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hitonohuukei

人の風景 emiko life 99話  お盆に

お盆が終わりますね。
逢いたい人に会えましたでしょうか?

今年は、お盆に台風が直撃して、交通機関に乱れが出てしまいました。

昨年は、孫2人を連れて宮崎に帰り、墓参りをしました。墓の前に立ったからと言って、父や母を実感できる訳ではありませんが、なんだか親孝行はしたようで、ホッとします。

私の実家の墓と言えば、周囲を畑に囲まれた、田舎の墓地にあります。墓地のあり様は、私が育った当時とは随分違っています。

なんといっても、墓地自体が明るい雰囲気なのです。墓石が、土色のセメント(?)だったような物から、黒や灰色の大理石のようなものに変わり、墓地の上空を覆っていた樹々が切ら、日差しがさんさんと注いでいます。

「ああ、これなら掃除が楽だろうな‥‥」
「誰さんの家は、仏花が絶えずに供えられているなぁ‥」

誰もが知りあっている、村の人たちが眠る場所ですから、自分だけ墓の手入れを怠り、荒らしておくわけにはいかないでしょう‥と思いますね。

両親が亡くなり、姉が亡くなり、私自身も高齢になってきました。
高校3年生の時、父が亡くなり、悲しむ周囲の人たちの中にいて、心の奥深くに、開放感を感じる自分を、感じていました。

この心は、親に対する罪悪感となり、長く私の心を捉えていました。
「父の死に開放感を感じてしまった、本当は、冷たい人間なんだ‥」
私の本性として、誰にも明かさず胸に秘めてきました。

それでも、1984年発行の同人誌『河床』に、父の死に対峙した心を題材にした短編『星にねがいを』を、発表したことで、罪悪感から自分を、解放することができました。

父は60才で亡くなりました。人を使って手広く和紙の製造を、家業にしていた父ですが、仲介人に騙されたと聞きました。その後は、田畑を買い農業に転身。多感に育っている小・中・高生の私の中の父の姿は、厳しく、苦難に満ちたものに見えました。

そんな父が家族に求める姿も、やはり厳しく、高圧的で、私には息苦しいものだったのです。

その、頭を上げることのできない息苦しさから、ある朝突然、解放されました。父は、脳溢血でした。

その後、罪悪感という形で、私の心に居続けた父です。この気持ちを、短編という形で吐露したことで、私は本当の意味で解放されました。

その後の私の人生は、起業するなどの選択の中で、困難なことも体験することになりました。
それらの体験は、同時に、父への理解を、深くしたことも事実です。

「慣れない農業を始め、収入の面でも苦労だっただろうなあ‥」
「和紙を作っていた時の父は、生き生きしていたなあ‥」

父の亡くなった年齢を超えて、生きています。
今の私は、甘えたもので、心が落ち込むと
「父さん‥ 母さん‥」
父母の前では、やっぱり子供の姿です。

もう、今年のお盆も終わりです。
いつかは、やはりあなた達のところに行きますよ‥😇 


       😁 パチリしたけど名前がわからなかった花。
         ミソハギでした。お供えしますね。

         


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