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『教理対話』 目次 02 人類の堕落と原罪

2022-11-12 13:55:45 | 日記
目次 02 人類の堕落と原罪

神父 
さて、この前の講義で教えられたことに、何かむずかしいことはありませんでしたか?

青年 >
いいえ、神父様、あなたがお話しになりました堕落した天使──永久に天国を失った
哀れな悪魔のことで感銘を受けましたけれど。

神父 
実際それは哀れに思われますが、みんな自分自身の罪です。彼等は反逆の末は
どうなるかは知っていました。そして、自由な意志を持っているのですから、
しようと思えば全能の神に服従することができたのです。悪魔は、自分達を
無より創り出し、美を以て装い、主の天の家で言うに言われぬ幸福を与え給うた
自分達の創造主、唯一の愛する御者に対する反逆の為に、その報いを受けようとは、
永遠の報いを受けようとは予期してなかったのでしょう。

この永遠の報いは、神から永遠の隔離ということであったのです。天国を
持つことが出来ねば、天国から締め出されなければならなかったのです。
これは地獄の最悪の苦しみであります。全能の神は主のお作りになりました
最初の人間についても同様のことをなさいました。

すなわち服従には天国の約束を、不従順には地獄の威嚇を以て人間の忠誠を
お試しになりました。このことはそのうちにお話します。聖書(創世記)に
よりますと、神は宇宙とその中の一切のものを七日でお創りになりました。
これは純粋に物質的なものから始まりまして、その後に低級な生物がつづき、
それから動物、そして最後にこの地上にかりの住いを持つ人間をお創りになったのです。
人間の最後の行き先は天使と同様天国でありました。ですが、天使と同じように、
これは奉仕に対する褒美としてはじめて与えられるのです。神はほかの方法で人間を
お取り扱いにならず、人間をそのまま自由なものにしておかれました。

青年 
宇宙の全構造は実際七日間で創られたのですか?

神父 
そうではないようです。聖書註釈の専門家は大概、モ―セの使っている
「日」という言葉は、二十四時間を以て数える短い時間ではない、という
地質学者の説を支持する方に傾いています。
神は一切のものを七日とか七秒で創り給うことができないというのではありません。
事実は「日」という文字に反対であるというのです。私達は日を日の出から日没までで
数えますが、聖書によりますと、太陽は第四日目までには作られていません。
「日」といいまして、ほかにいい言葉がなかったためにモーセが使いました言葉は、
非常に長い時期を表しているのでしょう。教会はこの見解に対しまして
反対はしていません。

注意していただきたいと思いますことは、舞台に現われました人間は、
この世に現われました他のすべての生物と違いまして、現世では神に仕え、
死後は神と共にいる永遠の幸福を自ら獲得するために作られたということであります。
人間の創造につきましては一切の物質的なものが創られた後で、全能の神は御自身の
かたちにかたどって人を創り給うた、と聖書にあります(創世記1-27)。このことは
おもに霊魂のことを言っているのです。神には肉体がありませんから。
人間の霊魂は不滅で悟性と自由意志を与えられているという点で神に似ています。

青年 
科学者は、人間の体は猿から進化したのだといいませんか?

神父 
そういうことを主張する人がいますが、信用すべき証明は一つも出ていません。
猿の体は構造が似ているというのですが、全然意味はありません。人間は数千年来
この地上にいるのですが、まだ猿がいるのはどうしてですか? ずっと昔に全部
人間に進化しているはずです。しかし有名な科学者は大概「猿」説を無視しています。
かりに進化論者の方が正しいとしましても、人間は体の点で猿と非常に違っていると
争うのではありません。

霊魂の点で争うのです。私達の会話そのものが我々の体の中の霊魂を証明しています。
すべて結果はその原因の性質を表します。私達の思想は、その表現が言葉であろうが
なかろうが、霊的です。それはたしかに物質的ではありません。目に見たり、
手で触れたりすることができないからです。

ですから、その源である霊魂は霊的なものに相違ありません。
又霊魂は死ぬことができません(知恵の書3-1~4)。
とけたり腐ったりする物質から出来ているものでもありません。
ですから、アダムの体を神が土から創り給うたかどうかということは
大した問題にはなりません。聖書にのっていますが、理性によりましても
神が肉体に生ける霊を吹きこみ給うたことが証明されます。この霊魂は
永久に生きるものでありますから、価値の点では物質的なあらゆる創造に
まさっています。この事実だけで、神が人間に深い御関心をお待ちに
なっている理由がわかります。

青年 
神がエワの体をアダムの助骨からお創りになったということは、聖書に
のっていませんか?

神父 
のっています。そして、これは容易に信じられますが、またおもしろいことです。
アダムの肉体が直接神から造られたものでありますなら、エワも当然同じことです。
アダムとエワは最初の人間で、ほかの人間のように生れるということはできるもの
ではありませんからね。神はそうおぼしめしになって、アダムとエワを直接夫と妻に
なさいました。こうして、この二人は全人類の最初の親になったのです。
それから、神は、エワをアダムの助骨からお創りになったように「二人一体となるべし」
(創世記3-24)と、結ばれた夫婦の特別でなければならない合一性を強調されました。

青年 
その中にはたしかにぴったりしたものがありますね。

神父 
ここで私は、私達のこの最初の親が神の御命令に背くことさえありませんでしたら
全人類について神は最初どうお考えになっていられたか、ということをお話し
しなければなりません。神は完全な人の本性に属しているもの、たとえば鋭い知性、
肉体の健康、鋭敏な感覚というようなものを全部お与えになられましたばかりか、
この世で人間として許される限り、主の御生命にあずからせ、またよく
「成聖の恩恵」といわれています超自然の美を以てその霊魂をお飾りになって、
人間の本性を高くなさいました。
こういう状態の中で人間の霊魂は神御自身の像を持ち、主の御生命をうつし、
そのために、主の深い愛の対象になりました。しかし、神が最初の親に
なさいましたことは、これだけではありません。

神はそのすべての子孫にも条件づきで同じことをなさる御考えだったのです。
神はこの世を真の楽園になさるお考えでした。人間は神からその身分にふさわしい
知恵を十分いただいていましたから、この世で完全な幸福の状態に暮していました。
彼等は、食物とか性とかいう楽しみに対する肉体上の欲望や悪い傾きに決して
煩らわされることもなく、肉体的な苦しみや困難を全部免れ、死ぬことも
全くありませんでした。この完全性は人間に当然与えられるものではなく、
人間の本性が持っている自然的な不完全さを、神がその広い御心をもって
正し給う聖寵(恩恵)であります。しかし、こういう賜物は多くの
天使の場合と同じように、もし人間が自分達の創り主に対しまして、
忠誠を示しませんでしたら、自分や子孫達にとりましてその後の全人類にも
なくなってしまうものだったのです。

青年 
アダムが罪を犯さなかったら、私達は死するべきではない、ということは、
事実聖書にのっていますか?

神父 
のっています。知恵の書の第2章第23、24節に「神は人を腐れざるものに創り給えり、
されど、悪魔のねたみによりて、死この世に来れり」とあります。また、
聖パウロはローマ書第5章第12節で極めてはっきり「されば一人によりて罪
この世に入りまた罪に由りて死の入りし如く、人皆罪を犯したるが
故に死すべての上に及べるなり」といっています。死が罪の結果に
よって初めて入ったということは神がアダムにお授けになりました
「汝之を食(くら)う日には必す死ぬべければなり」(創世記11-7)という
御戒めによりましても明らかなことです。生きるために苦しい仕事をしなければ
ならないということさえ、私達の最初の親達の罪の結果です。
「汝樹の果を食いしによりて──汝は面に汗して食物を喰い終に土に帰らん、
そはその中より汝は取られたればなり、汝ら塵なれば塵に帰るべきなり」
(創世記3-7〜19)

青年 
しかし、神父様、私にはこの罪はそんなに悪いものだったとは思えませんが。
この問題は正しく考えますと、私達の最初の親達は神の禁じ給うた果を木から
もいで食べただけです。でなければ、「果を食う」という
ことは何かもっといやしいことを表わす言葉のあやですか?

神父 
いいえ、本当の意味の果で、神はこれを食ってはならないとおっしゃいました。
しかし、忘れてはならないことは、彼らの忠誠が試みられていたのです。
これは根本的な問題です。神は服従をためされたのです。神の御戒めを
守ることは容易なことですが、それは人祖がこれを守るかどうかという
ことにかかっていましたので重大でした。要するに神は彼等に向って
「我は主たる汝の神にして、我自ら汝等を創れり、天国は服従のいささかなる
行為に対しても報いとして汝等に与えらる。されど、汝等自由なるものとして、
従わぎるも汝の自由なり。不従順の結果、汝等及び汝等のすべての子孫は我が愛を
失い死と苦しみと悪しき欲望を免るる賜物を奪われん」と仰せになったのです。

神は天国を与えられる人間の幸福をうらやむ堕落した天使の一人にエワを
誘惑することをお許しになりました。エワは神の御命令を無視して
これに目を向けました。創世記の第三章第六節に「婦(おんな)樹を見ば食うに
善く目に美麗しき樹なるによりて、遂に其果実を取りて食い、亦之を己と
偕なる夫に与えければ彼食えり」
とあります。

青年 
それからどうなりましたか?

神父 
アダムとエワにつきましては、神の愛子として約束せられた天国の生を
送る資格を失いました。まだこの外に、彼等は死と苦しみと悪への強い
傾きに従うようになりました。またこれまで住んでいた地上の楽園からも
追い出されました。

アダムの子孫は、聖寵をうばわれたこの世に生れ、もしアダムが神に従い
さえしましたら賜物を受けついだでしょうに、反対にその堕落した状態と
罰を引きつぐことになりました。私達の生れて来るこの状態をさして原罪の状態
というのですが、これはアダムの時から私達が引ついでいる罪だからです。

青年 
しかし、全人類がアダムの不従順のために罰せられなければならぬということは
正しいことですか?

神父 
そうです。正しくこれを御考えになればですね。原罪は私達が人間として
当然の権利のあるものは、何一つとして奪うのではありません。それはただ、
神がその広い御仁慈の心から、もしアダムが罪を犯しさえしませんでしたら、
私達に与えようとなさいました自由な御賜物だけを、取り去るのです。

神が霊魂に与えていられますものはすべて霊魂本来の質でありまして、
それは不死・自由意志・悟性です。
恩恵による霊魂の超自然的な美化とか、死、病気、肉的な欲望の悪い傾きから
肉体が免れていることなどは、賜物でありまして、与えるも与えないもこれは
神の御自由です。神はこれを、人類の源であるアダムがもし従わねば、
その子孫たちからも引き上げようと決心なさったのです。この一つの行為の中に
全人類が試みを受けたのです。私達は堕落した状態のアダムから人性を受けています。

たとえをもってはっきりさせてみましょう。私があなたのお友達として、
将来あなたのものになり、またあなたの子孫にも伝えて行かれる大きな別荘を、
自発的に或る条件の下にあなたに差し出したとしましたらどうでしょう?
あなたはこの条件を果さない、そのために別荘を失います。

あなたの子孫もこれを得ることができません。彼等はあなたを責めても
かまいませんが、私を非難することはできません。私はあなたにその別荘を
あげる義務はないのです。これをあなたが得て子孫に伝えるということは、
あなたが私の要求に従うか否かにかかっていました。あなたが私の条件に
従うことを拒絶したために、自分のためにも、又、子孫のためにもこれを
失ったのです。

青年 
ですが、この世の幸福だけが人祖の罪の影響を受けているのでして、
永遠の幸福はそうではないのですね。

神父 
いいえ、私達の霊魂は聖寵という超自然の美を失っていますので、
超自然の光栄の状態に入る資格がありません。「原罪」はあっても
他に何一つとして自分の罪(自罪)のない幼児でもそうです。

青年 
カトリックに、幼児についてそういう教えがあろうとは知りませんでした。

神父 
あるのです。私達は、洗礼を受けていないために神の恩恵を持たずに
死ぬ子供の霊魂が、積極的な罰と苦しみに附せられる、ということは信じません。
事実、私達は、この霊魂はこの世のどんな自然的な幸福よりもすぐれた幸福を
受けるということを信じています。

ですが、この幸福は自然的な幸福すなわち、その霊魂の力に適したものに
すぎないのです。もちろん、これは神を見奉る霊魂が受けている幸福には
とても及びもつきません。霊魂は恩恵によりまして超自然の状態にまで
高められませんと、超自然の幸福を受けつぐことはできないのです。

青年 
それでは、大人の方が子供よりもいいというのは、どうしてですか?

神父 
必ずしも大人が子供よりもいいということはありません。
大ていのものは同じです。私のお話しましたのは、きよめの恩恵を
注いでいただいて原罪を取り去られる前に死んだ子供は、神を見奉る幸いに
入り得ないということです。大人もこれと同じです。しかし、神は
御仁慈と御慈愛によりまして私達を救わんためにお出でになりました。
この御恵みによつて、原罪は除かれ、大人の霊魂も子供の霊魂も二つながら、
アダムが罪を犯さなければ与えられていたであろうような恩恵を再び
いただくことができます。

次の講義の時に、神の御友愛を回復し給うために神のなし給うたことと、
どういうふうにして私達は天国の生命に入ることができ、またそれに
値するものになれるか、ということをお話しましよう。

青年 
アダムとエワは原罪に対しまして合同の責任があるのですか?

神父 
両方とも神の御命令に背いたのですが、アダムだけが人類の祖としまして、
代々これを伝えて行くことに責任があります。


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