Eiichiro Blog

中年ベーシストの音楽談義と日々の日記。

私と妻の85日。

2024-07-07 14:24:00 | Weblog
【序章】
4月9日...
妻の左肩の後ろあたりに何やら膨らみを発見。
妻の希望もあり翌日にかかりつけの皮膚科へ。
そこで意外な言葉を聞く。
『大きな病院へ行ってください。ここでは処置が出来ません。紹介状を書きます。』
その足で自宅近くの総合病院へ。
『おそらく脂肪腫だと思いますが取ります?』
妻は迷わず『取ります!!』と答える。
取る=手術になる。
皮膚科から形成外科へ。
エコーやらCTやら...
大掛かりな事になってきた。
そして...
『生検』をやる事になった。
つまり腫瘍の一部を採取して良性か悪性かを判断するという事。
妻も私も真っ先にあの二文字が頭に浮かんだ。
少なくとも悪性ならば...その可能性はある。

【生検】
ゴールデンウィークを挟んで5月の上旬。
生検を受ける日がきた。
妻は今まで手術なんか受けた事はない。
そりゃあ怖かったはず。
不安だったではず。
しかも手術二回は確定しているのだから。
生検と本手術。
生検は局所麻酔。
本手術は全身麻酔。
人一倍怖がりな妻の心境を察すると私も緊張の色は隠せない。
不安そうな妻を手術室の前で見送る。
ここで妻の腫瘍の位置を。
腫瘍があるのは左肩の後ろ。
脂肪腫というのは皮膚の下にできる事が多いそうだが妻の場合は筋肉の下にできている。
しかも大きい。
なので生検が必要になったらしい。
私が年明けに手術した粉瘤とは訳が違う。
脂肪腫自体はどこでもできる可能性があるとの事。
程なくして妻が手術室から出てきた。
終始怯えていたそうだ。

【結果まで】
生検が終わり結果を待つ間やはり日にちがかかるようでその間は私も妻も生きた心地がしなかった。
毎日毎日『もし悪性だったら...。』
その言葉が頭をよぎる。
何をしていてもその事が頭から離れない。
妻は物事を悪い方に考えがちな性格。
私でさえ結果が出るまでの間はいつも胸に何か引っかかってたような感覚がずっと続いていた。ましてや当事者の妻は私の比にはならないぐらい不安だったろう。
この時ほどこんな状況でよく聞く言葉...
『代われるものなら代わってあげたい。』
その辺は冷静な私がいた。
そんな非現実的な事を考える余裕などない。
これからの事。妻を安心させる事はできないが少しでも気が紛れるようにしようと。
本当に結果が出るまでの間は二人とも辛かった。
そして結果がわかる日。
の...前に...生検の傷を保護するテープ。
それに肌が負けてしまってちょっと診て貰える事になった。
そこで『生検の結果出てますよ。』
妻が慌てて私を診察室に呼ぶ。
二人並んで主治医の話を聞く。
『悪性と思われる所見はありませんでした。』
この言葉に救われた。
『胸を撫で下ろす』とはこういう事か。
でもこれから本格的に腫瘍を取る手術が始まる。
手術前に検査をしなければならない。
前日から入院という事も知らされた。

【手術まで】
手術は6月27日に決まった。
前日から入院という事も。
今回は気持ちも晴れやかとまではいかないが不安はかなりなくなっていた。たぶん。
妻は全身麻酔にかなり神経質になっていた。
喘息やアレルギーのある妻はかなりその辺に関しては不安だったと思う。
あれやこれや書いているが私は妻にこれをやってあげたあれをやってあげたなんて書く気はさらさらない。実際何もやってない。
今にして思えば妻は全部一人で乗り越えた。
たぶんこの手術も乗り越えるだろう。
信頼こそが最大の支えなのかもしれない。
そうして手術の日は刻刻と近づく。
そんな手術前にあろう事かまさかの事態が...。

【異変】
妻の手術まで約一週間。
私は自分の身体の異変に直面する。
6月22日にタール便が出た。
タール便とは血液が胃酸によって酸化され真っ黒いタール状の便が出る事。
私が二十代の頃一回だけタール便らしきものが出た事はあるがそれは一回限りだった。
長くても二~三日で治まるだろうと軽く思っていた。ちゃんと仕事にも行っていた。
体調は変わらず妻の前日入院の際は12時間勤務の早出だったので妻を病院に送り届けて12時間仕事を終えてから翌日の手術を迎える事になる。

【手術】
妻の手術の日。私は有休を取った。
手術は午前から。
ここまでらきたら全てを任せるしかない。
妻は腹をくくれているだろうか?
全身麻酔大丈夫だろうか?
ちゃんと帰ってきてくれるだろうか?
目が覚めた時私を覚えていてくれるだろうか?
何から何まで初めてづくし。
経験者の方が聞いたら笑ってしまうような不安。
4月9日から始まったこの事態。
ここで一旦区切りのはずである。
私は待つことしかできない。
何もできない。
私は無力だ。
祈ったところで何になる?
でも祈らずにはいられない。
ずっと黙っていたけれど...
母に手を合わせる時に必ず...
『KAYOを守ってくれ。』
とお願いしていた。
母は私のお願いを聞いてくれた。
11:20頃だったか...
妻が無事に手術室から出てきた。
意識朦朧とはしていたが私を認識してくれた。
『良かった...。』
よく頑張った。
だから妻は私よりも強いのだ。
私よりも偉いのだ。
そしてなによりも愛おしいのだ。
後で聞いた話...手術を終えた妻は...
『お腹が空いた...』
と漏らしたらしい...。
ほらやっぱり女性は男性よりもずっと強い。
ずっと妻の傍にいる訳にもいかないので…
と言うかこの病院は基本的に家族の面会はできない。以前コロナを扱う病院だった事で。
私も少し安心して自宅に戻った。

【搬送】
妻の手術を終えた日。
やっぱり私も疲れていたようで晩御飯もどうしようかと思っていたが結局出前にした。
その日は午後10時には布団に入って休んだ。
早朝目が覚めて便意を催したのでトイレへ。
用を足しているといきなり口から黒い液体が飛び出した。気分が悪いとか吐き気がするとか全く無かった。いきなりだった。その後動悸が激しくなり頭が割れるように痛かった。
鮮血ではなかったものの明らかに酸化した血液に間違いはない。
汚したトイレもそのままに居間に倒れ込んだ。時刻はまだ6時にもならない。
病院は9時からしか開かない。
9時まで待つか...救急車を呼ぶか...
意識はまだ鮮明だった。ただ動悸と頭痛は治まらなかった。立とうとしたが立てなかった。これは自力で病院へ行くのは無理だろう。それでも私は9時まで待って病院へ電話した。やはり救急車を呼ぶ事にした。幸か不幸か妻の入院している病院へ搬送される事になった。

【ER】
私は意識があるまま妻の入院している病院へ搬送された。ER(エマージェンシールーム)ではあらゆる検査を受けた。
それでもまだ意識はあった。
最後の内視鏡検査の時に眠くなる薬を投与されそこで私の意識は絶たれた。
『十二指腸潰瘍の出血による極度の貧血』
という事らしい。
私にはよくわからないがヘモグロビン値6.3という心不全を起こしてもおかしくない状態だった。早速輸血が行われた。
誰が伝えたのか前日手術を終えたばかりの妻が横にいた。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

【ICU】
私はICUに移され右に輸血パック左に点滴。
なんだかドラマのような光景を目の当たりにする。輸血は二日間に渡り3パック。
多いのか少ないのかわからない。
人生初の救急搬送。
人生初の点滴。
人生初の輸血。
人生初の入院。
ICUでは三日間ほぼ絶食。
7月1日午前中内視鏡検査。
出血は止まったらしく一般病棟へ移動。

【退院】
私の内視鏡検査の最中ちょうど妻が退院した。本当は私が迎えに行くはずだったがお義母さんが妻を迎えに来てくれた。
夫婦ほぼ同時入院。
普通そんな事あるか?
と何度も思ったががこれは現実である。
その二日後私も無事に退院した。
ここで言っておきたい。
医療関係者の皆さん本当にありがとうございました。
医療現場はドラマさながら。
いやそれ以上に大変なものであると思い知らされた。
医師と看護師だけではなく沢山のスタッフの方々のおかげで私は生かされた。
この事は私の人生観が変わるほど大きな出来事だった。

【退院後】
こうして私と妻の85日はひとたび区切りを迎えた。妻はまだ傷が癒えず。心にも傷を残したまま。私は明日から仕事復帰。
今日まで私は自宅療養していた。
私の病気が病気だけにこれから食生活にはかなりの制約が求められる。
私が体調を崩してしまったばかりに退院間もない妻に負担をかけてしまった事を申し訳なく思う。というか思い知らされた。
ここには書いてない出来事もたくさんあるが今は妻も私も身体の休養と心の休養が必要。

【終章】
いろいろな事を考えた。
いろいろな事を考えさせられた。
夢を見る事も...
現実を目の当たりにする事も...
辛い事も...
楽しい事も...
幸せな事も...
悲しい事も...
これって生きてるから感じる事だよね?
上手くいかない事もあるよね?
不貞腐れる事もあるよね?
何もかも投げ出したい時もあるよね?
それってやっぱり生きてるから感じるんだ。
生きてる私の目の前に愛する妻がいる。
こんなに幸せな事はない。
こんなに尊い事はない。
当たり前に日々過ごしていた。
毎日毎日何となく過ぎていた。
生きてないと始まらない。
『人』が『生きる』と書いて『人生』。
まだまだ私も妻も『人生の途中』なんだ。
この先どうなるかもわからない。
だって『途中』だから。
でも『終わる』時はやって来る。
その時にお互い『良い人生だった』と思えるようにしたい。
私と妻の85日。
86日目からはまた新しい人生が始まる。
一日一日大切に。

生きるよ!!
ずっと一緒に!!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

Eiichiro





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