日テレの番組でアイヌ民族に対する差別表現があったらしい。
ある芸人がアイヌ民族をテーマにしたドキュメンタリーを紹介する際に、謎かけでアイヌと「あ、犬」をかけた部分が差別にあたると指摘されたというのである。
「アイヌ」と「あ、犬」
つまりアイヌ民族を犬扱いしているのが差別だと言う指摘である。
そう言われたらそうかと思うが、アイヌ=犬が差別と言うことを日常的に意識している人は、北海道人ならいざ知らず、少ないと思う。
ボク自身全く意識していない。
ロシア人はオソロシヤというレベルの駄洒落と同じように思える。
昔、ちあきなおみの「四つのお願い」と言う歌が差別として問題視されたことを思い出した。
「四つ」が被差別に対する差別ということだが、当時、そんな相関関係は知らなかった。
逆に問題視されたことで知ったわけで、知らなくても良いことをわざわざ知らしめるのもどうかと思う。
差別用語として言葉狩りされ死語と化した言葉は沢山ある。
「めくら蛇におじず」「めくら撃ち」「片手落ち」などなど。
ゴダールの傑作「気狂いピエロ」も、わざわざ「きぐるい」と読ませたり。
差別か否かは「発する側の意識」が問題になるべきで、無意識な発言まで糾弾するのはいかがなものか。
だが昨今のハラスメントは発する側ではなく受け止める側の意識こそが決定打となっている。
これは諸刃の剣。
過剰なハラスメント狩りを招く危険がある。
過剰な言葉狩りが行われて来たように。
アイヌ民族を駄洒落で「あ、犬」と表現し、アイヌ民族が傷ついたなら、発した側は自らの不明を謝罪すべきだろうが、アイヌ民族の気持ちを勝手に代弁して正義感を振りかざすのは少し違うのではないか。
地球環境から見れば、人間は生きているだけで害悪という考えもある。
人は知らずに他者を傷つけたりもする。
悪意があるかないか。
せめてそれを基準にしなければ、誠実な人間は日々謝り続けなければならない。
人間はそんなに立派じゃない。