことはないから、もうガンの芽生えがあるかも知れないし、芽どころかもう致命的だったりかも知れないが、
先の見えてきた人生だから慌てることもないだろうし、色んな事を受け入れる度量で生きたいものだ。
いろんなパラサイトを宿した身体で生きているんだ。みんなそれぞれ頑張っているみたいで賑やかだ。



高原の風に吹かれて

2009-06-15 18:36:43 | Weblog
今竹内久美子女史の「パラサイト日本人論」を読んでいる。竹内さんの本はどれも題名から気を惹かせるし、
いつも面白くて楽しませていただいている。
昆虫についての本で面白く読ませていただいた日高敏隆先生がお師匠さんだったとは。
すぐれた師弟のおかげでいろんな生きとし生けるもののありさまを楽しく学ばせていただいている。
私は長頭の胴長短足、体毛は薄いから完全に新古モンゴロイドの混血種だとわかる。
日本人のルーツは様々な地域からの人々の流入によって形成されて来、現在も形成されている、
この多様性があればこそ素敵な民族になって行くんだろうと思う。

前回の写真は霧ケ峰のニッコウキスゲの様子 残念ながら今年はまだその季節ではない。もうじきだ。
霧ケ峰はレンゲツツジが咲き乱れている様は、特に霧に煙った草原のあちらこちらに咲いている様は幻想的である。
レンゲツツジの様子を見ようと、先々日の日曜日バイクで七島八島へ上がって、鷲ヶ峰にもついでに登ってみたが、
まだ咲き始めだった。しかも多くの樹が枯れた様子で元気がない。もう寿命を迎えている樹が多いのだろうか?
車山の山麓付近はどうだろうか?もう満開の時期だろう。

馴染みがあるようで、記憶の内では、でもそんなにも頻繁に訪れていないのに、
巡り合わせた美しい場面が焼き付いていてそれが当たり前のように思っていた。

周りの植生も木々がずっと大きくなって、がらっと様子風景が変わっていたりして・・・
場違いの処に来た気分・・・やはり歳を重ねるとはこういうことなんだなと。
だから余計に過去を懐かしむことが当たり前のようになってゆくのかな。
自分以外誰も登って来ない鷲ヶ峰の稜線を辿りながら、さわやかな初夏の風に吹かれていた。

生きることⅢ

2009-06-03 21:14:39 | Weblog
ずぼらな事を正当化するつもりではないが、髪などあまりかまわないでいる。
この歳になって禿げるのが先か?白くなるのが先か?楽しみに眺めているのだが、どうも同時進行らしい。
洗髪は風呂に入った時ぬるま湯で洗うだけにしてきている。シャンプーを使うと生来細い毛が油気を失って
クルクルの天然パーマ気味でドライヤーのお世話にならなければならない。

わざわざ熱風を吹き付けて髪の毛も傷めることもなかろうと、シャンプーを使うことは無しにした。
数年経つが、そのお蔭であまり抜けないで領地が保もたれているんだろうか。
毎朝のブラッシングは地肌から出る油気のみで整髪が出来るから安上がりである。
うつ伏せに寝ているから変な癖も無いから早い。顔を水で洗っておしまいである。
他人に迷惑がられている風でも無さそうだから、良いんではないかなと一人合点。
しかし陰で嫌われている可能性大かも。

今日ラジオを聞いていて驚いた。NHKのときめきインタビューで環境問題がテーマだったろうか?
京都の旅館の女将、中川さんという方が出られていて、洗髪を水洗いだけにしていると言う。
もちろん洗顔も水洗い、石鹸も控える生活だという。女性でもいるんだ。
仕事の途中車のラジオで聞いていたから、中途半端だったけど、環境に真剣に向き合っているらしい。
そんな旅館にもいつか行けたらと思う。村上、神崎アナのナイスコンビ楽しく聴かせていただいてます。
切れ切れ、飛び跳びのひどい聴き方ですけど。

トリートメントとかシャンプーとか色んなケア製品って江戸時代無かったろうけど、女性が美しい黒髪を
梳いている姿を描いた浮世絵はいいもんですね。古き良きエコリサイクル社会を再現することは
文明生活にどっぷり浸かった現代では無理だろうけれども、もっと力まずに自然の力を最大限に
発揮させる知恵は昔に謙虚に学ぶべきかも。

新型インフルエンザも絶ち切れの感だけれど、この環境、生きている空間には数えきれない細菌類が
飛び交っている。植物だって生殖期にはたくさんの花粉や胞子を飛ばすから、最近まで花粉症的症状で
クシャミ、鼻水にも悩まされたし、もろもろの生き物が生存を賭けて凌ぎをけずっている中で、
人間として生活して行くことは至難の業なのかも知れない。
生きて在ることへの感謝を抱きつつ、身体を臨戦状態に保つ努力を怠らないようにしなければ。

夕方サツマイモの苗を植えに行った。5月に植え付けたジャガイモはもう花が咲いていて順調そうだった。
一方ネギが元気がなく枯れているのが目立つ。俄か百姓だが己の手を加えたものは可愛いい。
なんとか育ってほしいと願う。育てた初もののキュウリを戴く。美味しい。命を育てて命を戴く。
物言わぬ植物だから出来るんだろうな。