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流星のきずな☆彡

2009.8月からの〜雑記~最近はボャッキー気味

パーキンソン病

2014-08-15 12:11:46 | 父 母
ロビンウイリアムズ氏が初期のパーキンソン病だったと公表

病と闘っていたんですね…ご冥福をお祈りいたします

映画ジュマンジは子供たちが小さかった時にレンタルしてきて
家族みんなで食い入るように見入った映画でした

道に好奇心をくすぐられるようなモノがあっても絶対に拾っちゃダメ!!
ジュマンジみたいになっちゃうよ!と言ったっけな~
息子はその後のジュマンジシリーズを映画館に行ってまで観たけど
1以外はつまらなかったと言っていた…

母も発症当時
「こんなことになって死にたい」
「電車に飛び込んでくるから金(交通費)をくれ等」口走っていた

たいがい排泄が失敗してしまった時…

泣くことや大声をあげることはなかったが、
大人として情けない気持ちになっていたのはわかっていた

ただ、慰めや励ましはあまり効果は無かったようだ
むしろ馬鹿にされたという気持ちだったのかだんだんと悪態をつくようになった

父が口が悪かった分母は絶対にバカだのアホだのという口汚い言葉は絶対に言わなかったのに

段々と身体が動かせなくなった時
父が「バカだなー」といつもの調子で母を見て言ったら

「バカだばかだと冗談でも言わないで!!!」と大きな声を上げた

父は一瞬にして黙ってしまった

父の冗談は冗談として受取れない時もある
いつもの軽口で
「あーゆう病気になった人は注射とかで楽にさせれないもんかな」と言ったので

「何を言うの!!」とたしなめたこともあった

昔でいうまだらボケもあって、私の名前がわかる時もあったり
誰か解らなかった時もあったり

「お母さん、娘の名前ぐらいちゃんと覚えておいてよ」と言った事がある

母の部屋を掃除した時
手帳を見つけ中を見たら○子○子とペンを走らせていた
布団の脇の段ボール箱にも○子○子と殴り書き

忘れてはいけない!という思いで手当たり次第にメモった様子がわかった

あっと言う間に手足の自由がきかなくなり半年で介護度1から5になったので
家でペンを持ったのはきっとこの時が最後だったと思う

この時には病名はレビー小体型認知症という診断が出ていた

それと、体さえ動けば早く楽になりたいと願っていたと思うが
「お母さん、人間はそんなに簡単に死ねないの。お迎えが来るまで待っていようね」というと

「かあちゃん早く迎えにきてーー」と天井にむかって懇願していた

その後、父は3年前、肺癌が転移+悪性リンパ腫となり母よりも先に永眠
母は今年の1月8日奇しくも娘(私)の誕生日が自分の命日となった

自分で頭の中(精神)のコントロールがとれなくなるって怖いし、哀しい

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