●最初の出会い
1974年にブランデンブルク協奏曲のレコードを初めて買った。
電卓で引き算したら,今から45年も前の18才だったので,
思わず「エッ?!」。
(カール・リステンパルト/ザール室内管弦楽団)
その後,生活環境の変化でレコードを聞けなくなったので,
97年くらいに買ったCDがこれ。
(ゲルハルト・ボッセ/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス・
バッハ管弦楽団 1981録音)
最初に聞いたリステンパルト版の爽やかな印象が残っていたの
だろうか,ボッセ版は重厚で楽しめるのだが,重々しく感じた。
リステンパルトのCDは売っていなかったので,リステンパルト
版に近いかなと想像して,最近買ったのがこれ。
軽快な感じなので気に入っている。
(グスタフ・レオンハルト/クイケン・ビルスマ・
ブリュッヘンなど 1976録音)
最初の出会いは影響が大きいと,つくづく思う。
■カール・リステンパルト
(Karl Ristenpart, 1900年1月26日 - 1967年12月24日)
キールの出身。幼少期に天文学者だった父がチリ国立天文台の
館長に就任した都合で、一時チリに移住した。
1913年の父の死去に伴い、ドイツに帰国したが、帰国時に聴いた
ヘルマン・シェルヘンの指揮するマーラーの交響曲第5番を聴いて
音楽家を志すようになった。
1924年から1928年までシュテルン音楽院で学び、その後ウィーン
音楽院に留学してヒューゴ・カウダーの薫陶を受けた。
ベルリンに戻ってからは、ベルリン・オラトリオ合唱団の指揮者と
なり、1930年にチェンバロ奏者のルース・クリステンセンと結婚。
1932年からベルリン室内管弦楽団を結成して演奏活動を行ったが、
ナチスに協力しなかったため、室内管弦楽団の解散を余儀なくされ
た。
第二次世界大戦終結後は、アメリカ軍占領地区放送局(RIAS)の
ために室内管弦楽団を作り、バッハのカンタータを中心に活発な
演奏活動を展開した。
1953年にザールブリュッケンに移ってからはザール放送室内管弦
楽団を創設し、ディスコフィル・フランセやエラートなど、主に
フランスのレコード・レーベルに多くの商業録音を残した。
1967年12月24日、演奏旅行先のリスボンで心臓発作を起こして
急逝した。(ウィキペ ディアより)
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