"Dust In The Wind"
風の前の塵(すべては風の中に)
I close my eyes
Only for a moment and the moment's gone
All my dreams
Pass before my eyes in curiosity
Dust in the wind
All we are is dust in the wind
ぼくは眼を閉じる
ほんの瞬間だけ、そしてその瞬間は過ぎ去り
ぼくの全ての夢は
不思議にも眼の前を過ぎる
風の前の塵
ぼくらは皆、風の前の塵だ
It's the same old song
We're just a drop of water in an endless sea
All we do
Just crumbles to the ground, though we refuse to see
Dust in the wind
All we are is dust in the wind
また同じ古い歌
ぼくらは果てのない海の一滴でしかない
ぼくらがすることは皆
見たくはないが、砕けて地に落ちるだけ
風の前の塵
ぼくらは皆、風の前の塵だ
Don't hang on
Nothing lasts forever, but the earth and sky
It slips away.
And all your money won't another minute buy
Dust in the wind
All we are is dust in the wind
Dust in the wind
Everything is dust in the wind
我慢することはない
大地と空のほかは、何も永遠には続かない
みなすり抜けていく
金は一分という時間も買えはしない
風の前の塵
ぼくらは皆風の前の塵
風の前の塵
すべては風の前の塵
"Dust in the Wind"、アメリカのバンド、Kansasが77年に発表した曲で、翌年には全米6位にチャートインした。
KansasはTopekaで結成されたバンドで、progressive rockとして位置づけられることが多い。Topekaはカンザス州の州都であるが、アメリカの通例としてさほど大きい都市ではなく、州内には他にWichitaやKansas Cityなどの大都市を抱える。
(アメリカでは州を結成して連邦に加入するさい、それぞれの地域の利害が対立しないよう、大都市を避けて辺鄙な場所に州都が選ばれることが多かった。たとえばCalifornia州ではSan FranciscoやLos Angelesを避けてSacramentoが、Illinois州ではChicagoを避けてSpringfieldが州都とされた)
そのさびしい中小都市を母地としたせいか、この曲はアコースティックギターやバイオリンの音が孤独に響き、わびさびの世界をも彷彿とさせる。"all we are is dust in the wind"なる歌詞も、平家物語の「ひとえに風の前の塵に同じ」と繋がりがあるようで、作者が(平家物語の土台となった)仏教思想に傾倒していたのではないか、と思わせる。
もっともカンザスは竜巻が多く、しかも強烈で建物などを平気で破壊してしまう。通った後には本当に塵瓦礫しか残らないため、そこからこの歌詞が生まれたと考えるのが自然だろう。
またその重厚なメロディーや"Earth and sky"などの歌詞からは、仏教思想よりはスケールが大きく、厳かな黙示録的な雰囲気が感じ取れる。いったいにアメリカ人は仏教のことを余り良く理解してはおらず、キリスト教概念の中で理解してしまうことが多いのだが、そうすると「無の思想」は無の中に有が含まれているものとは理解せず、無は所詮無だ、と一笑に付すか、この歌のように黙示録的な神秘主義として理解してしまうことになりやすい。
(もっとも日本人でもキリスト教をただしく理解している人は少ないようだが・・・)
実際作者Kerry Livgrenはその後、次第にキリスト教色を強め、Kansasから距離を置くようになる。それと共にKansasは色を失い、やはり忘れられたバンドになっていくのである。
風の前の塵(すべては風の中に)
I close my eyes
Only for a moment and the moment's gone
All my dreams
Pass before my eyes in curiosity
Dust in the wind
All we are is dust in the wind
ぼくは眼を閉じる
ほんの瞬間だけ、そしてその瞬間は過ぎ去り
ぼくの全ての夢は
不思議にも眼の前を過ぎる
風の前の塵
ぼくらは皆、風の前の塵だ
It's the same old song
We're just a drop of water in an endless sea
All we do
Just crumbles to the ground, though we refuse to see
Dust in the wind
All we are is dust in the wind
また同じ古い歌
ぼくらは果てのない海の一滴でしかない
ぼくらがすることは皆
見たくはないが、砕けて地に落ちるだけ
風の前の塵
ぼくらは皆、風の前の塵だ
Don't hang on
Nothing lasts forever, but the earth and sky
It slips away.
And all your money won't another minute buy
Dust in the wind
All we are is dust in the wind
Dust in the wind
Everything is dust in the wind
我慢することはない
大地と空のほかは、何も永遠には続かない
みなすり抜けていく
金は一分という時間も買えはしない
風の前の塵
ぼくらは皆風の前の塵
風の前の塵
すべては風の前の塵
"Dust in the Wind"、アメリカのバンド、Kansasが77年に発表した曲で、翌年には全米6位にチャートインした。
KansasはTopekaで結成されたバンドで、progressive rockとして位置づけられることが多い。Topekaはカンザス州の州都であるが、アメリカの通例としてさほど大きい都市ではなく、州内には他にWichitaやKansas Cityなどの大都市を抱える。
(アメリカでは州を結成して連邦に加入するさい、それぞれの地域の利害が対立しないよう、大都市を避けて辺鄙な場所に州都が選ばれることが多かった。たとえばCalifornia州ではSan FranciscoやLos Angelesを避けてSacramentoが、Illinois州ではChicagoを避けてSpringfieldが州都とされた)
そのさびしい中小都市を母地としたせいか、この曲はアコースティックギターやバイオリンの音が孤独に響き、わびさびの世界をも彷彿とさせる。"all we are is dust in the wind"なる歌詞も、平家物語の「ひとえに風の前の塵に同じ」と繋がりがあるようで、作者が(平家物語の土台となった)仏教思想に傾倒していたのではないか、と思わせる。
もっともカンザスは竜巻が多く、しかも強烈で建物などを平気で破壊してしまう。通った後には本当に塵瓦礫しか残らないため、そこからこの歌詞が生まれたと考えるのが自然だろう。
またその重厚なメロディーや"Earth and sky"などの歌詞からは、仏教思想よりはスケールが大きく、厳かな黙示録的な雰囲気が感じ取れる。いったいにアメリカ人は仏教のことを余り良く理解してはおらず、キリスト教概念の中で理解してしまうことが多いのだが、そうすると「無の思想」は無の中に有が含まれているものとは理解せず、無は所詮無だ、と一笑に付すか、この歌のように黙示録的な神秘主義として理解してしまうことになりやすい。
(もっとも日本人でもキリスト教をただしく理解している人は少ないようだが・・・)
実際作者Kerry Livgrenはその後、次第にキリスト教色を強め、Kansasから距離を置くようになる。それと共にKansasは色を失い、やはり忘れられたバンドになっていくのである。