シンポジウムの講義を聴いたので、2月の暖かい休日に、そのときの講義内容を
頭の片隅に置きつつ改めてまた「箕輪城」へ登ってみた。
今回は城の西側の大手虎韜門(コトウモン)跡があるルートから入った。(ここは門の石垣が残る)
現在は榛名白川と城の崖との間に平行して道路があり、そこから城への進入路と
駐車場があって簡単に来れる。
戦国時代、このルートから攻め込むには南側の緩斜面を左に迂回するか
(城から . . . 本文を読む
しかし、実際には高石垣や天守・御殿など立派な建物は無かったが、城郭の配置や
造りとしては、まったく近代城郭そのものであり、豊臣の他の城郭と酷似しているらしい。
ここで疑問、「井伊」の箕輪配置は 2.で「秀吉」の指示といった。にもかかわらず「秀吉」は
隣接する中山道の上田城、小諸城、上越道の沼田城には豊臣大名ではあるが、特別な
「金箔瓦」を許し徳川領に睨みをきかせ、牽制したふしがある . . . 本文を読む
次に聞いた講演は「井伊直政時代の箕輪城」というタイトルで、現在我々が目にする
遺構はこの井伊直政時代に改良された最終形が時を経て風化・堆積と植林など人工
的変化をした状態だ。
これを発掘調査し、各時代(長野氏~武田氏・北条氏そして井伊氏)の変遷を研究
し、今後の城址の復元を含む活用方法の基礎資料となる。とのことらしい。
講師は同時代の関東にあっては大変珍しい石造りの城郭として、太田の「金 . . . 本文を読む
この日、タイトルのプログラムの内「長野氏の箕輪城」と「井伊直政時代の箕輪城」
という2つの基調講演を聴いた。
このシンポジウムは朝9:30から始まっていて、オイラは午後1:30頃入った。
すでに「長野氏の箕輪城」の講演は30分経過していた。
ここで印象に残った話は、長野氏の菩提寺とも言うべき「長年寺」の僧「受連」は
武田信玄が小幡氏の国峯城(武田方に味方)へ向け出陣してきた時に、駆けつけ . . . 本文を読む
白倉氏は上州八家と言われた豪族の1つで、戦国期は隣接した小幡氏
(後、武田騎馬軍団で「小幡の赤備え」として活躍)の旗下でありなら、
「関八州古戦禄」には、山内上杉氏の宿老として長尾・大石・小幡らとともに
名が挙げられ、この時期の山内上杉家を支える上州の有力大名だった、とのこと。
ここ麻場城はこの白倉氏の指揮・防衛の城で、約500m東方の攻撃用の仁井屋城と
別城一郭の城で、あわせて白倉城と . . . 本文を読む
今日(1/10)は歴史博物館の講座③としてタイトルの講座を聞いた。
越後の国上田の庄は現在の南魚沼市周辺とのこと。ここを中心に次第に勢力を張った上田長尾氏(謙信の後を継いだ景勝の先祖)と府中長尾氏(謙信の先祖)・関東管領(山内上杉氏)・越後守護上杉氏らとの関係などの講義だった。
講義自体はタイムリーな「直江兼継」と「上杉景勝」「謙信」のことをはじめに関連付けとして話し、本題はこれより遡ること1 . . . 本文を読む
去年の9月のこと・・・
ポンコツのガソリン給油で、クルマを出そうと思ったら、お向かいから気持ちよさそうな イビキ? ^^; 今日は涼しいからアミ戸にしてお昼寝かな? じゃあ、ウルサイポンコツの出動は見合わせよう ^^ ってことで、静な?(これもEgからシャリシャリ変な音がするけど 現在は修理して一応治った^^;)クルマで出かけよう。
最近のガソリンの高騰(現在は一時期よりグッと安くなった^^ . . . 本文を読む
以前ここに紹介した箕輪城。
その時、戦国時代の城郭を是非復元して欲しいと書いたが、どうやら実現するらしい。 ^^v
以下は「上毛新聞」のニュースだ!!
●戦国の名城公園化
高崎市教委は同市箕郷町の国指定史跡「箕輪城跡」(約十九㌶)を史跡公園として保存整備する。九年をかけた発掘調査の成果を踏まえ、山の地形を生かした堀や石垣、城門、木橋など貴重な遺構を史実に基づいて復元。戦国時代の名城を、中 . . . 本文を読む
川越市立博物館の道路の反対側が「川越城本丸御殿」だ。
この日は残念ながら改装工事中とのことで中は見られなかった。
外から見たが、まぁ こんなもんだろう ^^;
お城はやっぱ作事でなく縄張りや普請部分が見ごたえあるんじゃないだろか?
. . . 本文を読む
大名行列の企画展をしていた、博物館の常設コーナーのこと。
入ってすぐに一段低いステージに江戸時代の川越の城下町のジオラマがある。
その周りに藩主の経歴から町の有力町民の屋敷のモデルや天海僧正などがあった。
さらに進むと小江戸と呼ばれた町並みを模した通路の左に各時代の資料が展示されている。
右は江戸時代の店舗風のディスプレーだったような・・・
中世コーナーははじめ河越氏や上杉氏と太田道灌 . . . 本文を読む