明石市の泉市長の暴言が取り沙汰され市長は謝罪に追い込まれた。
第一印象では完全アウト。
職員に「火をつけてこい!」とは余りにも酷い・・・と思っていた。
顔も変だし・・・。
ところが報道された音声は一部が切り取られたもので、続きを聞くといかに怒られた職員が怠慢で、市長が道路の拡張を重要と思っていたのかがよく分かる。
となるとあの「火をつけてこい!」は我々も日常的に使いかねない「殺すぞ!」とか「死ね!」とかいう類いの戯れ言に過ぎないと分かる。
日常会話で「殺すぞ!」と言って、本当に殺すヤツはいないし、「死ね!」と言って本当に「死ね」と思って言っているヤツはいない。
「殺すぞ!」と言って本当に殺すのは極悪非道の輩であって、言われた方も「殺される」と分かる。
「死ね!」と言うのも、通常はとても死にそうもない人間に対してであって、いかにも自殺しそうな悩みを抱えている人間に「死ね!」というのは、これまた極悪非道な輩だけである。
そして、これが戯れ言かそうでないかは普段の付き合いの中で自ずと分かってくるし、そんなことを本気でいうヤツと付き合いがある時点で普通ではない。
普段から激高しやすい泉市長というのが専らの評判なら、「火をつけてこい!」が激高の果てのいつもの戯れ言と、職員なら分かったはず。
朝のワイドショーによると、職員は市長と話すときはいつも音声を録音しているらしい。
だから今回の件も録音時に何らかの悪意があったわけではないよう。
それが2年も経って露見した不思議。
それは明らかな謀略で悪意が存在している。
その悪意に拍車をかけたのがメディア。
メディアが安易にやりがちな「切り取り」という手法。
「火をつけてこい!」というスキャンダラスな前段だけを切り取り報道した結果、東大出で弁護士で市長というエリートに対する庶民の嫉妬混じりの怒りが一気に燃え上がった。
ところが実際はどうも違うと言うことが、後段を聞くと分かってくる。
こうなると世間の風向きは一気に変わる。
あの町田の都立高校の事案と一緒。
いかにメディアの報道が大事か。
いい加減、気づかないと「殺すぞ!」・・・。