現在、工事中

皆様、少々お待ちください。

海外旅行記

      

順不同。 タイランド(バンコク) カンボジア(プノンペン、シェムリアップ等) 
メキシコ(ティフアナ) 英国(ロンドン) インド(デリー、ウェストベンガル州等) 
米国(ニューヨーク州、ニュージャージー州、ミシガン州とロサンゼルス)
フィリピン(マニラ) 台湾(台北) マレーシア(クアラルンプール等) 
ベトナム(ホーチミン) ネパール(カトマンズ) ミャンマー(ヤンゴン等) 
香港と中国(上海と北京) 夏が来れば思い出す(新婚旅行記) 豪州(ケアンズ)
現在、工事中。 皆様、少々お待ちください。

 ドリアン長野の海外旅行記は15か国を旅したお話で私が整理整頓し再発表しました。 外国語ですが挨拶位は学びましょう。 旅行記内の内容ですが出入国の法規制を始め、現状とは異なる部分が存在するので渡航されるなら最新の海外旅行案内書を読んで下さい。 治安が悪い街へ赴くのは危険なので辞めましょう。
 現在、問い合わせは受け付けてません。 海外旅行保険の加入は必須です。
 私はドリアン長野から頼まれ平成19年に終了したgoo簡単ホームページの開設を平成15年に手伝いました。 昨今は複数のブログを利用してます。
平成29年の夏に頻繁な投稿については難しい本音を伝えた所、「無理しなくて良いから。」と返答されました。 今後(令和六年七月以降)は月の初日から14日迄に一度、14日から月末迄に一回は投稿する予定です。
 ドリアン長野が管理人をしてるホームページのみ閲覧されても構いません。
令和になってからドリアン長野は親子でケアンズ旅行を果たされたそうです。

#98

2024-04-29 | 日記
6月26日(火)のつぶやき
2018-06-27 | Weblog

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6月25日(月)のつぶやき
2018-06-26 | Weblog
6月23日(金)のつぶやき blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年6月25日 - 02:28



平成30年6月23日と24日のつぶやき - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年6月25日 - 20:51



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皆さんにご連絡がございます 平成30年6月最終月曜日
2018-06-25 | Weblog
11月の福知山マラソンにエントリーした。フルマラソンは2年振りだ。一昨日久しぶりに20キロ走ったら、息も絶え絶えで2時間以上かかった。
2年前の記録が4時間59分だから今回は4時間半を目標にしたが、このままでは完走も危うい。本番の恐ろしさを払拭するには走りこみしかない。
高橋尚子は現役時代、身体のブレをなくすために毎日腹筋と背筋を二千回やっていたそうだ。
福知山マラソンのタイムリミットは6時間だったと思います。
是非是非、生涯に一度でいいですから、完走に挑戦してみてください。

ドリアン長野ですが、福知山マラソンのエントリーをしましたので今回は特別な転載をさせていただきました。

皆さん、先週月曜日に発生した大阪北部地震の被害にあわれたやも知れませんが大丈夫でしたか?私並びにドリアン長野は特に問題がありませんでした。これからの生活再建は艱難辛苦を伴うかもしれませんが負けずにがんばっていきましょう。
話は変わりますが、このブログについて連絡いたします。
投稿は連絡、紹介、転載の3種類に分割されてます。平成30年4月一日以前より投稿の回数を削減しました。
連絡は月に一回は月曜に行う予定です。地震が発生した事等から回数の削減は今月は不可能で毎週月曜に投稿致しました。
転載は内容が一般的であれば月の初旬に行う予定です。今月のように地震発生時の安否については可能な限り迅速に転載致します。
地震について 平成30年6月(管理人より 今回は特別に転載します)
推奨したいホームページの紹介は土日祝祭日に行う予定です。
https://twilog.org/duriannagano/date-180602

https://twilog.org/duriannagano/date-180603
例外的に今月のように祝祭日が無ければ土日に代替として行います。従って、今月九日並びに十日に行いました。
https://twilog.org/duriannagano/date-180609

https://twilog.org/duriannagano/date-180610

gooブログはツイッターによるつぶやきが翌日に反映され投稿されます。月内で最低八回新規投稿したならば16日間投稿される設定になってますので投稿した日より投稿しなかった日の方が少なくなります。gooブログから一年前の投稿について送信されるので可能であれば紹介する予定です。*1
yahooブログ上では自動投稿の機能がないので自発的に転載のような投稿を実行する予定です。

特定のホームページについてですが我々は紹介を辞めたので紹介を辞めて下さい。
管理人マーキュリーマーク


*1 仮に毎週火曜日と毎週金曜日に新規投稿したならば、火曜日の投稿がツイッターのつぶやきとして水曜日に反映されます。同様に金曜日の投稿がツイッターのつぶやきとして土曜日に反映されることから一週間で4回以上の投稿が月内で毎週行われると16日間投稿したことになります。
投稿の回数は削減する方針ですが過去の投稿の紹介も考慮してるのでそれなりの投稿の回数になることはやむを得ないです。
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6月24日(日)のつぶやき
2018-06-25 | Weblog
平成30年6月23日のつぶやき - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年6月24日 - 08:02

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6月23日(土)のつぶやき
2018-06-24 | Weblog

最後のニホンオオカミと呼ばれた黒澤浩樹  平成29年6月 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年6月23日 - 23:29
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6月20日(水)のつぶやき
2018-06-21 | Weblog
平成30年6月19日のつぶやき - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年6月20日 - 01:13
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6月19日(火)のつぶやき
2018-06-20 | Weblog

親子の写真 平成29年6月 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年6月19日 - 00:02
「地震について 平成30年6月(管理人より 今回は特別に転載します)」 goo.gl/wEWU8r

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年6月19日 - 00:33
地震について 平成30年6月(管理人より 今回は特別に転載します) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年6月19日 - 00:36
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6月18日(月)のつぶやき
2018-06-19 | Weblog

地上の男性には父親になり,わたしたちに対して天の御父が感じておられるのと同じ喜びをいくらか経験する機会があります。父親であることは神から与えられた大切にすべき責任です。#父親 #父の日
#神 #キリスト教 #モルモン… twitter.com/i/web/status/1…

— モルモン教 (@morumonkyou) 2018年6月18日 - 05:31
大阪市中央区無事です。 facebook.com/durian.nagano/…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年6月18日 - 09:30

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地震について 平成30年6月(管理人より 今回は特別に転載します)
2018-06-19 | Weblog

管理人マーキュリーマークより伝言
今回は特別に転載します。また、可能な範囲で転載をしましたので書き込みはともかくドリアン長野と友人達とのやりとりの詳細は割愛させていただきます。



メトロからエレベーターに乗り、改札を出る直前にドン!という音と共に揺れた。横揺れは感じなかったので、一瞬北朝鮮のミサイルが着弾したのかと思った!

帰りにスーパーで買い物をしたが、買い物客でごった返している。余震に備えてだろう、買い物カゴにはみな一様にミネラルウオーターのペットボトル、カップ麺が入っている。帰宅するとマンションのエレベーターも止まっていた。うちは10階だからまだいいが、タワーマンションの住民は大変だ。

大丈夫です。10階くらいなら苦になりません。
ありがとうございます。

東日本のときは本当に大変でしたね。



大阪市中央区無事です。

ありがとうございます😊
大丈夫です。
こんな感じでした。(冒頭の画像)
小学校は休校らしいです。校庭に集合後、自宅待機らしいです。
9才の女児が亡くなったというニュース、かわいそうでなりません。
(転倒防止金具について質問され)いえ、してないのでこれからやります。😓
余震が恐いですね。
(天満の店について質問され)震源地に近いから心配やね(◞‸◟)
(京田辺市の友人から連絡を受けて)お〜、それはご無事で良かったですね
(鳥取西部地震を連想するとの問いに)思い出しますね。あの時は長野紙店のプラモも散乱したそうです。ありがとうございます!
(空手家より無事を伝える連絡について)押忍、ありがとうございます!
(友人から無事を伝える連絡について)ありがとうございます
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6月17日(日)のつぶやき
2018-06-18 | Weblog


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6月12日(火)のつぶやき
2018-06-13 | Weblog
平成30年6月十日と11日のつぶやき - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年6月12日 - 05:41
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6月11日(月)のつぶやき
2018-06-12 | Weblog
心から耳を傾けるなら,救い主のように人々の霊的・物質的必要を満たす方法が分かるようになります。詳しくはこちら-->bit.ly/2MgiJEU

#友情 #家族 #愛 #聞く #ミニスタリング #キリスト教… twitter.com/i/web/status/1…

— モルモン教 (@morumonkyou) 2018年6月11日 - 08:17

平成30年6月第二月曜日に行う二種類の連絡 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年6月11日 - 11:46

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平成30年6月第二月曜日に行う二種類の連絡
2018-06-11 | Weblog



二点連絡します。前者。皆様、海外旅行されるなら海外旅行保険に加入して下さい。前述した文面について馬鹿げた重言とは考えないでもらいたい。真面目に伝えております。海外で犯罪の被害にあった日本人の治療費が莫大な金額であったことが発表されました。これから海外旅行に行くなら万が一の事を考えた上での行動が求められます。
後者。平成24年に私とドリアン長野が実際に会って決めた事ですが平成24年に特定のホームページの紹介を取り止めました。詳細は語らないがやむを得ませんでした。該当する特定のホームページですがドリアン長野の海外旅行記の紹介を取りやめてもらいたい。なぜなら、安全に関わるような不要な争いに関わりたくありません。
管理人マーキュリーマーク
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6月10日(日)のつぶやき
2018-06-11 | Weblog
平成30年6月五日と九日のつぶやき - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年6月10日 - 06:26

信子母さんのエッセイ第52回「face(顔)」 mormon.jp/family/nobuko-… @さんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年6月10日 - 06:28

「信仰はそのときの論理の限界を超越できます。」ローズマリー・M・ウィクソム #信仰 #論理 #キリスト教 #モルモン #lds

— モルモン教 (@morumonkyou) 2018年6月7日 - 06:08

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6月9日(土)のつぶやき
2018-06-10 | Weblog

私たちが気づかなければならない大事なことがあります。ほんとうの意味で愛するということは、傷つくということなのです。事実、他の人たちを傷つけないで彼らに善いことをするためには、それが私から何かを奪うことであっても、喜んで与えなくてはならないのです。

— マザー・テレサ (@MotherTeresabot) 2018年6月8日 - 22:32
このことは、傷つくまで与えることを喜んで受け入れるよう要求します。そうでなければ、私の中にほんとうの愛が存在しないことになり、周りの人たちに、平和ではなく、不正をしてしまうのです。

— マザー・テレサ (@MotherTeresabot) 2018年6月9日 - 04:32

「切り花でなく根のある花であれ!実力の根を張ったスターであれ。」

— 大山倍達bot (@mas_ooyama) 2018年6月9日 - 02:35
長南町の野見金公園のアジサイは今が見頃です takanobu.me/hydrangea/ @@takanobu12345さんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年6月9日 - 08:54
キャノンが新しい70-200mmF2.8とF4の白レンズを発表 takanobu.me/ef70-200/ @@takanobu12345さんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年6月9日 - 08:55

Japanese Tourists Brutally Attacked gofundme.com/kakaako-brutal… 日本語でも説明されてるから読んでください。皆さん、海外旅行保険は不可欠です。

— マーキュリーマーク (@098mercurymark) 2018年6月9日 - 18:22

Japanese Tourists Brutally Attacked gofundme.com/kakaako-brutal…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年6月9日 - 18:25


6月5日(火)のつぶやき
2018-06-06 | Weblog




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6月4日(月)のつぶやき
2018-06-05 | Weblog

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平成30年6月第一月曜日のご連絡
2018-06-04 | Weblog
本日は特別にドリアン長野が行ったフェイスブック上の投稿並びにドリアン長野が訪問した海外の町について連絡させてもらいたい。 

前者ですが、ドリアン長野が一ヶ月間で仮に31種類を超える画像の発表をするようなことがあっても一切妨害しません。だが、転載については厳選することから画像の転載数の削減を平成30年7月に行う予定の「平成30年6月にフェイスブックで投稿された内容の転載。」から実行します。
今月は半ば試験的に多めに画像を転載しました。心苦しいが趣味の領域だという点はご理解ください。
実際にどうなるかは不明ですが、長野紙店で売れ残ったプラモデルの販売についての続報があれば可能な限り早く転載をするつもりです。
追記 平成30年8月第二月曜日
先日、私はドリアン長野と再会しました。長野紙店で売れ残った商品の販売についてドリアン長野が行ったフェイスブック上の連絡の転載を終了しても良いようなのでそうします。従って「長野紙店の大売出しについては平成30年7月末迄発表された分のみ転載した。」とさせて頂ます。
後者ですが、長文になるがやむを得ないと考えてください。影響は与えることが行えても責任は取れませんし、過去には行えても現在は半ば不可能な海外旅行が存在してると考えてもらっても構いません。従って、皆様、海外旅行中の旅行者に対し無意味な詰問をする人は対テロ対策の観点も含めて悪質な過失行為と考え控えるようにしてください。人命尊重は重要です。苦言を伝えることについて否定的な人はいるかもしれないが、わざわざフェイスブックのタイムラインに旅行中、毎日、詰問するのは大きな間違いです。命令した悪人と実行した悪人は別人であった恐れがございます。

毎年、7月か8月に旅行される方々はおられると思いますが、旅行前にぜひとも一度お読みください。

http://twilog.org/duriannagano

ドリアン長野は昭和60年代から2010年(平成22年)以前に何度も海外旅行に行きました。その当時は現在よりも多くの場合において安全に海外旅行が楽しめたようです。無論、平成十年代(もしくは21世紀か?)を代表するような米国同時多発テロ等が発生した時期は除外します。
平成30年五月に外務省の国 ・地域別の海外安全情報のホームページを閲覧した限りですが「十分注意してください。」といった伝達や「不要不急の渡航を控えるように。」といった主張や渡航中止勧告や退避勧告の提案が行われてます。
心苦しいがやはり、伝えないよりも伝えた方が良いと思いました。世の中には説明しても理解や賛同をしないまま何らかの行いをして大損害を作り出す人はいますがせめてこのホームページを閲覧された方々に限ってはそういった窮状に至って困ってほしくありません。
又、私は安全について議論するつもりはありません。各自の自己責任で熟慮された上で海外旅行に行くか行かないかをご決断ください。私が平成27年10月に行ってきたブリティッシュコロンビアでもその翌年(平成28年)に日本人が殺害される痛ましい事件が発生しました。誰がどういった情報を得たのでしょうか?

以下は順不同です。

1.ドリアン長野のロサンゼルス(米国)とティフアナ(メキシコ)旅行記


メキシコのティフアナへの海外旅行は推奨が出来ない状態に至りました。メキシコのティファナにおいて複数の犯罪組織の対立によるものと見られる多くの殺人事件が発生してるばかりか窃盗・強盗等の犯罪も増加し、情勢は流動的です。
2017年(平成29年)にはメキシコの中で最も多くの殺人件数を記録したのも推奨が出来ない理由です。壁建設の影響か?

2.ドリアン長野のタイランド旅行記

タイランドについても危険な町が存在してるようなのでもしも、渡航されるなら熟慮の上で行ってください。平成29年の悲劇については記憶に新しいのではないでしょうか?




3.マレーシアについてもサバ州のように危険な町が存在してるのでもしも、渡航されるなら熟慮の上で行ってください。

ドリアン長野のほぼエッセイですがマレーシア旅行記


4.米国についても危険な町が存在してるのでもしも、渡航されるなら熟慮の上で行ってください。

ドリアン長野のニューヨーク旅行記


5.ミャンマーへの海外旅行は推奨が出来ない状態に至ってます。特にラカイン州マウンドー県への渡航中止勧告が発令されてます。特定の民族に対する迫害行為が今後、沈静化してもらいたいです。又、日本人旅行者が巻き込まれ被害にあわないないことを希望するばかりです。

ドリアン長野のミャンマー旅行記


6.中国の北京や上海そして香港はともかくとしてもやはり、危険地帯が存在してるのでもしも、旅行されるなら熟慮の上で行ってください。尖閣諸島は日本の領土です。新疆ウイグル自治区ばかりかチベット自治区では多数の死傷者が出る事案が発生しています。今後も不測の事態が発生する可能性がありますので引き続き注意が必要です。
ドリアン長野の北京旅行記

ドリアン長野の上海旅行記

ドリアン長野の香港旅行記
7.台湾に限ってはお気楽に旅行を楽しめるようです。ただ、ドリアン長野の台湾旅行記を読むと複雑な思いを抱かれるかもしれませんが台湾での治安回復運動が成功したやもしれません。現在は中台との間での紛争は沈静化してますが将来は不明です。

8.ドリアン長野のインド旅行記
インドへの旅行も地域によって大きく異なってきます。カシミールへの海外旅行は推奨が行えません。多くの人々がカシミール問題について論じてますね。西ベンガル州コルカタ、デリー、ウッタル・プラデーシュ州ベナレス等はカシミールから遠く離れてるとは言えどもインドだけが核兵器を保有してる訳ではございません。


9.ドリアン長野のカンボジア旅行記

プノンペンを中心に、犯罪が多く発生し日本人旅行者が巻き込まれる事案も発生してるそうです。与野党が激しく対立してることから平成30年7月に予定されている国政選挙で緊張が高まる可能性もあるそうです。

10.ドリアン長野のフィリピン旅行記 

平成28年6月にドゥテルテ大統領が就任しました。ミンダナオ和平推進,治安強化等の影響でドゥテルテ大統領は、ミンダナオ地域に戒厳令を発しましたので渡航中止勧告が発令してます。
ドリアン長野が赴いたのはマニラであって有名なセブではありませんが、フィリピン国内での争いも存在してるようです。

比セブ州知事が襲撃される、ドゥテルテ大統領が殺害を警告 @afpbbcomさんから

11.ドリアン長野のネパール旅行記

平成8年頃から激しい政争が発生してるらしくネパール国内において治安が悪い町が存在してるらしく不要不急の渡航は推奨されてません。又、平成30年五月なんですが水疱瘡が流行してるそうです。

12.ドリアン長野のベトナム旅行記

ベトナム国内は現在の所、平和に楽しめるようになってるようです。ベトナムは米軍に勝利したが、どこかの国のごとく昭和と平成は大違いのようです。

13.ドリアン長野の英国旅行記

イギリス国内は現在の所、平和に楽しめるようになってるようです。ただ、過去の前例が存在してるので常に最新情報に気を向けるようにしてください。最近は、70年代のようなIRAのテロは激減したようです。
しかしながら、2017年こと平成29年に発生したテロについて記憶に新しい人も多いやもしれません。
http://www.bbc.com/japanese/41284644

現在、危険とされてる国や地域に渡航するにしても(強制はしませんが)将来的に治安が回復してから海外旅行に行く決断を下されることを私は皆さんに提案します。又、日本にいながら悪質な詰問をインターネットを通じてやらかす最悪な人がいるので警戒してください。目的は、ゆすりだったのであろう。自由妨害をされることについては反発するようだが、他人に対して悪質な自由妨害をするのが好きな人は社会的な信用を失い友人達や支持者をたくさん失う。質問内容が悪いと誰が情報を得るかについては不明なことから、損害を作り出すことはあっても有益なことはないんです。

ひょっとしたら、海外旅行の最大の障害はどこかの国の大統領が利己主義的な決断から世界経済を混乱させてることなのかもしれない。

次点はゆすりを目的としたストーカー。「私が旅行してる時にあなたは愚かな質問をフェイスブックのタイムライン上で毎日書き込んでたが、もしも、犯罪者がその情報を参考に私に迷惑をかけたならば、あなたは責任を取ってくれるのですか?友達どうこうより、人間としての標準を疑いますので関わらんでもらいたい。」と言いたいです。前述した文面を否定する人は悪質な目的がある人物の可能性が考えられる。なぜなら、誰かに連絡をして利益を得ようとした悪人である恐れはある。

https://www.anzen.mofa.go.jp/

平成30年6月第一月曜日のご連絡(ヤフーブログ版)

管理人 マーキュリーマーク
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6月3日(日)のつぶやき
2018-06-04 | Weblog





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6月2日(土)のつぶやき
2018-06-03 | Weblog







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6月1日(金)のつぶやき
2018-06-02 | Weblog



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平成30年五月にフェイスブックで投稿された内容の転載
2018-06-01 | Weblog
画像順不同。



































「好物はフルーツサンドイッチ。海外では見かけず、日本に来て、初めて食べたんです。最初は食指が動かなかったんですが、食べてみたらおいしい。もともと果物が大好きなので、フルーツサンドには旬の果物が3つ以上、入っているのが望ましい。最後に味わうとしたら、やはりこれですね。」

日本文学研究家のロバートキャンベルさん
フルーツサンドは食べたことがなかったが食通のキャンベルさんのエッセイを読んで死ぬまでに一度くらいは食べてみようと思いたちネットで調べたらば近所にあった。

西大橋のミキフルーツカフェ。
ディーン様もご来店されたらしい。

フルーツサンドセット。
初めて食べたが、ああ、こんなに美味しいものだったのか。詠嘆。

ソフトクリームも濃厚で空気がたっぷり入っていて生涯で一番美味しかったそうです。
きみ、何歳やねん。

#ミキフルーツカフェ

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1682194391868123







季節はずれの雨ですね。昨日は快晴でした。西区のうつぼ公園は市内で一番美しい公園です。
こんなことを書くと他区の人から石を投げられそうですが、練馬に住んでいた吉沢やすみ先生(「ど根性カエル」の作者ですね)は、都内で一番の公園はどこだと思う?日比谷公園?あんなのはゴミ、ゴミ。一番は石神井公園だ!と言っていたのを思い出します。
暖かい日は近所の人が芝生で野掛け(ピクニック)をしたり、ワインを飲んだり、テントを張って擬似キャンプをしたり、昼寝をしたり、名前がわからない洋犬やイグアナを散歩させたりしています。時々はファッション雑誌の撮影があったりします。

朝ドラ「ごちそうさん」のために阿波座に住んでいた東出昌大が毎晩うつぼ公園をジョギングしてました。
バラも咲き乱れ、五月19日は無料コンサートがあります。お時間があればお出かけしてみてはいかがでしょう。
https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1683136161773946

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1685107391576823

方言

帰省して何十年振りかに「ゴイテ」という言葉を聞いた。ああ、懐かしい。頂戴、という意味だ。「ゴシテ」も同じ意味だが、二つの意味のニュアンスの違いはもはや自分にはわからない。
「ゴシナイ」というとやや丁重になる。

そこで思い出したのだが、確か武田鉄矢のエッセイだった。

博多に来たばかりの人がお店で「〇〇はありますか?」と訊ねる。

店の主人は「なかです」
その人、奥にあるのかと思い、入っていく。

「どこですか?」

「なかです」

その人、さらにずんずん奥に進む。

「どこにありますか?」

主人、怒気を露わにして、

「だから、なかです!」

大阪でも「まんまんちゃん」「モーモーさんして」とか、関西以外ではイミフな言葉がありますね。「気散じ」なんて言葉は死語です。

話はころっと変わるんですが、実家で半額セールをしたときに目つきが鋭い威勢のいいおばあさんがご来店、駄菓子を入れる小さいビニール袋をご所望されました。只者ではない感じです。聞くと地元では有名な駄菓子屋、岡本一銭屋のご主人だそうです。話には聞いてましたが、行ったことはありません。
お店にはテレビの取材で有名人がよく来るそうです。

「一応礼儀で色紙にサインはしてもらうけど、飾るヒマがないけん、積んで置いとるわ」

地元の人と少し言葉が違うような気がしたので聞いてみると芦屋出身だそうです。


よーたんぼ、にょばのこ、しょーからぼうず、たばこしていきない。笑

ドリアン長野 なつかしい〜
(((o(*゚▽゚*)o)))♡

ドリアン長野 ゆいちゃんは米子弁と神戸弁を使い分けるんだね!

『無かです』を『中です』と思った(笑)

ドリアン長野 そう、そうです。

「ゴイテ」は境港で良く聞きます。
「ゴシテ」は米子かな?

ドリアン長野 あ、なるほど!
ゴイテと言った人は境港出身でした。

もっと丁寧になると「ゴシナランカ」となります。

境港では「ゴッサイ」「ゴッサンセ」となります(^^)

ドリアン長野 わー、タイムスリップだー

ドリアン長野 その言い方は知りませんでした。鹿児島弁みたいですね。

モーモーって関西弁だったんですね!
普通にどこでも通じる赤ちゃん言葉だと思ってました。
小さいころ座薬入れるときとかに、モーモーしてって言われてた記憶が(笑)
(祖母、母は京都出身)

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1684905758263653



売れ残った150個のプラモデルを7月21日の戸板市で出店する予定です。
目玉は父の作りかけ、若しくはパーツが紛失した未完成品をある高名なモデラーに修復してもらい、完成品として売り出します。
詳細はまた後ほど。
https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1683876541699908









空手をジャージとトランクスでやるというのは考えられません。空手家にとって空手着というのは神聖な道着であり、空手家であれば空手着に袖を通したら、気持ちが変わるというのが普通の感覚です。
冠婚葬祭に普段着で出席しないことと似ています。

極真館の女子世界大会において41歳で王者になった山本ゆき先生のブログから

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1687948864626009

https://ameblo.jp/mikenekomannma/entry-12207884528.html

このブログは今まで何回も読み返しました。
昨日も読んでいるうちに気持ちが高揚してきてアップさせていただきました、押忍!



https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1687948864626009?comment_id=1688143284606567&reply_comment_id=1688343721253190&comment_tracking=%7B%22tn%22%3A%22R1%22%7D

脚本家 竹山洋(3):日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO29519450Y8A410C1BE0P00/   染みる

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1689736767780552&set=a.104659426288302.14811.100002327340613&type=3&theater


父親と息子の関係。
自分にも思い当たる。
長男である私に厳しかった父。厳格というイメージしかなかったが、最近、父と親しかった人たちの話を聞いた。社交的で慕われていたという一面を知り、驚いた。

「人間にとって一番大切なのは優しさです。それ以上に大切なものはないですよ」

という言葉は、あの名作「七帝柔道記」の著者だからこそ心に響いてくる。

嗜好と文化「私のポリシー」:第85回 増田俊也さん「全力を出し尽くせば見えてくるものがある」 - 毎日新聞 https://mainichi.jp/sp/shikou/85/01.html



3年前靱公園

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1692621180825444



もうあれから3年か〜

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1692621180825444?comment_id=1692782350809327&reply_comment_id=1692945884126307&comment_tracking=%7B%22tn%22%3A%22R0%22%7D

「女だから

母親だから
主婦だから

もう歳だから

仕事があるから
試験があるから

怪我をしたから

批判されたから
非難されたから

周りから「やめろ」と言われたから

こんなすべてを
「やめる理由」にしなかった」

そしてブログにはこんな言葉があります。

「なぜ戦うのか。

それは、なぜ山に登るのか、という問いに、なぜ深い海に潜るのか、なぜ宇宙に行きたいのか、という問いに似てると思います。

時間も動きも、個人のパーソナリティさえ制約された没個性の世界で自分は現実世界では到底出会う事の無い究極の自由を得る事が出来る。

そう、完全なる自由。

私が何者であるか、私が女である事も、高校がどこで、大学がどこで、誰と結婚し、どこで生まれ、どんな性格であるかも、全てが白紙。

そこにあるのは、ただこの日のためにどんな稽古をし、どう空手と向き合ったかという事実に裏付けられた技術を携えた1人の人格さえも白紙の1人の人間なのです。」と。

押忍

「人生を闘い抜く!」制作ストーリー(1)|講師道錬成道場 雙志館書店 https://soushikan.thebase.in/blog/2018/05/23/093157 #BASEec @BASEecさんから


「憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず」平成29年五月 https://blog.goo.ne.jp/durian-nagano/e/919560b6b4463242d1f0f6b29d3717ed @duriannaganoさんから

PILは厚生年金会館(現オリックス劇場)で二回観た(コンサートの感想を投稿したら音楽雑誌に掲載された)。
後年再結成したセックスピストルズはIMPホールで観た。その時はなぜか冷めていて熱狂するファンを冷ややかに眺めていた。
田舎になかったので広島から取り寄せてもらった1st、京都四条烏丸の「十字屋」まで行って手に入れた2nd。そこまでが自分のピークでした。
https://www.creativeman.co.jp/event/pil/
(音楽方面のお話ですが、購入したお話が含まれてるので例外的に転載することにしました 管理人 マーキュリーマーク)

「ひなちゃんの日常」 まさに最近の世相ですね

http://amzn.asia/9i1LqYe

国土交通省とやきとり松良の対立が決定的に #ボケて https://bokete.jp/boke/24486989

営業妨害 (歩行者への連絡と運転者への連絡は違う時があるようです 管理人 マーキュリーマーク)
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1692546610832901&set=a.104659426288302.14811.100002327340613&type=3&theater



アメフト問題で思い出しました。 https://www.lds.org/youth/article/honesty-and-integrity?lang=jpn&cid=twitter-shared



#京都水族館 https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1695780667176162 







































京都は久しぶりだなあ https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1695881520499410



京都水族館。イルカショーの背後には広大な梅小路公園に新幹線が走る。
ショーの前に一人づつストローを加工したイルカ笛が手渡され、音を出す練習をしているところ。
水族館内には水遊びできる場所も。
なかなか考えてます。
京の里山エリア。
こんなビオトープを見ると、懐かしい気持ちになります。
小さいときにフナやドジョウやタガメやゲンゴロウやアメリカザリガニなどを川や田んぼで捕まえました。
田舎といえば断然夏です。
東屋には鯉が。
オオサンショウウオのぬいぐるみと戯れる。
10万部突破のベストセラー、「ゆかいな いきもの図鑑」いつものお約束。
東京生まれの作家、山口瞳は「京都に田舎あり、などと言うが、京都は田舎なり、というのが私の持論である。花見小路なんて地名は気取っていてゲロが出る」
なんてぬかし、言ってましたが、京都は都会の中に田舎があるからこそ趣があります。京都駅から20分歩いただけでも歴史を感じさせる民家が点在するので、興奮しきりです。
京は黄昏
梅小路公園でおちゃらける。
新撰組、幻の屯所。
人がたむろしていましたが、ポケモンらしい。
修行中の僧。一体誰に似たのか…

(管理人マーキュリーマークからの伝言 島根コンプレックスとシネマコンプレックス?)

島根県出身で黒澤明ファンのSさんが、

「昔は立ち見席もあった映画館で何回も同じ映画を観たもんやが、今は入れ替え制のシネマコンプレックスやからなあ」

と言ったら、何を勘違いしたのか途中で部屋に入ってきたNが

「Sさん、島根には世界的なテニスプレイヤーの錦織君とか江角マキコだってそうじゃないですか。自信持っていいじゃないですか!」

と爽やかに言い放った件について。

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1697915450296017




大学は英文科だった。当然ながら、英文科というものは英語を教える(1、2回生のときはコミュニケーションクラスなどがあった)のではなく、英文学を学ぶものなので自分は瞬く間に興味を失った。そこで履修のときに単位に関係のない授業を多くとったり、他の学部に潜り込んで講義を聴いた。文化人類学、民族学、教育学など面白かった。
その時に記憶に残っているのが、国文学科で作家の梁石日(ヤンソギル)をゲストに呼んだ授業。彼は生野区猪飼野生まれの在日朝鮮人でタクシードライバーを10年間していたが、二度の交通事故で引退した。
新宿の酒場でエピソードを喋っていたら、たまたま居合わせた雑誌編集者に勧められて書いたのが「タクシー狂躁曲」。これは後に岸谷五郎主演、「月はどっちに出ている」というタイトルで映画化されている。

質疑応答の時間になった。一人の学生が
「なぜタクシードライバーは差別されるんですか」という質問に梁石日は少し困惑したような表情で、

「まあ、昔からそういうふうになってます」と答えた。

もう一人印象に残っているのが宗教学の泰斗である植島啓司先生。
授業には必ず遅れて来て、しかも30分ほどで講義が終わってしまう。
ニューヨークにいたときの話をして、

「パンクロックの全盛期でしてね、ラモーンズとかパティスミスとか知ってます?みなさん。是非聴いてみて下さい」

興味のある授業は片っ端から出て、谷沢永一を模範として図書館でよく本を借りた。単位は落としたけど、授業料の元は充分取ったと思う。

作家の増田俊也のように柔道をやるために北大に進学し、七帝戦が終わると中退した人もいます。本来なら大学とは勉強したい分野ややりたいことがあるために進学するのが本当ですよね。



あ、間違えた

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1700211776733051&set=a.104659426288302.14811.100002327340613&type=3&theater

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#97

2024-04-28 | 日記
5月7日(月)のつぶやき
2018-05-08 | Weblog


Someone posted this photo of a bird in her nest protecting her eggs and allowing them time to hatch and grow.

In… twitter.com/i/web/status/9…

— LDS Mormon (@LDSMormon) 2018年5月7日 - 00:17







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昭和レトロなお店がまた消えた 平成30年5月









2018-05-07 | Weblog
http://www.temomi-j.com/blog/

長野紙店で何十年と使っていた引き出し

誰の落書きなのか。
感慨深い。

残ったプラモデルはあとわずか…。
皆様に長年ご愛顧いただき、心より感謝いたします。ありがとうございました。

店の奥にあったお宝を発掘しました。
これは「まんだらけ」ですね。

最後のランチは「パッセジャータ」で。
境港の銀鮭とバジルのクリームパスタ。

https://www.facebook.com/passeggiata

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1677372912350271



長い間ご苦労様でした!! 時代の変化はあってもその時代に生きた思い出だけはずっと心に残ったままです。

ドリアン長野
ありがとうございます。正に名言だと思いました。

閉店セールお疲れさまでした。昨日は仕事で行けませんでしたが大分スッキリしましたね。お店が無くなるのは寂しいですが、いい経験されたのではないでしょうか。お宝いっぱい見つかりましたね~いつか長野さんがお宝鑑定団に出られるの楽しみにしてます。草臥れ出されませんよう、また家族皆様のご健勝をお祈りしてます。長野紙店の思い出は忘れる事ないと思います、ありがとうございました。

ドリアン長野
店が無くなることは寂しいですが、皆様の思い出に残っていただければ嬉しい限りです。ありがとうございます。

閉店セールお疲れさまでした!

ドリアン長野
ご来店ありがとうございました。

お疲れ様でした。
おじさん、おばさんに宜しくお伝えください。m(_ _)m

ドリアン長野
ありがとうございます。父の思い出、一生の宝物です。

お疲れ様でした
また会える日を楽しみにしています

ドリアン長野
ありがとうございます。お話しできて楽しかったです。

お疲れっした。

ドリアン長野
逆に皆様から元気をいただきました。

お疲れさまでした。ひとつの時代が終わったという感じです。

ドリアン長野
ありがとうございます。
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ご連絡 平成30年五月第一月曜日
2018-05-07 | Weblog

本日は月曜なのでドリアン長野について語りたい。

http://twilog.org/duriannagano

宣教師さん達はドリアン長野の娘に対して暖かく接しておられたようです。中には公共の敵予備軍のような悪い子供が宣教師に迷惑をかけ心を痛めます。保護者は何もしないばかりか逆上するのでさらに辛い思いをしたことがありました。子供が悪いことをしても謝罪しない親がいて閉口することがございます。

幼い娘さんにとっても鳥取県米子市に赴いて長野紙店の閉店セールを手伝ったことは良き経験になったに違いありません。

国立。「くにたち。」と「こくりつ。」の区別は難しいとは言えども、読み間違いも否定的ですが漢字変換ソフトの不具合や外道な間違いについても嫌悪し激怒しそうになることは多くございます。

野良猫が小型車の駐車場に寝そべってるのは、楽しめますね。

フェイスブック上でドリアン長野は友人達と連絡しあってました。やはり、私のように行きたくても行けなかった人は多かったようです。過去に何度も出会った私の大叔母さんが今月、死去し御通夜に参加したのは大きな心痛です。話は前後するようですが、私とドリアン長野は今月の某日、再会しました。その時に、私は「米子市には行けない。」と伝えました。詳細は語らないが察してください。

結局の所、今月の三日、四日、五日だけでなく昨日も閉店セールをしたのはやむを得なかったばかりか午後11時半を過ぎてから夕食を食べることになったそうです。

多少、論外なジョークも掲載されてましたね。医者から「患者さん、はれてますね。雨ではないけど。」と言われるようなものか?

今年の三月に廃業の知らせが行われ、先月にも閉店セールが行われたばかりか今月も開催されました。

皆様、良いゴールデンウィークを過ごされましたか?ドリアン長野は過去に何度もゴールデンウィークに海外旅行されてました。
先月よりは少ないとは言えども、今月は半ば超法規的に何度も投稿しました。従いまして、gooブログばかりかyahooブログを閲覧された方々はそれなりに多かったです。(下記参照)ドリアン長野は、フェイスブックに注力してるのでブログやツイッターについては全く興味がないようで半ば私の趣味で行ってます。趣味の範疇であるにも関わらず、第三者から過大な要求をされたら私並びにドリアン長野は否定します。本日は五月第一月曜日ですが、今月の投稿は本日のみで終えさせてもらいたい。明日以降の投稿は、来月に行う予定です。(gooブログの自動投稿は除外します)
管理人 マーキュリーマーク


























日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2018.05.06(日) 633 PV 178 IP 7331 位 / 2821473ブログ
2018.05.05(土) 957 PV 275 IP 3024 位 / 2821329ブログ
2018.05.04(金) 559 PV 176 IP 7466 位 / 2821238ブログ
2018.05.03(木) 519 PV 183 IP 7559 位 / 2821087ブログ
2018.05.02(水) 438 PV 186 IP 8298 位 / 2820921ブログ
2018.05.01(火) 646 PV 205 IP 7337 位 / 2820748ブログ
2018.04.30(月) 567 PV 183 IP 7727 位 / 2820597ブログ
2018.04.29(日) 545 PV 200 IP 6672 位 / 2820465ブログ
過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)
日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2018.04.29 〜 2018.05.05 4231 PV 1408 IP 6455 位 / 2821329ブログ
2018.04.22 〜 2018.04.28 2616 PV 1114 IP 10612 位 / 2820339ブログ
2018.04.15 〜 2018.04.21 3739 PV 1212 IP 10692 位 / 2819259ブログ

上記がgooブログで下記がyahooブログ。

年月日 PV
18年4月6日(金) 12
18年4月7日(土) 60
18年4月8日(日) 21
18年4月9日(月) 65
18年4月10日(火) 62
18年4月11日(水) 64
18年4月12日(木) 25
18年4月13日(金) 88
18年4月14日(土) 94
18年4月15日(日) 30
18年4月16日(月) 93
18年4月17日(火) 74
18年4月18日(水) 33
18年4月19日(木) 49
18年4月20日(金) 42
18年4月21日(土) 39
18年4月22日(日) 73
18年4月23日(月) 105
18年4月24日(火) 62
18年4月25日(水) 26
18年4月26日(木) 27
18年4月27日(金) 14
18年4月28日(土) 16
18年4月29日(日) 170
18年4月30日(月) 116
18年5月1日(火) 70
18年5月2日(水) 161
18年5月3日(木) 119
18年5月4日(金) 119
18年5月5日(土) 173

年月日 訪問者数
18年4月6日(金) 7
18年4月7日(土) 15
18年4月8日(日) 12
18年4月9日(月) 16
18年4月10日(火) 19
18年4月11日(水) 23
18年4月12日(木) 19
18年4月13日(金) 14
18年4月14日(土) 39
18年4月15日(日) 17
18年4月16日(月) 28
18年4月17日(火) 27
18年4月18日(水) 17
18年4月19日(木) 35
18年4月20日(金) 15
18年4月21日(土) 13
18年4月22日(日) 19
18年4月23日(月) 21
18年4月24日(火) 25
18年4月25日(水) 8
18年4月26日(木) 7
18年4月27日(金) 11
18年4月28日(土) 7
18年4月29日(日) 17
18年4月30日(月) 19
18年5月1日(火) 16
18年5月2日(水) 30
18年5月3日(木) 30
18年5月4日(金) 23
18年5月5日(土) 30
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5月6日(日)のつぶやき
2018-05-07 | Weblog

思いやりや親切によって、喜びを分け与えることによって、ほほえみを投げかけることによって、ささいなことをとおしてでも愛をあらわすことができます。

— マザー・テレサ (@MotherTeresabot) 2018年4月19日 - 17:02






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先生… 平成30年五月
2018-05-06 | Weblog
https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1676290189125210

先生…

その①

「先生、最近なんだかやる気が出てきて、自殺願望もすっかりなくなって、あんなに嫌だった会社にも行きたくて仕方がないんですよ。ああ〜、なんか人生バラ色だなあ」

「そうなんですか」

「躁なんですよ」

「そうなんですね」

「躁だと思います」

「お薬出しときましょう」

その②

「先生、僕は何の取り柄もなくて魅力もない人間なんで、みんな僕の話を聞こうともしないんですよ。どうしたらいいんでしょうか?……先生?」

「えっと…。何の話でしたか?」

その③

「先生、最近眠くて眠くて。大学の講義中もすぐ眠ってしまうんですよ」
「何か激しい運動でもされてますか?」
「はい、水泳部なんですが一日五時間くらい練習してます」
「それは眠くなるのも無理はないですね。でもなんでまた五時間も?」
「ライバルにうまいやつがいて。絶対に負けたくないんです」
「なるほど、スイマーとの戦いですね」
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5月5日(土)のつぶやき
2018-05-06 | Weblog





















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明日五月六日の9時から1時まで閉店セールエクストラとして開店いたします 平成30年五月五日
2018-05-05 | Weblog

長野紙店 〒683-0061 鳥取県米子市四日市町85

今日も長野紙店に多くのお客様にご来店いただきまして、誠にありがとうございました。
5時の閉店時間を過ぎても熱心なお客様が続々とひっきりなしに来られて、あと半日でもいいのでオープンしていただけないかと懇願されました。
ありがたいことです。
というわけで、明日9時から1時まで閉店セールエクストラとして開店いたします。
これが本当の最後です(多分)。
米子の皆様、愛してま〜す❗️

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1675707685850127&set=a.104659426288302.14811.100002327340613&type=3&theater


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米子市四日市町長野紙店の全品半額閉店セールは5月5日10時から5時迄
2018-05-05 | Weblog
長野紙店 〒683-0061 鳥取県米子市四日市町85

米子市四日市町長野紙店の全品半額閉店セールは5月5日10時から5時迄

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5月4日(金)のつぶやき
2018-05-05 | Weblog






神の前では私たちは皆貧しい者です。私たちは皆、何らかの障害を持っていると言えます。それが外から見える場合もあり、見えない内部の障害の場合もあるのです。

— マザー・テレサ (@MotherTeresabot) 2018年5月4日 - 11:02


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レジ 平成30年5月
2018-05-04 | Weblog

このレジはいったん閉めたら二度と開かないというスリリングなレジです。(^^;;

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1673673519386877&set=a.104659426288302.14811.100002327340613&type=3&comment_id=1674120406008855&reply_comment_id=1674258115995084&comment_tracking=%7B%22tn%22%3A%22R0%22%7D
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ドリアン長野と友人達 平成30年5月
2018-05-04 | Weblog

ドリアンのご実家ですね(*^▽^)/☆♪ 楽しそう♪☆♪☆

ドリアン長野 はい〜

ありゃ!行きたい!
どちらですか?

ドリアン長野
鳥取県米子市です。来てください。

米子か!一大決心が要りますね。
ああ、僕も88が欲しい!

ドリアン長野
あの〜88というのは何でしょう?

88mm砲です

ドリアン長野
売るほどあります

それ、いっそお店できるんちゃいます?

ドリアン長野
半額なら来てくれるんですが…


米子まではよー行かん(つд`)

ドリアン長野
俺も男だ、交通費を出そう、西明石まで。

遠いわ
着払い代引きでいいから安土城(カラー、ボンドもセットで)送って欲しいわ(つд`)


米子市四日市町長野紙店の閉店セールを5月3日4日5日の三日間10時から5時まで行います。
長野紙店
所在地: 〒683-0061 鳥取県米子市四日市町85 https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1673674622720100
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5月3日(木)のつぶやき
2018-05-04 | Weblog


ご受難の時イエス様は私たちに、愛をもってどのようにゆるすことができるのか、謙遜をもってどのように忘れることができるのか、ということを教えてくださいました。

— マザー・テレサ (@MotherTeresabot) 2018年5月2日 - 23:02















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宝の山 平成30年5月
2018-05-03 | Weblog







朝からご来店のお客様ありがとうございますます

店番と掃除

ハーレーダビッドソンでご来店いただきました。

店の奥からダンボールを引き出してみると、レア物らしきものが

まだまだダンボールから続々と出てきます。
セールは5日までですよー。

父が心血を注いで作った完成品も売出し中です。
父のいい供養になればと思います(まだ生きてます)。
https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1673674622720100

長野会です(嘘)








長野紙店
所在地: 〒683-0061 鳥取県米子市四日市町85
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Tくんの話… 平成30年五月
2018-05-03 | Weblog
Tくんの話…
高菜を「こうさい」というのはまだ分かるが、最中(お菓子)を「さいちゅう」というのはあんまりだと思う。

買い物している最中(もなか)に、○○さんに会った。話している最中(もなか)に急に最中(さいちゅう)が食べたくなった。

「この「さいちゅう」ください。」とたまに言われますが、スルーしています。

月極もそうですよね。

あ、人のこと笑えない私(笑)

僕も子供の頃「何故モナカの箱にはサイチュウと書いてあるのだろう?」という疑問を抱いていました。

ドリアン長野 中島らもの本の中に、友人が中華料理屋で、カタ焼そばを「ちからゆうやけそばください!」と言った話がありました。

にちじょうちゃめしごと

月極駐車場は「げっきょく」グループの全国チェーンだと思ってました。

ドリアン長野 台風のため飛行機はけっこうですと聞いて、なんで決行なのに飛ばないんだ、と思ってました。
「サメこ二人前!」 中華料理屋で、友人が。事実です。

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1673362259418003
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小型か…? 平成30年五月
2018-05-03 | Weblog





https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1672302309523998&set=a.104659426288302.14811.100002327340613&type=3&theater
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5月2日(水)のつぶやき
2018-05-03 | Weblog







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5月1日(火)のつぶやき
2018-05-02 | Weblog





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明日から長野紙店は閉店セール
2018-05-02 | Weblog

長野紙店
所在地: 〒683-0061 鳥取県米子市四日市町85

米子市四日市町長野紙店の閉店セールを5月3日4日5日の三日間10時から5時まで行います。
プラモデル、ゲームボード、文具、硯、筆等も全品半額です。
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2018年五月三日、四日、五日に米子市の長野紙店で閉店セール
2018-05-01 | Weblog








長野紙店
所在地: 〒683-0061 鳥取県米子市四日市町85
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4月30日(月)のつぶやき
2018-05-01 | Weblog

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#96

2024-04-27 | 日記
4月29日(日)のつぶやき
2018-04-30 | Weblog






ちょっと考えてみましょう。独りぼっちの人に、あなたが向ける小さなほほえみ、目の不自由な人が道を渡る時あなたが差し出す手、おなかのすいている人のために、あなたがちょっと我慢して差し出した食べ物。これらはみんな、あなたがイエス様にしているのです。

— マザー・テレサ (@MotherTeresabot) 2018年4月29日 - 11:02





ある施設を訪ねた時のことを忘れることができません。そこは息子や娘が自分の年老いた両親を入居させ、おそらくは思い出しもしない、そんな所でした。そこにいるお年寄りはなんでも持っていました。おいしい食事、快適な場所、テレビ、なんでもです。けれどみんな一様にドアの方を見つめているのです。

— マザー・テレサ (@MotherTeresabot) 2018年4月29日 - 23:02




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ご連絡 平成30年4月最終日曜日
2018-04-30 | Weblog




本日は月曜日なのでドリアン長野について語りたい。https://twilog.org/duriannagano

ドリアン長野の娘さんは順調に育ってるようで喜ばしいです。この状況を作るためにドリアン長野は日夜、重労働に耐えておられます。幸福な家庭がこれからも継続してもらいたいです。音楽方面だけの投稿並びに、飲食店の紹介のみの投稿の転載につきましては今月で終えさせてもらいます。多くの人々が良識を持って生活してます。地下鉄の中においても善人がいるから日本が成立してるのを感じます。宣教師達ともドリアン長野は仲良くやってます。世の中には常識や標準を疑いたくなる人がいて関わっても損をすることがあっても得をしない人がいて嘆かわしくもなります。実際には厳しいですが、キリスト教が人生の改善になることを希望するばかりです。
ご連絡
今月は頻繁に投稿しました。先月より投稿回数は削減したが投稿しない日より投稿した日の方が多くなったのは仕方なかったです。(*1)
長野紙店の閉店はやむを得なかったようです。五月一日は今回の投稿のつぶやきがgooブログでは自動投稿されます。五月二日は五月の三日以降の大型連休に行われる長野紙店についての連絡をする予定です。五月三日、四日、五日、六日には推奨したいホームページの紹介と(確実に行われるハズですが)ドリアン長野が長野紙店についての投稿の転載を同日に行う予定です。来月七日も何らかの連絡をしてそれが翌日にgooブログでは紹介されます。ある程度の余裕を考えると八日頃迄は頻繁に投稿する予定になる見込みです。
管理人 マーキュリーマーク

*1 平成30年4月、yahooブログに限っては投稿した日が16日間で、gooブログに限っては投稿しなかった日が七日間でした。

追伸
gooブログ上に限っては、昨日の昭和の日に推奨したいホームページをつぶやいたので本日、自動投稿されました。
https://blog.goo.ne.jp/durian-nagano/e/8a117fa3add8816963957a3cc909cae0
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宣教師達 平成30年4月
2018-04-29 | Weblog

5月にDewey長老とSavage姉妹はアメリカの米国に帰米します。
またいつか日本に来日してね❤️ https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1669775756443320&set=a.104659426288302.14811.100002327340613&type=3&theater

(娘が)可愛がってもらったので寂しそうです。(>_<)

付加
アメリカの米国という表現は重言ですね。
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地下鉄 平成30年4月
2018-04-29 | Weblog
昨日初めて地下鉄で席を譲られた。子どもを抱っこしていたからだろう。そんな時はありがたく席を譲ってもらう。
まだそんな歳じゃない!とか切れるのは言語道断。せっかく勇気を出した女性は次に席を譲るときは躊躇するだろう。ジジイの小さなプライドなんかどうでもいい。あなたのためじゃない、善意が広がっていくためだ。
そうですよね。自分を年寄り扱いするな!よりも譲っていただいた人の気持ちをがありがたく、大事にしたいです。
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4月28日(土)のつぶやき
2018-04-29 | Weblog



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4月26日(木)のつぶやき
2018-04-27 | Weblog




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Full Song Tim Armstrong and Green Day Playing Knowledge and Radio at The House of Blues Cleveland O
2018-04-26 | Weblog
Full Song Tim Armstrong and Green Day Playing Knowledge and Radio at The House of Blues Cleveland O


ランシドの!
https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1664789873608575?comment_id=1665858443501718&reply_comment_id=1665900773497485&comment_tracking=%7B%22tn%22%3A%22R0%22%7D
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4月24日(火)のつぶやき
2018-04-25 | Weblog








愛すること、希望することをどのように始めましょうか?一緒に祈る家族はいつも一緒にいます。そしていつも一緒にいれば、自然とお互いに愛し合い必要とし合うようになります。今日、祈りを生活に取り戻す必要があると私は感じています。あなたのお子さんに、祈りを教えてあげてください。

— マザー・テレサ (@MotherTeresabot) 2018年4月24日 - 23:02
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僕が高校生の時にセックスピストルズが現れた 平成30年四月
2018-04-24 | Weblog
Sex Pistols - Holidays In The Sun


坂本龍一は14歳のときにドビュッシーを聴いて衝撃を受け、自分はドビュッシーの生まれ変わりじゃないかと思ったそうだ。つまり一番影響を受けたのでがドビュッシーだった。
この話を聞いたとき、その気持ちが痛いほどわかった。僕が高校生の時にセックスピストルズが現れた。当時渋谷陽一がNHKのラジオ番組のDJをしていて、ピストルズ特集をかけた。BBCで放送禁止になったのでNHK内でかなり反対はあったのだが、渋谷陽一はその反対を押し切った。「ロックは時代そのものだ。その時代のロックをかけないのなら、ロックに何の意味がある?」
僕はラジカセにテープをスタンバイして番組を待った。
一曲目の「さらばベルリンの陽」を聴いたときの衝撃は初めてビートルズを聴いた人の衝撃と遜色はないだろう。
後年U2のボノが語っている。

「パンクは動脈硬化を起こして隘路にはまっている従来のロックを吹き飛ばしたんだ。まるでエクソシストだ、悪魔払いだったんだよ!」

17歳だった僕は毎日憑かれたようにカセットテープのピストルズを聴いた。聴かなければ眠れなかった。それから労働者階級とは何か、ロシア革命とは?トロツキーやレーニン、ドフトエフスキーやニーチェやランボー、三島由紀夫、二二六事件の青年将校の手記、バタイユなどを濫読した。
坂本龍一にとってのドビュッシーが僕にとってはジョニーロットンだったのだ。














https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1664788970275332&set=a.104659426288302.14811.100002327340613&type=3&theater


原題は「太陽の下でのバカンス」ですが、それを「さらばベルリンの陽」とは、直感的に訳したんでしょうかね。https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1664789873608575?comment_id=1665385400215689&reply_comment_id=1665798893507673&comment_tracking=%7B%22tn%22%3A%22R0%22%7D
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4月23日(月)のつぶやき
2018-04-24 | Weblog







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来月行われる閉店セールについての告知 平成30年4月
2018-04-23 | Weblog
米子市四日市町長野紙店の閉店セールを5月3日4日5日の三日間10時から5時まで行います。
プラモデル、ゲームボード、文具、硯、筆等も全品半額です。春の陽気に誘われて「イオン」に遊びに行かれるのもいいでしょうが、長野紙店で昭和レトロな時間をお過ごしになられるのもご一興かと思われます。
例えば安室奈美恵の引退直前の武道館公演みたいなものでしょうか。この最後の機会を逃したら死んでも死にきれないでしょう。逆に言えば、この最後の瞬間に立ち会えることができれば、みまかる前に「おじいちゃん(おばあちゃん)はあの歴史的な瞬間にいたんじゃ」と臨終の言葉を残し、子々孫々まで伝説となって、語り継がれることでしょう。

皆様のご来店を心よりお待ち申し上げます。

店主軽薄
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1662627337158162&set=a.104659426288302.14811.100002327340613&type=3&theater
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4月22日(日)のつぶやき
2018-04-23 | Weblog


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ご連絡 平成30年4月第四月曜日
2018-04-23 | Weblog
ご連絡
半ば余談かもしれませんが国旗の画像をgooブログ上の海外旅行記に付加いたしました。gooブログはフェイスブックの埋め込み投稿に対応してますがyahooブログは対応してません。重言と思わないでもらいたいがgooブログでは先月26日にメンテナンスが行われたばかりか今月25日にもメンテナンスが実施される予定でその影響から閲覧が難しくなりそうですので良ければyahooブログをご閲覧下さい。今月はすでに何度も転載しましたが来月の転載も多めに行う予定です。理由は長野紙店が閉店する事についてドリアン長野が投稿したら転載をする予定だからです。今月、行われたプレクロージングセールには多くの人が訪れたそうです。
多数のご来店誠にありがとうございました 平成30年4月


gooブログ上とyahooブログ上では転載の内容等で差異が発生するのは不可避です。やむを得ず、メンテナンス等でブログの閲覧が行えない日は今後も有り得ますので片方で閲覧が不可能な場合はもう片方のブログを閲覧してください。そういった方面の連絡は今回のみとするつもりです。長野紙店(米子市)を閉店するのは苦渋の決断であったと思います。この点は健全な理解を求めますが私は転載によって多くの人々に伝達する事は行えても皆様に購入の強要は行えません。フェイスブックを通じて長野紙店が閉店する事を知った後で赴いた人はおられたようです。私は熟慮の結果、居住地から遠い事から訪問は不可能と考え鳥取県には行きませんでした。 
ドリアン長野がフェイスブック上で行った飲食店だけの紹介の転載は今月をもって終えさせてもらいます。
管理人 マーキュリーマーク
PVとはページビューの略称です。

以下は、gooブログ。
過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)
日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2018.04.15 〜 2018.04.21 3739 PV 1212 IP 10692 位 / 2819259ブログ
2018.04.08 〜 2018.04.14 2855 PV 1108 IP 10671 位 / 2818196ブログ
2018.04.01 〜 2018.04.07 2622 PV 958 IP 12146 位 / 2817117ブログ

以下は、yahooブログ。

年月日 PV
18年3月23日(金) 77
18年3月24日(土) 16
18年3月25日(日) 73
18年3月26日(月) 82
18年3月27日(火) 29
18年3月28日(水) 14
18年3月29日(木) 5
18年3月30日(金) 72
18年3月31日(土) 155
18年4月1日(日) 120
18年4月2日(月) 77
18年4月3日(火) 6
18年4月4日(水) 16
18年4月5日(木) 35
18年4月6日(金) 12
18年4月7日(土) 60
18年4月8日(日) 21
18年4月9日(月) 65
18年4月10日(火) 62
18年4月11日(水) 64
18年4月12日(木) 25
18年4月13日(金) 88
18年4月14日(土) 94
18年4月15日(日) 30
18年4月16日(月) 93
18年4月17日(火) 74
18年4月18日(水) 33
18年4月19日(木) 49
18年4月20日(金) 42

年月日 訪問者数
18年3月23日(金) 11
18年3月24日(土) 11
18年3月25日(日) 17
18年3月26日(月) 20
18年3月27日(火) 12
18年3月28日(水) 12
18年3月29日(木) 4
18年3月30日(金) 15
18年3月31日(土) 12
18年4月1日(日) 13
18年4月2日(月) 15
18年4月3日(火) 5
18年4月4日(水) 11
18年4月5日(木) 12
18年4月6日(金) 7
18年4月7日(土) 15
18年4月8日(日) 12
18年4月9日(月) 16
18年4月10日(火) 19
18年4月11日(水) 23
18年4月12日(木) 19
18年4月13日(金) 14
18年4月14日(土) 39
18年4月15日(日) 17
18年4月16日(月) 28
18年4月17日(火) 27
18年4月18日(水) 17
18年4月19日(木) 35
18年4月20日(金) 15


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「ぱの家」 平成30年4月
2018-04-22 | Weblog

近所のセブンイレブン跡に気になるパスタ屋さんができたので初めて行って来ました。

中央大通りとなにわ筋の交差点近くです。

チェーン店かと思っていたら、全国でここが初店舗でした。

革新的?

確かに安いです。

ツナのトマトパスタ大盛り、590円。
ちゃんとデュラムセモリナの乾麺を茹でています。

支払いはユニークで、レシートに記載されているQRコードを機械に読み取らせてお金を投入します。しらばっくれてそのまま出て行く客がいるんじゃないかと心配になりますが。
調理師が一人、オーダーを聞き、お皿を片付ける人が一人。極限まで人件費を削っているのでこの値段で提供できるのですね。
http://panoya.jp/ https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1661950793892483
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管理人マーキュリーマークからの伝言
ぱの家さんは閉店してます。
4月21日(土)のつぶやき
2018-04-22 | Weblog

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#95

2024-04-27 | 日記
スタジオキャラット心斎橋 平成30年4月
2018-04-21 | Weblog



https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1660659947354901&set=a.104659426288302.14811.100002327340613&type=3&theater

今度表参道をウロウロしようと思います(〃ω〃)
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4月17日(火)のつぶやき
2018-04-18 | Weblog


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4月16日(月)のつぶやき
2018-04-17 | Weblog






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ドリアン長野の鳥取旅行記 平成30年4月
2018-04-17 | Weblog
http://ajiya-group.net/






























太陽軒のラーメン
うまし

味のある乾物屋さん

味のある川べりの民家

オサレな居酒屋

路地の奥に猫

自動販売機に喜八監督

翌朝、雨が降っていましたが思い切って10キロランに出発しました。
今井書店は昨夜行った太陽軒の前にオープンしました。カフェが入ったり、雑貨を売ったりと、今風の書店になっています。

加茂川と雨と桜と白壁や

中海です

僕はカトリック教会が運営するマリア幼稚園に入りました。絵本は聖書を題材にしていました。
親父が「おまえは長男だから無理してマリア園に入れたんや」と言ってたのを覚えています。
先生に言うのが恥ずかしくて、ウン○を漏らしたのも覚えています。

ひと気のない商店街を走る。
人がいないので走りやすいですね(泣)
https://www.facebook.com/passeggiata/
イタリアンレストラン「パッセジャータ 」で父のお別れランチ。
10人集まりましたが、いとこに会うのは実に40年振りです。
会食後、「支払いはカードで」と出したスーパーのポイントカード。
「すみませんが現金のみです」
ギャグは地滑りでした。

駅前の「旬門」で生まれて初めて食べた「ノドグロ」(ここんところゴチック体で読んでください)。
注文する時に心なしか声が震えました。
「あ、あの、テニスの錦織くんも大好物の、あのまぼろしの魚…」
「ノドグロですね」
さすが高級魚だけはあります。鰻のように脂が乗っていました。
結局、妹がおごってくれました。
日本一器の小さな兄です。

ワニが❗️と思ったら作り物でした。

なぜ軽食ではなく、ケイ食?
キャープとは?
謎は深まるばかりです。

父の仕事場。
もう再び戻ってくることはありません。

二階の寝室にもプラモデルが。

マンガも山ほどあります。高橋留美子が好きみたいです。「ワイルド7」を読み返してみたいのですが、止まらなくなるのでやめておきます。

午前中、引っ越しが終わり、一息ついていたところテレビとローボードを積み残したのに気づき、慌てて電話して引き返してもらいました。
今度こそ。嫌な顔ひとつしないで積み込んでくれました。みなさん、引っ越しするならサカイです。

うちにあった方位磁針。
さりげないオサレなアイテムにどうでしょう。

これには思わず吹きました。

これは持っていたら自慢できます。
竹下通りで売っていてもおかしくない組立凧。最新型という文字が泣かせます。

知人の予約注文で持って帰るプラモデル。
かなりかさ張って重いです。大変です。
これを大阪まで持って帰るのは本当に大変です。まるで中国人の爆買いです。
IKEAのバッグが洗濯物をコインランドリーに持っていく以外の活用法があることを発見することができました。感謝いたします。
注文した人、今度なんかおごってください。
https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1656637901090439

管理人マーキュリーマークからの連絡
70分以上かかる転載。「やる気をなくすな。」と理解してもらえると幸いです。それはともかく、意図的に欠落させた内容もあるので皆様が、もし、ドリアン長野が投稿した全ての内容を知りたければ各自でフェイスブックでご確認下さい。理由は伝えませんが、ダラズFMを聞きたくなりました。
http://www.darazfm.com/
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平成30年4月第三月曜日
2018-04-16 | Weblog
ご連絡
新規投稿の回数は削減するつもりであったが投稿が行える状態であったのと転載は不可避と思える内容であったので今月は何度も転載してます。先週はyahooブログは別ですがgooブログに限っては実質的に毎日投稿したような状態で二日に一回の新規投稿は事実上、毎日の投稿になります。本日、ドリアン長野が行った新規投稿は画像の種類が多いので転載するのに長時間必要なのは確定してますので明日、転載する予定です。来月も閉店する事になった米子市の長野紙店についての投稿については可能な限り転載をするつもりです。再来月の6月もしくは7月以降に転載する回数は過去よりも減少すると私は考えてます。
管理人マーキュリーマーク

追伸
gooブログに限っては、その日に行った投稿についてつぶやきが行われたということになって翌日に自動投稿されますが、yahooブログに限ってはその機能はございません。
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多数のご来店誠にありがとうございました 平成30年4月
2018-04-16 | Weblog



https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1655848701169359
先日は長野紙店のプレクロージングセールに多数のご来店誠にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
FBを見てご来店いただいた方、FBFで初めてお会いできた方、ご来店いただき、名刺を交換していただいた方、ありがとうございました。お一人お一人に心から感謝いたします。

最後に挨拶したいと父の到着を待っていただいた多くの方、ありがとうございました。父がいなくなると、そして長野紙店が無くなると寂しいと目を真っ赤にしてくださった方、おやじさんはわれわれプラモマニアにとって教祖みたいなものだったよ、とおっしゃっていただいた方、父と長野紙店が地元の人に愛されていると知り、胸が熱くなりました。

長野紙店は明治年間に長野平次郎と妻艶子が始めました。稼業は繁盛していましたが、艶子は夫と三人の子どもを次々と肺結核で亡くしました。いとこの母房子を養子縁組したのち、昭和35年1月に自宅で自ら命を絶ちました。享年62でした。

ショックと戸主という重責で不安だった母はその二か月後に父と見合いをし、翌月に自宅で結婚式を挙げました。そして翌年に私が生まれました。

母は安堵したのでしょう、私が物心ついた頃から笑っている顔しか記憶にありません。

開店当日の朝、早起きして艶子さんの墓参に行きました。

どうか、長野紙店を最後まで見守っていてください、と。その時雨が降ってきました。

ご来店してくださった皆様、本当にありがとうございました。
父四歳、両親と兄と



母と一歳の私



開店前


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4月14日(土)のつぶやき
2018-04-15 | Weblog




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大山 平成30年4月
2018-04-14 | Weblog

高校生の時まではどこからでも学校からでもうちの屋上からでも見えてたので全くありがたみがなかったけど大山が見えてくると思わす身を乗り出してしまうぞ。なんだか雪が降ってきたり海が見えてきたときにはしゃいだりしてた子どものころと変わらんぞ。いい歳をしたおっさんが、あ、土手べりまだ桜が咲いている、ランドセルをしょった女の子が二人田んぼのあぜ道を歩いてる。昔と何も変わらない。ちょうど森山直太朗のさくらがイヤフォンから聴こえてきて何だか感傷的になるのだった。

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1653550558065840

プレクロージングセール 平成30年4月
米子市四日市町商店街の「長野紙店」を廃業するにあたり、プレクロージングセールを4月14日(土)8時から17時まで行います。

長野紙店
所在地: 〒683-0061 鳥取県米子市四日市町85
電話: 0859-22-2620

森山直太朗 - さくら(独唱)

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4月13日(金)のつぶやき
2018-04-14 | Weblog

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4月12日(木)のつぶやき
2018-04-13 | Weblog



ドリアン長野のご両親が米子市で経営されてた長野紙店のプレクロージングセールは明日4月14日に行われます。 もしも、このブログを読まれた方がご近所にお住まいでしたら、訪問されることを提案します。
管理人 マーキュリーマーク

長野紙店
所在地: 〒683-0061 鳥取県米子市四日市町85
電話: 0859-22-2620
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4月11日(水)のつぶやき
2018-04-12 | Weblog





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フタバ 平成30年4月
2018-04-11 | Weblog
歩いていると、おばさんが聞いてきた。

「あのー、すみませんが、この近くにフタバっていう喫茶店知りませんか?」

フタバ?双葉?

私は喫茶店には行かないから、

「フタバ?知らないですね」

「そうですか、娘と待ち合わせしてるんですけど、すみませんでした」

歩き出してから、気づいた。

あのシアトル発の❗️

振り返ったらおばさんはもういなかった。
ごめん、もう少し早く気づいていれば。
https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1643262125761350

管理人マーキュリーマークからのご連絡
先週、パソコンの調子が悪かったが現在は復旧したので本日、転載が行えました。
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4月9日(月)のつぶやき
2018-04-10 | Weblog

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平成30年4月第二月曜日 (今回は特別に)
2018-04-09 | Weblog
ハローグッバイ 平成30年四月

平成30年の四月は始まってるが改めて伝達したい。ドリアン長野がフェイスブック上で行った投稿の転載の回数は今月(平成30年4月)からは先月末前(平成30年3月)よりも削減します。一区切りさせてもらいたい。平成10年代にgooブログを始めて平成20年代は頻繁に投稿してました。平成30年度以降もブログの継続はしますが平成10年代や平成20年代に比べて投稿回数は削減します。心苦しい気持ちはあった。だが、大量の画像の編集やほぼ毎日行う朝晩の確認は決して簡単では無かったばかりか一つの年代が変わったし、私も今後のことを考えると安請け合いは行えないのが本音です。投稿の遅延はパソコンの故障等で今後も有り得ます。
管理人マーキュリーマーク


以下は、特別に行う感想の伝達です。

http://twilog.org/duriannagano/date-180326

http://twilog.org/duriannagano/date-180327

http://twilog.org/duriannagano/date-180328

http://twilog.org/duriannagano/date-180329

http://twilog.org/duriannagano/date-180330

http://twilog.org/duriannagano/date-180331

http://twilog.org/duriannagano/date-180401

http://twilog.org/duriannagano/date-180402

平成30年3月26日から四月初旬にてフェイスブック上で行われたドリアン長野の投稿について感想を述べたい。パソコンの故障さえなければもっと早く行えてました。

ネコへの給餌ですが、飼い猫以外行ってはいけないようになってきてます。

売り上げを増やす為に小売店がお客様達に向けて奇抜な連絡をすることがございますね。私は、カナダで始めて3 for $5というピザ屋の知らせを読んだ時には全く意味が分からなかった。ピザ3枚が$5という意味で実際には紙袋代(と思われるが)が25セント請求されたからピザ一枚当たり$1.75と考えないといけなかったのかな?$5.25でピザ三枚だと悪くない金額です。日本の中華料理店でも持ち帰り用の容器代が請求されるから冷静になって支払う必要がある。

ヘッドホンと正露丸とは無関係と考えたい。

懲罰や制裁を与えた後で、逆上して信用失墜行為をやらかしたり賞賛する人が少ないからエゼキエル書25章17節が無効化してる事を再認識する。コリホルのような人物が本当にいてるから辛い世の中で社会には艱難辛苦が存在する。

ドリアン長野は平成10年代と違って平成20年代に父親になって今も、娘さんを育てておられます。子育てには安寧秩序の維持は重要で平和な家庭をこれからも形成してもらいたいです。問題だけ作り出し甚大な被害を作り出した加害者がいて悲しんでる被害者はいます。不要な争いには巻き込まれたくありません。

化粧品でも良い商品とそうでないのが混在してるようです。

チョコレートポテトチップスよりも、チリポテトか食塩とケチャップをかけたフライドポテトの方が私の好みです。





ドリアン長野のご両親が米子市で経営されてた長野紙店のプレクロージングセールは4月14日に行われます。 もしも、このブログを読まれた方がご近所にお住まいでしたら、訪問されることを提案します。 管理人 マーキュリーマーク
長野紙店 所在地: 〒683-0061 鳥取県米子市四日市町85 電話: 0859-22-2620

ご連絡

今回のように多くの感想を述べることはこれが最後になると思います。皆さん、どうもありがとうございました。ブログの継続はするが投稿回数は削減します。誰にも心配も迷惑をかけるわけではないですけどもね。ホームページの中には心配をかけても全く謝罪が無いから管理能力について懐疑してしまったこともありました。それはともかく、特別に平成30年四月二日のついろぐのURLも伝達しました。

もしも、ドリアン長野が行った全ての投稿を知りたければ、フェイスブックを閲覧して下さい。 https://www.facebook.com/durian.nagano

それでは、皆さん、良き時を過ごしてください。
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4月7日(土)のつぶやき
2018-04-08 | Weblog






Missionary work on both sides of the veil is about to explode. #LDSconf
mormonlight.org/2018/04/06/pre…

— The Book of Mormon (@BookMormon2day) 2018年4月7日 - 08:37



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#94

2024-04-26 | 日記
4月2日(月)のつぶやき
2018-04-03 | Weblog

ドリアン長野の海外旅行記(ヤフーブログ版)並びにご連絡 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #ブログバトン #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年4月2日 - 23:23
ハローグッバイ 平成30年四月 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年4月2日 - 23:23
The Beatles - Hello, Goodbye youtu.be/rblYSKz_VnI @YouTubeより

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年4月2日 - 23:26
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4月1日(日)のつぶやき
2018-04-02 | Weblog
末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)の第188回次総大会の土曜午前の部会が開始されます。日本語で第188回次総大会の生放送またはアーカイブに保存された部会を視聴することができます。 bit.ly/2Gr3OV4 #ldsconf #総大会

— モルモン教 (@morumonkyou) 2018年4月1日 - 01:13

DARAZ FM 79.8MHz|米子市のコミュニティFM放送局 darazfm.com

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年4月1日 - 01:40
皆様、これからも頻繁にドリアン長野がフェイスブック上で新規投稿した内容はほぼ毎回転載をしていきますのでお楽しみください。管理人マーキュリーマーク(エイプリルフール)

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年4月1日 - 01:44
「プレクロージングセール 平成30年4月」 goo.gl/ijX7n5

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年4月1日 - 09:53
プレクロージングセール 平成30年4月 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年4月1日 - 09:54
「各ワードでは,大祭司グループと長老定員会が一つの長老定員会に統合されます。」 ラッセル・M・ネルソン大管長 

メルキゼデク神権定員会の再編成について詳しくこちらから→bit.ly/2pWskpX… twitter.com/i/web/status/9…

— モルモン教 (@morumonkyou) 2018年4月1日 - 10:10

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ハローグッバイ 平成30年四月
2018-04-02 | Weblog

皆さん、今までありがとうございました。パソコンが故障したのでiPadで書き込んでるのも何か一つの終了を示唆してるようです。今後はYahoo!ブログ上ではツイログのURLを紹介する程度だと思います。 (*1)gooブログではツイッターのつぶやきが上手く反映されます。皆さん、これからも良き時を過ごしてください。
管理人 マーキュリーマーク
*1 実はパソコンが故障してタブレットによる投稿をしてました。一応は復旧しましたので(yahooブログ上において)つぶやきについては今までのように転載をする予定です。
The Beatles - Hello, Goodbye


gooブログ版 ドリアン長野の海外旅行記のリンク集 海外旅行記を読まれたい方はこちらをクリックしてください。

平成30年の四月は始まってるが改めて伝達したい。ドリアン長野がフェイスブック上で行った投稿の転載の回数は今月(平成30年4月)からは先月末前(平成30年3月)よりも削減します。一区切りさせてもらいたい。平成10年代にgooブログを始めて平成20年代は頻繁に投稿してました。平成30年度以降もブログの継続はしますが平成10年代や平成20年代に比べて投稿回数は削減します。心苦しい気持ちはあった。だが、大量の画像の編集やほぼ毎日行う朝晩の確認は決して簡単では無かったばかりか一つの年代が変わったし、私も今後のことを考えると安請け合いは行えないのが本音です。投稿の遅延はパソコンの故障等で今後も有り得ます。
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プレクロージングセール 平成30年4月
2018-04-01 | Weblog




















米子市四日市町商店街の「長野紙店」を廃業するにあたり、プレクロージングセールを4月14日(土)8時から17時まで行います。
本格的なセールは5月の連休を予定しています。全品半額です。

駅前や郊外にイオン(当時はサティやジャスコ)が出来てから市内の中心街であった商店街やデパート周辺はさびれ、地方都市の例に漏れず、商店街はシャッター通りになりました。現在はイオンモール日吉津を中心とするケヤキ通りに中心街が移行しています。

米子商店街は昭和47年に竣工、昭和26年には全国に先駆けて土曜夜市を実施しています。私が中高生の時までは夏の土曜夜市になると多くの人出で賑わっていたと記憶しています。学校の半ドンで帰ると、その賑やかさにワクワクしていました。中学生の時に親戚にいただいた大量のカブトムシを店先で売り、大儲け(笑)したことも良い思い出です。
隣には二階建ての大型書店である「今井書店」があり、学校が終わればほぼ毎日立ち読みに行っていました。私の読書好きはそこで培われたと思います(今井書店さんにはいい迷惑でした)。
直木賞作家の桜庭一樹さんが高校生まで立ち読みをし、わが家で習作用の原稿紙を買っていました。
今はその今井書店もありません。

商店街は私が高校生まで住んでいましたので数々の思い出があります。
ネットで販売したらどうかという助言もいただきましたが、ご愛顧いただいた地元の皆様にご来店いただき、長野紙店の60年の歴史にフィナーレを迎えたいと考えました。

皆様にお会い出来るのを楽しみにしています。

休日にはイオンの駐車場は満車です。
これも時代の流れで致し方ないですね。

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1640877082666521

3月31日(土)のつぶやき
2018-04-01 | Weblog

そこで起こることはすべて神からのものであると受諾できますように。故意に、あるいは悪いことだと知りながら過ちを犯すことがないようにと固く決心できますように。もし過ちを犯してしまったら、それに打ち砕かれた心で向かい合い、もう一度やり直すことができますように。

— マザー・テレサ (@MotherTeresabot) 2018年3月31日 - 05:02
JXTGエネルギー東京2020パラリンピック応援クリック募金 noe.jxtg-group.co.jp/company/csr/cl…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月31日 - 07:25
キヤノンマーケティングジャパン株式会社:未来につなぐふるさとプロジェクト|はじめよう!|ふれよう|ふれよう みんなの活動|秋の昆虫標本 cweb.canon.jp/csr/furusato/a…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月31日 - 07:25
キヤノン 「未来につなぐふるさとプロジェクト」クリック募金 cweb.canon.jp/csr/furusato/j…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月31日 - 07:25
今日も #クリック募金 に参加しました! → dff.jp

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月31日 - 07:26
地球の歩き方 on twitter | 地球の歩き方 arukikata.co.jp/twitter/

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月31日 - 07:27
toriatama.net

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月31日 - 07:28
末日聖徒イエス・キリスト教会の総大会は、半年ごとに21,000人収容可能なソルトレークシティのカンファレンスセンターで開催され、世界中の数百万人に届けられる。3月31日~4月1日にかけて5つの部会が開催される。詳しくはこちら➙… twitter.com/i/web/status/9…

— モルモン教 (@morumonkyou) 2018年3月31日 - 09:48
そのきもちわかる。 平成30年3月 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記 この手紙を読みながら「君きせ」を聴いたらまるでチョコレートポテトチップスのようにベストマッチング!

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月31日 - 13:01
そのきもちわかる。 平成30年3月 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから この手紙を読みながら「君きせ」を聴いたらまるでチョコレートポテトチップスのようにベストマッチング!

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月31日 - 13:02
facebook.com/durian.nagano/…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月31日 - 13:04
「海外旅行とバス 平成30年3月」 goo.gl/BSbSrn

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月31日 - 21:46
「外貨と海外旅行 平成30年3月」 goo.gl/LSR1LX

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月31日 - 21:49
「なぜ、ドリアン長野は海外旅行に何度も行けたか? 平成30年3月」 goo.gl/ZHRGUV

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月31日 - 21:50
なぜ、ドリアン長野は海外旅行に何度も行けたか? 平成30年3月 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月31日 - 21:56
外貨と海外旅行 平成30年3月 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月31日 - 21:56
海外旅行とバス 平成30年3月 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月31日 - 21:56

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#93

2024-04-26 | 日記
なぜ、ドリアン長野は海外旅行に何度も行けたか? 平成30年3月
2018-03-31 | Weblog
なぜ、ドリアン長野は海外旅行に何度も行けたか?やはり、独身だったからでは無いでしょうか?奥さんとの新婚旅行は別として娘さんが生まれてからは全く海外旅行には行ってないようです。子供を育てるのは重労働なのは周知されてます。金銭的にも時間の面においても余裕が無くなったから海外旅行に行かなくなったと私は考えられます。無論、単純に海外に行くと楽しめるといった部分はあるが権利と責任という概念はございます。やはり、それなりの旅費が必要なのは言うまでもありません。実際に何度かドリアン長野と話したから言えますが何もない寒村(鳥取県米子市)よりも変化がある都会を好む考えは保有されてました。
敬具マーキュリーマーク
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外貨と海外旅行 平成30年3月
2018-03-31 | Weblog
外貨。海外旅行に行くと外貨での支払いは半ば不可避です。想定が行える4種類の状態について述べたい。
第一にフルパッケージツアーを選んで日本国内の旅行代理店で全て支払い終える人や海外の親類縁者に頼る人。(いるらしいです)
第二は現地での支払い全てをカードで済ませる人。
第三は現金とカードの両方で支払いを済ませる人。
第四は現金のみで支払いを済ませる人。
マトメ
フルパッケージツアーを選んでお土産を買うにしても業者の通販を選ぶ人もおられるかもしれません。それだけでなく海外にお住まいの親類縁者に食事を御馳走してもらう人もおられるようです。レストランのチップですがカードでの支払いの時に支払えるようになってました。私が行ってきたカナダでは想定してたよりも支払い方法が現金のみのお店が多かったので驚きました。そういうこともあって現金(外貨)とカード払いの両方を選ぶ人もおられます。
いわゆるG7の国々のように日本と活発に貿易が行われてる国家であれば円滑に外貨両替は行えます。可能であれば外貨の両替は日本国内で済ませておく事を推奨します。理由は海外のATMの機械が不調の時が多いそうです。それに海外での手数料も少し高値であったような?
外貨の中には日本国内で両替が簡単には行えない通貨ミャンマーチャット(MMK)等が存在してるので必要な金額以上に両替するのは辞めましょう。
一部の投資家は外国為替の取引で利益を計上してるかな?
敬具マーキュリーマーク

お詫びと訂正
先日(平成30年4月16日)、梅田で営業してる某外貨両替専門店に赴いた所、「多少の制限は存在するが日本円からベトナムドンへの外貨両替ばかりかベトナムドンから日本円の両替も行える。」と教えられました。外貨の両替についての詳細は各自で調べてもらえると幸いです。現時点では日本国内で、日本円をミャンマーチャットに外貨両替することは難しいみたいです。
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海外旅行とバス 平成30年3月
2018-03-31 | Weblog
まず初めに海外でのバス事情について述べたい。海外のバス事情と言っても、海外のホテルから空港の送迎バスの特徴を述べた後で海外の公共のバスについて述べたい。
日本国内で国際空港に到着する迄に乗車するバスについて述べる事はあえて後述します。

 私はブリティッシュコロンビア州でホテルから空港の送迎バスを利用したから言えますが一長一短がございます。
 ー長所ー
 ~安全運転での送迎と貨物の運搬~
 長所は安全運転での送迎で最重要です。海外での運転は日本国内の運転と同程度か日本国内よりも危険と考える必要はあります。又、国家によって法体系は違うとは言えども、海外においても厳しい道路交通法が存在してます。

 ~車内での肯定的な発言や街についての説明~
送迎をちゃんとしてくれるばかりか車内で町の説明をしてくれる点です。治安が悪い危険な街についての説明が行われると、多くの人は普通に賛同すると思います。あえて、危険な町に行くことについて私は推奨しません。

 ~ホテルの受付での連絡や早期入室の優遇~
 もしかしたら、ホテルへの早期入室も送迎バスの料金に含まれてるかもしれません。航空機が空港に到着する時間と予約したホテルの入室が許可される時間に大きな乖離(かいり)とも言うべき空き時間が発生してる可能性はあり得ます。日本から海外の空港に到着して入国審査を済ませて移動しホテルに到着した時に入室が許可されていない時間になってる可能性については考慮してください。運転手さんがホテルの受付で色々と連絡してもらえると心強いです。予約の確認も行われるかもしれない。いい加減なホテルだと予約を勝手に取り消してる可能性も考えられる。

 ~パスポートの確認~
 もしも、運転手からパスポートの有無について質問されたら黙って見せましょう。「千の言葉よりも一の実行。」とは伝えませんがそれはお互いの為です。

 -短所-
 ~他の旅行者の待機~
 短所は、「他の旅行者の待機。」と伝えられてイマイチ納得しない人がおられるかもしれないので実体験を語るような説明をします。私は関空を利用してカナダに行きました。それだけでなく成田空港からやってくる人もバス(実際にはパッセンジャーバン)でホテルに送ることから待機をせざるを得なかったのです。人によったらこの点について考えて空港連絡鉄道を利用されるかもしれません。空港からホテルへ送ってもらう時に運転手に出会った後スグにはバスが利用出来なかったので、せめて待つ場所は選びたいと思ったので私はティムホートンズ(ドーナツ店)に案内してもらいました。皆さんもドーナツ店等の飲食店で待機されてはいかがでしょうか?

 ~業者によるが高価格ないしはそれなりの金額~
 向こうも商売なのであまり大きな事は言えないばかりか役割をちゃんと果たしてくれたならば料金を支払うべきですしそれなりの金額である点は批判はしませんが空港連絡鉄道よりも高値であることは多いです。人によったら料金面を考慮して空港連絡鉄道を利用されるかもしれません。

 ~無意味な提案(観光案内等)~
 現地の観光業者にしても最小遂行人数があるらしいので事前に連絡してもらいたいそうです。フリープランであっても海外旅行案内書等を読んで予定をそれなりに作った人も世の中にはおられます。他の人はどうか知らないが日本にいる時に(余裕を持たせてはいるが)それなりの予定を計画して渡航する人はいます。

 ~車内において否定的に感じる発言内容~
 性格の悪い親類縁者が無礼で車内において否定的に感じる発言内容をやらかす人がいると本当に困るが、それとは性質が違いました。
 率直に伝えるがシーフードレストランのボートハウス(店名)のニューウェストミンスター店に行きたかったので運転手に質問したらご存じなかった。私が実際にニューウェストミンスター市に赴いたら営業してました。この部分は難しい部分で賛同は得られにくいかもしれないが「質問したことに対して良い返答が行えなかった案内人がいた。」と考えてもらいたい。「運転だけでも十分では?」と言われるとそれまでなんですけどもね。インターネット上の情報は全て虚偽とは言わないが過去形も存在してる点は否定出来ない。それもあって、確認した次第です。お店の場合は第二希望を用意しておいたが方が良いです。

 ~偽物が出現する恐れがある点~
 真面目に送迎バスの仕事をされてる人には問題は無いが偽物には問題があるんです。送迎の人に過去に会ったことがあるならともかくだが会ったことが無い人の場合は警戒するのはやむをえません。空港連絡鉄道が利用出来るならばそれを推奨します。
参考に。 こちらを参考に

 ~やってきた時間が微妙~
 日本に帰国する時の迎えのバスがやってきた時間が微妙であったので帰国便に着席したのが飛行機(帰国便)の出発の40分前であった点です。次に送迎バスを利用するか否かについては考えてしまいます。自発的に空港に行く人もおられるかもしれない。利用する人がバスの時間を厳守してもバスが空港に到着した時間が微妙だと今後の利用については色々と考えてしまいますね。

 マトメ
 バスの利用ですが、日本にいる時に前もって自発的に調べておくことを推奨します。例外はフルパッケージツアーですがそれでも日本国内において国際空港に赴く為にバスを利用する時にはある程度は調べることは不可避になると考えられます。
 観光客向けのバスと万人向けのバスは大違いではあるが高いか安いかで判断して万人向けのバスを選ぶ人も多いと思いますしそれはその旅行者の自由だと思います。少々趣きが異なるかもしれませんがバスや空港連絡鉄道の代わりにレンタカーを利用される人は多いようです。確かに長所はございます。だが、レンタカーは危険ですので利用の妨害はしませんが推奨はしかねます。海外においても交通事故だけでなく交通違反の取り締まりや罰金刑も厳しいそうです。海外旅行保険があなたの全ての艱難辛苦を助けてくれるかどうかは微妙です。
 平成20年代になって国の内外を問わずに幾つかの町において、空港連絡鉄道が円滑に利用出来ますが利用するか否かは各自で熟慮の上でご決断下さい。周知されてるように全ての国際空港において空港連絡鉄道が利用出来る訳ではありませんので前もって渡航先については各自で調べるべきです。到着した町について初心者であれば多少高値であっても空港からホテルへ送ってくれるばかりかホテルから空港へ迎えてくれるバスを依頼されてもよろしいかもしれません。送迎の内「送り。」だけないしは「迎え。」だけ依頼する人もおられるそうです。ホテルのシャトルバスを利用する人もいるらしく移動手段は多種多様です。観光地に行くことを除外して空港内のホテルに宿泊する人もおられるようですけどもね。
インターネット上で積極的に情報を発表してる海外のバス会社であればともかくですが海外では時刻表が無いバス会社もあるようでグーグルで調べても詳しく分からない場合もございます。しかしながら、利用せざるを得ない場合もあるようです。ミャンマー(ビルマ)のトラックのようなバス会社はそういった方針のようでバス(トラック)が満席になってから出発する方針のバス会社も存在するらしいです。   ビルマの休日 その8
 ある深刻な問題が発生してる。日本国内の空港連絡鉄道についてですが南海のラピートの利用者等を除外すると旅行鞄が大きいことについて否定的な人が多いらしく批判してるらしい。それこそが批判の対象に思える人は多いのではなかろうか?鉄道の乗車賃を支払った後で利用してる人を批判するのは良くないので批判は辞めてもらいたい。旅行鞄を持ってるか否かは各自の自由です。無論、ラピートに限っては旅行鞄を設置する場所が確保されてるから批判の声が少ないかもしれない。鉄道よりもバスを利用することについて考慮するか否かは各自の判断ですし料金を支払った後の自由妨害は良くないと思います。皮肉ながら、バスであれば鉄道のように旅行鞄が原因で発生する問題の可能性が低減されてるから利用する人は多いようです。無論、時間(特に出発便)に余裕を持って行動しないといけません。帰国便の場合は職場に到着する時間でしょうか?日本の場合は少ないが、海外ではバス会社のストライキが発生する可能性も考慮しておいてください。
 実際に海外旅行に行かれるとバスの利用は重要になってきますのである程度は金銭的ばかりか時間の面でも余裕を持って対応してください。バスが利用出来ると利点も大きいです。
例えるならば、高さが27.4メートルを超える橋も躊躇なく通過出来ます。そればかりか、ある程度の土地勘が出来上がるとバスを二回乗るのではなくて一回で済ませられることに気づいたりして楽しめる事もあります。

 最後に一つ笑い話を紹介します。
 私はバンクーバー水族館(観光地)を後にしてバスを利用しました。時差ボケもあって朦朧としてたこともあってそのバスから降りる時に一日乗車券(バンクーバートランスリンク)をなかなか出せないでいましたのでバスの運転手から「切符を忘れたの?(Did you forget ticket ? )」と質問された時に切符を見つけ出しピーと鳴らした事によってバス料金を支払ったので事なきを得ました。そこで降りた場所は本来降りるべき場所から若干離れた場所であったので眠たい時に迷子のような状態になってたが現地の在外邦人に偶然出会って道案内をしてもらいホテルに帰って部屋に戻り熟睡しました。その当時の時差が16時間なので朦朧とするのは仕方なかったです。日本と違ってカナダのブリティッシュコロンビア州では夏時間(16時間の時差)と冬時間(17時間の時差)が存在します。だから、私は頻繁に地元で道案内をするようになりました。皆さんも海外旅行を楽しんできてください。 敬具 マーキュリーマーク
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3月30日(金)のつぶやき
2018-03-31 | Weblog






「彼、すなわちイエスは、世のために十字架につけられ、世の罪を負い、世を聖め、それをすべての不義から清めるため世に来た 。」 教義と聖約76:41 詳しくはこちら➛bit.ly/2IWW7aL #聖金曜日… twitter.com/i/web/status/9…

— モルモン教 (@morumonkyou) 2018年3月30日 - 08:44



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座布団10枚 平成30年3月
2018-03-30 | Weblog
スーパーの化粧品売り場で新発売の「10歳若返ります」というスキンローションを見ていたお母さん。

「わたしにも買って!」と駄々をこねる8歳くらいの娘に、

「あんた、こんなんつけたら死ぬで!」

と言い放ったあなたに座布団10枚。

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1639296799491216?notif_id=1522399659061446¬if_t=notify_me&ref=notif
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そのきもちわかる。 平成30年3月
2018-03-30 | Weblog
https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1638864499534446?notif_id=1522357502703596¬if_t=notify_me&ref=notif


ぱぱへいつもはたらいてくれたりおふろにいれてくれてときどきおこのみやきをつくってくれてほんとうにたいへんだよねそのきもちわかる。
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3月29日(木)のつぶやき
2018-03-30 | Weblog


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3月28日(水)のつぶやき
2018-03-29 | Weblog


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3月27日(火)のつぶやき
2018-03-28 | Weblog



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3月26日(月)のつぶやき
2018-03-27 | Weblog





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平成30年三月最終月曜日
2018-03-26 | Weblog
本日は月曜なのでドリアン長野について語りたい。 http://twilog.org/duriannagano

実父が用いた包丁のお話はヤフーブログ上でナイスの評価を得ました。佳作です。





煮魚ですが、可能であればアルミは避ける事を推奨します。

マグロは魚に有るで鮪ですが、グロといえば怯えてしまうような状態ですが間違えないようにしないといけません。

皆さん、肉類は加熱処理してから食べるようにしましょう。従って、レバ刺しは辞めましょう。肉は確実に加熱処理をする必要があり、衛生的な食事を心がけるべきです。

ドリアン長野の実父は良きお父さんです。息子さんには厳しく、義理の娘さんには優しく接してるようです。近づく人全てに迷惑をかける公共の敵がいることを連想する時があって良き家庭を形成されてるのを再認識します。

後述しますが、春分の日にはいつもより多めにgooブログ版のドリアン長野の海外旅行記のブックマークで紹介してるホームページを紹介しました。基本的に、明日以降の祝祭日に紹介するホームページは現行よりも減らします。

シャッター通りは最近は増加傾向です。地元の商店街を連想します。二分割するかのごとく商店街の途中に十字路が存在してます。その十字路を超えると駅から遠い商店街になってしまい幾つかのお店は営業してるがシャッター通りに準ずる通りに到達したようにも思えます。

iPadは確かにそれなりの金額です。私の海外旅行中には有効活用が行えました。問題があるとしたら、私がカナダにいるにも関わらず頻繁に詰問してきた人がいて大変困りました。「返答が遅くなると伝えた。」が躊躇も遠慮もせずに思ったことを詰問されて大変辛かったです。日本人観光客は狙われていて対テロ対策に関わるから内容が悪いばかりか数量が多い質問を継続した人には後に抗議をしたが逆上されて本当に困りました。資本関係が無いにも関わらず、あれこれ詰問されたくなかったです。目的はユスリか国際的な犯罪組織への情報伝達だったのであろうか?皆様、海外旅行中の人に迷惑をかけないようにしましょう。わざわざ、他人のタイムラインを通じて大量に悪い質問をするのは大間違いです。繰り返すようですがその過失行為をしたら、人権侵害等に関わる責任が問われることになる恐れがございます。結局「やめとけ。」と言われた後で過失行為をやらかす人は懲罰を伴う責任が問われます。責任能力が無い人を雇った人や、責任能力が無い人が一緒になって私に迷惑をかけたのであろうか?錯乱してる人は多い。
私はドリアン長野に連絡をしたことがあったのを連想しました。

「君の名は。」という作品は佳作だそうです。個人的には6月に上映される映画デッドプール2に期待してます。病魔から立ち直ったヒーローには注目です。

ご連絡
趣味のホームページなので仕方ないですのが、緩く行える部分がある一方で厳しい姿勢で物事に望まないといけないこともございます。gooブログばかりかyahooブログそしてツイッター等のホームページは可能な限り継続します。今月末迄はほぼ毎日新規投稿は実行する予定ですが新規投稿の回数を来月四日以降は削減します。
ドリアン長野には過去に空手を稽古してもらったばかりか食事も提供してもらったりして感謝してます。私が行えることは限定されてますのでホームページの管理といったこと位でしか貢献が行えなえませんでした。
今年の春分の日こと先週の水曜日には、いつもよりも多くgooブログ上で紹介してるホームページのつぶやきをしましたのでyahooブログ上でも紹介しました。
以下は、可能な限りなんですが、今後、祝祭日においては月に一回以上マザーテレサボット、大山倍達bot、孝信'S PHOTOブログ、http://mormon.jp/そしてhttps://twitter.com/morumonkyouを紹介していく予定です。教会方面だけは日にちに関係なく数量は多めに紹介することになると思います。祝祭日が無い6月には代替として土日に紹介する予定です。
月に一回以上、土曜日に鳥頭の城 西原理恵子公式サイト、地球の歩き方、クリックで救える命がある。を紹介していく予定です。
月に一回以上、日曜日にDARAZ FM公式 Twitter(もしくは、darazfm.com)を紹介していく予定です。

又、一回の投稿による文字数制限が二万文字のヤフーブログにおいてビルマの休日 ヤフーブログ版を一本化しました。

皆様が、もし、ドリアン長野が行った新規投稿を全て確認したければ、フェイスブックに加入して友達申請をしてご確認下さい。

https://www.facebook.com/durian.nagano

皆様にはご不便をおかけするようですが、ご了承願いたい。閲覧者数が少ないホームページなので心配や迷惑をかける影響は微細であろうけども、申し訳ないです。

タグを少し使えるかどうかは大違いみたい。target=_blankを知ってるとクリックしただけで別のタブで円滑にホームページの閲覧が行える。ホームページの管理能力が高いか低いかだが少しばかりタグが使えるかどうかや内容は問われます。自己中心で何も知らずに文句ばかり言うのではなく向上心を持って改善したり相手に感謝することが人生には重要だと私は思います。従って、教会のホームページを紹介する素晴らしい伝道活動はこれからも継続します。艱難辛苦を語るようだが、艱難辛苦を語っても軽んじられることが多いのが辛い現実です。
去年の7月某日に実際に私とドリアン長野が再会した時に、「5年後、10年後というか中長期的にはこういった活動は難しい。」と伝えたら「無理しなくで良いから。」でした。5か月後、10か月後の間違いであったかな?ま、今年度末で一区切りさせてもらいたい。 
皆様、これからも良き一週間を過ごしてください。
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3月25日(日)のつぶやき
2018-03-26 | Weblog




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3月24日(土)のつぶやき
2018-03-25 | Weblog







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3月23日(金)のつぶやき
2018-03-24 | Weblog


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3月22日(木)のつぶやき
2018-03-23 | Weblog

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#92

2024-04-26 | 日記
3月21日(水)のつぶやき その5
2018-03-22 | Weblog
ドリアン長野の海外旅行記(ヤフーブログ版)並びにご連絡 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #ブログバトン #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:35
未完の海外旅行記【夏が来れば思い出す】 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:36
ドリアン長野のタイランド旅行記 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:36
ドリアン長野のニューヨーク旅行記 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:37
ドリアン長野のミャンマー旅行記 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:37
ドリアン長野の上海旅行記 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:37
ドリアン長野の北京旅行記 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:37
ドリアン長野の香港旅行記 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:38
ドリアン長野の台湾旅行記 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:38
ドリアン長野のカンボジア旅行記 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:38
ドリアン長野のインド旅行記 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:38
ドリアン長野のネパール旅行記 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:38
ドリアン長野のフィリピン旅行記 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:39
ドリアン長野のベトナム旅行記 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:39
ドリアン長野の英国旅行記 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:39
ドリアン長野のロサンゼルス(米国)とティフアナ(メキシコ)旅行記 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:39
ドリアン長野のほぼエッセイですがマレーシア旅行記 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:39
本日は、春分の日。いつもより多めにドリアン長野の海外旅行記のブックマークで紹介してるホームページを紹介しました。基本的に、明日以降の祝祭日に紹介するホームページは現行よりも減らします。

— マーキュリーマーク (@098mercurymark) 2018年3月21日 - 09:10
ミャンマー大統領が辞任(共同通信) - goo ニュース news.goo.ne.jp/article/kyodo_…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 15:57



3月21日(水)のつぶやき その4
2018-03-22 | Weblog
やっと地上波で放送された「君の名は。」を観た 平成30年3月 goo.gl/MN64PD

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:14
やっと地上波で放送された「君の名は。」を観た 平成30年3月 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:14
#1 オリエンタル・ホテル (ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:29
テーメー・カフェ シリーズ(ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:30
カトゥーイ (ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:31
バンコクのディスコ (ヤフーブログ版)  - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:31
クロントゥーイ市場 (ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:31
スワニー、バンコクの魅力、大都会バンコク (ヤフーブログ版)  - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:31
カオサンの大晦日 (ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:31
ロンドン・コーリング(ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:31
ニューヨーク旅行記(ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:32
米国・ロサンゼルス並びにメキシコ・ティフアナ旅行記 (ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #ブログバトン #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:32
ホーチミン市のディスコ(ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:32
ネパール旅行記 ヤフーブログ版 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:32
シャオエン (台湾旅行記 ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:32
マニラのスラム (フィリピン旅行記 ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:33
カンボジア旅行記 (ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:33
ビルマの休日 ヤフーブログ版 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:33
中国旅行記並びにエッセイ(ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:33
【夏が来れば思いだす】 ヤフーブログ版 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:33
マレーシア旅行記(ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:33
インド旅行記(平成18年に行った特別版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:34
北京の床屋(ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:34
チョンキンマンションと香港の散歩とエッセイ(ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:34
飛んで上海(ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:34
上海日記 一日目から四日目迄(ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:34
上海日記 五日目 in 1 (ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:34
上海日記 六日目 in 1 (ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:34
上海日記 7日目 in 1 (ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:35
上海日記 最終日(ヤフーブログ版) - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 14:35

3月21日(水)のつぶやき その3
2018-03-22 | Weblog
『栄養と休養』
⇒ ameblo.jp/maxsinmars/ent… #アメブロ @ameba_officialさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:16
『心機一転肉体改造』
⇒ ameblo.jp/maxsinmars/ent… #アメブロ @ameba_officialさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:17
『カイちゃん』
⇒ ameblo.jp/maxsinmars/ent… #アメブロ @ameba_officialさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:17
「迎えに来たドヤ街の連中やチビ連に取り囲まれた矢吹丈は、一瞬ホセ・メンドーサのことを忘れた。ボクサーであることも忘れた。久しぶりに…ほんとうに久しぶりに楽しく―心の底からわらった」」【『あしたのジョー』】 #kajiwara

— 劇画王梶原一騎BOT (@kajiwara_bot) 2018年3月21日 - 01:03
「い…いったい…なにを考えてやがんるんだこの女」「この足跡…おお…この足跡はやはり…」」【矢吹丈,白木葉子『あしたのジョー』】 #kajiwara

— 劇画王梶原一騎BOT (@kajiwara_bot) 2018年3月21日 - 00:03
「太田くん…同じ“星”でも俺ときみではえらい違いだな…ふふふふっ。きみはちょうど阪神の花形のように生まれついてのスター。俺はとことんツキのない男…さしずめ金の星と銀の星か」【星飛雄馬『巨人の星』】 #kajiwara

— 劇画王梶原一騎BOT (@kajiwara_bot) 2018年3月20日 - 23:04
「置八子よ、決して大きな口をたたくわけではなく、もはや私にとって日本空手界における内輪もめなど眼中にない!照準は世界だ!!極真拳を“地上最強のカラテ”とすることにあり。その王道へ踏み出す第一歩が全日本選手権大会なのだよ!」【大山倍達『空手バカ一代』】 #kajiwara

— 劇画王梶原一騎BOT (@kajiwara_bot) 2018年3月20日 - 18:03
pirosiki.com pic.twitter.com/UrrYknbZ2k

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:22
ガンジーは、神が彼を愛したように人々を愛しました。ガンジーについての最も美しいことのひとつで私の心を打ったのは、彼の非暴力と、貧しい人たちへの奉仕を、神への愛の奉仕と同等にみなしたことです。

— マザー・テレサ (@MotherTeresabot) 2018年3月20日 - 23:02
神は全く純粋です。何もその純粋さを汚すことはできません。私は神が憎むことができると思いません。神は憎みません。神は愛します。神は愛だからです。けれど私たちの不純さは、神を知る妨げとなるのです。

— マザー・テレサ (@MotherTeresabot) 2018年3月20日 - 17:02
遠いところにイエス様を探すのはおやめなさい。イエス様は、そこにはおられません。イエス様はあなたのそばに、あなたと共におられるのです。

— マザー・テレサ (@MotherTeresabot) 2018年3月20日 - 11:02
「男は死ぬまで戦いだよ。極真は背中を見せない。これが極真の歴史だよ。」

— 大山倍達bot (@mas_ooyama) 2018年3月20日 - 23:05
「自分が怖い時は相手も怖い 相手は神様じゃないよ。」

— 大山倍達bot (@mas_ooyama) 2018年3月20日 - 19:05
「ポイント稼ぎで勝ちを拾うよりも全力を尽くした惜敗の方が男らしい。」

— 大山倍達bot (@mas_ooyama) 2018年3月20日 - 15:05
tk1.o.oo7.jp/mon/frame.html

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:24
幕張のコストコとイオンモールの初体験。サイバーセキュリティのキャンペーンがおもしろかった。 takanobu.me/costco/ @@takanobu12345さんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:25
やたらと高いISO感度を持ってくるEOS M100 takanobu.me/m100-5/ @@takanobu12345さんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:25
女性専用車両は男性差別化か? takanobu.me/train-2/ @@takanobu12345さんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:26
信子母さんのエッセイ第41回「理由はあるけれど」 mormon.jp/family/nobuko-… @さんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:26
私たちの年の頃何をしてた?―大内学さん《時刻表編集長》に聞く① mormon.jp/business/%e7%a… @さんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:27
私たちの年の頃何をしてた?―大内学さん《時刻表編集長》に聞く② mormon.jp/business/%e7%a… @さんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:27
私たちの年の頃何をしてた?―大内学さん《時刻表編集長》に聞く③ mormon.jp/business/%e7%a… @さんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:28
私たちの年の頃何をしてた?―大内学さん《時刻表編集長》に聞く④ mormon.jp/business/%e7%a… @さんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:28
「父二神の御子キリスト、御二方の真実の姿、御二方がわたたたのために成し遂げてくださいでしたことについて思い巡らすと、わたしたは敬実、畏敬の念、感謝、それにりくだ思いに満たされます。」クエンティン・L・クック長老 #神 #イエス #感謝 #謙遜 #キリスト教 #モルモン #lds

— モルモン教 (@morumonkyou) 2018年3月17日 - 07:01
「最良の時であっても,最悪の時であっても,主はわたしたちとともにおられます。このことが変わることは決してないと主は約束されました。」トーマス・S・モンソン大管長 #神 #愛 #キリスト教 #モルモン #lds

— モルモン教 (@morumonkyou) 2018年3月16日 - 07:47
「『キリストがお持ちの簡潔さ』目を向けることができるように祈ります。そして,旅路の間,主の恵みによってわたしたちが高められ,導かれますように。」ディーター・F・ウークトドルフ管長 #恵み #キリスト教 #モルモン #lds

— モルモン教 (@morumonkyou) 2018年3月15日 - 11:35
ドリアン長野 君と出逢えた奇跡 youtu.be/amdgZaWZeKg @YouTubeさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:29
ドリアン長野  インタビュー youtu.be/6bQGBGUsslU @YouTubeさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:29
facebook.com/durian.nagano

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:30
「霊的な光に気づくことは物理的な光を見ることとは異なります。救い主の霊的な光を認識することは,進んで信じることから始まります。」L・ホイットニー・クレートン長老 #光 #信じる #信仰 #イエス #キリスト教 #モルモン #lds

— モルモン教 (@morumonkyou) 2018年3月21日 - 06:33
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3月21日(水)のつぶやき その2
2018-03-22 | Weblog
It's that time of year...Chicago's @uncommongrd Jeff Buckley Tribute is accepting artist submissions! #jeffbuckley bit.ly/2jXssWC

— Jeff Buckley Music (@JeffBuckley) 2017年9月26日 - 02:00
RIP Leonard #legend #hallelujah

— Jeff Buckley Music (@JeffBuckley) 2016年11月11日 - 11:23
Jeff Buckley's family has made his personal record collection available to view online rol.st/29I4aH2 pic.twitter.com/pFlTgMEBZ5

— Rolling Stone (@RollingStone) 2016年7月18日 - 22:38
「人間は変わるもんだぞ。きみも頼子も。愛は色あせ情熱も冷え、暮らしの垢が重くるしくこびりついて、やがて苦い目ざめの朝が……行手は荒野だぞーっ!!」おれ(あのバカは荒野をめざす)

— 藤子・F・不二雄語録bot (@FujikoF_bot) 2018年3月20日 - 21:04
ナンセンスまんがといっても、これまた厳密な定義はないのです。(中略)僕の個人的な印象では、たとえば筋の運びが1+1=11となるのはユーモアまんが。1+1=3とか4とか、5、6、……8となるのが、ナンセンスではないかと思うのです。

— 藤子・F・不二雄語録bot (@FujikoF_bot) 2018年3月20日 - 14:04
ほんのちょっとした思いつきを頼りに、ふくらませたり引きのばしたりひっくりかえしたり……。行き当たりばったりジタバタもがいているうちに、ナントカカントカまとめあげるという作業を、まんが家になってずっとくりかえしてきたわけです。

— 藤子・F・不二雄語録bot (@FujikoF_bot) 2018年3月20日 - 07:04
毎週火曜日発売号の『東京スポーツ』で椎名の「風雲ねじれ話」連載中です。今週は「世界さまざま」シリーズ66「祈りのコブ」。椎名がチベットで撮影した写真も掲載されています。tokyo-sports.co.jp/newspaper/%EF%…

— 椎名誠 旅する文学館 (@shiina_tabi) 2018年3月20日 - 16:55
3/20発売の『アサヒカメラ』4月号(朝日新聞出版)に、「シーナの写真日記」301回「リンゴの花ほころび」が掲載されています。publications.asahi.com/ecs/detail/?it…

— 椎名誠 旅する文学館 (@shiina_tabi) 2018年3月20日 - 16:46
3/20発売の『青春と読書』(集英社)4月号に、「椎名誠のエンディングノートをめぐる旅」が掲載されています。第4回「遺骸と地獄好き」。seidoku.shueisha.co.jp/seishun.html

— 椎名誠 旅する文学館 (@shiina_tabi) 2018年3月20日 - 16:43
buzzfeed.com/nicolenguyen/h…

— Joan Osborne (@joan_osborne) 2018年3月20日 - 20:25
#CynthiaForGovernor instagram.com/p/Bgh4sWLjYA1/

— Joan Osborne (@joan_osborne) 2018年3月20日 - 12:11
They owe 7 billion in back taxes and should have their assets seized by IRS. twitter.com/scout_finch/st…

— Joan Osborne (@joan_osborne) 2018年3月20日 - 11:45
Home - Billy Joel Official Site billyjoel.com

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:11
Billy just sold the millionth ticket to his residency at @TheGarden! Learn some incredible facts about this histori… twitter.com/i/web/status/9…

— Billy Joel (@billyjoel) 2018年2月21日 - 04:21
MSG’s First Music Franchise continues with Billy Joel at @TheGarden record breaking 57th show on October 27! @Citi… twitter.com/i/web/status/9…

— Billy Joel (@billyjoel) 2018年3月15日 - 21:00
Billy closed his set with the classic tunes “We Didn’t Start the Fire,” “Uptown Girl,” “It’s Still Rock and Roll to… twitter.com/i/web/status/9…

— Billy Joel (@billyjoel) 2018年2月24日 - 03:05
『会えない時間』
⇒ ameblo.jp/a-and-a-kikaku… #アメブロ @ameba_officialさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:12
『ありがとうございました!そしてよろしく(*´∀`*)』
⇒ ameblo.jp/a-and-a-kikaku… #アメブロ @ameba_officialさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:12
『家族(*´∀`*)』
⇒ ameblo.jp/a-and-a-kikaku… #アメブロ @ameba_officialさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:13
bobdylan.com

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:13
‘Trouble No More: The Bootleg Series Vol. 13/1979-1981’ is available today: bobdylan.lnk.to/OfficialMusicS… pic.twitter.com/rtMMP4HvM6

— bobdylan.com (@bobdylan) 2017年11月3日 - 21:21
Check out @TheAvenerMusic’s rework of Masters of War, out this Friday. twitter.com/theavenermusic…

— bobdylan.com (@bobdylan) 2018年3月1日 - 03:38
Check out Bob Dylan’s performance of “It Takes a Lot to Laugh, It Takes a Train to Cry” with the @wyntonmarsalis Se… twitter.com/i/web/status/9…

— bobdylan.com (@bobdylan) 2018年2月6日 - 08:18
There’s a slow train comin’. ‘Trouble No More: The Bootleg Series Vol. 13/1979-1981’ is available now. pic.twitter.com/nvodovsQW5

— bobdylan.com (@bobdylan) 2017年11月11日 - 01:23
Facebookアカウントで同級生を探そう!【FB同級生探し】 fb.doukyusei.jp

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:15
Pre-sale for the The Public Image is Rotten Japanese Tour is now open and will run up until general sale on March 3… twitter.com/i/web/status/9…

— John Lydon Official (@lydonofficial) 2018年3月19日 - 21:00
For Record Store Day 2018 on April 21st PiL will release 'Live At Brixton Academy 1986' as a double gatefold LP via… twitter.com/i/web/status/9…

— John Lydon Official (@lydonofficial) 2018年3月15日 - 03:40
The Public Image is Rotten: UK/Europe & Japan Tour are now on sale.
See pilofficial.com for links. If in do… twitter.com/i/web/status/9…

— John Lydon Official (@lydonofficial) 2018年3月9日 - 19:30
General sale for The Public Image is Rotten: UK/Europe & Japan Tour is now open.

See pilofficial.com for l… twitter.com/i/web/status/9…

— John Lydon Official (@lydonofficial) 2018年3月8日 - 03:15
Please note the show at Dundee, The Church, Scotland, on Friday, August 31st 2018 is now SOLD-OUT.

Tickets for The… twitter.com/i/web/status/9…

— John Lydon Official (@lydonofficial) 2018年3月7日 - 00:15
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3月21日(水)のつぶやき その1
2018-03-22 | Weblog
gooブログ版 ドリアン長野の海外旅行記のリンク集 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:00
ドリアン長野の海外旅行記(ヤフーブログ版)並びにご連絡 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #ブログバトン #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:01
講談社のYouTubeでスピンクの動画が公開されました。見てやってください。よろしくお願いします。町田 康が歌う鎮魂歌「スピンク」 youtu.be/-iiFG2ZlC-U @YouTubeさんから

— 町田康 (@machidakoujoho) 2017年11月13日 - 13:49
来てや。 twitter.com/shincho_bungei…

— 町田康 (@machidakoujoho) 2018年3月19日 - 14:46
新潮社行てきたわ。#湖畔の愛 instagram.com/p/BgiV0lhhr7H/

— 町田康 (@machidakoujoho) 2018年3月20日 - 16:25
カケソバ・支点食い

— 中島らもキーワードbot (@nakajima_ramo) 2018年3月10日 - 06:00
おたく、ロカビリーの人でっか?

— 中島らもキーワードbot (@nakajima_ramo) 2018年3月10日 - 05:30
つまり「ロカビリーのべっぴんさん」である。結局私とは、「ネパールのべっぴんロカビリーのご主人」だったのだ。

— 中島らもキーワードbot (@nakajima_ramo) 2018年3月10日 - 05:00
facebook.com/17061928645993…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:03
facebook.com/permalink.php?…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:03
facebook.com/17061928645993…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月21日 - 01:04
本部直轄岩手道場/第10回内部試合レポート
branch.kyokushinkaikan.org/iwatedojo/news… fb.me/Vz0NBJee

— 極真会館 (@iko_kyokushin) 2018年3月15日 - 10:21
本部直轄札幌道場/キロロリゾート演武会レポート
branch.kyokushinkaikan.org/sapporodojo/ne… fb.me/tRiJnuAt

— 極真会館 (@iko_kyokushin) 2018年3月12日 - 21:04
kyokushinkaikan.org/en/news/2018/0… fb.me/1eTwIv1dh

— 極真会館 (@iko_kyokushin) 2018年3月12日 - 10:41
Tickets are on sale now for all dates on the Shiny And Oh So Bright Tour. Visit smashingpumpkins.com for tickets… twitter.com/i/web/status/9…

— Smashing Pumpkins (@SmashingPumpkin) 2018年2月24日 - 03:00
smashingpumpkins.com #SP2018 #shinyandohsobright #tour pic.twitter.com/BjbY7829th

— Smashing Pumpkins (@SmashingPumpkin) 2018年3月20日 - 06:45
Happy Birthday Billy! In celebration, we’ve released a new capsule collection. Available now for a limited time.… twitter.com/i/web/status/9…

— Smashing Pumpkins (@SmashingPumpkin) 2018年3月18日 - 02:26
お待ちしてます☆ twitter.com/torigoyasakaba…

— 原田おさむ (@OsamuThe) 2018年3月20日 - 13:33
4月3日、所属する大滝エージェンシーの、
おー笑いライブです! fb.me/4Lak2RKJZ

— 原田おさむ (@OsamuThe) 2018年3月20日 - 00:10
絶対に取れないクレーンゲーム、
絶対ここだけじゃないからな!(^_^;) fb.me/1UCLvTvrg

— 原田おさむ (@OsamuThe) 2018年3月19日 - 21:26
.@thomyorke will be playing solo shows in Italy, Switzerland, Germany, Belgium, Netherlands, UK, France and Spain t… twitter.com/i/web/status/9…

— Radiohead (@radiohead) 2018年3月19日 - 19:01
If you wish to buy tickets for the shows in Brazil, Colombia and Peru and are not residents of the country, here ar… twitter.com/i/web/status/9…

— Radiohead (@radiohead) 2018年3月2日 - 02:47
A fourth New York date has been announced on Saturday 14th July at Madison Square Garden. Tickets go on sale on sho… twitter.com/i/web/status/9…

— Radiohead (@radiohead) 2018年2月25日 - 00:38
Happy Birthday @joehahnLP pic.twitter.com/OizwnS6NSa

— LINKIN PARK (@linkinpark) 2018年3月16日 - 03:31
🙏🏼 twitter.com/iheartradio/st…

— LINKIN PARK (@linkinpark) 2018年3月12日 - 08:24
Restocked. twitter.com/linkinpark/sta…

— LINKIN PARK (@linkinpark) 2018年3月6日 - 12:55
【期間限定公開!ちびまる子ちゃん アニメ 第1期第2話『家庭教師がやってきた』の巻 】
動画が公開されました!
ちびまる子ちゃんねるでは、期間限定でアニメを配信して行きます、お楽しみに!
#youtube #ちびまる子ちゃん

youtu.be/Oi1vUV34Fqc

— ちびまる子ちゃん【公式】 (@tweet_maruko) 2018年3月20日 - 10:06
今日はミュージックの日なんだって♪

#ちびまる子ちゃん #ミュージックの日 pic.twitter.com/ImTBaGIkPL

— ちびまる子ちゃん【公式】 (@tweet_maruko) 2018年3月19日 - 12:38
【商品紹介】
ちびまる子xサンキューマートコラボ商品のポーチのご紹介です❤️🌹
裏表デザインがあり可愛いです💕💗
まる子ちゃんの表情が可愛らしいです🦋
もちろん全品390円(+税)
#可愛いと思ったらRT
#欲しいと思ったらRT pic.twitter.com/eBoP1VCI5Y

— サンキューマート原宿アルタ店 (@390harajyukualt) 2018年3月16日 - 18:05
Design the artwork for a unique vinyl release of “Lover, You Should've Come Over” with @Secret7s in aid of… twitter.com/i/web/status/9…

— Jeff Buckley Music (@JeffBuckley) 2018年2月27日 - 18:00
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やっと地上波で放送された「君の名は。」を観た 平成30年3月
2018-03-21 | Weblog
やっと地上波で放送された「君の名は。」を観た。
時空を超えて東京と飛騨に住む男女が入れ替わる。ある日、少女の住む飛騨の町が隕石によって消滅してしまう。二人は徐々に記憶が無くなってゆき、お互いに相手を探し求めるのだが、最後に…。

観ているうちに二つの作品を思い出した。

三島由紀夫の「豊穣の海」四部作は松枝清顕が輪廻転生していく物語だ。彼の親友本多が自らは年輪を重ね、清顕の転生を見守っていく。

藤子・F・不二雄の短編「ノスタル爺」は主人公が出征前に幼馴染みの里子と祝言を挙げ、終戦後に故郷に戻ってくる。タイムスリップに遭い、自ら土蔵に入って里子を見守る。

「盲亀の浮木」という支那の諺がある。
深海の底に住む巨大な盲目の亀が何千年か何万年かに一度だけ海面に姿を現わす。たまたま流木が浮いている。その流木にはたまたま穴が開いている。たまたま亀の浮上する真上にその穴があり、亀は首を突っ込んでしまう。とうてい起こり得ない偶然だ。

私の側にいる人は奇跡的な巡り会いでそこにいる、ということを考えさせる素晴らしい映画だ。

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1629903567097206?notif_id=1521592036852399¬if_t=notify_me&ref=notif

http://amzn.asia/iYz35ov   http://amzn.asia/9xoC8MU

3月20日(火)のつぶやき
2018-03-21 | Weblog
「ここはおまえの家だからいつでも帰ってこいよ 平成30年3月」 goo.gl/56Qqw1

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月20日 - 01:07
別の航空機いるのに… 中国の旅客機が許可なく離陸 那覇空港で重大インシデント  (沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180320-… @YahooNewsTopics

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月20日 - 08:43
親孝行って? 平成29年12月 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月20日 - 08:46
親孝行って? 平成29年12月 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月20日 - 08:46
quik.gopro.com/v/43amtxsII1/?…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月20日 - 08:46
「わたしたちが満たすことのできる最も大きな必要の幾つかは,家族,友人,ワード (会衆),地元の人々の中にあるのです。」ボニー・L・オスカーソン #愛 #奉仕 #友情 #家族 #地域 #社会 #キリスト教 #モルモン #lds

— モルモン教 (@morumonkyou) 2018年3月20日 - 06:28
facebook.com/durian.nagano/… まあまあ、落ち着いて

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月20日 - 08:50
3月19日(日)のつぶやき blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月20日 - 18:25

3月19日(月)のつぶやき
2018-03-20 | Weblog
「救い主を助けるためには,わたしたちは結束し,一致して働かなければなりません。どの人も,どの召しも大切です。」黄(サム)志康長老
#一致 #救助 #愛 #奉仕 #キリスト教 #モルモン #lds

— モルモン教 (@morumonkyou) 2018年3月19日 - 05:44
グロいショー facebook.com/durian.nagano/…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月19日 - 06:36
グロ注意! お店の張り紙「まぐろ解体ショー」が一文字足りないだけで恐怖のSHOWに(笑) waral.club/misswrite/post…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月19日 - 06:37
“Here, Take My Camera”: Responding to the Miraculous Message and Convincing Power of the Book of #Mormon binged.it/2FKoz1H

— Mormons in the News (@mormon_news) 2018年3月19日 - 06:48
煮魚の調理法 平成30年3月 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月19日 - 08:00
「平成30年3月第3月曜日」 goo.gl/rx1vG9

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月19日 - 08:54
平成30年3月第3月曜日 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月19日 - 08:58
マニラでホテル火災、5人死亡 改装中カジノから出火(朝日新聞) - goo ニュース news.goo.ne.jp/article/asahi/…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月19日 - 22:23
3月18日(土)のつぶやき blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月19日 - 22:54
平成29年3月家族写真 blog.goo.ne.jp/durian-nagano/… @duriannaganoさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月19日 - 22:55

ここはおまえの家だからいつでも帰ってこいよ 平成30年3月
2018-03-20 | Weblog
退院した父と実家で食事中、急に父が言った。
「おまえ、結婚してよかったなあ。子どもができてよかったなあ。あんな笑顔のかわいい子はおらんぞ。育子さん(嫁)に感謝せんとあかんぞ」

驚いた。父は商売をしているが、およそ商売人としては似つかわしくなく、無愛想で偏屈な人間だ(友人や近くの商店主からもよく言われた)。人の悪口や陰口も言わない代わりにお客さんに愛想を言ったことも人を褒めたこともない。
僕は三人兄弟の長男だったこともあったのだろう、特に厳しかった。体罰はしょっちゅうだった。そんな父に反発し、中学生の頃から口をきかず、ずっと家を出たいと思っていた。高校を卒業し、一人暮らしをしてからも何年も帰らなかった。ある年、久しぶりに(嫌々ながら)帰省したときに父が言った。

「ここはおまえの家だからいつでも帰ってこいよ」

初めて聞いた父の愛情表現だった。
父が10歳のときに広島で被爆したことを人づてに聞き、去年父と向き合いじっくりと話を聞いた。二日間で四時間くらい話をした。まるでそれまでの父との空白を埋めるような濃密な時間だった。
生後半年の弟を膝に置いてあやしている時に閃光が目に入り、思わず首をすくめた瞬間に弟が爆風で吹き飛ばされ、瓦礫の中で泣き声がしていたが、やがて聞こえなくなったそうだ。母親は奇跡的に助かり、半年後に再開したそうだが。

「がんばれ元気」に出てくる秀才の岡村くんは元気が嫌いだった。勉強しか取り柄がない岡村くんは元気に嫉妬していたのだ。ひょんなことから岡村くんが決闘を申し込む。殴り合いをして、と言ってもボクサーを目指す元気はグローブをつけて左のジャブだけで闘ったのだが。それでも相手に失礼だと手加減はしなかった。それから二人は親友になる。
元気は幼いときに両親を亡くしている。

大山総裁の「極真精神である、『目は高く、頭は低く、口を慎んで心広く、孝を原点として他を益する』の孝とは親孝行のことだよ。親というのは子どもを見返りのない、無償の愛で育ててくれる。それに気づかなければ駄目だよ。親孝行しない人間は私の弟子ではないよ」の言葉を思い出す。正月も帰省しよう。父は80歳、母は83歳、もっと話をしよう。生きているうちに。
親孝行って? 平成29年12月
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平成30年3月第3月曜日
2018-03-19 | Weblog
本日は月曜なのでドリアン長野について語りたい。 http://twilog.org/duriannagano

卒業の文字を間違えてはいけないですね。漢字変換ソフトは時に悪い間違いがあり漢字変換ソフトに対して激怒する人はいます。

書評が行われてました。過去よりもこれからについての変更は重要な時がございます。趣味の範囲でやってることに対して過大な負担を強いる人がいたら強要の領域に到達してるから否定され、管理能力が問われる。

テストで「うめよ。」の部分が「うめなよ。」と印字されてると驚くかも?

調理の時にアルミニウムを用いない方が良いと個人的には思います。

有名な筑波大学の卒業生の中には色々な人がいるようです。

若葉マークがついてる自動車については警戒が必要と言われてる。危険運転をする自動車は数多い。今年のある日、私も含めた数名の歩行者達が横断歩道を渡ってる最中に後続の自動車が待ちきれずに迂回して逆走し人を撥ねようとした前例があった。あのような悪い運転はしてもらいたくないし公道にやってこないでもらいたい。若葉マークがついてない自動車でも悪い運転をする人はいる。

良い人生を過ごすためにも良い言葉使いは重要です。時間は誰一人として待たない。厳しいようですが、世の中は善人だけではありません。悪人に対して制裁の一環で軍事情報を伝えることはございます。後に、過剰なストレスからか脳血栓で「なにぬねの。」が言えなくなる人はいて頭の悪い人がさらに頭が悪くなったようです。(笑)

お子様ランチの容器がアンパンマンであるかどうかは人それぞれで是非が分かれるかも?

現在、ドリアン長野は転機にございます。ドリアン長野のご両親は色々なご決断を下されました。はた目からも地元を離れて生活される決断は小さくなかったように思えます。健康で文化的な生活の為には色々な決断が必要な時がございますので悪質な自由妨害をしないようにする必要がございます。


ご連絡 

平成30年3月22日以降の祝祭日なんですが、基本的にマザーテレサボット、大山倍達bot、孝信'S PHOTOブログ、http://mormon.jp/ そしてhttps://twitter.com/morumonkyouの五者のみをつぶやいて(ツイッターで)紹介する予定です。

平成30年4月以降は西原理恵子公式サイト、地球の歩き方、そして、クリックで救える命があるを月に一度以上は土曜日に紹介する予定です。同様にダラズFM(もしくはhttps://twitter.com/darazfm798)は月に一度以上は日曜日につぶやいて(ツイッターで)紹介する予定です。
私も弱い一人の人間です。健康で余暇があればこの方針でやっていきます。

gooブログ上ではつぶやきが翌日に投稿されるがyahooブログ上では自動投稿の機能が無いので土日のつぶやきは日曜日もしくはそれ以降に転載します。
祝祭日に限っては可能であればその日もしくは翌日以降に転載をします。

フェイスブック上においてドリアン長野は複数の人物との連絡をやり取りされてます。それはドリアン長野が自己責任で決めた事なので問題がございません。周知のように実際に会った事がある人物とフェイスブック上で友人になる事が推奨されてます。無論、世の中には実際に会った人物であっても肯定的になるか否定的になるかどうかは人それぞれの自由意志が存在します。半ば恣意的かつ無意味な友達申請の行為は推奨されておりません。冷たい人だと考えられたくないがブログ等を通じて知ることになっても前述した内容を一度読み直した上でフェイスブック上でコメントをされていたドリアン長野の友人に対して申請をするかどうかは各自でご判断ください。
https://www.facebook.com/durian.nagano

平成20年代はすでに終わりました。無論、現在(平成30年3月末日迄)は平成29年度といった解釈は行えます。ある一定の役割について私は終わったと考えてます。平成30年四月以降、何等かの連絡があれば可能な限り月曜日に行います。ドリアン長野が行ったフェイスブック上の新規投稿の転載は行うにしても厳選します。単純に人や会社に対する冷やかしやおちょくった内容よりも今後は可能であれば時々はドリアン長野が行ってる真面目なお話だけを転載していく方針です。又、午後11時を過ぎた投稿の場合、転載が翌日になるのはやむを得ないです。
難しい思いをすることはたびたびございます。私がカナダを旅行中にあれこれ詰問してきた人がいて困りました。頼んでもないのに詰問してきましたので文句は言うが、改善が行えない自己管理能力が欠落した人みたいでした。言い換えると、ダメ出しはするがダメ出しの甘受を兼ねた改善が行えない人はいる。「あれが、悪い。これが悪い。」と発言した人物の間違いや過失行為が後に証明されることはよくあるお話です。日本人観光客は狙われていて対テロ対策の観点からもそういった人物とは関わらない方が良いです。向こうから頻繁にタイムライン上で質問してきたから本当に悪質でした。日本にいながら国際的に危ない団体と関わりがある人物に思える位に狡猾で公共の敵に思えました。知り合った人物にも危険性を伝えたが、それは相手が善人でないと理解されないかもしれない。強要はした方ではなくされた方が判断するものです。博愛の気持ちは保持しますが、関わってる事が常識や標準が疑われる人物はいます。この点については矛盾してると考えないでもらいたい。なぜならば、迷惑をかけてきた人を否定するのは仕方ないからです。気にいった事しかやろうとしないがゆえに社会整合性が無い人物と関与することは不可能です。

来週月曜日こと今月26日にgooブログはメンテナンスを実施することから新規投稿が難しくなりそうです。 https://twitter.com/duriannagano/status/973046281999298561 従って、yahooブログ上も含めて3月27日に投稿をすることになるかもしれません。

上記の広告は長期間更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。yahooブログの場合は前述した内容。「※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。」とgooブログから連絡を受けたくないから一か月間で一応は二回以上は何等かの新規投稿をしたいと考えてる。

皆さんが海外旅行に行くか否かは各自で熟慮の上でご決断ください。提案はしますが、責任はとれません。

そういう訳で皆さん、これからも良い一週間を過ごしてください。以上、管理人マーキュリーマークでした。
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3月18日(日)のつぶやき
2018-03-19 | Weblog
「元気を出しなさい。恐れてはならない。主なるわたしはあなたがたとともにおり、あなたがたの傍らに立つからである。」教義と聖約68:6 #イエス #愛 #希望 #キリスト教 #モルモン #lds

— モルモン教 (@morumonkyou) 2018年3月18日 - 06:31
ランチブレイクカフェ木曜日担当まっきーです。今週もお聞きいただきありがとうございました。... fb.me/7hTWrCD01

— DARAZ FM (@darazfm798) 2018年3月17日 - 18:03
「父の包丁 平成30年3月」 goo.gl/83aDX5

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月18日 - 08:06
父の包丁 平成30年3月 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月18日 - 08:06
HAPPY !
Love Rocks benefit concert! March 15th! Thank you, to everyone supporting such a great organization! Photo… twitter.com/i/web/status/9…

— Keith Richards (@officialKeef) 2018年3月18日 - 08:08

父の包丁 平成30年3月
2018-03-18 | Weblog




父の包丁

実家を処分するので先日帰省した。
父は妹宅に、母は弟宅に同居しているが、来週、半年振りに横浜のアパートで一緒に生活することになる。実家にいたときは父は一切料理をしなかった。母が数年前に転倒し、大腿骨骨折して台所に立てなくなってからは米を研ぎ、食パンを焼き、キャベツを千切りにし、怪しげな煮物を作るぐらいはするようになった。
帰省したときに台所を整理していたら、父が使っていた包丁を見つけた。父は簡単な料理を作り、食べ終わったらすぐに食器を洗い、包丁を砥石で研いでいた。手先は器用なほうで、趣味でプラモを作り、丁寧に塗装するのは得意だから料理もできるだろうにと思っていたが、変われば変わるものである。包丁を研ぐ姿が職人みたいで、僕もやってみたいなと思った。
その包丁を実家から持ち帰り、使っているのだが、実によく切れる。一昨日弁当の具材を切っていたのだが、不覚にも左手の人差し指の爪を切ってしまった。
父の包丁と言ったが、実際は母が長年使っていたものだ。それを息子の僕が譲り受けた。僕の子どもは六歳だが、ユーチューブでお菓子作りの動画を熱心に観て作ったりして、将来の夢はパティシエだと言っている。この前は目玉焼きを作ってくれた。もう少し大きくなったらこの包丁を使わせてやろうと思う。この包丁はおばあちゃんとおじいちゃんとパパが使ってたんだよ、と言って。

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3月17日(土)のつぶやき
2018-03-18 | Weblog
元来、言葉は、美しい 平成30年3月 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月17日 - 00:00
toriatama.net

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月17日 - 00:15
地球の歩き方 on twitter | 地球の歩き方 arukikata.co.jp/twitter/

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月17日 - 00:16
JXTGエネルギー東京2020パラリンピック応援クリック募金 noe.jxtg-group.co.jp/csr/jxtg/click…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月17日 - 00:16
キヤノンマーケティングジャパン株式会社:未来につなぐふるさとプロジェクト|はじめよう!|つたえよう|つたえよう みんなの活動|こんなに可愛く撮れたよ cweb.canon.jp/csr/furusato/a…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月17日 - 00:17
キヤノン 「未来につなぐふるさとプロジェクト」クリック募金 cweb.canon.jp/csr/furusato/j…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月17日 - 00:17
今日も #クリック募金 に参加しました! → dff.jp

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月17日 - 00:17
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3月16日(金)のつぶやき
2018-03-17 | Weblog
時計と海外旅行 平成29年 goo.gl/fB2ALD

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月16日 - 00:29
末日聖徒イエス・キリスト教会 (モルモン教会)は政党政治の問題に関して中立の立場を取っています。これは政党政治が確立した多くの国で例外なく当てはまります。詳しくはこちら-> bit.ly/2pbRNfr #日本… twitter.com/i/web/status/9…

— モルモン教 (@morumonkyou) 2018年3月15日 - 07:05
なんかヤダ… facebook.com/durian.nagano/…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月16日 - 09:24
ついに国民的ヒーローにも・・・アンパンマンに異物混入疑惑が浮上! - NAVER まとめ matome.naver.jp/odai/214209855…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月16日 - 09:25
"I remembered also to have heard my father prophesy unto the people concerning the coming of one Jesus Christ, a Son of God" Alma 36:17

— The Book of Mormon (@BookMormon2day) 2018年3月16日 - 12:35
PEOPLE.03 西野 亮廣「レターポットが紡ぐ世界とは?」|ホットペッパービューティーアカデミー hba.beauty.hotpepper.jp/check/14755/
元来、言葉は、美しい。言葉が有限であるという自覚さえあれば、僕たちは美しい言葉しか使わないんだと気づいたんです。

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月16日 - 23:48
元来、言葉は、美しい 平成30年3月 goo.gl/JrWegT

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月16日 - 23:52

元来、言葉は、美しい 平成30年3月
2018-03-16 | Weblog
元来、言葉は、美しい。言葉が有限であるという自覚さえあれば、僕たちは美しい言葉しか使わないんだと気づいたんです。

https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1624804440940452?notif_id=1521170991376982¬if_t=notify_me&ref=notif

PEOPLE.03 西野 亮廣「レターポットが紡ぐ世界とは?」|ホットペッパービューティーアカデミー https://t.co/tby70jtNy8
元来、言葉は、美しい。言葉が有限であるという自覚さえあれば、僕たちは美しい言葉しか使わないんだと気づいたんです。

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月16日

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#91

2024-04-26 | 日記
3月15日(木)のつぶやき
2018-03-16 | Weblog
超初心者 facebook.com/durian.nagano/…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月15日 - 06:51
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gooブログ版 ドリアン長野の海外旅行記のリンク集
2018-03-15 | Weblog

順不同。2010年(平成22年)以前に旅した海外旅行記です。

実質的に完了した海外旅行記【夏が来れば思い出す】

ドリアン長野のタイランド旅行記

ドリアン長野のほぼエッセイですがマレーシア旅行記

ドリアン長野のニューヨーク旅行記

ドリアン長野のロサンゼルス(米国)とティフアナ(メキシコ)旅行記

ドリアン長野のミャンマー旅行記

ドリアン長野の北京旅行記   ドリアン長野の上海旅行記

ドリアン長野の香港旅行記   ドリアン長野の台湾旅行記
  
ドリアン長野のインド旅行記   ドリアン長野のカンボジア旅行記

ドリアン長野のフィリピン旅行記   ドリアン長野のネパール旅行記

ドリアン長野のベトナム旅行記   ドリアン長野の英国旅行記   

上海日記 1日目   上海日記 6日目   上海日記 最終日

インド編 その2  インド編 その4  インド編 その6  インド編 その8

オリエンタル・ホテル  テーメー・カフェ  カトゥーイ

バンコクのディスコ  クロントゥーイ市場  スワニー

バンコクの魅力  大都会バンコク  カオサンの大晦日

夏が来れば思い出す その3  香港の散歩

NYバスターミナル編  NY地下鉄編  NYホテル編  

ビルマの休日その5   ビルマの休日その10  ビルマの休日その15

カンボジア再びその1  カンボジア再びその3  カンボジア再びその5

以下はスマートフォン版でこのブログを閲覧した人への連絡だけでなく海外旅行の予定がある人並びに関連する人を対象に伝達します。

海外旅行案内書を一冊は読んだ上で旅を楽しんで下さい。名店や名所だけに関心するだけでなく現地情報も得られます。私は皆様に対し危険地帯に行く事は推奨出来ません。
外務省海外安全ホームページでも危険情報は発表されてますので旅立つ前に各自でお調べ下さい。
関連するようですが海外旅行保険の加入は必須です。www.kaigaihoken.jp
頼まれて無いのに海外旅行中の人に対しフェイスブックのタイムラインに毎日詰問することが無いようにしましょう。ユスリが目的なのかもしれませんがストーカー行為であり旅人の安全に関わるからです。
ドリアン長野はカンボジア旅行中に病気に至ってから帰宅して所持金が¥1133でしたので予算や薬は多めに用意しておきましょう。

ドリアン長野のカンボジア旅行記の抜粋

出国審査を終えるともう外国の通貨は必要ない。手持ちのお金を日本円に換金し、この時点で所持金が1000円と9ドルと5・5バーツ。なんとか帰国して自宅にたどり着いた時の所持金は1133円だった。昔、「がっちり買いまショー」というテレビ番組があったが(知ってるか?)、その海外版があったとしたらわしの優勝やあ~っ!

付加

旅行商品と旅の試練 令和元年8月
皆さん海外旅行よりも高値の国内旅行に行きたいですか?

旅行商品はお早めに 令和元年9月

年末年始と中共 令和元年12月

幻の海外旅行記 平成29年

時計と海外旅行 平成29年

外貨と海外旅行 平成30年3月

海外旅行とバス 平成30年3月

なぜ、ドリアン長野は海外旅行に何度も行けたか? 平成30年3月

ハローグッバイ 平成30年四月

ドリアン長野のランニングな日々(マラソンの記録 gooブログ版)

 ドリアン長野は平成25年に作成した冒頭の「夏が来れば思い出す」を除外し平成十年代にgoo簡単ホームページ上においてほぼ勢いだけで海外旅行記等を投稿しました。順番が乱雑であったので整理整頓が必要でした。
皆様、過去と違い平成20年代の某日にgooブログは三万文字の投稿が一回で行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。
海外旅行中は多忙であるばかりか時差ボケで苦しんでる人もいるので安全対策の観点からもフェイスブック等を通じて海外旅行中の人に詰問をすることが無いようにしましょう。日本語が分かるからって頼んでもないのに過剰な干渉をすることはテロ対策の観点からも間違いです。

影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。皆さん、経年による変化はどこの国でも起こりえます。
旅行記の中で紹介されてる価格や税金等は値上がりも含め変更してる恐れがございます。言い換えると過去と現在の金額は違う可能性がございます。従って、詳細は各自でお調べ下さい。もし、海外旅行に行かれるなら訪問先の最新情報を得て可能な限り安全な選択をして下さい。
 私は平成27年10月にカナダのブリティッシュコロンビア州へ旅してきた後で、画像と動画を付加して海外旅行記を発表しました。これで「海外旅行に一回も行った事が無い人が海外旅行記のブログの管理人をしてる。」と公共の敵から誹謗をかねた批判がなされることはなくなったが、旅行中に狂人からフェイスブックを通じて詰問され旅の楽しみが半減させられました。嫌がらせをする人はいつまでも嫌がらせをするから関われない。そういう訳で不利益しか作り出せないから相手に出来ないとも言えます。親睦を深めるよりも亀裂を深める連絡が多くて閉口した。せめて、加害者は被害者を偽装しないでもらいたかった。やってはいけない自由妨害や人権侵害といった概念が欠落した上で迷惑行為は辞めるようにしましょう。資本関係が無い無関係な人が詰問すること自体が悪い意味で暇人であることを証明してるし、ユスリ等が目的であったように感じさせます。 日本人でも偽善者であれば犯罪の幇助をするようです。

 私がカナダ旅行記を発表してから考えることがございました。

 ~海外政府が行った方針の変更~
 第一に、「過去およそ10年(*1)の変化について、皆様に連絡をしないよりもした方が良いのでは?」と考えました。ま、平成29年度には平成30年1月から3月が含まれてるのは日本人であればご理解してもらえると思います。
内政干渉はしないがメキシコと米国の間に壁を作る計画を発表したトランプ政権と同じ位に、平成19年にジャーナリストの長井健司さんが殺害されたばかりか、平成29年の夏に混乱を作り出したミャンマー軍事政権には問題があるように思える人は多いのではなかろうか?
*1 2007年から2017年。言い換えると平成19年から平成29年。将来的にはこの部分も過去の出来事になります。
ジャーナリストの長井健司さん射殺から10年 ミャンマー

メキシコ国境の壁 試作品が完成 デザインいろいろ(17/10/27)



繰り返すようですが、もしも、海外旅行されるなら各自で最新情報を得た後で熟慮してから渡航してください。影響を与えることは行えても責任は取れません。

 ~私自身、海外旅行したので理解が深まりました~
 第二は実際に私がカナダ旅行してきて海外旅行について理解が行えた部分は小さくなかったです。まるで「千の言葉よりも一の実行。」です。国内旅行だけでは理解が難しい部分はございました。日本語が喋れる人でも善人もいて好感したばかりか困った時に助けられましたので感謝してます。概ね私はカナダ旅行を楽しめましたが、批判せざるを得ない悪人もいて困りました。
ドリアン長野はタイランドのバンコクが好きで、私はカナダのバンクーバー(ブリティッシュコロンビア州)が好きになりました。
私は平成27年10月にカナダに行ってきました。


 ~順不同であったので整理整頓の実施~
 第三に、ドリアン長野は平成10年代に半ば勢いだけで投稿してたことから(とても乱雑な)順不同であったので整理整頓は絶対必要でした。恣意的ではなく実体験したことを発表したのは良いが、国毎ないしは範疇毎に区分けしたいとは思いました。
メキシコ旅行記のように米国に行った後で陸路でメキシコに行った例外的な旅行記の前例は否定しないが国毎ないしは範疇毎に分割しないと円滑に楽しめません。周知のように同じ国でも訪問した町が違うと全く違う旅行記になります。一例を示すと、上海旅行記と北京旅行記は全く違います。又、誤解のないように明確化しますが皆さんに対して一回の海外旅行で複数の国々(二か国以上)へ渡航(訪問)することについては一切妨害しませんし否定もしません。
繰り返すようだが、悪い意味で順不同だったので整理整頓による改善は絶対必要でしたし文字数制限が過去よりも増加したから行えました。
上海旅行記はドリアン長野が執筆した本文だけで二万文字以上ですのでgooブログにおいては一回で三万文字の投稿が行えるのは喜ばしいです。

これら三点については考慮し感想に反映させました。
ドリアン長野が2010年(平成22年)以前に世界を旅した14か国(香港と中国は別口)の海外旅行記ですので現状とは異なる部分があるかと思いますがお楽しみ下さい。
管理人マーキュリーマーク 敬具 平成30年3月

オマケ

半ば、余談かもしれませんがドリアン長野の海外旅行記は実体験したから執筆が行えました。厳しいとは思われたくないばかりかドリアン長野の海外旅行記の内容とは(ある意味)無関係なんですが、ある旅行記を読んだ時に否定的に感じたことがございました。旅行記であるにも関わらず理想と現実に大きな乖離があることについて大げさに語ることが好きな人は現地の状況について明確に伝えていないように感じられるから問題があり旅行記を執筆する作家としての実力を満たしていないから否定的に感じることもございました。そういった点とは無関係である部分は佳作です。時には期待外れ等の否定的な意見を述べることは仕方ないかもしれないが、良かった部分も執筆されないと作品並びに作家の標準について懐疑する人は多いであろう。なぜならば、否定的な考えや恣意的な意見を優先するのではなく肯定的な部分や現実を知りたい人は多いに違いない。羞恥心が無いがゆえに恣意的な意見を優先する人に問題があることは周知されてます。

       

      
順不同
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3月14日(水)のつぶやき
2018-03-15 | Weblog
「一度に完全になれると思ってはなりません。そんな期待をしたら,失望するでしょう。今日は昨日より良くなり,明日は今日よりも良くなるようにしなさい。」ロレンゾ・スノー大管長 #人生 #成長 #赦し #キリスト教 #モルモン #lds

— モルモン教 (@morumonkyou) 2018年3月14日 - 06:26
筑波大卒の筑波大監督… facebook.com/durian.nagano/…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月14日 - 07:48
筑波大の卒業生に筑波大さんという人がいる!? - トゥギャッチ togech.jp/2015/11/23/304… @togech_jpさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月14日 - 07:49
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3月13日(火)のつぶやき
2018-03-14 | Weblog

「煮魚の調理法 平成30年3月」 goo.gl/h2jgNe

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月13日 - 00:37
facebook.com/durian.nagano/… わかったよ

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月13日 - 09:34
「先がよく見えないときもあるでしょうが,救い主に従い続けてください。主は道を御存じです。確かに主御自身が道なのです。」スティーブン ・W・オーウェン長老 #イエス #道 #人生 #キリスト教 #モルモン #lds

— モルモン教 (@morumonkyou) 2018年3月13日 - 08:55

「書評 魔法のコンパス 平成30年3月」 goo.gl/6QvMHm

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月13日 - 23:23
書評 魔法のコンパス 平成30年3月 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月13日 - 23:25
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書評 魔法のコンパス 平成30年3月
2018-03-13 | Weblog
面白かったー!

「失敗もあるだろう。
挫折もするだろう。
痛みを知るだろう。
涙する夜もあるだろう。
ただ、そんなものは大した問題じゃない。
恐れる必要はない。
失敗も、挫折も、痛みも、涙した夜も、
いつかは必ず過去になる。
そして、そのとき僕らは、その過去を変えることができる。」
魔法のコンパス 道なき道の歩き方 西野 亮廣 https://t.co/2QxvM79jzJ @amazonJPさんから

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月13日


https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1622246124529617?notif_id=1520949292358189¬if_t=notify_me&ref=notif
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3月12日(月)のつぶやき
2018-03-13 | Weblog

\(//∇//)\ facebook.com/durian.nagano/…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月12日 - 10:37
平成30年3月十日と11日のつぶやき - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月12日 - 12:26

平成30年3月第二月曜日 goo.gl/5BaSVh

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月12日 - 13:11
平成30年3月第二月曜日 - ドリアン長野のランニングな日々 - Yahoo!ブログ blogs.yahoo.co.jp/duriannaganoka… #ブログ #日記

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月12日 - 13:14
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煮魚の調理法 平成30年3月
2018-03-13 | Weblog
煮魚を食べたいけど、砂糖は使いたくない、っていうかわが家にはそもそも砂糖が置いてない。
醤油大さじ3、みりん大さじ7(みりん風調味料というまがい物ではなく、本みりんを使いましょう)、日本酒100ml、水150ml、スライスした皮付き生姜を火にかけて煮立ったら魚を入れて15分くらい煮ます。くしゃくしゃにしたアルミホイルを落し蓋にするといいです。美味しいですよ。
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平成30年3月第二月曜日
2018-03-12 | Weblog
本日は月曜なのでドリアン長野について語りたい。 http://twilog.org/duriannagano

3月五日はドリアン長野の誕生日だったのでお祝いのメッセージが複数寄せられました。

金曜日と筋曜日は大違い。

パンの商品名にヤツが含まれるのは困惑を招くかも?

鳥取県で販売されてるブドーパンはおいしいそうです。

私の地元から此花区は少し遠いので確認は難しいですが、丸京庵さんの商品は心斎橋ばかりか此花区でも販売されてるようなのでドリアン長野の投稿には間違いがあるかもしれません。少なくとも大阪市内では複数店舗で販売されてようなので一店舗だけでない可能性は高い。どら焼きの天ぷらとはあんドーナッツのような食品でしょうか?

http://www.marukyo-seika.co.jp/shop/kinki/

全日食 とりしま店 大阪府大阪市此花区酉島4-1-14 06-6460-2168

棒がついてるアイスであるにもかかわらずチョコレートアイスの部分を素手で持つのは不衛生ですね。

いわゆる「どっちですか?」と言いたくなることはある。

お店に行ってガラの悪いお客さんが店内にいると、困ることがありますね。私は店員ではないが、客と従業員の区別がついてない人から質問されると困る。

死刑制度は四大聖典の中に記述されていて殺人犯には適用されると考える必要がある。エゼキエル書25章17節は重要視されてるし、ニーファイがラバンに対して何をしたか?公開処刑をやってる国もある。死刑囚に至った極悪犯を放置するような社会にしてはいけない。一説によると脳内に良い心を持つ部分が欠落してるから社会整合性が無い人はいるらしい。本人自身が自己の管理能力が欠落したまま社会で迷惑をかける通り魔も処刑の対象になりえる。心配や迷惑をかけるような人には関われない。
教会の指導者から「本人に問題があった場合、家族に責任をとってもらいます。」と教えられた。それが現実です。軍事情報の伝達の結果、コリホルのように言語障害に至った異常者はいる。結局、秘密結社が存在してるのはいい加減で悪い人がいるからなんです。
ドリアン長野は死刑制度については複数回述べてました。色々悩む部分はございます。万が一、えん罪だった時の責任は存在します。

「将来あなたの娘が素晴らしい男性と結婚してほしいと望むなら、あなたの妻を大切に扱いなさい」ある女性指導者の言葉。
錯乱してる人が多く、たくさんの人が悩んでる。改善を求めても否定される事が多いです。あまり悪いと懲罰の対象にもなりえる。「じゃ、これどうなるの?」と質問したら「甘やかしてはいけない。」と逆上する人は多い。公的制度について否定的な人がいるので艱難辛苦は存在する。

ご連絡

皆さんが海外旅行に行くか否かは各自で熟慮の上でご決断ください。提案はしますが、責任はとれません。
過去と違って現在gooブログでは3万文字の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表してますので皆様、お楽しみください。2018年3月6日(火)以降はURLの変更が行われ以下のようになりました。https://blog.goo.ne.jp/durian-nagano

今月26日にgooブログはメンテナンスを実施することから新規投稿が難しくなりそうです。 https://twitter.com/duriannagano/status/973046281999298561

少なくともVHSではないがヤフーブログベータ版なんですが、流動的な部分があるようです。文字数制限が2万文字の影響は小さくないことから、上海旅行記は長文なのでヤフーブログ上では構造上分割して発表するのが関の山です。後に、gooブログばかりかyahooブログにおいての変更はします。

今月、何度行うかは不明ですが午後11時を回っての投稿は翌朝に転載することはあり得ます。

それでは、皆様、良き一週間を過ごしてください。管理人マーキュリーマーク

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3月11日(日)のつぶやき
2018-03-12 | Weblog


darazfm.com

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月11日 - 07:03
無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection) 永山 則夫 amazon.co.jp/dp/4309402755/… @amazonJPさんから(永山則夫「無知の涙」を読む提案に対しての返答)読もうとずっと思っていましたが未読です。読んでみます。

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月11日 - 07:07
死刑確定から執行まで何年もかかりますね。それを自分たちの税金を使うな、さっさと執行しろ、という批判がありますが、死刑囚にとってはその年月が地獄の苦しみだそうです。 facebook.com/durian.nagano/…

— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年3月11日 - 07:07


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実質的に完了した海外旅行記【夏が来れば思い出す】
2018-03-12 | Weblog

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その2  その3  その4  追記 平成30年7月末日
【夏が来れば思い出す】その1 

「タイは若いときに行け」という、いしだ壱成出演のタイ航空のCMが流れたのは90年代だった。あれを観てタイに行った人も多いらしい。今やタイは若いときに行け、中高年になっても行け、定年したら住め、である。今までタイには10回ほど行ったが、バンコクだけでチェンマイもプーケットも行ったことがない。新婚旅行もバンコクにした。妻にもバンコクの素晴らしさを知ってほしかったからである。しかし、そのバンコクで九死に一生を得ることになるとは神ならぬ身には知る由もなかったのである。(続)

_

【夏が来れば思いだす】その2 

妻は一応イタリアに行きたいと言ったのだが、バンコクの素晴らしさを力説して説得する。気が変わらないうちにチケットを買いに旅行代理店へ。新婚旅行は12月だったのだが、クリスマス前のシーズンオフのチケットが安い。リーマンパッカーは年始年末、盆休み、ゴールデンウイークくらいしか長期の休みが取れないから仕方がないが、これがよくいう格安チケットか。今までの三分の一の値段だ。そういえば、20年前のインド行きが30万円した。初めての海外旅行だからと考えもせずに購入したが、ツアーでもないのに高すぎるんじゃないか。ああ、嫌なことを思い出してしまった。
とにかく、チケットさえ手に入れれば問題はない。せっかくだから帰りに香港にも寄ることにした。私は妻に厳命した。
毎晩、違うホテルに泊まるので移動しやすいように荷物は最少に。スーツケース不可。なんせこっちは、旅慣れしてんだかんね、夫の頼もしいところを見せてやろうじゃないか、よもや関空離婚はないだろう。と一人不敵な笑みを浮かべるのであった。

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【夏が来れば思い出す】その3

早朝の6時半に家を出て夕方の4時過ぎにバンコクのスワンナプーム
空港に着いた。この新空港は去年開港したばかりだ。(*1)旧空港のドンムアンに比べると物凄く近代的だ。イミグレーションへと続く通路の壁面はコンクリートの打ちっ放しで、かなりかっちょいい。今までドンムアン空港に到着するたびに、「初めてドンムアン空港に到着した時は恐ろしさに膝が震えた。」という、バンコクのお寺で出家し、在タイ10年に及ぶ山田均という東南アジア学者の言葉を思い出したものだった。そんなある種の緊張感を旧空港は発散していたのだが、新空港はなんだかオシャレでパリにでも来たような気分だ。せしぼん。
*1 スワンナプーム国際空港(BKK)は平成18年(2006年)9月28日に開港した国際空港で長野夫妻は平成19年の年末から平成20年の年始に新婚旅行されたようでその時の出来事を執筆されました。

_

【夏が来れば思い出す】その4

旧空港からだったら、路線39番のバスで安宿が集まるカオサン通りまで行くのだが、勝手がわからない。とにかく、シャトルバスでトランスポーションセンターまで行く。そこをうろうろしていると、「どうしましたか?」と日本人青年に声をかけられた。彼はバンコクのお寺の修行僧で、日本から両親が来たので空港まで迎えに来たところなのだそうだ。彼に教えてもらった市バスで民主記念塔まで行く。ここからカオサンまでは目と鼻の先なので、歩いて行こうと試みるが迷ってしまった。バスや徒歩が好きなので、タクシーにはなるべく乗りたくない。夜も遅いので仕方なくタクシーを拾ったのだが、大通りを飛ばし、裏通りを抜け、ものすごく遠回りをして目的地に着いたのだった。道路工事や一方通行規制もあって一概には言えないけど、ぼったくりだな。230円だったけど。

(妻の日記から)

「バスに乗りながら、街の看板が大きいと感じた。バスには女性車掌がいて、テキパキとしていた。そして客がどこから乗ってきたかを一人一人覚えている記憶力には驚いた。切符を切る道具や切る様子を写真に撮る。タクシーは思っていたよりきれい。カオサン通りまで徒歩を試みるも迷い、タクシーで行く。一方通行が原因か、すごく遠回りされた気がする。ぜったい、ボッタクリだ。」


皆様への伝達事項

紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

バンコクバスの乗り方 How to catch a bus in Bangkok ( second-bound for Kaosan)

ドリアン長野が2010年(平成22年)以前に行ったバンコクへの新婚旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。ドリアン長野が結婚した後で行ったバンコク(タイの首都)の旅行記で実質的な最終話で、平成25年(2013年)に作成しフェイスブック上で発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
【夏が来れば思い出す】は長野夫妻の新婚旅行記であり(私が知る限り)平成20年代においては唯一の海外旅行記です。時期は平成19年(2007年)の年末から平成20年(2008年)の年始でバンコクと香港を旅した未完の作品で旅の試練は謎のままです。
平成29年(2017年)7月の某日にドリアン長野と再会した時に執筆を依頼したら前向きな返答を得たが、平成30年(2018年)3月十日を経過しても発表はされてません。将来的に執筆されることを期待するばかりです。可能であれば、転載は行いたいですが執筆されていないので行えません。
道案内をされた日本人修行僧さんは素晴らしい人格者です。私も頻繁に道案内をしてるのを連想しました。それと同じように私がカナダを旅行中に道案内をして頂いた良き在外邦人も連想します。日本とタイの仏教徒は相互に修行僧が行き来してるようです。インラック政権が平成25年1月に最低賃金を引き上げた影響は大きいようでタイの物価は値上がりし老後を過ごすには不向きらしいです。
 平成18年(2006年)に開港したスワンナプーム国際空港の空港連絡鉄道(エアポート・レール・リンク)は通勤に利用出来ても観光は不向きだそうです。
 そのエアポート・レール・リンクが利用出来るようになったのは平成22年(2010年)8月23日からなので長野夫妻は空港連絡鉄道の利用が行えませんでした。

【夏が来れば思い出す】その3からの抜粋
早朝の6時半に家を出て夕方の4時過ぎにバンコクのスワンナプーム
空港に着いた。この新空港は去年開港したばかりだ。

人によったら「何が去年だ。私は2010年(平成22年)以前の2006年(平成18年)から2009年(平成21年)の時期にBKKことスワンナプーム国際空港は何度も利用したから間違いに感じる。」と曲解されるかもしれませんが、実際に長野夫妻がBKKことスワンナプーム国際空港に赴いたのは、平成19年(2007年)の年末でありました。
「長野夫妻は、帰国後の平成25年(2013年)に平成19年(2007年)の年末から平成20年(2008年)の年始にかけてのタイランド旅行記を執筆した。」と解釈してください。
奥様の海外旅行記は佳作なんですがドリアン長野に限ってはお笑いエッセイと考え脱力してお読み下さい。
平成19年の夏にはドリアン長野はインターネット上で海外旅行記を発表する気持ちが失せていて平成20年以降は半ば私の趣味でホームページの運営が行われてます。繰り返すようですが、平成25年になってから平成19年の年末から平成20年の年始にかけて行われた今回の旅行記をドリアン長野は執筆しました。

平成30年3月

ドリアン長野のタイランド旅行記
追記 平成30年7月末日 
謎が解けました。機会があり、ドリアン長野の奥さんと再会しました。「タイランドで死にかけた話って何ですか?(その1参照)」と質問したら「(ドリアン長野は)プールで足がつった。」だそうです。
皆さん、日本であるか外国であるかを問わず水泳の前には準備運動をしましょう。事実上、これで完結かな?

繰り返すようですが、ドリアン長野は平成十年代のみ利用出来たgoo簡単ホームページで発表されたのではなくフェイスブック上で投稿されたのは2013年(平成25年)ですが、実際にドリアン長野並びにご婦人が旅したのは2007年(平成19年)の年末から2008年(平成20年)の年始にかけて行われましたので「2010年以前にドリアン長野が旅した海外旅行記。」で間違いありません。

追記
ドリアン長野は実質的な最終回を執筆されたので特別に転載します。

回顧を兼ねた書評 令和二年三月

僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。 旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。










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#90

2024-04-26 | 日記

ドリアン長野のほぼエッセイですがマレーシア旅行記
2018-03-12 | Weblog

ドリアン長野のほぼエッセイですがマレーシア旅行記
 #10 ドリアン
 人は非日常的な体験を求めて旅に出る。海外ならなおさらだ。しかし、それが食文化になると頑なに自国の食生活に固執する人がいる。たとえば、欧米人なんかがそうだ。彼らは外国においても朝はトーストとハムエッグ、昼はマクド(関東地方だったらマックよね。おされだわ)というスタイルを崩そうとしない。マーブンクロンのクーポン券式大食堂には欧米人の姿も見かけるけどな。大半は一、ニ度料理を食べてみて後はコーラとハンバーガーってとこだろう。君たち、それで満足なのか? 私はイギリスではフィッシュ・アンド・チップス、アメリカではステーキとハンバーガーを食い続けたぞ。まずかったけど、それでも我慢して食ったわい。(我慢して食うなよ)
自国以外の食生活に興味を持たんから、鯨を食う日本人は野蛮だなんてぬかすんじゃい! 「美味しんぼ」の海原雄山も食はその国の文化だとゆうておろーが。私はある国に行ったら、その国の人間が食べている物を食い倒すぞ。フィリピンやベトナムでおやつがわりに食べてる、孵化寸前の鶏の卵は塩をかけて食うとうまいんだよっ! 海外番組のTVリポーター(女優)は「いや~ん、気持ちわるう~い」とか「やっだあ~、ざんこくう~」とかぬかしてんじゃねー! アラブ人街に行ったら、羊の脳みそのカレー煮込みが安く食えるぞ。ベトナムでは時間があれば、センザンコウでも犬でも食いたかったわい。イサーン地方では虫も食べる。カオサンやラーチャダムヌーン・スタジアムの前やナナ・エンターテイメント前の路上に行けば、屋台でいつでも売ってるぞ。メーンダーは黒くて一見するとゴキブリに似ているがタガメだ。羽と足を取り、歯で身をしごいて食べる。その他にはバッタのフライとかコオロギとかカイコのさなぎとか赤アリとか、全部スナック感覚だ。もちろん、私の口に合う物もあるし、合わん物もある。だが、口に入れてみなければ味は絶対にわから~ん! 食わず嫌いはいろんな事を損してると思うぞ。
日曜日の夜の「世界ウルルン紀行」はタレントがいろんな国へ行って、一週間ホームステイするという番組だ。お世話になった家族と別れるシーンで私はいつも号泣してしまう。下條アトムのナレーションが泣かせるんだ、これがまた。ある日の番組では某男優がアフリカの某国に行った。その国では牛がとても重要な役割を担っているわけだよ。畑を耕したり、牛乳を飲んだりはもちろん、牛糞を燃料にしたり、家の壁にしたりな。それどころか、尿をシャンプーにもするし、飲んで胃に収めてから吐き出して胃腸を整えたりするのだ。その男優がそれに挑戦した。牛の泌尿器の下に容器を構え、おしっこを受ける。男優は容器になみなみとつがれたおしっこを眺めた。さあ、どうするんだ? 本当に飲むのか? 私は手に汗握って見つめたね。彼は一瞬ためらったが、ついにうぐうぐと飲み干し、そして吐いた。司会者に「どんな味でした?」と聞かれ、彼は苦いような、しょっぱいような、とにかくすごい味でした。その味が今でも口に残っています、と答えた。私は猛烈に感動したね。これが感動せずにおられよかってんだい。世の中には健康飲料だと称して己のおしっこを飲むやからがいるが、自分のでも躊躇すんのに、ましてや牛のおしっこだぜ。サムライだね。えらいもんだ。郷に入っては、リーに従えとはこのことだっ!(離婚したけど)さすがの私でもおしっこまでは飲めん。そこでドリアンだ。フリが長かったな。ドリアンを屁のにおいだとかウンコくさいとか言うやつは、牛のおしっこも飲めんくせにグタグタぬかすんじゃねー!(無茶苦茶) ドリアンは確かに強烈なにおいがする。バンコクの「ロビンソン」で買ったドリアンをリュックに隠し、日本に持って帰った。(見つかると税関で没収だからな)機内でもリュックを開けるとガスのにおいが漂うので、冷や汗もんだったさ。その密輸入したドリアンを会社の同僚が食べてみたいって言うので、親指大をアルミ箔で包み、ビニール袋に入れて会社に持って行った。ロッカー室で包みを開け、食べさせてやった。その後、会社の人が「ガスくさいぞ。ガス漏れしてるんちゃうか」と騒ぎ始めたのだ。本当のことを言うに言われず黙っていたら、誰かが電話したんだろうな。大阪ガスの車がやって来てガス漏れの点検をやり始めた。しばらく調べていたが、もちろん異常なしで帰っていった。恐るべし、ドリアン! 今でも会社の人には真実を伝えていない。でもさ、ドリアンアイスとかドリアンスナックとかドリアンキャンディーとかドリアン羊羹(がバンコクの伊勢丹で売っとるのだが、これはさすがに食したことはない)はうまいとは思わん。ドリアンの身上はにおいではなく、カスタードクリームを濃厚にしたような 、あのねっとりとした果実だ。これぞ、キング・オブ・フルーツ。ドリアンを食べるためだけに、タイに行く人の気持ちが私はよく分かるぞ。ドリアンを食べていると私は幸せになる。納豆やくさやの干物を好んで食べる日本人が、においだけで毛嫌いするのはどういうわけだ。
マレーシアに行った時、屋台にドリアンを食べに行った。買ったその場で食べていると、「ドリアン、むっちゃ、うまいわ~」 「ほんま、最高やね~」という大阪弁が聞こえてきた。見ると、屋台のテーブルで女の子が二人、必死の形相でドリアンにむしゃぶりついていた。クアラルンプールは退屈な街だったが、その時の光景だけはよく覚えている。

NO44 ウタダ
at 2004 04/02 23:49 編集

I was out stumbling in the rain staring at your lips so red.
よろめき出ると、雨。なんて赤い、あなたの唇。

小生、過日久しぶりにテレヴィジョンを聴こうと思い、セカンド・アルバム「アヴェンチャー」を引っ張り出した 。一曲目の「Glory」。冒頭の詩はその一節。

語順に訳出し、体言止め。赤い唇のなまめかしと、雨の冷たさの対比が、いい。訳詞をしたのは岡田英明と、ある。岡田氏は、かつて「ミュージック・ライフ」誌上で、ピストルズの「プリティー・ヴェイカント」をWe are pretty oh so prettyと繰り返し、そこでvacantと言葉の意味が逆転するのは痛快だ、という意味のことを書いていたが、彼はそこでprettyという単語を正しく理解していたのであり、なんじゃ、そらあたり前やんけと言う人もあるやもしれんが、事実はそうでは、ない。ピストルズは正式なスタジオ・アルバムは畢竟(ひっきょう)、一枚しか捻出していないにもかかわらず、ライブやデモテープやセッション、はてはインタビューなどのCDがそぞろ出ているのであって、もちろんその都度、訳者が違う。その中に、「オレ達は素敵だ」と訳し、その後に何の脈絡もないvacantと言う単語が来ているのに戸惑い、狼狽し、苦心した挙げ句、「だけどかなり抜けてるけどね」等と言う訳詞を恣意に捏造し糊塗しているのを何度も、読んだ。これはもちろん「乃公 (だいこう)等は全くの何もない、カラッケツのカラッポ」だと歌っているのであって、まだある、同じ曲の中に「0ut to lunch」(時流に遅れた)という文言があるが、これを「さっ、昼メシに行くぞ」とあって、小生、全く弱り果てる。プロレスラーの藤原喜明がカール・ゴッチに「大工はノミを磨き、石屋はハンマーを磨く。キミがレスラーなら体を鍛え、大切にしなさい」と言われ、爾来(じらい)、それを座右の銘にし、肉体の鍛練に努めたというが、もちろん、なにがしかの報酬を受けとっているのであれば、プロというのであって翻訳者も日本語と外国語の言葉を鋭意、磨かねばならぬ。

よくブルースやゴスペル、ジャズ、レゲエ等等という、所謂(いわゆる)、黒人音楽と称される楽曲をやっている我が朝の人が「私は黒人に生まれれば良かった。私はなぜ日本人であることか、私はなんと不幸なんだろう」と、おっしゃる人をたまさか見聞するが、小生、これを聞くと「ふざけんな大馬鹿野郎。プリンの角に頭を打って公民権運動前のアメリカ合州国南部かアフリカ西海岸の奴隷船の黒人にでも生まれ変わってきやがれ」と悪態をつきたくなるのであるが、もちろんアフリカ黒人にもインド黒人にもアメリカ黒人にもアメリカ白人にも中華人民共和国人民にも日本人にもスペイン人にもアイルランド人にもああめんどくせえア・ポステリオリに自分たちの生活、風習に基づいた文化というものがあり、宗教でいえばキリスト教とアフリカの呪術に高度低度の違いはないという考え方で、これを文化相対主義というのであるが、これが正しいのかどうかはひとまず置いといて、日本人が黒人の文化をそっくりそのままいただきって感じでサルマネしてもこのアホンダラそれが何になるの、って感じで。
 拙者が大学で英文学などというヤクザなものを専攻しておった頃。第ニ外国語という面妖なものを単位取得せねば卒業は罷(まか)り成らんとの仰せで仏語、独語、西語、支那語から取捨選択せねばならんということに相成った。英文学専攻の学生は仏語を選択するのが慣例、などと通達用紙に記載されておったのだがケッ、て感じで、結局僕は西語を選び勉学に刻苦精励することになった。理由は以前紐育はハーレムという地をぶらぶらと散策していた時、そのラテン・アメリカ人の多さとあらゆる表記に英語と西語が記されているのを目撃し驚いたからであるが、それはさておき、西語の先生は詩人のアレン・ギンズバーグに風貌がそっくりであったので僕は大いに怪しみ、この人はどこぞの人ぞ?と訝(いぶか)しがったのであるが日本人であることが判明し僕は安心立命した。何ぞ? 
その西語の授業中、僕はコンサイス英語辞典を机上に置いておったのであるが、先生は僕の席を通りがかるおり、ひょいとその辞書を手に取り、しげしげと、と見こう見されるのである。僕は西語の辞書を放擲(ほうてき)していたことに対し、叱責されるのかと鞠躬如(きっきゅうじょ)としておったのであるが、あに図らんや先生は「これはすごいですね」と目を細め、その辞書をためつすがめつされるのである。僕は仰天した。中学生から使用している辞書なので韋編三絶なのは当然といえば当然なのであるが、僕はそんなことに関心を示される先生に感銘した。さらに先生はこうも言われたのである。「私はこのような西語の辞書を三冊持ってます」と。僕はますます感銘を受けた。感動のあまり、「そのくらい辞書を活用しなければ語学は習得できないのでありますね」という意味のことを口走ったのであるが、「いや、まだまだです」と先生はおっしゃられるのである。先生の学問に対する真摯(しんし)な態度、一求道者たらんとする先生の孤高の精神に僕は尊敬の念を覚えたのである。
僕の寝室兼書斎には、あまたの辞書が参差(しんし)乱雑しておる。「リーダーズ英和辞典」「アメリカ俗語辞典」「アメリカ口語辞典」「アメリカ新語辞典」(これは図書館からガメてきたやつ)「最新和英口語辞典」「スピーキング英和辞典」「Give Get辞典」「The dictionary of Comtemporary SLANG」「英語図詳大辞典」「英和翻訳表現辞典」「最新英語情報辞典」「早見優ちゃんの英語にしてみたゲンダイ用語辞典」だってあるし「現代フランス語辞典」「現代スペイン語辞典」「広辞苑第三版」「新選漢和辞典」「新明解国語辞典」「イミダス」に「現代用語の基礎知識」だってある。三島由紀夫は「辞書は引くものではなく、読むもの」と言ったが、いかにも辞書は読んでもおもろい。はは。
僕は成人式のお祝いに市から国語辞典を頂戴したのであるが、僕と同年代(当たり前だ)の阿呆の餓鬼どもはその辞書を毫(ごう)も有り難く思わず、放擲していたに違いないことは想像に難くない。その頃、文学などに入れ込んでいた僕は意味不明の文言が出てくると逐一、辞書を引いて確認していたのである。そうして使用していた辞書は一年を俟(ま)たずしてボロボロに朽ち果てたのであるが、僕の日本語の語彙は飛躍的に伸びたのである。イエイ。
ともあれ、西語は三年間授業を受けたのだが、拙者、西語で覚えた文章は「私の父と母は西語を話すことができます」だけである。嗚呼、やんぬるかな。アディオス。

わが君にわけは恋ふらし
わがせの君は涙ぐましも

自分は過ぐる夏、マレーシアに旅した。わが朝のポップスは亜細亜市場を席巻している。街をうろついて聞こえてくるのは宇多田ヒカルだ。自分はクアラルンプールの「タワー・レコード」で宇多田のテープを邦貨、六百円で購った。そしてセレンバンという街を目指し、列車に乗った。その街に目的若しくは所用があったわけではなく、車窓から街並の風景、乃至市井人の生活というものを打ち眺めてみたかったのであり、それには日帰りで逆旅(げきりょ)に帰館できるセレンバンは都合がよかったのである。車窓からは、なるほど森林を伐採して作られた都市だと実感できるほど、熱帯多雨林が生い茂り、抜けるような蒼穹に入道雲が棚引いておる。春霞棚引く山を君が越えいなば。眩しい陽光の中で宇多田の湿ったリズム・アンド・ブルースの唱法は妙に合った。聴いているうちに、自分は不覚にも涙を流していた。
   
 沢木耕太郎の「書物の漂流」というエッセイは、こういう書きだしで始まる。
「小説を読んでいて不覚にも涙を流しそうになったことがある。確かにそれが物語の中段とか終局においてというなら別に珍しいことではない。取り立てて口にするほどのことでもないだろう。その時、私は第一章の第一節の第一行目を読んでいたのだ。第一行目の活字を眼にした時、不意に胸が熱くなってしまった。驚いた。狼狽したといった方が正解かもしれない。_私は山本周五郎の『さぶ』を読んでいたのだ。」

シルクロードを西に向かって歩いていた沢木は日本人旅行者から一冊の文庫本を貰う。それが『さぶ』だった。彼はチャイハナでその本を読み始めるが、一ページ目が終わらないうちに、その先を読み進むことができなくなってしまう。
「いまとなれば、その時の動揺は山本周五郎の文体の力によってもたらされたものに違いない、と考えることができる。靄のようにけぶる小雨、両国橋という名の橋、さぶという名の若者、橋を渡るという感覚。一片の雲もなく、一滴の雨も降らない中近東の砂漠にいる私には、それらのすべてがひとつの世界を現前させる激しい喚起力を秘めていた。しかもその世界は、遠ざかりつつあり再び戻ることはできないのではないかと怖れていた土地の、鮮やかな象徴として現前したのである。」

何百日か後、戻れないのではないかと怖れていた日本に帰った彼は再び『さぶ』を手にするが、あの時の胸の熱さを経験することはなかった。
「しかし、」と彼はいう。
「文庫本の『さぶ』は、いまでもなお、シルクロードをゆっくりと往き来しているかもしれないのだ。そう思うと、ほんの僅(わず)かだが、胸が震える。」
自分は宇多田をバスの中で、逆旅のベッドの上で、繰り返し聴いた。聴くたびに日本のことを想った。それはアメリカン・スクールに通う彼女(当時)が、亜細亜の片隅にいる自分に日本人であることの認識を強いたからだ。

「マリリン・マンソンとはアメリカの闇が生み出した怪物だ」
(マリリン・マンソン)
ベルリンの壁崩壊以後、喧(かまびす)しくなってきた感があるが、人種、宗教、文化、言語に関係なく世界中の人々は融和して住むことができる、宇宙から地球を眺めてみれば国境線なぞなかった、僕達は地球号という一蓮托生の船に乗ってる地球人であるから争いはやめよう、ウイー・アー・ザ・ワールド、ウイー・アー・ザ・チルドレン、国境なんぞがあるから戦争、紛争が起きるのだ、反戦、平和、自由、平等、人権が人類にとっての普遍の真理であるから反権力、反国家、もう国民という言葉を使わず市民と言おう、これからは草の根運動だ、一個人が輝く時がきた、国籍を捨て、国際人になろう、等という輩(やから)がいる。妄言である。自分はかかる妄言を吐く人種を信じぬ。「イマジン」から「アナーキー・イン・ザ・U.K」、マリリン・マンソンまで、ロックの一部分は無政府主義を標榜し、国家の解体を宗(むね)としてきた。(ただし後年ジョニー・ロットンはアナーキズムなんて中産階級のマインド・ゲームだと言っていたが)国家が消滅すれば、より紛争及び戦争が勃発するということは自明の理であり、国家すなわち権力であるから他国を侵略する力を有するという民主主義やその漸進形態である共産主義の謂(いい)は笑止である。しかし、自分はイラクの空爆に賛成である。かかる非人道的な行為を看過できぬ。人権思想を持つ、アメリカやヨーロッパの民主主義国家が空爆を決議したのは当然だ。それならば、インドにはサティーという文化(culture)『人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住を初め技術、学問、芸術、道徳、宗教、政治など生活形成の様式と内容とを含む』(広辞苑)がある。夫に死なれた未亡人は生きたまま焼かれるという文化だ。法律では禁止されたが田舎では今でも実施されている。全ての文化を等価値だとする文化相対主義者はサティーを容認できるか。そして民主主義者は人権、平等、女性差別撤廃の名においてサティーを絶対に容認できまい。この悪魔の所行を根絶するために民主主義国家はインドを空爆しなければならない。それができなければ、民主主義は恣意的な思想(イデオロギー)だと言われても仕方がない。アメリカよ、インドを空爆せよ。
皆様への伝達事項
一応は旅行記なんですが、ほぼエッセイです。
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表したマレーシア等について述べた海外旅行記は複数の国々を旅行してきた思い出と食品の評論を混在させたお笑いエッセイのような作品ですので余り真剣に読まないようにして下さい。脚色が加えられてる部分が数多いと思います。従って、現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。半ば例外的かもしれませんが、日本国内でもドリアンは複数のお店で販売されてますから皆さんも一度は購入されましたかね?ま、ドリアン長野がドリアンについて語ってましたね。
 皆さん、人が何を食べるか食べないかについて第三者は強要してはいけません。なぜなら、国の内外を問わず法規制や食品アレルギーや宗教上の理由で食べないようにしてる食品があるからです。一方で海外旅行の時においしい食事をされた経験は良き思い出になります。
日本国内では一般的ではない食品を食べる事を私は第三者に強要したくありませんしされたくもないです。
 ドリアンは日本国内の複数のお店で一般的に販売されるようになってます。お笑いエッセイなので実際には日本で購入したと思います。TV番組のウルルン滞在記は平成十年代にとても人気があったので今でも人々の記憶に新しいと思います。(再放送はBS-TBSで平成25年春迄行われてた)食品は海外においても食べ慣れてる食事が重要ではないでしょうか?
図書館で読んで感動した書籍を後に購入される消費者はおられます。

 明日、何が起こるかは誰にも分かりません。
平成29年(2017年)二月にマレーシアで北朝鮮が行った暗殺事件の影響は大きい。
マレーシア、在北朝鮮大使館を閉鎖へ :日本経済新聞 www.nikkei.com/article/DGXMZO… posted at 21:28:41


令和三年六月追記
ドリアン長野はマレーシアのクアラルンプールから電車に乗ってセレンバン(スレンバン)に行ってきたそうです。一説には乗車時間は100分です。 セレンバンはスレンバンとも言われてるそうです。海外の地名は外国語の発音なので時に表記も難しいです。
令和五年二月追記
スルンバンは、マレーシアのヌグリ・スンビラン州の州都で「ドリアン長野はヌグリ・スンビラン州を旅してきた。」と言っても間違いではないようです。
紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
クアラルンプール旅行ガイド | エクスペディア
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ドリアン長野の北京旅行記
2018-03-12 | Weblog
ドリアン長野の北京旅行記   エッセイ

NO21 北京の床屋 at 2003 10/17 22:32

 北京に来てから気になっていることがあった。理髪店である。町中のあちこちに理髪店があり、しかも深夜まで営業しており、しかも従業員は若い女性ばかりなのである。若い女性に深夜営業。怪しい、怪しすぎる。他の人間ならいざ知らず、この私の目はごまかせ~んっ! 社会主義国でそんなことがあるのだろうかと不審顔の貴兄に貴女、同じ社会主義国のベトナムでは理髪店と売春が結びついていることは周知の事実である。何でも表向きは普通の理髪店なのだが、希望する人にはスペシャルなサービスを施してくれるらしい。実際、ホーチミンでは北京ほどではないが理髪店がちらほらと目につく。夜、シクロに乗っている時に店内を見たら、いつも何人かの女性が椅子に座って暇を持て余していた。中国よ、お前もか。私は大いに失望した、わけでは全然ないのだが、これは是非調査せずにはおられまい。中華人民共和国の首府、北京よ、農民と労働者の叡智と努力によって共産主義国を建設するという高邁な理念の化けの皮をこの私が引っぺがしてやるわ。うわーはっはっはっ、バカめっ!(はオレだろうな、やっぱり)
 というわけで、故宮の近くに泊まっていた私は夜の11時頃にホテルを出た。う~ん、どの理髪店に行こうか? なるべくなら、きれいな従業員のいる店がいいだろう。もちろんこれはベールに包まれた中国人民の実態を調査するというフィールドワークであり、私には不純な気持ちなど毛頭、爪の先ほども、これっぽっちもないのであるが、どうせならきれいな女性の方がいいだろう、うん。しかし、調査があまり進行しすぎると危険なことになるような気がする。その時は腕に覚えのあるカラテで大声を出して逃げればいいだろう。もし女が中国拳法の名手で無理矢理、組み伏せられたらどうしよう。きれいな体で戻ってこられるかしら。不安だわ。いや、毛沢東も 「崇高な目的達成のためには敵を恐れることなく邁進せよ」 と言っていたではないか。(おい、そこのあんた! どこが崇高やねん! って、つっこんだだろう、今)
  私は決心し、心の中でインターナショナルを歌いながら目星をつけた理髪店へと勇躍乗り込んでいった。(つづく!)

NO22 続 北京の床屋 at 2003 10/24 19:39 編集

 <前回のあらすじ>
 中国ってとこは人はやたらと多いし、言葉はあんまし通じないし、列には割り込むし、日本人だとボるし、ひまわりの種はあちこちに散らかすし、おまけに女までが(以下略)
 店内は清潔で明るく、従業員は男が一人、女が三人、そして男の客が一人いた。そのうちのソファーに座っていた女が立ち上がって椅子に座るようにと促した。営業時間を聞いたら、朝の8時から深夜の1時までだそうだ。なぜ一日17時間も営業してるんだ? 人民をそんな長時間も労働させていいのか? ますます怪しい。女はまず私の首に前掛けをし、洗髪台に頭を突っ込むようにと手振りで示した。その通りにすると女はいきなりシャンプーをし始めた。片言の英語ながら、いろいろと話しかけてくる。 (普通の理髪店に見せかけてるな。パチンコ屋が店内で出玉を換金すると賭博と見なされるから外に景品所を設置するように、これは当局を欺くためのカモフラージュに違いない)
 シャンプーが終わると女は聞いてきた。 「マッサージはどう?」 (きたあーっ!) 「フェイス・マッサージもあるし、全身のもあるわよ」 「いっ、いくら?」 「100元(1元は約14円)」(高い) 私は考えこんで顔のマッサージを頼むことにした。顔だけなら安心だろう。 「それじゃあ、こっちへ」 なんと女は店内にある個室へと案内するではないか。ドアを閉め、二人っきりになる。広さは二畳ほどだ。 (やばい) 棚にはいろいろな乳液やらクリームやらが載っている。 (ますますやばい) 私はリクライニングの寝椅子に寝かされた。 (ドキドキ) 女は私の顔にクリームを塗り、マッサージを始めた。それが終わると先端が輪になった金属製の細い棒で顔を突いてきた。(ん?) あ~、気持ちええ。これは毛穴から脂を抜き取るためらしい。さすが中国式マッサージ。お肌がすべすべ。 「次は全身のマッサージしてみない?」 (きた、きた、今度こそきたあーっ!) 「あのお~、それってどんなマッサージ?」 「は?」 「だから、どういった類いのマッサージかな、と」 「言ってる意味が分からないわ」 
 ここでやめたらせっかく潜入した今までの苦労(なのか?)が水の泡だ。私は不本意ながら受けて立つことにした。さあ、殺せ。女は気合いを入れると、脚から腕から背中から、仰向けからうつ伏せにしたりと汗だくになりながら長い時間をかけて体中を揉んだ。サンダル履きで一日中歩いていたので足はまっ黒。女は一瞬ひるんでいた。終わると体力を使い果たしたのだろう、フラフラと奥へ引っ込んでいった。最後に若い男がハサミとバリカンで念入りにカット。ドライヤーをかけ、スプレーで仕上げ。終わった。1時を過ぎているのに年配の客が一人、入ってきた。(なぜ1時に髪を刈りに?)
 料金はマッサージが100元、シャンプーが100元、カットが50元。それを230元まで値切った。今回、多額の調査費を投じて私が得た物は中国式ヘアカットと、北京の床屋は健全な床屋だったという事実だ。諸君、北京に来たら安心して調髪してもらえよ。その前に料金はちゃんと聞いておくように。体はきれいだったが、お金もきれいになくなった。ふっ、私の思い過ごしだったようだな。疑って悪かったぜ。だけど中国人、ぼるなよおおおおお~っ!!(魂の叫び) しかし、中国はこれで終わるほどまだまだ甘くはなかった。(というわけで上海編につづく)
ドリアン長野の上海旅行記
皆様への伝達事項
外国で散髪してもらうより、日本で済ませてから出国するか在外邦人に行ってもらいましょう。
ドリアン長野が平成15年に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。過去と違って現在gooブログでは3万文字の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。
皆さん、海外旅行記でありお笑いエッセイなので真剣に読まないようにしてください。結論から言うと本人にとっては期待外れであったのかもしれません。平成20年以降日本では千円で行ってくれる理髪店が増加してます。海外に行く前に散髪位は済ませておきましょう。海外の散髪の技術は店にもよるが同じ日本人が行っていないと下手な場合が多いそうです。日本の理髪店さんも店舗によってはチョキチョキと髪の毛を切ってもらっている時に悲しくなる発言をしてしまう人がいて次回以降は他の理髪店に切り替える要因かもしれません。無礼者には関われない。北京の床屋が長時間営業してたのは時差ボケで困ってる外国人向けでしょうか?しかし、行列の横入りは嫌ですね。

ドリアン長野は、政治信条について語ることがございますが、感想については各自の判断でお考えください。決して、皆様の自由妨害をする気持ちは当方は一切考えておりません。平成20年代になって昭和53年から存在する日中友好平和条約が機能してるかどうかについて懐疑的な人は多いが結局は、旅行や仕事で中国へ赴く日本人が多いのが現状です。 _

海外政府が行ってる行動とその国家にお住まいの方々とは別だと考えて海外旅行に行かれる人も多いとは思います。当ブログは海外旅行記をメインにしてますが決して海外旅行記ばかりを発表してる訳ではありません。今回、特別にドリアン長野が執筆した北京旅行記並びに中国についてのエッセイをまとめて伝達します。

文化大革命 (講談社現代新書) 矢吹 晋 https://t.co/cQIXAoEf33 @amazonJPさんから— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年6月27日 ">
NO70 反日デモと民主主義

at 2005 04/27 22:31 編集

中国各地で反日デモが出来しているが、事件をテレビや新聞で目にするたびに私は文革を思い出しては「中国は民主主義社会である」との意を強くする。矢吹晋氏の「文化大革命」(講談社現代新書)には「スターリンの粛清が秘密警察を用いた国家テロであったのに対して、文革は大衆独裁という大衆によるテロであった事実に注目する必要があろう。ここでは中国共産党の誇る大衆運動は大衆操作に堕落し、ついには大衆テロに堕落したのであった」とあるが、これは民主主義というイデオロギー以外の何物でもないではないか。文革、学生の民主化要求デモ、そして反日デモに至るまで民主主義は連綿と継承されてきた。ちょっと待たんかい、なんで民主主義社会で民主化要求デモがあんねん。それに天安門事件はどないやっちゅうねん。人民がぎょうさん殺されとるやろ。人権はどないなっとんねん。と言う人もいるに違いない。それはまだ中国が未熟な民主主義だからだ。共産主義に至る第一段階の社会主義みたいなものである。だとすれば、民主主義後進国である中国が日本やアメリカのような民主主義先進国を目指せばいいのか。もし仮にある国家が民主主義を採択し、どんどん人権思想を発揚し徹底していけば、それはファシズムにならざるをえない。何となれば、民主主義はファシズムだからである!
「ヒトラーは(略)『民主主義の大洪水』をひき起こしたのである。これを人々はナチズム(あるいはファシズム)と呼ぶ。しかし、その正体はなにかと言えば、フランス革命以来一貫してかわらぬ、あの『抑制のないデモクラシー』にほかならないのである。(「民主主義とは何なのか」 長谷川三千代 文春新書)
民主主義とは何なのか (文春新書) 長谷川 三千子 https://t.co/mzKnwqH8we @amazonJPさんから
— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年6月27日 ">
カンボジアでのポル・ポトの大虐殺は文革がなかったら起こりえなかったかもしれない。少なくとも文革に影響されたことは確かである。民主主義・人権思想の持つ、差別を撤廃し全てを均一化するという情熱はポル・ポトの蛮行につながっている。虐殺があったから民主主義を再検討しようということにはならない。逆に民主主義・人権思想を徹底しようということになるはずだ。中国がチベット人に対して行っているのは紛う方も無く人権侵害である。しかし人権というものは恣意的な概念であり、制度に過ぎない。フランス革命の人権宣言には「国民議会は、至高の存在の面前でかつその庇護の下に、つぎのような人および市民の権利を承認し、かつ宣言する」とある。ここに「至高の存在」とあるように、人権宣言は宗教的な儀式であった。神(もしくは神のような存在)から承認された権利(!)であり、人間に賦与されているものではないのである。人権を人類普遍の真理だとするのはまやかしであり、そうと思い込むのは錯誤でしかない。チベット人への人権侵害をやめろ、と人は言う。これは現代の人権思想への儀式を求める鬨の声なのか。全てを人権へと収束しようとする儀式への。人権を持ち出せばチベット人は救われることはない。何度でも言う、人権というのはイデオロギーだからだ。
過去、イギリスは清にヤクザ同然のやり方で戦争をしかけ、多額の賠償金、治外法権、関税自主権の放棄、最恵国待遇条項の承認と上海、広東等を開港させ香港を租借地にしたが、それに対して中国が賠償を求めたとか反英デモを行ったという話は寡聞にして知らない。これは日本への差別ではないのか。今回の反日デモは別の意味で民主主義のあり方を問うべき事件であると私は思う。

美味しんぼ (91) (ビッグコミックス) 雁屋 哲 https://t.co/wSYIxSfiAG @amazonJPさんから
— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年6月27日 ">
NO75 「美味しんぼ」と人道主義

at 2005 06/09 18:54 編集

「美味しんぼ」(作・雁屋哲 画・花咲アキラ)91巻の第6話(“焼き”の深さ)は東西新聞の文化部に配属された記者の話である。彼はインドネシア・スマトラ沖地震に対しての民間の義捐金が少ないことに義憤し、紙面で被災者救済を直接訴えることができる政治部か社会部に転属させてくれとごねる。山岡士郎は文化の重要性を説くためにこう言う。
「ある日本人が、いまだに第二次大戦中のことで、日本を非難し続ける中国人に尋ねたことがある。どうして日本よりもっと長い間アジアを植民地にしていたイギリスを非難しないのかと。彼は答えた。イギリスはアジアを植民地にして収奪したが文化を与えてくれた、だが、日本は奪うだけで文化を何も与えてくれなかった、その違いだと。」
それほど文化というものは重要なものだと山岡は言うのだ。恐ろしい論理である。イギリスの上流階級に広まった喫茶のために清から大量の茶等を輸入し、その輸入超過を是正するために阿片を売りつけていたが、それを拒否した清に戦争をしかけたのがアヘン戦争だ。これはまごう方無い侵略戦争である。その後のアロー戦争も同様だ。これにより支那への支配が始まったのだが、しかしこんなことはイギリスが文化を与えたことによって免責されるのである。喫茶という貴族階級の文化を維持するためには何人もの清の人間が廃人になろうが仕方ないとでも言うのだろうか。原爆投下による大量虐殺もアメリカ文化を与えられたことによって相殺されるということになる。それならば日本による朝鮮支配もインフラや教育という文化を与えたことによって不問に付されるはずである。しかし雁屋氏は「美味しんぼ」や「日本人と天皇」(いそっぷ社)といった著作の中で滔々と日本を一方的に断罪し、他のアジア諸国を単純な被害国として描くのみである。
マンガ 日本人と天皇 雁屋 哲 https://t.co/Hw8A1lgJCG @amazonJPさんから— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年6月27日 ">

美味しんぼ (76) (ビッグコミックス) 雁屋 哲 https://t.co/Cdg4UfsCZf @amazonJPさんから— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年6月27日 ">

「美味しんぼ」76巻の「中華と中国」は支那そばという店名に憤慨する支那人の話である。支那というのは蔑称であるから中国と呼べ、というのが彼らの主張だ。実は支那というのは蔑称でも何でもなく、むしろ支那という名称を廃止せよと強要していることが日本に対する差別であるということが評論家の呉智英や支那文学者の高島俊男といった識者によって明らかにされている。この名称問題は靖国神社参拝や歴史教科書問題につながっている。以下は小泉局長と山岡の会話である。
小泉 「事は簡単だ、支那という言葉がどんなにいい言葉であろうと、蔑称ではなかろうと、相手がいやだと言うことは、やめればいい」
山岡 「おっしゃる通りです、相手がいやだと言うことはしない。これは人間同士の間でも、国と国との間でも、同じことじゃないのかな」
中国の日本に対するバッシングは国内問題から目をそらせ、人民を極端な国粋主義(ショービニスム)に転化させる政治的意図であるというのは周知の事実だ。日本は中国のサリーおばさん(Aunt Sally;年増女の木像の口にくわえさせたパイプに棒を投げて落とす遊戯。転じて不当な攻撃の的)なのだ。それであるから、中国は日本がどんなに賠償金を支払っても謝罪してもどこまでも許しはせず、口実を作って責め立てるのは明白である。中国が東シナ海という呼称がいやだからと言えば、それを改称するのか。歴史教科書は捏造であるから不快だと言えば、中国の都合のいいように書き変えるのか。チベット人の虐殺を明るみにするなと言われれば、唯々諾々と従うのか。北朝鮮が日本が拉致問題についていつまでも拘泥するのは不快だと言えば、追求するのをやめるのか。雁屋氏のアジア史に対する見解は単純で楽天的であるが、歴史観と人道主義が結びつくほど恐ろしいものはない。
紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

北京の理髪店

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ドリアン長野の香港旅行記
2018-03-12 | Weblog

ドリアン長野の香港旅行記 アンカータグ 香港の散歩 エッセイ

#46 チョンキン・マンション

at 2004 05/13 18:32 編集

チョンキン・マンションという名の安宿が香港にあるということは知っていた。が、まだ泊まったことはない。香港には返還前にツアーで行ったことがあるだけだ。漫画家でバックパッカーの小田空さんは、重慶大厦とは、通称を「チョンキン・マンション」。アジアを旅する際にホンコンに基地を置く世界の貧乏旅行者で、その名を知らぬ者はいない、旅人のとまり木。心の故郷(ふるさと)。食わせ物の迷宮。
香港銀座の一等地、右に左に高級ホテルをしたがえながら、ひときわ異彩と異臭を放つ、今にも朽ち果てそうなヨレヨレの汚いビル。
(小田空著「目のうろこ」より)http://amzn.asia/iqDx0Yt
と書いている。どうだ、どうだ、行ってみたいと思わんかね? (オレだけか~い)少なくとも私にはTDLよりも魅力的な場所に思えるぞ(行ったことないけど)。というわけで、死ぬまでに一度でいいからチョンキンに泊まりたいという熱い(のか?)想いを抱いて五月の連休を利用して四泊五日のチョンキンひとりツアーに出かけることにした。なじみのパキスタン・カレー屋のマスターにチョンキンに行くと言うと、「わたし、チョンキンよく知ってるよ。香港にいる時、よくカレーの材料買いに行ったね。もう十年以上も前になるかな。そうだ、ドリアンさん、チョンキンに泊まるなら、パパダ(せんべいのようなもの)5キロとホール・カルダモンとグリーンペッパー・ピクルス買ってきてくれへん? あっ、それから荷物になって悪いけど、ブラック・ラベルとシーバスもお願い」
俺は行商人か~いっ、と心の中で突っ込みつつ、香港へ。
地下鉄尖沙咀(チムシャツォイ)駅のE2番出口を出ると、ネーザン・ロードをはさんで、でかい雑居ビルが現われた。ああ~、あれがチョンキンなのね、と感慨にふける隙もなく、パキスタン人とおぼしきにーちゃんに「ニセモノ時計アルヨ」と声をかけられる。それからこの界隈をうろつくたびに声をかけられることになるのだが、やつらは百発百中、私を日本人と見抜いてしまうのだ。店で買い物をしたら、店員に広東語でしゃべりかけられるのはよくあることだったのに。なぜだ? 「職人芸」、もしくは「匠の技」という言葉を思い出す。
入口にはターバンを巻いたシーク教徒、パキスタン人、アラブ人、アフリカ人という見るからにキツイ人たちがたむろしていらっしゃいます。一階には何軒か両替所があるのですが、入口付近の三軒のブースにはいつも若い女性が座っています。むさいチョンキンにあって、泥沼の蓮、はきだめの鶴、という風情ですね。いや、レートの悪さをごまかすための香港人のこすい作戦かもしれません。チョンキンでは両替の手数料を取らないので、わざわざ遠くからやって来る人もいるみたいです。二階にある「Pacific Exchange Co.」という両替商がレートがいいようです。奥に入ってみると、コンビニ、鞄屋、服屋、土産物屋、インド食料品屋、散髪屋、食堂等がひしめきあってます。「チョンキン・マンションには一階と二階合わせて200軒以上の店があります」と書かれたプレートが天井付近に掲げられていますが、暇な人は確かめてみよう!
チョンキンは金城武、フェイ・ウォン、トニー・レオン出演の映画、「恋する惑星」(英語題名「Chung King Express」)のロケにも使われています。この映画は1994年の作品なんですが、雰囲気はその頃と今も変わってないですね。ただ、一昔前はチョンキンと今は無き九龍城が香港の暗黒地帯の双璧だなんて言われてたんですが、最近のチョンキンは警官が巡回したり、防犯カメラを設置したり、夜中の12時になるとシャッターを降ろしたりと、安全面に関しては格段に進歩していますからね、チョンキンに泊まりたいけど、なんだか恐いと思ってらっしゃるそこのあなた、心配いりませんからねえ~。
17階建てのチョンキンにはA~E座が独立した棟として入っており、100以上もの安宿があるそうです。入って左にはA、B、C座が、右にはD、E座のエレベーターがあります。各座に偶数階行きと奇数階行きがあり、全部で10基のエレベーターが稼働しているのですが、宿泊客や住人、お米や食料品やガスボンベを荷車で配達する人、掃除のおばちゃんでいつも長い行列が出来ています。遅く帰って来たときなんか、行列を見ただけでうんざりします。でも、大丈夫! そんなときに限って、インド人のにーちゃんと香港人のおばちゃんが列に割り込んだ、どーしたと言い争いをしているという心が和む光景に出くわしますからあぁっ!
そんでもって、エレベーターの定員が7人なんですけどね、ガタイのいいシーク教徒のおじさんや小錦なみに体格のいいアフリカ人のおばさんなんかが乗ってくると、すかさず親のかたきみたいにブザーが鳴りまくるんですよ。仕方ないから、最後に乗ってきた人がうらめしそうに降りていくんですが、中には片足立ちになって、両手でバランスを取りながらブザーをやり過ごすという、「伊東家の食卓」で使えそうな裏ワザを駆使する人もいらっしゃいます。(つづく)
恋する惑星 #映画 #eiga https://t.co/EqyF3bfKF6 @eigacomさんから
#47 チョンキンよいとこ一度はおいで

at 2004 05/21 23:09 編集

チョンキンでの最初の宿はA座7階にある「ウエルカム・ゲストハウス」に泊まることにした。ガイドブックで紹介されているせいか、日本人宿泊客が多い宿だ。受付には誰もおらず、「御用の方は電話して下さい」という貼り紙がある。電話すると、20歳台の女性が出て来た。
「ごめんなさい、忙しくてね。なんせ私ひとりだけだから」
ここは既に満室で、15階の「オーシャン・ゲストハウス」を紹介された。彼女、インドネシア出身のシティは二つのゲストハウスを持ち、原石の販売もしているそうだ。もらった名刺にはルビー、サファイア、ガーネットといった宝石の他に痩身茶の名もあった。若いのになかなかのやり手だ。部屋は三畳ほどで狭いが、チョンキンでは平均的な広さだろう。シティの掃除が行き届いており、清潔。窓からネーザン・ロードが見えるのがいい。エアコン、ホットシャワー、TV付きで130HKD(1HKD≒16円。2004年当時)。可もなし不可もなし。ここには二泊した。チェックアウトした時のシティはぐったりと疲れていた。人を雇ったほうがいいと思う。
次はB座9階の「ハッピー・ゲストハウス」に行く。ここはTVドラマ「深夜特急 香港編」の撮影に使われたらしいので、話のネタに泊まってみようかと思ったのだが、ベルを鳴らしても誰も出て来ない。そのうち、隣のゲストハウスから「そこは満室だよ」とインド人が出て来た。その言葉は客引きが使う常套句だ。インドで散々聞いたわい。その男、グルング(28歳)にうちに泊まりなと誘われる。一泊180HKDだと言っていたが、部屋に案内されたら、「広い部屋を空けたから200ね」とぬかす。「きさまあ~、どこの出身じゃ~い」「カルカッ夕(コルカタ)」「やっぱり」
「オレは狭くても安い部屋がいいんだけど」「いや、ここしか空いてないから」
せこい奴め、きさまがそういう気なら、俺にも考えがあるわっ! 他に行くのが面倒なので泊まってやる。
だけど、「俺はトラベルライターだ。このホテルのことを雑誌に書いてもいいか」とはったりをかましたら、手の平を返したように「トイレットペーパーが無くなったら、言ってくれ」だの「飲料水は外にあるから自由に飲んでもいいよ」だの「エアコンのスイッチはここだよ」だの、さっきと態度がちゃうやんけ。キャッシュな奴め。
「グランド・ゲストハウス」、部屋は広いが、独房のような感じ。ひと休みしてから部屋を出たら、グルングが満面の笑顔で「満室になったよ!」。満室? なぜだあ~?
あくる日の昼前にチェックアウトしようとしたら、玄関にグルングが毛布を敷いて爆睡していた。宿泊客が起こすのはかわいそうだと思ったんだろう、右の手の平に鍵が置いてあったので、私も左の手の平に鍵を置いて出て行く。
さて、香港最後の夜。日本人バックパッカーはA、B、C座に宿泊が集中すると聞いた。分からんでもない。D、E座になるとその怪しさのディープ度に拍車がかかるような雰囲気がある。で、D座に泊まってみることにした。エレベーターに書かれているゲストハウスの名前を見ながら、どこにしようかなと思案していたのだが、名前の書いてあるプレートが新しそうなので9階の「ニュー・チャイナ・ゲストハウス」に泊まることにした。それが大当たりだったね。2002年にオープンしたばかりで、チョンキンとは思えない美しさ。エアコン、ホットシャワー、電話、TV付き(これがなんとリモコンTVだよ。驚いたね)でシングル120HKD~150HKDはお買い得だよ、奥さん! おまけに玄関の入口に宿泊客共有の冷蔵庫があり、長期滞在者のために無料の洗濯機まであるっていうんだから、至れり尽くせりだ。オーナーのピーターさんはE座8階にも「ニュー・ヤンヤン・ゲストハウス」を持っているそうなので、そこも見せてもらったが奇麗だった。宿泊客はアフリカ人がほとんど。ピーターさんも従業員のガーナ出身のアームストロング君(22歳)もフレンドリーでカインドリーだ。名刺を置いてきたから私の名前を言えば、きっとサービスしてくれる(ことを望む)。これで香港の宿泊は問題なしさ。近くにシェラトンやぺニンシュラもあるので、チョンキンに疲れたらロビーのソファーに座って気分をリフレッシュすれば大丈夫。さあ、ジョイン・トゥー・ザ・チョンキン・ワールド!(つづく)
深夜特急 香港編の書籍は、新潮社さんが販売されています。
深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫) 沢木 耕太郎 https://t.co/YVbNdVVVOB @amazonJPさんから— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年11月12日
#48 チョンキンの夜は更けて

at 2004 06/25 22:25 編集

「300だ」
「高いな。他の商品はないのか」
「いくらなら買う?」
「いや、他の商品はないかって聞いてるんだ」
男がファイルされたルーズリーフをせわし気にめくる。6畳くらいの部屋には壁に向かって作業机が並んでいて、時計の部品が無造作に散らばっている。それを少年が熱心に組み立てている。
ここはチョンキンから100メートルほど離れたミラドール・マンション一階にある工房だ。ミラドールもチョンキン同様、安宿の集合ビルだが、新しい分だけ設備が整っているらしい。話のネタにと、ニセ・ブランド時計の客引きに声を掛けたら、ここに連れてこられた。さきほど連れてこられた二人の中年の白人女性たちも隣の席でルーズリーフの写真を見せられている。
「男物はロレックスだけだ。ブルガリもあるが、これは女物だけだ」
ロレックスは言っちゃあ悪いが、成り金オヤジの趣味だ。まるっきりイケてない。ちなみに私は腕時計は持ってない。ケータイの時間表示で充分だし、海外に行くときは電池で動く、ちっこい目覚まし時計を持って行く。
「この時計イケてねー」「もっと安くしろー」と散々ごねる私にとうとうキレたのか、「あんたの欲しい時計なら外で売っている」と通りに追い出された。仕方ないから、露店で売ってる一個30HKDの時計を買ったね。それにしても、あんなに簡単に客を手放すってことは一日に何人もの客が食いついてくるってことか? それに時計が一個売れれば、客引きと実際に売りつける男にそれぞれ、いくら入ってくるのだ? ああ、知りたい。
チョンキン内にあるインディアン・フード・ショップで頼まれていたカレーの材料を買ったんだけど、久々に頭にきたね。買い物の品を抱えてレジに持っていき、精算した時に持ち合わせが少ないことに気づいた。「両替えしてくるから」と店を出て、近くの両替店で両替して戻ってきた。「えーっと、いくらだっけ?」と店のオヤジに聞くと、「199(HKD)だ」と言うので払って出てきた。近くの通りにある「スタバ」でぼーっとしていると、はっとした。待てよ、199いうたら、めちゃめちゃ高くないか? あわててレシートを確かめてみると、99HKDになっとるやんけ。あーっ! やられたーっ! 100ぼられたやんけーっ!けど、 わっかっとる、悪いのはこのおれやあっ。おれがあほやったんやあー。騙されたんが悪いんや。今からその店にねじりこみに行ってもレシートに書いてあるさかい、どもならんわ。しかし、腹立つからその店の名を書いておこう。チョンキン二階にある「マハラジャ・プロビジョン・ストア」だ。オヤジのインド人は大きいことはできなさそうな、小ずるくて小心者の貧相で女には絶対もてそうもない顔やったでー(小学生か)。
https://t.co/2j3NlKKBBo
ここで気を取り直して、チョンキンにあるお勧めのレストランを書いておこう。D座には「アフリカン・サービス・センター」という一室がある。理髪をしたり、アフリカ料理を食べさせたりするらしいが、入ったことはない。なんせ、外観は他の安宿と変わりなく、秘密クラブのような雰囲気だ。今度、安宿に泊まってるアフリカ人に連れてってもらうことにして、私のお勧めは三階にある「エベレスト・クラブ」。ここのシェフは一流ホテルで修行していたそうで、ビーフカレーも自慢のノビリティアン・ビリヤーニもとても上品な味だ。内装もゆったりと落ち着いていて、チョンキンにいることを忘れてしまうほどだ。チョンキンには何軒かインド・レストランが入っているが、味と値段の安さを比べてみるとここが断トツだと思う。ネパール人マネージャー、メゲンドラ君が言うには、「日本人もよく来てくれる。香港に住んでいる日本人でここを知らない人はいない」んだそうだ。彼は日本に行ったとき写真を撮りまくり、400枚もの現像を頼んでカメラ屋のおやじをびっくりさせたというほどの大の親日家だ。だけどメゲンドラ君、日本のことを夢中で話す君の話を聞いてたら、もうちょっとで帰りの空港行きのバスに乗り遅れるとこやったで。それに10%割引きのメンバーズカードをくれたんはありがとうやけど、今度いつ使えるか分からんで。ひょっとしたら、使われへんかもしれへんでー。 _

#53 香港の散歩(芸能人ではありません)

at 2004 12/01 23:38
海外で何が一番楽しいかというと、言うまでもなく散歩である。私の場合はガイドブック片手にうろうろするので純然たる散歩とはいえないが、それでも右手に路地があれば入り込まねば気がすまないし、左手に面妖な物売りがいれば声をかけるのにやぶさかではなし、前方に小汚い食堂があれば満腹でない限り入ってみるのである。ただし、歩くのは速い。ほとんど徒競走だ。限られた短い滞在時間に少しでも多くのことを見ようとするから気があせって小走りになる。夜は旅行日記を書くので、くたくたになって宿に帰ってきても書き終わるまで眠られない。その日の詳細をいちいち書いていると一時間くらいかかってしまう。う~、早く寝たいと眠い目をこすりながら日記をつけていると研修旅行でもしているような気分になる。最近では外出するたびに日記用のノートを持ち歩き、飯を喰ったり、お茶してる間にちょこちょこと書くようにしている。観光客然とした出で立ちでいると危ないので、スーパーのビニール袋にカメラとガイドブックと日記帳を突っ込んで俺はジモティー(地元民)だよという顔して歩く。そのせいか、盗難に遭ったことは一度もない。
香港は狭い土地なので三日もうろうろすれば概要は分かってくる。とにかく、どこに行っても人がいっぱいだ。旺角なんて渋谷のセンター街の何倍もの人だかりだ。頭がくらくらしてくる。人込みに疲れると、チョンキンマンション近くの九龍公園に行った。フィリピーノの憩いの場所になっていて、彼女たちに混じってベンチに座り、スーパー「ウエルカム」で買ったおやつを食べながらぼ~っとする。夜になると「シティスーパー」という大型スーパーに行く。ここには世界各国の食料品がずら~っと陳列され、在香港邦人の姿もよく見かける。私が香港を一番インターナショナルな街だと実感する場所である。そんな香港の街歩きで私のお気に入りの場所が二か所あった。(つづく)

#54 続 香港の散歩(芸能人ではありません)

at 2004 12/11 00:09 編集

まずは中環(セントラル)に行ってみる。地下鉄から地上に出てみると、おおっ、そこはロンドンのシティかと見まがうほどにエリートビジネスマン&ウーマンが闊歩する香港経済の中心地であり、おされな地区である。高層オフィスビルがばんばんと林立し、バスに乗り合わせたおのぼりさんの中国人が、うおおお~っと一斉に喚声をあげるほどだ。正直なやつらめ。かわいいじゃないか、中国人。ただ背後にはすぐ山が迫っているので、坂を昇っていくとすぐにオールドチャイナが顔を出し、高層ビル群が書き割りみたく思える。散歩の途中に下校帰りの小学生に出くわしたが、みんな将来は香港大学を卒業して香港経済の要職に就きそうな上品で賢そうな顔をしていらっしゃられる。そんな山の手から地下鉄で西へ一つ目に上環(ションワン)がある。かつては商業の中心地だったのだが、今はさびれ、ださいといえばださい。中環とは比ぶべくも無い。下校途中の小学生も庶民的というよりは頭が悪そうだ。思い出せないほど遥か昔、大阪が天下の台所として殷賑を極めていたのも束の間、あれよあれよと江戸にその中心を奪われ現在にまで至っているのを彷佛させる街だ。ほっとけ!
上環駅からハンコ屋が密集する文華里を抜けると、蛇料理を出すレストランがある。昔は蛇問屋が多かったそうだ。少し歩くと骨董品街のハリウッド・ロードやキャット・ストリートがあり、ここからは坂道が多くなる。その一角にある香港最古の廟である文武廟に入ってみる。ここには緑の衣をまとった文の神様と赤の衣をまとった武の神様が祭ってあり、原色のド派手な神様だ。それでも熱心に祈っている参拝者を見ているとこっちも敬虔な気持ちになってくる。そこからハリウッド・ロードを北西へ道なりに歩いていくと仏具屋や棺桶屋がある。店の前には参詣した際に燃やす紙で作った車や紙幣なんかがずらっとぶら下がっていて壮観だ。道がクイーンズ・ロードと交差したあたりから乾物屋が多くなり、下町の中の下町、まるで下町を煮染めて佃煮にしたような雰囲気になってくる。たまにあるコンビニやマクドナルドがミスマッチだ。歩いているうちに段々と異臭がしてくるが、これは梅芳街という数十メートルの横丁に塩漬け魚を売る店があるからだ。店の前には干し魚が所狭しと吊り下げられ、それを猫車でせわしなく運搬している。このタンパク質が発酵した臭いというのは、お好きな人にはたまらん臭いだ。発酵学、醸造学者の小泉武夫先生によれば、チーズというごく一部の例外を除けば、地球上でカビを使う食文化圏はアジア地域に限られているそうだ。日本ではこの手の臭いが駆逐されているのは残念至極だ。そこから大通りに出ると乾物屋問屋街になる。ブリキで作ったようなレトロな緑色のトラムに乗り、二階席に陣取ってこの通りを眺めるのも乙なもんですな。店のおやじがドリアンの段ボールをたたんでたり、八百屋の前で猫があくびをしたりするのを見ていると、意識がとろとろとしてきて、中国を清といってた時代に思いがはせ、アヘン戦争だの東学党の乱だのといった言葉が浮かんできたりしますな。さて、散歩は九龍へと戻りやしょう。(つづく)

#55 続々 香港の散歩(芸能人ではありません)

at 2005 01/12 23:19 編集

油麻地(ヤウマテイ)駅から上海街を南下していくと一気にディープな中華街になってきます。右に左に仏具屋や雑貨屋や線香屋なんかがあって、正真正銘、由緒正しきチャイナタウンという感じです。こんな所を歩いていると心底、落ち着きます。もう少し行くと天后廟に突き当たります。廟は赤を基調としていて、守り神はいかにも中国という感じの妖しい人形たちです。若い女性も多く、線香をあげて熱心におがんでいます。その入口にある公園では、おじさんたちが佃煮のように密集して、昼寝をしたり将棋をしたり簡素なビリヤード台で玉突きをしたりして、おじさんたちの憩いの場になっています。この光景を見ていると、大阪は西成にある三角公園、別名トライアングル・パーク(嘘)を思い出します。ホームレスの憩いの場所である三角公園には街頭テレビがあり、みんな金曜ロードショーなんかを観ています。年末なんか総合格闘技の「プライド」を観てたりして、どこかの通のおっちゃんが、桜庭の師匠の高田がどうたらこうたらと講釈をたれてたりしてますが、チャンネルは誰が決めてるんだろうといつも気になります。そこからまっすぐ行くと廟街(テンプル・ストリート)になります。夜になると男人街と呼ばれる場所ですね。私はナイト・マーケットよりも昼間のだらだらっとした感じが好きです。しばらく歩くと佐敦道(ジョーダン・ロード)にぶつかりますから、右折してうろうろしていると、公園やらサッカー場やら公設市場がある場所に出ます。官涌街という通りを下っていくと場末のポルノ映画館があります。侘びしさが素敵な通りです。このうらぶれた感じがたまりません。ここで散歩は終わりです。地下鉄で帰ることにしましょう。スターフェリーで香港島に渡ってみようと船着き場に行くと、これがまたものすごい人だかり。香港の映画スターの手形がはめ込まれたプロムナードには何千人という人民と観光客が密集しています。みんな夜景を観にきたんだなと思っていましたが、そのうち「音と光のショーへようこそ」というナレーションが聞こえてきたかと思うと、対岸の香港島の高層ビル群からイルミネーションが乱舞し、レーザー光線が飛び交い、ステレオサウンドで音楽が鳴り響き、屋上からは花火がどっかんどっかんと上がり、ほぇ~っと見とれているうちに20分ほどでショーは終了しました。はぁーっ、ええもん見せてもらいましたわ。そういえば、空港に着いたときにパンフレットを配ってましたが、それには5月1日から9日は特別に花火の打ち上げをやりますと書いてありました。ああ、この期間中に香港に来れてよかった。これでいつ死んでもいいわと思いました。マジで。_

チョンキンマンションを振り返って 平成29年3月

金曜日の夜11時にNHKでチョンキンマンション特集を懐かしいな〜と観ていると、5歳の宵っ張りの娘が「パパ〜〜、遊んで〜〜、カルタしよう〜〜」
「ちょっと待って、これを観終わってか…」
「パパ〜〜!遊んで〜〜」
「もう少しで終わるか…」
「遊ぼう〜〜!」
あ”〜聞こえない〜、お前は獅〇座なおか〜〜」
録画しててよかった。
https://www.facebook.com/durian.nagano/posts/1282218655199034?notif_t=notify_me¬if_id=1489845759679530

皆様への伝達事項
ドリアン長野は英国統治時代の香港ばかりか中国返還後の香港にも旅行したそうです。
ドリアン長野が過去に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。過去と違って現在gooブログでは3万文字の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。
今回、特別にドリアン長野が執筆した香港の旅行記をまとめました。内訳は、「チョンキンマンション」、「香港の散歩」並びにエッセイとしてドリアン長野が執筆した「チョンキンマンションを振り返って 平成29年3月」の三者です。
 皆さん、エッセイ(チョンキンマンションを振り返って 平成29年3月)を除外し平成十年代の香港旅行記です。
平成16年と平成17年に発表されました。重慶大厦ことチョンキンマンションは平成20年に大規模な改装が行われ治安対策も改善されたそうです。海外の二種類(ミラドールとチョンキン)の建物だけでこれだけ楽しめる所は少ないです。エベレストクラブは名店として有名です。海外旅行案内書は読んでから旅に行くべきです。紙媒体の書籍だと光があれば読めるという利点もございます。伊藤家の食卓は平成十年代に放映されてたTV番組です。為替差損はやむを得ないが日本国内で日本円を外貨に交換してから海外に行く事を提案します。映画「恋する惑星。」は日本では1995年に上映されました。もし、海外旅行をされるなら時計は二つ以上用意して下さい。日本時間と現地時間の時計を保有して旅すると安心です。また、ニセモノ時計は買わないようにしましょう。日本国内で販売されてる¥1080以下で販売されてる腕時計を尊重すべきです。可能であれば、アナログ式の腕時計を推奨します。理由はサマータイムの切り替えが簡単だからです。余裕があれば高額なスマートウォッチを購入されてはどうでしょうか?時差にも対応してくれるばかりかサマータイムの切り替え等も自動で行ってくれると思います。
物品の購入の時にはどこであっても気をつけましょう。おつりの間違いは国の内外を問わずにあり得ます。中国人が日本国内で仕事をしてるからか否かは質問しないでください。他にも購入した商品が欠落してるのは詐欺行為です。通販の利用者が過去よりも増加したのは海外に行かなくても日本に配達されるからでしょうか?海外旅行中に写真撮影をドリアン長野はしたようですが海外旅行中に撮影した画像データの発表は一度も行われなかったばかりかこちらには全く伝達されていないので発表は一切行えません。
ドリアン長野は海外旅行に行ったから実体験に基づく投稿が行えたので過去に赴いた場所が紹介されてると懐かしく思えるようです。憧れだけではなく懐古でそのTV番組を見る人はいます。
下記の紹介した幾つかの動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

刑務所よりも狭い香港の激安ホテル / 重慶大厦(チョンキンマンション)


Hong Kong Chinese Lunar New Year Fireworks Display 2013 年香港農曆新年煙花匯演


香港デモ 未明の衝突一部始終

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#89

2024-04-26 | 日記
ドリアン長野のミャンマー旅行記
2018-03-12 | Weblog

ドリアン長野のミャンマー旅行記

アンカータグは以下の3種類とさせていただきます。
ビルマの休日その5   ビルマの休日その10   ビルマの休日その15

NO88 ビルマの休日 その1

at 2006 01/09 01:15 編集

ミャンマーのビザの申請書に記入していたら、「complexion」という項目があった。肌の色、である。う~ん、whiteというほど俺の顔は白くないしな。yellowには侮蔑的な意味があるし.....。自分の顔を鏡に写してしげしげと見てみた。darkというほど松崎し〇るじゃないし。「遠い夜明け」というアパルトヘイトを描いた映画で「君たちはなぜ自分たちのことをblackと呼ぶのかね。むしろbrownじゃないか」と聞く白人に対し、主人公のビーコが「あなたたち白人はなぜ自分のことをwhiteというんですか? むしろpinkだ」とやり返す場面を思い出した。アメリカだったらこんな質問には慣れているんだろうなと思いつつ、三十分考えて無難なところでwhiteと記入した。
そのビザがなかなか来ない。さすがにやきもきして、出発三日前に大使館に電話した。
「明日送ります」
ミャンマー人の職員はこう言った。まだ送ってなかったんかい。翌日になってもまだ来ない。また電話した。
「まで来てませんがっ!」
「もう出ましたから」
そば屋の出前かい、と思ったがぎりぎりには来るだろうと高を括っていた。しかし、出発当日になっても敵は沈黙したままである。その日の早朝に郵便局におもむき、「速達便は来てませんか」と聞く。
「来てませんねえ」と郵便局員。フライトは11時半だ。もう間に合わない......。がっくりと肩を落し家路につく。これは大使館のやつらの怠慢に違いない。チケット代を弁償させてやる。九時になるのを待って電話した(何回電話さすねん)。
「ビザ来てませんがっ!」
「送りましたけど。ゆうパックで」
「えっ?」
「料金が不足していたので着払いで送りました」
「あっ、そ、そうですか。どもどもども」
郵便局に確認すると確かに来ていると言う。フライトまで二時間しかない。俺はあわてて部屋を飛び出し、自転車に胯がった。10メートル走るとチェーンがはずれた。あわわ、何でこんな時に。直そうとするがあせってうまくいかない。自転車を打ち捨て、走る。バックパックをかついで走るのはつらい。すぐ息切れがする。この時ほど自分が高橋尚子だったらと願ったことはない。大通りにタクシーが停まっていた。バスを待っている暇はない。
「ハァ,ハァ、ハァ、関空までフルスピードでお願いします。そ,その前に郵便局に寄ってください」
年輩の運転手さんは猛スピードで高速道路を飛ばし、俺が乗る予定だった空港バスを追い抜いた。これでもとを取った(取ってないだろ)。タクシー代は一万円を越えてしまった。ミャンマー人の半年分の収入だ。(続く)

NO89 ビルマの休日 その2

at 2006 01/11 23:23 編集

ミャンマーは軍事政権だ。入国審査に手間どるんじゃないだろうか。大使館のやつらが年末のやっつけ仕事で作成した(偏見)ビザに不備があり、係員にちょっとこちらまでと別室に連れていかれ袖の下を渡せば今回は特別に入国させてやると言われるがそれを拒否したらお前は不審人物だから持ち物を改めるとバックパックを調べられて持っていたスーチーさんの著作を見つけられてお前は反体制派かと軍の上層部に連絡されおまけにパスパートにはさんでいたカンボジアでたわむれに取ったメディアパスまで見つけられてお前はジャーナリストだなとあらぬ嫌疑をかけられ監禁され三日三晩不眠不休で取り調べを受けたあげく罰金三百ドルを徴収された上にもう二度とミャンマーには入国いたしませんと誓約書を書かされてやっと釈放されたということは全くなくあっけなく入国できた。
タクシーで市内に向かう。乾いた日射しと土埃が車窓から入ってくる。ロンジーをはいた人々が歩いている。何てのびのびとゆったりと歩いているんだろう。服装も質素だが清潔だ。貧しいかもしれないが、誰もが満たされているような顔つきだ。この印象は滞在中、一度も変わることがなかった。
ヤンゴンでの第一泊は京都でいえば京都タワーのような、街歩きのときの目印になるスーレーパゴダの目の前のゲストハウスに泊まることにした。パゴダというのは黄金の仏塔でミャンマー人の篤き信仰の対象となっている。早朝から夜遅くまでひっきりなしに参拝者が訪れ、瞑想したりお祈りしたりしている。市内でもいくつかパゴダがあるが、中でもスーレーパゴダはここを中心に市街が設計されたというありがたいパゴダである。日中はもちろんきんきらきんに輝いているが、夜になればなったでライトアップされ、何か所かある入口はまるでキャバレーの呼び込みのようである。(続く)

NO90 ビルマの休日 その3

at 2006 01/12 23:29 編集

歩いているとひっきりなしに、「ハロー、チェンジマネー?」と声がかかる。通貨のチャットと同じくらい米ドルが流通しており、しかも外国人旅行者はホテル代や鉄道料金等は米ドルしか使えない。しかし注意しなければならないのは、ミャンマーでは古びたドル紙幣は受けとってくれないことだ。少しでもよれよれのドルを渡すと、「交換してくれ」と言われる。帰りに空港で出国税の十ドルを出したときにも職員に「新しい紙幣と交換してくれ」と言われ、たまがった。もし新しい紙幣を持ってなかったらどうすんだ? 「日本人、古いドル紙幣のためにミャンマーから出国できず」なんて新聞に書かれたらずいぶんとおまぬけではないか。
市内を犬のようにうろつく。どこの国に行っても中国人街とインド人街が一番にぎやかでぐちゃぐちゃで暑苦しい。サイケなヒンズー寺院の前にはなぜか何匹も野良犬がうろついていた。腹が減ったので食堂に入ってチェッター・ヒン(チキンカレー)を注文。西原理恵子が「アジアではビルマ料理が一番おいしかった」と言っていたが、ガイドブックには「非常に油っこくて旅行者は必ずお腹をこわす」と書いてある。どっちなんだ。出てきたカレーはインドカレー以上にさらっとしているが、表面は古い油を浮かしたようだ。油の中にチキンが泳いでいるといった方がいい。食べてみて驚いた。うまい。うまいじゃないか。香辛料はそんなに入っているようには思えないのに、複雑で奥深い味だ。油っぽさは感じない。チキンは噛み締めるとしっかりとしたうま味が出てくる。私はミャンマーでカレーを食いまくった。ビーフカレー、フィッシュカレー、茄子カレー、鹿肉カレー。一番うまかったのはやっぱりチキンカレー。ビルマ語で覚えたのは「チェッター・ヒン」と「タミン」(ライス)と「エインター」(トイレ)だけだ。「ありがとう」も「こんにちわ」も「おいしい」も未だに何て言うのか知らない。(続く)

管理人マーキュリーマークからの伝言
現在はドリアン長野が執筆した平成十年代と違い増税されたことから実質的に出国税の値上げはあり得るので詳細は各自で調べて下さい。

NO91 ビルマの休日 その4

at 2006 01/17 22:51 編集

夜はすることがないので十時には寝るから、毎朝五時に目が覚める。バンコクで二時までディスコで踊り狂って夜更かしするのとはえらい違いである。早朝の散歩がこれまた気持ちがいい。独立記念塔がある近くの公園に行くともう善男善女が太極拳やらダンスの練習をしているので、私もカラテの型をやる。六時半になればもう充分に明るい。そこからヤンゴン川に向かって歩いていくとイギリス植民地時代に建てられた、創業百年以上の老舗アンド高級ホテルのストランド・ホテルがある。一番高い部屋で一泊十万円、安い部屋でも五万円もするというクレージーなホテルだ。せっかくだからトイレを借りに入ってみると、何だか調度品やら骨董品やらがごちゃごちゃと置いてある。おしっこしたついでにレセプションで両替してみるとレートがものすごく悪い。私の泊まっている安宿の方がはるかにいい。(勝った!)と内心優越感を覚える。ここらあたりは税関やイギリス大使館や今は使われていないデパートや貨物列車が運行していたであろうレールが残っていたりしていて、植民地時代の残滓が色濃く漂っている。朝から対岸行きのフェリーに乗る人や降りてきた人でごった返している。川を眺めながら食べた露店のモヒンガー(魚のダシで作った麺)はストランド・ホテルで食べる豪華なディナーよりおいしかったと思う。これは別に負け惜しみではない(こともないこともない)。
市街にはバッタもんの外食店もある。「マック・バーガー」とか「ミスター・Jドーナッツ」とか「フライド・チキン・トーキョー」とか。カレーより高いけど結構はやっている。ファーストフードは嫌いだが、ためしにフライドチキン・ディナーセットを購入。味に関しての感想は控えたい。ただ日本だったら三時間でつぶれるだろう。
三時間で市内を一周する環状線に乗ってみた。外国人は乗車券を購入する窓口が違っていたり、パスポートの提示を求められたりとややこしく、おまけに料金はミャンマー人は二十円だが外国人は1ドルである。発車時間ギリギリだったので、ホームを走って最後尾の車両に飛び乗った。乗客から不思議そうにじろじろ見られた。(続く)_

NO92 ビルマの休日 その5
at 2006 01/20 23:44 編集
対面式の座席の後部には縄が張ってあり、その内側には制服を着た人相の悪い輩が四、五人座っている。一人は車掌であとは警察と軍の関係者らしい。乗客の安寧を保つためだそうだ。列車はゆっくりと走っていく。物売りや行商のおばちゃんたちもどこどこ乗ってくる。水売り少年の水はコップ一杯が五円だった。停車駅に近づくたびに、線路の上で寝ている大人や遊んでいる子供たちを見かける。アジアの人たちっていうのは野良犬みたいだ。好きな時に好きな所に寝っころがって、気に入った場所にはどんどん入っていく。そういえば、バンコクでは線路の上に市場があった。列車が通過する時間になると商売道具をどかしていく。マニラでは列車が運行してない時間を利用して手作りのトロッコを走らせ、お金をとっている人たちがいた。もちろん違法だが、こういうのを見ると、いいよなあと思うのは野良犬の生活に少し憧れているからだろう。
ヤンゴン中央駅に戻り、スーレーパゴダの周りを歩いていると、子供たちがこちらにバタバタと駆けつけてきた。年長の十二歳くらいの女の子が持っていた絵はがきを突きつけ、
「ミャンマーの絵はがき買ってよ。言っとくけど、これは複写じゃないからね。他の店では絶対売ってないよ。二十枚セットで一万チャット! お買得だよ。わたしより安いところなんかどこにもないからね!」
と、まくしたてる。アジアの国のどこにでもいる子供の物売りだ。彼らの英語は生活のためだから、たとえブロークンであってもリズムがあってスピードもある。平均的な日本人の英語学習者が一生かかっても彼らのようには喋れないだろう。それはそれで日本人は幸福だなと思うけど。
「一万は高いよ」
「高くないってば! しかたないわね、それじゃあ大負けに負けて八千!」
「それでも高いよ」
女の子は、はぁ~っとため息をつく。
「あのね、一体いくらなら買うの?」
「う~ん、五千だな」
びっくりしたように目をむいて、
「冗談じゃないわ。わかった、ラスト・プライスを言うから絶対、文句言わないでよ!」
「言うよ」
「六千!」
「きみ、英語うまいね」
「あたりまえでしょ、何年も勉強してきたんだから。今でも週に二回学校で英語の授業があるけど、わたし一番なんだからね。いいわ、特別に五千でいい」
女の子は右手を差し出した。商談成立だ。五千チャット(五百円)渡すと、
「あなた、かわいいね」と言われた。きみにかわいいと言われてもな~。(続く)

NO93 ビルマの休日 その6

at 2006 01/21 22:52 編集

列車に乗っていたら隣に七歳くらいの女の子が座った
顔にタナカを塗りたくって
口紅を引いて
マニキュアをして
とっておきのワンピース
お母さんに連れられて
今日はお正月だから
にこっと笑うと齒が欠けていた
ああ、ビルマの子供
アジアの子供たちよ
バゴーのパゴダで
五歳くらいの女の子が
お金をくれと手を出す
お金はやれないよと首を振ると
実に悲しそうな顔をした
せめて 
さようならと手を振ると
顔をくしゃくしゃにして笑った
齒の欠けた口を開けて
クアラルンプールの空港で見た
白人の家族連れ
その子供たちは
貧しさというものを
死ぬまで知らないですむだろう
こんな光景は
こんな光景は何度も見たはずなのに
この炎天下に
汗と一緒に涙までにじむのはなぜだ
子供たちは
たじろぐほどの真剣な面持ちで
俺から金を巻き上げようとする
私は学校に行きたいんだ
弟においしい物を食べさせてやりたいんだ
父さんと母さんに楽をさせてやりたいんだ
俺はいつもお前たちに負けてばかり
最初から勝ち目のない闘いだ
ああ、ビルマの子供
アジアの子供たちよ
俺もアジアの子供だ
いつかはこのアジアの黄色い土に還る
そのときには
神様に頼んでやる
天国でアジアの子供たちと
一緒に住ませてくださいって
毎日話してくれないか
父さんと母さんは
お前たちを愛してくれたのか
貧しくても幸せな日々だったのか
隣でお前たちが
齒の欠けた口を開けて
笑ってくれれば
そう思えば
死ぬことなんて怖くない
そんな気がするんだ
ああ、ビルマの子供
アジアの子供たちよ
観光地では物売りの女の子が同じ絵はがきを二ドルで売っていた。やっぱりまたボラれてた。(続く)

NO94 ビルマの休日 その7

at 2006 01/26 23:13 編集

ミャンマー人は温厚で親切で素朴な人が多いと思う。道を尋ねた人が英語がわからなくても、わかる人をどこかから連れてきてくれるし、何かを買ってお釣りをごまかされたということもなかった。それでも人を騙してあぶく銭を稼ごうとするよからぬやつはどこの国にもいる。ミャンマーに着いた初日の夜に街を歩いていると日本語で声をかけられた。
「こんばんわー、日本人ですか? どこ行きますか?」
歩いていて日本語で声をかけてくるのはお金を騙しとろうというやつに決まっている。話に応じると、日本が大好きだ、日本に知り合いがいる等と言い出す。そして私は学生だとか教師をしていると言って、観光案内をしてあげると持ちかけ、最後に法外な報酬を要求するという古典的な手口である。他の国なら無視するのだが、ミャンマーということで少しだけ気を許した。
「僕は日本に恋人がいますね。日本、大好きです。明日はお正月ですから、たくさんの人がチャイティヨーパゴダにお参り行きますですね。僕の知り合いが車持ってますから案内しますよ。150ドルでどうですか」
その時はそいつの知り合いが日本円をドルに両替できるというので、一万円を換金してもらった。ミャンマーでは日本円を両替するのは難しいんである。
翌日、歩いていると別の男に声をかけられた。
「あなた、ビルマ人に似てますね。日本人ですか。ビルマ人かと思った」
今度は英語である。
「私は大学生です。どこに行きますか? 私の友だちが車を持っていますから、チャイティヨーパゴダに行きませんか。特別に150ドルで行ってくれますよ」
とてもわかりやすい。マニュアルそのままである。さすがに軍事政権では情報が制限されているので、手口も画一化している。こんなんで旅ずれした個人旅行者を騙すことができるんだろうか。
その男と歩いていると、昨日の男(ミャンマー人A 。名前は秘す、っていうか忘れた)と出会った。世界は狭い。
「ちょっと、ちょっと」
Aは私を脇道に呼んで聞いた。
「あの人、誰ですか」
なんだか自分が二股かけたプレイガールのような気がしてきた。(続く)  _

NO95 ビルマの休日 その8

at 2006 01/30 23:14 編集


「あの人、とても悪い人ですね。マフィアですね。気をつけてください。あなたにちょっと話あります。今晩六時にあなたのホテル行きますから待っていてください」
と言ってAは去っていった。自称大学生の男(ミャンマー人B。名前は秘す、っていうか忘れた)はすかさず、「あの男、知ってますよ。ここら辺では誰も知らない人はいません。最近まで刑務所に入っていました」と言う。
(お前ら、二人ともあやしいんじゃ~っ)
Bと別れてから、MTT(ミャンマー国営旅行社)に行って聞いてみる。
「チャイティヨーパゴダなら往復のタクシーをチャーターして、100ドルですよ」
思わず値切るのも忘れて予約した。
Aは六時きっかりにホテルに現われた。悪人なのに時間には正確だ。
「あの人、外国人を騙してお金とりますね。騙すところ見たことあります。とても悪い人ですね。ところで、昨日の話どうしますか。150ドルって言いましたけど、友だちに相談したら130にしてくれるそうです。日本人は友だちですから特別ですね」
Bも全く同じことを言っていた。この国には騙しのテクニック講座があって、同じレッスンを同じ教科書で学んでいるに違いない。
「ふ~ん、もし旅行会社に頼んだら、いくらになるの?」
「そうですねえ、日本のお金で二万円にはなると思います」
私はもちろん、その話を断った。その前にもう一万円を両替してもらった。
チャイティヨーパゴダというのは別名、ゴールデンロックといって、金箔を張りつけた巨大な岩が山頂の崖の端に落ちそうで落ちないという微妙なバランスで鎮座しているというミャンマー人が一生に一度はお詣りに行くパゴダである。行くつもりはなかったのに、何だか行くはめになってしまったのはこれも仏様の導きか。早朝六時にタクシーに乗り、五時間かかって山のふもとに到着。そこからトラックの荷台に五十人ほどのミャンマー人とすし詰めにされ、どこかにしがみついていなければ振り落とされるほどの急勾配&曲がりくねった山道を四十分かけて中腹に着いた。しかし、本当の苦行はここから始まるということを神ならぬ私は知る由もなかった。(続く)

NO96 ビルマの休日 その9

at 2006 02/02 23:03 編集

トラックを降りないうちに、すさまじい攻勢だ。運び屋は私のバックパックを勝手につかんでかごに入れようとするし、茶店のおばさんは私の袖をつかんで離さない。
「ひと休みしてコーラ飲んでいきなさい」
「ひと休みって、これから登るところ.....」
「コーラ!」
「またねー」
彼らを振り切って、山道を駆け登る。下を見ると、熟れ寿司のように一緒に荷台でみちみちになっていたミャンマー人たちはまだ到着地点でうろうろしている。
「ふっ、やる気のないやつらだぜ。日本人のど根性を見せてやるわっ!」と張り切って登り始めたのだが、鬼のように勾配がきつい。一時間あれば山頂に着くらしいのだが、そんなことのできるやつは誰なんだ。植村直己か、野口健かっ。要所要所にかつぎ屋さんがいて、「乗らないか」と声をかけてくる。彼らは四人一組で台座に人を乗せて五百円くらいで山頂まで運ぶのだが、こんな過酷な仕事がまたとあろうか。その仕事に敬意は表するものの、自らの脚で登頂してこそ御利益もあろうというもの。ああ、ありがたや、ありがたや。声をかけられるたびに「ノープロブレム!」と言い放ち、全力ダッシュを繰り返す。三回続けたらマジで心臓が止まるかと思った。アホや。混じりっけなしのアホや。あちらこちらに茶店があるのだが、一旦休憩したらそこに根付いてしまいそうで恐い。脱水症状でふらふらと登っていくと、遥か彼方に陽光にきらめくゴールデンロックが見えた。それを目にしたら逆に気分が萎え萎え。無理や、あんなところまでたどり着くのはずぇったい無理やああああ。責任者出てこ~い!(こればっかし)。
かつぎ屋に乗った日本人や白人が次々と私を追いこしていく。おまえらなあ、金さえあれば何でもできるという先進国の驕りといったもの、かつ人間の努力と尊厳というものをいったいどのように考えて.......、ああ、それにしても私はなぜミャンマーくんだりまで来て、こんな辛い思いをしてまで山に登っているのだろうかという根源的なしかし決して考えてはいけない疑念が浮かんできたのだが、酸欠なのでそれ以上は脳が拒否。あのミャンマー人のAとB、今度出会ったらグーで殴っちゃるう~(逆恨み)。(続く) _

NO97 ビルマの休日 その10

at 2006 02/06 23:48 編集

思えば苦しい道のりであった。山頂付近では息が異常に苦しくなり、高山病かと疑ったり(なわけねーだろ)、いつ着くかともしれぬゴールにくじけそうになった時はアントニオ猪木の「恐れず一歩を踏み出せ。そこが道になる。お前の後ろに道はなく、お前の前に道がある。天上天下唯我独尊」という言葉を思い出して頑張った(ウソ。しかもテキトー)。しかし、朝の来ない夜はない。借金取りの来ない消費者金融はない。永遠に続くかと思われた苦行もいつしか終わりを告げ、はっと思ったらそこは山頂だったのだ。私は無寄港(茶店)単独登頂、しかも杖(茶店で売っていた)なしという偉業を成し遂げたのだ。この偉業はミャンマーの歴史には燦然と輝かないかもしれないが、私の歴史には燦然と輝くであろう。万歳、 自分。誉めたたえよ、自分(by 三代目魚武濱田成夫)。
境内には何百人という登頂者がまぐろのように息も絶え絶えに横たわっていた。まさに野戦病院さながらである。気持ちはわかるぞ、同志よ。そして本尊のゴールデンロックはその黄金色を輝かせ、傾斜のついた崖っぷちに絶妙なバランスで屹立していた。地震か台風でもあったら、転げ落ちそうだ。参拝者が金箔を買って、その岩にぺたぺたと貼付けている。日本だったら危険だからといって立ち入り禁止だろーな。崖の下を覗くと、神聖な場所のはずなのに菓子の包み紙とかがいっぱい散乱していて、ちっとも地球に優しくないミャンマー人なのだった。十分も見ていると、苦労して見にきた金箔岩なのにもう飽きてきた。今晩は早めに寝て日の出を拝もうと思い、外国人が予約なしで泊まれる唯一のホテル(これがろくな設備はないくせに宿泊費だけはバカ高いんだよな)に行ったら満室だとゆわれた。仕方ないので中腹まで下山することにした。あとはトラックでふもとまで行けば安宿があるはずだ。(続く)

NO98 ビルマの休日 その11

at 2006 02/13 23:07 編集

中腹に着くと参拝者を満載したトラックが次々とやってくる。かつぎ屋や運び屋は大忙しだ。こけつまろびつ駆けつけては交渉してどんどん山に登っていく。小柄な少年がかごの中に五人分の荷物を詰め込み、その上にばかでかいスーツケースを括りつけて黙々と登っていった光景を見たときにゃあ、彼の後ろ姿に男を感じたね。町工場のシャチョーさんが見たら「えらい! あんな年端もいかない子供が文句も言わんと....。それにひきかえ最近の日本の若いやつらときたらっ」と思わず事務所のスチールデスクを叩き、感涙にむせびそうだ。定員五十人の荷台に十人の日本人ツアー客を乗せたトラックが到着。五倍の運賃を払ったな。すかさず運び屋が群がる。おばさんが「わたし、自分で歩くよ」と肩をそびやかして腕を振る。日本人のおばさん独特のしぐさだ。とはいっても結局全員がかつぎ屋に運ばれていった。
とまあ、こっちもいつまでも見とれているわけにはいかないので、最終便に乗り込む。定員になるのを待って、ようやくトラックは日没の中を走り出した。夜になるとTシャツだけでは肌寒いほどだ。荷台には茶店の茶器を積んだ大きなバケツを抱え込んでいるおねいさんや売り物の駄菓子やら干物を持って帰る少年といった仕事帰りの人たち、私のとなりには僧侶が二人座っている。相変わらず身動きもできない。時おり話し声が聞こえてくるが、もちろん一言もわからない。見上げると満天の星と下弦の月。トラックは月明かりの下で険しい山道を疾走してゆく。いつ横転してもおかしくないほどだが、彼らと一緒に揺られていると不思議と恐くはなかった。実はミャンマーに来て一番よかったと思える瞬間がこの時だった。私はきっと十年後もこの時のことをまばゆいほどの星と月とともに懐かしく思い出すに違いない。(続く)

NO99 ビルマの休日 その12

at 2006 02/17 23:42 編集

トラックは山道から平地に入っていった。あれ? 来たときはこんな道はなかったはずだけど。この平地に入る前にトラックはいきなり停止し、別のトラックが横付けしてきた。みんながわれもわれもとそちらに乗り換えるので、わけがわからないままに私も移ったのだ。見ると半分くらいの人数を元のトラックに残したまま出発した。どうやら違う路線に乗ってしまったらしい。今晩は野宿かなと思っていると、しばらくして終点に着いたらしく、みんな降りていく。さて、どうしたもんかなと、とりあえずにぎやかそうな方向に歩いて行ってみる。そこはゲストハウスと看板が掲げられていて、一階はゲーセンになっている建物だった。入口に立っている若者に聞いてみると、なんだかんだと他の若者が集まってきて協議を始め、近くのホテルにバイクで送ってくれることになった。ここに泊めてくれればいいと思うのだが、ライセンスがないので外国人は泊めることができないらしい。バイクのうしろに乗って漆黒の闇の中を走る。街灯も民家もないから、とにかくもう鼻をつままれてもわからないほど真っ暗。
十分ほど走って連れてこられたのは門から建物まで百メートルはある広大な敷地に建てられたリゾートのようなホテルであった。連れてくんのはいいけどよ、この格好見て判断してくれよな。どう考えても金持ちの旅行者には見えんだろう。恐る恐る値段を聞くと、一番安い部屋が15ドルだそうだ。
「こんばんわ。日本人ですか」と日本語で声をかけてきたのは、五十歳くらいで一見日本人かと思うような人だった。
「私はこのホテルのマネージャーをしています。チョウチョウといいます」
チョウチョウさんは東京の寿司屋や喫茶店や居酒屋などで十年間働き、その時に貯めたお金で友だちと十年前にこのホテルを建てたそうだ。
「その友だちはホテルの経営をやめてお坊さんになりました。面白い人でしょう?」
う~ん、何だかこのホテルは当たりみたいだなあ。(続く)

NO100 ビルマの休日 その13

at 2006 03/01 22:34 編集

ロビー兼ダイニングには壁がなく、様々な木々が生い茂っているのが夜目にもわかる。テレビでしか見たことないような二十人は座れるような細長いテーブルに一人で食事をするが、チョウチョウさんやボーイが何かと世話をしてくれ恐縮するほどだ。ロビーにいるのは年輩の男女の白人グループと若い日本人のカップル。談笑している白人のグループの話し声に聞き耳を立てると、英語に似ているが英語ではない。不思議に思って翌朝彼らの一人に聞いてみるとオランダ人だった。チョウチョウさんが説明してくれたところによると、この広大な敷地にはゴムの木、黒胡椒、ザボン、マンゴー、パパイヤ、ココナッツが栽培されていて、ゴムの製造工場まであるそうだ。彼の友人であるオーナーが知人をもてなすために最初に小さなバンガローを建て、それが好評で次々と増設していくうちに今では二十三室になったそうである。案内された部屋は充分に広く、民芸品の家具で統一されていてこれがリゾートホテルだ、文句あっか! という感じで恐れ入って昼間の疲れもあり、ベッドに入ると三十秒で前後不覚になる。
翌朝はいつものように五時に起き、敷地内を散歩する。暗闇の中でちらちらと光るものがあるので近づいてみると、ゴムの木から樹液を採取している人の懐中電灯だった。朝食をとるためにダイニングに行くと、昨夜の日本人カップルがいた。彼らも道に迷ってこのホテルに連れてこられたそうである。二人とも見た目はフツーなのだが、大学生の頃から年期の入ったバックパッカーらしい。話を聞いてみると、バラナシの超有名な「クミコハウス」に長期滞在している牢名主のような日本人のこと、ラオスで大晦日にバスに乗っていると運転手が急に休憩だと言って、毛布を取り出してきて本格的に寝てしまい、新年をそのバスの中で迎えてしまったこと、通りすがりのトラックの荷台に乗せてもらったが、なぜかおがくずが敷き詰められていて、トラックが止まったらその中から生きた鶏が何羽も出てきてびっくりしたこと、ロンドンで罰金を取られてしまい、所持金が無くなってしまったのでロンドン橋が上がったり下がったりするのを一日中、二人で眺めていたこと(北野武監督の映画のワンシーンのようないい風景だなあ)。私は涙が出るほど笑わせてもらった。(続く) 

NO101 ビルマの休日 その14

at 2006 03/09 23:39 編集

朝食もそこそこに二人は慌ただしくチェックアウトしていった。これからゴールデンロックに登頂しに行くそうだ。健闘を祈る。新たな伝説を作って欲しい。
「どうですか、昨日はよく眠れましたか」とチョウチョウさん。
「はい、ぐっすりと。ところでホテルのパンフレットに書いてありましたけど、ここには養護施設もあるそうですね」
「はい。小学生から高校生まで七百人くらいが住んでいます。費用はいろいろな国からの寄付と、ホテルでミャンマーのダンスを見せることがありますから、そのお金で賄われています」
「そこは見学できますか」
「もちろんできますよ。案内しましょう」
ホテルの裏にある小さな丘を越えると、そこには様々な施設があった。男女別の寄宿舎はもちろん、規模は小さいけど図書館や運動場や娯楽室や医療室や調理場など。大きなかまどのある調理場では子供たちが朝食を作っていたし、明日がイギリスからの独立記念日だということで遊戯場のような所で小学生がダンスを練習していた。
「この教室は日本政府と民間団体からの寄付で2001年に建てられました。寄付金が一番多いのは日本です」
チョウチョウさんがひときわ大きな教室を指差す。外壁にはその事が日本語とビルマ語と英語で書かれたプレートが掲げてあった。こっちとしても鼻が高い。ホテルに置いてあるパンフレットにはこう書かれている。
「この施設には弧児や養育を受けることの困難な家庭や地域から来たビルマ族、シャン族、パオ族、ナーガ族、カヤー族、パダウン族、カレン族の子供たちが住んでいます。宗教も仏教徒やクリスチャンと様々で、お互いに理解することや尊重することを教えるようにしています。子供たちの大半は施設を出ると援助を受けて、より高度な教育を受けます。中には施設に戻ってきて教育や運営に携わったり、自分たちの故郷の村に帰って子供たちに教育の準備をさせる卒業生もいます」。(続く) _

NO102 ビルマの休日 その15

at 2006 03/14 23:30 編集

「よかったらゴム工場も見ていきませんか?」
「見ていきたいんですけど、タクシードライバーと待ち合わせをしているのでもう行かないといけません」
「そうですか。もし帰りに時間があったら寄ってください。山へはホテルの前からバスが出てますから、それに乗っていけばいいです」 
チョウチョウさんは一緒にバスを待っていてくれた。
「もう一度日本に行きたいです。今度は仕事ではなくて、友だちに会いに行きたいです」
チョウチョウさんは十年間海外で働いていたことによって、今の軍事政権下では再び出国するのは難しいらしい。というか、私には政権が変わらない限り不可能なことのように思えた。
「あっ、バスが来ました」 
チョウチョウさんは手を上げてそのバスを止めた。バスといっても大型トラックを改造したものだ。車内は人が鈴なりになっているので、窓わくに足をかけて屋根にあがる。そこには既に学生や茶店の商売道具を抱えた少年たちが十人ほど座っている。
「ミャンマーにまた来たときはここに泊まりに来てください」
「はい。ありがとうございました。お元気で!」
バスが走り出すと、朝の澄んだ空気が顔に当たって気持ちがいい。眼下には森が、彼方には山並が見える。こいつは香港やロンドンで乗ったダブルデッカーより比べもんにならんくらい爽快だ。俺は密林の王だ! なんていう勇壮な気分になってくるのは毎朝満員電車に揺られるジャパニーズ・リーマンの悲しき性だ。母さん、岸和田のだんじり祭りで毎年死者が出る理由が少しわかった気がしました。(続く)

NO103 ビルマの休日 その16

at 2006 04/07 22:17 編集

バスはやがて山の中腹に着いた。待ち合わせていた食堂で朝食(もちろんカレー)を食べていると、タクシードライバーのソーパーさんが現われた。
「おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」
私は山頂のホテルに泊まれなかったこと、ひょんな巡り合わせからリゾートホテルに泊まった顛末を話した。
「それは面白い経験でしたね」
「ソーパーさんはゴールデンロックまで登ったことがありますか?」
「一回だけね。もう二度と登りたいとは思いません」
ソーパーさんは本当にうんざりとした顔をした。
「さて、そろそろ行きましょうか」
タクシーがチョウチョウさんのホテルの近くに差し掛かった時、一台のバイクとすれ違った。チョウチョウさんだった。はっとしてバックミラーを見るとあっちも気づいたらしく、Uターンしているところだった。
「ちょっ、ちょっと止めて下さい」
「どうしましたか」
「あの人がさっき話したホテルのマネージャーです」
チョウチョウさんが追いついてきた。急いで窓を開ける。
「今から帰るところですか。これからゴム工場を見学していきませんか」
「ソーパーさん、少し時間ありますか」
私がそう言うとソーパーさんはビルマ語でチョウチョウさんに何か話しかけた。おそらく、「残念だけど、今日中にヤンゴンに戻らないといけないので無理だね」とでも言ったのだろう。
「そうですか、仕方ありませんね。またミャンマーに来た時にはホテルに泊まりに来てください」
チョウチョウさんはまた同じことを言った。
朝五時。あたりはまだ暗い。通りに小さな火が揺らいでいる。屋台の準備のために早朝からカンテキに火を熾している老夫婦。ここにも生活がある。そんなことがなぜか胸を突く。もう少しで夜が明ける。ヤンゴン市内にまた喧噪が戻ってくる。MDプレイヤーのスイッチを入れる。
「ヘッドフォンを耳に充(あ)てる
アイルランドの少女が歌う
夕暮れには切な過ぎる
涙を誘い出しているの?」
「レディオヘッド」のアルバムにも引用された椎名林檎の「茜さす 帰路照らされど...」の一節。私は旅先で聴くとその切なさと激しさに涙ぐみそうになる。通りをこのまま歩いていくと川に突き当たる。
インド洋に繋がるヤンゴン川へと。
今日はイギリス植民地からの独立記念日だ。
「今の二人には確かなものなど何も無い
偶(たま)には怖がらず明日を迎えてみたいのに」
旅をする気持ちに少し似ているかもしれない、と思う。もうすぐ夜が明ける。(終わり)

皆様への伝達事項
ビルマの休日(ミャンマー)は長編です。私は皆様にミャンマー旅行の推奨は出来ません。
ドリアン長野は平成18年にこのミャンマー旅行記を投稿しました。現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。そして、過去と違って現在gooブログでは3万文字の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。
皆さん、私はミャンマー旅行について推奨は難しく行えません。治安の悪化等もあって政情不安定です。平成19年9月27日、APF通信社の長井健司氏が反政府デモ(サフラン革命)の取材中に射殺されたばかりでなく平成29年に混乱が発生しました。平成18年に発表されたビルマの休日はドリアン長野にとって独身時代最後の海外旅行記です。当初の内は「海外旅行記ではなく国内旅行記では?」と解釈されるかもしれませんがビザの所得はパスポートの所得と同程度に重要です。各自で想像してもらいたいが海外旅行の為に国内旅行を済ませる人は多いです。パスポートの所得の為に複数の町へ赴く人ばかりか国際空港や船旅の為に港に行くために日本国内において長距離移動を余儀なくされる人はおられます。
ホテル名が不明であるがゆえに半ば恣意的なんですがヤンゴンとチャイティーヨ・パゴダが存在することで有名なモン州の間にバゴーという街が存在します。ドリアン長野が宿泊したチョウチョウさんが経営するホテルはバゴーに存在しそこで宿泊したかもしれません。
なお、平成3年に軍事政権によってペグーからバゴーに改名されたので未だに変更を知らない人は多いかもしれません。
 町の雰囲気を想像しながら海外旅行記を読むことは楽しいですが、宗教施設とキャバレーは全く別物です。
2010年以降はミャンマー語やミャンマー料理を紹介するホームページは多数存在するので詳細は各自でお調べ下さい。
海外ではユーロのような例外は存在するが他国の通貨が通用することが多いようです。違法両替商人は利用しないでください。
 料理は国境を超えるのでインドに隣接してるミャンマーのカレーはおいしいそうですがフライドチキンについてはおいしくなかったそうです。
時差があり日本時間の正午はミャンマー時間の午前9時半だそうです。
ストランド・ホテルの宿泊費について調べたら高額でした。
デポジットも想定して下さい。フェリー等も実際に行かないと知る事が難しかったようです。
軍事政権のミャンマーでは早寝早起きでも資本主義社会のタイランドでは夜ふかしのようです。
ドリアン長野が旅行した翌年の平成19年にミャンマー政府がガソリン補助金の引き下げを行うとヤンゴン環状線の利用者は激増したそうです。
日本国内でも私服警官が電車内を警備してることがありヤンゴンも同じようです。
Rの発音がほぼ無い日本ではRの発音が求められる英語の上達は難しいです。
2006年に絵葉書を販売してた小学生の女の子が当時12歳であれば現在は何歳でしょうか? 時間は、誰一人として待たない。
どこの国でもそうですが仕入れた価格に利益率を上乗せして売ることはどこでも同じです。お水ですが海外では衛生面等について警戒して下さい。

万能薬の化粧品「タナカ」|日本生まれの国際NGO AAR Japan [難民を助ける会] https://t.co/0UcFUmEtEu @aarjapanさんから
— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年2月17日 ">
化粧品のタナカはミャンマーでは有名らしいです。

二ドル(1USドルが約¥110として¥220)と五千チャット(1ミャンマーチャットが約¥0.076として¥380)であればどっちが安いでしょうか?ドリアン長野は損をしたからビルマの困ってる子供達を助けたようです。

為替相場は令和二年二月18日です。平成十年代と違って円高になったようです。

ドリアン長野にとって独身時代を過ごしてた平成18年迄と結婚した平成19年以降は大違いです。アジアの貧困について作成された詩のようでいて最後に笑わすことを発表してるのがドリアン長野らしいか?日本円から外貨への交換等は自己責任で行うようにして下さい。こちらは責任は取れません。海外で日本円から外貨への両替をするよりも日本国内で行う方が良いかもしれませんがそれが行える外貨なのかどうかも問われます。
私がカナダに行った時は良き在外邦人に出会えた機会が多かったから道に困ってる時に道案内をしてもらって助けてもらいました。過労と時差ボケの影響もあってホテルの自室に戻って熟睡しました。海外旅行案内書は人気があります。不明瞭な人物との会話をする機会を減らせるのは利点です。但し、屋外で保有してると海外の犯罪者に注目されやすいらしいから警戒してください。可能であればホテルの中だけで読まれても悪く無いです。タクシーで片道5時間の旅行というものは余程でないと耐えられないと私は思います。予習してからでないと海外旅行には行かない方が良いです。この海外旅行記を参考にするのは避けておいた方が無難だと思います。どっちかというと情けないお話が多いのがその理由です。(笑)
「往復のタクシー。」の部分を読んで連想したのは空港からホテルの送迎バス。長所と短所がございます。長所は安全運転での送迎と貨物の運搬、車内での肯定的な発言や街についての説明、ホテルの受付での連絡やパスポートの確認。短所ですが、他の旅行者達の待機と(業者によっては)高価格、無意味な提案(観光案内)や車内での否定的に感じる発言内容、偽物が出現する恐れがある点。明確化しておきますが、真面目に送迎バスの仕事をされてる人には問題は無いが、偽物に問題があるんです。偽物が出現する恐れはあるので警戒は必要です。送迎の人に過去に一度でも会ったことがあるならともかくだが会ったことが無い人の場合は警戒するのはやむをえません。空港連絡鉄道が利用出来るならばそれを推奨します。
ミャンマー人にとっても険しい山道は辛い旅のようです。ミャンマーに行った外国人にはそれに時差ボケも実質的に加算されます。ドリアン長野は空手家で体力がある人物ですが、それでも困る山道だったようです。皆様が有料の担ぎ屋さんを利用するか否かは各自で熟慮の上でご決断下さい。
海外旅行では登山靴を履かれる事を推奨します。無論、業務上の事務所や極寒地や(標高が低い)赤道直下の町に訪問されるなら話は変わってきますが大半の場合においては登山靴で成果が得られます。
世界的に有名なマウナ・ケア山は例外か?
普段であれば自転車で移動していても歩くことになる事が多いのが海外旅行の特徴だと思うので良い靴を選ぶことを提案します。
海外旅行の場合は過密な予定で半強制的に何等かの提案や企画に参加するよりも自発的に決めた緩い予定を楽しむ方が良いとは思いますが最低でもホテルの予約はしておきましょう。
皆様も思い出に残るドライブというものがあったと考えられます。日本とミャンマーの街灯のルーメン数を比較したら雲泥の差でしょう。皆様も暗い夜道のドライブを霊的に過ごされたことがございますか?
平成18年に発表されてから十年以上経過してますが、今でもミャンマ-旅行についてドリアン長野が連想してるかどうかは不明です。
現地の言葉が話せると旅行の楽しみは倍増しますね。何等かの予定が行えなくなった時を考えて別の予定を用意しておくのは重要かもしれません。多くの海外旅行記がそうですがただの浪費であったかも?
ゲストハウスを兼ねた農場というものがミャンマーに存在するそうです。外国語と言っても英語だけに非ず。ドリアン長野にとっては第三世界を旅行してきた人の思い出話で盛り上がってたようです。私にしたら他人の艱難辛苦を嘲笑するのは良くないと考えます。疲れてる時にホテルの部屋に入って寝ることが行えるのは幸せです。
移動については事前に調べておくのが最善で現地で調べるのは次善の策です。ドリアン長野は運よく外国人向けのホテルに案内されたと考えて下さい。普通はあり得ません。予約は必須です。
恐らくチョウチョウさんは平成30年以降は60歳以上で昭和の時代に来日してから1995年頃迄働いて得たお金でミャンマーで1996年に宿を開業したのでしょう。ドリアン長野の海外旅行記は大雑把なのであまり真剣には受け止めないで下さい。日本では$15で宿泊が行える高級ホテルはありません。ミャンマーの場合は法規制が厳しいようでミャンマー人以外の宿泊が行えないホテルも存在してるようです。
彼等にとってもゴールデンロックの登山は困難であったと考えられます。人間、得手不得手がありますが教育で道徳を学ぶと良いと思います。
カレン族については、日本人傭兵が独立運動に関わってたのは有名です。

https://twitter.com/takabemasaki

今回の海外旅行記で最も強調したいのは、信仰の自由を重要視する事です。合法的な宗教団体である限りは守られるべきです。世の中には宗教戦争が存在してる点は理解しておくべきです。
予定と提案は別物です。海外旅行の時には予定を立てる人もいるとは思いますが予想を超える提案があって賛同するかしないかも旅の分水嶺です。
世界を見渡すと民主主義国家だけでなく自由が制限されてる国や地域があって困ってる人もいます。
日本国内において深夜に運行してる長距離バスよりミャンマーのオンボロバスの方がドリアン長野にとっては快適であったようです。

海外旅行とバス 平成30年3月
皆様が海外でバスに乗るならば前もって調べてから乗車して下さい。日本よりバスに乗って目的地に到着するのは難しいと思って対応されることを提案します。但し、ミャンマーは別かもしれない。普通はバイクで外国人向けのホテル迄送ってくれませんからね。ゴールデンロックへの訪問は重労働だったようで誰一人として安易に赴けるとは考えないようです。
海外旅行に行くと会話が必要になってきます。それが日本語である確率は低いが過去において日本で労働されてた外国人が母国に帰国後、日本語を流暢に喋れる人がおられる例外もございます。ホテルの従業員さんが日本語話者ですと安心感が違ってきます。この海外旅行記は平成十年代の旅行記ですのでMDは一般的でした。長かったビルマの休日も今回で最終回です。ドリアン長野にとって独身時代最後の海外旅行記でもあります。
ミャンマーに滞在した最後の日が英国から独立した記念日だったようです。始りが終わりで終わりが始りか?
ドリアン長野は平成18年こと2006年にミャンマー旅行記をビルマの休日として発表しました。その翌年の2007年(平成19年)にミャンマー反政府デモが発生し長井健司さんがミャンマーで殺害されました。
周知されてますが、平成29年(2017年)になってミャンマー国内で特定の民族に対する迫害行為が行われ混乱が発生しました。
これらの前例から私は皆様にミャンマー旅行を推奨することは不可能です。

紹介した4種類の動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
ジャーナリストの長井健司さん射殺から10年 ミャンマー


【ミャンマー】チャイティーヨーに行く 籠に乗ってゴールデンロックへ


ゴールデンロック (ミャンマー)


ヤンゴンで日本円で両替が出来る両替店を発見!


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#88

2024-04-26 | 日記
ドリアン長野のカンボジア旅行記
2018-03-12 | Weblog

カンボジア再びその1   カンボジア再びその3   カンボジア再びその5


ドリアン長野のカンボジア旅行記 
カンボジア~ その1

「い、いっでぇ~っ!」 
腹痛で目が覚めた。時計を見ると、まだ朝の5時前だ。シェムリアップのホテルでついに下痢に襲われてしまった。原因は分かっている。昨日、アンコール・トムを見物したあと、ホテル近くの屋台に夕飯を食べに行った。そこは広場に立ち並ぶ屋台のうちの一つで、母と娘が切り盛りしていた。昼に食事した時、彼女たちが親切にしてくれたのだ。広場にはゴミ捨て場もあって、ハエを追っ払いながらメシを食うのも難儀だったがな。行ってみると、昼間は汚れた顔をしていた娘が化粧して着飾っている。夜は営業用の顔か? ともかく、フルーツを何種類かミキサーに入れてジュースにしてくれたので、飲んだ。それがいかんかったようだ。しかし、その時点では大したことがなかったので、早朝にホテルをチェックアウトした。「フリーダム」という名のそのホテルはホテルといっても、ゲストハウスに毛が生えた程度だ。モーニング・コールを頼んだはいいが、部屋に入ってみると電話がない。はて、どうすんだ?と思っていたら、翌朝、フロントの人がその時刻に部屋のドアを叩きに来たのであった。このホテルはプノンペンの空港で客引きのにいちゃんに勧められた。バイクの送迎付きで一泊15ドルのはずなのに、二泊で40ドルだとぬかしやがった。(もちろん30ドルにさせたけど)行きは飛行機だったが、帰りの便が満席だったので、スピード・ボート(という名の渡し船)にした。
 ボートは強盗に襲われるので危険なのだそうだが、地元の人や観光客が大勢乗っていてのんびりしたものだ。5時間かけて、プノンペンに着く。ううっ、いかん、小腸及び肛門周辺に緊急事態発令~っ。船着き場からダッシュでホテルにチェックインして、トイレに駆け込む。軟便というよりは水である。ああっ、フラフラする。3時間ほど横になったが、眠れない。今日はゆっくり静養しようと思ったが、せっかくカンボジアまで来て無為に過ごすのはもったいない。なんとか病身を起こし、ピーピーのヘロヘロ状態でホテルを出て、バイク・タクシーをつかまえた。郵便局に行ってハガキを出してから、情報省に行く。ここでパスポートと写真を提出し、書類に必要事項を記入すれば、ジャーナリスト・カードを5ドルで発行してくれるのだ。その間、わずか10分。カオサンあたりで売っているぱっちもん(ニセモンのことです)とはわけが違う。何に使うのかというと、これが大いに役に立つ。日本に帰国する際、税関職員の目につくようにパスポートにはさんでおくのだ。職員がパスポートをめくりながら言う。 「これは何ですか?」 「ジャーナリスト・カードです」 「すると、今回はお仕事で?」 「ええ、まあ、取材でね」 とかなんとか言って楽しむわけだ、これが。(うっ、書いてて涙が.....)ともかくだなっ、それだけをやり終えるとシアヌーク通りにあるコンビニ、「Tokyo store」でパンとジュースとミネラルウオーターを買い、ホテルに戻った。まだ6時前だが、今日の行動は全て終了! ベッドに倒れ込む。
 それから翌朝までベッドとトイレを20往復はした。食欲はないが、脱水症状になるのでこまめに水分を補給する。買っておいたパンにはとうとう手をつけなかった。下痢と寝不足でヨタヨタと空港までたどり着き、なんとかバンコク行きの便に乗ることができた。その日はカオサンのホテルに泊まり、次の日にマニラ経由でやっと帰国した。その間、ず~っとお尻はピーピーさ。その3日後、仕事から帰ると保健所から留守電が入っていた。
 「あなたの乗っていた帰国便の乗客の中からコレラ患者が出ました。追跡調査をしたいので連絡して下さい」ってな!
 げげ~っ! あわてて夕刊を読むと、インド帰りの男性がコレラを発病。インドで食べた乳製品が原因らしい。今年始めてのコレラ患者。という記事が載っていた。その男はラッシーを飲んで感染したに違いない。そういえば、飛行機の中で私の隣に座った男は青い顔をして機内食も食べずに(私も無理して食べたが、残してしまった。機内食を残したのはそれが始めてだ)、頻繁にトイレに行ってたぞ。うぬぬ、まさか、そやつが.......。
 あくる日、保健所に電話して、体にはなにも異常なし、と答えておいた。「お尻がピーピーですう~」などと正直に申告するといろいろと面倒だ。昔、インドから帰った時に懲りてるからな。 
ドリアン長野のインド旅行記

その日に病院に行って、薬をもらってきた。医者からは「3日以上、下痢が続いたら危険ですよ」とあきれられたけど。薬を飲んだら、お尻は沈静化した。それだけで済んだのならよかったが、私は当時、夜間大学に通っていたのだ。何日間かは薬を飲んでいたのだが、ある日、下痢が再発し講議を休んだ。しかし、その日は期末試験が行なわれていたのだったぁ~っ。知らなかったんだよぉ~。大事な必修科目を落とした私は結局、大学を中退することになってしまったのだ。ううっ、カンボジア~。  オマケ

カンボジア~その2

アンコール・ワットやアンコール・トムにはカメラのフィルムや絵葉書や笛や扇子を売りつける少女がごまんといる。観光客を見つけると、「お兄さん、お兄さん」と雲霞の如く寄ってくるのだ。彼女たちをかきわけ、かきわけ遺跡を見ているうちに、ふと思った。プノンペン市内ではほとんどお金を使うことはなかったが、遺跡を見るためにシェムリアップに来てからは予想外に散財した。まず、プノンペンからシェムリアップ間の航空券が55ドルに、帰りのスピード・ボート代が25ドル。アンコール・ワットに一回入場するたびに20ドル必要だ。あと、バイクタクシーやホテル代も結構使ったし、出国税もいるから、その分だけ所持金から引いてみるとだな........。があ~ん! 今日のホテル代を払ったらすかんぴんやあ~っ! 困ったあ~、どうすんねん、と遺跡の中で一人、頭を抱える私であった。
 ともかくホテルに戻り、リュックをかき回してみると、ベトナム紙幣が5万ドンほど見つかった。すぐに中国人経営の両替商で両替してもらうと、9ドルになった。う~、ありがたや、これでご飯が食べられる。あとは日本円の硬貨をかき集めると2000円ほどになったが、硬貨は両替できない。日本人のツアー客をアンコール・ワットの前で待ち構えて、紙幣に両替してもらおうか等と思案しながらもう一度ホテルに戻ると、フロントで日本人らしき男が二人、話をしている。そう思うやいなや私は一目散に駆け寄り、彼らに話しかけていた。
 「すいません、日本のかたですか?」 「そうですよ」
 事情を話すと、心良く両替してくれた。のみならず、ホテル内にある中華レストランでご飯をおごってくれ、1万円も貸してくれた。いい人やあ~。聞くと、これからバンコクからネパールへ行き、帰国するのは二か月後だそうだ。あとから考えると、二か月もの間、2000円も使えない硬貨を持ち歩くのはさぞかし邪魔だったであろう。川原様、ありがとうございました。おかげで私は生きて日本に帰ることができました。
 さっそく、二日間世話になったバイクタクシーのソーウオッポにガイド料を払う。大金が入って気が大きくなっていたので奮発して20ドル渡した。とたんに彼の顔がだらしなくデヘヘ~となったので、しまった、払い過ぎたなと思った。初日にガイド料を聞いたら、「It depends on you 」(お任せします) と言われていたので少なかったら悪いと思っちゃうんだよな。敵も人の心理をよく心得てるよ。いかん、いかん。せっかくのお金を大事に使わんとな。それからは出費をできる限り押さえた。ずっと頭を洗ってなかったのでシャンプーを買いにコンビニに行った時も、5ドル(!)もしたので30分迷って結局、買うのをやめたくらいだ。(頭がかゆい)
 だけどプノンペン・ポチェントン空港の出国税が20ドルだったのは痛かったぞ。その日はバンコクで一泊し、翌朝ホテルの前でタクシーを拾う。空港まで 350バーツだというので「バーツの持ち合わせがない」と財布の中身を見せた。運ちゃんはその中にあったドル紙幣を目ざとく見つけ、空港で5ドルを両替すればいいと提案し、運賃も300バーツに負けてくれた。空港の銀行で5ドル出すと、両替は最低10ドルからだと言う。仕方なくボロボロの5ドル札をもう一枚差し出すと、古いお札は受け取れん、とぬかす。きしょーめ、ビンボー人だと思ってなめんなよ。今度は1ドル札を5枚取り出すと、それも駄目だと拒絶! ふぎーっ! どないせいっちゅうねんっ!! 結局、最初の5ドルだけ両替してもらった。(なら、最初からそうしろよな)
 ドンムアン空港の出国税は250バーツ(現在は500)。出国審査を終えるともう外国の通貨は必要ない。手持ちのお金を日本円に換金し、この時点で所持金が1000円と9ドルと5・5バーツ。  
 なんとか帰国して自宅にたどり着いた時の所持金は1133円だった。昔、「がっちり買いまショー」というテレビ番組があったが(知ってるか?)、その海外版があったとしたらわしの優勝やあ~っ! _

管理人マーキュリーマークからの伝言
現在はドリアン長野が執筆した平成十年代と違い増税されたことから実質的に出国税の値上げはあり得るので詳細は各自で調べて下さい。

カンボジア再び その1

at 2005 10/21 00:09 編集

Conquer your passion and you conquer the whole world.
己の欲望を征服できれば全世界を征服できる。(ヒンドゥーの諺)
暑さで眼が覚めた。天井の扇風機が視界に入る。ここはどこだ? と覚醒していない頭で一瞬、考える。少しづつ脳が現実を把握し始める。シアヌーク通りはプノンペン市内でも最先端の通りだ。独立記念塔を中心に伸びるこの通りにはカフェ・バー、ハンバーガーショップ、ディスコ、日本料理店、スーパーマーケット、ベトナム航空の事務所等が点在する。二日前に国内線でシェムリアップまで飛び、アンコールワットやアンコールトムを見てまわった。そんなに散財したつもりはなかったのに、所持金がほとんどないことに遺跡の中で気がついた。
財布には日本の硬貨が二、三千円あったが、紙幣でないとリエルに両替もできない。僕は一日や二日なら飲まず食わずに野宿なら辛抱できるのだが、昨夜のホテル代や現地で雇ったバイクタクシーのソーウォッポに払うガイド料もない。ツアーで来ている日本人観光客に両替を頼もうかと思ったが、それもためらわれた。バックパッカーは堅気のツーリストを恃んではいけないという矜持みたいなものがあった。と言えば聞こえはいいが、要するに観光客の立場に自身を置き換えてみれば、人品卑しきバックパッカーが近寄ってくれば、これはと身構えるのが当然だろう。結局、同じゲストハウスに投宿していた二人組の日本人旅行者を見かけ、地獄に仏とばかりに両替を持ちかけた。武士は相身互いですからと快く両替してもらったばかりでなく、夕食までご馳走になってしまった。四十代と思しき二人組の年長の人は 「私もバングラデシュでお金がなくなったことがありましてね。気持ちはよくわかりますよ」と言われた時には、自分だったら見ず知らずの他人にこんなにもできるのだろうかと反省しきりであった。(続く)

カンボジア再び その2

at 2005 10/24 23:05 編集

彼らに礼を言って別れたあと、近くの広場に蝟集している屋台へ出かけた。昼間その屋台の一つで食事をした。母娘でやっているらしい。清潔とはいい難いが、ハエを追い払いながら食べたその小松菜と豚肉の炒め物に大根のスープはしみじみとうまかった。
「チュガン」(おいしい)と言うと、母親がにこっと笑う。外国人は珍しいのだろう、しきりに水を持ってきてくれたり、懸命にハエをうちわで追ってくれたり、おかわりはいらないかと何度も訊いてきた。その屋台に行ってみると、その時の娘が昼間とは見間違うほど化粧をし、着飾っている。勧められるままにフルーツと生ジュースを飲み、片言のクメール語で話した。近くの屋台からも人が集まってきて話がはずんだ。が、それがいけなかった。話題も尽きてしまったので、切りのいい時間に腰を上げる。何十メートルか歩くと、もう辺りは漆黒の闇だ。光の無い闇がこんなにも恐ろしいものだとは久しく思ってもみなかった。後ろを振り返ると屋台の一角が亡霊のように闇の中に浮かび上がっていた。僕は逃げるようにゲストハウスに帰った。
未明に腹痛が来た。痛みは間欠的に激しさを増してくる。そのまま、まんじりともしないで耐え、夜が明けるのを待ってゲストハウスを引き払う。地元民と白人バックパッカーでひしめくスピード・ボートに乗り込み、五時間半かけてプノンペンに戻った。船着き場からバイクタクシーでこのシアヌーク通りにある「レックス・イン」にチェックインした。部屋に入るとベッドに倒れ込む。こんなひどい下痢はインド以来だ。
「なんでこんな国に来てしまったんだろう」
天井を見つめながら自問してみる。すると突然、記憶の彼方に押しやっていたジョン・ダンの詩が天啓のように脳裏をかすめ、それは次第に実体となって現われた。
「奇なる眼を持ち生まれしならば
視えざる物も見にいくべし
一万の昼と夜を越え
時が君を白髪に変えるまで」
ベッドの上で苦笑する。僕は視えざる物を見ることを欲して、こうしてここまでやって来たのではなかったのか。体は重い。食欲は無い。近くにあるスーパー、「TOKYO INTERNATIONAL」でパンとジュースとミネラルウォーターを買ってはいたが、固形物はのどを通らない。それでも気力を振り絞り、ベッドから起き上がった。限られたわずかな滞在時間である。カンボジアまで来て一日中寝ているわけにはいかない。ふらつく足でホテルを出ると、通りは血液が沸騰しそうなほど暑かった。独立記念塔からノロドム通りを三キロほど北上するとワット・プノンという寺に突き当たる。この寺は十四世紀末にペン夫人が建立し、それがプノンペンという名前の由来となった。手前の道を右折すると、トレンサップ川沿いに中央郵便局がある。ここで日本の友人に手紙を出すために切手を買う。隣の窓口では葉書の束を持った中年の日本人女性が、まさに必死という感じのクメール語で職員としきりに何かを交渉している。ちらっと盗み見ると、日本語で書かれた年賀状だった。声を掛けようと思ったが、言葉を飲み込んだ。彼女がどのくらいの年月をプノンペンで過ごしているかはもちろん知らないが、僕には彼女が何かと闘っているように思えたからだ。僕がいくら何かを見ようと血眼になっていたとしても、物見遊山の旅行者に過ぎない。僕はただ通り過ぎて行くだけなのだ。(続く)
「OASIS」の「ROLL IT OVER」を聴きながら

Roll It Over https://t.co/hJW13ImjVj @YouTubeより

— ドリアン長野(紹介用) (@duriannagano) December 19, 2020

 _

カンボジア再び その3

at 2005 11/02 23:09 編集

プノンペン滞在の最後の日。午後にはバンコク行きの便に乗らなければならない。もうこの国には再び来ることはないかもしれない。そう思った僕はこの街に最後の別れをしようと、「キャピトルゲストハウス」へと足を向けた。市内を南北に貫くメインストリート、モニボン通りは多くのホテル、旅行会社、レストラン等が立ち並び、ひっきりなしに流れる車とバイクの喧噪にあふれている。文化芸術省を右手に見て左折すると、バックパッカー御用達の「キャピトル」がある。シャワーとトイレ共同で三ドルで泊まることができる。一階には吹き抜けの食堂があり、日本人や欧米人旅行者のたまり場となっている。
「ハロー、キリングフィールドに行ってみないか。往復五ドルでどうだ?」
バイクタクシーのにいちゃんが声をかけてくる。
「友人を待ってるんだ」
うっとうしくなった僕はそう言って彼を追い払い、外のテーブル席に腰をおろした。この周辺は日没になると強盗が多発し、治安が悪い。それにもかかわらず、ここには様々な人間が集まってくる。旅の情報を求め、たむろする者。それを目当てに客引きをするバイクタクシー。アジアを放浪したあげく、「キャピトル」の狭く汚い独房のような一室でずるずると何か月も沈没する者もいた。そういった連中は一様に目つきが悪かった。社会に適応できず、日本を飛び出しアジア的寛容さに安住し、各地を放浪する。旅が五、六年と続くと(実際には十年以上旅を続けている者もいる)、それはもはや旅とは言えなくなる。非日常が日常となり、感覚が麻痺し、ついには摩滅してしまう。そうなれば日本に帰ろうと思っても帰れなくなる。いや、帰りたいといった気持ちさえ起こらなくなるといった方が正しい。別に帰らなくても本人の意志であれば他人が口を挟むことではないし、それはそれで僕なんかは尊敬の念さえ起きるのだが、この「キャピトル」にたむるする連中は重い沈殿物の如く怠惰で人生の貴重な時間を無為に食いつぶしているように思えた。(続く)

カンボジア再び その4

at 2005 11/11 23:21 編集

頭上に大きな盆をのせ、そこにピーナッツの袋を山ほど置いた物売りの少女が入ってきた。テーブルの間をまわりながら声をかけてゆく。一人の白人が立ち上がって1ドルを少女に渡した。少女はピーナッツの袋を渡そうとするが、彼は「いいよ、そのお金は取っておきなさい」と言うように頭を振る。僕は通りをぼんやりと眺める。バイク、屋台、物売り、往来で遊ぶ子供たち、賭けトランプに興じる男たち、それを店の前に出した椅子に座って日がな一日、眺めている老人。こんな光景はアジアのどの街でも見た。カルカッタでもホーチミンでもバンコクでも上海でも。喧噪と倦怠。無気力と熱気。全く暑い。インドネシアの強烈な陽と熱風を受けて座っていると、アジアの大地に溶けていくような、怠惰な世界に埋もれていくような、そんな自虐的な感覚に引きずり込まれるような昼下がりの。リヤカーを引く人夫。午睡する褐色の肌。暑い。行き来する褐色のカンボジア。渦巻き、交差する人、人、人。眼を閉じると旅の断片的な思い出が浮かんでは消える。
たとえば、プノンペン市内は街灯が極端に少ないので、午後六時にもなるとバイクや車のオレンジ色のテールランプが通りに浮かび上がる。それは息を飲むような幻想的な美しさであり、僕は黄昏が闇に変わってしまうまで飽かず眺めていた。
たとえば、半日、市内の観光案内をしてくれたバイクタクシーのダリー。イスラム教徒の彼はラマダーン中だった。年に一度、一か月のラマダーン期間は日の出から日没まで飲食はおろか、唾を飲み込むことも禁じられている。ダリーは日中の暑さの中でひっきりなしに唾を吐きながら市内を案内してくれた。二人で小高い丘にあるワットプノンに登り、そこから市内を一望した。ダリーは言う。
「UNTAC(カンボジア暫定統治機構)ができた頃はすごかった。アメリカからヨーロッパからアジアからいろいろな人間がやって来た。通りはそういう人たちでいっぱいだったよ」。僕は国内外の政治的な思惑に翻弄されたこの国の悲劇を思いつつ、通りをあふれる彼らの姿が目に見えるようだった。(続く) _

カンボジア再び その5

at 2006 01/07 01:21 編集

たとえば、プサートゥールトンポン。通称「ロシアンマーケット」と呼ばれるこの骨董市場。一歩足を踏み入れると陽の射さない暗い市場に所狭しと骨董品の店が並ぶ。中は入り組んでいて迷路のようだ。大半は偽物なのだが、無数の金銀製品、民芸品、陶磁器等が無言の案内人のように招き入れる。奥へ進んで行くほど外世界の喧噪は消え、どこをどう歩いているのかも分からなくなる。店先にいる老婆たち。何百年も前からそこに居るかのように泰然と僕を見据える。僕は人が営み、延々と続く生活に想いを馳せ、慄然となる。
たとえば、アンコールトムで遭った子供たち。少年は勝手にガイドを始め、少女はフィルムやガイドブックを売りつけようとする。どこの遺跡に行っても子供たちは狙撃兵のように次から次へと姿を現わす。十二、三歳くらいの少年がとても流暢な英語で説明を始めた。プノンペンは英語熱が盛んで英語塾が乱立しているのだが、それにしても彼の語学力は驚異的だ。生きるために、家族に食べさせるために必死で学んだのだろう。ガイド料として二ドルを渡すと、「ありがとう」と受け取り、消えるようにどこかへ行ってしまった。
そして元高校の校舎を転用したトゥールスレン博物館。かつてポルポト政権下に約二万人が収容され、生還できたのはわずかに六人だけだという。反革命分子と見なされた人々は家族とともに捕われ拷問を加えられた後、処刑されていった。文革と同様、多くは罪なき人たちであり、子供や老人、女性も数多く含まれていた。ポルポトの残虐行為を伝える博物館として一般公開されている。独房にはマットのないベッドが置かれ、タイル張りの床には血痕が今でも染みとなって残っている。あとは排泄用の小さな箱があるだけで、犠牲者は手足を鎖で繋がれ殺されていった。別の校舎、C棟の一階と二階には窓のない部屋に煉瓦を無造作に積み上げられて作った一畳ほどの独房がある。水も食事も与えられずに閉じ込められた彼らは何を思い、死んでいったのか。死の恐怖や苦痛とどのように闘ったのか。もし彼らが僕だったら? 彼らはあの時代にカンボジアに生まれ、僕は日本に生まれた。ただそれだけのことだった。僕と女性の係員の他は見学者は誰もいない。あたりは気味が悪いほど静まりかえっている。B棟にはおびただしい数の顔写真が壁一面に貼付けてあった。処刑前に収容者を撮影していたのだ。何のために死にゆく者たちの記録を残していたのかポルポトが死んだ今となっては謎のままだ。どれも恐怖に引きつったという顔ではなく、全てを諦めたような、諦観したような表情だった。
案内の女性は大学生かと思っていたが、高校生だそうだ。
「大学には行くつもりですか」と聞くと、「いいえ」とだけ言って悲しそうに顔を伏せたが、最後に「カンボジアは暗黒の時代を経て、復興に向かって進んでいます。未来は明るいでしょう」と答えてくれた。
大晦日の前日にぶらぶらと歩いていると、学校に突き当たった。校庭には制服を着た何百人という子供たちが集まっている。小学生から高校生まで同じ校舎で授業を受けているらしい。少しすると彼らの下校時間にぶつかった。バイクで帰宅する高校生やシクロに乗って帰る小学生たち。屋台で買い食いする子供たち。その熱気を捉えようと夢中でカメラのシャッターを押した。
「裏(うち)に向かい外に向かって逢著せば便(すなわ)ち殺せ
仏に逢うては仏を殺し
祖に逢うては祖を殺し
羅漢に逢うては羅漢を殺し
父母に逢うては父母を殺し
親眷に逢うては親眷を殺して
始めて解脱を得ん
物と拘(かか)わらず透脱自在なり」
(臨済宗 示衆の章)

皆様への伝達事項
カンボジアで下痢をした後、大学中退に至った旅行記です。
ドリアン長野は平成10年代に半ば勢いだけで非常に乱雑かつ順不同な投稿をしてたので整理整頓は絶対必要でした。そして、過去と違って現在gooブログでは3万文字の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、ドリアン長野は学生でしたが帰国後に体調不良の影響か中退しました。感染源こと病原菌の運び屋はご法度です。病院で予防接種を済ませてから渡航する人はいます。昨今、カンボジア製の商品は市販されてます。現在は過去と違い各種料金(出国税等)の値上げはあり得るので詳細は各自で調べて下さい。旅には時ばかりか金銭の余裕が必要です。帰宅の為の交通費や使う予定の物品等も用意して下さい。特筆すべきは心優しき日本人。一万円を見ず知らずの他人に貸しません。旅に行くのは良いが他人に迷惑をかけないようにしましょう。平成十年代と違い2010年代には写真店は減りました。カンボジアとタイでは国境紛争が発生してます。日本も今後、無秩序にならないような社会を形成する必要がございます。

紹介した二種類の動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

トゥール・スレン博物館 Tuol Sleng 2.MP4


カンボジア、シェムリアップのアンコールワット遺跡群を訪れてみた。 ~Angkor Wat,Cambodia,Siem Reap

_

 オマケ
 以下はgoo簡単ホームページが存在してた時の掲示板の質問とその返答です。

From アハハハハ To durian-nagano@goo at 2003 08/23 18:01 編集 返信

爆笑

けども、病欠の場合には特別に試験を受けさせてくれるのではないのでしょうか? 

To at 2003 08/24 22:52 編集 返信

RE:爆笑

そうですね。でも、その日に試験が行われたことを知ったのは「不可」になった成績表を受け取ったあとでした(ガックシ)。
東南アジア主要空港の空港税を比較 一番高いのはどの空港? https://t.co/hIQ2TKP1Rz

— ドリアン長野(紹介用) (@duriannagano) February 6, 2021
 ~出国税について~
 ドリアン長野の海外旅行記は2010年以前に執筆されたので商品の価格や税金等は昨今の価格とは異なるようです。
本文で紹介されてた海外の出国税は増税されました。もしも、皆様が本当に渡航されるなら各自で前もって価格や税金等は調べて下さい。
 2019年8月29日時点でドンムアン空港の出国税はドンムアン空港(バンコク)空港使用料700バーツ、事前旅客情報システム費35バーツ、国際線利用税15バーツを合算し750バーツだそうです。
 2019年8月29日時点でプノンペン国際空港(旧名 ポチェントン国際空港)の出国税は空港使用料25ドル、民間空港税5ドルだそうです。
日本国内でも出国税は徴収されるようになりました。
2019年1月から導入される「出国税」とは? | スカイスキャナー www.skyscanner.jp/news/departure… posted at 06:51:05
価格改定や増税等の連絡は今回で最後とさせていただきます。 
令和三年二月 追記

ドリアン長野のカンボジア旅行記

ドリアン長野のフィリピン旅行記
2018-03-12 | Weblog

ドリアン長野のフィリピン旅行記

#17 マニラのスラム

夜の9時前にニノイ・アキノ空港に到着。ロビーに出ると熱気、じゃないなこれは、殺気を感じる。なんだか誰かに狙われているような気がして、少しびびる。ホテルを予約して、米軍用のジープを乗り合いバスに改造したジプニーに乗り込んだ。窓から通りを眺めていると、浜 なつ子の「アジア的生活」(講談社文庫)の文章を思い出してきた。
「スラムは特別な地区にあるのではない。メトロ・マニラ(マニラ首都圏)のいたるところにある。例えば、あなたがニノイ・アキノ国際空港を降りてタクシーに乗り、マカティの5ツ星ホテルに泊まり(そこまで気張らなくても安ホテルでも同じなのだが)、日中は車で移動して夜は繁華街で過ごすとなると、「タイやシンガポールほどではないが、フィリピンもずいぶんと経済発展しているんだなあ」と思うだろう。ところが、一歩、メインストリートをはずれて体重を右足でも左足でもいいから、どっちかに傾けて薄暗い路地を折れてみるがいい。
 そこには、ああっ、と驚く光景が広がっている。」 
 
 とそれから浜氏はスラムの様子を描写し、
「しかし、わたしにとってスラムは混沌という名の・楽園″であり、生命力溢れる根元的な場所である。
  (略) ある意味で、最も俗なるところが聖に通じ、最も醜いものが清らかなものに近く、最も単純なものが真実に迫るという逆説を痛感できる、哲学的な場所でもある。」
 
 と続けている。私はこの文章を読むたびに、うひゃひゃと体が弾むような感覚になるのだ。私はスラムが大好きだ。電車に乗っていて、線路沿いにあるスラムを見つけると途中の駅で降りてしまうくらいだ。そんなに好きなら一生スラムに住みついたらどうだ、と言われると困るけどな。
 マニラには観光名所らしき場所はあまりないが、私にはどうしても見ておきたい所があった。東南アジア最大のスラムといわれるスモーキー・マウンテンだ。夢の島のようなゴミの集積所にバラックを建て、人が住み始めた。ゴミが自然醗酵し、煙がたなびいているのでスモーキー・マウンテンと呼ばれるようになった。スモーキー・マウンテンのあるトンド地区には無用な立ち入りは絶対に厳禁、とガイドブックには書いてある。それでもどお~しても行ってみたい。私は覚悟を決めた。海外旅行保険に加入してないのが残念だ。アバト・サントス駅でタクシーを止め、ドライバーに聞いてみる。 「あんたは悪人か、それとも善人か?」 (マニラのタクシー・ドライバーはボる奴が多いからな) 「なぜ、そんなことを聞く? もちろん俺はグッドマンだ」 交渉して、スモーキー・マウンテンをぐるっとひと回り、300ペソで行ってくれることになった。ドライバーのソシモは気のいい人で、運転中もずっとしゃべりっぱなしだ。 「人生で大切なのはお金よりも友だち、神様、家族だと俺は思うね」 「香港に研修で行ったことがあるよ。外国に行ったのはそれっきりだ」 「トンドなんかになぜ行きたいんだ? あんた、ジャーナリストか? トンドで警官がナイフで刺されたことがあるし、タクシーだって石を投げつけられたこともあるんだぜ」等と話を聞いているうちに、車はいつしか迷路のような細い路地に入り込んだ。一見してスラムと知れる、その住民たちが車を取り囲むようにしてじろじろとこちらをねめるように歩いている。ソシモの言葉を思い出して、こちらとしては気が気ではない。やがてマニラ湾沿いの道路に出た。う~ん、と思わず私は目を見張った。なにしろトタン屋根とありあわせの木造で建てられたバラックが何キロにも渡って延々と続いているのだ。それは今まで訪れたアジアのどの国でも見たことがなかった、圧倒的な光景だった。電気は引いているが、水道はないとソシモは言う。
 スモーキー・マウンテンには以前、人が住んでいたが現在は政府によって強制撤去させられて家はない。気が遠くなるほどの広大なただのゴミの山だ。少し行くと、今にも崩れ落ちそうな五階建てくらいのアパートが密集していたので、その前の広場に車を止めてもらう。広場にいる大勢の大人たちや子供たちが何事かとこちらを注視してきた。
 ソシモに「外に出ても大丈夫か?」と聞く。 「ああ、大丈夫だ」 「ここで待っていてくれ」 あたりを窺うようにしてゆっくりと車から出て、一番近くにあったアパートの階段をのぼる。そこで私は自分の目を疑ったね。各部屋のドアはなぜか全てなくて、中がまる見え。室内には所狭しと何人もの人間が住んでいるのだが、住んでいるのは人間だけではなかった。猫や犬に数羽の鶏までもが同居しているのだ。一軒家ならともかく、アパートの一室で人が家畜と暮らしている光景は異様だ。それは、まるで家畜小屋に住人が住まわさせてもらってますって感じなのだ。もしかして、あれはペットなのか? いや、そうではあるまい。スラムの住人にそんな余裕があるはずがない。現金収入を得るため、もしくは自給自足の食料として飼って、いや、同居しているのだろう。上の階まで行きたかったが、住人の眼光が鋭くなり危険を感じたので車まで戻る。
 「一緒にアパートの上まで行ってくれないか?」とソシモに頼むと、「駄目だ。危険だよ」と言う。あとから考えてみると、危険なのは我々だけでなく、もし車を残しておけばその車だってどうなっていたか分からない。仕方なくトンドを離れ、リーサル公園で降ろしてもらった。歩いて駅まで行こうとしたら、一人のフィリピーノに時間を聞かれた。そのままついてきて、歩きながら自己紹介を始めた。年は29歳。父は日本人、母はフィリピン人。何年か前に離婚し、父は香港にいるが母は行方不明。彼には子供が二人いて、ミルクを欲しがっていると何度も言う。ふ~ん、なるほどね。案の定、「セブン・イレブン」で粉ミルクの缶を二つ買わされた。自分のためにお金をくれ、というのならともかく、小さな子供がおなかを空かしているという言葉に断ることができなかった。願わくはだな、あとでその粉ミルクを換金して、お人好しの日本人はちょろいもんだと舌を出さんように願っているぞ。
 その男は粉ミルクを受け取り、ホテルの所在地を尋ねるとお礼のつもりなのか「案内するよ」と歩き出した。おい、ちょっと待ってくれい。わしはLRT(高架鉄道)に乗って帰るからいいんだ。と言ってもそいつは先頭に立ってどんどん歩いて行く。待てっちゅうねん、お願いだ~、頼むから待ってくれ~。ここからホテルのあるエドゥーサ駅まで6キロはあるぞ。 「心配しなくても大丈夫だよ」 いや、だからそういう問題じゃなくてえ。男は黙々と歩く。薄暗い夜道をひたすら歩く。月がきれいだった。一時間歩いてホテルに着く。えっ、本当に着いたのか? 初めは着いたのが信じられんほどだった。リキというその男は妻子のためにお金が欲しいと言う。 「いくら欲しいんだ?」 「200ペソ」 ありがとう、リキ。案内してくれてよっ!私は彼に50ペソ渡した。リキは少し不服そうだが礼を言って帰っていった。また一時間かけて。
 それから私はホテルでイタリア料理を食べた。500ペソほどだった。近くにカジノがあるというので行ってみたが、カラーのないシャツを着用している人は入場できません、と断られた。帰り道でぼろぼろの服を着た6歳くらいの女の子が右手を突き出してきた。小銭を1ペソしか持ってなかったのでそれを渡すと、女の子は無言で首を振った。でも、どうすることもできんのでそのまま帰った。私は人権主義者じゃないけど、つくづく人間は不平等だとその夜は思った。

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皆様への伝達事項
フィリピン旅行記と言ってもセブとマニラは同じ位の人気があるようですがマニラ旅行記です。
ドリアン長野は平成10年代に半ば勢いだけで非常に乱雑かつ順不同な投稿をしてたので整理整頓は絶対必要でした。そして、過去と違って現在gooブログでは3万文字の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、ドリアン長野は冷やかしが好きなのでしょうか?今回の旅行記は相手の気持ちが読めないから仕事が出来ない労働者や小銭が欲しい女の子が紹介されてました。スモーキーマウンテンは実質的に移転しパヤタス・ダンプサイトことスモーキーバレーとして存在してるそうです。詳しくは各自でお調べ下さい。時間を尋ねるのを踏み台にして金を要求するのは悪質な詐欺師です。強要とはした方ではなくされた方が判断するものです。
2010年以降は減ったようですが日本でも署名の後に寄付金を求めた人はいました。他にも日本国内でもロクな説明も無しに生活費を求める日本人がいたので拒否しました。強要や搾取はされたくないです。
私は海外旅行保険に加入してからカナダのブリティッシュコロンビア州に旅行に行きましたので、皆様にも海外旅行保険の加入を推奨します。
すでに理解されてるとは思いますがフィリピン旅行記といってもセブ旅行記ではなくマニラ旅行記です。

アジア的生活 honto.jp/netstore/pd-bo… posted at 23:09:22


紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

ニノイ・アキノ国際空港
Ninoy Aquino International Airport NAIA ナイア terminal3

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ドリアン長野の台湾旅行記
2018-03-12 | Weblog

ドリアン長野の台湾旅行記
シャオエン 
1997年5月、日本の首相官邸に当たる総統府の前を歩いていた。日曜日の昼下がり、空は透き通るような快晴だった。赤レンガの荘重な建物の前には警察官と憲兵(機動隊員)が集まって、何だか物々しい雰囲気だ。
 「ん? 何だ? 何だ?」と足を止めて眺めていると、警察官に職務質問されそうになったのであわてて立ち去る。官庁街であるただっ広い道路の交差点にも市民が集まり始めた。その中にはテレビ局の中継車がスタンバっている。向こうの道路からはデモ隊が何かをシュプレヒコールしながら近づいてきた。一体、何が?  中華人民共和国でも攻めてきたのか?前年には台湾史上初の民間による直接選挙で李登輝が選出された。台湾独立派を恐れる中華人民共和国は大規模の軍事演習を行なったり、台湾海峡にミサイルをぶち込んだりと威嚇を続けていたのだ。
 「何があったんですか?」 近くにいたテレビ局のスタッフらしき人に聞いてみる。
 「テレビ・スターが殺されたんだ」 彼は詳細を説明する英語力がなかったのか、それだけ言うと黙ってしまった。俳優が殺されたぐらいでこんな騒ぎにはならないだろう。警官隊と機動隊が見守る中、デモ隊とそれに呼応した市民が気炎を上げていた。
 その夜は「華西街観光夜市」に行った。長い商店街は地元の人や観光客でごった返し、店の人たち、特に包丁片手にヘビやスッポンの生き血を売るおじさんの口上で賑わっていた。中にはヘビの頭を噛みちぎり、尻尾をくわえて振り回すという猟奇的おじさんもいた。不思議なのは生き血や漢方薬を売る店にはテレビが置いてあって、そのどれもが日本のプロレスを映していたことだ。やっぱり、精力がつくということをプロレスに託して表現したかったんだろうか。しかし、店先に繋がれていたオランウータンはどういうことだ。
 こんなにもヘビ屋やスッポン屋があるのにはわけがある。裏通りに売春街があるからだ。そこに行ってみた。売春宿は外から覗くことができ、ピンクの灯りの下で女性が立っている。その前の道路には怪し気な男たちが列を作って座っていた。
 
 ホテルに戻り、「あっ、そうか、あれは」と気がついた。三週間前に劇画作家の梶原一騎と歌手、女優のパイピンピンの娘が誘拐され、殺害されたのだ。犯人たちはその時点でも逃亡中で、さらに凶悪な事件を繰り返していた。後に5万人もの市民が治安改善のための法律改正や政府官僚の辞任を求めてデモを行ない、内閣は総辞職に追い込まれた。そのデモだったのだ。当時は日本のみならず、世界中にそのニュースが連日のように報道されていた。私はその事件の残虐さを知り、誇張ではなく、犯人たちへの激しい怒りと殺された17歳の少女への思いで胸がつぶされそうになっていた。
 少女の小指を切断し、母親へ送りつけるという行為。食事も与えず五日間に渡って暴行を加え続け、最後には遺体を全裸で排水溝に捨てるという行為。肝臓の五か所が破裂。胸部や腹部等に夥しい量の内出血。死因はロープで首を絞められたための窒息死。
 少女が味わった地獄のような恐怖と苦痛。私には懸命に想像してみることしかできない。そして犯人たちのこと。パイピンピンと犯人たちは経済発展を遂げる以前の貧しい台湾を共に生きた、同世代の人間だった。主犯格三人のうち、二人は警官との銃撃戦中に自殺。あとの一人はなおも逃亡し、南アフリカ大使館武官官邸に立て籠ったが、ついに投降した。パイピンピンはその後、台湾の治安の改善を目指し、ボランティア活動を精力的に行なっている。犯罪のない社会作りを世界にアピールするため、長野オリンピックには聖火リレーに台湾代表として参加した。
 せめて私は自分の命が続く限り、17歳で殺された少女のことを忘れないようにしようと思う。そうすれば彼女は生きる。私たちの記憶の中に彼女は生き続ける。
 
参考文献 「燕よ、空へ」 パイピンピン著 木村光一訳 / ルー出版

燕よ、空へ―慟哭を乗り越えて 白 冰冰 https://t.co/phlNCoT4mt @amazonJPさんから
— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年6月9日 ">

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皆様への伝達事項
重犯罪が無い社会を希望するべきです。
ドリアン長野が1997年(平成9年)五月に体験した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。過去と違って現在gooブログでは3万文字の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。
皆さん、治安の悪化は現在も継続してます。平成9年五月に台湾では17歳の女性が殺された。万人の命は平等で殺人の無い社会作りが必要で政府の対策は重要です。多くの親御さんは苦労して子育てされてる。それを水の泡にするような犯罪者達はどの国であっても否定されます。日本、台湾そして南アフリカ共和国で注目を浴びた事件でした。被害者の母が治安改善運動をしているのは必然です。昨今、悲劇が発生しており個人の力では対応出来ない問題が発生してます。スマホ等でSNSが地球上で円滑に行える影響は大きいです。海外の犯罪組織とつながりがある日本人が海外旅行中の日本人に詰問する可能性もあり得るので対テロ対策の一環からも警戒してください。
紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

台湾旅行 台北 「総統府」

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ドリアン長野のネパール旅行記
2018-03-12 | Weblog

ドリアン長野のネパール旅行記

カラテ イン ネパール編

カトマンズの朝は早い。そして寒い。ここ、バサンタプルの広場でも早朝から何することもなく人々がたむろしている。
オーストラリアから来たという少女が物乞いをする少年に仏心を出し、パンケーキを買ってやった。
それを他のガキどもが見逃すわけはない。「僕にも、僕にも」 と彼女を取り囲む。
困惑顔の彼女はしかし、近くにいた大人がたしなめたおかげで事なきを得た。
ああくわばら、くわばら、桑原和○。それにしても遅い。さっきから誰も来ない。
なぜ私がこんな所で待ちぼうけを食っているかというと、今からさかのぼること昨日のことだ。
タメルで一泊した私はジョッチェンに投宿しようと昼前にここにたどり着いた。
そして広場の入口にある貸し自転車屋の前の絵看板に目が釘付けになってしまったのだ。
こっ、この一見ヘタだがよく見るとやっぱりヘタな絵は極真会館の松井館長ではないかっ。ほれっ、その証拠に極真マークもちゃんと描いてあるぞ。
なにを隠そう、私は極真空手家オタクだ。夢はムエタイ・ボクサーとルンピニー・スタジアムで戦うことだ(嘘ぴょ~ん)。
ちなみに子安慎悟?(あれっ?)のファンだ。ここってもしかしなくてもネパール支部じゃん。これも何かのお導き。天国の大山総裁、
ありがとうございます、押忍っ。カラテ道場を知らないかとそこら辺の人に聞いてまわったが、誰も知らん。
そうしている内に六十歳くらいの油すましみたいなお爺がいつの間にか出て来て、のたもうた。
「道場なら閉鎖して去年ニューヨークに引っ越したよ」
はあ~っ? 何でネパールの道場がニューヨークに引っ越すんじゃい、ワレ。こうなったら戦争じゃけん。止めんでつかあさい、オジキ!  
と今ならつっこむところだが、生憎その時の私は冷静さを失っていたので心底、落胆した。せめて閉鎖した道場でも見たいと所在地を聞くと、
このじっさま知らんとぬかしよる。何でやねん! 筋が通らへんやないけ! ワシは筋の通らんことは嫌いじゃ。タマ取ったりますけん、止めんでつかあさい、
オジキ! と今ならつっこむところだが、私はあせって平常心を失っていた。しばらくすると、じっさまはまわりの人に何ごとかを尋ね、郵便局に行こうと促すのだ。
何でやぁ~~っっ?!
しかし、頼みの綱はこのじっさましかおらん。大人しくついて行くと、うしろからガタイのいい男が追っかけて来た。 
「僕の弟は黒帯で指導員をしてたんだ。僕自身は結婚して忙しくなったので茶帯でやめてしまったけど」

そうか、そうか。君がそうなのか。会いたかったぞ。我々は再会を約束し、そこで別れた。聞きたい話はたくさんあるが、
まずホテルを確保しとかんとな。
ホテルにチェックインする時もなぜかじっさまはついて来て街を案内してくれた(とはいっても広場とショッピング・センターだけだったが)。
バサンタプルに戻り、さきほどの男と話をしていると彼の弟の黒帯空手男(クマルという名前)と奥さんがやって来た。
奥さんは台湾人で、ネパール旅行中にクマルと知り合ったそうだ。二人はこの広場で露店商として土産物を売っているのだ。
私とクマルはカラテについて飽くことなく、何時間も語り合った。奥さんは傍らに座っていて、うんうんと時おり会話に加わる。
そうこうしていると、 じっさまが再び現われて、「あっちで待ってるから」 と言った。このたわけた子泣きじじいめ。わしが何のために世界中で何度も何度も何度も(泣)
騙され続け、何回も何回も何回も(号泣)金をまきあげられたと思うてけつかんねん! てめえの悪だくみなんぞ、こちとらお見通しでい!(もっと早く気いつかんか~い)
無視するとじっさまはいつの間にかいなくなった。あまりクマルの商売の邪魔をしては悪い。 
「またあとでね」 と腰を上げ、近くのガキんちょたちにババぬきを教えて遊んでいたら、今度は見るからに怪しそうな男に肩を叩かれ、ついてこいと声をかけられた。
てめえ、じじいの仲間か、と警戒心を抱きながらもついていった。この男はとてもとても人相が悪い。凶悪といっても過言ではない。
逃げ出したほうがよいのではないだろうかとビビりながらついていくと、五、六人の男女がたむろしている場所へ連れてこられた。なによっ、あんたたち、変なことしたら大声だすわよっ。すると中の一人が言った。 
「私たちはキョクシンカラテのメンバーです。オス!」 
なんだ~、びっくりさせんじゃないわよ~、思わずヒザがかっくんとなっちゃったじゃないの。でも良かったわ、
会えて。みんなに連れられてすぐ近くにある彼らの先生(三段)のアパートまで案内してもらった。
先生は八畳ほどの部屋に妻子と住んでいるのだが、壁という壁の至る所にカラテの賞状が飾られている。何冊もあるアルバムは稽古や試合の写真ばかりだ。
私(ドリアン)は猛烈に感動した! この地でこんなにも極真カラテを愛している男がいたことに!! (梶原一騎調でお読みください)
一週間後に試合があるからビザを四日間延長してカラテを教えてくれと懇願されたが、私は真面目なリーマン・パッカーだ。出勤日から四日間無断欠勤したら即刻、馘首じゃないか。
家賃はどうやって払うんだ。残念ながら断ると、それじゃあ、明日道場生とピクニックに行くから一緒に行きましょうと誘われたのだ。
七時の予定が結局八時半に出発した(ネパールタイムだそうです)。八人が幌付きのトラックの荷台に押し込められた。
みんなの顔を見ると何だかヤクザの出入りか自衛隊の演習って感じだ。着いたダクシンカリはヒンズー教の寺院で祭りには神サマに捧げるためにヤギの首をはねるそうである。
ピクニックといってもネパール人は弁当なんぞ持っていかん。材料を持参して現地で女性たちが料理してカレーを作る。
トラックに積んでいたバカでかいインド製のカセットとスピーカーでダンス大会をするつもりだったらしいが、シャイなネパール人は誰も踊ろうとしないのだ。
ここでも私が得意のダンスを披露して、皆の尊敬を一身に集めたのはいうまでもない。
翌朝、バサンタプルを歩いていると誰かに聞いたのか、「僕もキョクシンカイです」と佃煮にできるほどのガキんちょ、いや少年たちに声をかけられた。
そういうわけで朝からこの広場にはあっちこっちで気合いがこだまするのであった。オ~~スッ!

カトマンズの夜

http://amzn.asia/26Eq8As

中山可穂の「熱帯感傷紀行ーアジア・センチメンタル・ロードー」を読んでいたら、次のような文章にぶつかった。著者はインドネシアを旅していたのだが、「店内のラジオからは、マントヴァーニ楽団の『ブルー・タンゴ』が流れていた。まさかこんなところで、アメリカ製タンゴの名曲を聞けるとは思わなかった。」
僕は、ああ、分かるなあと思った。僕もカトマンズのタメル地区にある古本屋の二階で日本語と英語のペーパーバックを眺めていたら、ラジオからビョークが聞こえてきたことがある。曲名は思い出せないが、ネパールでビョークという取り合わせも妙なもので、年の暮れということも相俟って、異国で独りという寂寥感が身に染みた。
カトマンズに行こうと思い立ったのは、タメルという場所がバンコクのカオサンと同じように世界中のバックパッカーで賑わっていることを本で読んだからだ。ネパール人と異国のバックパッカーが交錯しながら食事をしたり、土産物を売ったり買ったりしている光景を思い描くと居ても立ってもいられなくなった。
夕刻にネパール空港に到着。ロッジのようなイミグレーションを通過し、外に出てタクシーを拾う。数十分走ったが、王宮の前で突然、エンストした。運転手に聞くと、何とガス欠らしい。彼は車外に出て、通りを見つめている。どうするのかと思って見ていると、やがて通りがかったタクシー仲間を捕まえてガソリンを分けてもらっていた。タメルに着いた頃には辺りはすっかり暗くなっていたが、なるほど土産物やホテルや食堂が櫛比し、賑わっている。適当な安宿にバックパックを下ろし、街に出てみた。タメルはカトマンズにおいても異質な場所だと思う。ニューヨークがアメリカにとって特異な都市であると同じ意味で。外国人と牛と地元の人間で賑わっている往来をぶらぶらと歩いていると、小さなスーパーマーケットがあった。そこが気に入って、タメル滞在中は日課のように通った。外国人に混じって食料品を買っていると、不思議と心が安らいだ。多分、一人であっても一人じゃない距離感が好きだったからだろう。食堂では、よくモモ(水牛肉の餃子)とチョウメン(焼きそば)を食べた。席に着いてから最初のお茶が出てくるまで20分、最後の食事が出るまで一時間かかった。白人の客が「ネパールタイムだ」と言うと、他の客はあきらめのような、連帯感のような笑いを洩らした。
ひょんなことから、あるネパール人夫婦と意気投合し、彼らの知り合いの家へ招待されることになった。その家は日本大使館のすぐ側にあり、門扉から玄関まで歩いていくような、ネパールの生活水準からすれば充分すぎるほどの大豪邸だった。主人のチャンさんは台湾出身で、台湾の電化製品をネパールに輸入して成功した人だ。熱心な仏教徒でもあり、広い居間の一角にしつらえた祭壇へのお祈りは毎日かかさない。チャンさんは言う。「あなたが今日ここに来たのは、あなたが生前ネパール人だったからだ。今度ネパールに来た時はホテルに泊まらず、うちに泊まりなさい。いっそのこと、ネパール女性を紹介するから結婚してこっちに住んだらどうですか」。帰りは夫婦にタクシーでホテルの近くまで送ってもらった。食堂に入り、3人でチョウメンを食べた。縁って不思議だね。そう言って3人で笑った。ネパールに来てから三日目だった。
知り合いから知り合いに紹介され、滞在中は数珠つなぎに知人が増えていった。誰もが親切にしてくれた。ネパール人は日本人に似ているところがある。控えめで内気で、外国人に対しては親切にせざるをえない。それに加えて男たちは眉間のあたりに矜持といったものを漂わせていた。彼らの信仰する神のせいなのか、それとも貧しさによって自らを恃みにしなくてはならないからだろうか。勇猛果敢なネパール人はグルカ兵としてイギリスの傭兵になったこともある。僕は日本のサムライと彼らを重ねあわせることもしばしばだった。
たとえば、こういうことがあった。ジョッチェンの広場で少年たちにババ抜きを教えて遊んでいた。しばらくトランプをしていると、後ろから肩を叩かれ、知り合いの大人たちから「メシを食べに行こう」と誘われる。「すぐ戻ってくるから」と中座し、彼らとしゃべっているうちにトランプのことは忘れてしまっていた。あくる日、その広場に行くと、昨日の少年が近づいてきて、「忘れ物だよ」とトランプを差し出した。些細なことだが、アジアで未だこのような正直さに出会ったことはなかった。
帰国日、最後に広場に行ってみた。顔見知りの少年を見つけ、これから帰るからと告げる。何かを言おうと思ったが、適当な言葉が浮かばない。「ダンニャワード(さようなら)」と言って歩き出したが、写真を撮っておこうと思いついた。ついでに周りの連中も記念に写しておこう。「写真を撮るよー!」とあたりに声を掛けると、20人くらいが集まった。笑顔の彼らをファインダー越しに覗いていると涙が出そうになった。
タクシーを拾い、空港に向かう。しばらくすると今度はパンクした。車外に出ると、来た時と同じような満月だった。

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皆様への伝達事項
空手家のドリアン長野はネパールでも空手をしてきました。
ドリアン長野は平成10年代に半ば勢いだけで非常に乱雑かつ順不同な投稿をしてたので整理整頓は絶対必要でした。そして、過去と違って現在gooブログでは3万文字の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
ドリアン長野自身が平成10年代に発表した旅行記を後(平成18年)に再編集して再発表した前例がカラテ イン ネパール編(ネパール編 加筆訂正 2006 04/07 22:18)でした。 2006年は平成18年です。NO45 カトマンズの夜は2004 04/27 23:23に発表されました。

ネパール旅行記は順番を前後させた方が良いだけでなく一元化も遂行しました。

ネパールとチベットは隣接してますので似通った料理が食べられるようです。

ドリアン長野は空手家です。海外に赴き同じ志を持つ人に出会って嬉しかったそうです。色々と生活習慣等で違う点は多いが共通点が存在すると話が合います。ネパールと言えば政変がありました。平成十年代は、王政でしたが平成20年からはそうではなくなりました。詳細は各自で調べてください。「どこに行きたいか?」についてですが、今(平成22年こと2010年以降)となってはタブレットやスマホで円滑に情報が得られる時代になりました。帰り道についても調べておくことを推奨します。理由は迷子になる可能性があるからです。私はカナダ(ブリティッシュコロンビア州)のホテルの室内で私物の整理整頓をしてる時にラジオ番組を聞きながら行ってました。日本国内でも洋楽を聞く機会が多いから普段と大差なく行えたのを連想しました。音楽は国境を超える。

特別に参考として日本国内のネパール料理店で食べてきた野菜チョウメンの画像を紹介します。管理人マーキュリーマーク


紹介した二種類の動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
カトマンズ・バサンタプル広場


ネパール カトマンズ (タメル地区からダルバール広場へ)


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ドリアン長野のベトナム旅行記
2018-03-12 | Weblog

ドリアン長野のベトナム旅行記
#5 ホーチミン市のディスコ
「今晩、ディスコに行かないか?」 
バイク・タクシーのヒューはメコン・クルーズのボートの中で聞いてきた。今日はニューイヤーズ・イブだし、社会主義国のディスコってのも気になるしな。古めかしい建物の二階にあるディスコにヒューと行くと、彼の奥さん(ディスコで知り合ったそうだ)が二人の日本人女性を連れてきていた。彼女達と自己紹介をし、初めはおそるおそるっていう感じで踊っていたのだが、そのうち脳内にエンドルフィンとドーパミンが放出されたのだろう、体内メーターがレッド・ゾーン に入った。こうなると止めることなど不可能、私は我を忘れて踊りまくった。私の踊りは太極拳にブレイク・ダンスをミックスしたオリジナルだ。踊り始めると 周りには人がいなくなるという危険なダンスだ。ふっ、お嬢さん、気をつけなせえ。俺に惚れるなよ。この時も無我夢中でキープ・オン・ダンシング、気がつけ ばみんな、私の周りを遠巻きに見物している。もっ、もしかしてこれって奇異の.....、いや違うね!(なぜかきっぱり) 羨望の眼に決まっとる。(とむりやり納得)
 見て見て、もっと見て~。快感だわ。そのうち、輪の中から一人のベトナム少女が踊りながら出て来た。そうなの、私と一対一で日越ダンス対決をするつもり なのね。わかったわ。受けてたってあげる。私たちは我を忘れて踊った。離れては近づき、近づいては離れ、相手の差し出す一挙手一投足に呼応し、互いのリズ ムを感じ取りながら。歓声が上がり、拍手が起こる。誰かがタオルを差し出した。汗を拭いて観衆に投げ返すと、我先にと奪い合う。オーホッホッホッ。私はスターよ。今宵のディスコ・キングなのよ~。 
ひと休みして外のソファーに座っていると、通りがかった人が「かっこよかったよ」と言って握手を求めてくる。ふっふっふっ。ホーチミンのディスコは最高だ ぜい! よしっ、来年まで踊り続けるぜい、ベイビー、と腰を上げるとヒューが「もう帰ろう」とつまらなさそうに言う。えっ? まだ11時ですぜ、だんな。   
 「ベトナムのディスコは深夜まで営業できないんだよ」 
そうか、さては私のあまりの人気を妬んでるな。仕方なく私たちは帰った。こうしてホーチミンの長く暑い夜は更けていくのであった。
そんでもってこの前、スクンビットにあるディスコ、「ナルシサス」に行った。行ってみて驚いたぜ。最先端のハウスやトランスはいいんだけどさ、みんな下半 身だけ揺らしながら踊っているのだ。何だ何だ、その金魚踊りは? やる気あんのかっ。踊りっちゅうのは、なんちゅうかこうもっと情熱的に踊るもんちゃうんかいっ! こんなんやったらグレース・ホテルのエスニック・ダンスのほうが100倍ましやっちゅうねん。かくなるうえはわしが乗り込んで踊りの基本を教えたるわっ、 とフロアに出て行こうとすると連れの女に必死に止められた。(なんでやねん) 
 私は日本ではクラブに行かないので分からんが、ハウスはああやって金魚踊りをするのが主流なのか? 誰か教えてくれ~。こうなれば次に狙うのはゲイエリアで有名なシーロム通りのソイ4じゃい。金魚野郎ども、首を洗って待っとけ! ドリアン長野のタイランド旅行記

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皆様への伝達事項
社会主義国ベトナムのディスコの営業時間は午後11時迄。
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、ディスコに行った事がありますか?私は全然行く気がありませんし行ったことはありません。私はバンクーバーでチーズケーキエトセトラという基本的に夜だけ営業してるお店で食事をしたことが良い思い出になってます。海外では赴いても良いが日本国内では行きたくない場所があったりするんですね。今回はディスコ。世の中の人々の中にはホーチミン市のディスコの方が理解しやすかったかもしれない。少なくとも彼(ホーチミン)は死去している。従って区分けするためにホーチミンシティーと言われているようです。社会主義国家らしくエネルギー不足による停電の問題があるからかもしれないが深夜営業をしないディスコというのも日本の1970年代のようですね。 周知の事実ですが平成20年代の日本ではディスコ(クラブ)ばかりか多くの小売店が深夜営業している時代です。
ドリアン長野の気分が高揚していても私は一秒以内になえさせる自信があります。例えばVeryという名のクラブ(ディスコ)って有名ですよね。なぜならば、Discovery。ね、一秒以内になえるでしょ?平成10年代に作成されたお笑い海外旅行記なので過去の出来事だと考慮してからこれからもお読み下さい。現在は、状況が違うかもしれません。一番の疑問は、題名をサイゴンのディスコにしなかった理由だが・・・今となっては過去の名称になっているからかもしれない。ナルシサスに限っては、タイランドのディスコ(クラブ)です。 従って、8割ベトナム2割タイランドのディスコ(クラブ)の海外旅行記だと捉えていただきたい。
周知というよりも羞恥な事実だが、続く(バンコクのディスコ)。
紹介した動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

サハラ・クラブ・ホーチミンsahara [disco vietnam saigon club]ディスコ・サイゴン

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#87

2024-04-26 | 日記
ドリアン長野のロサンゼルス(米国)とティフアナ(メキシコ)旅行記
2018-03-12 | Weblog
   

ドリアン長野のロサンゼルス(米国)とティフアナ(メキシコ)旅行記
NO41 続々ロサンゼルス編
at 2004 03/04 00:14 編集

目を覚まし、海辺に面した部屋のカーテンを引く。陽はすでに高い。白い波頭の間にサーファーたちが見え隠れする。今日も暑くなりそうだ。ロサンゼルスには四種類の人間しかいない。ハリウッドスターと観光客とメキシカンとホームレスだ。モールに入ってみると何だか気が滅入る。モールってやつは世界中どこでもそうなんだろうが、画一的で面白味に欠ける。オープンシステムになっているファーストフード・レストランは家族連れで一杯だ。誰もがハンバーガーかピザかフライドチキンを頬張っている。なんだかなあ~。ロサンゼルスに滞在して分かったことがある。その壱、食事をハンバーガーとコーラなんかで済ませる人が結構多い。それゆえ、デブはハンパじゃなくデブだ。デブの中のデブ、デビーだ。人間というよりは肉の塊、ミートだ。その弐、タトゥーをしている人が多いが、やつらはそれを見せびらかすために常にノースリーブのTシャツだ。ごくろうさんだ。ためになった。これだけアメリカを学んだら充分だ。今晩荷物をまとめて日本に帰ろう。
「メキシコに行かない?」朝食後、ジョイスが言った。「え”?メキシコに行けるの?」「もちろん、行けるわよ。アメリカからメキシコにはフリーパス。帰るときはIDがいるけど」
メキシコといえばテキーラにサボテンにタコスしか思い浮かばんが、なんだかムーチョなところに違いあるまい。
「行く、行く、連れてって。これからすぐに旅立ちましょう。早く支度して、急いで急いで」「くっ、苦しい~。そんなに揺さぶらないで。てっ、手を離してちょうだい。年寄りを殺すと天国に行けないわよっ!」
というわけで、我々はバスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のティフアナに到着した。国境越えするにはらせん状の歩道を歩かなければならないが、そこにはすでに幼子を抱えた母親か何人か物乞いをしていた。目の前の丘にはトタン屋根の粗末な家が斜面にも隙間なく建っている。いきなり劇的に景色が変わった。その参、アメリカとメキシコの国境は世界一残酷な国境だ。「GODを求める人たちがアメリカに行き、GOLDを求める人たちがメキシコに行った。たった一字の違いだが、それが現在の貧富の差となった」という石川 好の本で読んだ言葉を思い出した。もちろん、そんな単純なことではなく、ピルグリム・ファーザーたちも崇高な目的ばかりじゃなかったらしいけど。街を歩くと、その身なりで地元の人間と観光客がはっきりと分かる。前を歩いていたフリルの付いた服を着たアメリカ人少女と、裸足でぼろぼろの服を纏った同じ位の年嵩のメキシコ人少女が偶然にもツーショットになった。「しめた、これを撮ればピュリッツァー賞、間違いなし」とカメラを探しているうちにどこかに行ってしまった。あ”あ”、おれって!
「人生はお金がすべてではないけれど、無いと不便。あったほうが便利だなあ」(相田みつを)
みつを、なに当たり前のことをもっともらしく言ってんだあ! おいちゃんはなあ、ホントはこんなこと言いたくなかったんやけど、最後に言わしちくれ、「ロスに来たのは、とんだ時間のロスだったあああぁぁぁぁ~~っ..................................................................................................。」

NO 113 ロサンゼルス編

at 2006 09/21 21:26 編集

のっけから何だが、私はロサンゼルスが嫌いだ。それはなにも私が九時間以上も飛行機に乗ってやっと到着した空港をボ~ッと歩いていたら二人組のイラン人にアムネスティに寄付をしてくれと孤児の写真を見せられ大勢の日本人から寄付をいただいている一人最低100ドルからだと言われ何で寄付するのに最低額があるんだと思いつつもそのくらいならいいかと寄付をして空港を出た時分に100ドルいうたら一万円以上やんけとやっと気づき自分のマヌケさに地団太を踏んだからではない。
ロサンゼルスの空はどこまでも真っ青のブルースカイだ。まるで貧血の病人のように青い。私はそれに向かって「バカヤロー」と叫びたかったね。ウッディ・アレンはアカデミー賞受賞式に招待された時もいつものようにニューヨークの「マイケルズ・パブ」でクラリネットを吹いていたそうだ。「僕にはロサンゼルスの空は眩しすぎる」とほざいたそうだが、ウッディ、いや、ウッちゃん、私はあんたの気持ちがよく分かるぞ。ここで一句、「旅人は 悲しからずや 空の青 ロスの青にも 染まず漂ふ」
何言ってんだ、インドやタイやカンボジアの空だって充分青いじゃねーかとぬかすヤローがいるかもしれんが、チッチッチッ、だからトーシローは困るってんだよ。ロスの空はいわば、場末の落魄した娼婦が客をとろうと必死になって厚化粧しているようなもんだ。不健康で退廃的で侘びしくて物悲しいんだよ。なーにがカリホルニアドリーミングだあっ。100ドル返せーっ、ちくしょー!
ダウンタウンを歩いていると聞こえてくるのはスペイン語ばかり。映画館でアメリカ映画を観てもスペイン語の字幕付きだ。夜になると商店は早々と閉めてしまい、歩いているのはホームレスだけ。ハリウッドもビバリーヒルズもロデオドライブもちっとも面白くない。リトル東京で「ヤオハン」の場所を尋ねた日系の老人には、「夜は独りで歩かないほうがいい。巡査は外国人に偏見を持っているからな」と忠告された。ステーキハウスでステーキを注文したら、付け合わせのマッシュポテトが山のように出てきた。これだけでもう満腹だ。ふうふう言いながら何とか食べ終わると、ウエイターが「食後にアイスクリームはどうだい?」と聞いてくる。「冗談言うなよ、マイケル。これ以上食べたらゲロしたステーキがサンタモニカまで飛んでっちまうぜ」と私は肩をすくめる(ふっ、オレもアメリカン・ジョークがうまくなったもんだぜ)。
ああ、ロサンゼルス! めしはまずいし、歩くのにはただっ広いし、面白い所もない。私は台湾系アメリカ人、ナンシーおばさんの経営するモーテル、「City center motel」に宿泊しながら悶々としていた。どこか面白そうな場所はないもんだろうか。うーんとお~.......。あっ、そうだ! そう言えばサウス・セントラルがあった。ニューヨークのサウス・ブロンクスと並び称される、泣く子も黙るその地区は犯罪の温床となっており、殺人事件は日常茶飯事でヘイト・クライムという人種偏見による犯罪も起きていると本で読んだことがある。何だか想像するだけでケツのあたりがムズムズしてくる。しかし、日本人がのこのこ出かけていっても身ぐるみ剥がされて射殺されるのがオチだ。ここはひとつ、奮発してタクシーをチャーターして連れてってもらおう。モーテルのロビーでいつもうだうだとたむろってるメキシコ人に頼めば大丈夫だろう。善は急げ(?)とさっそく彼らに聞いてみる。しか~し、 
「へっ、サウス・セントラルだと? サルがケツから飛び出すぜ」「俺はまだ死にたくねえよ」「あそこは観光地じゃないぜ。ディズニーランドなら連れていってやってもいいけどな」
けっ! メキシコ野郎はどいつもこいつもチキンばかりだぜ。とっととメキシコに帰りやがれ! (われながら知らないちゅうことはごっつう恐ろしかことですたい。皆さん、生半可な知識は身を滅ぼします、注意しましょう。嗚呼、無知の涙)
メトロのブルーラインに乗ればサウス・セントラル地区まで行くことができるのだが、私もそこまで無謀ではない。残念だが、そこに行くのはあきらめた。口惜しや。その時、天啓のように私の脳裏に閃く地名があった。そうだ、「ワッツ」だ。ワッツは黒人暴動が起こった場所として記憶に刻み込まれていた。今度はそこに行きたいと頼んでみると、一人のメキシコ人が行ったことがあると言う。35ドルでタクシーを手配してやると言うのでOKする。何でわざわざ好き好んでそんな危険な場所に行きたがるんだと疑問に思う人もいるだろう。貧しい人々や危険な地域を見学するような非常識な行為はやめようという良識派の意見は百も承知だ。しかし、私の好奇心はどうしてもそういった方面に向けられてしまう。
やって来たタクシー・ドライバーはエルサルバドルからアメリカに来て三年目のフィデルという青年で、英語がほとんど分からない。私のスペイン語は大学の第二外国語で習っただけで、補習を受けてやっと可を頂いたという代物だ。自慢じゃないがしゃべれる構文は「私の父と母はスペイン語が話せます」だけだ(一年生の時にスペイン語を教えてくださった平田先生、その節はご迷惑おかけしました。それから三年の時の補習の大垣先生、以下略)。
我々の意志の疎通は私の極端に少ないスペイン語の語彙(二十単語ほど)と身ぶり手ぶりと勘によって行われた。で、そのワッツだけど、総じて美しい住宅街が続く何の変哲も無い街だった。「Dr・Martin Luther King Shopping Center」というモールを見つけたので、タクシーを降りる。ぶらぶらと歩いている黒人は誰もが穏やかに見える。近くにいた黒人警官に聞いてみると、「暴動のあった場所はこの辺りだが、貧しい黒人の居住区は知らない」のだそうだ。そういえば、暴動が起きたのは1950年か60年代のことだったぞ。あー、何やってんだ、俺は。フィデル、とっとと帰るぞ。お前もアメリカに三年も住んでんのなら、英語くらい勉強しろよな(やつあたりすんなよ)。
夕食はチャイナタウンに食べに行った。今日は大晦日なので閉まっている店がほとんどだ。客のいない小さな食堂で飯を食べていると、警察官が二人食事をしにやって来た。 
「......................................。」
大晦日の夕暮れにうら寂しい食堂で警察官と無言でとる食事ほど物悲しいものはないと私は断言する。これで古いラジオから八代亜紀が聞こえてきたら完璧だ。いや、アメリカだからウィリー・ネルソンかトム・ウエイツあたりか。リトル東京では「紅白歌合戦」を衛星放送で観ながら故郷に想いを馳せながら涙する人がいるんだろうか。
ユニオン・ステーションで21時発サンディエゴ行きのアムトラックに乗る。ロンドンで知り合ったジョイスに会うためだ。彼女は元看護婦のおばあさんで、今は離婚してロサンゼルスとサンディエゴの中間ほどにあるオーシャンサイドに独りで住んでいる。降りる駅が近づくと、車掌がやって来て教えてくれた。乗客の一人一人にそうしているみたい。駅にはジョイスが迎えに来てくれていた。彼女のアパートは駅から歩いて五分。目の前は海岸だ。歩きながらジョイスが言う、「ここで『トップ・ガン』の撮影があったのよ」。おお、さすがハリウッドが近いだけはあるじゃないか。
その夜は二人でテレビのNYのカウントダウンの中継を観る。 
「ファイブ、フォー、スリー、ツー、ワン! あけましておめでとうございます」 
「ありがとう、今年のニューイヤーは寂しくなかったわ」 
「今度は是非日本に来てください」
袖振り合うのも他生の縁というジャパンのことわざを思い出す。それから二人は他愛ないことを女子高生のように明け方までくっちゃべり、疲れ果てていつしか倒れ込むように寝入ってしまうのだった。
目を覚まし、海辺に面した部屋のカーテンを引く。陽はすでに高い。白い波頭の間にサーファーたちが見え隠れする。今日も暑くなりそうだ。
ロサンゼルスには四種類の人間しかいない。ハリウッドスターと観光客とメキシカンとホームレスだ。
ロサンゼルスに滞在して分かったこと。その壱、食事をハンバーガーとコーラなんかで済ませる人が結構多い。それゆえ、デブはハンパじゃなくデブだ。デブの中のデブ、デビーだ。人間というよりは肉の塊、ミートだ。その弐、タトゥーをしている人が多いが、やつらはそれを見せびらかすために常にノースリーブのTシャツだ。ごくろうさんだ。ためになった。これだけアメリカを学んだら充分だ。今晩荷物をまとめて日本に帰ろう。
「メキシコに行ってみましょうか?」ブランチの後、ジョイスが言った。
「え”?メキシコに行けるの?」
「もちろん、行けるわよ。アメリカからメキシコにはフリーパス。帰るときはIDがいるけど」
メキシコといえばテキーラにサボテンにタコスしか思い浮かばんが、なんだかムーチョなところに違いあるまい。
「行く、行きましょう、連れてってください。これからすぐに旅立ちましょう。早く支度して、急いで急いで」
「お、落ちついて。そ、そんなに揺さぶらないで!」
というわけで、我々はバスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のティフアナに到着した。国境越えするにはらせん状の歩道を歩かなければならないが、そこにはすでに幼子を抱えた母親が何人か物乞いをしていた。目の前の丘にはトタン屋根の粗末な家が斜面にも隙間なく建っている。いきなり劇的に景色が変わった。
その参、アメリカとメキシコの国境は世界一残酷な国境だ。
「GODを求める人たちがアメリカに行き、GOLDを求める人たちがメキシコに行った。たった一字の違いでしかないが、それが現在の貧富の差となった」という石川好の本で読んだ言葉を思い出した。もちろんそんな単純なことではなく、ピルグリム・ファーザーたちも崇高な目的ばかりじゃなかったらしいけど。街を歩くと、その身なりで地元の人間と観光客がはっきりと分かる。前を歩いていたフリルの付いた服を着たアメリカ人少女と、裸足でぼろぼろの服を纏った同じ位の年嵩のメキシコ人少女が偶然にもツーショットになった。
「しめた、これを撮ればピュリッツァー賞なんかもらえるかも」とカメラを探しているうちに彼女たちはどこかに行ってしまった。あ”あ”、おれって!
健康的で眩しすぎる空と海。反面、移民や不法労働者を抱え、犯罪が多発する現代のバビロン。ああ、ロサンゼルス!
「ロスに来たのは、とんだ時間のロスだったあああぁぁぁぁ~
~っ..................................................................................................。」(ごめんなさい)

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一回の旅でアメリカとメキシコに赴いたそうです。
ドリアン長野は平成10年代に半ば勢いだけで非常に乱雑かつ順不同な投稿をしてたので整理整頓は絶対必要でした。そして、過去と違って現在gooブログでは3万文字の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。半ば常識的なお話ですが米国のロサンゼルスばかりかメキシコのティフアナで楽しい海外旅行を過ごしてきた人々も世の中にはおられますがドリアン長野にとっては友達と再会が行えた事を除外したら辛い旅行だったようです。

皆さん、4点の連絡がございます。
第一に、誠に申し訳ないが平成19年の夏に風邪で体調不良であった私は幾つか(#37、#38、#39と#40)のバックアップが行えませんでした。ドリアン長野は平成16年3月に、NO41で発表した後、およそ二年半を経過した平成18年9月にNO113で再編集したロサンゼルス旅行記を発表しました。従って、NO41とNO113の両者に限っては転載が行えたので今回、発表が行えてます。

第二は、米政府はメキシコとの国境の間に壁を作る決断を下しました。過去(2016年以前)のように円滑に米国とメキシコを陸路で行き来することは不可能になる見込みです。トランプ大統領の決断の影響は小さくない。

BBCニュース - トランプ米大統領、メキシコ国境の壁建設を命令 移民取り締まりも強化 https://t.co/5oYZGDgLiu — ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年2月6日

メキシコの「国境の壁」 ついに巨大な試作品ができあがる https://t.co/wuW5JWzb49
— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年1月28日 ">

第三ですが、バハ・カリフォルニア州ティファナ市は複数の犯罪組織の対立によるものと見られる多くの殺人事件が発生してるばかりか、凶悪犯罪も増加し情勢は流動的で、2017年(平成29年)には、バハ・カリフォルニア州内どころかメキシコ全土において最も多くの殺人件数を記録しましたので海外旅行の旅先としての推奨は行えませんので不要不急の渡航はやめてください。平成十年代はまだ平和であったかもしれませんが2010年以降は治安が悪化してる模様です、そうした影響からか2015年(平成27年)8月31日迄はアメリカ(USA)からメキシコへの徒歩での入国には、鉄枠の付いた回転ドアによる逆行不能の越境のみで入国審査はなかったそうですが2015年(平成27年)9月からは回転ドアをくぐった先に検問所が設けられ、入国審査が実施されるようになったそうです。 もしも、本当に米国からメキシコのティフアナに赴かれるなら各自で調べた上で赴いてください。
全く逆にメキシコから米国へ赴く時も厳しい入国審査は存在するそうです。

第四ですが、前述した内容(旅行記)を理解された人には半ば無意味な伝達かもしれませんが、航空会社のアエロメヒコによって成田空港からバハ・カリフォルニア・ノルテ州(*1)のティフアナへの直行便は2006年(平成18年)には就航してたそうですがドリアン長野は一旦、米国のロサンゼルスに訪問してから陸路でティフアナに赴いたので日本国内からメキシコへの直行便は利用しなかったそうです。この旅行記を読まれた方の中には過去に成田空港からティフアナに直行便で赴かれた人はおられるかもしれません。
平成20年代(平成26年頃?)に千葉県の成田空港からティフアナのヘネラル・アベラルド・L・ロドリゲス国際空港ことティフアナ国際空港(メキシコ)を行き来するアエロメヒコによる直行便は廃止されたそうです。
トヨタのトラック工場が2004年9月からバハ・カリフォルニア州で操業してるので渡航した日本人は多いかもしれません。

*1 バハ・カリフォルニア州の俗称はバハ・カリフォルニア・ノルテ州だそうです。なぜならば、バハ・カリフォルニア・スル州が存在し北がスペイン語でノルテで南がスペイン語でスルで区分けが目的だからだそうです。

紹介した二種類の動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

「世界一忙しい国境」 行き来する人たちの不安


メキシコ国境の壁 トランプ米大統領は公約守れるか


ドリアン長野のニューヨーク旅行記
2018-03-12 | Weblog

NYバスターミナル編   NY地下鉄編   NYホテル編   エッセイ

ドリアン長野のニューヨーク旅行記

#33 NYタイムズ・スクエア編

at 2004 01/09 00:47 編集

1989年12月31日午後10時。タイムズ・スクエア。気温マイナス2度。ぽつぽつと降っていた雨はついにどしゃ降りになった。歯の根が合わないほど寒い。それでも何千人といる群集は誰一人として帰ろうとはしない。私もたぶん、彼等と同じ気持ちだった。それは2000年へと続くデケイド(10年間)の幕開けを世界一の都市で祝ったという記憶を自分の中に刻みつけておきたいから。彼等は家に帰って言うだろう。「90年の始まりにはあそこにいた。みんなとハッピー・ニュー・イヤーを言ったんだ」。 私は夜の8時から待っているが、12時までは途方もなく長い時間に思えた。混雑を緩和するためにあちこちに「Police Line」と書かれた遮蔽板が置かれている。警官の目を盗んで一人の男が、さっと板の下をくぐり抜けて走り去った。近くにいた警官に誰かが叫ぶ。「Shoot him!(射殺しろ)」 周りがどっと笑う。ここでの模様は全米で生中継されるのでテレビカメラにパンされた群集はとにかく騒ぐ。叫ぶ、踊る、手を叩く、こぶしを突き上げる、街角で黒人が1ドルで売っていた紙笛を吹き鳴らす。私といえば、寒さと疲労に耐えながらひたすら待つ。
 11時59分。カウントダウンの斉唱が始まるとSONYの広告の下に取り付けられた電球の塊がゆっくりと降りてくる。下がりきったら1990年だ。ウエルカム・トゥー・ナインティーズ!  
 見知らぬ者同士がハッピー・ニュー・イヤーを言い合い、抱き合う。雨の中、群集がブロードウエイを行進する。この光景はデジャビュだ。どこだったろうと考えていたら、ウオーレン・ビーティ監督、主演、脚本の映画「レッズ」でロシア革命前夜に人々がインターナショナルを歌いながら街を行進する場面だった。今日の夜はニュージャージーに住む友人のアパートに泊めてもらうことになっている。あちこちが通行止めになっているので迂回していると道に迷ってしまった。バス・ターミナルの場所が分からないので雨宿りしながら地図を拡げて見ていると、二人連れの黒人が「どこに行きたいんだ?」と声を掛けてきた。「ポート・オーソリティー・バスターミナル」と答えると、「ついて来いよ」と手招きする。 
 新年に浮かれる人々の喧噪の中、彼等を見失わないようについて行く。20分ほど歩いた。ミッドタウン・ウエストにあるこの24時間運行の巨大なバスターミナルは常に通勤者で賑わっているが、今日の賑わいは特別だ。案内してきた男が言う。「チップをくれ」 1ドル紙幣を出し、渡そうとするが受け取らない。少なすぎたかと思い、「2ドルでは?」と言ってみる。すると、「冗談じゃないぜ。俺たちは長い道を案内してやったんだ。フェアじゃねえ。もっと出せ」とすごんできた。無視して歩き出すと、「聞こえないのか? もっと出せと言ってるだろう」と喚きながらついてくる。「警官を呼ぶぞ」と睨みつけると渋々2ドルを受け取り、やっと退散した。バス乗り場に行くと、また黒人が寄って来て、「どこに行くんだ? チケットは持ってるのか?」と親切(?)にも聞いてきた。彼はチケット売り場まで案内してくれ、言った。「ギミー・ダラー」 ああ、アメリカがチップ社会だというのは本当だ。Money talks in America.(アメリカでは金が物を言う)彼に1ドル渡す。バスを待っていると、日本人女性が二人やって来たので話しかける。二人は姉妹でお姉さんがニュージャージーに住んでいるという。妹が日本から姉に会いに来て、今日はミュージカル観劇の帰りだそうだ。「ブロードウエイのニューイヤーズの騒ぎが恐くて.....」とアメリカに来るのが初めての彼女は気の毒なくらい蒼ざめていた。
 「目的地に来たら知らせてください」と運転手に住所を告げ、座席に座る。バスが出発してからしばらくして奇妙なことに気がついた。奇妙なことといっても、私が日本人だから少しばかりそれを感じるだけのことだ。バスが停留所に着き、乗客が下車する際に、ほとんどの人が他の乗客の方を向き、「ハッピー・ニュー・イヤー」と言ってから降りていくのだ。「これもアメリカだな」私は心の中でつぶやき、自分がアメリカに来たことを初めて実感していた。 _

#34 NYバスターミナル編

at 2004 01/15 22:22 編集

8番街から9番街の1ブロック、40丁目から42丁目の2ブロックにまたがる巨大なバスターミナルがポート・オーソリティ・バスターミナルです。グランド・セントラル駅(映画「アルマゲドン」では隕石の破片が直撃して壊滅しました)とペンシルバニア・ステーションという二大鉄道駅にここを加えれば、ニューヨークの三大ターミナルになります。ターミナルといえばホームレスのたまり場になりやすいので御多分に漏れずこれらもそうなのですが、前者の鉄道駅はチケットのない者の待合室への入場を禁じているせいもあって比較的清潔で安全です。しかし、ポート・オーソリティは場所からして周辺に老朽したビルが多く、地元では「地獄の台所」と呼ばれており、治安もあんまり良くありません。そしてホームレスはフリーパス。必然的にこの駅はホームレスの憩いの場アーンド生活の場となっています。一歩足を踏み入れてみれば、まあ、すごいですねえ。「F×××」を連発して、何かに怒りながら歩いている人がいるかと思えば、必需品を一切合切ショッピングバッグに詰め込んで生活しているショッピングバッグ・レディと呼ばれる老婆が座りながら小便を垂れ流しています。窓口でチケットを買えば、ホームレスが「釣りをくれ」と寄って来ます。しつこいようなら無言で睨んでやりましょう。階段には寝ている人がよくいるので、歩きづらいですが踏んづけないように注意しましょう。トイレの洗面台で真っ裸になって体を洗っている人もいます。彼がホモの場合もあるので気をつけましょう。とろんとした目で座り込んでいる人はヤク中なので目を合わせてはいけません。お金をせびられます。夜になると待合室で待っているだけでお金をせびられます。昼間でもボーッと立っているだけでせびられます。ほな、どないせいっちゅうねん、とおっしゃる方もいるでしょう。コツはさっさっと早足で歩き、せびられたら無視することです。英語が分からないふりをするのもいいでしょう。カラテの型をやるのもいいかもしれません。それでもしつこいようなら、相手はどう猛といえども人間です。脅えた態度を取ってはなりません。じっと目を見つめて(これが肝要です)25セントを渡して素早く逃げましょう。それにしても日本のホームレスはおとなしいのに、何でインドやアメリカはあんなに戦闘的なんでしょう?まだまだ日本はホームレスといえども裕福だということなんでしょうか。1階のバスの待合室には「今夜泊まる場所のない人はここに来て下さい」というプレートがあり、住所が書いてあります。マンハッタンにはシェルターと呼ばれるホームレスのための宿泊施設がたくさんあります。そこではベッドがあり、簡単な食事も給されるのですが、いかんせん喧嘩や盗難(靴とかが多いようです)が多発するので敬遠する人もいます。そんな人はこの待合室で寝るのでしょう。
 私はここに来ると、いつも天王寺駅を思い出します。現在は都市開発計画で天王寺駅もその界隈もずいぶんときれいでおされになりましたが、一昔前はもっとホームレスが多く、殺伐としていました。自分でもよく分かりませんが、ニューヨークに来るたびに私はポート・オーソリティに足を向けてしまいます。何をするでもなく、ただターミナル内を歩き回るだけですが。
 もし、神さまに名前があるのなら、どんな名前なんだろう
 俺たちは神さまに向かって、その名前を呼ぶんだろうか
 神さまとその栄光を目の前にして何を尋ねる?
 もし一つだけ尋ねるとしたら?
 
 ああ、神さまは貴い
 ああ、神さまは良きもの
 もし、神さまが俺たちのうちの一人だとしたら?
 俺たちのうちの薄汚いやつだとしたら?
 家に帰るバスの中の見知らぬやつだとしたら? 
 もし、神さまに顔があるとしたら、どんな顔なんだろう
 見てみたいと思うかい?
 もし見ることが信じることと同じだとしたら?
 天国やイエスさまや聖者やぜんぶの予言者たちを
 ひとり天国へと帰ってゆく
 電話をかけてくれるのはローマかどこかの法皇だけだ
 
 聖なる転がる石のように
 ひとり天国へと帰ってゆく
 家に帰る途中みたいに
 電話をかけてくれるのはローマかどこかの法皇だけだ
 「One of us」ジョーン・オズボーン (1995年「RELISH」収録 ドリアン長野 訳 _

#35 NY地下鉄編

at 2004 01/23 21:36 編集

 地下鉄は楽しい。メタリックでアーバンである地下鉄は輸送手段に徹していて媚びないところがクールでもある。私は地下鉄が大好きだ。地下鉄のある都市に行けば必ず乗る。用がなくてもとにかく乗る。今までいろいろな国で乗った。香港ではなぜか下駄履きで乗った。肩を叩かれたので振り向くと、若い男が私の下半身を無言で指差している。見るとズボンのジッパーが全開していて恥ずかしい思いをした。ソウルではおじいさんに声を掛けられた。私が日本人だと分かると日本語で身の上話を始め、それが延々と続いて閉口した(今思い出したけど、何で地下鉄の便所内にコンドームの販売機があるとですか?)。ロンドンのチューブでは騒いでいるガキに注意したら、「asshole !」と言われた。ロサンゼルスの地下鉄には改札がない。無賃乗車していたら、たまたま検札に遭い、必死で英語の分からないふりをした。このように輝かしき栄光の地下鉄人生の王道を歩んできた私のことを、地下鉄の達人と呼んでくれても一向に差し支えない。そして世界中の地下鉄の中で唯一24時間運行なのがニューヨークである。いわば、地下鉄の中の地下鉄、キング・オブ・地下鉄といってよいだろう。地下鉄を制するものは世界を制す(ホントか?)。
 ニューヨークの地下鉄は何といっても殺伐としているところに趣がある。ホームには電話が何台も架設されている。これらは犯罪時の緊急用だろう。便所は犯罪防止のためにその多くが閉鎖されている。タイムズ・スクエアの駅なんかムッとアンモニアの臭いが鼻を突く場所もある。我慢できずに立ちションしている輩がいるらしい。車両は落書きされても消すことのできるニュータイプが日本から輸入され、名物だったジャクソン・ポロックのようなアクション・ペインティングは見ることができなくなったので残念だ。ニューヨークは人種のるつぼ(メルティング・ポット)ではなく、人種のサラダボウルだと言われて久しいが、ダウンタウンからアップタウン行きの地下鉄に乗ってみるとそれがよく分かる。ウォール・ストリートでは白人が多く、チャイナタウンのあるキャナル・ストリートに停まると中国系がどっと乗り込んでくる。ミッドタウンになると再び白人が多くなり、ハーレムに入ると黒人が多くなる。各人種が融合しているわけではなく、中国人街、韓国人街、イタリア人街、インド人街、ギリシャ人街等と住み分けができているのだ。そういえば夜、間違えて急行に乗ってしまい、慌てて降りた所がサウス・ブロンクスのサイプレスという駅だった。ホームには誰もいない。乗り換えるために地上に出ると、周りにあるビルというビルが焼けただれていた。あん時はビビったな。何しろ、火災保険をせしめるために放火する奴がいるらしいのだ。興味ある方は落合信彦の「アメリカの狂気と悲劇」をお読み下さい。 

http://amzn.asia/7gEH0wZ
 地下鉄は24時間営業とはいっても、夜の9時過ぎてから乗る人はめったにいまい。日中でも路線によってはホームに人がいなくなる駅もある。ホームには「Off Hour Waiting Area」が設けられていて、ラッシュ時以外はそこで電車を待つ。何てことはないのだが、ホームの中ほどにあって、乗客もそこに集まるから少しは安全だ。夜になると警官が乗車してくるので、乗客は彼等の乗っている車両に乗る。駅で乗客のほとんどが降りてしまい、警官もおらず2、3人だけが車両に残っている場合なんかとても緊張する。そんな時に限って、向かいに座っている男がじっとこちらを見つめているような気がする。私はおもむろにポケットからガムを取り出し、それをくちゃくちゃと噛みながら、俺は生っ粋のニューヨーカーなんだぜというポーズをとる。ついでに指の関節をポキポキと鳴らし、俺はカラテのブラックベルトだぜ、俺のパンチはピストルの弾丸より早いぜと威嚇(のつもり)をする。時おり軽くシャドーをしながら、最近ケンカしてねえなあ、体がうずいてしょうがねえぜという雰囲気を目一杯表現する。そいつが次の駅で降りてしまうと、どっと疲れる。我ながらバカみたいだ。もう何年も前のことになるけど、ある雑誌が地下鉄内で身の危険を感じた時の対処策は? というアンケートをニューヨークに住む女性にしたことがある。第一位は「鼻クソをほじって、アホのふりをする」(藤山寛美?)だった。これは効果があるかもしれん。
 犯罪が多発する地下鉄ではあるが、面白いのは何といっても乗客を観察することと、ストリートミュージシャンだ。ロック、ジャズ、ポップス、ダンス、毎日いろいろなパフォーマンスが楽しめる。黄昏どきに構内のどこからかサックスの音が聞こえてくると、ニューヨークだなあと思う。ある時、黒人女性が改札の前に座ってボンゴを叩き始めた。人が徐々に集まってくる。興が乗り、観客の黒人女性が手をひらひらさせて踊り、ヒスパニックの女が腰をくねらせて踊る。他の者はリズムを取り、手拍子をする。30分もの熱演が終わると、いっせいに拍手が起きた。駆け寄って抱きつく人もいた。そのあと電車に乗っていたら、黒人の男が乗り込んできた。小さな紙切れを口に当て、息を吹きかけて音を出している。メロディーはバットマンのテーマだ。でも、誰も「またか」というような顔をして見ようともしない。続いてコメディアンの物真似を披露したが...................し~ん。ううっ、寒い。寒すぎる。おひねりをもらおうと通路を回るが、もちろん無視されていた。思わず、「あほんだらっ! お客さまからゼニをいただこうと思うんやったら、芸を磨かんかいっ!」と桂春団次風に心の中で罵倒する私でした。
 地下鉄はどこまで行っても、何回乗り換えても同一料金だ。改札はトークンを入れ、ターンスタイルという金属のバーを押して入場する。そういえば、ビリー・ジョエルの「ニューヨーク物語」というアルバムは原題が「Turnstiles」だったな。ある日、いつものように地下鉄に乗ろうと、トークン売場に1ドルを出した。窓口のおばちゃんは「15セント足りないよ」と言う。なにいっ、市の職員までがボる気かっ、さすがニューヨークだ、とわけの分からん感心をして身構えると、おばちゃんは無言で背後の壁を指差した。壁に貼ってあるポスターには「地下鉄料金、本日から値上げ。1.15ドル」と書いてあった。 _

NO36 NYホテル編

at 2004 01/30 21:59 編集

デトロイト空港着。国内線のニューヨーク行きの便に乗り換えるため、入国審査の列に並ぶ。長い列はそれでも徐々に何事もなく捌かれていき、やっと私の順番になった。しかし、私の入国カードを見たウーピー・ゴールドバーグ似の審査官の目がキラリと光った(ように見えた)。ウーピーは失礼にも私を無遠慮に眺め回し、質問してきた。 「旅行は一人で?」「アメリカは初めて?」「ニューヨークを選んだ理由は?」 私は「○○の買い付けに」と答えてやろうかと思ったが、むずむずする口を押さえた。冗談でもそんなこと言ったら、奥の部屋に連れていかれかねん勢いだ。あげくの果てに日本人スッチーまで呼びつけて何か尋ねている。周りの乗客は私を不審そうに見ている。あの男、テ〇リストじゃないかしら、まー恐いわね、そういえば見るからに怪しそうよ、なんて思われたに違いない。恥ずかしいじゃねえか。もう乗ってやらねえぞ、ノー○・ウエス○! あっ、航空会社は関係なかったか。そこで解放されたけど、個人ツーリストは私だけだったかららしい。ほんとに、もー、いいかげんにしなさいっ! なんてことをわーわー言うてるうちに飛行機はクイーンズにあるラ・ガーディア空港に無事到着いたしました(落語家口調)。
 空港からケアリーバスに乗り、ポート・オーソリティへ。地下鉄でペン・ステーションまで行き、歩いてホテルに向かう。予約はしてなかったが、チェルシー・ホテルに泊まろうと思っていた。チェルシーは昔から作家やアーティストが根城にしてきたホテルだ。古くはO・ヘンリー、ディラン・トマス、トーマス・ウルフ、アーサー・ミラー等、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ジェファーソン・エアプレインも常連だった。パティ・スミスと写真家のロバート・メイプルソープも同棲していたし、シド・ヴィシャスが恋人のナンシーを刺殺して逮捕されたのもここだ。とにかく、そんなこんなでようやくたどり着いたホテルのフロントは言った。 「満室です」 があ~ん! こんな夜中からホテル探しか~い。チェルシーの向かいには YMCAがあったが、汚くて暗くて不気味なオーラを発している。こんな所に泊まったらモーホー野郎に犯されそうだ。う~ん、こんな時は繁華街に行けばなんとかなるだろう。東京だったら歌舞伎町、ニューヨークだったらタイムズ・スクエアだっ! てなわけでタクシーをとばし、安そうなホテルを片っ端から当たったがぜ~んぶ満室だ。うえ~ん、わしはトルコで猿岩石を探す室井滋かい(ふるっ!)。アジアだったらこんな苦労はせんでもいいのに。と裏通りを歩いているとびっくりした。シャッターを降ろした店先で白人女性が寝袋にくるまって一人で寝ているのだ。まあ、ここは人通りが少ないから安心かもね。ってそんな問題ちゃうやろっ! あんたもホテルが見つからんかったんかい。けど、ここはニューヨークのど真ん中やぞ。こんな所で寝てたらレイプされるぞ、ねーちゃん! (後にも先にもあんな大胆なバックパッカーを私は見たことがありまへん)
 それから2時間後、「NEWYORK INN」というきったねえ連れ込み旅館のようなホテルを見つけた。フロントのパキスタン人は「空室はあるよ」と言う。やれやれだ。でも値段を聞くと、「一晩100ドルだよ」。何でこんなホテルが100ドルもすんねん、足元見やがって。ボったくってんじゃねえぞ。 「年末料金でね。ボスの命令なんだ。さからったら首だよ。ほら、その証拠に」とパキスタンは宿泊リストを見せる。みんな確かに100ドル払っている。一応部屋を見せてもらい、一晩だけ泊まることにした。だけど、隣の部屋の奴らは騒いでいて声が筒抜けだし、床にはゴキブリも走っている。私は思わずトム・ハンクス主演の「ビッグ」という映画を思い出したね。主人公の少年はあることがきっかけで体だけ大人に成長してしまう。元の体に戻るためにニューヨークに一人で行くのだが、初めて泊まったホテルは汚くて物騒な所だ。部屋の外からは喧嘩の怒鳴り声が聞こえてくる。彼は恐くて心細くてベッドで身をよじりながら、めそめそと泣き出してしまうのだ(もちろん大人の姿のままで)。あの時に撮影で使ったホテルはここじゃねえのか、と思ったね。それでも野宿するよりはマシだけど。
 翌朝、ふん、こんなボロっちいわりにバカ高いホテルなんか二度と泊まるかよ、あたしを見くびるんじゃないよ、とばかりに憤然とチェックアウトし、ミッドタウンで宿探しをした。20軒近く当たったが、なんと一軒もなし。ぜ~んぶ断られた。仕方なく昨日のホテルに戻る。フロントにはまたパキスタン。 
 「まいっちゃったなあ。ニューヨーク中のホテルを探したけど、ぜんぶ満室だって」(ちょっとバツが悪い) 「今日は空室はあるかなあ~?」(低姿勢) 「どうかな、今調べてみるよ」とパキスタンはパソコンでチェック。思わず、「Have a heart(おねげえしますだ)」と泣きつく(情けねえ)。「もちろん僕はビッグなハートを持ってるさ」となぜかにやりと笑う。「え~っと、空いてるよ。一晩116ドル」 ぎえ~っ! 昨日より高くなっとるがな! 「今日は大晦日だからね。ボスが......」 「あー、分かった、分かった」
 結局、ニューヨーク滞在中はずっとそのホテルに泊まるはめになった。んでもって今回の教訓。「ニューヨークに行く時はなるべくホテルを予約してから行こう」(って、当たり前すぎて突っ込む気にもなれんわ!)

皆様への伝達事項
アメリカ旅行記は有名でドリアン長野がニューヨークに行った時は直行便はございませんでした。
ドリアン長野は平成10年代に半ば勢いだけで非常に乱雑かつ順不同な投稿をしてたことから整理整頓は絶対必要でした。そして、過去と違って現在gooブログでは3万文字の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。
ドリアン長野が平成16年に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、旅の定番アメリカ・ニューヨーク旅行記です。ドリアン長野は80年代にインドばかりかNYC(ニューヨーク市)にも行ったようです。ニューヨークから来たアメリカ人はニューヨークの事を「ヌーヨ~ク。」と発音しますね。
NYCの冬は天候不順が多いらしいから良い防寒着を日本国内にいる時に購入し着用するようにしましょう。バスターミナルに行くのが目的なのかそうではなく他の目的地に行くかについては人それぞれですが治安が悪い街は避けるようにしましょう。海外か日本かを問わずに地下鉄等の公共交通機関が利用出来ると安心です。自動車位しか利用出来ない町は交通事故が発生すると危険なのが理由です。海外でのレンタカーの利用ですが、妨害はしませんが推奨もしません。なぜならば、交通事故が発生する可能性が高いからです。昨今、NYCの地下鉄の料金や支払い方法は1980年代と比較して激変しました。その点についての詳細は各自で調べてください。下記は一例です。将来的には変更される恐れがございます。



ホテルの予約ですが日本にいる間に絶対に済ませておきましょう。万が一の事があるとよろしくないです。
ニューヨーク州とニュージャージー州が隣接してるのは有名です。日本から目的地への直行便が無い場合は乗り継ぎが不可避で日本から一旦ミシガン州デトロイト市に立ち寄ったそうです。入国審査は非情に厳しいですね。下部の画像は平成25年にドリアン長野が撮影した天王寺駅に近接してる阿倍野ハルカスです。



紹介した以下の動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
New York ニューヨーク~タイムズスクエア~


紹介した以下の動画はドリアン長野のご友人が撮影されました。
ドリアン長野  インタビュー

_

追伸 ドリアン長野は平成26年にもニューヨークに行って来た事を連想してました。管理人マーキュリーマーク

大晦日のニューヨーク 平成26年11月
2014/11/20(木)
もう何年も前のこと。大晦日のニューヨーク。夕方空港に到着。タクシーでマンハッタンに行き、チェルシーホテルに泊まろうとしたが、まさかの満室。それからホテルを片っ端から当たったが、どこも満室。おいおい、話し違うがなと思うが悪いのはわしやがな。ニューヨークはアジアとは勝手が違った。繁華街なら空いてるだろうとタイムズスクエアへ。足を棒のようにして歩き回るが、この辺りも満室だと軒並み断わられる。ほとほと疲れて裏通りを歩いていたら、うら若き白人女性が寝袋にくるまって歩道に寝ていた。アジアでは珍しくないが、深夜近くの身を切るような寒さのニューヨークである。やるなあ、と思いつつ私は寝袋を持ってないので、それから一時間ほどウロウロして、やっと汚ない貧民窟のようなホテルに泊まることができた。

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ドリアン長野の英国旅行記
2018-03-12 | Weblog


ドリアン長野の英国旅行記(ロンドン・コーリング)

NO42 ロンドン・コーリング

at 2004 03/19 22:25 編集

ある日、何気にNHKを観ていたら、普段はめったにNHKなんか観ないんですけどね。ロンドンのイースト・エンドの話をしてたんですよ。イースト・エンドは労働者の街でね、反対にウエスト・エンドは高級ブティックやレストランがある、おされな街なんですよね。ほら、ペット・ショップ・ボーイズの「ウエスト・エンド・ガールズ」って曲あったじゃないですか。あれはイースト・エンドに住む労働者階級の少年とウエスト・エンドの中産階級の少女の歌なんです。この時、あっ、イースト・エンドに行ってみたいって思ったんです。その時までヨーロッパには行ったことがなかったし、興味もなかったんですけど。それにロンドンといえば、僕にとってはパンクなんですよね。その時は1994年でした。ヒップ・ホップ、グランジ、ユーロ・ロックの時代です。カート・コヴァーンが自殺したのもその年だし。パンクなんてもう過去の遺物ですよ。でも、アメリカのパンクと言われるグランジの代表的バンドのリーダーがその年に亡くなったっていうのは、何だか象徴的ですね。ニューヨークで発祥したパンクがロンドンに渡って、十何年か後にその種子がシアトルでやっと発芽して全世界に広がったけど、一つの遺伝子が絶えた、みたいな。それでも、パンクスの一人や二人はヤンバルクイナやカブトガニみたいにひっそりと生息しているだろうと。天然記念物みたいに英国王室が保護してたりとか、そんなわけないか。それで、イースト・エンドとパンクスという学術的にも崇高な、ちょっと、ここは笑うとこじゃないですよ。まあ、淡い期待を抱いてですね、ロンドンに行ったわけです。
 ロンドンってとこは、もう京都ですね。ヨーロッパ中から来た観光客がわんさかと歩いてて。僕もフランスなまりの英語でよく道を聞かれました。ヴィクトリア駅なんかに行くと、若者だけじゃなく、中高年の一人旅や夫婦パッカーがうろうろしていました。日本のリーマンのみなさんもね、パチンコを控えたり、「村さ来」に行くのを三回から一回に減らしたりしてね、こつこつと小金を貯めて旅に出たらいいんじゃないかと思いましたね。見聞も広がって、人生楽しくなるんじゃないかと。まあ、よけいなお世話ですね。それに街中の空気がね、すごく穏やかなんですよ。大都市にありがちなギスギスした感じがない。人も穏やかな顔をしてるし。道を尋ねても誰もが親切に教えてくれるんです。おじいさんやおばあさんなんかね、僕の腕をつかんで離さんばかりに教えてくれる。だけど、ハイド・パークを歩きながら思ったんです。ロンドンには住めないなあって。僕の眼には物凄く退屈な街に映ったんです。実際に住んでみたら違うんでしょうけど。
肝心のイースト・エンドですけど、オールドゲイト駅付近にあるとは知ってましたから、そこで降りて人に聞いたんですが、誰も知らないって言うんですよ。仕方なくうろうろと探していたら道に迷っちゃって。そのうち、まっ、いいかって気持ちになっちゃって。もう一つの目的のパンクス探訪ですけど、やっぱりいないんですね。キングズ・ロード、オックスフォード・ストリート、カーナビー・ストリート、ピカデリー・サーカス、スローン・ストリート、カムデン・ロック・マーケットと歩き回ったんですが、見つかりませんでした。それじゃあ、どうしようかなと思ってね、大英博物館を観て帰るのも何だかなあ~でしょ? それでふっと思ったのが、そうだ、ブリクストンに行ってみよう! と。ジャマイカ移民とかのコミュニティーができてて、貧しい区域なんですよ。もちろん犯罪も多いし。クラッシュの「ブリクストンの銃」には、白人が作ったレゲエの中では最高傑作だと思うんですけど、自分たちのパンクのルーツであるレゲエに対して、もし、その敬愛するジャマイカ人たちが暴動を起こしたら、我々は制圧する側に立つのかという葛藤が歌われています。泊まっていたホテルの人からも、ブリクストンに行くならカメラはしまっておきなさい、充分気をつけるのよ、なんて言われたんで何だか期待してしまって。朝一番に地下鉄に乗って行ってみたんですよ。そしたら、アパート、あっちではフラットですか、そこから出勤する白人が出てきて。あれっ? 白人も住んでるの? って思ってね。こっちはニューヨークのサウス・ブロンクスみたいなところを想像してましたから。一体、何を期待してるんでしょうね? 僕は。(つづく)
NO43 続ロンドン・コーリング

at 2004 03/26 23:30 編集

とにかくブリクストンはそんなに荒廃しているとは思えなかった。少なくともアジアのいくつかの都市よりは遥かにマシです。一度だけ黒人に声を掛けられて。素振りを見ると、ああ、こいつは金をせびろうとしてるなと思ったんで無視しましたけど。そういえば、これはブリクストンじゃなくて普通の通りなんですが、歩いていると、物乞いしてるのは若者なんですね。働かなくても失業保険で何とか食べていけるので、無気力な若者が増えているような気がします。物乞いをして断られると、ある若者が「この街はどいつもこいつもファッカーばかりだぜ」と歌っていましたが、ファッカーはお前の方だ、と言いたくなりますね。
その夜はホテルが密集しているアールズ・コートのドミトリーに泊まりました。ここらあたりは何故かオーストラリア人が多いそうなんですが、僕はドミトリーに泊まるのは初めてだったんです。他人がいる空間ではくつろげないんで、今まで泊まったことはなかったんですよ。部屋に入ると、僕のベッドにヒッピーくずれみたいなカップルが寝ている。しかもニューエイジ・ミュージックをかけながら、抱き合ってるんです。一応、「ここ、僕のベッドだけど」と言うと、薄目を開けて、「ああ、そう」なんて言う。まあ、どこのベッドに寝ようが関係ないんですけど。だけど、延々とニューエイジを聴いてるんで、頭がおかしくなりそうで外に飛び出しました。その時、夜のソーホーに行ったんですけどね、キッチュというか、フェイクというか。ブライアン・イーノが化粧していた頃の初期のロキシー・ミュージックみたいな感じなんですよね。あるいは、ジョン・フォックスが在籍していた頃のウルトラ・ヴォックスみたいな、ファーストでメンバーがビニールのジャケット着てて、ネオンが煌めいてるイカしたアルバム・ジャケットがあるんですけど、そんな雰囲気なんですよね。映画でいえば、「ロッキー・ホラー・ショー」とか、フレディー・マーキュリーのもっこりタイツとかを連想しちゃうんですね。えっ?よく分からない? 歩いてみれば分かりますよ。ゲイリー・ニューマンの幻想アンドロイドですから。もっと古い例で言えば、パリスのビッグ・タウン2061ですかねえ。ますますわけ分からんですか。えっと、あと年末だったんで、トラファルガー・スクエアのカウントダウンにも行ったんですけどね、なんだかんだ言っても、イギリスはヨーロッパの中心だと思ったのはね、僕の分かる限りでも、スペイン人、ドイツ人、スウェーデン人、イタリア人、ポーランド人、フランス人、スイス人、あとインド人と中国人と日本人がいたことですね。ええ、4時間その広場をうろついてましたから。12時になったら、そばにいる女性にキスしてもいいことになってるんですけど、無理やり迫ってビンタ張られた男もいました。いい思い出です。いいえ! 僕じゃないですよ。違いますって! 失敬だな、君は! ともかくもですねえ、一番感心したのは、ロンドン郊外を歩いていて、信号のない車道を渡ろうとした時ですよ。車がビュンビュン通ってるんですけど、車道の一歩手前まで来たとたん、左右の車が一斉にピタッと停まりましたからねえ。大阪人、少しは見習って欲しいですねえ、正味の話。
だけど、パンクスに会いたいなんてのは今から考えると、まるで日本に来た外国人がサムライが見たいと言うのと同じ感覚ですね。ジミー・ペイジが来日公演で成田に降りたとたん、「サムライはどこだ?」って聞いたのを笑えません。次にロンドンに行く時は、羽織袴に雪駄を履いて行こうと思ってます。


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皆様への伝達事項


1990年代の英国旅行記です。年末のカウントダウンはお好きですか?
ドリアン長野は平成10年代に半ば勢いだけで非常に乱雑かつ順不同な投稿をしてたことから整理整頓は絶対必要でした。そして、過去と違って現在gooブログでは3万文字の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。テロ対策は過去よりも強化されてるようです。


皆さん、英国の首都、ロンドン旅行記です。前編と後編の両者を同時に発表します。過去は「こうであった。」という話は少し悲しみがあります。円と英ポンドの為替相場は変動相場制ですので詳細は各自でお調べ下さい。死去した音楽家は多く生前に残した記録は数多いから今も生存してるように感じられる人は多いに違いないです。多くの国から人がやってくる国際的な町、ロンドン。よき町のようです。全く逆に英国人は英国を出国し私が行ってきたカナダにも移住してます。70年代と変わらないと考えてロンドンに行ったら大違いであったようです。発表されてるのは2種類のみで実際にドリアン長野が90年代のように再びロンドンに行ったかどうかは不明です。


紹介した二種類の動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

ひとり旅 イギリス ロンドン 地下鉄ピカデリー線 アールズコート Earl's Court Piccadilly Line


London Vacation Travel Guide | Expedia

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#86

2024-04-26 | 日記
ドリアン長野のタイランド旅行記
2018-03-12 | Weblog


概略

オリエンタル・ホテル

一応は、第一話です。皆さん、置時計は日本国内で普通に買いましょう。

テーメー・カフェ

海外の喫茶店に行きましたか?

カトゥーイ
パリンヤーさんのお話も含まれてるタイランド旅行記です。

バンコクのディスコ
海外の危険地帯は存在する。バーガーキングは良くてもなぁ。

クロントゥーイ市場
海外の食品市場に赴かれた事はございますか?

スワニー
「ジュライロータリー(7月22日ロータリー)。」という言葉を始めて知った時は驚きました。

バンコクの魅力
バンコクに限っては、のんびり出来るようです。

大都会バンコク
成田空港の時と同じような出来事がタイランドでも発生していたようです。

カオサンの大晦日
日本とタイランドとの時差は二時間で日本の正午はタイランドの午前10時。

夏が来れば思いだす 
ドリアン長野が結婚した後で行ったバンコク(タイの首都)の旅行記で実質的な最終話です。


ドリアン長野のタイランド旅行記
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NO1 オリエンタル・ホテル

オリエンタル・ホテルに泊まった。あの世界一という栄誉を冠せられるオリエンタルである。私がカオサンでよく泊まっていたサイアム・オリエンタルじゃないぞ。シャングリラもペニンシュラもリージェントも頭が高い! ひかえおろ~う! 正真正銘、一番安い部屋でも310米ドルもするビンボー人には絶対泊れん、あのオリエンタルじゃい! ハァ、ハァ、ハァ。(肩で息をする音)同行の友人(アジア旅行は初めて)が宿泊代を出してくれるというのだから私に異存はない。これは泊まらないわけにはいくまい。いや、泊まりたい。是非泊まらせてくれ、お願いだ。オリエンタルにはスイカジュースを飲みに行ったことがあるが、まずくて冷えてないわりに200バーツもしたぞ。どうなってんだ? ちなみに私がバンコクで一番好きなホテルは知る人はよく知ってる、あのグレース・ホテルだ。この前、昼過ぎにチェックインしようとしたら満室だからと断られた。フロントのおばちゃんに近くにもっと安いホテルがあるからそこへ行けといわれたが、ここがいいと駄々をこねたらパスポートを預かっとく、6時頃もう一度来いやと言われ、やっと泊まることができた。その際、押し合いへし合いするフロントに割り込もうとしたアラブ人にフロントのおねいさんが 「みんな順番守ってんだからちゃんと並んで待ってなさい!」 とものすごい剣幕で怒鳴っていた。幼稚園児のようなアラブ人もアラブ人だが、客にそこまでいうか、ふつう。とにかくこのホテルはあやしい。アラブ人のおっさんがタイの少年二人をつれて部屋に入っていくのを見たことがあるし、隣の部屋から苦しそうなあえぎ声が聞こえてきたこともある。(何してんだ?)ロビーには売春婦とアラブ人が、てめえらここのソファーで夜をあかしてんだろ、と思うほどいつでもたむろしている。一階の卓球台では黒人がいつも卓球やってるし。(まっ、健全)ここにはディスコが二つあるが、一階のディスコは中近東風の音楽でみんな踊りまくっている。いっぺんだけ行ってみたことがあるが、ついていけん。あのリズムでどうやって踊ればいいんじゃ~い。それに比べて地下にあるディスコはまともだ。(まともか?)毎晩(たぶん)、売春婦をつれて朝の二時まで踊り狂うアラブ人。熱い、熱すぎるぞ。マーブンクロンで黒のアメリカンスーツ(笑)を買った時なんざあ、ホテルの近くのアラブ人街をうろつき、見せつけてやった。我ながらアホやぁ~っ、ワシって。その時、黒人の二人連れが近づいてきて 「おれたちアフリカの○○○○出身(国の名前は忘れた)なんだけど今度、日本で働きたいんだ」 と言うのだ。あわてて「こっ、これから友だちに会いに行かなきゃならないし、明日は朝一番の便で日本に帰らなくちゃならなくて時間がなくて」 とかいって逃げてきた。そんなことはどうでもいいのだが、オリエンタルにチェックインした時は私もようやくゲスト.ハウスからここまで登りつめたのだと感慨深いものがあった。(人の金だけど)                
さすがオリエンタル、部屋もさることながらホスピタリティつうのか、一人一人の客の顔と名前を覚えてくれて至れり尽せりのサービスである。そんでもって立食形式のレセプションパーティーに招待されたのだが、そこにいた女子大生の二人連れ! 聞くと、バンコク滞在中の4日間はず~っとオリエンタルに泊まるとぬかすではないかっ! タイは初めてだからオリエンタルだと安心だと思ったからだとぉっ! ワシでさえ一泊なのに。(人の金で)学生やったら、安宿に泊まらんかいっ! とぶっちしたんだけど(内心ね)、気をとり直してその夜はオカマショーの「マンボ」に行くことになった。ショーがはねたあと、せっかくオリエンタルに宿泊してるんだからと出演者をホテルの部屋に招待することにした。そのむねを小太りのマネージャーに伝えると、 「オリエンタルはドレスコードが厳しいから入れてもらえないかもしれませんよ」 というではないか。出演者のカマー(オカマのことね)も 「あら~ん、あんな高級ホテル、大丈夫なの? あなた保証する?」 などという。どうにかなるだろっと九人のカマーを三台のタクシーに押し込み、ホテルに向かった。結果はホテル・マネージャーに頼みこんで、部屋は駄目だがガーデンならいいということになった。ホテルが氷やグラスを用意してくれてわれわれは宴会を始めたのだが、いや~さすが世界一のホテルといわれるだけのことはある。さすが鷹揚やね。チャオプラヤー川の夜風に吹かれながらの宴会は最高でしたっす! とここまではよかったんだけど、実は大きな声じゃあいえないけどさ、部屋にあったセイコーの置き時計をカバンに入れて持って帰ったのよね。チェックアウトの時になんにも言われなかったから、しめしめって感じで。ところが一か月後にホテルから請求書がきた。時計が紛失していたのでクレジットカードからその代金を引き落とさせていただきますってな。それがなんで2000バーツになるんじゃい! 何の変哲もないただのちっこい時計やないかい! 世界一にしてはせこくないか! もしかしたらボッてるんちゃうんかい、オリエンタル! ふざけんじゃね~! って悪いのはオレか。よい子のみんなはお持ち帰りはスリッパか歯磨きセットまでにしときましょうね。(泣)

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NO2 テーメー・カフェ

2001年の1月、ソイ・カウボーイに行こうと友人とスクンビットを歩いていたら、怪しいネオンサインに縁取られた看板が目に入った。その看板に書かれていた文字を読んで私は思わず息を飲んだのであった。「テーメー・コーヒーハウス」 思えばこれがテーメーに集う怪しくもしたたかな人々と私とのハートウオーミングな交流の始まりであった(嘘)。ここがテーメーかぁ~。私がその名を知ったのはクーロン黒沢氏の「バンコク電脳地獄マーケット」という本だ。その名も世界最強の援交カフェ。ジャングルの奥地でアンコールワットを発見した時のフランス人探検家の心境もかくやであったであろう。地下へと降りる私の心拍数は200ぐらいになっていた。この扉の向こうにはいかなる世界が待っているのか。めくるめく、快楽のバビロンか、はたまた魑魅魍魎の棲むブラックホールか。神様、私をお助けください。お母さん、先立つ不孝をお許しくださいっ。ええいっ、ままよっ、ぱぱよっ。 ............店内は薄暗く、楕円形のカウンターを取り巻くようにボックス席があり異様とも思える男女がゴキブリのように密集している。私の頭の中にはワイドショーでお馴染みの「24時間潜入ルポ、私は見た! バンコクの黒い援交カフェの実態!!」という言葉が浮かんだ。店内の人たちの刺すような視線が痛い。これって場違いってことじゃあ......。バカヤロー、ふざけんな~、べらんめ~、こちとら江戸っ子で~い(嘘)。矢でも原爆でも持ってきやがれってんだい。.....という言葉とは裏腹に店内を一周した私たちは異様な雰囲気に恐れをなし、そそくさとテーメーをあとにしたのであった。しかし、気になる。ここで引き下がってはジャーナリストとしての使命は果たせん。(誰がっ?!)私たちは再び潜入を試みた。暗い店内を今度はゆっくりと観察するように歩く。女はタイ人かアラブ人、男は白人と日本人らしき人がちらほら.....。ピーター・バラカン似の男と目が合い、その男が話しかけてきた。「僕はアメリカ人だけど、韓国で働いてて、休暇になるとここに遊びに来るんだ。ところで、彼女のカメラ危ないよ」と友人を指差す。彼女は首からカメラをぶら下げていたのだった。「この前、店内で写真を写したヤツが袋だたきになったからね」なっ、なんだあ~? 刺すような視線はそのせいか。そういやあ、その昔、西成暴動の写真を撮ってたらいつのまにか100人くらいの労働者に囲まれ、殺されるかと思ったもんなぁ~、と往事を偲びつつ(偲ぶなよ)、再びテーメーをあとにしたのだった。
半年後、私は別の友人とテーメーにいた。人生はどこで何が起きるか分からんもんである。っていうか、常夜灯に群がる蛾のように怪しい人間は怪しい場所を好むもんである。あいかわらず満員電車なみのゴキブリの群れだ。カウンターに座ると、ぬらりひょんのようにどこからともなくウエイターが現われたので、50バーツで飲み物を注文する。一旦、注文すれば朝までねばってもノー・プロブレム。援交相手に何時間くっちゃべっててもOKだ。これってマニアにはめちゃくちゃおいしいんじゃないのかしら、オホホ(私にはよく分からんが)。
その時、友人(34歳。離婚2か月目)がすくっと立ち上がってこう言ったのである。「私、客がつくかどうか試してみるわ」。 (続く)

NO3 続テーメー・カフェ
<前回までのあらすじ>
天使の街、バンコク。ここに世界最強のコーヒー・ショップがあると聞いた「私」は現地に赴いた。そこであやうく生命の危機にさらされたが、すんでの所で窮地を脱する。臥薪嘗胆で知力、体力を充電した「私」は再びバンコクへ飛ぶ。果たして「テーメー」の黒い野望を阻止し、打ち砕くことができるのであろうか。雌雄を争う戦いが今まさに始まろうとしていた......。
「私、客がつくかどうか試してみるわ」こう言うと彼女はボックス席に移った。一人になると隣のおばちゃんが話しかけてきた。ふくよか、というよりも太った近所のおばちゃんという感じだ。名前を教えられたが覚えてないので風貌を思い出し、麻原彰子とする。「イサーンからバンコクに出てきて家族6人、アパートのせっまい部屋に住んでるんだよ。ビンボーは嫌だね。仕事は楽じゃないし。あたしも43だからね、もうおばあさんだよ」と彰子さんは切々と訴えるのである。そうか、肉体労働はきついだろう、っていう前に出動要請があるのか? おばちゃん。ボックス席の友人を見ると、すでに白人となにやら話しこんでいる。ここは入れ食い状態なのか? 何を話してるのか気になるぞ。こっちはこっちで入れ代わり立ち代わりタイ人が話しかけてくる。彰子さんが言うには、みんなイサーン出身の仲間なんだそうだ。(調子にのってマーブンクロンで作った名刺をばらまいたが、大丈夫か? )その中の一人は「私はいろんな人と話すのが好きだし、英語も勉強できるからテーメーに来てるの」と遠い目をして言った。(そっ、そうなのか? よく知らんがそれは違うと思うぞ。ひょっとしてエイ○に脳が犯されているのか?)そのうち、友人がもどってきた。「あの人、イギリス人なんだって。なんだかインテリっぽくてさ、この国の教育問題とかを熱く語ってきてん」 何い~っ、教育問題だとぉ~。そんな話ならタマサート大学でも行って、学生とでもしやがれっ。偽善者め。ここは黒いテーメーやぞっ。テーメーにインテリなんぞ、時間厳守のタイ人やお金に淡白なインド人やプレイボーイのラオス人と同じくらいおらんのじゃー!(偏見か? しかし頼むからワシの思い入れを壊さんでくれ~い。テーメーはいつまでも黒いテーメーであって欲しいんじゃ~い)
「あんた、どこのホテルに泊まってんだい?」いきなり彰子さんが聞いてきた。「あの....グレースですけど.....」 「部屋でマッサージしてあげるよ。ルームナンバーは?」 「いっ、いや、今日は友だちも一緒だし、あっ、そうだ、明日もう一度来るから、その時に.....」 「それじゃあ、待ってるよ」 すまん、おばちゃん。我々は明日の昼過ぎの便で帰国してしまうのだ。いくら待ってても来ないぞ。私は心の中でおばちゃんに手を合わせた。今度バンコクに来た時はテーメーに寄らせてもらうぞ。マッサージは受けないけどな。おばちゃんをよく見ると、慈母のごとく見えんでもない。その長い人生にはつらい出来事もたくさんあっただろう。我々は二人がかりでおばちゃんの肩を揉んでやった。誰かテーメーに行ったら、彰子おばちゃんの肩でもマッサージしてやってくれ。喜ぶぞ。マッサージを受けたら、もっと喜ぶと思うけどな。

#7 テーメーその2
 予算の都合で、いつも泊まる「グレース・ホテル」ではなく、近くにあるソイ1の「ストリート1・ロッジ」に泊まった。それでもツインで550バーツだ。私の感覚では500バーツを超えると立派な高級ホテルだ。しばし、宿泊するかどうか迷う。それでもここはレセプションの兄ちゃんの愛想がいいのでお薦めだ。ホテルに戻ってきた時、「あけましておめでとうございます」と言われた。日本人の宿泊客に教わったらしい。「地球の歩き方」に載っているので日本人が多いらしい。まっ、私もそれを読んで泊まったんだけど。
ホテルの近くの歩道橋のたもとにゴミ捨て場があるんだけど、その隣にホームレスが座って、物乞いをしてるわけさ。もう、よく見ないとゴミだか人だか分からないって感じ。そこへアラブ人のオジさんが通りがかりに「ライス、ライス」と言いながら、紙袋を置いていった。私はちょっと感動したね。いいことをしてやる、って態度じゃなくて、ごく自然な感じだったもんね。なるほどっ、それがイスラム教のいう、喜捨ってやつだなっ!アラブ人にもいい人はいるんだなとシミジミ.....。言っとくけどな、これって偏見ちゃうぞ。グレースにいるアラブ人を見てると、みんな悪人に見えてくるんじゃ~い。(顔も暑苦しいしな) それが偏見だと言われると返す言葉もないがな。とにかく心暖まる、いい話しだ。うん、うん.....。って、今回はそういう話じゃな~いっ! 性懲りもなく、テーメーネタ第二弾だっ! 全然、心暖まらないぞ。当たり前だがな。
テーメーに入ると、私は空いている席を探してカウンターに座った。横を見ると、黒ずくめのおばあさんが座っている(注:バンコクでは、その方面の職業婦人の方の服装は黒です)。
う~ん、この人はまさか.....。いぶかし気に見ていると、彼女が話しかけてきた。 「あんた、どこから来たんだい?」 「日本です」 「日本人かい。それなら、ほら、あそこに座っているスズキはもう何年も前からずっと、ここに通っているよ」 
我々のななめ後ろのソファーには、何人もの娼婦を侍らせた、スズキと呼ばれた男が座っていた。常連か。スズキ、エイズで死ぬなよ。 
「あたしはスージーだ」 すっ、すうじい~? 「客はとらないよ。客のくれるチップで生活してるのさ」 なるほど、納得。で、失礼ながらお年を聞いてみたが、「あんた、そんなこと、こんな場所で聞くもんじゃないよ」と一蹴されてしまった。すんまそん。だが、おそらく70代であろう。スージーはテーメーの最長老であり、娼婦からはママと慕われ、頼りにされるボス的存在であった。スージー、あんたに出会えて光栄だ。私は思わず名刺を渡してしまったくらいだ。スージーは顔見知りの白人がやって来ると急いで駆け寄り、話しかけたり、ビールの注文を取ってきたりしていた。酔っぱらって大声でしゃべる客の相手もしていた。スージー、生きていくってのは大変だなぁ。やがて、女の子が隣に座り、笑いかけてきた。  
「私、クンっていうの。アユタヤから来たの」 すかさずスージーが口を挟む。 「その娘はグッドだよ。ベリー・グッドだ」 あんたは商品の売り込みまですんのか? これ以上、長居しているとむりやり売りつけられそうだったので、そそくさと退散した。それにしても、私もいつかスズキみたいに言われてみたいもんだ。 「あの日本人、常連だよ。テーメーじゃあ、知らない者はいないね。初めて会ったのはあたしが70の頃だったね」ってな。それまでスージー、長生きしろよっ。なんだかんだ言っても結局、最後は心暖まる話になっちゃったな。(なわけねーだろっ!) 

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#4 カトゥーイ

 私はカトゥーイが好きである。とはいっても女よりも男に性的興味があるという意味ではない。中島らもが額に「犬」と入れ墨を彫ったり、鼻に安全ピンをぶらさげたパンクスは「俺、もう後戻りできんもんね。もうどうなっちゃってもいいもんね」というある種の社会性を放棄した意志を表明している、という意味のことを書いていた。カトゥーイも性転換なんかしちゃったら後戻りできんのである。いや性転換なんかしなくてもカマーとして生きていくにはいくらカマーに寛大なタイ社会でもそれなりの気苦労や不便さがなくはないとはいえないこともないかもしれんような気がしないでもない。私はその、人生は私が主役だもんね、欲望には結局勝てないんだもんね、みたいな気持ちが好きなんである。オカマ・ボクサーのパリンヤーも結構、強かったのに性転換手術をして引退してしまった。私はパリちゃんのファンだったのに。日本に来て試合をした時、試合終了後にパリちゃんが対戦相手にチュー(死語?)をした。それを見て私はファンになったのだ。パリちゃんの勇姿をテレビや「格闘技通信」で見られなくなったのは悲しい。そういえば、友人のカトゥーイのレックは元ムエタイ・ボクサーだった。シャープな顔だちの美人だが、時々眉間にしわを寄せて男になる。ボクサーからカトゥーイへの転身ってのはあんまり多くないと思う。たとえてみれば、力士がオカマになったようなもんか?(やっぱり違うか)レックも対戦相手に胸をときめかせたりしたんだろうか。でも、「マンボ」のコミック・ショーのカマー(外見はまるっきり男)は「僕の彼女は日本人の女の子なの」って言ってたなあ。「男と女、どっち好き?」って聞いたら、「どっちも」としゃらっと答えた。きさま、バイセクシャルだったんか~い。というわけで人間の嗜好なんてえのはよく分かりません。
街を歩いていてきれいな女の人に出会ったとする。その時、私の感情に芽生えるのは「うらやましい」である。ああ、私もあんなきれいな顔になりたいな~、なんて思うのである。(いっとくけど私はゲイではない)男にちやほやされて手玉にとってみたいと思う。(ゲイじゃないぞ)ゲイソン・プラザの近くにあるドラッグストアの「ブーツ」でイミディーンを買ったら(ちなみにイミディーンっていうのは肌の老化をおさえる薬だ。だからといってゲイとはちがうぞ)、白衣が似合う男の店員がとてもかわいかった。彼にもらった住所録をいまだに愛用しているくらいだ。(しつこいけどちがうぞ)バンコクに行くたびにその店を訪れるがいつも彼はいないので寂しい。(だからちがうって)レックにもらったミス・コン(カマ・コン?)の時の彼の写真も私の宝物だ。ああ、もう2時だわ。ダブで洗顔して早く寝なくっちゃ。睡眠不足はお肌の大敵だものね。
パリンヤーのドキュメンタリーがハリウッド映画になるそうだ。タイ人がハリウッド映画の主役に抜擢されるのは初めてらしい。私はもちろん観に行くぞ。パリちゃんの勇姿が映画で観られるなんて今から楽しみだわ????

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#6 バンコクのディスコ

 パッポン通りにある、チョー有名なディスコ「○シファー」に行った。ええ、踊りましたとも。全てを忘れて踊り狂いました。気が付いたら、2時間ぶっ続けで踊っていた。時々、白人や黒人や日本人観光客がダンスを教えてくれと進み出てきたけど、スタミナもリズム感もないから話にならないね。黒人に踊りを誉められたことが私の唯一の自慢だ。次の日は二人のタイ人大学生を引き連れて踊りに行ったが、彼らは恥ずかしがって観ているだけだ。2時間も退屈だっただろ う。誘って悪かったのぉ。ホテルに帰るのが朝の3時。寝るのは4時だ。毎日フラフラになってるのに踊り始めると身体がシャッキとするのって、これって異常 じゃないかぁ~? でもダンシング・ハイってお金がかからないから、まっいいか。そうだろっ、「VSゲストハウス」のみんな!(注)
3日目はカトゥーイのレックとトミーを誘ったが、入口で店員が「会員じゃないと入れませんよ」とぬかしよった。嘘にきまっとろーが。オカマが入店したら 風紀が乱れるってかい。特にレック(小さい、という意味です)は名前のわりにはガタイがいいから、見た目ですぐにオカマってわかるけどな、乱れてんのはてめえの顔のほうじゃい! オカマを差別するんじゃねーっ。でも2人とも怒ったり、落胆した素振りはなかった。きっとこんな事には慣れっこになってるのね。(シクシク)
シーロム通り、ソイ4の「TAPAS」に行ってみたのだが、閑散としている。ギャラリーが少ないと、踊ってても張り合いがない。私は自分の踊りを誰かに 賞賛してもらいたい。(我ながら、オレってやつは....)トミーが言った。 「私の知り合いがお店をやってるから、そこに行きましょう」 
そして連れていかれたのがソイ2にある「YOUR PLACE」だった。ここはフロアから3階の吹き抜けの通路まで人でビッシリ、上から見ると、踊ってるというより、死体に群がる蛆虫がうごめいているとしか見えん。なによりもここは90パーセント以上が男、もしくは男たちのカップルで占められ、スキンへッズに皮のパンツにリストバンドという典型的なそれ系白人どもが便所でディープ・キスをしているという、ハード・ゲイからタイ人のソフト・ゲイ(?)までが集う、天下無敵のゲイ・ディスコだ~~っ! お立ち台の連中、所せましとフロアから通路まで踊り狂うゲイども、私の真後ろで椅子にのぼって半裸で肉体を誇示しているやつ、どいつもこいつも恍惚の表情をしている。はっきり言って私はうれしいぞ。踊りは熱狂的じゃないとな。みんな、明日の憂いは忘れて今夜は踊りあかそうぜいっ! ○イズなんかに負けるなー!
.......... 気が付くとまたもや2時になっていた。誰もが自分の踊りに熱中していて私には注目してくれなかったのが残念だったがな。いつの間にかレックとトミーがいなくなってしまった。外に出ると、ディスコの向かいにガラス張りのコーヒーショップがある。そこから10人くらいのモーホー野郎が横一列に座ってディスコから出てくる男を欲望に満ちた目で物色しているという香ばしい風景だ。ソイの入口で2人を探していると、左ななめ45度に熱い視線を感じた。見ると、パンク・ヘアーを金髪に染めたジャニーズ系の男の子が私を見つめ、ウインクまでしてきた。(もっ、もしかして.....)その男は近づいてきて言った。 「何してるの?」 「友だちを待ってるんだけど.....」(レックとトミー、どこ行ったんだ、早く戻ってきてくれ~!) 「あなた、ゲイ?」 「違う、違い ます! 私はゲイではありませんっ!」 そいつは一呼吸おいた後、こう言った。 「あなたのこと好きよ」 どひぇ~~っ!! 初対面の男に、しかも会ってから1分以内にそんなことを言われたのは生まれて始めてじゃいっ! 「もし友だちが見つからなかったら、そこのバーガーキングにいるから今晩つきあって」 つっ、つきあうって一体なにをなにしてどうしてどういう意味で.....。(もはやパニック状態)
私は友だちを探すふりしてタクシーを拾って逃げた。(バンコクでは何だかいろんな事から逃げてるなぁ)でも、でも今でもあの男の子のことを考えるたびに 残念な気持ちがするのは、なぜぇ~っ?!
注 「VSゲストハウス」はカオサンにある、ヤク中が集まる安宿として有名。宿泊客の8割以上はヤクが目当てだといっても過言ではなかろう。頻繁に警察の手入れがある。

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#8 クロントゥーイ市場 【バンコク】

 私は市場やスーパーやコンビニやデパートに行くのが好きだ。行って何をするのかというと、生鮮食品や加工品や日用品を見るのである。見るだけで楽しいので、買い物はあまりしない。日本人が集まる「伊勢丹」や「フジ・スーパー」もいいが、私のお気に入りはスクンビット、ソイ5にある「フードランド」(ここにはカウンター方式のダイナーがあるが、午前2時、3時でもアラブ人や白人や黒人がメシを食っている。余計なお世話だが、体に悪いぞっ、とひとこと言いたくなる)、シーロム通りとラーマ4世通りの交差点にある「ロビンソン」、チャクラポン通りの「タンフアセン・デパート」やその近くのワット・チャナソンクラムというお寺の向かいにある小さなコンビニ(店員は二人か三人の若い女性。いつもおしゃべりしている。あまりやる気なし)等だ。
バンコク市内には多くの市場がある。中華街のサンペーンレーンやアラブ人、インド人、黒人が多いプラトゥーナーム市場、インド人街のパフラット市場(ここにあるハンバーガーショップに入り、椅子に座ったら店員がヒンズー語のメニューを持ってきた。どうせ私はインド人並みに顔が濃いわよっ!キィーッ!)なんかが有名なのだが、私が一番好きでバンコク滞在中は必ず行くのがクロントゥーイ市場だ。
この市場の周辺にはバンコク最大のスラムがあり、そこを通って市場に足を踏み入れると、初めて訪れた人は気分が悪くなるに違いない。なにせ、生臭さと汚物のにおいが入り混じっているし、鶏や魚の内臓が山と捨てられてるし、道はそういった汚物と泥とでぐちゃぐちゃになってるし、かつ、ゴミがあちこちに散乱しているからだ。神経質な人は行かんほうがいいだろう。ここには鶏や豚の頭や足や内臓、野菜、果物、魚、カエル、なまず、カブトガニ、虫等、いろんな物が売られているが、私がこの市場に来るのはニワトリの屠殺を見るためだ。まず、ニワトリを釜で焚いた熱湯に放り込んで殺してから、分離器にかけて羽をむしり取る。それを半裸になった男たちが次々と包丁で解体していくのだ。私にとっては興味深い光景で、何時間見ていても飽きない。熱気と悪臭が充満するその解体場の傍らには市場の子供だろう、5歳くらいの女の子がすやすやと寝ているのだが、人間はどんな環境にも順応するんだなあと妙に納得する。
話は唐突に変わるが、モンゴルの遊牧民の生活をテレビで観たことがあった。ご承知のように、彼らにとって羊はなくてはならぬものである。何歳かになると、羊の解体を覚えなければならない。馬に乗ることと羊を捌くことができないとモンゴルでは生きていけないのだ。何人かの子供が羊を持った大人の周りを取り囲む。大人は神に祈りを捧げ、羊が苦しまないようにナイフで頸動脈を一気に掻き、大地に血を一滴も流さぬように捌いてゆく。子供たちは真剣な面持ちで眺めていて、私も神聖な儀式を観ているような気持ちになったな。で、思うんだが先進国では肉も魚も切り身になってスーパーで売られとるが、元の形を実際に見る機会は金輪際ない。うんこでも出した形状を観察すれば、それが今朝食べたものか前の晩に食べたもんかくらいは判別できるだろう。うんこなおもちて往生をとぐ、いわんや切り身をや。自分でも言ってることが全く分からんが、口にする動物の解体現場も観たことがないから食べ物を粗末にするんだっ! と私は言いたいのだ。反省しろっ、先進国の人間どもっ! なんてね、当のタイ人が食べ物を粗末にするんだもん。もう、ちょっと満腹になれば残す、残す。そんなもんすね、う~、脱力。
おまけにクロントゥーイ市場の脇に流れとる川は解体処理の水を汚物と一緒にそのまま流すもんだから、はっきり言ってヘドロ。川底からはブクブクとメタンガスが発生しとるよ。飛び込んだりしちゃったら即死だね、きっと。その上にプラスチックの弁当箱やビニール袋を平気で捨てるもんだから、環境保護団体なんかが見たら卒倒しちゃうね。地球に優しくないタイ人。でも私なんかそれを見たら何だか安心しちゃうんだけど、なぜだ?
でも、行ってみて損はしないと思うよ、クロントゥーイ市場。旅行代理店の人、ワット・ポーの寝釈迦像や水上マーケットもいいけど、ここもツアーに組み込んでみたらどうすかねえ。

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#9 スワニー

君はスワニーを知っているか? もちろん、知っておろう。チャイナタウンにある、なぜか日本人パッカーに人気があって140バーツで泊れるが麻薬及び娼婦関係等のトラブルが多いので日本大使館の悩みの種の楽宮ホテルの一階にある日本料理が食べられる安食堂の北京飯店のことだ。なぜスワニーというかというと、切り盛りしているのがスワニーという女主人だからなのだ。そうだったらそうなのだ。なぜ日本料理なのに北京飯店なのかは、永遠の謎だ。
私はチャイナタウンに行くたびに楽宮ホテルを探すのだが、なぜかいまだに見つけたことがない。公園を中心にして、7月22日ロータリーが6本の道となって放射線状に伸びているのだが、歩いているとこれも安宿である台北旅社にいつも行き着いてしまうのだ。もう一つの伝説のジュライ・ホテルは私がチャイナタウンに足を踏み入れた頃は閉鎖していたと思う。楽宮を一躍有名にした、谷恒生の「バンコク楽宮ホテル」は日本では絶版になっていて、私はバンコクの紀伊国屋書店で買った。文庫本が314バーツもしたので、買う時に迷ったぞ。バンコクの物価を考えると3日は食えるもんな。北京飯店のことはいろいろな本に書かれていて、私はスワニーさんに会って、カツ丼や焼そばを食ってみたい! と長らく熱望していたのだ。なにもバンコクまで行ってカツ丼食うこたあねえだろうとは思うが、それはほれ、気は心ってやつよ。(意味不明)
ロータリー付近に行くといつも方向感覚が無くなって、記憶が途切れたような気がするのは、毎晩立っている娼婦の怨念か、ビンボー旅行者の呻吟する霊のせいに違いない。これは腰をすえてかからねばならない。というわけで、ファランポーン駅前のクルンカセム・シークルン・ホテル(京華大旅社)に泊まることにした。
このホテルは名前は厳めしいが、一泊500バーツの中級ホテルだ。部屋は清潔で、何よりも駅まで3分で行けるのが嬉しい。駅はチケットがなくてもホームには自由に出入りできるので、夜になると長い長いホームを虫の鳴き声を聞きながらうろついたり、かまぼこ型の高い天井を見上げながらベンチに寝転んだりするのは気分がいい。
ホテルの裏の通りには「旅社」とだけ書かれた看板が掛かっている、怪しい館がいくつかある。二階へ続く木造の階段の入口にはおねいさんがたむろしていて、前を通ると獲物を狙う猛獣のような眼でじろじろ見られたり、時には声をかけられたりするというナイスな環境だ。ラーマ4世通りを左に折れると、そこはもう、暑いバンコクの中でもさらに暑苦しいチャイナタウンだ。
フカヒレスープやツバメの巣が安いので、私はここに来るたび、ここぞとばかりにガツガツと意地汚くむさぼり喰う。ヤワラー通りにあるホワイト・オーキッド・ホテルの前にはうなぎの寝床のようなラーメン屋があるのだが、ここの麺がうまい! クイッティオ(米麺)やバーミー(小麦粉麺)はコシがあるし、ルークチン(魚のつみれ)はコクがある。いつ行っても人でいっぱいだ。私なんか朝から3杯も喰っちゃったもんね。えっと、何の話だったっけ? そうだ、スワニーだ。その日の夕方、私は地図をぐっと睨み、ロータリーの右から2本目の通りに入って行った。少し歩くと、あれはまさしく北京飯店だ。やっと見つけたぞ。食堂に入ると客はおらず、女の人が一人でメシを喰っていた。空腹ではなかったので、お粥を注文した。食べながら聞いてみる。 「あの、スワニーさんは?.....」 「はい、わたしです」 
そうか、あなたがあのスワニーか。私は本を読んで想像を膨らませていたので、やせこけて、引っ詰め髪でこめかみに梅干しを絆創膏で張り付けたようなおばちゃんだと思っていたのだ。(今どき、そんなおばちゃん、いるかーっ。しかもバンコクに)
スワニーはにこやかで、美人といっても決して過言ではないような(微妙な言い方やな)人だった。私は街で、テレビに出ている有名人に出会うことよりも嬉しかった。たとえば、V6の森田剛に会うことよりも、嬉しい.....と思う。
彼女は「あさりの味噌汁飲む?」と聞いてきた。必ず客にあさりの味噌汁か冬瓜のスープを薦めるようだ。これも本で読んだ通りだぜ。お粥も味噌汁もとてもうまかった。最後に食べた焼そばはちょっと塩辛かったけどな。(食べ過ぎやっ!)
メニューに書いてある「豚丼」というのは、カツ丼のことだろーか? 今度来た時に試してみよう。自分が少食なのが悔やまれる。(一日、何回喰えば気が済むんだ、お前はっ!)
メシを喰ってる時に入ってきた中年の男に、スワニーはお金を渡していたが、あれが旦那さんか? まさか悪い男に騙されてるんじゃないだろーな(とすっかり身内気分)。スワニー、バンコクに来た時はまた寄るよ。私は長い間たまっていたウ〇コを排泄したような清々しい気分で食堂を出た。
その夜、ファランポーン駅前でソムタム売りのねーちゃんに声をかけられた。彼女たちはイサーン地方出身で、天秤棒を担ぎながらイサーン料理を売っているのだ。客はゴザに座って、彼女たちが石臼で作ったソムタム(パパイヤやトマト等を加えた辛いサラダ)を食しながら故郷に想いを馳せるのである。そうだな、日本でいえば京成上野線の日暮里駅界隈の安キャバレーで東北出身のおっちゃんが同じ東北出身のホステスにうだうだと愚痴をたれるようなもんだな。
ソムタムを喰い終わると、おねいさんはもっと食べない? と言って、別の料理をもう一品作ってくれた。それも食べた。さすがに満腹だ。しかし、彼女はそれで許してはくれなかった。豚の絵が書かれた黄緑色のソーセージを取り出して、「これで作った料理はおいしいわよ」と私に迫るのである。こうなったら、イサーン料理を喰い尽くしてやろうじゃないかっ。私は苦しさに涙をこらえつつ、異国の星空を見上げながら食べた。ぜいぜい、もう勘弁しておくんなせえ。幸運にも料理はそれで終わりだった。
「うえっぷ、もう帰りますう。おいくらですかあ~」 「一品50バーツだから、全部で150バーツね」 なにお~、ひゃくごじゅうばあつだとぉ~、げっぷ。私は久々にボラれたよ。最初に値段を聞いてなかった私も悪いんだけどな。気をつけろよ、夜のファランポーン駅前でおねいさんに声をかけられて、鼻の下を伸ばしているとボッタくられるぞ、この私のようになっ!(いばってんじゃねーっ!)

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#11 バンコクの魅力

 「なぜタイがそんなに好きなのか?」 とよく尋ねられる。そのたびに考えるのだが、自分でもよく分からん。タイに移住している日本人にインタビューするというテレビ番組を観たことがあるが、そのインタビュアーが元モー娘の中澤ねえさんだった。中澤ねえさんが 「なぜタイが好きなんですか?」 と私も何度ともなく聞かれた質問をある日本人にぶつけた。その人は「ここでは戦わなくてもいいですから」と答えていた。う~ん、そうかもしれんな。何かにしゃかりきになってるタイ人なんて見たことがないぞ、私は。タイ人に限らず東南アジア人というのは(日本人から見て)物事を深刻に受けとめる能力が欠けている人が多い。バーツが大暴落しようが、エイズが蔓延しようが社会全体が重苦しくなったりはしない。
私はスコールの時に、傘を持つ習慣のないタイ人と一つの軒下で雨宿りしたり、中華街でトラックから荷物の積みおろしをしている半裸の労働者を眺めたり、屋台引きのフルーツ屋からスイカかパイナップルを10バーツで買って歩きながら食べたり、夜、通りを歩いていてふいに後ろを見ると象がいるのに気づき、象使いから20バーツで買ったエサをやったり、朝、セントラル・デパートの一階にある「スタバ」でホット・チョコレートを飲みながら通りを眺めたり、たまには豪華にインドラ・リージェントホテルでバイキングの朝食をとったり、ディスコの帰り、深夜2時にロビンソンで飲み物を買ったりするのが好きだが、中でも一番好きなのがドンムアン空港からバスで市内に向かう時間だ。これだけのためにもバンコクへ行く価値があると私は思う。市内までの交通手段としては空港の前に鉄道駅があるし、エアポート・バスやもちろんタクシーでも行ける。以前、タクシーに乗ったらドライバーがホテルの所在地を知らなかったので、50メートルも走らないうちに降りた。すぐ別のタクシーに乗ると、そのホテルまで遠いから1150バーツだとぬかしやがった。高いと文句を言うと、今度は500だと言う。怒ってタクシーを止めさせて降りた。相場はだいたい、250から300バーツだ。3台目でやっと目的地までたどり着くことができた。私は一度お金の節約のために市バスに乗ってみて大いに気に入り、それからは必ずこれに乗ることにしている。
空港を出て、大通りの前のバス亭で24時間運行のファランポーン駅行きの29番バスを待つ。なかなか来ねえなと少しやきもきするのも趣がある。やっと来たバスに乗り込むと、すでに車内は学生や労働者や主婦といった風体の人で一杯で、旅行者は私一人だ。安い航空券で日本を発てば、バンコクには深夜に到着する。深夜なのになぜいろんな階層の人がバスに乗っているのか、日本からやって来た旅行者には不思議でしかたがない。どんなに混んでいても女性車掌は新しく乗り込んできた人を見逃さない。運賃を徴収し(普通バスは深夜料金で5バーツ。エアコン・バスなら16バーツ)、ブリキ製の筒をパカパカいわせ、ロール状のチケットに切り込みを入れ、ちぎって渡してくれる。なんで車掌は太った人が多いんだ? バスがかなり揺れるから重心が安定するためにそういった女性を優先的に採用するのか? 等と考えているうちにバスは停留所を五つ、六つ通過し、ようやく座れるようになる。車内は窓を開けていても、むっとするほど暑い。汗がにじみ出るのを感じながら車内灯をじっと見つめていると、ボーッとなってくる。アセチレン灯のようなそれが縁日を思い起こさせ、幼い頃の記憶があれやこれやと浮かんでくるのだ?信号でバスが停まる。車窓から古びたアパートやコンビニが見え、ソイからひょいっと人が出てくる。何でもない光景だが、ひどく懐かしい。ああ、またこの街に戻ってきた、と心の中でつぶやく。スカイトレインの駅が見えてくるとバスはやがてパヤタイ通りを南下する。アジア・ホテルの前を通るともうすぐだ。ラーマ一世通りを左折すれば左に終点のファランポーン駅が現われる。運河の側の停留所に降りると、私にとってもうここは外国だという意識はない。故郷に帰ってきた、そんな感じだ。
到着第一日目はカオサンに泊まるのもずっと変わらない。ここはタイらしくないと敬遠する人もいるようだが、私は商店街で生まれ育ったせいか、いろんな人たちがうろうろしているのは好きだ。遅くまでやっている屋台でカオ・トム(おかゆ)を食べ、コンビニで雑誌や飲み物を買う。バンコクに来た時の儀式のようなものだ。これも私の楽しみのひとつである。
ある国や地域が好きになるということは言うまでもなく、その人自身が何に反応するかという内面の問題だ。私のように瑣事に喜びを感じる人間は 「なぜタイが好きなのか?」 という質問には 「行ってみれば分かるよ」 としか答えられない。

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#12 大都会バンコク

友人をバンコクに連れていくと、必ずこう言う。 「バンコクがこんなに都会だとは知らなかった。」
(次にくる言葉は「タイ人がこんなにオシャレだとは思わなかった」だ)
そんな時、私は内心思うのである。どうだっ、驚いたかっ。なめんじゃねーぞって、なにも私がムキになることはないんだけどさ。スカイトレインから景色を眺めていると、マンハッタンのセントラル・パークかと思っちゃうような場所もあるし、この前なんか世界一高いホテル、バイヨーク・スカイの展望台から夜景を見たら、さすがの私もびっくりしちゃったよ。
「おおっ、すごい。私はこんな大都会をあっちに行ったり、こっちに来たり、うろうろしてたのか」
バンコクの人口はスラムの住人や地方からの労働者を合わせると、1千万人を超えるといわれる。日本人は不法滞在者を入れると3万人が住んでいるそうだ。ある意味ではバンコクは東京やシンガポール(行ったことないけど)以上の大都市であり、欧米型の都市とはあきらかに違う。
第一に、あの厳しい気候だ。ニューヨークや最近の日本の夏もかなり暑いが、タイの季節は雨期と乾期しかない。バンコクに限って言えば、ほとんど毎日が暑い。関西人がアホなのは小さい頃からお好み焼きやうどんやたこ焼きといった小麦粉食品を大量摂取しているので、全身のみならず、脳も炭水化物化しているからだという説があるが、東南アジア人がボーッとしているのも毎日暑いからである。昼過ぎになるとあちこちの店先では店員がだら~っと犬のように眠りこけている。シエスタなどというかわいいもんではないな、あれは。スコールになると、降水量が多いのか、水はけが悪いのか、街中が水浸しになる。そんな時、ここは東南アジアにできた都市であるということを実感するのである。
第二に、なんといってもあのタイ人だ。バンコクにも、もちろん悪人はうじゃうじゃいる。コンビニで売られている「クライム・ニュース」という雑誌には殺人事件の被害者の惨殺死体がばんばん載っていて、これが微笑みの国の人間のやることか~っと思うのだが、大抵のタイ人というのは人がいいというのか、細かいことは気にしないというのか、早い話がぬけている人が多い。ファランポーン駅構内にコンビニがあるのだが、そこに野良犬が入り込み、奥で涼んでいた。警備員がやって来て、追い出すのかなと思っていたら、しゃがみこんで犬の頭をなでてやっていた。(日本では想像しにくい光景じゃありませんか、皆さん)
発展途上国や中進国の警官は国民から賄賂を要求するのが公然となっているが(タイでも、もちろんそれは日常茶飯事だ)、バンコクで軽犯罪を犯した三人の大学生が罰金を持っていなかったので、その代わりに警官が彼らに腕立て伏せをやらせたという様子が新聞記事になったことがあった。(そういうことが記事になって、話題になるということ自体が中進国らしいね)
先進国で同様な処置をしたら前近代的だとか、人権問題だとか姦しいだろう。私は西欧民主主義から観た、前近代的といわれることが間違っているとかは思わないけどね。
先日、関空に行くためにタクシーに乗っていたら、運転手の奥さんと娘さん(名門タマサート大学を次席で卒業した才媛。日本人としては始めての快挙らしい)はバンコクに住んでいるという話になった。若い頃、建築作業員として海外を転々としていたが、タイが気に入り、住みついてしまったらしい。日本にはお金を稼ぐために単身帰国して、1日も休まずに働いているそうだ。
「来年には仕事をやめて、タイに戻るつもりです。日本は嫌です。やっぱり私にはタイの水が合ってるんでしょうなあ。でもたった一つだけ、タイには悪い所があるんですよ。実は私、ドンムアン空港の近くに家を持っとたんですが、空港を拡張するっていうんで土地ごと没収されてしまったんですわ。弁護士を雇って国と争ったんですが、一銭の補償もなしです。あの時は参りました。それだけです、嫌な所は。タイ人はいい人間なんですけどね」
今はバンコク市内にアパートを三軒持っているそうだ。タイ人はぬけている奴らばかりだが、国はぬけていなかったらしい。それよりも、そんな目に会ってもタイが好きだという彼の気持ちが私にはよ~く分かって、ちょっぴり感動しちゃったぞ。

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#14 カオサンの大晦日

 カオサン通りでのニューイヤーズ・イブは一体どうなっておるのだ、という素朴な疑問を抱いた私はその実態を解明すべく、2001年12月30日と31日にカオサンに宿をとった。泊まったのは通りの中ほどにある「カオサン・パレス・ホテル」だ。あるガイドブックにも書いてあるようにサービスは良くない、っていうかレセプションの人間はやる気が全くないぞ。思わずここは中国の旅社かと思っちゃったぜい。ツインしかなく、おまけにエアコンは壊れていて530バーツもした。唯一の取り柄はNHK放送が受信できるってことぐらいだろう。   
その日はバンラ-プ市場とパトゥ-ナムをうろついた。タイ人にとって正月はタイ暦の4月だし、中国系タイ人にとっても正月は2月ぐらいだから街は普段と変わらない。しかし、だ。7時頃に行ってみるとマーブンクロンの前には特設ステージが出来て、歌謡ショーとファッション・ショーのようなものをやってるし、ワールド・トレード・センター前のラチャーダムリ通りはホコ天になっていてすごい人だかりだ。こりゃあ、何かあると踏んだ私は鼻息も荒くカオサンに戻ったね。お祭り好きの私はじっとなんかしてらんねえよ、江戸っ子だってねえ、寿司食いねえ。今日は特別な日だからってんで、奮発してコンビニでケーキを買って(といっても28バーツだよ、べらんめえ)、ホテルに帰ったと思いねえ。シャワーを浴びて、WTCで買ったヤイコのテープを聴いてじっと待ったさ。格闘家が試合前に音楽を聴いて精神を昂揚させるのと同じだな。そういえば日本でも大阪城ホールでヤイコのカウントダウン・コンサートが始まってる頃だ。とにかく気力、体力ともに充分だっ! 11時になると私は鼻の穴を通常より3センチばかり拡げて、フガフガとホテルを出た。
最近のカオサンは渋谷化状態していて、タマ大の学生や地元のバンコクっ子が大挙して遊びに来てるよーだ。これもデカプリオ主演の「ザ・ビーチ」のおかげか? とにかく尋常じゃない人だかりだ。私は表通りや裏通りをうろうろしてカウント・ダウンを待った。私の泊まっているホテルの前にはオープン・レストランがあって、テーブルが道路の半分を占領している。必然的にそこが一番、混雑率が高くなるってわけだ。地元の人間やら旅行者やらがくんずほぐれつ、盛り上がっている。
こら~っ、ビールをかけるんじゃないっ! わしは野村監督かいっ!(野球が嫌いなので去年はどこが優勝したのかも知りません)耳のそばでラッパをプープー鳴らすなっ! 人ゴミの中で踊るな~! 喧噪の中でもみくちゃにされるうちに何が何だかわからなくなってきた。ふんがぁ~。私はタイムズ・スクエアやトラファルガー・スクエアでも年越しをしたことがあるが、てめえらみたいな脳天気なやつらは初めてだっ! 白人どもっ、たかが新年になるだけなのに何でそんなに興奮するのだあ! そのうちレストランから流れてくる「オアシス」に合わせて白人どもが大合唱を始めた。薄れてゆく意識の中で私は思った。2000年に欧米人が連帯できる音楽って、やっぱりオアシスなのね。らぶあんどぴいす.....。「VSゲストハウス」の連中はこの時間、やっぱり新年を祝って一発キメてるんだろうか.....。ヤイコのコンサートのアンコールは何だったんだろう.....。「グレース・ホテル」のアラブ人たちは盛り上がってんだろうか? あっ、イスラム教は陰暦かぁ.....。いろいろと世話になったな、タイ人。お前たちのこと好きだけどな、最後に言わせてくれ、「マイ・サイ・パクチ~.......」(注) 
しっかりしろ、おれっ! 目を覚ませっ! これじゃあいかんと思い、ホテルに帰ろうとしたが、ベルリンの壁より分厚い人壁に阻まれ、目と鼻の先にあるのに帰るに帰れんじゃないかっ! みなさ~ん、よいこは早くおうちに帰って寝ましょう~って、結局やつらは4時まで騒いでたぞっ、バカヤロ~!!(爆死) 

注 「パクチー(コリアンダー)を入れないでね」


【夏が来れば思いだす】 その1

「タイは若いときに行け」という、いしだ壱成出演のタイ航空のCMが流れたのは90年代だった。あれを観てタイに行った人も多いらしい。今やタイは若いときに行け、中高年になっても行け、定年したら住め、である。今までタイには10回ほど行ったが、バンコクだけでチェンマイもプーケットも行ったことがない。新婚旅行もバンコクにした。妻にもバンコクの素晴らしさを知ってほしかったからである。しかし、そのバンコクで九死に一生を得ることになるとは神ならぬ身には知る由もなかったのである。(続)

【夏が来れば思いだす】その2 

妻は一応イタリアに行きたいと言ったのだが、バンコクの素晴らしさを力説して説得する。気が変わらないうちにチケットを買いに旅行代理店へ。新婚旅行は12月だったのだが、クリスマス前のシーズンオフのチケットが安い。リーマンパッカーは年始年末、盆休み、ゴールデンウイークくらいしか長期の休みが取れないから仕方がないが、これがよくいう格安チケットか。今までの三分の一の値段だ。そういえば、20年前のインド行きが30万円した。初めての海外旅行だからと考えもせずに購入したが、ツアーでもないのに高すぎるんじゃないか。ああ、嫌なことを思い出してしまった。
とにかく、チケットさえ手に入れれば問題はない。せっかくだから帰りに香港にも寄ることにした。私は妻に厳命した。
毎晩、違うホテルに泊まるので移動しやすいように荷物は最少に。スーツケース不可。なんせこっちは、旅慣れしてんだかんね、夫の頼もしいところを見せてやろうじゃないか、よもや関空離婚はないだろう。と一人不敵な笑みを浮かべるのであった。

【夏が来れば思い出す】その3

早朝の6時半に家を出て夕方の4時過ぎにバンコクのスワンナプーム空港に着いた。この新空港は去年開港したばかりだ。(*1)旧空港のドンムアンに比べると物凄く近代的だ。イミグレーションへと続く通路の壁面はコンクリートの打ちっ放しで、かなりかっちょいい。今までドンムアン空港に到着するたびに、「初めてドンムアン空港に到着した時は恐ろしさに膝が震えた。」という、バンコクのお寺で出家し、在タイ10年に及ぶ山田均という東南アジア学者の言葉を思い出したものだった。そんなある種の緊張感を旧空港は発散していたのだが、新空港はなんだかオシャレでパリにでも来たような気分だ。せしぼん。
*1 スワンナプーム国際空港は平成18年に開港した国際空港で長野夫妻は平成19年の年末から平成20年の年始に新婚旅行されたようでその時の出来事を執筆されました。


【夏が来れば思い出す】その4

旧空港からだったら、路線39番のバスで安宿が集まるカオサン通りまで行くのだが、勝手がわからない。とにかく、シャトルバスでトランスポーションセンターまで行く。そこをうろうろしていると、「どうしましたか?」と日本人青年に声をかけられた。彼はバンコクのお寺の修行僧で、日本から両親が来たので空港まで迎えに来たところなのだそうだ。彼に教えてもらった市バスで民主記念塔まで行く。ここからカオサンまでは目と鼻の先なので、歩いて行こうと試みるが迷ってしまった。バスや徒歩が好きなので、タクシーにはなるべく乗りたくない。夜も遅いので仕方なくタクシーを拾ったのだが、大通りを飛ばし、裏通りを抜け、ものすごく遠回りをして目的地に着いたのだった。道路工事や一方通行規制もあって一概には言えないけど、ぼったくりだな。230円だったけど。

(妻の日記から)

「バスに乗りながら、街の看板が大きいと感じた。バスには女性車掌がいて、テキパキとしていた。そして客がどこから乗ってきたかを一人一人覚えている記憶力には驚いた。切符を切る道具や切る様子を写真に撮る。タクシーは思っていたよりきれい。カオサン通りまで徒歩を試みるも迷い、タクシーで行く。一方通行が原因か、すごく遠回りされた気がする。ぜったい、ボッタクリだ。」

皆様への伝達事項
ドリアン長野は平成25年6月にフェイスブック上で発表した【夏が来れば思いだす】を除外して平成10年代にgoo簡単ホームページ上でタグを利用せずに半ば勢いだけで非常に乱雑かつ順不同な投稿をしてたので整理整頓は絶対必要でした。そして、過去と違って現在gooブログでは3万文字の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。

皆さん、海外のホテルにて備品等は盗まないようにしましょう。為替差損は別としても、本来は全額返金されるデポジット(預かり保証金)が減額される恐れがございます。置時計は日本国内で普通に買いましょう。平成27年に私は地元のお店で¥1008(税込み価格)で販売されてたセイコーの小さい電波式置時計を購入しました。どこかの誰かみたいにセイコーの小さい時計に対して2000バーツ(1バーツを日本円に換算して¥3.5としておよそ¥7000)も支払わないで済んで良かったです。価格の詳細については各自で調べてもらいたいが平成30年には後継品が値上がりしてるとは言えども、普通に地元のお店で買う方が安価なのには変わりありません。セイコーの小さい電波式置時計は乾電池を入れて電波を受信すると自動で時刻合わせをしてくれました。




テーメーカフェという喫茶店が海外にあって行ってきた内容のタイランド旅行記です。私もブリティッシュコロンビア州の(カナダ時間ですが)夜だけ営業してるチーズケーキエトセトラに行ったから大きな事は言えません。ホテルは日本にいる間に予約しておきましょう。タイランドのスージーさんは平成十年代に元気であったかもしれないが今(平成30年を過ぎた時期)でもご存命なのであろうか?
ドリアン長野は、日本国内で販売されたパリンヤーさんが出演された映画鑑賞をしなかったばかりか、DVDを購入されなかった模様です。又、ドリアン長野は、すでに(平成10年代のある日)神殿結婚をされました。 
ビューティフル ボーイ APS-91[DVD] アートポート https://t.co/YndUW9elp2
私は海外の危険地帯に行かない事を提案します。海外旅行案内書やインターネット上でも危険地帯については発表されてますので参考にしてください。HIVは今でも難病です。
海外旅行中に市場に訪問されてはいかがでしょうか?普段は見かけない食品を外国で見ると楽しいばかりか食事が行えると喜びは倍増です。日本はタイランドより二時間早い時差ですが現地にお住まいの方々の食事の時間以外に食事をされる人がおられるかもしれません。一例。日本時間の正午はタイランドの午前十時。環境の改善はどの国でも必要です。
観光名所の7月22日ロータリーの俗称はジュライロータリーと言われているそうです。7月22日ロータリーというものが存在してることに私は驚きました。
又、現地の発音は不明ですがクルンカセム・シークルン・ホテルは、クルンカセーム・シークルン・ホテルと紹介されてるホームページがございました。脱字ではなくて発音の観点からそのように表明したかもしれません。

 タイは平成20年代になって物価が上昇しました。平成25年1月にインラック政権によって最低賃金が300バーツに引き上げられタイの物価は上昇し続けてるそうですのでドリアン長野は幸せな時期にタイを旅したようです。
元ホークスの野村克也元監督と同じ位に元カープの野村謙二郎元監督は有名ですがドリアン長野は前者について述べてます。野村克也元監督は、名将で1973年に南海ホークスをリーグ優勝に導いたばかりか90年代にヤクルトスワローズを3回日本一に導いた。

カオサンの大晦日(題名)はタイへ行って年末の祭りに参加して苦しんだお話です。のんびりした旅行にしようとしても試練が発生するのが海外旅行なので暑くても快適な宿の選択は重要です。外国によっては習慣が違う人々を尊重し休む時期が分散してるそうです。海外の午前4時は日本だと日中になる可能性はあり得ます。(一例 イタリアの午前4時は日本の正午)
カオサンはタイでは白米を意味示します。過去には米問屋が多かったが最近はタイ人にしたら外国人向けの宿泊所が多い町から繁華街になったそうです。
タイランドも、諸外国と同様に国境紛争は抱えています。 北部のカレン族(その中のパダウン族は首が長い女性達で有名)の難民や南部のマレー系の独立運動等深刻な社会問題は、存在していますがバンコクに限っては、のんびり出来るようです。 
バスとタクシーの料金に格差があるのは日本もタイランドも同様のようです。 但し、日本の場合法律が存在しているから不正請求は無いかもしれませんが、遠回りはさせられるかもしれない。 
また、通貨価値は暴落した場合には輸出競争力が強まるから完全否定はし難いと思われます。 実際にタイランドからたくさんの食料品を日本は輸入しています。
無論、「どこの会社が日本へ輸出するのか?」の競争は少なからず存在していますから、国境紛争だけではなくて経営上の戦いも存在しています。
平成20年代になって発生し激化している、タイランド国内の騒乱は2010年代に終結するか否かは誰にも分かりません。
実際に机上の空論を支持するよりも、実行に移すのも肝要と感じさせる海外旅行記ですね。 可能であれば、タイランドに旅行されても構いませんが前述したばかりか半ば周知の事実ですが将来的に再度タイランド国内で混乱が発生しないとは言い切れないので自己責任でご決断ください。 今のところ、私自身の勝手な考えですが推奨は難しいです。

冒頭で述べたように、ご夫婦での新婚旅行記である夏が来れば思い出す(2007年の年末から2008年の年始にかけてのタイ旅行)を除外し1990年代から平成10年代にかけてのタイランド旅行記なんです。その時期は(すでに終わったが)2010年を過ぎた平成20年代(2008年から2017年)と比較してまだ平和でした。
やはり、カントリーリスクは存在しています。昭和の成田空港の時と同じような出来事がタイランドでも発生していたようです。ドリアン長野はシンガポールにも行きたかったのかな?
日本にいる時にある程度の情報を得て実際に訪問してみて良かったかどうかでその国の印象が変わると私は思います。「千の言葉よりも一の実行」で私も実際に平成27年10月にカナダに行ってブリティッシュコロンビア州が好きになったしその理由を質問されると「実際に行ったら、分かる。」といった返答だけでは不十分かもしれませんが、日本と同じような生活が維持出来たという部分がございました。深く考えずに日本と同じようにも思えてしまう共通点が多いばかりか、賛同する部分が多いか否かの部分は重要ではないでしょうか?世界には、日本からの渡航が禁止に至る迄に悪い状態に至った外国は存在してますし、その点は理解が必要です。渡航が行える国だから、旅行が行えるのです。
価格は変更されてるかもしれませんがインドラ リージェント ホテルの朝食ビュッフェの価格は380バーツだそうで、私が宿泊してきたバンクーバーのホテルの朝食ビュッフェの料金はC$28でした。C$はカナダドルの略称です。
平成11年(1999年)から運行されてるバンコク(タイランド)のスカイトレインは、昭和60年(1985年)から運行されてるブリティッシュコロンビア州(カナダ)のスカイトレインと同じ位に世界的に有名です。バンコクのスカイトレインは、カナダのスカイトレインの技術を導入し、建設する予定であったそうですが結果的にはドイツ企業の技術が導入され建設されました。馬鹿げた重言のようなジョークに思えた人が多いかもしれませんが実際には真面目なお話しだと考えてもらえると幸いです。「世界の車窓から」でも両者は紹介されたのかな?
理解しないといけないのは踏切を否定した鉄道という点です。高架もしくは地下に限っておけば事故が発生する可能性は低下します。
 一日乗車券を買っておくと(確かに金額的には損をする可能性はあるが)不条理に高値を請求されることは無いから、私はブリティッシュコロンビア州を旅行してる時には一日乗車券ばかり買ってました。それに、不正乗車の罰金が高額なのは周知されてるし支払い責任を果たしたから罰金を請求されなくて良かったです。
 私の知る限りですが、世界各地にスカイトレインは存在するが町の為に役立ってる公共交通機関はカナダとタイランドのみのようです。他は空港内部のみで運行してる電車もしくは航空機の名称です。この点についての詳細は各自でお調べください。
 タイランドのバンコクにはスコール(大雨)が多いようです。一方でカナダのバンクーバーでは一般的な降雨もあったが小雨も多かったです。バンクーバーはレインクーバーという俗称も存在してます。
 そういや、過去に大阪市内のタイランドフード販売店に行った時に、バンコクから来た従業員がタイランド北部から来た従業員に対して日本語で「田舎。」といって冷やかしてた事がございました。大阪の場合は「田舎。」という言葉は皆が平等だからそういった言葉で人を批判するのは良くないという考えがあるが逆にこだわるのは「たかじんの歌の東京は好きだが、町の東京が嫌い。」という部分かな?
 【夏が来れば思い出す】は長野夫妻の新婚旅行記です。時期は平成19年の年末から平成20年の年始でバンコクと香港を旅した未完の作品で旅の試練は謎のままです。平成29年の夏の某日にドリアン長野と再会した時に執筆を依頼したら前向きな返答を得たが平成30年の3月一日を経過しても伝達ばかりか発表もされてません。続編が執筆されたら転載はしたいがそれがいつになるかは不明で、実質的な最終話です。
 インラック政権が平成25年1月に最低賃金を引き上げた影響は大きいようでタイの物価は値上がりし老後を過ごすには不向きらしいです。
平成18年に開港したスワンナプーム国際空港の空港連絡鉄道(エアポート・レール・リンク)は通勤に利用出来ても観光は不向きだそうです。エアポート・レール・リンクが利用出来るようになったのは平成22年8月23日からなので長野夫妻は空港連絡鉄道の利用が行えませんでした。
奥様の海外旅行記も佳作でしたが、ドリアン長野に限ってはお笑いエッセイと考え脱力してお読み下さい。
日本とタイには相互に仏教の修行僧が行き来してるそうですので観光や仕事以外でも日本とタイランドを行き来する人はおられるようです。
平成19年にはドリアン長野はインターネット上で海外旅行記を発表する気持ちが失せていて現在は半ば私の趣味でホームページの運営が行われてます。平成十年代に「1万人の訪問者がいたらそれで良いかな。」とドリアン長野が発言され、後にその目標は達成された。
ドリアン長野は1961年3月5日生まれで26歳の時にインドに旅したならば1987年こと昭和62年に旅したようです。平成20年を連想して20年前ならば1988年こと昭和63年頃になります。

追記 平成30年7月末日
謎が解けました。機会があり、ドリアン長野の奥さんと再会しました。「タイランドで死にかけた話って何ですか?」と質問したら「(ドリアン長野は)プールで足がつった。」だそうです。皆さん、日本であるか外国であるかを問わず水泳の前には準備運動をしましょう。事実上、完結かな?

紹介した3種類の動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく参考の為の転載です。
バンコクバスの乗り方 How to catch a bus in Bangkok ( second-bound for Kaosan)


【バンコク】ドンムアン空港着陸 エアアジア☆ 到着からタクシーまで! Bangkok Don Mueang International Airport 【海外旅行記】


BTS Skytrain (Bangkok, Thailand) バンコク・スカイトレイン



過去にセイコーが販売してるピクシスの置き時計を購入したがある意味セイコーではなかった。だが、今回は違う。これだったら万人がセイコーの小さい置き時計と認識してくれるであろう。表面的な価格は税別で三千円。実際には税込みで¥1900で購入が行えました。乾電池を入れるだけで時刻合わせをしてくれる電波時計の人気を再認識した。私も海外旅行はした。ホテルの備品は何一つ盗まなかったがどこかの誰かは黙って持ち帰って二千バーツ(1バーツを日本円に換算して3.5円として約七千円)も請求されました。普通にお店で購入した方が遥かに良い状態を形成出来ます。店の販売価格の変更等もあり買うか否かは悩んだが良き置時計を買えました。

バンコク楽宮ホテル honto.jp/ebook/pd_10142… posted at 14:29:35

バンコク楽宮ホテルは電子書籍で販売中。

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#85

2024-04-26 | 日記
ドリアン長野のインド旅行記
2018-03-12 | Weblog

インド編 その2   インド編 その4   インド編 その6   インド編 その8
ドリアン長野のインド旅行記
NO 105 インド編 その1

at 2006 04/30 17:24 編集

人間は二種類に分類される、とは巷間よく言われることである。古典的なものでは猫的人間か犬的人間か、流動型か土着型か、果ては野球に熱中する人間かそうでないか、ドアーズを聴いたことのある人間かそうでないか、その伝でいけばこう言えるかもしれない。この世は二種類の人間しかいない。インドに行ったことのある人間とそうでない人間と。私がインドに行ったのは26歳の時、それが初めての海外旅行だった。――
なんてね、オレは沢木耕太郎かってえの。このようにインドとなると人はテツガクしてしまうのである。私がインドに旅立った(そんなに大袈裟なもんじゃないけど)のは自分を変えたかったからだ。(まだ若かったんです。すいません) その頃の私は私生活で色々とあって、その打開策を旅に求めたんである。旅に出て、人間をひと回りでかくして日本に戻ってくるぞっ! そのためにはやはりインドだっ! と、かようなことを考えていました。(あの、旅行は一週間だけです。大馬鹿野郎です、私は。生きててすみません)
なんせ、初めての海外旅行である。インドに関する本は手当たりしだいに読んでいたのだが、それが余計にインドに対する期待をいやがうえにも高まらせ、好奇心と不安が叶姉妹のように攻防戦を始める。もしかしたら生きて帰れないかもしれない。搭乗前に成田(関空は当時開港してなかった)から実家に電話したのはせめて死ぬ前に一言残しておこうという親孝行のつもりである。
「新聞には載るなよ」
という父親の暖かいのかなんだかよくわからない言葉を胸に抱き、機内に乗り込むと客室の壁にはおどろおどろしい曼陀羅のような絵が描かれている。すかさず脳の中の小人がラインダンスを踊り始め、細木数子先生に 「どこが面白いの、あんた!」 と 一喝された猫ひろしよりもびびる。にゃあ~。
とにかくエア・インディアは飛び立ち、まずい機内食と太めで愛想の悪いサリー姿のスッチーにうんざりし始めた頃、ようやくカルカッタ(現コルカタ)のダムダム空港(現在はチャンドラ・ボース空港と改名)に着いた。ちなみにダムダムというのは地名である。殺傷力が高く、残酷なので使用を禁止されたダムダム弾はここの造兵廠で製造されたそうだ(ドリアンの豆知識よ、ってそんな余裕があったのか? なかった。まったくありませんでしたっ)。
夜の7時。タラップを降りると、いきなり暑い。じっとしていても汗が吹き出てくる。しかも硝煙というか、焼けたゴムというか、ともかくそんな臭いがする。しかも空港警備員は小銃を持っている( 正直、帰ろう......かな? と少しだけ思いました) 。空港ビル内に入ると、国際空港だとは思えないほど薄暗い。空調なんぞはもちろんなく、天井に三枚羽の扇風機がゆったりとハエを追うように回ってるだけ。それにしても暑い。なんか飲みたい。
「Drinking water」と書かれたプレートが目についたので近寄ってみると、そこには公園にあるような噴水式の蛇口(下から口に向かって噴水する、あれね)がぽつんとあった。なにもこんなもんに仰々しくプレートをつけんでも.......。いや、ここはインドだ。水道水が飲めるだけでもありがたいと思わんとな。入国審査と税関を終え、外に出ようとしたが、そこで足がピタリと止まった。なんと外にはインド人たちが押すな押すなと黒山の人だかり (インド人だからホントに黒い) で出てくる人間を待ち構えてるんである。それはなにも私が有名人なのでサインをもらおうとか、インドの地を初めて踏む日本人を熱列歓迎してやろうとかといった気持ちからでは決っしてない。やつらはタクシーやホテルの客引きである。全員が、俺はこの客引きに命を賭けてるんだ。なんてったって、家族の生活がかかってるからな。かあちゃん、待ってろよ。明日もチャパティ-を食わせてやっからな。そらっ! 金持ちの日本人が出てきやがった。今夜のカモはあいつだ。ぜってえ、逃がさねえぜ、なんて顔をしてるのだ。
ひえ~っ! あいつらの中に出ていくんかいっ! 思わず「ドラゴン 怒りの鉄拳」でブルース・リーが暴徒と化した群集や拳銃を構えた警官隊に走り出て、飛び蹴りをかますラストシーンが浮かんだね。
しかし、ここで回れ右をして帰国してしまっては、末代までの恥だし、航空券が無駄になる。よしっ、待ってろよ、インド人! サムライ魂をみせてやるわあ~っ! と、ここで私は、はたと気づいた。興奮してたんで忘れてたけど、旅行会社で今夜のホテルは予約してたんだ。そのホテルから車が迎えに来てるはずだ。そうだった、そうだった。それならいくら客引きが寄ってこようと恐くはない。私は余裕の表情で空港の外に出た。
「ナマステ~、インドのみなさん、アイ・ケイム・フロム・ジャパ~ン」 がっ、! 
 
「ジャパニ! ジャパニ!」 「タクシー! チープ! チープ!」 「ホテル? カムカム!」
「グッドプライス!!」 「ベリーチープ!!」 ぎゃあ~! うげえ~っ!
「#$%&♀¥!!」
うるさいわいっ! 私はフランスに凱旋帰国したトルシエ監督なみにもみくちゃにされた。(トルシエって、確かフランスだったよな。サッカーに無知なので事実誤認があったら許せ、サッカーファン。カミソリの刃なんか送ってくんなよ) _
ホテルから迎えに来たらしき人が声をかけてきた。
「エクスキューズ・ミ-、ア-・ユー・ミスター・ナガノ?」
「イエス! イエス! イエース!!」 
私はヘビメタのヘッドバンキングのように激しくうなずいた。
「すみません、ちょっとここで待っててください」
そう言うと迎えの人はどこかへ行ってしまった。間髪を入れず、そこへ別のインド人が現われて、「グレート・イースタン・ホテル(今晩予約していたホテル)なら、こっちだ」 と先に立って案内する。思わずふらふらとついていったが、途中で何か変だなと立ち止まった。すると、さっきの迎えの人が追いかけてきて、「ノー! ノー!」 と私を連れ戻したのだった。あぶねえっ、ちっとも油断がならねえな、インド人!! (つづく)_

NO 106 インド編 その2

at 2006 05/08 21:25 編集

「グレート・イースタンホテル」の大理石のバスタブにつかりながら私は考えていた。 
「カルカッタくんだりまでやって来て、こうやって高級ホテルの風呂にのうのうと入っている場合か。インド8億の民衆の生活を知るためには、やっぱり安くて汚いゲストハウスに泊まって貧しさを肌で感じなければ。民草の中に入っていくのだ。カースト反対! ガンジー万歳!」
お前は民青かっ! と思わず突っ込みを入れたくなるほどの勘違い野郎だ。あえてゲストハウスに泊まる理由があるとすれば、お金を倹約したいとか、居心地がいいとか、貧乏の疑似体験をしてみたい等であって、民衆の生活なんぞ分かるはずもない。 「それはお前の自己満足じゃ~っ!」 と今の私なら当時の私に回し蹴りをかますところだ。
そもそも、そんな気持ちになったのはカルチャー・ショックもあるだろう。空港から迎えの車に乗り込み、妖し気なオレンジ色の街灯の下を走っていく。しばらくして市街に入っていったのだが、その光景に目を瞠った。イギリス植民地風の建物もあちこちに建っているのだが、そのどれもが老朽化して今にも崩れ落ちそうになったいる。歩いている人はといえば、そのほとんどが襤褸を纏っている。日本で言えばりっぱな乞食だ。豊かで清潔な国から来た我が身にとっては、まるでタイムスリップに遭遇したみたいであった。
とにもかくにも翌朝、私はサダル・ストリートに行こうとホテルを出た。インドの中でも最も汚いといわれるカルカッタ。そのカルカッタで最も汚いといわれるのがサダル・ストリートだ。ってことは宇宙で一番汚い場所だ。その界隈にはありとあらゆる病原菌が生息しているというのだが、そこに安宿が密集しているのだ。白人バックパッカーに道を尋ねながら歩いていると、老婆やら子供を抱いたお母さんやらが 「バクシーシ(おめぐみを)」 と右手を差し出してくるのだが、ギョッとなることもしばしば。指がニ本か三本欠けている。五本ともない人も。ハンセン氏病だ。あきらかに顔が変型している人もいた。ううっと重苦しい気分になって先を急ぐ。
バックパッカーの間ではその名を知らぬ者はおらず、小説にまでになった 「ホテル・パラゴン」 に泊まろうと思い、リキシャーワーラー(人力車のようにうしろに人を乗せ、自転車でこいでゆく乗り物がリキシャーであり、その漕ぎ手)に場所を聞く。すると横にいた客引きの兄ちゃんに 「パラゴンは満室だ。俺の知ってるホテルに案内してやる」 と紹介されたのが 「キャピタル・ゲストハウス」(一泊60ルピー。当時のレートで1ルピー≒12円とお考えになれば大体の目安となるでしょう)だった。実は、客引きがそこは満室だと嘘をついて自分と契約をしたホテルに連れていき、キックバックを得るのはよくあることだったが、当時の私には知る由もなかった。
生まれて始めて泊まったゲストハウス、キャピタルは冷房なし、トイレとシャワー(水)付き、ベッドのシーツは少なくとも一か月は換えた形跡なしであったが、別に不自由は感じなかった。もう1ランク下がると、トイレとシャワー(水)共同、シーツは少なくとも半年間は換えた形跡なし(南京虫付き)になる。
宇宙で一番汚いサダルは小便横丁という表現がピッタリくる。あっちこっちがぬかるんでいて、あっちこっちにウンコが落ちている。サダルにいるのはビンボー旅行者と物売りと乞食と詐欺師と泥棒と野良犬だ。乞食とそうでない人の境界はきわめて曖昧で、排水溝で体を洗っている人もいれば、道端で寝ている人もたくさんいる。この通りにいれば、いろんな人にやたらと声をかけられる。
「ジャパニ、○リファナいらないか? ハ○シは?」
「マネー・チェンジしないか? レートがいいぞ、フレンド」
「パージャーマー買わないか? 安くしとく。フレンド・プライスだ」
「マイ・フレンド、お土産にサリーはどうだ?」
おいっ、会ったばかりで名前も知らんのにフレンドたあ、どういう了見でえっ。そう、インドでは友だちになるのに時間は必要ないのだ。友だちができないと悩んでる君、インドに行って友だちをつくろう! 友だちに国境は関係ないのさっ。さあ、君も今すぐレッツ・ゴー・トゥー・インディア!
「ハロー、ジャパニ。インドは初めてか? どこから来た? トーキョー? オーサカ? 俺も日本には仕事で行ったことがある。ヤマモトを知ってるか? 俺の親友だ。何、知らないのか。まあいい。ところで俺の知り合いが店をやってるんだが、寄っていかないか? お前はトモダチだから特別に安くしてやるよ。お金持ってないって? ノー・プロブレム。見るだけ。見るだけならノー・マネーだ。オーケー? こっちだ。ついてこい」 
私もインド滞在中に何回も同じことを言われた(時たまヤマモトがタナカになったりする)。こうして大阪商人も顔負けの狡猾さでうぶな旅行者を店に引っ張り込み、適性価格の何十倍もの値段をふっかけ、最後にはケツの毛までむしり取ってしまうのだ。ああ、恐ろしやインド人。
私の経験では、アジアでの物売りと物乞いのしつこさランキング第一位はやはりインド人だ。断っても無視しても、どこまでもどこまでもどこまでもついてくる(いやな男にナンパされる女の気分か?)。後年、タイやネパールやカンボジアに行った時、物売りや物乞いのあまりの淡白さに 「もっと気合い入れて仕事せんか~いっ!」 と思っちゃったほどだす。(つづく)

ドリアン長野のタイランド旅行記 

ドリアン長野のネパール旅行記

ドリアン長野のカンボジア旅行記

NO 107 インド編 その3

at 2006 05/15 22:30 編集

インドはいうまでもなく暑い。めったやたらと暑い。気温は、少なくとも香港風邪にかかって病院のベッドでうんうんうなっている重病人の体温よりは高いのは間違いない。歩いていると熱風に包まれたようになって息が苦しいし、脳みそが沸騰してくるので難しいことは理解できなくなってくる。そんな炎天下で男はクルターとパージャーマーの上下、腰巻風のドーティーやルンギーといった服装が多いが、女はどこへ行ってもどんな時でもひたすらサリーだ。道路工事や建築現場でも男に混じってサリー姿の女が土の入ったざるを頭の上に載せて運んだり、レンガを積んだり、ツルハシで穴を掘ったりしている。労働するからちょっとTシャツとスパッツに着替えてくる、というわけにはならないのだ。インド初の地下鉄がカルカッタで一部開通したが、地下鉄工事中も機械を導入する資金がないのでサリー姿の女性を含む人夫たちが手作業で労働に従事していたそうだ。他の国からはあの調子では開通するまでに100年はかかると言われていたぐらいである。そのありがたい地下鉄に私も乗ってみることにした。
全線1ルピー。電車内は信じられないことに冷房が入っている。冷房ぐらいは当たり前かもしれないが、ここはカルカッタである。天井で三枚羽の扇風機が回っていても私は納得した
だろう。快適。喧噪と灼熱地獄の地上とは別世界だ。ホームから地上へと昇っていくエスカレーターの前では男の子の手を握ったお父さんが必死になっていた。小さい頃、初めてエスカレーターに乗ろうとした時を誰もが覚えているだろう。動くステップに一歩を踏み出すのはなかなか難しいんである。お父さんが恐る恐る足を出す。タイミングが合わなくてつんのめりそうになる。もう一度足を出そうとするが、次々とせり出してくるステップが恐くて躊躇する。その横では奥さんが 「あなた、がんばって」 という顔つきで見守っている。そのうしろでは大勢のインド人が 「落ち着けよ、あせるなんじゃないぞ。それっ、今だ」 というような面持ちで真剣にお父さんを見つめている。小さな子供ならいざしらず、大の男が必死になっているのが笑える。インド人にとっては初めての経験だもんなあ。それはインド人のしつこさに辟易していた私にとって、今思い出しても頬のあたりが 「むふふ」 とゆるんでくる唯一の光景であった。
終点で降り、カーリーガート寺院内にあるマザー・テレサの施設 「死を待つ人の家」 に行く。ここでは各国からボランティアが来ていて熱心に働いている。私も友人の看護婦から言付かった医薬品をシスターに渡し、布に包まれた遺体をみんなで運んだりした。帰りにカルカッタのメイン・ストリート、チョーロンギー通りを歩く。ここは世界一の人口過密都市と呼ばれるカルカッタにおいてもさらに人の行き来が激しい。夜になると明かりが少ないので、気をつけてないと人とぶつかるのはもちろん、往来に寝ている乞食を踏んづけてしまうこともある。その日もスリに注意しながら歩いていたのだが、いきなり、という感じで通りのまん中に十歳くらいの少年が寝ているのを見つけた。通行人はその少年をじろじろ眺めたり、一瞥しながら通り過ぎて行く。少年には両腕がなかった。上着を着ておらず、本来なら腕の付け根がある場所に赤黒いケロイドの皮膚が少し盛り上がっていた。少年は怒りも恥ずかしさも悲しみも感じさせない無表情な眼でただ空を見ていた。彼は一日中そうやって寝ているのだろう。しばらく見ていたが、彼にパイサやルピーを投げ与える者はいなかった。日本に帰ってから知ったのだが、本当に貧しい親は子供を不具にしてしまうそうだ。そうすれば子供は物乞いとして生きていくことができる。その少年がそうなのかは分からないが、私はやり切れない気分だった。
人間はどんな環境においても順応していける動物だと私は思う。単純に貧しいから不幸だとか、豊かだから幸福だとかを言うことはできない。先進国にも苦しんで自ら命を断つ人はもちろんたくさんいるし、途上国から先進国の人間を見て、自分にはとてもじゃないがあんな生活はできないと思うこともあるだろう。幸福感というのは主観的なものなので、インド人が皆不幸であると思い込むことは先進国の人間が皆幸福であると思うのと同じくらい愚かなことだ。確かにインドは限り無く貧しいし、不衛生で識字率も低い。障害者も多いし、今もカーストやサティー(注 1)やダウリー(注 2)という文化が存在している。悲惨だと言う人もいるだろう。しかし、同カースト内では相互扶助的に生活しているという例もあるし、サティーに至っては自ら進んで殉死する寡婦もいると聞いた。まるで藤子・F・不二雄の 「ミノタウロスの皿」(注 3) だ。それはパラダイムの見直しであり、「人権」 というタームでは火の中に身を投じる寡婦を止めることはできない。我々の文化で彼らの文化を計ることはできないし、かといって全ての文化は等価だと言うこともできない。けれど少なくとももし、今度生まれ変わるとしたらインドと日本とどちらがいいかとインド人に聞いたら、ほとんどが日本だと答えるんじゃないか(今の私だったら必ずしもそうだとは思わない。その時代のその国に生まれて後天的に形成された言葉をも含む共通の価値観はそう簡単には越えられないからだ。日本人がアメリカに生まれたい、と思うこととは違う)。私はインド滞在中、ずっとそんなことばかり考えていた、っていうか考えられずにはいられなかった。それほどまでに当時の私にとって、インドはカルチャー・ショックだった。(つづく)
(注 1)  
夫に先立たれた妻が夫の遺体と共に生きながら火葬される習慣。法律では禁止されたが、なくなったわけではない。
(注 2)  
花嫁の父から花婿に贈られる財産や持参金。ダウリーが少ないために姑に嫁が殺されたり、親の負担を案じて自殺した姉妹もいる。なお、カーストはポルトガル語、ダウリーは英語から来ており、それらを表わす言葉自体インド語には存在しない。
(注 3) 藤子・F・不二雄「異色短編集 1」 
未来世紀、一人の地球人がある惑星に不時着する。その星では人間が家畜であり、牛が主人である。家畜である人間の最大の栄誉は大祭の日に選ばれて食べられることであり、それは本人にとっても家族にとっても待ち望まれている。ここではパラダイムの転換が起きている。   http://amzn.asia/7W7wIlZ  _

NO 108 インド編 その4

at 2006 05/29 22:35 編集

インディア・エアラインでデリーにやって来た。空港から市内行きのバスに乗る。運転手と客のやり取りを聞いていたのだが、ヒンディー語だと思っていたのが三十分経過して英語だと判明。ちなみにインド英語の特徴は thをタと発音し、R をはっきりと発音する。だから thirty はターティーとなり、master はマスタルになる。
その運転手にホテルを紹介してもらい、宿泊した翌朝のこと。起きると下痢と頭痛と悪寒とおまけに脚の関節まで痛い。これは赤痢かコレラか肝炎か。インドの地で客死したら骨はガンジス河にまいてくれ。後は頼む、って私は一人旅なので自分で何とかせんといかんのだ。食欲はないが、喉がやたらと渇くのでメイン・バザールでミックス・ジュースを飲む。路上のジュース・スタンドなのだがこれがものすご~くうまいのであっちこっちで10杯ほど飲み倒す。
1月の北インドの朝は寒い。栄養不良のせいもあって毎年、路上生活者が凍死するほどだ。それでなくても寒気がするのでセーターを50ルピーで買う。もう値切る気力も残っとらん。それにしてもニューデリー駅前って敗戦直後の日本の焼跡地みたいだ。朝になるとみんなが路上の至る所で商売用か自炊のための火をおこし、わらわらと人や野良犬や野良牛が集まり始め、その人ごみの中をタクシーやリキシャーが縫うようにして通り抜けてゆく。道端では男たちが座り小便をしている(なぜかインドの男たちは座って用を足すのだ)。
メイン・バザール(バハール・ガンジ)はその駅前にある、安宿や食堂や映画館や雑貨屋等が立ち並ぶ通りだ。今日の夕方にはバラナシ行きの列車に乗らなければならないので、駅のクロークに荷物を預けてからうろうろしようと思っていたのだがっ。だっ、駄目だあ~。苦しい。もう一歩も動けん。このままでは死ぐ。ホテルで休ませてもらおうと日本人に人気の「ホテル・パヤール」に行き、「2、3時間やずまぜで~」 と息も絶え絶えに頼むと心良く了承してくれた。 「だけど一泊分の料金はもらうよ。30ルピー」 と付け加えるのを忘れなかったが。 
屋上の部屋に案内される。隣の部屋の中年の日本人はインド滞在二か月だそうで、パチパチとタイプライターを打っている。屋上のデッキチェアで昼寝をしに来た日本女性三人は「あの人(私のこと)、病気なんだって。私、薬持っていてあげよう」 と話をしていた。私はベッドで苦しみながら期待して待っていたのだが、結局来なかった(おいっ)。
しばらく横になった後、ホテルを出て駅に行く。預けていた荷物を引き取ろうとすると、クロークのおっちゃんが、 「4時15分にならないとここはオープンしないよ」 とぬかす。冗談じゃねえ。おれの持ってるチケットは10分発なんだよ。だから開けてくれ、開けろってんだよ。開けろ~っ! 頼む、開けてちょうだい。ね、少しだけだから。開けてくださいまし。開けてくれないとリンダ困っちゃう~(ふるっ!)。開けてったら開けてぇ~。ねえったら、ねえ~ってば~。とすごんだり、すかしたり、傍らのインド人も見かねて加勢してくれるのだが、おっちゃんは 「駄目だ」 の一点張り。普段は 「いいかげん」 を絵に描いて額に入れて壁に飾って一人50パイサでお金を取って鑑賞させるほどルーズなインド人がどうしたってんだ。結局、発車時刻を逃してしまった。しかし、インドの列車は10分、20分の遅れは定刻のうちで、平気で4、5時間遅れることはざらにあるとは後で知ったこと。この時も私の乗る列車がまだ到着してなかったことは充分考えられる。とにかくプラットホームに出て、そこら辺の人に次のバラナシ行きの時間を聞いてみた。でも8時半だとか11時だとか1時とか人によって言うことが違う。窓口で聞こうにも大勢の人間が殺到していて、下痢と発熱で弱っている私にはそこへ突っ込んで行く気力はもはや残っていなかった。
「インド、あんたの勝ちや」
私はへなへなとその場にうずくまった。
「何でインドなんかに来てしまったんやろ~。もし生きて日本に帰ることができたら、今度はハワイに行くぞお」
とわけの分からんことをうわ言のようにつぶやいている私に、 「どうしたんだ?」 と一人のおっちゃんが声をかけてきた。(つづく) 

NO 109 インド編 その5

at 2006 06/05 21:42 編集

事情を話すとおっちゃんは 「バラナシ行きの列車は今日はもうないから、チケットをキャンセルすればお金が戻ってくる」 と言う。おっちゃんに連れられて案内所に行って聞いてみると、「国際外国事務局」 なる所で明日払い戻しをしてくれるそうだ。やれやれ、とにかく戻ってきたお金で新しくチケットを買い直そう。おっちゃんは 「ついてこい」 と手招きをする。この時点でも私はこのおっちゃんを信用していたわけではない。だが、今にも倒れそうな状態であれこれ詮索するのも面倒だったので、大人しくついていくことにした。
駅から五分ほど歩いた場所に旅行会社のオフィスがあり、おっちゃんはそこに入っていく。ここの社員らしい。オフィスで少し休憩してから、リキシャーでおっちゃんの紹介してくれた 「ホテル・アトランタ」 に行く。ゲストハウスではなく中級ホテルだが、一泊80ルピーと、そう高くはない。おっちゃんは従業員と少し話しをすると帰っていった。部屋に案内してくれた従業員の兄ちゃんに 「私は病気である。だから大変苦しい」 と言うと、その兄ちゃんは驚いていろいろと世話をしてくれたのだが、その世話が半端じゃなかった。毛布を持ってくるわ、食べ物を運んできて食べさせてくれるわ、医者を呼んでくれるわ、薬を飲む時間になると水まで持ってきて飲ませてくれた。彼は夜勤なので明日、自分の代わりに私の世話をする人まで頼んでくれた。うっうっうっ。インドでこんなにも人に親切にされるなんてえぇぇ~。私は彼に何度もお礼を言い、やがて眠りに落ちるデリーの夜八時なのであった。 
翌朝は六時に起床。下痢はまだ続いていたが、熱は少し下がったようだ。八時半にバラナシ行きの列車が出ると聞いていたので、急いでチェックアウトをする。駅で窓口に割り込んでくるインド人たちと死闘を演じたあげく、やっと二等寝台車のチケットが取れた(100ルピー)。ホテルに戻り、フロントで昨夜の彼に渡してくれと、迷ったが10ルピー差し出した。せめてもの感謝のつもりだったが、あれから10年以上立つ今でもふと思う。あの10ルピーは彼の手に渡ったのだろうか? やっぱり、渡っていないような気がするな。
駅で昨夜のおっちゃんにばったり出会った。おっちゃんは 「いいか、事務局でチケットを見せれば大丈夫だからな」 とだけ言うと、風を巻くように去って行った。うっ、かっちょいい。私にはおっちゃんの後ろ姿が高倉健に見えた。そして警戒心のせいで無愛想にしたことを激しく後悔した。親切で話しかけてくる人とそうでない人を見分けるのはとても難しい。今日でも構内をうろうろしていると、いろんな人が話しかけてきて教えてくれたのだ。それでもいい人だと思って気を許せば、騙されることもしばしばだ。結局、旅行者は騙されてぼられながら旅を続けていくしかない。絶対ぼられまいと肩ひじ張った旅は面白くないし、旅行者は基本的にその国にとって客人だから通行料だと思えば少しくらいぼられても腹は立たん(と思えるほどの大人になりたいわっ!)。
しかし、それからがまた大変だった。事務局で聞くと、8番の窓口に行けと言われる。8番に行くと13番に行けと言われる。13番に行けば14番に行けと。ああっ、たらい回しだあ~っ。病み上がりの体でひいひい言いながらうろうろしていると、一人の男がここで聞けと13番と14番の間の小さな窓口を教えてくれた。こうしてやっとの思いで払い戻された大枚188ルピーを握りしめ、いつ出発するとも判然としないインド列車に備えて今度ばかりは乗り遅れまいと出発時刻(あくまでも予定)の三時間前からプラットッホームで待機していたのであった。青年は荒野をめざす。いざいかん、聖地バラナシへ! でもここから18時間かかるんだよな。

二等列車に乗り込むと、中はインド世界を凝縮したような騒々しさと混沌である。立錐の余地もないほど混み合ってる車輌にニワトリやヤギを連れ込むやつがいるし、物乞いがお金をせびりに来たかと思えばおひねりをもらいに歌を歌いに来る人や笛を吹いている人もいる。ガキどもは 「バクシーシ」 と遠慮なしに手を差し出してくる。こいつら絶対、無賃乗車だな。ななめ前に座っていたおじさんが 「チャイニーズ?」 と聞いてきた。それからこのおじさんが喋ること喋ること。よく分からないインド英語で、俺はガス会社に勤めてるとか東京と大阪にペンフレンドがいたとか延々とまくし立て、そのやりとりを回りの乗客が興味深そうに見ている。何時間かして、車掌が検札にやって来た。私のチケットを見て、 「この車輌じゃありませんよ」 と言う。おじさんが降りる駅で一緒にホームに降り、ポーターにチケットを見せた。
「ついてこい」(インドではこの言葉をよく言われるなあ)。
そう言うとポーターは私のリュックを肩に担ぎホームを走り出した。列車がどれくらい停車しているか分からんが、乗り遅れたらバラナシはおろか日本に帰ることもままならん。私は必死に走った。こんな時でもなぜか走りながら夜空を見上げ、月がきれいだなあ、なんて思っていた。ポーターの指し示した車輌に飛び乗ると同時に列車が動き始めた。お礼にと彼に1ルピーを渡そうとしたら、受け取ろうとしない。誇り高い人だなと思ったら、 「パイサはいらない」 と言っている。よく見るとそれは1パイサ硬貨だった。あわててポケットから50パイサを三枚つかみ出し、放り投げた。はあ~っ。
疲れ果て、三段寝台の中段にもぐり込み、泥のように寝る。下痢は依然として続いていた。いろんなことがあったような気がするが、インドに来てからまだ四日目なのであった。(つづく)  _

NO 110 インド編 その6

at 2006 06/13 21:52 編集

ベナレス、ベナレス、モスクワの味~って、そりゃパルナスやろがっ! (ベタですまん。しかも関西限定ギャグ)
古くから親しまれてきたベナレスという名は英語名のBENARES(ベナリーズ)の日本語読みであり、正式名はバーラナシーだ。現地ではバナラスともいう。ああややこしい。
早朝六時にムガール・サライ駅に到着。オートリキシャー(小型オート三輪のタクシー)を拾い、バラナシヘ。両側に花屋や食堂やゲストハウスやお香や聖水入れを売っている店等がぎっしりと並んでいる狭い路地をくねくねと下っていくと(曲り角で牛と鉢合わせて角で突かれたりするから気をつけろよって、誰に言ってんだ)、いきなり視界が開けた。聖なるガンガー(ガンジス河)は思ったより広大でダージリンティーのように濁っている。ガート(沐浴場)では老若男女が口をゆすぎ、祈り、体を浄める。神様の乗り物とされる牛も水浴びをし、時おり排泄物も流れる。バラモンは説教をし、サドゥー(ヒンズー教の修行者)は瞑想する。
おお、高校生の時に三島由紀夫の「暁の寺」を読んで以来、憧れの地であったあのバラナシに私はいるのだ。焼けつくような太陽の下、雄大なガンガーに無数のきらめくサリーと半裸の男たち。人々のざわめきと祈り。聞こえてくる讃歌。ガンガーで沐浴せば全ての罪は浄められん。無辜となった亡骸を荼毘に付し、ガンガーに流せば輪廻からの解脱を得ん。ああ、悠久の聖なるガンガーよおっ! 
「バクシーシ、バクシーシ、ジー」 と肩を叩かれたので振り向くと、乞食が列を作って並んでいる。
「バクシーシ!」
ああ、うるさいっ。声を揃えるんじゃないよ。ゆっくりと思索にふける間もないな。そうだ、ボートに乗ろう。交渉して値切り倒し、一時間50ルピーで廻ってもらうことに。ボートを漕ぎ出して川中からガートを眺める。いろいろなガートがあるが、中でも大きなガートは何かもう、ひっちゃかめっちゃかに様々なものが混じり合ってこの世のものとは思われない光景だ。
いくら聖なる河だといっても、川底に人骨がごろごろ転がっていてたまに死体が浮いていて赤痢菌がうじゃうじゃしているような汚い河の水を飲んで下痢をするインド人だっているだろう。死んじゃう人だっているかも。いや、信仰という気合いが入った精神には病原菌も退散するのかもしれない。なんたって、遺灰をガンガーに流してもらうために地方からやって来てバラナシに住み、死ぬのを待っている人もいるんだもんなあ等と思索にふけるためにボートを漕ぎ出して思索にふけっていると、少女の乗ったボートが近づいて来た。
「この花、神様に捧げる花。10ルピー。買え」
「船頭さん、買わないから先に行っちゃって」 
それにしても信仰というものはすごいなあ。椎名誠が「わしもインドで考えた」で書いているように、このように信仰篤きインド人と信じるものなど何もないんだあ~と嘯いている日本人と一体どちらが幸せなのだろうか等と思索にふけっていると、少年の乗ったボートが近づいて来た。
「ガネーシャ、クリシュナ、カーリー、神様の人形、いろいろある。20ルピー。買え」 
「だあ~っ、うるさいわあ~っ! 俺を一人にさせてくれ~っ!」
ボートを下りて火葬場のマニカルニカー・ガートに行くことにした。布に包まれた遺体を組んだ薪の上に乗せ、火をつける。薪がバチッバチッと音を立てて爆ぜ、布がめらめらと燃えていき、徐々に肉体が現われてくる。時おり隠亡が棒で遺体をつつき、火の回りを早くする。人間の肉体を焼く光景を見るのは初めてなので、最初は衝撃的だったが炎天下で陽炎のような炎を眺めているうちに感覚が麻痺してくる。インドでは何が起きても不思議ではない。 「インドが異常なのか、それとも日本なのか」 思索にふけっていると、いきなり風が吹いてきた。わっ、ぺっ、ぺっ、遺灰が口の中に入っちゃったあ~。
近くで火葬を見ていた日本人らしき女性に声をかけたら、彼女は北海道の大学生だそうだ。話をしているうちにもう一度ボートに乗ろうということになった。人のよさそうな、おじいさんの船頭に値段を聞くと、20ルピーだそうだ。くう~っ、またしてもぼられてたか~。そのボートにはおじいさんの孫だろうか、まだちっちゃな男の子や女の子が五、六人乗っていた。夕刻のガンガーは気温もいくぶん下がり、風が吹いていて気持ちがいい。ガートの喧噪も遠くに聞こえる。この辺りは六時頃になるともう真っ暗闇だ。それでも路地を歩くと聖地らしい喧噪がここかしこで聞こえてくる。自分が今ここにいることが不思議だ。日本を離れて本当に遠くまで来たんだなあ、と感慨にふけっている暇はない。今晩八時半の列車でカルカッタに帰らなければならないのだ。バラナシ滞在十二時間。ああ、せわしない。ここがリーマン・パッカーのつらいところだ。乞食や物売りの少年少女たち、明日もしっかり稼げよ。さらばバラナシ、また来る日までえ~。(つづく)
NO 111 インド編 その7

at 2006 06/20 22:03 編集

バラナシで知り合った人が泊まっているホテルに荷物を置かせてもらっていたので急いで引き取りに行き、町中でリキシャーを拾う。町外れまで行き、そこからオートリキシャーを雇ったのだが、運転手が飛ばすこと飛ばすこと。急いでくれるのはありがたいのだが乗っている方は気が気ではない。人波を巧みにかわし、F1レーサーのように車を追い抜き、対向する牛の横をするりと通り抜ける。まったく、生きた心地がしなかったよ、あたしゃ(ここだけちびまるこちゃんの声で読んでね)。
やっと駅に着いてやれやれと思っていたら、駐車しようとする寸前に横から二人乗りの自転車が突っ込んできた。私は後ろの座席であるはずのないブレーキを右足で思いっきり踏みこんだが、やっぱりぶつかった。自転車は派手に横転したが、男たちに大したケガはなかったらしく、起き上がると猛然と食って掛かってきた。それに運転手が応戦する。回りには野次馬が集まってきた。こういう場合、インド人は激しく罵り合っても手は出さない(警官が民衆を警棒でどついている光景は時々見る)。
インド人と中国人は似ているような気がする。どちらの国も人口が多いので自分を主張しないとやっていけない。謙譲の美徳なんて言っていたらバスにも乗れないし、列車のチケットも買えないのだ。そんな生存競争が激しい国では自然と気性が荒くなるのか、しょっちゅう言い争いをしている。そうやってケンカになるとわらわらと人が集まってきて見物を始める。誰も仲裁はしない。大学の時の先生が言っていた。中国からの留学生が日本に来て不思議に思うのは、街を歩いていても電車に乗っていても日本人がとても穏やかでケンカをしないことなのだそうだ。インド人だってそう思っているのに違いない。しかし、私に言わせればケンカばっかりしているあんたたちの方がよっぽっど不思議だぞ。とにかく座席にリキシャー代を置いて、ケンカをしている二人を尻目に駅へと急ぐ。
プラットホームには日本人の団体客がいた。五才くらいの女の子が彼等に 「バクシーシ」 と手を出す。そこにいた若者たちがこう言っていた。
「お金ないんだよ。ノー・マネー、わかる?」 
「逆にこっちから『バクシーシ』って言ってみればいいんじゃないの」 
「そうか、ほら、バクシーシ」 
日本人に手を出された女の子はきょとんとしていた。
むき~っ! 今でもこの光景を思い出すと腹が立つ。その子は好きで物乞いしてんじゃねーよ。貧しくて働きたくても働けねーから仕方なくやってんじゃねーか。そうやってインドまで遊びに来ている金持ちの日本人(私もだけどよ)がいたいけな子供をからかうんじゃねーよ。金をやるつもりがないんなら、断るか無視すればすむことだろーが、あほんだらっ! と憤慨していると一人の少年が私にお金を乞い始めた。歩き出してもしつこくついて来て、ひざまづいて私の靴に額をこすりつけてくる。とうとう根負けして某(なにがし)かのお金を与えた。するとその少年は仲間のところへ戻り、ひそひそと話をしていたかと思うと五、六人がこちらに突進してきた。あわてて逃げ出し、何とか彼らの追跡から逃れて車両に飛び乗る。やれやれ。
列車が駅に着き、乗客が降りると子供たちが一斉に乗り込んできた。何をするんだと見ていると、ゴミ箱や座席の下からペットボトルを拾い集めている。そして構内にある水道の蛇口からペットボトルに水を入れてキャップを閉めているのだ。誰に売りつけるんや~? と考えるとはたと思いつくことがあった。中級のホテルに泊まっていて、ミネラルウオーターを頼んだ。ボーイが持って来たボトルには明らかに水が七分目ほどしか入っていない。もちろんキャップは開けた跡がある。こいつの中身は駅の水道水やないかいっ?! 責任者、出てこいっ! (by人生幸朗師匠)
こういう風にインドのガキどもは毎日を逞しく生きてゆくのであった。幼少のみぎりから鍛えられているんで、斯くの如く冷酷で抜け目のないインド商人に成長していくのもむべなるかな、合掌。(つづく)  _

NO 112 インド編 その8
at 2006 07/05 22:18 編集

早朝、カルカッタのハウラー駅に着く。フーグリー河に架かる巨大な鉄橋、ハウラー橋は通勤する人で丸の内のようにごった返している。喧噪の中、澱んだ河を見ながら私は一人、物思いに沈む。
「今日でインドともお別れだ。長かったようで短かった一週間。物売りや物乞いに辟易し、下痢や発熱に悩まされた一週間。騙されたりもしたけど、親切な人にも出会った。うるさいが、頼もしくもある子供たち。チャイ屋の売り声、灼熱の大地、道端で死んだように眠りこけている犬、漆黒の暗闇、バラナシの炎、死体、サドゥー、カーリー女神に捧げられるために首をはねられる山羊」
様々な光景が次々に浮かんでは消える。けれどもインドよ、今日でおさらばすると思うと....、
あ~嬉しいわいっ! とっとと日本に帰るぞ。帰って風呂に入ってうまいもん食ってゆっくり寝て下痢を直すぞ。こんな国、二度と来るもんかいっ。一刻も早く空港に行って飛行機に乗って文明国に帰るんじゃい。帰るったら、帰るんだ~い!
帰りの飛行機で同年代の男と隣り合わせになった。どちらからともなく話しかけ、彼はパリでアパートを借りて住んでいたことやアジアのいろんな国を旅した話をしてくれた。私が海外旅行は初めてだと言うと、彼はこう言った。
「それならあなたはこれから何度も旅に出るでしょうね。一人で旅をする快感を覚えたら、それはやみつきになりますよ。僕がそうでしたから」 
私はそうはならないだろうと確信していた。こんな苦しい旅なんか二度とごめんだ。
成田空港に着くと私は激しい違和感を感じた。その違和感は日常生活の中でも長い間続いた。日本はなんでこんなに清潔で、日本人はなんで異常なほど清潔好きなんだ? 日本人はなんで大したことでもないことをいちいち気にするんだ(インド人は何があっても二言目には「ノー・プロブレム」って言うじゃないか)? なんで商品には全て値段がついてる? なんでどこに行っても自動販売機があるんだ? なんでみんな、自分のことをすぐに不幸でビンボーだなんて言うんだあ? おまけにふとしたおりにインドの子供たちや大人たちの姿がちらついてきたりする。 
「カルカッタは好きな街だよ」 
仲良くなったホテルのボーイにこう言うと、彼は言ったっけ。
「一週間の滞在では何も分からないよ」 
そりゃ、そうだ。けれども分かったこともいっぱいあったぞ。旅が短いか長いかなんてのはあまり重要ではないと思う。果たして私は自分を変えることが出来たんであろうか? それは本人にはよく分からんが、インドで学んできたと胸を張って言えることなら一つある。駅のトイレに入って、紙がなくてもちっとも慌てなくなった。どんなトイレでもバッチ来いって感じ。私にはインドで習得した、この黄金の左手がある。紙で処理するなんて、なんて不潔で野蛮。ちなみに帰国してからも軟便が一か月続いた。インド、もしもう一度行くことがあれば、勝てないにしても、引き分けくらいにはしたい。ああインド、ため息の出るインドよ。
仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。(ゴーダマ・シッタールダ)
(終わり)

皆様への伝達事項
実質的な第一話で長編です。海外旅行に行く時は胃薬を用意しましょう。
ドリアン長野はカンボジアでも下痢してました。以下は参考に。

ドリアン長野のカンボジア旅行記
ドリアン長野は平成10年代に半ば勢いだけで非常に乱雑かつ順不同な投稿をしてたので整理整頓は絶対必要でした。そして、過去と違って現在gooブログでは3万文字の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、インドでは電子マネーが平成29年頃から急速に普及してるそうですので過去と現在は大違いだそうです。










エスカレーターに不慣れなインド人は階段は慣れておられたのでしょうか?階段は1970年代から利用されてたかもしれません。建物内で階段とエスカレーターの両者が利用出来る場所を見ると、つい連想する。

 インド国内一つとっても、西ベンガル州内においてもコルカタばかりかダムダム、デリー連邦直轄地、ウッタル・プラデーシュ州ベナレス(英語ではヴァーラーナシーでヒンディー語ではバナーラスとも言われてるらしい)等、幾つもの町々が存在しある程度の地名はその国へ行く前に覚えておく必要があると思います。
私が行ってきたカナダにおいても英語とフランス語(ケベック州の公用語)で町の名前が変更される。ブリティッシュコロンビア州がフランス語ではColombie-Britannique(コロンビーブリタニーキ)に変わります。
インド西ベンガル州においてはダムダムばかりかコルカタは有名です。CCUことネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港(旧名 ダムダム空港)は西ベンガル州ダムダムに存在します。
ザ ラリット グレート イースタン コルカタ(旧名 グレートイースタンホテル)は西ベンガル州コルカタにて営業されてます。

 病気についても深刻な状況です。一説によると多剤性耐性結核菌がインドでは猛威を振るっているとも言われています。単純にインドは日本と違って販売の規制が緩いと言われている抗生物質の使いすぎだけではなくて、治療の仕方に問題がある患者が多いからだそうです。

 過去と違い昨今(平成20年代以降)、気づいた時には日本人も錯乱していたり善悪の判断が行えない人が増加していますね。傲岸不遜な人物がいて、羞恥心があるのか無いのかは不明だがちゃんとした説明もなしに「娘が寡婦だから生活費を支払ってもらえる。」と勘違いしてた人がいてその人物が私に対して不条理な行動を取った事から支払い拒否を伝達したら泣きながら逆上し「何てことを言うんだ。」と言われました。他人の業務上の艱難辛苦を軽んじた上で人の善意につけこむから気分を害した前例もございました。乏しくても説明責任は存在すると私は思います。言い換えると「彼等一家は全く乏しくない。」から説明拒否をしたのでしょう。世の中には関われる人、関われない人がいます。いたいけな子供をからかうのは良くないにしても周囲の大人は保護者だから責任があると思います。子供を助けるか否かは各自で熟慮の上でご決断ください。子供達には教育が必要で絶対に搾取を伝えてはいけないんです。
 
ドリアン長野は1961年3月5日生まれで、26歳の時にインドに旅したならば、1987年こと昭和62年か翌年に行われたインド旅行記です。ドリアン長野にとって半ば唯一の昭和の海外旅行記になるようです。日本国内でも景品表示法が存在しないような小売店が存在していますがインドの方が日本よりも悪いみたいですね。

紹介した3種類の動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
landing at Kolkata コルカタ空港に着陸


パルナス製菓 「パルナスの歌」フルバージョン


「NO 110 インド編 その6 ベナレス、ベナレス、モスクワの味~って、そりゃパルナスやろがっ!」とドリアン長野は執筆してました。パルナス製菓さんは平成14年に企業清算して解散しました。
阪神尼崎駅構内でパルナス製菓の創業者の実弟にあたる人物が、昭和49年にパルナス製菓さんから独立して開店したのがモンパルナスさんです。モンパルナスさんは兵庫県尼崎市(阪神尼崎駅内)で営業されているベーカリーでパルナスの事実上の後継店でもあります。出張販売ばかりか通販もされてます。

http://www.pirosiki.com/
特別に私が平成29年にモンパルナスさんで買ってきたおいしいロシアンドーナツ(左)とピロシキ(右)の画像を紹介します。
モンパルナスさんは令和三年五月からは兵庫から大阪に移転されるそうです。





インド旅の第一関門、人でごった返す
インディラ・ガンディー国際空港前


これだけ多くの客引きにもみくちゃにされると困りますね。

海外旅行とバス

まず初めに海外でのバス事情について述べたい。海外のバス事情と言っても、海外のホテルから空港の送迎バスの特徴を述べた後で海外の公共のバスについて述べたい。
日本国内で国際空港に到着する迄に乗車するバスについて述べる事はあえて後述します。

 私はブリティッシュコロンビア州でホテルから空港の送迎バスを利用したから言えますが一長一短がございます。
 ー長所ー
 ~安全運転での送迎と貨物の運搬~
 長所は安全運転での送迎で最重要です。海外での運転は日本国内の運転と同程度か日本国内よりも危険と考える必要はあります。又、国家によって法体系は違うとは言えども、海外においても厳しい道路交通法が存在してます。

 ~車内での肯定的な発言や街についての説明~
送迎をちゃんとしてくれるばかりか車内で町の説明をしてくれる点です。治安が悪い危険な街についての説明が行われると、多くの人は普通に賛同すると思います。あえて、危険な町に行くことについて私は推奨しません。

 ~ホテルの受付での連絡や早期入室の優遇~
 もしかしたら、ホテルへの早期入室も送迎バスの料金に含まれてるかもしれません。航空機が空港に到着する時間と予約したホテルの入室が許可される時間に大きな乖離(かいり)とも言うべき空き時間が発生してる可能性はあり得ます。日本から海外の空港に到着して入国審査を済ませて移動しホテルに到着した時に入室が許可されていない時間になってる可能性については考慮してください。運転手さんがホテルの受付で色々と連絡してもらえると心強いです。予約の確認も行われるかもしれない。いい加減なホテルだと予約を勝手に取り消してる可能性も考えられる。

 ~パスポートの確認~
 もしも、運転手からパスポートの有無について質問されたら黙って見せましょう。「千の言葉よりも一の実行。」とは伝えませんがそれはお互いの為です。

 -短所-
 ~他の旅行者の待機~
 短所は、「他の旅行者の待機。」と伝えられてイマイチ納得しない人がおられるかもしれないので実体験を語るような説明をします。私は関空を利用してカナダに行きました。それだけでなく成田空港からやってくる人もバス(実際にはパッセンジャーバン)でホテルに送ることから待機をせざるを得なかったのです。人によったらこの点について考えて空港連絡鉄道を利用されるかもしれません。空港からホテルへ送ってもらう時に運転手に出会った後スグにはバスが利用出来なかったので、せめて待つ場所は選びたいと思ったので私はティムホートンズ(ドーナツ店)に案内してもらいました。皆さんもドーナツ店等の飲食店で待機されてはいかがでしょうか?

 ~業者によるが高価格ないしはそれなりの金額~
 向こうも商売なのであまり大きな事は言えないばかりか役割をちゃんと果たしてくれたならば料金を支払うべきですしそれなりの金額である点は批判はしませんが空港連絡鉄道よりも高値であることは多いです。人によったら料金面を考慮して空港連絡鉄道を利用されるかもしれません。

 ~無意味な提案(観光案内等)~
 現地の観光業者にしても最小遂行人数があるらしいので事前に連絡してもらいたいそうです。フリープランであっても海外旅行案内書等を読んで予定をそれなりに作った人も世の中にはおられます。他の人はどうか知らないが日本にいる時に(余裕を持たせてはいるが)それなりの予定を計画して渡航する人はいます。

 ~車内において否定的に感じる発言内容~
 性格の悪い親類縁者が無礼で車内において否定的に感じる発言内容をやらかす人がいると本当に困るが、それとは性質が違いました。
 率直に伝えるがシーフードレストランのボートハウス(店名)のニューウェストミンスター店に行きたかったので運転手に質問したらご存じなかった。私が実際にニューウェストミンスター市に赴いたら営業してました。この部分は難しい部分で賛同は得られにくいかもしれないが「質問したことに対して良い返答が行えなかった案内人がいた。」と考えてもらいたい。「運転だけでも十分では?」と言われるとそれまでなんですけどもね。インターネット上の情報は全て虚偽とは言わないが過去形も存在してる点は否定出来ない。それもあって、確認した次第です。お店の場合は第二希望を用意しておいたが方が良いです。

 ~偽物が出現する恐れがある点~
 真面目に送迎バスの仕事をされてる人には問題は無いが偽物には問題があるんです。送迎の人に過去に会ったことがあるならともかくだが会ったことが無い人の場合は警戒するのはやむをえません。空港連絡鉄道が利用出来るならばそれを推奨します。こちらを参考に

 ~やってきた時間が微妙~
 日本に帰国する時の迎えのバスがやってきた時間が微妙であったので帰国便に着席したのが飛行機(帰国便)の出発の40分前であった点です。次に送迎バスを利用するか否かについては考えてしまいます。自発的に空港に行く人もおられるかもしれない。利用する人がバスの時間を厳守してもバスが空港に到着した時間が微妙だと今後の利用については色々と考えてしまいますね。

 マトメ
 バスの利用ですが、日本にいる時に前もって自発的に調べておくことを推奨します。例外はフルパッケージツアーですがそれでも日本国内において国際空港に赴く為にバスを利用する時にはある程度は調べることは不可避になると考えられます。
 観光客向けのバスと万人向けのバスは大違いではあるが高いか安いかで判断して万人向けのバスを選ぶ人も多いと思いますしそれはその旅行者の自由だと思います。少々趣きが異なるかもしれませんがバスや空港連絡鉄道の代わりにレンタカーを利用される人は多いようです。確かに長所はございます。だが、レンタカーは危険ですので利用の妨害はしませんが推奨はしかねます。海外においても交通事故だけでなく交通違反の取り締まりや罰金刑も厳しいそうです。海外旅行保険があなたの全ての艱難辛苦を助けてくれるかどうかは微妙です。
 平成20年代になって国の内外を問わずに幾つかの町において、空港連絡鉄道が円滑に利用出来ますが利用するか否かは各自で熟慮の上でご決断下さい。周知されてるように全ての国際空港において空港連絡鉄道が利用出来る訳ではありませんので前もって渡航先については各自で調べるべきです。到着した町について初心者であれば多少高値であっても空港からホテルへ送ってくれるばかりかホテルから空港へ迎えてくれるバスを依頼されてもよろしいかもしれません。送迎の内「送り。」だけないしは「迎え。」だけ依頼する人もおられるそうです。ホテルのシャトルバスを利用する人もいるらしく移動手段は多種多様です。観光地に行くことを除外して空港内のホテルに宿泊する人もおられるようですけどもね。
インターネット上で積極的に情報を発表してる海外のバス会社であればともかくですが海外では時刻表が無いバス会社もあるようでグーグルで調べても詳しく分からない場合もございます。しかしながら、利用せざるを得ない場合もあるようです。ミャンマー(ビルマ)のトラックのようなバス会社はそういった方針のようでバス(トラック)が満席になってから出発する方針のバス会社も存在するらしいです。   ビルマの休日 その8
 ある深刻な問題が発生してる。日本国内の空港連絡鉄道についてですが南海のラピートの利用者等を除外すると旅行鞄が大きいことについて否定的な人が多いらしく批判してるらしい。それこそが批判の対象に思える人は多いのではなかろうか?鉄道の乗車賃を支払った後で利用してる人を批判するのは良くないので批判は辞めてもらいたい。旅行鞄を持ってるか否かは各自の自由です。無論、ラピートに限っては旅行鞄を設置する場所が確保されてるから批判の声が少ないかもしれない。鉄道よりもバスを利用することについて考慮するか否かは各自の判断ですし料金を支払った後の自由妨害は良くないと思います。皮肉ながら、バスであれば鉄道のように旅行鞄が原因で発生する問題の可能性が低減されてるから利用する人は多いようです。無論、時間(特に出発便)に余裕を持って行動しないといけません。帰国便の場合は職場に到着する時間でしょうか?日本の場合は少ないが、海外ではバス会社のストライキが発生する可能性も考慮しておいてください。
 実際に海外旅行に行かれるとバスの利用は重要になってきますのである程度は金銭的ばかりか時間の面でも余裕を持って対応してください。バスが利用出来ると利点も大きいです。例えるならば、高さが27.4メートルを超える橋も躊躇なく通過出来ます。そればかりか、ある程度の土地勘が出来上がるとバスを二回乗るのではなくて一回で済ませられることに気づいたりして楽しめる事もあります。

 最後に一つ笑い話を紹介します。
 私はバンクーバー水族館(観光地)を後にしてバスを利用しました。時差ボケもあって朦朧としてたこともあってそのバスから降りる時に一日乗車券(バンクーバートランスリンク)をなかなか出せないでいましたのでバスの運転手から「切符を忘れたの?(Did you forget ticket ? )」と質問された時に切符を見つけ出しピーと鳴らした事によってバス料金を支払ったので事なきを得ました。そこで降りた場所は本来降りるべき場所から若干離れた場所であったので眠たい時に迷子のような状態になってたが現地の在外邦人に偶然出会って道案内をしてもらいホテルに帰って部屋に戻り熟睡しました。その当時の時差が16時間なので朦朧とするのは仕方なかったです。日本と違ってカナダのブリティッシュコロンビア州では夏時間(16時間の時差)と冬時間(17時間の時差)が存在します。だから、私は頻繁に地元で道案内をするようになりました。皆さんも海外旅行を楽しんできてください。 

敬具 マーキュリーマーク

令和三年六月追記 インド編その8からの抜粋
「早朝、カルカッタのハウラー駅に着く。」よりも「早朝、西ベンガル州のハウラー駅に着く。」の方が適切な表現になるようです。
理由はコルカタ(カルカッタ)とハウラーの両者は西ベンガル州内の街ですが対岸の街であって別個だからです。街の説明は難しい。
半ば当然ながら西ベンガル州はウェストベンガル州とも言われてます。

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#84

2024-04-26 | 日記
ドリアン長野の上海旅行記
2018-03-12 | Weblog
長編ですので文字数制限に関わることからアンカータグは以下の3種類とさせていただきます。
上海日記 1日目   上海日記 6日目   上海日記 最終日

ドリアン長野の上海旅行記

#23 飛んで上海

at 2003 10/31 19:02 編集

 出発前から中国だった。関空に着いたら、いきなり飛行機が2時間の延着だ。仕方なく待っていたら今度は変更(って?)ということで更に1時間待ち。中国国際航空に乗るはずだった我々はなぜか中国東方航空機に乗せられ、予定より3時間10分遅れでやっと飛び立った。機内放送ではそのことについては一切触れられることはなかった。やるな、中国。さすが豪放磊落、天衣無縫、質実剛健の中国人だ。少しぐらい遅れたからって、四の五の言うんじゃねえよ、墜落するわけじゃあるめえしよ、という態度に私は好感を持つぞ。いいぞ、中国、等とその時はまだ余裕をかましていられた。
 夜の8時に上海虹橋空港着。飛行機の中で今夜泊まるホテルを決めていたので、予約しようとうろうろしていると、「タクシー?」 と小説家の猪瀬直樹にそっくりの男が寄ってきた。
 「○○ホテルに泊まりたいんだ」と言うと猪瀬は「知ってる」と言う。ああ、いつもならそんな手口には乗らないのだが、なぜか猪瀬の後をのこのこと付いて行き、タクシーに乗った。助手席には別の男が乗り込んできた。アジアではこういう事はよくある。タクシーを私用に使うのは日常茶飯事、勝手に友人や家族を乗せたりするので私は気にも止めなかった。猪瀬の相棒が高級そうなホテルのパンフレットを差し出す。
 「○○ホテルは古くて部屋も狭い」
 案の定、タクシーはパンフレットの高級そうなホテルの前に着いた。 「この野郎~」と思ったが宿泊費を聞くと、そう高くはない。夜も遅いし、この高級そうなホテルに泊まることにした。ボーイに案内されて高級そうな部屋に入ると猪瀬たちも付いてきた。ボーイが出て行くと、猪瀬が両替しないか? と言う。レートを尋ねると銀行と同じなので1万円換金することにした。これで用は済んだと思ったが、極悪人の猪瀬はその後、信じられないことを言ったのだ。
 「ハイウエイ代の100元とタクシー代の100元を払ってくれ」
 てめ~、空港でタクシー代はホテル代込みだと言ったじゃね~か。そう言うと 「サービス込みだと言ったが、料金込みだと言った覚えはない」 とわけの分からんことをぬかしやがる。渋々100元だけは渡したが、あとの100元は絶対に払えんっ! と長い間言い争った。しかし、極悪人猪瀬は諦めない。朝まで言い争っていてもよかったのだが、私は言い争いをしにわざわざ中国までやって来たのではない。観光をしに来たんだ、観光を! 明日も早いのでいいかげんに寝たい。私は負けた。極悪人猪瀬に100元払って追い返した。くっそ~、お金も惜しいが、それ以上に極悪人猪瀬に負けたことが悔しい。気分を変えようと食事をしに外に出たが、レストランも食堂も屋台も何もない。あるのは高級そうなアパートと理髪店だけだ。(ここもかいっ!) どうやらここは上海のはずれのようだ。その夜はローソンでハンバーガーとジュースを買ってホテルに帰る。(何で上海まで来てこんなもん食べとるんやあ~~! 猪瀬~っ、てめえのせいやあ~!!)
 翌日は市街地にある東亜飯店に泊まる。このホテルは上海銀座と呼ばれる南京路に面しており、常にごった返している。夜ともなるとネオンサインがまたたき、地元の人間と観光客とおのぼりさんと物乞いでにぎわう。あ、それと忘れてならないのが繁華街には必須の売春婦とポン引きである。上海ガールもさることながらしつこいのがポン引きだ。もし、あなたが上海に来て東亜飯店に泊まり、夜になって南京路に一歩でも足を踏み出してごらんなせい、びしっとスーツに身を固めた兄ちゃんがすっと近寄り「女はどう?」と聞かれる確率はインドのデリーで観光客がお金をせびられる確率に等しい。さらに歩くと3メートルごとに声をかけられるのは間違いない。南京路を端から端まで歩くと、少なくとも20人からは声をかけられるだろう。(私はここをポン引き通りと命名) バカも~ん、それでも中国か! 全く嘆かわしいわい(by 磯野波平)。私も一人の兄ちゃんにマークされ、しつこく勧められるのでしつこく断るのだが、諦めないので「女は嫌いだ。男がいい」と言うと、「それじゃあ、カフェに行こう。案内するよ」と後ろも見ずにスタスタと歩き出した。バ~カめ、他のカモを探すんだな、と私は反対方向へ歩き始めたのだが、そういえばテレビのバラエティ番組でアグネス・チャンがこんなことを言ってたな。
 「中国で誰かが結婚するとするでしょう。相手が上海人だと親は『とんでもない! やめなさい!』って反対するんですよ。ホント、これホントの話ですよぉ」 こんな十何年前の話を思い起こさせるとはさすが中国三千年の悠久の歴史。 私が親だったら、やっぱり反対するな。(まだつづく)

#24 飛んで上海 その2
上海の裏通りを歩いていると、かつてはここいらに阿片窟や娼館が立ち並んでいたのかなと感慨深いものがある。租界時代に建てられたオールドホテルの「和平飯店」なんか往事を偲ぶよすがとなるに充分だ。ここにあるオールド・ジャズ・バーでスイング・ジャズに耳を傾けていると魔都と呼ばれ、スパイが暗躍した国際都市上海の在りし日の姿が彷彿としてくる。嗚呼、東洋のマタハリと呼ばれた男装の麗人、川島芳子と李香蘭(実は日本人、山口淑子)との倒錯した怪しいロマンス。「白蘭の歌」「支那の夜」そして「上海の女」に江湖の婦女子は紅涙をしぼるのであった、って私はいくつやね~ん! (と一人でつっこんでます)
 アミューズメント・パークの「大世界(ダスカ)」はレトロ。老朽したビルの中に小部屋がいくつもあり、京劇、奇術、映画館、ディスコ、ゲーセン、似顔絵、お化け屋敷等をやっている。野外ステージでは私が行った時は子供たちが雑技をやっていた。ここの雰囲気は日本の昭和三十年代であり、大阪の新世界界隈に似ている。そういえば、ダスカの作りはフェスティバルゲートにそっくりだ。もしかしたらダスカにコンセプトを合わせて作ったのかもしれない。レトロっていうのは古い感覚と新しい感覚との境界線にできるのだと思うが、その極めつけが街のあちらこちらにあるカフェだ。 
 上海でカフェと呼ばれる喫茶店は上海人にとってのおされな社交場となっているらしい。外装も内装も全然、垢抜けてないのがかえって新鮮だ。私の入ったカフェは席がつい立てで仕切られていて(同伴喫茶?)、ビニールのテーブルクロスの上にアクリル板が敷いてあり(う~ん、レトロっすねえ)、ろうそくが立っている。何だか懐かしい。コーヒーはネスカフェで15元。ソフトドリンクはココナッツジュースしかなくて(しかも缶入り)、20元。日本人は珍しいらしく、店の人たちが話しかけてきたので彼女たちと筆談をした。
 上海を旅した人の本を読んでいたら、上海風呂に入りたくなった。幸い、宿泊しているホテルの裏に「浴徳池」という大きな垢すり風呂がある。さっそく行ってみた。まず、バスタブにつかって、体をあたためる。それからすっぽんぽん状態で大理石の台の上に寝そべり、垢すりをしてもらうのだが、これがくすぐったい。それが終わると個室に案内される。バスタオルを腰に巻いて待っていると、男が二人現われた。一人はマッサージ担当で全身を隈無く揉んでくれる。もう一人は手足の爪を切り、やすりで磨き、角質まで削ってくれた。その間にも別の男が煙草を勧めたり、コーラを持ってきたりと至れり尽せりである。全行程の所要時間は2時間。いい気持ちで受付に行き、請求書を見せられてびっくり! アメリカン・コミックなら目玉が30センチほど飛び出てたね。 二人分で884元!(その時は友人と行ったのだ)
 明細を見ると、爪磨き代はもちろん、コーラ代やおしぼり代までしっかりとつけられていた。そうならそうと、事前に言えよっ! 
 「高い」と思わず言うと、「タカクナイヨ。ニホンジン、ミナハラッテクレルネ」(日本語)と言うのだが、日本人は納得して払ってんのか?
 「もう少し安くならんか?」とねばっていると、従業員が五、六人出てきて無言で圧力をかけてきた。暴力バーならぬ、暴力風呂かいっ、ここは。そんなことだったら、六人の男にチップを計220元もやらんかったらよかったわい。
 「女、いらない?」 帰り道で追い討ちをかけるように、またポン引きが声を掛けてきた。(しかも同じ男) 
 ということで、今回の旅で得た教訓。「インド人と中国人には勝て~~んっ!!」 はいっ、大きな声で皆さんも御一緒にっ! (泣) _

NO56 上海日記 1日目

at 2005 01/15 21:22 編集

12月19日
年下の友人K君から何年か振りに電話があった。四方山話のうちに彼が言った。
「ドリアンさん、僕今年パスポート取ったんですけど、一緒に海外旅行行きませんか」
「そりゃいいけど、年末まで10日しかないで。もうチケットは残ってへんで。あったら奇跡やわ」
「奇跡ですか。可能性としたら何パーセントくらいですか」
「まあ、消費税くらいやね」
「5パーセントですか.....。ドリアンさん、こんな話を知ってますか。本田技研の創業者の本田総一朗はですね、小さな町工場から始めてですね.....」
K君はなぜか突然熱く語り始めた。
「ですから、たとえわずかな可能性でもそこに賭けてみるのが男のロマンかと.....」
「わかった、わかった。君の言いたいことは、よ~くわかった。インターネットで調べてみるけど、あんまり期待せんといて」
と言って電話を切って、一応検索してみることにした。リーマン・パッカーは年始年末と盆休みとゴールデン・ウィークしかまとまった休みが取れへんからなあ。俺も半年くらいアジアを放浪してみたいで。バンコクはっと......。やっぱり満席やがな。インドもどっこも満席や。不況いうても年末になると日本人はどっと海外に行くからなあ。どこが不況やっちゅう話やねんな。日本人は兵役みたいに全員一週間インドに行くことを義務づけたらええと思うわ。正月ハワイに行くやつは死刑や。ロサンゼルスに行くやつは帰ってこんでええ、って俺は小言じじいか。過去になんかあったんかいな。マニラも一杯や。当たり前やな。年末のチケットいうたら二か月前から予約すんで、フツー。ラオスもミャンマーも直行便飛んでへんからなあ。一週間の休みやったら無理や。
北京も駄目、上海は、おっ、あった。あったがな、こんな時期に。やっぱり本田は偉大や(なんのこっちゃ)。早速、K君に電話する。
「奇跡は存在したで。上海行きあったで」
「えっ、本当にあったんですか」
あんなに熱く語ったはずのK君の声はものごっつう不安気だった。Why?

NO57 上海日記 2日目

at 2005 01/18 22:23 編集


12月20日
K君はほんまにびびっていた。初めての海外旅行なのはわかるが、それにしても尋常ではない。
「危険な所に行くのはやめましょうね」
「上海に危険な場所はないっちゅうねん(あったら行ってみたいわ)」
「ドリアンさんも日本に待っている人が大勢いると思いますから、くれぐれも無事に帰国しましょう」
「俺たちはイラクに行くジャーナリストとちゃうで」
「お金はいくらかかっても構わないので、命を最優先に考えて下さい」
「君は自衛隊の中隊長か。でも、ひょっとしたら無言の帰宅ってこともありえるなあ」
「ええっ!」
びびっているやつをいちびる(からかう)のは面白い。
その夜、K君からメールが入った。
「中国ってビザいりますよね。 今からでは間に合わないのでは?」
すっかり忘れてた。
慌ててインターネットで調べ、池袋にあるビザ取得代理店にパスポートを明日一番の宅配便で送ることにした。果たして間に合うのか。K君から電話。
「その代理店、大丈夫なんでしょうね、パスポート送っても」
「もしかしたら歌舞伎町の蛇頭(人身売買をするスネークヘッドという犯罪組織)に横流しされるかもね」
「ええっ!」
K君の心配は尽きないのであった。


NO58 上海日記 3日目
at 2005 01/25 23:50 編集
12月30日
「全員整列、番号!」
「1」
「2」
「これからわれわれ上海使節団は上海に向けて出発する。何か質問は?」
「チャイニーズ・マフィアには充分気をつけましょう」
「そんなものはおらん!」
「危険だと思ったらすぐ引き返す勇気を持ちましょう」
「われわれはK2に登りにいくんじゃない!」
ビザはやっと出発前日に届いた。ただ、ガイドブックを読んだら2003年9月から15日間以内の滞在ならビザは不要と書いてあったが。(1万円返せ!)
関空に到着したK君は不安で寝不足と食欲不振が続き、蒼い顔をしていた。
とにもかくにも上海に到着したが、入国検疫申告書を書くのを忘れていたわれわれは係員に呼び止められ、そこで書け、とあごで指示される。初めて接する中国人の横柄な態度にK君はびびる。入国審査を待っている時も行列の中国人同士が割り込みでケンカを始めた。K君、ますますびびる。
「レンミングァンチャン(人民広場)!」
空港前で待っているバスの女性車掌に声をかける。彼女は「満席だよ。次のにしな」と答えた。(私は中国語がわからないので、英語以外は推測です)
「次は何時?」
「10時だよ(夜の)」
「あと40分もあるやん!」
日本語で言うと、「しかたないね。乗りな」とバスの入口を指し示す。バスが動き出したので、外を見ると雪が降り積もっている。凍結した道路では追突したり、ガードレールにぶつかった車を何台も見た。人民広場で降り、地下鉄を探すがむちゃくちゃ寒い。このままではホテルにたどり着く前に凍死してしまうではないか。はんぱねー!歩いていると寒いので全速力で疾走し、コンビニを見つけると飛び込み、道を尋ねるついでに暖をとる。ようやく見つけた地下鉄(中国の地下鉄の出入口は明かりがついていないのでわかりづらい)で河南中路駅まで行き、そこから歩く。われわれが目指すのは浦江飯店だ。外灘(バンド)で、いや上海でバックパッカーが泊まるホテルといえば、ここしかない。空室があればいいが。もうすぐ日付けが変わる。

NO59 上海日記 4日目

at 2005 02/02 20:17 編集

12月31日
7時半起床。トイレの窓から外を見ると一面まっしろ。黄浦江を巡航する船の警笛が聞こえる。浦江飯店はバンドで一番古いホテルだ。チャップリンもアインシュタインもお泊まりになられたが、宿泊費は高くない。バックパッカーの御用達になっているのはドミトリーがあるからだ。ホテル自体は租界時代に建てられただけあって、アールデコで趣がある。われわれの泊まった二人部屋の前は吹き抜けになっていて、広い廊下には租界当時の調度品が展示されていた。
昨夜は12時前にチェックインした。空腹だったが、寒波の中を出ていく気にもなれず、ルームサービスでチャーハンを食べた。眠りについたのは2時過ぎだったと思うが、K君は不安でほとんど寝ていないそうである。そこまでテンパってたら、しまいにゃ死ぬで。われわれは気合いを入れて空手着に着替えた。上海で空手と太極拳の交流をしようという日中友好的な計画を立てていたのである。場合によっては異種格闘技戦も辞さぬつもりだ。カンフーでもなんでもかかってこい(どの辺が日中友好やねん)。意気込んで飛び出したのはいいが、ほんまにものごっつうハンパじゃなくひたすら寒い。いつもは物売りで足の踏み場もないほどの外白渡橋も今日は誰もいない。目指す黄浦公園はホテルから走って3分ほど。公園の入口で警備のおっちゃんに「滑るから気をつけな」と声をかけられた。
「太極拳は?」
「寒いから休みだ」
いきなり計画失敗。寒さに異常に強い中国人もさすがに今日は無理?って感じ? 口ほどにもないぜ、今日はこのくらいにしといたるわとバンドの凍結した遊歩道をこけながらジョギングして帰ったのだが、われわれ日本人の姿はよほど奇異に見えたのであろう。ホテルの従業員にじろじろと見られる。この寒波になんて物好きなってか。おれたちは見せ物じゃねえ、散りな。しっ、しっ。今度泊まりに来た時は帝国陸軍の軍服で来てやるぜ。日本鬼子と書いた鉢巻きを締めてなって、冗談っすよ。冗談。そんなにムキにならなくてもええやんか~(誰に言うとんじゃ)。


NO60 上海日記 4日目(続)

at 2005 02/09 22:13 編集

部屋に戻ろうとすると、廊下の展示品を見ている二人の日本人がいたので声をかける。彼らは6階のドミトリーに泊まっているそうだ。
「僕らも昨日の夜に上海に来たんですけどね、ドミに金城武そっくりの男が泊まってるんですよ」
「えっ、金城武!」
「ほんとにそっくりですよ」
「まさか本人じゃあ.....」
「見に来ますか」
「行く行く行く!」
ここのドミは男女別になっているそうだ。部屋も清潔で窓からはほんのわずかだが黄浦江が見える。彼らの他には日本人と韓国人が一人づつ泊まっていた。韓国人が聞く。
「何でそんなかっこしてんの? パジャマ代わり?」
「公園をジョギングしてきたんだ」
「はっはっはっ。クレージー」
ほっとけ。
「あれ? さっきまでいたのにな。出かけたみたいですね」
あ”~っ、残念。タケシ、私をおいてどこに行っちゃたの。
「タケシの寝ていたベッドはどこかしら?」
「は? あそこですけど」
「タケシ~」と叫んでベッドに飛び込む。
「.............。私、別に変態じゃないからね」
「は、はあ~」
「われわれはこんなことしてる暇ないねん(お前が勝手にやってただけやろ)。早いとこ、このホテルをチェックアウトして新しいホテルに移らんと」
「どこに泊まるんですか」
「ピース・ホテル」
「あそこ、空いてるかなあ。昨日も満室だと断られて、ここのドミに来た人がいましたから」
「とにかく行ってみるわ。タケシに会ったら、よろしく言っといて」
ピース・ホテル(和平飯店)は上海銀座の南京東路を挟んで北楼と南楼がある。和平飯店といえば、バンド。バンドといえば、和平飯店だというくらい、バンドを象徴するホテルである。一生に一遍だけ泊まってみても罰は当たらんだろうと思ったが、今日も明日もあさってもやっぱり満室だった。仕方なく、その日はバンドの対岸にあるホテルに泊まる。部屋から小学校の校庭が見えるのだが、この寒さにも何のその、大勢の大人がダンスを踊っている。今日は大晦日やったなあ。それにしても寒くないんか?


NO61 上海日記 4日目(続々)

at 2005 02/16 23:29 編集

その夜、オールドバーでジャズを聴くために再び和平飯店を訪ねた。メンバーは平均年齢70歳台の老人であり、このホテルの名物である。大晦日のせいか、満席で少し待たされたが、相席でテーブルに着いた。アメリカンスタイルのカウンターやローソクのシャンデリアが租界時代を想わせる。一時間ほど演奏を楽しんだ後、和平飯店を探索することにした。もう十何年も前のことだが、桐島洋子さんの本でこんな文章を読んだことがあったのだ。
「和平飯店は40年前にはじめて上海に渡ったときにしばらく滞在したキャセイ・ホテルであり、このホテルこそ私にとって外国の原体験なのだ。幼い私が絶望的に長い廊下を魔法使いに追いかけられながら必死に走る夢を今でも私はときどき見るが、それは明らかにこのホテルの廊下であり、魔法使いの方はディズニーの白雪姫の継母である。40年ぶりに歩く廊下は気味が悪くなるほど夢の中の景色のままだった。」 (大草原に潮騒が聴える)http://amzn.asia/0Hyeswq
その幻想的な廊下のイメージは上海、キャセイ・ホテル(和平飯店北楼)、といった妖しい響きと相俟って、まだ海外に出たことのない私の脳裏にしっかりと刻み込まれた。その長年抱いてきたイメージがついに目の当たりになろうとは。エレベーターで階ごとに降り、廊下を歩く。赤、階によっては青の絨毯が壁の淡い照明に浮かび上がり、進むにつれて租界時代にタイムスリップしていくようだ。南京条約によってイギリス軍が上海を開港し、さらには欧米列強諸国が管理する共同租界となったバンド。極東最大の都市、アジアの貿易、金融の中心地、日支間の思惑が交錯した国際都市、魔都、上海。初めて足を踏み入れた和平飯店は私にとっても想像と寸分たがわぬ光景だった。

NO62 上海日記 4日目(続々々)

at 2005 02/21 23:38 編集

ホテルを出て帰ろうと南京路を歩いていると、逆方向からわさわさと人が歩いてくる。しばらくすると今度はばらばらと大勢の人が走ってきた。時計を見ると12時前。われわれも急いで彼らについていく。バンドの地下道は人民であふれている。暗いので物乞いを踏んづけてしまった。ご、ごめん。あっ、今度は物売りを踏んづけた。遊歩道に出ると、人民と外国人で立錐の余地もない。カウントダウンが始まり、新年になるとあちこちで花火が上がる。2005年の始まりは上海だったかと感慨にふけりながら歩いていると、途中で浦江飯店に宿泊していたバックパッカーたちと出会う。彼らもバンドでカウントダウンを祝い、今から同宿の9人で飲みに行くそうだ。一緒にと誘われたが、われわれは酒を飲まないので残念ながら辞退した。私はドミトリーにはほとんど泊まったことがないのだが、ドミもいいもんだな~と思う。地下鉄が止まっていたので、タクシーを捕まえようとするが、空車が走っていない。近くの交差点で客を降ろすためにタクシーが停まったので、猛ダッシュで飛びつく。血相変えながら日本人が飛び込んできたので、運転手もさぞかし驚いたことであろう。それにしても、どのタクシーも助手席と後部座席は強化プラスチックで運転席と完全に分離されている。上海も物騒になったもんだ。1時帰館。

NO.63 上海日記 5日目
at 2005 03/02 23:44 編集

8時半起床。寝ているときに寒さで何度もトイレに行ったが、エアコンの暖房がいつの間にか冷房になっていた。これが噂に聞くチャイナマジックか。K君は「風邪をひきましたあ」と情けない声を出して、げほげほいっている。次の宿泊地の豫園にタクシーで移動。上海の観光地といったらバンドと豫園しかない。豫園は明代に造園された役人の個人的な庭園で、何度も破壊されながらも修復され、今に至っているそうである。庭園の横には土産物屋や上海料理店がひしめき合い、屋台では人民が小吃(スナック)に喰らいつき、子供はわあわあと走り回り、中国のおのぼりさんがあっちこっちで記念写真を撮りまくり、ツアーの日本人観光客がぞろぞろと土産物を買い漁っているという、浅草をもっと巨大にしたような感じである。豫園内にある上海老飯店というレストランの中にあるホテルにチェックイン。上海老飯店は1875年創業の老舗で、ホテルに貼ってあった写真によると、江沢民もクリントン夫妻も食事に来たことがあるそうである。うふふ、たまにはこれくらいの、じゅるるっ、おごっそうを食べても、よだれが、いいんじゃないかい。今晩の食事が楽しみだ。

NO64 上海日記 5日目(続)

at 2005 03/10 22:09 編集

日本の団体ツアーに紛れ込み、添乗員の説明にうなづきながら庭園を見てまわる。最後にはしっかりと記念撮影にも収まった。そこから歩いて老西門(ラオシーメン)に行く。ここら辺は租界時代も外国人が立ち入ることができなかった地域で猥雑な下町である。路地には古い木造アパートや商店が犇めき、軒先からは洗濯物が邪悪なオブジェの如くこれでもかというほど垂れ下がり、女性の下着もためらうことなくこれでもかというほど干してある。下着泥棒なんかは出ないのか。馬桶(マートン。簡易便器)にたまった糞尿や生ゴミを捨てにくる公衆ゴミ集積場もあって、冬だからいいものの夏場はかなり臭いそうだ。遠くに見えるバンドの近未来的なビル群とのコントラストが何だかおされである。え~っ! うっそ~! ここがあのチョーおっしゃれ~でリッチな上海なの~? ケイコ、まじで信じられな~いって感じい。などとツアーのギャルを連れてきたら言いそうだ。そんなことよりも、びびってばかりのK君がここにきて目が輝きだした。
「すごいですね。これこそ庶民の街ですね」
異常に興奮している。腹が減ったので近くの小汚い食堂で焼そばを食べる。
「スープも注文したいんですけど、中国語で何て言うんですか」
「湯(タン)だよ」
夢中で麺をすすり、スープを飲み干すK君。今まで緊張でろくに食べてなかったので無理もないか。食事を終え、外に出る。
「あれで5元(65円)って安いですねえ。スープはおまけしてくれたんですね。これこそ庶民の食事ですよね」
と、庶民を連発するK君。ちょっとうざいんですけど~。

NO65 上海日記 5日目(続々)

at 2005 03/18 18:34 編集

「髪を切ってもらいましょう。記念になりますから」
と、K君はどんどん歩きだし、一軒の散髪屋に入っていった。料金を聞くが、いかんせん通じない。やっと三軒目で5元だと言われ、切ってもらっていた。もともと彼の髪は短かったのであまり変わらなかったけど。そこからさらに南に下って、文廟(ウエンミャオ)へ。ここら辺も日本の昭和初期みたいな感じである。「洗足屋」を見つけ、入ってみる。マッサージ用の寝椅子が三つあるほどの小さな店。家族でやっているようだ。中学生くらいの少女が二人出てくる。よくしゃべる彼女たちに中国語を教えてもらいながら、一時間ほど足をマッサージしてもらう。料金は15元(200円)だった。外に出ると、まだ6時なのにあたりは真っ暗。ほとんど明かりがない。来た道に戻ろうとうろうろする。公衆便所を見つけ、入ろうとすると暗闇の中から男の白い顔がぬっと現われた。初めは、いやぁっ、生首!とびっくり。近づくにつれて、なんだ、便所の料金を徴収するおっちゃんかと思っていたが、中に入ってみてもっとびっくり。おっちゃんは小便の溝に向かって大便をしていたのだった。そこは小便専用の便所で、大便できる便所は有料だからなんだろう、きっと。恐るべし! おっちゃんの横で用を足しながら、K君と「中国人はすごいな」と感心しあうのであった。

NO66 上海日記 5日目(続々々)

at 2005 03/23 21:07 編集

ホテルに戻って上海料理を堪能する。ピータン、魚と椎茸のスープ、上海蟹と豆腐の混ぜ物、川エビの揚げ物、魚の醤油煮、揚州炒飯。我を忘れてがっつくほど、全て絶品である。しかも、これだけ食べても一人1300円ほど。
「さすが老舗レストラン。うまいねえ」
とK君に言っても、「はあ~」と気のない返事をするばかり。彼にとっては下町で食べた食事の方がよほどご馳走だったらしい。
http://amzn.asia/d9vVrnX

10時過ぎにタクシーで淮海中路へと繰り出す。ここは上海の若者が集まる最先端のおされなストリートだ。上海在住の美人作家、衛慧(ウェイホェイ)の「上海ベイビー」には、「この地域は、ニューヨークの五番街、あるいはパリのシャンゼリゼ通りに相当する。」などと書いてある。われわれが目指すのはクラブ&ディスコの「ROJAM」である。上海にクラブやディスコは数多くあれど、ナンバーワンといえば、小室哲哉プロデュースのここである。音楽情報発信地として、アジアのミュージシャンのライブにも使われている。最近では藤井隆(フミヤじゃないよ)のライブも行なわれた。入場料80元はバカ高いが(正月料金か)、ディスコ・フロアーは既に芋の子を洗うようだ。英語のDJに乗って、轟音のようなサイバートランス&クラブミュージックが炸裂し、ライトとスモークが交錯しちゃったりして、もう大変なんである。いや、実は大変なのは私なのだが、いいから落ち着け。それにお立ち台というか、ステージがある。それを目にすると、たちまち辛抱たまらんの脳がスイッチオ~ン! 犬のように駆け上がり、踊りまくる。ああ、何て気持ちいいのかしら。生まれ変わったら、ダンサーになるわ! サンキュー、てっちゃん(注:小室)! 汗びっしょりになり、ジャケットの靴も靴下も脱ぎ捨て、〇ロインを求め狂うジャンキーのように1時間ノンストップで踊った。ホントはもっと踊っていたかったけど、K君が風邪気味なので早く切り上げることにした(大人)。そのK君はフロアーでぼ~っとしていたら、女性客に、「飲み物おごってあげるわ」と声を掛けられたそうだ。断ってよかったな。ついていってたら、有り金全て没収されてたな。
外に出ると、夜風が火照った肌に心地いい。「踊り~疲れた~ディスコの帰り~」(by BORO)のメロディーが頭に鳴り響くのであった(ふるぅっ)。ホテルに1時帰館。  _

NO67 上海日記 6日目

at 2005 04/19 22:36 編集

8時起床。戦前に日本人が多く住んでいた虹口(ホンキュ)地区に移動。ホテルの目の前に魯迅公園がある。近くにある多倫路文化名人街で食べた6角(8円 平成17年当時の金額)の肉饅がとても美味だった。地下鉄で上海駅に行くと、ものすごい人。地下鉄のホームで待っていた小姐(若い女性)がどどっと降りてきた乗客に揉みくちゃにされ、くるくると回転していた。観察していると、白線の前に仁王立ちして電車のドアが開くと同時に乗り込もうとする者があちこちにいる。もちろん吐き出される乗客の圧倒的な物量に負けてあちこちでくるくる舞っておるが。なぜだ? なぜ中国人はちゃんと列を作って待ってられんのだ。しょっちゅう、服務員が「ちゃんと並べ!」とマイクで青筋立ててがなってるぞ。そういえば、ぎゅうぎゅう詰めのバスでも、降りようとする者より先に乗り込もうとするお茶目なやつらだからな。なぜ学習せん、中国人! けど、あの回転している中国人を思い出すと、悪いが笑ってしまうわあっ! ぶあっはっはっはっはあ! くっ、苦しい、笑いすぎて涙が....。

NO68 上海日記 6日目(続)

at 2005 04/12 23:54 編集

今日は日曜なので宗派を問わず礼拝できるという「国際礼拝堂」に行く。着くとすぐにシンガポール出身だという信者が案内してくれた。中国語の聖餐会が終わり、今から英語の聖餐会が始まるそうだ。礼拝堂はゴシック様式でとても広い。これほどりっぱな教会がよく文革で破壊されずに残っていたもんだ。徐々に人が集まり、時間になると二階席までびっしりと埋まった。ざっと数えてみても800人はいるだろう。説教台でアコギにアンプをつないだ黒人青年がいきなり歌い始めた。
「主を讃えよう。主と共に歩もう。天国はわれらのもの」
スクリーンに歌詞が写し出され、800人が立ち上がって合唱する。壮観。ゴスペルではなく、何と言うかこれはアメリカン・ポップスである。感極まって全身をうち震わせながら歌う者もいるのだが、賛美歌が終わっても黒人青年はギターをつま弾きながら何かつぶやいている。ラップでも始めたのかと思ったが、よく聞くと彼はお祈りをしているのであった。周りを見るとさっきまで歌っていた信者は目を閉じて頭を垂れている。このように歌と祈りの境界線のない賛美歌が何曲か続き、中国人、白人、黒人の牧師による説教があり、再び賛美歌を歌い、二時間半におよぶコンサートじゃなかった、礼拝は終了した。信者が席を立っても黒人青年はギターをかき鳴らしながら、延々と歌っている。もう少しすると、第三部のコンサートじゃなかった、礼拝が始まるのだろう。近くにいた、上海の大学に留学中だという日本人女性に話を聞いてみた。
「以前より緩やかになったといっても、まだまだ中国ではキリスト教に対して規制がありますね。ほとんどのクリスチャンは日曜に各家庭でお祈りをしています。教会も少ないんですけど、こうやって皆と集って礼拝できるだけでも恵まれています。集会しただけでも処罰された時代もあったそうですから」
中国のクリスチャンに幸あれ。

NO69 上海日記 6日目(続々)

at 2005 04/20 21:50 編集

夕食をとりに南京東路へ。この上海一の繁華街に行くたびに思うのだが、中国のホントに田舎から出てきた人民がこの通りに来たら、腰を抜かさんばかりに驚くだろうな。ここだけは香港の繁華街以上だ。その南京東路にある有名なイスラム料理店に行く。羊肉のしゃぶしゃぶを食べるためだが、さすが有名店だけあって待っている人が列をなしている。われわれは31番の番号札を渡された。おれたちの前に30人もいるのか.....。待っている間にも客は次から次へとやってくる。果たして今晩はここで飯にありつけるのだろうか。せめて、この番号札をあとから来た人に5元で売りつけられないだろうかなどと考える。見ていると、面白いのが案内係の小姐だ。まだ顔に幼さが残る彼女は、一人で怒濤のごとく押しよせる客の苦情攻撃に対処している。
「いつまで待たせるんだ」
「ただ今満席ですからもう少し待ってください」
「俺はさっきから待ってんだぞ」
「席があいたら知らせますから」
「いつだ!」
「番号札渡したでしょ!」
「ねーちゃん、俺にも番号札くれ。なに! 48番だと! どうなってんだ!」
「今日は予約が多いの! ごちゃごちゃ言わずに大人しく待ってなさい!」
とまあ、このように(あくまで推測だけど)客とのバトルが展開しているのだった。日本だったら、店員は「すみません」とひたすら平身低頭だろう。私も声をかけると、「はぁ~っ?!」とおもいっきり不機嫌な顔をされた。帰国してから日本のコンビニの過剰なサービスに違和感を覚え、彼女の不機嫌な顔を懐かしく思い浮かべる今日この頃。
結局、その日はあきらめて帰った。

NO71 上海日記 7日目

at 2005 05/03 23:12 編集

7時半起床。空手着に着替えてホテルを飛び出し、目の前の魯迅公園に突入。入口でおばちゃんが何か叫んでいたが聞こえないふりをしてそのまま駆け抜ける。確か入園料が2元だったような気がしたが、小さいことにこだわってたらあかんで、おばちゃん! 公園にいるいる。太極拳をしているグループがあちらこちらに。その中の10人ほどの小さなグループに混ざり、見よう見まねで動きについていく。太極拳には前屈立ちとか後屈立ちとか半騎馬立ちとか、空手の立ち方が動きの流れの中に一瞬入っていて興味深い。まだまだ寒いので、皆さん着ぶくれでダルマ状態である。こちらはTシャツに空手着だけなのできつい。1時間ほどで終了。教えていたおばさんに礼を言うと、「初めてにしては上手だったよ」とお褒めの言葉をいただく。
ホテルに戻り、バイキングの朝食(3つ星以上のホテルには朝食がついているのだ)を摂る。今晩が最後の宿泊になるのでどこに泊まろうかと思案し、もう一度バンドに行くことにする。上海最後の夜は外白渡橋のたもとに建つ「上海大厦」に泊まることにした。ここは川島芳子(清朝最後の王女。満州事変、上海事変でスパイ活動を行ったとされる。東洋のマタハリ、男装の麗人と呼ばれ、大東亜戦争終結とともに逮捕、銃殺刑に処されるが、銃殺されたのは別人で日本で生き延びたという説あり)が定宿にしていたという由緒あるホテルだ。外白渡橋を上海滞在中に何度渡ったことだろう。「あしたのジョー」の丹下ジムは確か泪橋のたもとにあったはずだ。
「ジョー、いつかはこの泪橋を笑って渡るんだ」と外白渡橋を渡りながらつぶやいてみる(ちょっとバカ)。

NO72 上海日記 7日目(続)

at 2005 05/19 22:27 編集

上海の近代的な建物やおされな通りの裏には小汚い通りがセットになっている。そこには自転車に乗った人民が大挙して暴走し、アイドリング・ストップもなんのその、信号待ちでは空吹かしでぶおんぶおんいわせ、青信号に変わるとゼロヨンレースが始まり、歩道、車道所構わず屋台や物売りがひしめいているというアジアの正しい通りがある。そこで見つけた2元ショップでお土産を見繕い、露店CD屋で1枚5元の浜○あ○みや矢井○瞳や東○事変やア○リル・ラ○ーンのCDを買う。ふっと後ろを見ると、K君が買い食いしながら屋台のおっちゃんと楽しそうに話している。彼はこんな雰囲気の場所に来るとなぜか生き生きする。
そこで便意を催したので、近くの路地に入り公衆便所を探す。この狭い十字路は全体が日常雑貨を売る市場になっている。人込みをかき分け、便所にとび込み、排便する。
「よかった~。もう少しで中国でうんこたれになるとこだった」
と立ち上がると、水が流れる。いやにタイミングよく流れるなと思っていたら、壁についているセンサーが作動していた。中国のトイレも進化したもんだと感心し、外に出るとK君が、
「日本語がすごく上手なおねえさんがいて、もう少しでパンツを買わされそうになりましたよ。ちょっと、来てみてください」
と腕を引っ張る。K君、何を考えてんだ?

NO73 上海日記 7日目(続々)

at 2005 05/31 21:28 編集

K君に案内されて市場のまん中あたりまで行くと、われわれを目ざとく見つけたおねいさんが露店台に身を乗り出して日本語で叫ぶ。
「あんた、日本人ね。いいところ来た。パンツ買いなさい。カル○ン・クラ○ンのパンツだよ。あんただったらLサイズだね。1枚20元! とても安いね」
「とても安いねって、安くないよ。1枚10元にしなさい」
「なに、10元! 神様仏様。わたしもう首くくるね」
「おどかすんじゃないよ。高いからいらない」
「日本人お金もち、高くない。この毛沢東のTシャツ60元ね。小泉ヤスクニ行く、中国人怒るね」
「余計なこと言うんじゃないよ。これ友誼商店で50元で売ってたね。30元!」
「おー、あなた欲張り。上海物価タカイね。わたし暮らせない。首くくるね」
「わたしほんとの値段知ってるよ。欲張りあなたね。上海恐い、わたしもう来ないね」(言葉うつってる)
「なに言ってる、恐いのあなたよ。このライター買うか。80元でいいね」
と二人でわーわー言ってると、市場をうろうろしている靴磨きが集まってきた。
「あなたの靴磨く、オーケー?」
「こんなぼろぼろの靴磨いてもしゃーないやろ。ええって」
値切り倒したパンツとTシャツを抱え、手を振る。それでもやつらは
「磨かせて」
と五、六人があとをついてくる。ついてくんなっちゅうねん。帰りなさいって。磨きませんって。俺はブレーメンの音楽隊か。駆け足で逃げると一人がしつこく追いかけてきた。市場を出てもしばらくついてきたが、やっとあきらめて帰っていった。
「これ見て下さいよ」
とK君が片足を上げると靴に靴クリームがついている。
「あんなに熱心だったら磨かせてあげてもよかったですね」
K君がしみじみと言った。

NO74 上海日記 7日目(続々々)

at 2005 06/02 23:17 編集

K君がもう一度行きたいというので、文廟に行く。入口で「案内しますよ」と日本語で声をかけられた。大学で歴史を勉強しているという彼女、劉(りゅう)さんはここでガイドのバイトをしているそうだ。受付で10元の入場料を払って中へ。
「文廟は孔子を祭っています。孔子廟ともいいますね。元は最高学府、つまり大学でした」
劉さんが説明してくれる。観光客はいなくて、ひっそりしている。いや、パリから来たというバックパッカーのパリジャンがいた。一人旅で寂しそうだったのでみんなで記念写真を撮ってあげる。う~ん、シルブプレ~(適当)。
「この部屋で科挙の受験勉強しましたですね。進士というのを知ってますか? 科挙の最高の位です。進士はさらに順位をつけるために殿試という試験を受けましたんです。ここの建物は文化大革命でほとんど破壊されました。ほとんどの建築物はのちに再建されましたんです」
中国の大学生は正真正銘のエリートなので、将来国を担うという意識が強いせいか、とてもよく勉強する。劉さんもテレビの日本語講座で日本語を勉強し、まだ一年目だそうだ。最後に聞いてみた。
「毛沢東をどう思いますか」
「中国人はみなさん毛沢東を尊敬してます。私も尊敬してますですね」
さすが建国の父。腐っても鯛か。ちょっと意外だった。

NO75 上海日記 7日目(続々々々)

at 2005 06/13 22:51 編集

おととい行った洗足屋を探して下町をうろうろ。小さな町だけど、店が見つからなくてニ周も三周もする。夕暮れになるとあたりはすぐに暗くなる。
「ここら辺、歩いていると何だか懐かしい気持ちになりますね」
「そうやね。何度も歩いてるからこの町の路地に妙に詳しくなっちったな」
文廟の前の屋台を通り抜け、公衆便所がある四つ角をさらに真っすぐ進むと木造の崩れそうなアパート群がある。左折するとこれまた崩れそうな民家が続く。道端で野菜や肉を売っている路地を抜けると、雑貨屋や駄菓子屋の並ぶ通りに出る。西岸良平の漫画の半ズボンはいて洟をたらした子供が出てきそうだ。「狗肉」の貼り紙のある食堂(店員に聞くと売り切れだと言われた)を右折すると場違いなピンクの電飾で路地から浮いてるファンシーショップが一軒あって、ああ、あった。ここだよ。店に入ると生憎、家族で食事をしているところだったが、少し待ってから足をマッサージ。またもや中国語を教えてもらいながらたっぷり一時間。今日はぼられるかなと思っていたら、今日も15元だった。彼女たちが毎晩1時まで働くと聞いて、K君は
「え~っ、信じられない」と目を丸くしていた。
帰りにスーパーに入ると、レジのおばちゃんが、「あんたたち日本人かい。テレビで日本のドラマをよく観るよ」と話しかけてきた。
「テレビで日本語を少し覚えたよ。『バカヤロー』とか『スイマセン』とかね」(どんなドラマだ)
そのうちに仕事を放り出し、店員が集まってきた。口々に質問し始める。一人が何かをしゃべると、それを聞いてみんながどっと笑う。あ~もう、わけ分からん。上海でもここら辺まで来ると外国人が珍しいのか。

NO76 上海日記7日目(続々々々々)

at 2005 07/06 22:41 編集

火鍋レストランで羊肉を嫌というほど食べる。それでも二人で八百円ほど。ホテルに10時帰館。ついでだからとホテル内にあるお土産ショップを覗いてみることに。すると中からちょっと藤〇朋子似のにこやかな女店員が手招きをしている。
「見るだけ、いいですよ」
と中国人にはあるまじき愛想のよさである。
「ホントに見るだけよ。何にも買わないからね」
と一応念をおす。
「いいですよ。見るだけ、大丈夫ですよ」
藤田はあくまでもにこやかである。
「このプ〇ダのビジネスバッグ、四千円でどうですか。本物ですよ。安いですね」
「高いですね」
「高いですか。それでは三千円でどうですか」
「まだ高いですね」
「高いですか。いくらなら買いますか」
というやりとりがあって、結局そのバッグを二千円で買った。どう見てもニセモノには見えんが、原価はいくらなんだ。
「このネクタイどうですか。安いですよ」とまだ買わせようとするので、素早く退散する。
部屋に戻るとK君が「思い出にカラオケに行きましょう」と提案。なんで上海まで来てカラオケなんだと思ったが、あんなにビビってたのが生き生きとしてきたことだし、ディスコにつき合ってくれたことだしと彼について行く。ホテル内にカラオケがあったはずだ。一階のジャズバーに入ってみると、椅子に座っていた女の子がバネではじかれたようにこっちにやって来た。
「カラオケなんてないわよ。それより私たちとおしゃべりしたりダンスしたりしない?」
と言って、もう一人女の子を呼んできた。値段はドリンク代も含めて全部で百元だそうだ。何度もその値段を確認する。それでもアヤシイ。何回もぼられ倒されている私が(悪かったな!)思うんだから間違いあるまい。しかしその時は何とかなるだろうという気持ちと、どうなるんだろうという好奇心が一緒になって誘いを受けることにした。

NO77 上海日記 7日目(続々々々々々)

at 2005 08/10 22:38 編集

その上海出身(自称)のミミという娘は、「休日に東京に遊びに行ったことがあるわ。大都会でびっくりした。日本、大好き。日本人も大好き」などと言う。そのうち、「私たちも踊りましょう」とフロアーに連れ出された。ものすご~ください音楽が流れている。アメリカの片田舎のカウボーイの格好をしたマスターがやっているダイナーでも今時こんな音楽はかけんだろう。こんなハワイアンバンドがアルバイトで地元のFM局の知り合いに頼まれて仕方なく急場でレコードに吹き込んだようなディスコ音楽では踊れんが、自分を殺して無理からに踊る。何だか悲しい。隣ではミミがにこやかに踊りながらも目に落ち着きがない。ますますアヤシイ。その隣では中年の日本人が二人のホステスとキャーキャー言いながら踊っている。ボックス席を見ると、K君がもう一人の大人しそうな女の子に中国語を教えてもらっている。どこまで真面目なんだ、K君。欲望にまみれた上海の夜。そこだけ静謐な空気が流れているように場違いだ。

NO79 上海日記 7日目(続々々々々々々)

at 2005 08/18 23:00 編集

席にもどり、ちょっとするとK君が「帰りましょう」といきなり立ち上がった。中国語会話は終わったのか、K君? ボーイが請求書を持って来た。あろうことかそれには三百元と書いてある。やっぱりな、何回もぼられ倒されている私の勘が当たったぜ(悪かったな!)。内訳を聞いてみるとドリンク代が百元、それに女の子一人にチップが百元づつだそうだ。はあ~っ? 理不尽なぼりかたをするじゃないか。ぼるのは理不尽に決まってるが、第一に中国にはチップという習慣はない。第二になんで勝手にチップの額を決めるんだ。よって、そこのこわっぱ中国人、手討ちにしてくれるわっ! そこになおれっ!
K君が「何度も百元だと前もって確認したはずだ」と至極もっともな抗議をする。ボーイは「どういう意味だ?」とねめつけるようにして威嚇してきた。どういう意味だとう? キャ~ッ! もう辛抱たまらん、表に出やがれ、足腰立たんようにすまきにして揚子江にたたっこんでやるわ! われわれが押し問答をしていると、そいつは段々と弱気になってきて「払ってくれないとボスにその分のお金を立て替えなくちゃならないんだ」と言う。はっ、今度は泣き落しか。悪いのはいったい誰なんでしょね! 私は百元をテーブルに叩きつけてそこを出ようとしたがK君に呼び止められた。「ちょっと待ってください、ドリアンさん」「えっ?」

NO80 上海日記 7日目(続々々々々々々々)

at 2005 09/05 22:46 編集

「この人納得してないみたいなんで話し合ってみます」
ええ~っ。K君は誠実で正直(バカがつくほど)で一本木な性格だ。おちゃらけでいいかげんに生きている私とはえらい違いである。それにしても、あんなにびびりだった彼が熱心に説得している姿を見ると感無量である。でもボーイも充分反省してるみたいだしさ、めんどくさいから帰って寝ようよ。ミミは「あんたたちのせいでこの子が二百元自腹を切らなきゃならないのよ!」と喚いている。この女も逆ギレしてるし、もう帰ろうよ。彼らはしばらく話し合っていたが、やがてK君がボーイに右手を差し出した。ボーイも渋渋だがそれに応じた。若大将シリーズの加山雄三か。
部屋に戻ると彼は言った。「中国で貧しいながらも一生懸命に働いている、あの靴磨きの人たちみたいな人たちもたくさんいるのに、騙してお金を取ろうとする人間が許せなかったんです」
どこまでも生真面目で熱いK君であった。  _

NO81 上海日記 最終日

at 2005 09/24 23:27 編集

6時半起床。今日が上海最終日である。帰国便は昼過ぎだ。気合いを入れて空手着に着替え、バンドをランニングしてから黄浦公園で太極拳をしている50人ほどの一団に加わる。遠慮して隅でやっていたが、近くのおばさんが手招きするので中心に入らせてもらう。終わるとおばさんたちがわれわれの周りにどっと集まってきた。「テコンドーだよ」とか「裸足で寒いだろう」とか口々に言うさまはまるで大阪のおばちゃんみたいである。日本の空手の技を見せてよという声に応えて、型を披露するとみんなが拍手してくれる。何だかいい気分である。我々がわいわい言っていると、夫婦とおぼしき中年の男女が日本語で話しかけてきた。
「あなた、どこから来た?」「大阪です」「おー、大阪ですか。大好きですよ。友だちたくさんいますね。みんな優しい。私は美術大学で先生をしています」と名刺を渡された。それには水墨書院理事とか山水書研究院会員とか中日文化芸術交流協会とか肩書きがゴテゴテと書いてあり、名前の前には画家とあった。「あなた、上海市長に似ていますね。市長はとても若いです」と言いながら、ハサミで私の顔の切り絵を始めた。これがまたうまいんである。この人は高名な芸術家なのかも、と思っていたら、むこうでおばさんたちが懸命に手招きしている。
「ちょっと待っててください」とおばさんたちのところへ行ってみると、私を取り囲んで一斉に何か言っている。わけが分からずに何だ何だ、どうしたんだとおろおろしていたら、一人のおばさんが紙に何かを書いて見せてくれた。それには「小心」と書いてあった。

NO82 上海日記 終

at 2005 10/15 00:06 編集

「小心」とはもちろんビビりのチキン野郎のことではない。注意しろ、ってことだ。なるほど、彼はバンドでも有名な詐欺師らしい。あまりの名演技にさすがの百戦錬磨(の負け犬)のこの私もあやうく騙されそうになったわい。その詐欺師兼大先生は今度はK君を相手に熱弁をふるっておられる。駆け寄ってみると既に遅し、K君は寄付の名目で10元パクられたあとだった。昨夜あんなに信念を貫いた彼だが、最後の最後に赤子の手をひねるように金を巻き上げられるとは、げに恐ろしき上海人民よ。次に詐欺師兼大先生は「上海友好のために100元寄付して下さい」とこの私にのたもうた。何で一気に十倍もふっかけるねん。欲張りすぎやで、あんた。
「財布持ってませ~ん。空手着ですからあ」と笑顔で言うと、「そうですか」と私の手から切り絵を引ったくり、風のように去っていった。
心配そうに見守っているおばさんたちの所に戻り、「老師、謝謝(ラオシー、シャヤ)」と礼を言う。最後に皆と記念写真を撮って別れた。
帰国してからK君は「中国で就職できないですかねえ」と口走ったり、中国語会話の本を買って勉強しだした。遠い目になっている。完全に中国病だ。それから間もなくK君は結婚した。何回も断られてやっと彼女にOKをもらったそうだ。彼にとっては最初から独身最後の旅のつもりだったらしい。新婚旅行は本当は北京に行きたかったけど、新婦の意を汲んでハワイにした。今でも彼と会えば、中国の話になる。実は私もかなり長い間、中国病にかかってしまった。至る所で人民の顔が思い浮かび、いちいち日本と中国のやりかたを比べてみては中国の肩を持ちたくなっちゃうんである。中国は奥が深い。(終)

皆様への伝達事項
上海旅行記は大別して二種類に分割されてるばかりか長編です。一人旅か否かで大違いです。
ドリアン長野が平成15年並びに平成17年に発表した上海旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。日中間の外交問題が平成30年に比べて小さかった平成10年代の上海旅行記だということを前提にお読みください。
ドリアン長野の北京旅行記で、過去にドリアン長野が中国の動向についてそれなりの見解を述べたエッセイを内包させたのでお読みいただければ幸いです。
私はKさんではございませんし私はドリアン長野とは一緒に海外旅行に行ってません。海外旅行が行えるようになった事を喜ぶべきであって喋ることだけを喜ぶのが目的ではいけません。Kさんはドリアン長野にダメダシをしたかったのか?海外旅行をするかしないかは本人が責任をもって行うべきであって第三者に責任を押し付けてはいけません。
飛んで上海に限っては平成15年に発表されました。上海日記に限っては平成16年の上海旅行を平成17年に執筆し発表されました。
ドリアン長野は平成10年代に半ば勢いだけで非常に乱雑かつ順不同な投稿をしてたので整理整頓は絶対必要でした。そして、過去と違って現在gooブログでは3万文字の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。(タグや動画の紹介も含めて29000文字を超える投稿になる予想は不可能であったけども)影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、辛い思いをしてきた海外旅行記です。中国で中華料理ではなくローソンのハンバーガーとジュースというのも辛かったようです。TV番組の豪華絢爛な海外旅行とは違い辛く惨めな個人のお話です。
上海も含め海外の店は取捨選択した方が良いようです。平成十年代に営業してたフェスティバルゲートの跡地ですが平成28年以降はマルハンとドン・キホーテが営業してます。
空港連絡鉄道はご利用されたことがございますか?国の内外を問わずに多数存在してます。日本においては平成6年から運行が開始されてる南海のラピート等が有名です。中国の上海虹橋駅は平成22年に開業したそうですがドリアン長野が行ってきた平成十年代には存在してませんでした。上海の鉄道は平成二十年代になって平成十年代よりも延伸を果たしたそうで、空港連絡鉄道を利用する人は多いようです。
日本にいる間に空港に到着してから円滑にホテルや目的地にたどり着ける交通手段の情報を得ておくことは重要です。時間だけでなく金額の想定も同様です。今回の旅行記を読んだ事もあって日本のタクシーは利用したことはあるが海外のタクシーは利用しませんでした。案外、上海のタクシーは空港連絡鉄道に実質的に敗北したやもしれない。代替としてレンタカーの利用は考えられますが、交通事故が発生しかねないから利用の妨害はしませんが推奨はしません。
海外旅行に行くのは良いがある程度の支払いは不可避でその点は賛同してもらいたい。交通費、ホテル代、保険料、空港税、食費等の多種多様な支払いはございますが、ホテルのシャワーで十分なので上海風呂は高すぎるから行きたくないです。
日本国内で増税されたのは周知されてますが、平成十年代は平成30年と違い消費税が5%でした。
海外旅行の為には日本国内で幾つかの手続きをする必要がございます。実質的に国内旅行を済ませてからでないと海外には行けない人は数多く私も幾つかの町を訪問した後でパスポートを所得しました。ビザ等の法曹面は頻繁に変更されるので各自で各国の最新情報を調べてください。
海外旅行代理店に依頼する前にパスポートの所得を済ませるばかりか必要ならビザの申請も終えておきましょう。ご存知の人も多いでしょうが海外旅行代理店ではパスポートの確認が行われることが多いので提示しましょう。
日本の治安も悪化してはいますがそれでも海外よりは治安が良くて気楽です。
上海(中国)の治安・危険情報 | 現地を知り尽くしたガイドによる口コミ情報【トラベルコ】 https://t.co/dt8cEwAFvB— ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年11月19日
平成二十年代になって上海にも危険な町が存在するらしく皆様、お気を付けください。一旦、上海に行ってからウイグル自治区のカラコルム山脈のK2に行く人はおられるそうです。K2は、標高は8,611mでエベレストに次ぐ世界第2位の高さです。
PM2.5は平成十年代には日本に飛んできていたと言われているから中国の大気汚染は深刻なようです。平成20年代になって実際に上海に行った人によると、スモッグが凄まじいそうですのでマスクは必要らしいです。
ホテルの予約、往復の航空券の予約、海外旅行保険の加入をしないままで海外の町に赴く行動について私は推奨しません。
浦江飯店は中国に対して否定的な人も少々驚く見た目は良いホテルのようです。
食事なんですが、ホテルにもよりますがやはり外国人観光客がやってくることを考慮してか多少遅い時間であっても食事が行える体制作りをしてるホテルは国の内外を問わずに多いようです。ドリアン長野とKさんは上海で炒飯が食べれて良かったんではないでしょうか?
上海の冬場は厳寒のようで氷点下に至る事もあるようですので寒い国へ行くならば防寒着は着用するか持って行きましょう。防寒性能が高い靴の保有も考慮してください。ただ、海外旅行前にどういった服装をするかですが日本国内においては常識が疑われない姿にしておきましょう。日本は日本です。飛行機に長時間乗って現地に到着すると気候が日本とは全く違う事はあり得ます。私が行ってきた10月のバンクーバーは大阪市内と比較して少なくとも五度は低い程度で秋でした。そういえば、平成10年代のある日、30度を超える6月の暑い大阪府の関空から北海道の帯広市に行くと8度であった過去も連想しました。日本国内でも気温の変化は大きいです。
ダンスは良いけれども、太極拳は寒いから中止。厳寒であるがゆえに空手の道着を着用して公園をジョギングしたらコリアンから「クレイジー。」と冷やかされる。辛いですね。
「和平飯店(ピースホテル)。」と聞いただけでは見当がつかない人でも「ピースホテルはフェアモントの系列。」と聞くと驚かれる人は多くおられると思います。
http://m.fairmont.com/peace-hotel-shanghai/
平成10年代に平均年齢70歳台の老人達は平成30年にも生きているのでしょうか?案外、現在でもオールドバーでジャズを演奏してるかもしれません。夢を現実に。著作で紹介された場所へ実際に赴くと感動すると思います。その感動の度合は、距離が自宅から遠い分比例してくると考えられます。 意外に思われるかもしれませんが、ホテルそのものが観光名所になってるようです。やはり、香港ばかりか上海が英国の影響を受けていたのは小さくないようです。
病気になったのはエアコンの不具合ばかりか中国には多いPM2.5が影響したのでしょうか?観光地は日中を問わず同じような雰囲気のようです。豫園は「よえん。」と読みます。添乗員は仕事で観光案内をしてるから搾取はいけません。老西門の特徴に述べてるのは好感します。その部分は普通の海外旅行記に思えます。
海外ではホテルの中のトイレの利用は重要でホテルを後にする前にトイレを利用しましょう。
中国国内の外食は昨今発表されてる情報を鑑みると個人的には危険に思えます。無論、日本国内の中華料理店は良い仕事をされているので推奨します。日本国内の中華料理店は平成20年代のある日を境に、日本国内で栽培された食材を多用するようになりました。なぜか?については皆様のご想像にお任せします。
日本でも冬は夕方五時を回ると夜になるが平成十年代の中国の午後6時の年末年始は電光が少ないから暗かったようです。
ホテルの料理は絶品だったようです。実際の所、高いお金を支払ってまずかったらイヤですね。
ROJAMさんは平成十年代には存在していたが現存してないそうです。ROJAM DISCOさんは平成21年には閉店され会社も株主が大きく変わり改名し会社は存続したそうですが過去の経営とは激変したそうです。中国人女性は怖いようです。何らかの提案があっても警戒した方が良さそうです。
 日本でも同じような問題があって鉄道会社は乗客増に対応したそうです。信仰の自由は素晴らしい権利で認められてるから霊的に過ごしたいです。
文革とは文化大革命の略称で多くの人々が中国で辛い思いをされた時期です。
一説によると中国に本拠を持たない教会は中国では認められないという時期もあったそうです。最近では香港で多くのキリスト教徒が祝福を受けているようです。
状況が厳しいと最善を尽くすのが良い意味での関の山だと思います。
 私がバンクーバーに行った時に教会の中でリーダーシップについて学ぶ時があり、現地のカナダ人が「シリアのア〇ド大統領や中国の習〇平国家主席についてどう考えるんだ?」と気難しい顔しながら発言してたから私は「ENEMY?(敵?)」と発言したら多くの教会員達が爆笑した前例がございました。日本人でも真正保守であれば色々と理解し賛同してもらえるでしょう。錯乱してる人は「日本の恥を世界に輸出してる。」と考えるかもしれないがそれは、真正保守ではない考えを持つ悪人の考えなので是認されないようにしてもらいたい。
夕食がこの日は食べられなかったようで辛い試練でした。日本でも北海道では羊肉は多くの小売店で販売されてます。最近では、本州でも羊肉料理店は増えてきました。 http://www.hinabe.net/
万一の時の為に第二希望の飲食店の情報は、前もって用意しておくことを提案します。多くの人が体験してるようですが、行きたかった飲食店の食事を諦めることも海外旅行の辛い出来事に含まれるようです。
文中で述べられてた画像のデータについて私は保有して無いので発表は行えません。
川島芳子生存説ですが昭和20年代に銃殺されたので一般的には否定されてます。
魯迅公園について軽く調べたら入園無料らしいです。海外において何等かの施設を利用する時において料金が法的に必要なら支払うようにしましょう。
ホテルの予約無しで海外旅行をされることを私は推奨しません。
一般的には日本時間よりも3時間程の時差であれば対応は簡単と言われてますが海外旅行中は時差ボケの影響で現地の時間に合わせて行動することは難しくなります。
公衆トイレに限っては海外は本当に少ないです。日本だと店舗内のトイレを利用出来る事はあるが海外では少なかったです。万が一の時を考えホテルを後にする前にトイレの利用は不可欠です。私が行ってきたカナダのブリティッシュコロンビア州の表通りと裏通りも大きく違ってました。表通りは万人向けなんですが裏通りになると関係者以外は立ち入り禁止みたいでした。
海外旅行では帰国便に乗り遅れると大問題で冷静な行動が常に必要です。
海外においても良いお店に行くのは構わないですが悪いお店に行くのは辞めておきましょう。ドリアン長野はよろしくない悪い店に行って苦労された話を述べました。商売だから少しでも利益を計上したいのは理解するが販売方法が悪い個人商店が多いからかスーパーが中国でも利益を計上してるようです。
2元ショップですが日本の¥100ショップのようなものだそうです。平成十年代には営業していても現在も経営してるかどうかは不透明です。一説には「海外でそういった一個当たりの料金が固定されてるお店に行くのは無駄では?」と考えられてますが完全否定は難しいです。なぜなら旅行中に必要もしくは必要になりそうな商品が売ってる可能性はございます。
カナダではドルショップというよりも$1.25ストアでした。
明白に偽造された製品の購入は辞めるようにしておきましょう。日本国内には持ち込めないと考えてもらいたいです。「偽物の製品の購入の提案はされたが購入しなかった。」といった選択は時には重要です。日本は法治国家です。一緒に行く人にも良識を求めるようにしておきましょう。私はあまりにヤバイ場所や店には行く気が全く無いです。日本ではあまり紹介されていない名店に行って喜びを感じる人がいる点は否定しませんが海外旅行案内書で紹介されてる名店が一つの目安になると思います。名店ではあるが業界3位以下だとあまり紹介されないことはあり得る。そういったお店で楽しく過ごすのも自由です。
海外では日本の法律が通用しません。日本国内で外国人が経営してる飲食店で嫌な思いをした経験がある日本人も多いとは思われますがそれと似たようなものです。日本人が経営していても高値をふっかけられて嫌な思いをした人もおられるかな?
チップは良いお店で良い接客をしてくれたならば、支払った方が良いとされてます。それについては各自で訪問したい国があればその町を紹介してる海外旅行案内書を読んで考えてください。世話してくれた人がいたら、握手の時にそれとなく小銭を渡すと喜ばれます。
不条理な高値の請求については反対や否定をするのはやむを得ないにしても、チップはしないよりもした方が良い国や地域は存在してます。店側が客に対して無許可でチップの料金を増額した上でカードの請求金額が多額になってるか否かについては各自で管理してください。カードでの支払いの時にチップの料金を選べるお店もあるので慎重に選ぶようにしましょう。
為替差損は別としてもホテルのデポジットが返金されないよりも全額返金される宿泊を利用者には求められてます。
ひらがなを読むのが難しいと考える中国人は多いらしいですが一部の中国の大学教育の水準は低くないそうです。
夜間に照明があるかないかで大違いですよね。大通りや繁華街では明るくても郊外に赴くと周囲が真っ暗になったりといった経験を私もしたことがあります。
海外の町の土地勘が出来たのは無形の財産ですね。
中国には詐欺師が多いので警戒してください。この海外旅行記に出てくるKさんは結婚しその後、ドリアン長野も結婚しました。
長野夫妻は夏が来れば思いだすでバンコク旅行について述べられました。
ドリアン長野は中国旅行後に中国人が好きになったようですが中国政府については否定されました。旅行はともかく「中国政府が行ってる行動に対し日本人全員が肯定するか?」と質問されたら否定する日本人が多いのが現実です。平成20年以降は日中友好平和条約が半ば無効になってます。
海外で日本の事を話してもらえると気が緩むとは思いますが中国では警戒が必要です。日本では悪質な詐欺師は糾弾されるに違いありません。私はカナダに行ってカナダが好きになりました。海外旅行に行って楽しかったら、第二の故郷が出来たように思えます。

紹介した幾つかの動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

【上海】浦江飯店アスターハウスホテル


上海豫園 4K


【中国】 中国鉄路 上海駅 Shanghai Station China Railway (2016.9)


Shanghai Tower 上海中心大厦


【上海】黄浦公園をブラブラ


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家族は永遠に 平成24年 長野家

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長期休暇もない有給休暇もないリーマン・パッカーが、短い休日と高い航空券にもめげず海外を旅したお笑いエッセイ

 自己紹介
尊敬する人は大山倍達とマザー・テレサとジョン・ライドンと町田康と中村うさぎです。 ピストルズを聴いて人生に目覚め、スマッシング・パンプキンズで人生の悲哀に気づいた野球嫌いのA型の魚座の極真空手を愛するインドア派。 -大阪在住の鳥取県産まれ-


 ~旅支度について~
パスポートの入手、渡航先の選定、旅先の海外旅行案内書を購入して読んで予習、必要なら電子渡航認証等の申請や観光ビザの所得、外国語の学習、旅費と休暇の捻出、複数存在する旅に必要な商品の購入、外貨の保有、交通費、宿泊費、海外旅行保険の支払い等を
済ませないとお気楽に海外旅行は行えません。


 海外旅行記の内容はドリアン長野が渡航した時の状況です。海外では町名が言語によって異なりますので旅行記内において日本では一般的ではない町名が存在します。  予算やお薬は多めに用意して下さい。 複数の時計を利用し時差に対応しましょう。
準備してから旅行代理店、航空会社(又は、船会社)、ホテル等に予約と支払をしましょう。
 海外旅行保険の加入は必須です。 kaigairyokouhoken.com
出入国に関わる法規制や価格等は過去と現在で異なるので渡航前に各自で確認下さい。
 私はドリアン長野からホームページについて頼まれ平成15年にgoo簡単ホームページを利用した後、こちらを担当してます。
 一日から14日に一回以上、14日から月末迄に一度は投稿する予定です。
敬具 マーキュリーマーク

 僕の初海外旅行は26歳の時のインドだった。当時往復チケットは年末料金だったので30万した(泣)。行く前は椎名誠の「わしもインドで考えた」を熟読。インドでは尻の毛まで抜かれるほどぼったくられ、下痢と発熱で散々だったけど、それからはリーマンパッカーとして主にアジアをふらふら。アフリカは遠すぎて行けなかった。新婚旅行もバックパックでバンコクと香港へ。香港では雑居房のチョンキンマンションで二泊し、妻はぐったりしていた。バンコクでは安宿と高級ホテルと泊まり歩き、マリオットのプールで溺死しそうになったのは今ではいい思い出だ(嘘)。 旅も好きだが、旅行記も好きだ。この本は主にアフリカ旅行のエッセイだが、面白い。何よりも文章がうまい。奥さんとのなりそめを綴った「追いかけてバルセロナ」なんか疾走感があり、一気に読め、感動的でさえある。朝の通勤の地下鉄で読んでたけど、日本にいながら気持ちはバックパッカー。
旅の本もいいけど、また出かけたいなあ。