もうけっこう前のことだけど・・・・・
3年ぶりに開催されるという「秋元まつり」を見ることにした。
祭りのメイン「武者行列」を日曜日に控え、前日の土曜とあわせ、2日間だけの特別展示があるというので、
地域の総社資料館?を見学し、ついで明日のメインのための駐車場をリサーチした。
秋元氏は、戦国時代末、深谷上杉氏に属し、北条氏と豊臣軍の小田原の役後関東に転封した
徳川氏の被官と . . . 本文を読む
今頃だけど雲洞庵。
寺の中には、いわゆる解説板の類は無かった気がするが、入場口でもらったリーフレットに書いてある縁起では、
開祖は藤原不比等の内室、開基が息の五摂家の基北家の房前とのことらしいけど、凄く古いんだ~
暫くして、中興の開基が上杉憲実(1429年)(これも藤原氏系)で、曹洞宗傑堂能勝禅師(楠正成の孫正勝)を
招請し・・・・・・とありました。
が、ここで疑問。
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久しぶりにここ、金山城へ立ち寄った。
関東地方では珍しいといわれる石垣のある城。
といっても、城自体は戦国期の山城で、織豊期のような立派な天守や櫓の基礎とかではないと思う。
本郭部分?の中央部が若干谷になっていて、その底が石畳で上部の平坦部に何段かの石垣になってる感じだ。
有名な日、月の丸い池も綺麗に石で舗装されている。
小ぶりだが門と思われる跡の石垣や堀岸の補強と思われる石垣もある . . . 本文を読む
ここ高島城へ来たのは今回で2回目だ。
諏訪湖の対岸の岡谷市に用事があって来たので、折角だから寄ってみた。
ついでに近所(松本市)の国宝にも寄りたかったけど時間がなく断念した。
近世城郭としては小ぶりな水堀で囲まれた本丸だけが残り、やや寂しいけど石垣は当時モノなのか いい感じだ。
ただ、鉄筋コンクリートの天守閣はどうだろうか? ^^; ちょっと離れてみれば絵になる。 . . . 本文を読む
杉山城2.
我々初心者でもよく出来てる縄張りって感じが分かるような気がする。
東西は高低さがあり、さらに東は下に大きな郭が2つもあるので、攻めるには南北の各虎口からがやはり順当か?
でもオラだったら両虎口方面と東の郭方面の3方向からの陽動部隊と主力は西側から小川(市野川)を渡り急斜面を強行攻めか?
しかし、どこから攻めようとしても、城から周囲ははっきり見える。
( 北3郭から搦手口方面 . . . 本文を読む
うわさに聞いていた杉山城へ行ってみた。
案内板にあるよいうに、中世末の教科書的な山城だったようだ。
いきなり複雑な折のある堀と土塁。
写真の向こうは東2,3郭、 手前右下は深い天然の谷になってる。
同じような縄張りがつづき、攻めては混乱するか?
山下を鎌倉街道?がとおる?
本郭
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もう何年前だっただろうか。以前に一度ここへ来たことがあった。
その時は周辺には何も無くポツリとお墓があったような気がしたが、荒川には橋があり、道路も整備されたようだ。
3~400mくらいのところに畠山重忠の菩提寺とされる万福寺という寺があり、重忠の碑があった。
お堂の彫刻がなかなかいい感じ ^^; ここに重忠公のご本尊があるらしい。
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ここは、大変きれい(?)に整備された城址公園になっていた。
初心者の我らには非常に歩きやすくて、高感度◎なんだけど、上級者にとってはちょっと(?)って感じなのだそう。 ^^;
まず、ここは学校がすぐ下にあるけど、けっこうな山だ。住宅街というより山郷の沿道沿いに居宅が並んでいる感じ程度の町。
彼らの公園にしては、クルマがやっと1台通れるくらいの細い山道を登らなくてはならないし、子供はともかく高 . . . 本文を読む
「のぼうの城」こと忍城へ行って来た。
石田三成軍との攻防戦時の感覚はまったく無く、水堀に架かる木橋と立派な門、3層の櫓(天守?)がいかにも江戸時代だ。
石垣じゃなくって土の塁が関東の城の雰囲気でいい感じだ。
いつもの山城跡などより、のんびりした感じで、ちょっと緊張感は感じない。
完璧な城址公園と化していた。 ^^;
これは本丸内に建設された資料館(模擬櫓も)に展示された江戸時代の模 . . . 本文を読む
桐生地区の総鎮守は天神様がメインの天満宮だそうだ。
こちらは初めてだったが、受験生がいるので寄り道してお参りした。
もっと広い境内を想像していたが、わりと小ぶりなので意外だった。
しかし、幣殿から本殿の彫刻はみごとで、初めは極彩色鮮やかだったことだろう。
手前右の社が末社春日社とのことで、本殿の裏にあり小ぶりな社殿だ。
こちらも彫刻に色彩の痕跡をく残しているらしい。
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