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桜和尚ブログ

下記に引越しました
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◆みちのくYOSAKOIまつりと桜

2013年10月13日 | 震災関連

よさこいソーラン。

どこかでご覧なったことがあるでしょうか?

身内が今年からヨサコイを始めた関係で、何度か追っかけしました。

12~13日と、仙台でみちのくyosakoiがあるので、昨日行ってきましたが、

今日は家で留守番。

でも、今インターネットTVというのがあるんですね。

初めてネットライブなるもの見ましたが、音も良いし迫力十分。便利な世の中にになりました。

今晩9時頃まで放送しているようです。

みちのくヨサコイオフィシャルサイト

http://www.michinoku-yosakoi.net/

ところで、最近知ったのですが、mitinokuヨサコイには3つの理念と5つの効果というのがあります。

理念//////////////

1.民謡で東北おこし

2.市民の創造力と独自性で東北おこし

3.仙台でふるさとPR

5つの効果/////////////

1.人的地域交流

2.観光と物産情報発信

3.若者たちの表現力の創造

4.地域コミュニティの再構築

5.クリエイターの発掘・育成

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パンフレットの内容をずらずら書き写しましたが、

何度か地方の会場に行くと、この意味がよく理解できます。

そして、なぜか桜に関したチーム名・衣装・振付などが多いのです。

桜とヨサコイ、とても相性が良いのです。

タイトルも”東北を咲かせましょう”です

”咲く”はいろんな意味がありますが、特に東北は復興という意味も含まれると思います。

今もネットTV見ていたところ、ジュニア部門の秋田のチームあいさつで

『東北では震災で大勢の人が苦しんでいます。復興のために、踊りを捧げます』

このような意味の挨拶をしたジュニアに感動しました。

一遍さんは踊りで念仏を唱えました。盆踊りも供養念仏から庶民に定着しました。

踊りは悲しみを乗り越える方法、亡くなった人とつながる方法かもしれません。

ヨサコイで東北を咲かせましょう!


◆”おもてなし”と手合わせの日本文化

2013年09月12日 | 震災関連

オリンピック招致の日本代表のスピーチは最高でした。

滝川クリステルさんは世界にomotenashiを日本の言葉(発音)で、公用語のように説明したのは、特に素晴らしかったです。

そのスピーチの中で、おもてなしとは、日本的なホスピタリティだと言いました。

ホスピタリティとは、もともと巡礼者に宿や飲食を与えるという意味だったと思います。

日本でいえば、四国八十八か所巡礼に、御っ接待という施しをしますが、そのような意味になります。

ホスピタリティから転じた”ホスピタル”という言葉は、病院という意味ですが、

その言葉には、いたわる・おもいやりなどの意味も含まれています。

施し・布施という意味にもなるでしょうか。

ところで、滝川さんはおもてなしを日本語で世界に伝える時、右手をつぼみのような形にして、

ポワ・ポワっと、そして最後に花が咲くような手の動きにした後、合掌をしました。

これがまた最高の表現だと思います。

何と言っても、お・も・て・な・し・は5つの言葉の響きで花が咲く。

桜の花びらも五輪。東京オリンピックのマークも桜です。

そして、合掌。手あわせというカタチですね。

なにか、全部こちらの意図するところにくっつけたように聞こえてしょうがありませんが、

そのように私には、見えたり、聞こえたりしてならないのです。

おもてなし(ホスピタリティ)の意味と、手あわせ(合掌)が

日本のこころ(日本文化)を表しています。

世界の人にオリンピックを通して、本当の意味でのOMOTENASHIを知って頂く良いチャンスです。

 

 


◆この世は生きるに値する-宮崎監督

2013年09月10日 | 震災関連

「子どもたちに、この世は生きるに値するんだと伝えるのが仕事の根幹になければいけないと思ってやってきた」

宮崎監督の引退宣言の言葉です。

引退を宣言する前日、風立ちぬを見てきたばかりだったので、この言葉はとても鮮烈でした。

なるほど、監督は全作品、この世は生きるに値するんだ!という気持で、ある時は作品と格闘しながら、

ある時は、締切に身も心もすり減らしながら、自分の生き様をキャラに託し、作品に魂を吹き込んだのだろうと感じました。

思えば、私の若い頃から、子育ての時期も重なって、全作品の8割は見ているかと思います。

そのすべてに、生きるというテーマが感じられました。

最後になった”風立ちぬ”

結納の場面では泣かされました。

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この世は生きるに値する。

何と、御釈迦様のような言葉を残してくださいました。

だから、苦しくても生きねばならない。

苦しみの中に必ず光が差し込んでくるから・・

と、言葉が続くのかもしれません。

 


◆幽霊と鎮魂慰霊碑建立

2013年07月31日 | 震災関連

ネットで被災地・幽霊と検索すると、たくさんの幽霊話がヒットします。

タクシーに乗車したはずの客がいなくなった・・とか

ある場所を通ると、夏なのに「寒い寒い・・}という声が聞こえる・・とか

この話を聞いて、私はこう思うのです。

それは、災害・事故で身近な死が突然訪れると、人間の心が先祖がえりするのではないか、ということです。

先祖がえりと言うのは、昔昔、人間は人の死を畏怖の念を持って接していました。

簡単に言うと恐怖の対象です。

目に見えない”霊”、この不安定な霊をアラミタマと呼ばれるものでした。

この時代、呪術的な要素の儀式などを執り行って、霊を安定させようとしました。

ところが、時代が進み、仏教が広まり、仏の威光で成仏することができるようになってきました。

さらに近代~現代には、科学技術の進歩により、目に見えないものは非科学的と言うレッテルが張られ、

魂や、霊やというスピリチュアルなものは影が薄くなってきたのです。

ところが、命に係わる非常事態(死)が身近に起きたり、大規模な災害・事故・戦争などが起きると、

人間の眠っているDNAが目覚めます。

遺伝子は昔々の縄文時代、死は恐ろしいものという記憶を呼び覚ますのではないでしょうか。

戦争で亡くなった兵隊さんの霊が、南方の島々で目撃されるということもあります。

こんな時代が進んだ文明にあっても、突然の無念の死は、霊となって見える人には見えるのでしょう。

否定はできません。

だから、鎮魂の供養が必要なのだと(私の立場から考えて)思います。

誰かが、「鎮魂とはゼロにまで引き上げる供養}と説明しましたが、まさにその通りだと思います。

ただ死を恐れ、呪文などの民間的信仰に頼っていた時代から、仏教の伝搬により

仏の功徳によって清め、成仏させることによって安心(あんじん)を得るようになりました。

このことが、日本のその時代の文明レベルを一つ引き上げたのだと思います。

幽霊は見える人には見える。感じる人には感じるのです。

霊となって現れるのは成仏しない霊です。

その霊に「あなたは亡くなったんですよ。成仏しなさいよ」

と言ってあげるのが、供養のひとつになります。

慰霊は霊を慰めるという意味ですが、その場所となるのが慰霊の場です。

民俗学者の柳田國男霊は、人は亡くなると霊になって山に向かうといいます。

そのいわれからも、15882の慰霊碑建立を被災地の地理的中心、

沿岸700キロの真ん中であり、愛大の被災地石巻(広域圏では6千人弱が亡くなっている)

に鎮魂の森をつくろうとする意味合いがそこにあります。

桜によって清められ、魂が花のように昇華することを祈る場。

生きるものと死者の交流の場。

それが、鎮魂の森の慰霊碑建立の動機であり、供養することは我々の当然の使命でもあるように思います。


 

 

 


◆ピンコロ地蔵は本当に幸せな死に方でしょうか?

2013年07月01日 | 震災関連

長野県佐久市のぴんころ地蔵に、年間10万人の参拝者が訪れていると言います。

ピンコロという言葉はご存じだと思いますが、元気で達者のピンピンと、

死ぬ時はコロリと生きたいという意味です。

その言葉から、超高齢化時代の悲痛な願いというよりは、どこかあっけらかんとした響きを感じ取ることができます。

でも、本当にコロリと逝ってしまってよいのでしょうか?

このように、ピンコロと亡くなったのでは、後に残された人はとても困ると思うのです。

なぜかというと、家を継ぐ長男がいるケースでは、財産の管理や相続・お墓や葬儀について、

何の話もなく逝ってしまったのでは、今後どうしたらよいか困惑して泣くに泣けないのではないでしょうか。

それならよっぽど、じわじわとガンのような死が訪れた方が良いと、私は思います。

アメリカでは末期医療やターミナルケアが進んでいるので、ガンで亡くなることは、むしろ幸せな死というイメージがあるそうです。

余命何か年(月)の間に、相続のことや、生きること・死ぬこと(命について)を考えることができます。

その貴重な時間は、残された人のために最善を熟慮し、自分に真摯に向き合う期間でもあるからです。

この意味から言ったら、ポックリと逝くことは、自己満足の何物でもありません。

もちろんポックリと逝きたい心情は、よく理解できます。

ただ、この場合条件として、お墓や葬儀のこと、残された配偶者や子供たちが余計なトラブルに巻き込まれないように、

元気な時から、遺言なり、エンディングノートを書くなどして、自分の死後の道しるべをつけておくことです。

以上、これらのポックリの条件として、生きてるうちに成約していれば、ポックリは大賛成!です。

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それにしても、ピンコロ地蔵の発案は90歳を過ぎたおばあさんが、ウン十年前に婦人会の会長時代に考えたというからすごい。

このおばあさん、先を見通す眼力がありました。

今でもピンコログッズを売る商店街は全国からの老齢男女で大繁盛なのに、これからもますます参拝者は増すばかり。