桜和尚ブログ

下記に引越しました
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◆座椅子代わりの新企画ザッフー

2013年05月30日 | 震災関連

御詠歌の全国大会二日目。

おかげさまで、ザッフー完売しました。

今回、この大会のために新しい企画の坐蒲を開発しました。

それが、写真の赤い小さな坐蒲です。

サイズ的にはSSで、持ちやすくするため、指を引っ掛ける部分があります。

御詠歌をお唱える時の正座用に、座椅子の代わりになれば、との考えから作ってみました。

(ちなみにこのSSは、3千円)

持ちやすく小ぶりということもあって、復興支援坐蒲は全国から来た御詠歌の方々に引き取られていきました。

坐蒲を作ったおばあちゃん方は、娘を嫁に出す心境・・のようなものでしょうか。

この坐蒲達が、多くの方々の元で、末永く愛用されることを願うのみです。

 


◆石巻ザッフーの会 全国大会に出店

2013年05月29日 | 震災関連

 

曹洞宗の梅花流全国奉詠大会が、宮城県総合運動公園(利府町のグランディ21)で本日から開催されました。

29~30日の二日間で、約1万人が舞台に登壇してご詠歌を発表します。

全国から集まる梅花講の方々に、ザッフー(坐蒲)を知って頂こうと、会場に出店しました。

坐蒲はもともと、坐禅のための座布団ですが、リビングのクッションや、ごろ寝の枕に使ってもらおうという目的で制作しました。

禅の開祖様からはおしかりを受けるかもしれませんが、坐蒲をもっと一般的に活用するという試みでもあります。

一番の特徴は、材質です。

古い着物をほどいてリサイクルしますので、糞掃衣の心が表現されています。

中身は一般的にパンヤという綿が入っていますが、このザフはビーズが入っているのでサクサクしてとても気持ちよいのです。

大きさはL・M・S・SSの4サイズ。

今回新作として、SSが一番人気でした。

全国の皆さんありがとうございました。

坐蒲の値段は5千円です。ちょっと高いという声もありましたが、制作料の半分は復興支援という意味で制作者に還元しています。

制作者というのは、宮城県石巻市のおばあさん方です。

自立支援に、少しでも役に立って頂ければと思います。

ちなみにザッフーの名前は、このまんまるな坐蒲を枕にして、横にごろんと寝転んで頂くと、

”気持ちもふーと軽くなるように”という意味での命名です。

ふーと息をはいて、心も体もまんまる円満にリラ~っクスして頂ければと思います。

 


◆あなた!キコリになりませんか?

2013年05月16日 | 鎮魂の桜の森

鎮魂の桜の森では、この度”キコリ養成講座”の説明会を開催します。

あなたも、聞いてみるだけでいいですから、参加しませんか?男女不問です。

今、日本の山林は本当に荒れています。

桜の森の整備を進めていくと、どうしても山の荒廃の問題を、さけては通れないのです。

そこで、日本の森バイオマスネットワークさんや、土佐の森救援隊の皆さんと連携しながら、

この講座を開催していこうと思いました。

森は自然のダムと言います。

雨が降って森からじわっとしみ出た水が、小川に流れ北上川に合流し、海に注ぎます。

海の水は蒸発し、また雨となって森に降り注ぐ。

まさに、”水流れて元(もと)海(かい)に帰(き)す”

人の命も、大河の一滴。大きな命の循環の中で、めくるめく旅をしています。

また、山が元気でないと、漁業も成り立ちませんよね。

特に、ここ北上川河口(石巻市大川地区)は、カキの養殖が盛んで冬場はクリーミーなカキを味わうことができます。

仕事をリタイヤした方、時間に余裕のある方、自然を守りながら、ちょっとした小遣いも稼げますよ。

多くの皆さん、聞くだけただ。是非是非、ご参加を!

 

 


◆桜の森の慰霊碑建立(設計:東京大学)を発願

2013年05月14日 | 鎮魂の桜の森

(イメージ写真説明)

桜の森の中腹(慰霊碑)から被災地方向を見下ろしたイメージ図。
手前左は地元特産の硯で有名な雄勝石をスライス状にして犠牲者の数(15882枚)を敷き詰めます。
手前右は震災地の方向を示すガラス盤。ガラスに桜や空が映り込みます。

(下イメージ説明)

慰霊碑(慰霊盤)はガラスと雄勝石をスライス状に敷き並べます。
ガラスは被害の甚大な地域を指示します。
中央に献花台を設け、慰霊の方向に花を手向けます。

東日本大震災による犠牲者の冥福を祈るため、宮城県石巻市に鎮魂の桜の森慰霊碑の建立を発願いたしました。

場所は宮城県石巻市観音寺の鎮魂の桜の森。(現在慰霊公園として整備中、桜植樹66本)

石巻地域は震災の全犠牲者の1/3にあたる、約6千人が亡くなっています。また、石巻は東北の沿岸・津波被害南北600キロの地理的に中心にも当たります。

学校管理下における戦後最大の84人の児童生徒が犠牲になった大川小学校まで6キロの地点です。

この災害を後世に伝え、いつまでも見守ることが大切だと考えます。

慰霊碑建立にあたり、ご縁ある方々のご支援をお願い申し上げます。

【設計は東京大学】