帰ってきたドリアン長野の海外旅行記

長期休暇もない有給休暇もないリーマン・ パッカーが、短い休日と高い航空券にもめげず、海外を旅したお笑いエッセイ

#87

2024-04-26 | 日記
ドリアン長野のロサンゼルス(米国)とティフアナ(メキシコ)旅行記
2018-03-12 | Weblog
   

ドリアン長野のロサンゼルス(米国)とティフアナ(メキシコ)旅行記
NO41 続々ロサンゼルス編
at 2004 03/04 00:14 編集

目を覚まし、海辺に面した部屋のカーテンを引く。陽はすでに高い。白い波頭の間にサーファーたちが見え隠れする。今日も暑くなりそうだ。ロサンゼルスには四種類の人間しかいない。ハリウッドスターと観光客とメキシカンとホームレスだ。モールに入ってみると何だか気が滅入る。モールってやつは世界中どこでもそうなんだろうが、画一的で面白味に欠ける。オープンシステムになっているファーストフード・レストランは家族連れで一杯だ。誰もがハンバーガーかピザかフライドチキンを頬張っている。なんだかなあ~。ロサンゼルスに滞在して分かったことがある。その壱、食事をハンバーガーとコーラなんかで済ませる人が結構多い。それゆえ、デブはハンパじゃなくデブだ。デブの中のデブ、デビーだ。人間というよりは肉の塊、ミートだ。その弐、タトゥーをしている人が多いが、やつらはそれを見せびらかすために常にノースリーブのTシャツだ。ごくろうさんだ。ためになった。これだけアメリカを学んだら充分だ。今晩荷物をまとめて日本に帰ろう。
「メキシコに行かない?」朝食後、ジョイスが言った。「え”?メキシコに行けるの?」「もちろん、行けるわよ。アメリカからメキシコにはフリーパス。帰るときはIDがいるけど」
メキシコといえばテキーラにサボテンにタコスしか思い浮かばんが、なんだかムーチョなところに違いあるまい。
「行く、行く、連れてって。これからすぐに旅立ちましょう。早く支度して、急いで急いで」「くっ、苦しい~。そんなに揺さぶらないで。てっ、手を離してちょうだい。年寄りを殺すと天国に行けないわよっ!」
というわけで、我々はバスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のティフアナに到着した。国境越えするにはらせん状の歩道を歩かなければならないが、そこにはすでに幼子を抱えた母親か何人か物乞いをしていた。目の前の丘にはトタン屋根の粗末な家が斜面にも隙間なく建っている。いきなり劇的に景色が変わった。その参、アメリカとメキシコの国境は世界一残酷な国境だ。「GODを求める人たちがアメリカに行き、GOLDを求める人たちがメキシコに行った。たった一字の違いだが、それが現在の貧富の差となった」という石川 好の本で読んだ言葉を思い出した。もちろん、そんな単純なことではなく、ピルグリム・ファーザーたちも崇高な目的ばかりじゃなかったらしいけど。街を歩くと、その身なりで地元の人間と観光客がはっきりと分かる。前を歩いていたフリルの付いた服を着たアメリカ人少女と、裸足でぼろぼろの服を纏った同じ位の年嵩のメキシコ人少女が偶然にもツーショットになった。「しめた、これを撮ればピュリッツァー賞、間違いなし」とカメラを探しているうちにどこかに行ってしまった。あ”あ”、おれって!
「人生はお金がすべてではないけれど、無いと不便。あったほうが便利だなあ」(相田みつを)
みつを、なに当たり前のことをもっともらしく言ってんだあ! おいちゃんはなあ、ホントはこんなこと言いたくなかったんやけど、最後に言わしちくれ、「ロスに来たのは、とんだ時間のロスだったあああぁぁぁぁ~~っ..................................................................................................。」

NO 113 ロサンゼルス編

at 2006 09/21 21:26 編集

のっけから何だが、私はロサンゼルスが嫌いだ。それはなにも私が九時間以上も飛行機に乗ってやっと到着した空港をボ~ッと歩いていたら二人組のイラン人にアムネスティに寄付をしてくれと孤児の写真を見せられ大勢の日本人から寄付をいただいている一人最低100ドルからだと言われ何で寄付するのに最低額があるんだと思いつつもそのくらいならいいかと寄付をして空港を出た時分に100ドルいうたら一万円以上やんけとやっと気づき自分のマヌケさに地団太を踏んだからではない。
ロサンゼルスの空はどこまでも真っ青のブルースカイだ。まるで貧血の病人のように青い。私はそれに向かって「バカヤロー」と叫びたかったね。ウッディ・アレンはアカデミー賞受賞式に招待された時もいつものようにニューヨークの「マイケルズ・パブ」でクラリネットを吹いていたそうだ。「僕にはロサンゼルスの空は眩しすぎる」とほざいたそうだが、ウッディ、いや、ウッちゃん、私はあんたの気持ちがよく分かるぞ。ここで一句、「旅人は 悲しからずや 空の青 ロスの青にも 染まず漂ふ」
何言ってんだ、インドやタイやカンボジアの空だって充分青いじゃねーかとぬかすヤローがいるかもしれんが、チッチッチッ、だからトーシローは困るってんだよ。ロスの空はいわば、場末の落魄した娼婦が客をとろうと必死になって厚化粧しているようなもんだ。不健康で退廃的で侘びしくて物悲しいんだよ。なーにがカリホルニアドリーミングだあっ。100ドル返せーっ、ちくしょー!
ダウンタウンを歩いていると聞こえてくるのはスペイン語ばかり。映画館でアメリカ映画を観てもスペイン語の字幕付きだ。夜になると商店は早々と閉めてしまい、歩いているのはホームレスだけ。ハリウッドもビバリーヒルズもロデオドライブもちっとも面白くない。リトル東京で「ヤオハン」の場所を尋ねた日系の老人には、「夜は独りで歩かないほうがいい。巡査は外国人に偏見を持っているからな」と忠告された。ステーキハウスでステーキを注文したら、付け合わせのマッシュポテトが山のように出てきた。これだけでもう満腹だ。ふうふう言いながら何とか食べ終わると、ウエイターが「食後にアイスクリームはどうだい?」と聞いてくる。「冗談言うなよ、マイケル。これ以上食べたらゲロしたステーキがサンタモニカまで飛んでっちまうぜ」と私は肩をすくめる(ふっ、オレもアメリカン・ジョークがうまくなったもんだぜ)。
ああ、ロサンゼルス! めしはまずいし、歩くのにはただっ広いし、面白い所もない。私は台湾系アメリカ人、ナンシーおばさんの経営するモーテル、「City center motel」に宿泊しながら悶々としていた。どこか面白そうな場所はないもんだろうか。うーんとお~.......。あっ、そうだ! そう言えばサウス・セントラルがあった。ニューヨークのサウス・ブロンクスと並び称される、泣く子も黙るその地区は犯罪の温床となっており、殺人事件は日常茶飯事でヘイト・クライムという人種偏見による犯罪も起きていると本で読んだことがある。何だか想像するだけでケツのあたりがムズムズしてくる。しかし、日本人がのこのこ出かけていっても身ぐるみ剥がされて射殺されるのがオチだ。ここはひとつ、奮発してタクシーをチャーターして連れてってもらおう。モーテルのロビーでいつもうだうだとたむろってるメキシコ人に頼めば大丈夫だろう。善は急げ(?)とさっそく彼らに聞いてみる。しか~し、 
「へっ、サウス・セントラルだと? サルがケツから飛び出すぜ」「俺はまだ死にたくねえよ」「あそこは観光地じゃないぜ。ディズニーランドなら連れていってやってもいいけどな」
けっ! メキシコ野郎はどいつもこいつもチキンばかりだぜ。とっととメキシコに帰りやがれ! (われながら知らないちゅうことはごっつう恐ろしかことですたい。皆さん、生半可な知識は身を滅ぼします、注意しましょう。嗚呼、無知の涙)
メトロのブルーラインに乗ればサウス・セントラル地区まで行くことができるのだが、私もそこまで無謀ではない。残念だが、そこに行くのはあきらめた。口惜しや。その時、天啓のように私の脳裏に閃く地名があった。そうだ、「ワッツ」だ。ワッツは黒人暴動が起こった場所として記憶に刻み込まれていた。今度はそこに行きたいと頼んでみると、一人のメキシコ人が行ったことがあると言う。35ドルでタクシーを手配してやると言うのでOKする。何でわざわざ好き好んでそんな危険な場所に行きたがるんだと疑問に思う人もいるだろう。貧しい人々や危険な地域を見学するような非常識な行為はやめようという良識派の意見は百も承知だ。しかし、私の好奇心はどうしてもそういった方面に向けられてしまう。
やって来たタクシー・ドライバーはエルサルバドルからアメリカに来て三年目のフィデルという青年で、英語がほとんど分からない。私のスペイン語は大学の第二外国語で習っただけで、補習を受けてやっと可を頂いたという代物だ。自慢じゃないがしゃべれる構文は「私の父と母はスペイン語が話せます」だけだ(一年生の時にスペイン語を教えてくださった平田先生、その節はご迷惑おかけしました。それから三年の時の補習の大垣先生、以下略)。
我々の意志の疎通は私の極端に少ないスペイン語の語彙(二十単語ほど)と身ぶり手ぶりと勘によって行われた。で、そのワッツだけど、総じて美しい住宅街が続く何の変哲も無い街だった。「Dr・Martin Luther King Shopping Center」というモールを見つけたので、タクシーを降りる。ぶらぶらと歩いている黒人は誰もが穏やかに見える。近くにいた黒人警官に聞いてみると、「暴動のあった場所はこの辺りだが、貧しい黒人の居住区は知らない」のだそうだ。そういえば、暴動が起きたのは1950年か60年代のことだったぞ。あー、何やってんだ、俺は。フィデル、とっとと帰るぞ。お前もアメリカに三年も住んでんのなら、英語くらい勉強しろよな(やつあたりすんなよ)。
夕食はチャイナタウンに食べに行った。今日は大晦日なので閉まっている店がほとんどだ。客のいない小さな食堂で飯を食べていると、警察官が二人食事をしにやって来た。 
「......................................。」
大晦日の夕暮れにうら寂しい食堂で警察官と無言でとる食事ほど物悲しいものはないと私は断言する。これで古いラジオから八代亜紀が聞こえてきたら完璧だ。いや、アメリカだからウィリー・ネルソンかトム・ウエイツあたりか。リトル東京では「紅白歌合戦」を衛星放送で観ながら故郷に想いを馳せながら涙する人がいるんだろうか。
ユニオン・ステーションで21時発サンディエゴ行きのアムトラックに乗る。ロンドンで知り合ったジョイスに会うためだ。彼女は元看護婦のおばあさんで、今は離婚してロサンゼルスとサンディエゴの中間ほどにあるオーシャンサイドに独りで住んでいる。降りる駅が近づくと、車掌がやって来て教えてくれた。乗客の一人一人にそうしているみたい。駅にはジョイスが迎えに来てくれていた。彼女のアパートは駅から歩いて五分。目の前は海岸だ。歩きながらジョイスが言う、「ここで『トップ・ガン』の撮影があったのよ」。おお、さすがハリウッドが近いだけはあるじゃないか。
その夜は二人でテレビのNYのカウントダウンの中継を観る。 
「ファイブ、フォー、スリー、ツー、ワン! あけましておめでとうございます」 
「ありがとう、今年のニューイヤーは寂しくなかったわ」 
「今度は是非日本に来てください」
袖振り合うのも他生の縁というジャパンのことわざを思い出す。それから二人は他愛ないことを女子高生のように明け方までくっちゃべり、疲れ果てていつしか倒れ込むように寝入ってしまうのだった。
目を覚まし、海辺に面した部屋のカーテンを引く。陽はすでに高い。白い波頭の間にサーファーたちが見え隠れする。今日も暑くなりそうだ。
ロサンゼルスには四種類の人間しかいない。ハリウッドスターと観光客とメキシカンとホームレスだ。
ロサンゼルスに滞在して分かったこと。その壱、食事をハンバーガーとコーラなんかで済ませる人が結構多い。それゆえ、デブはハンパじゃなくデブだ。デブの中のデブ、デビーだ。人間というよりは肉の塊、ミートだ。その弐、タトゥーをしている人が多いが、やつらはそれを見せびらかすために常にノースリーブのTシャツだ。ごくろうさんだ。ためになった。これだけアメリカを学んだら充分だ。今晩荷物をまとめて日本に帰ろう。
「メキシコに行ってみましょうか?」ブランチの後、ジョイスが言った。
「え”?メキシコに行けるの?」
「もちろん、行けるわよ。アメリカからメキシコにはフリーパス。帰るときはIDがいるけど」
メキシコといえばテキーラにサボテンにタコスしか思い浮かばんが、なんだかムーチョなところに違いあるまい。
「行く、行きましょう、連れてってください。これからすぐに旅立ちましょう。早く支度して、急いで急いで」
「お、落ちついて。そ、そんなに揺さぶらないで!」
というわけで、我々はバスを乗り継ぎ、トラムに乗り、何時間もかけて国境のティフアナに到着した。国境越えするにはらせん状の歩道を歩かなければならないが、そこにはすでに幼子を抱えた母親が何人か物乞いをしていた。目の前の丘にはトタン屋根の粗末な家が斜面にも隙間なく建っている。いきなり劇的に景色が変わった。
その参、アメリカとメキシコの国境は世界一残酷な国境だ。
「GODを求める人たちがアメリカに行き、GOLDを求める人たちがメキシコに行った。たった一字の違いでしかないが、それが現在の貧富の差となった」という石川好の本で読んだ言葉を思い出した。もちろんそんな単純なことではなく、ピルグリム・ファーザーたちも崇高な目的ばかりじゃなかったらしいけど。街を歩くと、その身なりで地元の人間と観光客がはっきりと分かる。前を歩いていたフリルの付いた服を着たアメリカ人少女と、裸足でぼろぼろの服を纏った同じ位の年嵩のメキシコ人少女が偶然にもツーショットになった。
「しめた、これを撮ればピュリッツァー賞なんかもらえるかも」とカメラを探しているうちに彼女たちはどこかに行ってしまった。あ”あ”、おれって!
健康的で眩しすぎる空と海。反面、移民や不法労働者を抱え、犯罪が多発する現代のバビロン。ああ、ロサンゼルス!
「ロスに来たのは、とんだ時間のロスだったあああぁぁぁぁ~
~っ..................................................................................................。」(ごめんなさい)

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皆様への伝達事項
一回の旅でアメリカとメキシコに赴いたそうです。
ドリアン長野は平成10年代に半ば勢いだけで非常に乱雑かつ順不同な投稿をしてたので整理整頓は絶対必要でした。そして、過去と違って現在gooブログでは3万文字の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。半ば常識的なお話ですが米国のロサンゼルスばかりかメキシコのティフアナで楽しい海外旅行を過ごしてきた人々も世の中にはおられますがドリアン長野にとっては友達と再会が行えた事を除外したら辛い旅行だったようです。

皆さん、4点の連絡がございます。
第一に、誠に申し訳ないが平成19年の夏に風邪で体調不良であった私は幾つか(#37、#38、#39と#40)のバックアップが行えませんでした。ドリアン長野は平成16年3月に、NO41で発表した後、およそ二年半を経過した平成18年9月にNO113で再編集したロサンゼルス旅行記を発表しました。従って、NO41とNO113の両者に限っては転載が行えたので今回、発表が行えてます。

第二は、米政府はメキシコとの国境の間に壁を作る決断を下しました。過去(2016年以前)のように円滑に米国とメキシコを陸路で行き来することは不可能になる見込みです。トランプ大統領の決断の影響は小さくない。

BBCニュース - トランプ米大統領、メキシコ国境の壁建設を命令 移民取り締まりも強化 https://t.co/5oYZGDgLiu — ドリアン長野 (@duriannagano) 2017年2月6日

メキシコの「国境の壁」 ついに巨大な試作品ができあがる https://t.co/wuW5JWzb49
— ドリアン長野 (@duriannagano) 2018年1月28日 ">

第三ですが、バハ・カリフォルニア州ティファナ市は複数の犯罪組織の対立によるものと見られる多くの殺人事件が発生してるばかりか、凶悪犯罪も増加し情勢は流動的で、2017年(平成29年)には、バハ・カリフォルニア州内どころかメキシコ全土において最も多くの殺人件数を記録しましたので海外旅行の旅先としての推奨は行えませんので不要不急の渡航はやめてください。平成十年代はまだ平和であったかもしれませんが2010年以降は治安が悪化してる模様です、そうした影響からか2015年(平成27年)8月31日迄はアメリカ(USA)からメキシコへの徒歩での入国には、鉄枠の付いた回転ドアによる逆行不能の越境のみで入国審査はなかったそうですが2015年(平成27年)9月からは回転ドアをくぐった先に検問所が設けられ、入国審査が実施されるようになったそうです。 もしも、本当に米国からメキシコのティフアナに赴かれるなら各自で調べた上で赴いてください。
全く逆にメキシコから米国へ赴く時も厳しい入国審査は存在するそうです。

第四ですが、前述した内容(旅行記)を理解された人には半ば無意味な伝達かもしれませんが、航空会社のアエロメヒコによって成田空港からバハ・カリフォルニア・ノルテ州(*1)のティフアナへの直行便は2006年(平成18年)には就航してたそうですがドリアン長野は一旦、米国のロサンゼルスに訪問してから陸路でティフアナに赴いたので日本国内からメキシコへの直行便は利用しなかったそうです。この旅行記を読まれた方の中には過去に成田空港からティフアナに直行便で赴かれた人はおられるかもしれません。
平成20年代(平成26年頃?)に千葉県の成田空港からティフアナのヘネラル・アベラルド・L・ロドリゲス国際空港ことティフアナ国際空港(メキシコ)を行き来するアエロメヒコによる直行便は廃止されたそうです。
トヨタのトラック工場が2004年9月からバハ・カリフォルニア州で操業してるので渡航した日本人は多いかもしれません。

*1 バハ・カリフォルニア州の俗称はバハ・カリフォルニア・ノルテ州だそうです。なぜならば、バハ・カリフォルニア・スル州が存在し北がスペイン語でノルテで南がスペイン語でスルで区分けが目的だからだそうです。

紹介した二種類の動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

「世界一忙しい国境」 行き来する人たちの不安


メキシコ国境の壁 トランプ米大統領は公約守れるか


ドリアン長野のニューヨーク旅行記
2018-03-12 | Weblog

NYバスターミナル編   NY地下鉄編   NYホテル編   エッセイ

ドリアン長野のニューヨーク旅行記

#33 NYタイムズ・スクエア編

at 2004 01/09 00:47 編集

1989年12月31日午後10時。タイムズ・スクエア。気温マイナス2度。ぽつぽつと降っていた雨はついにどしゃ降りになった。歯の根が合わないほど寒い。それでも何千人といる群集は誰一人として帰ろうとはしない。私もたぶん、彼等と同じ気持ちだった。それは2000年へと続くデケイド(10年間)の幕開けを世界一の都市で祝ったという記憶を自分の中に刻みつけておきたいから。彼等は家に帰って言うだろう。「90年の始まりにはあそこにいた。みんなとハッピー・ニュー・イヤーを言ったんだ」。 私は夜の8時から待っているが、12時までは途方もなく長い時間に思えた。混雑を緩和するためにあちこちに「Police Line」と書かれた遮蔽板が置かれている。警官の目を盗んで一人の男が、さっと板の下をくぐり抜けて走り去った。近くにいた警官に誰かが叫ぶ。「Shoot him!(射殺しろ)」 周りがどっと笑う。ここでの模様は全米で生中継されるのでテレビカメラにパンされた群集はとにかく騒ぐ。叫ぶ、踊る、手を叩く、こぶしを突き上げる、街角で黒人が1ドルで売っていた紙笛を吹き鳴らす。私といえば、寒さと疲労に耐えながらひたすら待つ。
 11時59分。カウントダウンの斉唱が始まるとSONYの広告の下に取り付けられた電球の塊がゆっくりと降りてくる。下がりきったら1990年だ。ウエルカム・トゥー・ナインティーズ!  
 見知らぬ者同士がハッピー・ニュー・イヤーを言い合い、抱き合う。雨の中、群集がブロードウエイを行進する。この光景はデジャビュだ。どこだったろうと考えていたら、ウオーレン・ビーティ監督、主演、脚本の映画「レッズ」でロシア革命前夜に人々がインターナショナルを歌いながら街を行進する場面だった。今日の夜はニュージャージーに住む友人のアパートに泊めてもらうことになっている。あちこちが通行止めになっているので迂回していると道に迷ってしまった。バス・ターミナルの場所が分からないので雨宿りしながら地図を拡げて見ていると、二人連れの黒人が「どこに行きたいんだ?」と声を掛けてきた。「ポート・オーソリティー・バスターミナル」と答えると、「ついて来いよ」と手招きする。 
 新年に浮かれる人々の喧噪の中、彼等を見失わないようについて行く。20分ほど歩いた。ミッドタウン・ウエストにあるこの24時間運行の巨大なバスターミナルは常に通勤者で賑わっているが、今日の賑わいは特別だ。案内してきた男が言う。「チップをくれ」 1ドル紙幣を出し、渡そうとするが受け取らない。少なすぎたかと思い、「2ドルでは?」と言ってみる。すると、「冗談じゃないぜ。俺たちは長い道を案内してやったんだ。フェアじゃねえ。もっと出せ」とすごんできた。無視して歩き出すと、「聞こえないのか? もっと出せと言ってるだろう」と喚きながらついてくる。「警官を呼ぶぞ」と睨みつけると渋々2ドルを受け取り、やっと退散した。バス乗り場に行くと、また黒人が寄って来て、「どこに行くんだ? チケットは持ってるのか?」と親切(?)にも聞いてきた。彼はチケット売り場まで案内してくれ、言った。「ギミー・ダラー」 ああ、アメリカがチップ社会だというのは本当だ。Money talks in America.(アメリカでは金が物を言う)彼に1ドル渡す。バスを待っていると、日本人女性が二人やって来たので話しかける。二人は姉妹でお姉さんがニュージャージーに住んでいるという。妹が日本から姉に会いに来て、今日はミュージカル観劇の帰りだそうだ。「ブロードウエイのニューイヤーズの騒ぎが恐くて.....」とアメリカに来るのが初めての彼女は気の毒なくらい蒼ざめていた。
 「目的地に来たら知らせてください」と運転手に住所を告げ、座席に座る。バスが出発してからしばらくして奇妙なことに気がついた。奇妙なことといっても、私が日本人だから少しばかりそれを感じるだけのことだ。バスが停留所に着き、乗客が下車する際に、ほとんどの人が他の乗客の方を向き、「ハッピー・ニュー・イヤー」と言ってから降りていくのだ。「これもアメリカだな」私は心の中でつぶやき、自分がアメリカに来たことを初めて実感していた。 _

#34 NYバスターミナル編

at 2004 01/15 22:22 編集

8番街から9番街の1ブロック、40丁目から42丁目の2ブロックにまたがる巨大なバスターミナルがポート・オーソリティ・バスターミナルです。グランド・セントラル駅(映画「アルマゲドン」では隕石の破片が直撃して壊滅しました)とペンシルバニア・ステーションという二大鉄道駅にここを加えれば、ニューヨークの三大ターミナルになります。ターミナルといえばホームレスのたまり場になりやすいので御多分に漏れずこれらもそうなのですが、前者の鉄道駅はチケットのない者の待合室への入場を禁じているせいもあって比較的清潔で安全です。しかし、ポート・オーソリティは場所からして周辺に老朽したビルが多く、地元では「地獄の台所」と呼ばれており、治安もあんまり良くありません。そしてホームレスはフリーパス。必然的にこの駅はホームレスの憩いの場アーンド生活の場となっています。一歩足を踏み入れてみれば、まあ、すごいですねえ。「F×××」を連発して、何かに怒りながら歩いている人がいるかと思えば、必需品を一切合切ショッピングバッグに詰め込んで生活しているショッピングバッグ・レディと呼ばれる老婆が座りながら小便を垂れ流しています。窓口でチケットを買えば、ホームレスが「釣りをくれ」と寄って来ます。しつこいようなら無言で睨んでやりましょう。階段には寝ている人がよくいるので、歩きづらいですが踏んづけないように注意しましょう。トイレの洗面台で真っ裸になって体を洗っている人もいます。彼がホモの場合もあるので気をつけましょう。とろんとした目で座り込んでいる人はヤク中なので目を合わせてはいけません。お金をせびられます。夜になると待合室で待っているだけでお金をせびられます。昼間でもボーッと立っているだけでせびられます。ほな、どないせいっちゅうねん、とおっしゃる方もいるでしょう。コツはさっさっと早足で歩き、せびられたら無視することです。英語が分からないふりをするのもいいでしょう。カラテの型をやるのもいいかもしれません。それでもしつこいようなら、相手はどう猛といえども人間です。脅えた態度を取ってはなりません。じっと目を見つめて(これが肝要です)25セントを渡して素早く逃げましょう。それにしても日本のホームレスはおとなしいのに、何でインドやアメリカはあんなに戦闘的なんでしょう?まだまだ日本はホームレスといえども裕福だということなんでしょうか。1階のバスの待合室には「今夜泊まる場所のない人はここに来て下さい」というプレートがあり、住所が書いてあります。マンハッタンにはシェルターと呼ばれるホームレスのための宿泊施設がたくさんあります。そこではベッドがあり、簡単な食事も給されるのですが、いかんせん喧嘩や盗難(靴とかが多いようです)が多発するので敬遠する人もいます。そんな人はこの待合室で寝るのでしょう。
 私はここに来ると、いつも天王寺駅を思い出します。現在は都市開発計画で天王寺駅もその界隈もずいぶんときれいでおされになりましたが、一昔前はもっとホームレスが多く、殺伐としていました。自分でもよく分かりませんが、ニューヨークに来るたびに私はポート・オーソリティに足を向けてしまいます。何をするでもなく、ただターミナル内を歩き回るだけですが。
 もし、神さまに名前があるのなら、どんな名前なんだろう
 俺たちは神さまに向かって、その名前を呼ぶんだろうか
 神さまとその栄光を目の前にして何を尋ねる?
 もし一つだけ尋ねるとしたら?
 
 ああ、神さまは貴い
 ああ、神さまは良きもの
 もし、神さまが俺たちのうちの一人だとしたら?
 俺たちのうちの薄汚いやつだとしたら?
 家に帰るバスの中の見知らぬやつだとしたら? 
 もし、神さまに顔があるとしたら、どんな顔なんだろう
 見てみたいと思うかい?
 もし見ることが信じることと同じだとしたら?
 天国やイエスさまや聖者やぜんぶの予言者たちを
 ひとり天国へと帰ってゆく
 電話をかけてくれるのはローマかどこかの法皇だけだ
 
 聖なる転がる石のように
 ひとり天国へと帰ってゆく
 家に帰る途中みたいに
 電話をかけてくれるのはローマかどこかの法皇だけだ
 「One of us」ジョーン・オズボーン (1995年「RELISH」収録 ドリアン長野 訳 _

#35 NY地下鉄編

at 2004 01/23 21:36 編集

 地下鉄は楽しい。メタリックでアーバンである地下鉄は輸送手段に徹していて媚びないところがクールでもある。私は地下鉄が大好きだ。地下鉄のある都市に行けば必ず乗る。用がなくてもとにかく乗る。今までいろいろな国で乗った。香港ではなぜか下駄履きで乗った。肩を叩かれたので振り向くと、若い男が私の下半身を無言で指差している。見るとズボンのジッパーが全開していて恥ずかしい思いをした。ソウルではおじいさんに声を掛けられた。私が日本人だと分かると日本語で身の上話を始め、それが延々と続いて閉口した(今思い出したけど、何で地下鉄の便所内にコンドームの販売機があるとですか?)。ロンドンのチューブでは騒いでいるガキに注意したら、「asshole !」と言われた。ロサンゼルスの地下鉄には改札がない。無賃乗車していたら、たまたま検札に遭い、必死で英語の分からないふりをした。このように輝かしき栄光の地下鉄人生の王道を歩んできた私のことを、地下鉄の達人と呼んでくれても一向に差し支えない。そして世界中の地下鉄の中で唯一24時間運行なのがニューヨークである。いわば、地下鉄の中の地下鉄、キング・オブ・地下鉄といってよいだろう。地下鉄を制するものは世界を制す(ホントか?)。
 ニューヨークの地下鉄は何といっても殺伐としているところに趣がある。ホームには電話が何台も架設されている。これらは犯罪時の緊急用だろう。便所は犯罪防止のためにその多くが閉鎖されている。タイムズ・スクエアの駅なんかムッとアンモニアの臭いが鼻を突く場所もある。我慢できずに立ちションしている輩がいるらしい。車両は落書きされても消すことのできるニュータイプが日本から輸入され、名物だったジャクソン・ポロックのようなアクション・ペインティングは見ることができなくなったので残念だ。ニューヨークは人種のるつぼ(メルティング・ポット)ではなく、人種のサラダボウルだと言われて久しいが、ダウンタウンからアップタウン行きの地下鉄に乗ってみるとそれがよく分かる。ウォール・ストリートでは白人が多く、チャイナタウンのあるキャナル・ストリートに停まると中国系がどっと乗り込んでくる。ミッドタウンになると再び白人が多くなり、ハーレムに入ると黒人が多くなる。各人種が融合しているわけではなく、中国人街、韓国人街、イタリア人街、インド人街、ギリシャ人街等と住み分けができているのだ。そういえば夜、間違えて急行に乗ってしまい、慌てて降りた所がサウス・ブロンクスのサイプレスという駅だった。ホームには誰もいない。乗り換えるために地上に出ると、周りにあるビルというビルが焼けただれていた。あん時はビビったな。何しろ、火災保険をせしめるために放火する奴がいるらしいのだ。興味ある方は落合信彦の「アメリカの狂気と悲劇」をお読み下さい。 

http://amzn.asia/7gEH0wZ
 地下鉄は24時間営業とはいっても、夜の9時過ぎてから乗る人はめったにいまい。日中でも路線によってはホームに人がいなくなる駅もある。ホームには「Off Hour Waiting Area」が設けられていて、ラッシュ時以外はそこで電車を待つ。何てことはないのだが、ホームの中ほどにあって、乗客もそこに集まるから少しは安全だ。夜になると警官が乗車してくるので、乗客は彼等の乗っている車両に乗る。駅で乗客のほとんどが降りてしまい、警官もおらず2、3人だけが車両に残っている場合なんかとても緊張する。そんな時に限って、向かいに座っている男がじっとこちらを見つめているような気がする。私はおもむろにポケットからガムを取り出し、それをくちゃくちゃと噛みながら、俺は生っ粋のニューヨーカーなんだぜというポーズをとる。ついでに指の関節をポキポキと鳴らし、俺はカラテのブラックベルトだぜ、俺のパンチはピストルの弾丸より早いぜと威嚇(のつもり)をする。時おり軽くシャドーをしながら、最近ケンカしてねえなあ、体がうずいてしょうがねえぜという雰囲気を目一杯表現する。そいつが次の駅で降りてしまうと、どっと疲れる。我ながらバカみたいだ。もう何年も前のことになるけど、ある雑誌が地下鉄内で身の危険を感じた時の対処策は? というアンケートをニューヨークに住む女性にしたことがある。第一位は「鼻クソをほじって、アホのふりをする」(藤山寛美?)だった。これは効果があるかもしれん。
 犯罪が多発する地下鉄ではあるが、面白いのは何といっても乗客を観察することと、ストリートミュージシャンだ。ロック、ジャズ、ポップス、ダンス、毎日いろいろなパフォーマンスが楽しめる。黄昏どきに構内のどこからかサックスの音が聞こえてくると、ニューヨークだなあと思う。ある時、黒人女性が改札の前に座ってボンゴを叩き始めた。人が徐々に集まってくる。興が乗り、観客の黒人女性が手をひらひらさせて踊り、ヒスパニックの女が腰をくねらせて踊る。他の者はリズムを取り、手拍子をする。30分もの熱演が終わると、いっせいに拍手が起きた。駆け寄って抱きつく人もいた。そのあと電車に乗っていたら、黒人の男が乗り込んできた。小さな紙切れを口に当て、息を吹きかけて音を出している。メロディーはバットマンのテーマだ。でも、誰も「またか」というような顔をして見ようともしない。続いてコメディアンの物真似を披露したが...................し~ん。ううっ、寒い。寒すぎる。おひねりをもらおうと通路を回るが、もちろん無視されていた。思わず、「あほんだらっ! お客さまからゼニをいただこうと思うんやったら、芸を磨かんかいっ!」と桂春団次風に心の中で罵倒する私でした。
 地下鉄はどこまで行っても、何回乗り換えても同一料金だ。改札はトークンを入れ、ターンスタイルという金属のバーを押して入場する。そういえば、ビリー・ジョエルの「ニューヨーク物語」というアルバムは原題が「Turnstiles」だったな。ある日、いつものように地下鉄に乗ろうと、トークン売場に1ドルを出した。窓口のおばちゃんは「15セント足りないよ」と言う。なにいっ、市の職員までがボる気かっ、さすがニューヨークだ、とわけの分からん感心をして身構えると、おばちゃんは無言で背後の壁を指差した。壁に貼ってあるポスターには「地下鉄料金、本日から値上げ。1.15ドル」と書いてあった。 _

NO36 NYホテル編

at 2004 01/30 21:59 編集

デトロイト空港着。国内線のニューヨーク行きの便に乗り換えるため、入国審査の列に並ぶ。長い列はそれでも徐々に何事もなく捌かれていき、やっと私の順番になった。しかし、私の入国カードを見たウーピー・ゴールドバーグ似の審査官の目がキラリと光った(ように見えた)。ウーピーは失礼にも私を無遠慮に眺め回し、質問してきた。 「旅行は一人で?」「アメリカは初めて?」「ニューヨークを選んだ理由は?」 私は「○○の買い付けに」と答えてやろうかと思ったが、むずむずする口を押さえた。冗談でもそんなこと言ったら、奥の部屋に連れていかれかねん勢いだ。あげくの果てに日本人スッチーまで呼びつけて何か尋ねている。周りの乗客は私を不審そうに見ている。あの男、テ〇リストじゃないかしら、まー恐いわね、そういえば見るからに怪しそうよ、なんて思われたに違いない。恥ずかしいじゃねえか。もう乗ってやらねえぞ、ノー○・ウエス○! あっ、航空会社は関係なかったか。そこで解放されたけど、個人ツーリストは私だけだったかららしい。ほんとに、もー、いいかげんにしなさいっ! なんてことをわーわー言うてるうちに飛行機はクイーンズにあるラ・ガーディア空港に無事到着いたしました(落語家口調)。
 空港からケアリーバスに乗り、ポート・オーソリティへ。地下鉄でペン・ステーションまで行き、歩いてホテルに向かう。予約はしてなかったが、チェルシー・ホテルに泊まろうと思っていた。チェルシーは昔から作家やアーティストが根城にしてきたホテルだ。古くはO・ヘンリー、ディラン・トマス、トーマス・ウルフ、アーサー・ミラー等、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ジェファーソン・エアプレインも常連だった。パティ・スミスと写真家のロバート・メイプルソープも同棲していたし、シド・ヴィシャスが恋人のナンシーを刺殺して逮捕されたのもここだ。とにかく、そんなこんなでようやくたどり着いたホテルのフロントは言った。 「満室です」 があ~ん! こんな夜中からホテル探しか~い。チェルシーの向かいには YMCAがあったが、汚くて暗くて不気味なオーラを発している。こんな所に泊まったらモーホー野郎に犯されそうだ。う~ん、こんな時は繁華街に行けばなんとかなるだろう。東京だったら歌舞伎町、ニューヨークだったらタイムズ・スクエアだっ! てなわけでタクシーをとばし、安そうなホテルを片っ端から当たったがぜ~んぶ満室だ。うえ~ん、わしはトルコで猿岩石を探す室井滋かい(ふるっ!)。アジアだったらこんな苦労はせんでもいいのに。と裏通りを歩いているとびっくりした。シャッターを降ろした店先で白人女性が寝袋にくるまって一人で寝ているのだ。まあ、ここは人通りが少ないから安心かもね。ってそんな問題ちゃうやろっ! あんたもホテルが見つからんかったんかい。けど、ここはニューヨークのど真ん中やぞ。こんな所で寝てたらレイプされるぞ、ねーちゃん! (後にも先にもあんな大胆なバックパッカーを私は見たことがありまへん)
 それから2時間後、「NEWYORK INN」というきったねえ連れ込み旅館のようなホテルを見つけた。フロントのパキスタン人は「空室はあるよ」と言う。やれやれだ。でも値段を聞くと、「一晩100ドルだよ」。何でこんなホテルが100ドルもすんねん、足元見やがって。ボったくってんじゃねえぞ。 「年末料金でね。ボスの命令なんだ。さからったら首だよ。ほら、その証拠に」とパキスタンは宿泊リストを見せる。みんな確かに100ドル払っている。一応部屋を見せてもらい、一晩だけ泊まることにした。だけど、隣の部屋の奴らは騒いでいて声が筒抜けだし、床にはゴキブリも走っている。私は思わずトム・ハンクス主演の「ビッグ」という映画を思い出したね。主人公の少年はあることがきっかけで体だけ大人に成長してしまう。元の体に戻るためにニューヨークに一人で行くのだが、初めて泊まったホテルは汚くて物騒な所だ。部屋の外からは喧嘩の怒鳴り声が聞こえてくる。彼は恐くて心細くてベッドで身をよじりながら、めそめそと泣き出してしまうのだ(もちろん大人の姿のままで)。あの時に撮影で使ったホテルはここじゃねえのか、と思ったね。それでも野宿するよりはマシだけど。
 翌朝、ふん、こんなボロっちいわりにバカ高いホテルなんか二度と泊まるかよ、あたしを見くびるんじゃないよ、とばかりに憤然とチェックアウトし、ミッドタウンで宿探しをした。20軒近く当たったが、なんと一軒もなし。ぜ~んぶ断られた。仕方なく昨日のホテルに戻る。フロントにはまたパキスタン。 
 「まいっちゃったなあ。ニューヨーク中のホテルを探したけど、ぜんぶ満室だって」(ちょっとバツが悪い) 「今日は空室はあるかなあ~?」(低姿勢) 「どうかな、今調べてみるよ」とパキスタンはパソコンでチェック。思わず、「Have a heart(おねげえしますだ)」と泣きつく(情けねえ)。「もちろん僕はビッグなハートを持ってるさ」となぜかにやりと笑う。「え~っと、空いてるよ。一晩116ドル」 ぎえ~っ! 昨日より高くなっとるがな! 「今日は大晦日だからね。ボスが......」 「あー、分かった、分かった」
 結局、ニューヨーク滞在中はずっとそのホテルに泊まるはめになった。んでもって今回の教訓。「ニューヨークに行く時はなるべくホテルを予約してから行こう」(って、当たり前すぎて突っ込む気にもなれんわ!)

皆様への伝達事項
アメリカ旅行記は有名でドリアン長野がニューヨークに行った時は直行便はございませんでした。
ドリアン長野は平成10年代に半ば勢いだけで非常に乱雑かつ順不同な投稿をしてたことから整理整頓は絶対必要でした。そして、過去と違って現在gooブログでは3万文字の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。
ドリアン長野が平成16年に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。
皆さん、旅の定番アメリカ・ニューヨーク旅行記です。ドリアン長野は80年代にインドばかりかNYC(ニューヨーク市)にも行ったようです。ニューヨークから来たアメリカ人はニューヨークの事を「ヌーヨ~ク。」と発音しますね。
NYCの冬は天候不順が多いらしいから良い防寒着を日本国内にいる時に購入し着用するようにしましょう。バスターミナルに行くのが目的なのかそうではなく他の目的地に行くかについては人それぞれですが治安が悪い街は避けるようにしましょう。海外か日本かを問わずに地下鉄等の公共交通機関が利用出来ると安心です。自動車位しか利用出来ない町は交通事故が発生すると危険なのが理由です。海外でのレンタカーの利用ですが、妨害はしませんが推奨もしません。なぜならば、交通事故が発生する可能性が高いからです。昨今、NYCの地下鉄の料金や支払い方法は1980年代と比較して激変しました。その点についての詳細は各自で調べてください。下記は一例です。将来的には変更される恐れがございます。



ホテルの予約ですが日本にいる間に絶対に済ませておきましょう。万が一の事があるとよろしくないです。
ニューヨーク州とニュージャージー州が隣接してるのは有名です。日本から目的地への直行便が無い場合は乗り継ぎが不可避で日本から一旦ミシガン州デトロイト市に立ち寄ったそうです。入国審査は非情に厳しいですね。下部の画像は平成25年にドリアン長野が撮影した天王寺駅に近接してる阿倍野ハルカスです。



紹介した以下の動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。
New York ニューヨーク~タイムズスクエア~


紹介した以下の動画はドリアン長野のご友人が撮影されました。
ドリアン長野  インタビュー

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追伸 ドリアン長野は平成26年にもニューヨークに行って来た事を連想してました。管理人マーキュリーマーク

大晦日のニューヨーク 平成26年11月
2014/11/20(木)
もう何年も前のこと。大晦日のニューヨーク。夕方空港に到着。タクシーでマンハッタンに行き、チェルシーホテルに泊まろうとしたが、まさかの満室。それからホテルを片っ端から当たったが、どこも満室。おいおい、話し違うがなと思うが悪いのはわしやがな。ニューヨークはアジアとは勝手が違った。繁華街なら空いてるだろうとタイムズスクエアへ。足を棒のようにして歩き回るが、この辺りも満室だと軒並み断わられる。ほとほと疲れて裏通りを歩いていたら、うら若き白人女性が寝袋にくるまって歩道に寝ていた。アジアでは珍しくないが、深夜近くの身を切るような寒さのニューヨークである。やるなあ、と思いつつ私は寝袋を持ってないので、それから一時間ほどウロウロして、やっと汚ない貧民窟のようなホテルに泊まることができた。

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ドリアン長野の英国旅行記
2018-03-12 | Weblog


ドリアン長野の英国旅行記(ロンドン・コーリング)

NO42 ロンドン・コーリング

at 2004 03/19 22:25 編集

ある日、何気にNHKを観ていたら、普段はめったにNHKなんか観ないんですけどね。ロンドンのイースト・エンドの話をしてたんですよ。イースト・エンドは労働者の街でね、反対にウエスト・エンドは高級ブティックやレストランがある、おされな街なんですよね。ほら、ペット・ショップ・ボーイズの「ウエスト・エンド・ガールズ」って曲あったじゃないですか。あれはイースト・エンドに住む労働者階級の少年とウエスト・エンドの中産階級の少女の歌なんです。この時、あっ、イースト・エンドに行ってみたいって思ったんです。その時までヨーロッパには行ったことがなかったし、興味もなかったんですけど。それにロンドンといえば、僕にとってはパンクなんですよね。その時は1994年でした。ヒップ・ホップ、グランジ、ユーロ・ロックの時代です。カート・コヴァーンが自殺したのもその年だし。パンクなんてもう過去の遺物ですよ。でも、アメリカのパンクと言われるグランジの代表的バンドのリーダーがその年に亡くなったっていうのは、何だか象徴的ですね。ニューヨークで発祥したパンクがロンドンに渡って、十何年か後にその種子がシアトルでやっと発芽して全世界に広がったけど、一つの遺伝子が絶えた、みたいな。それでも、パンクスの一人や二人はヤンバルクイナやカブトガニみたいにひっそりと生息しているだろうと。天然記念物みたいに英国王室が保護してたりとか、そんなわけないか。それで、イースト・エンドとパンクスという学術的にも崇高な、ちょっと、ここは笑うとこじゃないですよ。まあ、淡い期待を抱いてですね、ロンドンに行ったわけです。
 ロンドンってとこは、もう京都ですね。ヨーロッパ中から来た観光客がわんさかと歩いてて。僕もフランスなまりの英語でよく道を聞かれました。ヴィクトリア駅なんかに行くと、若者だけじゃなく、中高年の一人旅や夫婦パッカーがうろうろしていました。日本のリーマンのみなさんもね、パチンコを控えたり、「村さ来」に行くのを三回から一回に減らしたりしてね、こつこつと小金を貯めて旅に出たらいいんじゃないかと思いましたね。見聞も広がって、人生楽しくなるんじゃないかと。まあ、よけいなお世話ですね。それに街中の空気がね、すごく穏やかなんですよ。大都市にありがちなギスギスした感じがない。人も穏やかな顔をしてるし。道を尋ねても誰もが親切に教えてくれるんです。おじいさんやおばあさんなんかね、僕の腕をつかんで離さんばかりに教えてくれる。だけど、ハイド・パークを歩きながら思ったんです。ロンドンには住めないなあって。僕の眼には物凄く退屈な街に映ったんです。実際に住んでみたら違うんでしょうけど。
肝心のイースト・エンドですけど、オールドゲイト駅付近にあるとは知ってましたから、そこで降りて人に聞いたんですが、誰も知らないって言うんですよ。仕方なくうろうろと探していたら道に迷っちゃって。そのうち、まっ、いいかって気持ちになっちゃって。もう一つの目的のパンクス探訪ですけど、やっぱりいないんですね。キングズ・ロード、オックスフォード・ストリート、カーナビー・ストリート、ピカデリー・サーカス、スローン・ストリート、カムデン・ロック・マーケットと歩き回ったんですが、見つかりませんでした。それじゃあ、どうしようかなと思ってね、大英博物館を観て帰るのも何だかなあ~でしょ? それでふっと思ったのが、そうだ、ブリクストンに行ってみよう! と。ジャマイカ移民とかのコミュニティーができてて、貧しい区域なんですよ。もちろん犯罪も多いし。クラッシュの「ブリクストンの銃」には、白人が作ったレゲエの中では最高傑作だと思うんですけど、自分たちのパンクのルーツであるレゲエに対して、もし、その敬愛するジャマイカ人たちが暴動を起こしたら、我々は制圧する側に立つのかという葛藤が歌われています。泊まっていたホテルの人からも、ブリクストンに行くならカメラはしまっておきなさい、充分気をつけるのよ、なんて言われたんで何だか期待してしまって。朝一番に地下鉄に乗って行ってみたんですよ。そしたら、アパート、あっちではフラットですか、そこから出勤する白人が出てきて。あれっ? 白人も住んでるの? って思ってね。こっちはニューヨークのサウス・ブロンクスみたいなところを想像してましたから。一体、何を期待してるんでしょうね? 僕は。(つづく)
NO43 続ロンドン・コーリング

at 2004 03/26 23:30 編集

とにかくブリクストンはそんなに荒廃しているとは思えなかった。少なくともアジアのいくつかの都市よりは遥かにマシです。一度だけ黒人に声を掛けられて。素振りを見ると、ああ、こいつは金をせびろうとしてるなと思ったんで無視しましたけど。そういえば、これはブリクストンじゃなくて普通の通りなんですが、歩いていると、物乞いしてるのは若者なんですね。働かなくても失業保険で何とか食べていけるので、無気力な若者が増えているような気がします。物乞いをして断られると、ある若者が「この街はどいつもこいつもファッカーばかりだぜ」と歌っていましたが、ファッカーはお前の方だ、と言いたくなりますね。
その夜はホテルが密集しているアールズ・コートのドミトリーに泊まりました。ここらあたりは何故かオーストラリア人が多いそうなんですが、僕はドミトリーに泊まるのは初めてだったんです。他人がいる空間ではくつろげないんで、今まで泊まったことはなかったんですよ。部屋に入ると、僕のベッドにヒッピーくずれみたいなカップルが寝ている。しかもニューエイジ・ミュージックをかけながら、抱き合ってるんです。一応、「ここ、僕のベッドだけど」と言うと、薄目を開けて、「ああ、そう」なんて言う。まあ、どこのベッドに寝ようが関係ないんですけど。だけど、延々とニューエイジを聴いてるんで、頭がおかしくなりそうで外に飛び出しました。その時、夜のソーホーに行ったんですけどね、キッチュというか、フェイクというか。ブライアン・イーノが化粧していた頃の初期のロキシー・ミュージックみたいな感じなんですよね。あるいは、ジョン・フォックスが在籍していた頃のウルトラ・ヴォックスみたいな、ファーストでメンバーがビニールのジャケット着てて、ネオンが煌めいてるイカしたアルバム・ジャケットがあるんですけど、そんな雰囲気なんですよね。映画でいえば、「ロッキー・ホラー・ショー」とか、フレディー・マーキュリーのもっこりタイツとかを連想しちゃうんですね。えっ?よく分からない? 歩いてみれば分かりますよ。ゲイリー・ニューマンの幻想アンドロイドですから。もっと古い例で言えば、パリスのビッグ・タウン2061ですかねえ。ますますわけ分からんですか。えっと、あと年末だったんで、トラファルガー・スクエアのカウントダウンにも行ったんですけどね、なんだかんだ言っても、イギリスはヨーロッパの中心だと思ったのはね、僕の分かる限りでも、スペイン人、ドイツ人、スウェーデン人、イタリア人、ポーランド人、フランス人、スイス人、あとインド人と中国人と日本人がいたことですね。ええ、4時間その広場をうろついてましたから。12時になったら、そばにいる女性にキスしてもいいことになってるんですけど、無理やり迫ってビンタ張られた男もいました。いい思い出です。いいえ! 僕じゃないですよ。違いますって! 失敬だな、君は! ともかくもですねえ、一番感心したのは、ロンドン郊外を歩いていて、信号のない車道を渡ろうとした時ですよ。車がビュンビュン通ってるんですけど、車道の一歩手前まで来たとたん、左右の車が一斉にピタッと停まりましたからねえ。大阪人、少しは見習って欲しいですねえ、正味の話。
だけど、パンクスに会いたいなんてのは今から考えると、まるで日本に来た外国人がサムライが見たいと言うのと同じ感覚ですね。ジミー・ペイジが来日公演で成田に降りたとたん、「サムライはどこだ?」って聞いたのを笑えません。次にロンドンに行く時は、羽織袴に雪駄を履いて行こうと思ってます。


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1990年代の英国旅行記です。年末のカウントダウンはお好きですか?
ドリアン長野は平成10年代に半ば勢いだけで非常に乱雑かつ順不同な投稿をしてたことから整理整頓は絶対必要でした。そして、過去と違って現在gooブログでは3万文字の投稿が行えるようになったのでドリアン長野の海外旅行記を再編集した上で再発表します。
ドリアン長野が2010年以前に作成し発表した海外旅行記ですので現在とは状況が異なる部分が多々あるかと思います。影響を与える事が出来ても責任は取れませんので参考にしてもらう分には構いませんが模倣は不可能になってるやもしれません。テロ対策は過去よりも強化されてるようです。


皆さん、英国の首都、ロンドン旅行記です。前編と後編の両者を同時に発表します。過去は「こうであった。」という話は少し悲しみがあります。円と英ポンドの為替相場は変動相場制ですので詳細は各自でお調べ下さい。死去した音楽家は多く生前に残した記録は数多いから今も生存してるように感じられる人は多いに違いないです。多くの国から人がやってくる国際的な町、ロンドン。よき町のようです。全く逆に英国人は英国を出国し私が行ってきたカナダにも移住してます。70年代と変わらないと考えてロンドンに行ったら大違いであったようです。発表されてるのは2種類のみで実際にドリアン長野が90年代のように再びロンドンに行ったかどうかは不明です。


紹介した二種類の動画はドリアン長野並びに私(マーキュリーマーク)が撮影したものではなく、参考の為の転載です。

ひとり旅 イギリス ロンドン 地下鉄ピカデリー線 アールズコート Earl's Court Piccadilly Line


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