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フォムービー:音楽と写真

最初の出会い

2019-08-07 | 日記

●最初の出会い
1974年にブランデンブルク協奏曲のレコードを初めて買った。

電卓で引き算したら,今から45年も前の18才だったので,
思わず「エッ?!」。



 

(カール・リステンパルト/ザール室内管弦楽団)

その後,生活環境の変化でレコードを聞けなくなったので,
97年くらいに
買ったCDがこれ。

(ゲルハルト・ボッセ/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス・
 バッハ管弦楽団 
1981録音)

最初に聞いたリステンパルト版の爽やかな印象が残っていたの
だろうか,ボッセ版は重厚で楽しめるのだが,重々しく感じた。

リステンパルトのCDは売っていなかったので,リステンパルト
版に近いかなと
想像して,最近買ったのがこれ。

軽快な感じなので気に入っている。

(グスタフ・レオンハルト/クイケン・ビルスマ・
 ブリュッヘンなど 
1976録音)

最初の出会いは影響が大きいと,つくづく思う。

■カール・リステンパルト
(Karl Ristenpart, 1900年1月26日 - 1967年12月24日)

キールの出身。幼少期に天文学者だった父がチリ国立天文台の
館長に就任した都
合で、一時チリに移住した。

1913年の父の死去に伴い、ドイツに帰国したが、帰国時
に聴いた
ヘルマン・シェルヘンの指揮するマーラーの交響曲第5番を聴いて
音楽家を
志すようになった。

1924年から1928年までシュテルン音楽院で学び、その後ウィーン

音楽院に留学してヒューゴ・カウダーの薫陶を受けた。

ベルリンに戻ってからは、ベ
ルリン・オラトリオ合唱団の指揮者と
なり、1930年にチェンバロ奏者のルース・クリス
テンセンと結婚。

1932年からベルリン室内管弦楽団を結成して演奏活動を行ったが

ナチスに協力しなかったため、室内管弦楽団の解散を余儀なくされ
た。

第二次世界
大戦終結後は、アメリカ軍占領地区放送局(RIAS)の
ために室内管弦楽団を作り、
バッハのカンタータを中心に活発な
演奏活動を展開した。

1953年にザールブリュッケ
ンに移ってからはザール放送室内管弦
楽団を創設し、ディスコフィル・フランセやエラ
ートなど、主に
フランスのレコード・レーベルに多くの商業録音を残した。

1967年12月24日、演奏旅行先のリスボンで心臓発作を起こして
急逝した。(ウィキペ
ディアより)

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