今朝ドラの「おちょやん」で大阪大空襲が描かれています
道頓堀の今はなき老舗お茶屋のおかみさんが、疎開するときに店の暖簾を持ってくるのを忘れて、せっかく疎開先に落ち着いていたのに旦那さんと「あれだけは」と取りに帰って空襲に合い亡くなってしまうという手垢のついたよくあるベタなお話で涙なしでは見られない回でした
うちの父は船場の商売屋さんの次男坊で、長男である兄(私にとっては伯父)とはとても差をつけられて育てられていたらしいです
らしい、というのは母や親戚筋からの伝聞でしかなく、父自身はそういう話は一度もしたことがないからです
父はめったに新しい服などを買ってもらえたことがなくいつも長男である兄のおさがりを着ていたのですが(まあそこらへんはそういう時代だと思う)、戦争中、小学校低学年の学校集団疎開の前に一度だけ親戚筋の人に新しい立派なコート(外套)を仕立ててもらったそうなのです
物のない時代ですからそりゃあ貴重なものです
父の兄はしゃれたものをいっぱい持ってましたが父は初めて自分だけの素敵なものをもらうことができたのですね。たぶん不憫に思った親戚の人から。まあ一族は繊維系の商売だったので糸や布などは多少融通が利いたのでしょう
「いいものは兄さんに」の商家だったのに取り上げられなかったのは父がちびで兄とは体格が違ったからかも。まあいざとなったら売れましたからね
そしてあの大阪大空襲がありました
父たちの家族は当時住吉に住んでいてつまりは焼夷弾直撃地帯です
空襲警報が鳴り響く中か家族全員で命からがら逃げ大和川を越え堺の親戚を頼ろうとしたのですが川を越えようかというあたりで、父が手ぶらなことに気付いた父の母親が
「家に取りに帰れ」
って命じたらしいのです
「あんな高価で大事なもの置いてきて。取りに帰り!!」
って言われたらしい。爆弾が落ちて町中いたるところが燃えてるんですよ
そんな中、母親や兄から罵られて叱られまくった父はたったひとりで取りに帰ったのです
追い出されてしまったのでそうするしかなかったのかも
それとも意地かしら
父は運動神経が良く足も速い、いわゆるはしっこい次男坊です。
だからか、結局その無茶なミッションをうまくいろいろかいぐくって見事成功させたんですね
父の武勇伝ってことでうちの親戚筋からは「たいしたもんや」という逸話になってます
武勇伝ーーーーー???!!!
私はその話を親戚筋から聞くたびにもやもやむかむかしてました
よくもまあ、そんな危ないことを子供に命じるなと
小学校の二年生くらいですよ、しんじられない。一瞬でもそんなときに目を離せるものでしょうか
父はたまたまミッション成功できたけど
「あれはえらかった(たいへんだった)」と一回だけ言ったことあります
かわいそうな小さな子供によくもまあよくもまあ!! クソババア!!
あと集団疎開に父と伯父は別々の地に送られたのだけど、終戦後帰阪することになったとき、伯父は母親が迎えに行ったのに、父は誰も迎えにきてもらえず、そういう数人の子供たちだけで和歌山から大阪の住吉までとぼとぼ歩いて帰ったそうです
正直当時の話を聞くたび父方の祖母に対する怒りが収まらなかったのですが、私がしっかりするころには父方の祖父母は死んじゃってたので
「おまえらなんか親じゃねーよ くそかすが」
と罵声を浴びせてやれなかったのがつくづく残念です
母が言うには姑である父のお母さんは優しくて意地悪をされたこととか一度もないそうなんですけどね
まあ伯父の奥さんのことは忌み嫌ってたらしいので(離婚させた)、ばーさんは長男だけが大好きだったのかもしれません
だから次男の嫁はそんなに興味なくて憎くなかったと
そんなばーさんを長男は大事にせず結局父と母が世話してたんですよ
なんかねー、と思います
ところでおちょやん、正直つまらんと思います
なんで見てるのかわからんわ