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ひまわり

優しくなれますように

あふれる涙。。。

2007-08-05 00:38:05 | トンネルの向こうへ
今日、いやいや、昨日です。
私は、病院に行きました。

それは、夏バテか、うつ病のリバウンドか
確かめるためでした。・だるかったのです。
そのだるさが、不安にもつながっていました。

私は、主治医のT先生じゃなく、院長先生の
診断をうけました。うつ病にかかったとき
最初に受けたのが院長先生でした。

仕事の都合上、院長先生に会えない。
でも、スーツ着て、元気になっている姿を
一目見ていただきたい。。

ただ、だるさもありました。

土曜日だから2時間ぐらいの待ち時間。

でも、院長に会いなさいと、誰かが言っているような
感覚にとらわれたのです。2日ほど前から。。。

私は、第6感があり、予知的なこともできたり
不思議なことが起きたり、よくあります。

今回もそうでした。

院長にお会いし、「先生、僕、元気になったよ。」
院長は、「良かったね~。」「今までしんどかったなぁ。」

私は、幼稚園のトラウマから、引っ込みになり
輪に入るのも、輪を作るのも下手で嫌いだったことや
体育の時間が辛かったこと(コミュニケーションがとれない)
うつ病になったきっかけから、元気になるまでの
過程・・・30年近くを40分ほど話しました。

幼稚園の時、お遊戯会で、いじめっ子に後ろから
蹴られ、幼稚園のバッグにお母ちゃんが貼り付けてくれた
スーパーマンのシールを次の日はがされと
たわいでもない、でも、幼児、3~4歳の頃の私ににとっては
つらかったことを話すと

私は、涙があふれてきました。
ボロボロ泣きました。

「先生、つらかったぁ。」

「よかったなぁ。」

先生は教えてくれました。

「お酒を飲みに行くお金は、話をしにいき
あなたの話をする環境を与えてくれる場であって
生きたお金です。物として残るもののほうが特かも
しれないけど、あなたが本来、話し上手である性格に
導いてくれたのは、そういうお酒の場であって
無駄なお金を使ったのではないのですよ。
使ったお金は授業料と思ってください。」

嬉しかった。

形に残らないお金。
でも

しっかりと、私の心に、根性であったり
相手を見切る目であったりと

生きていく上での必用なものが
お金を通じ、自分のものにすることができました。

院長先生、優しかった。

私は、薬を処方されず
遅れて仕事に向かいました。

月曜は、主治医の診断日。
今一番、私の身体のことを気に掛けてくれて
回復への道案内をしてくれてる最大の
お医者様です。

精神科・・私は、うつ病が治っても
通院は止めないでしょう。

なぜなら、一番の「お守り」だからです。

久しぶりに、たくさん「涙」を流した一日でした。

わたしでよければですが。。。

2007-08-02 20:06:40 | トンネルの向こうへ
わたしでよければですが。。。
個人的に、悩みを打ち明けたい方は
わたしのメインのホームページ

「まごころ」・・のページから
メールを送れる場所があるので
そちらから送ってくださいね。

秘密は厳守にさせていただきますね。
ご心配なく。

このブログの右の端のほうに
ブックマークがあり、そこに
まごころにリンクしてますので
一度見てくださいね。


抗うつ剤をやめられる時期とは。。。(重要)

2007-08-02 17:34:57 | トンネルの向こうへ
わたしは、30年近く、うつ病との付き合いをしました。
今は、完治ではありませんが。。

幼い頃、そして今までのなか、「うつ病」と気づかず
性格と思い込み、31歳から、「抗うつ剤」を服用し始めた
わけですが

まず最初に、お薬は、急激に身体に働きかけるものでは
ありませんでした。

「抗うつ剤」よりもむしろ、「抗不安剤」の方が
副作用が大きく、最初は、「ふらふら」になるほど
でした。・・・しかし、「抗不安剤」だけでは

うつ病を身体から抜いていくことは困難で
「パキシル」という「抗うつ剤」を飲み始めたわけですが

やはり、書物にもよく記載されているように
「2週間ほどしてから」・・・効果が出てきた記憶があります。

眠気もなく、今までにない自分を得られる日々。

それがきっかけで、13年も勤めた会社を辞め
転職につなげたのでした。

ただ、それもひとつの「かけ」でした。
転職がきっかけで、「うつ病」になられる方も
いらっしゃるからです。

ただ、わたしの場合13年の工場を嫌いになってやめたわけでなく
他に適職があるのではと悟ったからでした。

高揚した状態での退職。

高揚した状態での新たな仕事の面接、そして合格。

お客さん相手の仕事になり、話すことが仕事でもあります。
嫌でも話さなくてはならない、でもやろう。。。

やってみると、最初はドキドキものでしたが
パキシルのおかげか。次第に話すことができる
自分になっていました。

お薬服用後、2年経過し、今年の5月ごろ

異様に眠気がくるのです。。。

何かおかしい。。。

わたしは、いろいろ暗中模索したあげく
パキシル、使用前、使用後の自分の体調を
見比べました。

すると、使用後があまりにも眠いのです。

主治医に尋ねました。

そしたら「チャンスです。パキシルを受け付けない
身体になってきているのです。」との診断。

わたしは、3錠を2錠1錠と減らして行きましたが
1錠でも眠い。。。。。


「先生、無理です。1錠でも無理です。
あれだけ好きだったパキシルが嫌いになりました。」

「よし!思い切って、やめてごらん。安定剤だけで
やってみようよ。。。」

的中でした。

時期的に辞められる時とは、「今までにない眠気が訪れた時」です。
抗うつ剤は、抗不安剤ほど眠気はこないらしいのです。

服用しだすとやめられないとの
不適切な発言をする方もいらっしゃりますが

決してそうではなく
時期が来れば、主治医ではなく
自分自身の身体が教えてくれます。

それを主治医に話し、辞めていく手段をとるのです。

現在服用中の方も、あきらめず
ゆっくりと過ごしてください。

きっと脳があなたの心に働きかけ
「もうそろそろですよ。」・・・と信号を出してくれます。

ノルマ達成!

2007-07-29 23:27:11 | トンネルの向こうへ
本日、仕事のノルマ達成ができました。
ある程度の目標、目的があっての仕事は
自分に向いていることに、気づきはじめてる
今です。

私は、お店で働いていますが
将来の夢は独立。

ただそのためには、たくさんの
知識であったり、何をするかであったり
お金であったり。

必用なものだらけ。

意外と、形にないものが必用であったりするものです。

休みの日は、外に出て
なにかヒントがないか探しています。

服屋さんを経営したい夢がおおきいのですが
人が集まらないと意味がないでしょうし

夢は膨らむばかりで
何一つ、現実味を帯びていません。

ただ、夢を持てることができることは
少し元気になった証拠かなと思います。

うつ病の薬を服用する意味

2007-07-23 23:50:09 | トンネルの向こうへ
私は、うつ病の名すらしらない時から
うつ病にかかっていただろう。。。

多分4歳からです。

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笑顔・・なんだっていい。。

笑顔・・みんなどうして笑いながら話せるの。。

笑顔・・面白い時だけでいいんじゃないの。。。
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とりあえず、学生の頃は、なんとか笑顔なしでも
生活できた。
しかし、社会に出ると、「笑顔ひとつだせないと
あいそのない子。」と思われるのではと
不安になってきたのです。

人間て非常に難しい動物。
喜怒哀楽が宿っているからです。

2年前メンタルクリニックで
私は、医師に相談を持ちかけた。。。

「ぼく、笑顔が出せないのです。。。」


医師は言いました

「別に笑顔なんて出さなくていいやん。
うっとうしくおもわれて当然やろう。。。」

和歌山、桃谷クリニックである。

某クリニックなどと言う必用はないのです。
私が、自分の心を相談しにいっているのに
医師の態度には、ショックで心が病んでしまいました。


ただ、そこの医師は「抑うつ」と診断。
簡単に「パキシル」を出したのです。

間違ってならないのは、すべての医師が
ショッキングな回答を出すわけではないということ。。。

薬の知識もまだまだな私の時代です。

その後、医師の嫌な診察は一切受けなくして、パキシルだけを
美園町の処方箋の所まで、取りに行くだけにしていました。
そこの処方箋の受付の女性は、「笑顔」が
素敵でした。

私は、その女性に言いました。
「きっと元気になります。あなたのように素敵な笑顔をだせるように。」と。

桃谷クリニック医師、名前は忘れたが、あなたは
私に地獄と天国を与えてくれたような不思議な存在です。

薬の処方の前の診断って、「こんなものか!」
なんて思っていた私ですが

現在新たな2年通い続けている病院は
薬を出すこと以前に、人そのものより
人の心に問いかけ、毎週のように、主治医に会いたくて
仕方なかったのです。

田村病院。

私を、人生のどん底から救ってくれた病院。
偏見・・・実際、私の両親は、猛反対でしたが
それは、知らないだけであり、どれだけ
素晴らしい、現在病の「うつ病」を焦らず
優しく接してくれるかを、私は両親に話していきます。


桃谷クリニック・・・パキシルの処方,ありがとう。
ただ、あの時の診断は、辛かったですよ。あなたが
うつ病にかかり、同じこと言われたら、どうですか。。。
私、涙が出ましたよ。

薬は、高揚させる手段であり
その高揚時に、どれだけの人とのかかわりが
うまくコントロールできるかで
薬の意味合いが出ると思うのです。

少しでも景色を変えましょう。
薬を飲んだ時は、少しだけでいいから散歩をしましょう。




ペンを持って、字を書こうじゃないか^^

2007-07-14 09:37:45 | トンネルの向こうへ
どうです。
みなさん。

最近、メールが楽しい日々が続いていませんか?

■メールの欠点、長所------------------------

----欠点
①漢字を書けなくなる
②すぐに相手に届くのでトキメキがなくなる。
③みんなが同じ字体でのやりとり

----長所
①災害にあったときのSOSを出せる
②知りたい相手の居場所がわかる


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よくもわるくもメールでは本来の「愛情」が
100%出すことはできません。

そこで私は、少林寺拳法の道場で

5人で、昔ながらの交換日記をしています。

9歳
11歳
16歳
33歳(私)
57歳(師匠)

楽しいものです。
みんなの字が違ったり、質問があったり
前より、字の上手さを伺えたり
いいことが前面に出てきます。

始めるに至っては

①中傷的なことは書かない
を原則として

今で2ヶ月程度続いて
間もなく、一冊のノートの終わりを迎えます。

もっと良いことは、振り返ることができたり
今の自分の確認もできたりします。

携帯電話を新機種に換えたとき
メールを読み返すでしょうか。。。

一度、身近な人との、愛情たっぷりの
交換日記、いかがですか。
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よくまぁ、ここまできたもんだ。。

2007-07-09 00:25:53 | トンネルの向こうへ
しかしふら付く。
車を運転して、バックをしようものなら
振り向いた瞬間、めまいがする。

大好きなイオンに行ったならば
駐車場に車止めて、30分寝てからでないと
歩けない。

体が抗うつ剤を拒否しているのです。
体が薬を嫌がっているのです。

血圧・・・それも考えた。
でも違う。

2Kg痩せたし、血圧も下がっている。
やはり。薬の副作用。

その状態で、仕事をした。。
今にも倒れる寸前まで仕事した。

お客さんは、店員のしんどさは関係ないし
店員として、お客さんを大事にしなければいけない。

もう、気力だけで立っていた。

辛かった。。

しかし、これが本当に辛いのではなかった。

うつ病から回復している自分が
止めていく段階での服用の中の副作用。

今が一番からだが辛い時期。。

しかし、笑えるし、笑わせられる。

人生のよさがわかって来た。

もういいだろう。パキシルを止めても。

あした、通院日。
主治医にカウンセリングを受ける相談をしようと
思う。

もう、人が怖くないよ。

助けてあげたい。辛い人を。

私の生きる目的が明確に見えてきた。

普通になるということ。。

2007-06-24 00:39:00 | トンネルの向こうへ
僕は、うつ病の峠を乗り越えようとしています。
何十年も心が闇、そして病み、笑顔が嫌いでした。

普通・・・これって、どうなんだろう。。
悩み続けた20数年間。

もっと前に、抗うつ薬と出会えていれば
今の時間、このブログを打っていなかったかも
知れないでしょうし、もしかしたら
結婚してたり、家庭を持っていたりしたかも知れません。

でも、はたして、結婚や、家族が増えることが
本当に幸せなのか、いや、幸せであっても
それを支える柱が、自分の心に宿っていなければ

僕以外の家族を、不幸せにしていたかも知れません。

今の僕なら・・・きっと、前よりは笑顔を出せる。
少しでも相手の事を想う余裕ができる。

お金がなくなれば、どんな仕事でもして
稼いで、食べていけば良い。

こんな気持ちになれること、これが33歳の今だからこそ
受け止められて、表現をすることもできます。

インドアでありたくなくても、その中で
自分を癒す何かを見つけたりしたあの頃。

アウトドアになった今は、日本から飛び出たぐらいの
気持ちで、たくさんの世界が広がり、相手の顔を見て
話したい自分が、今、パソコンに向かっています。

しんどかった。辛かった。
でも油断はできないし、今は人を疑う前に
冷静に自分を見つめなおす時間が充分に必要だとも
思います。

世の中、ルールだらけ。

そのルールを良い意味合いで破り
自分のルールという方法を作る所に
僕の生き方があるように思います。

世の中を取り巻く、人間関係を図式になんて
表せません。

うんちくや、論理よりも、どれだけの
優しさ、力、愛があるかが大切だと思います。

形式は参考。

昔、恩師は言いました。

きれいなキュウリよりも
まがったキュウリのほうが見ていても楽しい。

普通になる・・・どれが普通でどれが普通じゃないかは
だれも決めることができません。

どんな時だって、それがすべて過去になっていくのです。
まず、自分をよくわかり、過去を積み重ねていく事で

本当の幸せが進行形として生まれると僕は思います。

ありがとうこの命。