”お二人様の老後”


 年寄り夫婦の”日常”や”戯言”そして”泣き言”を書き連ねてみます。

ヒステリックな政府の姿勢・・・北朝鮮や中国 ?

2015-06-28 14:15:57 | 生活

 最近の政府のメディアに対する姿勢はなんだかヒステリックで、これがわが国の政権のありようなのかと寂しさを覚える。 それを支えている自民党内のありようも政権党とは思えないぐらいに貧相でおそまつである。 政権党と政府は国家権力という強大な力を持っているのである。 些沫なことでオロオロするのは見苦しい。 国民としても恥ずかしい。

 そもそも、一国の政府というものは国家と国民の命運を左右できるほどの権力をもっているのだから、その言動は国民が敬愛するほどのものでなくてはならない。 戦後70年間のこの国の歴代政府は、曲がりなりにもそのような威厳と風格を備えてきたと思う。 これまでも「政権のありよう」が問われたことは数多くあったが、今回はいよいよもって「大丈夫か?」と声を荒げたくなる。 

 首相の個人的な”遺恨試合”を「国の安全保障」という命題に託けて、国会議席での優位を保っている今のうちに早いとこ押し通してしまおうというような、何ともみじめで情けない有様が目立ちすぎている。 議論を深めるほど法案の齟齬が露わになることを承知しながら恐れているようである。 メディアの姿勢に対して細かく口をはさんだり、政府に都合の悪い発言はバカ呼ばわりしたり、わけのわからない国会での説明を自己満足と自己陶酔で続けてみたり、ごり押しのための会期延長を平然とやってのけたり、これら一連の言動は常に国民のありようにヒヤヒヤしている北朝鮮や中国の権力者の姿にだんだん似てきている。  我が国の現政権も国民の”様子”に対して、これだけヒステリックにならなければならないということはやはりそろそろ先が見えてきたということかもしれない。 


バカ箱とキチガイ箱

2015-06-24 15:01:55 | 生活

 大昔、庶民の生活にテレビの受像機が普及し始めたころ、多くの識者、知識人たちが「これはバカ箱だ、日本人を総白痴化するものだ」 と警鐘を鳴らした時代があった。 テレビという安易な娯楽箱の出現により人間は”楽しむ”ということにおいてもものぐさになっていくと心配されたものだった。

 そして時は過ぎ、今の日本人は”総白痴化”はなんとか免れたようだが、多くの日本人が”考えること”を止めてバカの集団になってしまっているような気がする。 今の日本人の精神作用はそのほとんどが理性ではなくて感情に支配されているようだ。 判断基準が、「良いか悪いか」ではなくて「好きか嫌いか」になってしまっている 良いと思ったことでも好きでない限りその実践のために動こうとはしないし、 悪いと思うことでも嫌いでなければ平気で見過ごしている。 何しろ「考えない」。 思ったり感じたりはするが考えるということは面倒臭いのである。 

 一昔前から、I.T.という怪物が出現してから人間はますます自堕落になってしまった。 I.T.は”きちがい箱”である。 人間を白痴にするなどというなまやさしいものではなくて、人間を狂気にしてしまう。 バカ箱ではなくキチガイ箱だと思う。 近年巷にあふれている「スマホに摂りつかれた人間たち」を想えば理解出来ると思う。 しかし、疑問や不安を感じたからといって止められない。 行くところまで行かなければどうしようもない。 堕ちるところまで落ちなければしょうがない。

 キチガイ箱が現れたのでバカ箱はそれまで保ってきた節操をかなぐり捨てて、バカの限りを追い求めるようになっている。 近年の”テレビ放送”のありようを観察していれば判る。 「まだ下がいるのだから」とだらだらに油断してしまっている。 堕ち行く先がいったいどうなっているのか、皆目見当もつかないのだからそら恐ろしくもある。 しかし同時に、「このありようや良し」といった感じの”現政府の姿勢”を眺めていると、「長生きはしたくない」といった心境になってしまう。 つまりは「考えたくない」のだが、お二人さんの先は短い。 所詮は「他人事」と見はなすことも出来るので、こうしてキチガイ箱の一つ、即ちパソコンと戯れたりしているのである。


女々しい男は見苦しい ・・・ 維新 橋本さん

2015-06-21 12:12:04 | 生活

 

 これは政治のお話ではありません。 単なる井戸端会議のちょっとした話題です。 

 多くのメディアを前にしての記者会見で、「私の人生から”政治家”はなくなりました」と公言した維新の党の橋本さんが、またぞろ首相との会談を持つだの党の方針に異論をはさむだのと政治家臭いことに色気を出し始めている。 こういうのは何とも女々しくて見苦しい。                 

 大阪府知事や市長を務めたほどの男である。 言った言葉には責任を持つべきである。 ぐずぐずグジグジと未練たらしく泣きごとじみたことを並べるなどということは〝橋本徹”の男が泣く。 多くの大阪人や日本中のメディアを大騒ぎさせた男としての矜持はどうした。 まだ間に合う。 きっぱりと”政治”から手を引くべきだ。 それこそが 「政治家として大をなすこと」 だと思う。

 と、何処かのおばさんが言ってました。


ブログの更新 ・・・ これがなかなか

2015-06-18 13:50:10 | 生活

 適当に間をおいてブログを更新していこうと思うのだが、これがなかなか大変なことである。 昔、若い頃、即ち10年ほど前は自分のこと、家族のこと、社会のこと、さらには世界のことなどで書きたいことが次から次へと出てきてブログの材料に事欠くようなことはほとんどなかった。 それが、この十年ほどのあいだにとんとトピックというものが出てこなくなってしまった。 これが”老化”ということなのだと最近は自分で自分を納得させるようにしている。 こうした姿勢がはたしてエイジングにとって良いものなのか悪いものなのかはよく分からないのだが。

 妻はもう15年以上俳句をやっている。 やっていると言っても市の文化事業で始めたものを、その後有志の文化サークルとしてやっている俳句会に参加しているだけなのだが。  その妻も最近「俳句が出来ない」と愚痴をこぼすことが多くなった。 彼女の場合も老化がおおきな原因になっていると思っている。 

 さらに、私のブログにしても妻の俳句にしても、ともに書き手作り手が年齢とともに喜怒哀楽の情が薄くなってマンネリ化し、感動したり感激したりという心の動きが鈍くなってきたことが大きな原因を為していると思う。 作文や作句は何かの衝動があり、それに突き動かされると作り易い。 特に妻の俳句は、彼女が感動をそのまま5,7,5という文系に乗せていくというような作句姿勢だっただけに、感動という鋭敏な心の動きを失うということは大きなダメージになっていると思う。 俳句を始めた当初は、その俳句の新鮮さで新聞の投句欄や市の短詩形文学祭などで何度か受賞したりしていた。 それが、最近はそういった方面への情熱も薄れてしまったようで、お二人さんの会話の端にも表れてくることはほとんど無くなってしまった。

 だからといって、このまま何も書かない何も作らないというおふたりさんになってしまっては寂しすぎる。 妻も俳句の出来栄えにはもうほとんど気にしていないようだが、月に1回ある句会の集まりには喜んで出席して句友とのおしゃべりを楽しんでいるようである。 私も妻に負けないように、出来るだけ身の回りや世間の様子や世界のありようなどを眺めるように努め、〝ブログの材料探し”に努めようと思っている。 しかし、政治や紛争などといった”シビアーで楽しくない話題”は若い人たちにゆだねることとして、残る余生、出来るだけストレス少なく平穏に過ごしていきたいなどと、虫のいいことを想ったりしている。

 こんなようなことは、Gooのブログを書き始めて以来、もう2,3回は書いてきたような気がする。 それぐらい、いい加減で中途半端な自分なのだとまた反省させられた次第である。

 


大学ってなんだ

2015-06-14 11:29:14 | 生活

 先日、新聞で「大学の文系について見直したらどうか」という記事を見た。 どうやら文系は理系に比べて目に見えないし金にならないことが気に要らない面々の意見らしい。 政府の官僚の中には何とも心貧しい人たちがいるものだと呆れてしまった。

 大学の本質は文系にこそあるのではないか。 理系の各学科は専門学校や単科大学でも充分に機能していけるし、民間の研究所や施設でもやっていける。 しかし、文系の各学科、文学、哲学、人文学、社会学さらには法学や経済学などはその分野だけではなかなか大変だと思うし、民間の施設としてもやってはいけないだろう。 だからこそ、公的な支えが必要であるしそうする意味も大きい。

 文系の学問は直接的には何の役に立っているのか判りにくい。 どうでもいいようなことを考えたりいじくったりしている。 その考えることとあれこれいじくりまわすということが、実は人間にとって重要なことなのだと思う。 大学の文系が考えることを止めたら、この国でいったい誰が「考える」ということをするのか。 大学の文系、特に哲学、文学、法学というような分野は社会の頭脳だと思う。 大学の頭脳ともいうべき文系を無くして大学が大学としての本質を保っていけるのか大いに疑問である。 人は理性だけでは成り立たない。 理性と並んで感情が無くてはならない。 。

 社会でも大学でもそして人の生活一般でも、およそ無駄というものの無い世界は息苦しくて窮屈である。 そんな世界では人間は幸せになれない。 ムダはいいかえれば余裕である。 人間には個人でも社会でも余裕が必要である。  しかし、余裕はムダに見えるし何の役にも立たないように見えてしまう。

 50年ほど昔、通っていた大学の農場の事務所で、冬のある日の午前、何かの用があって訪れた時に目にした光景がなぜか心に残っている。 日のあたる窓際の席で二人の職員が囲碁を打っていた。 ただそれだけのことでその後は長い間その光景のことはすっかり忘れていた。 そして何十年かが過ぎ、世間が能率だの生産性だのと騒ぎだし、効率こそが善でムダやロスなどは悪だと決めつけるようになってきたころ、なぜか学生時代に目にし大学での光景をときどき懐かしく思い出すようになった。 午前中の勤務時間に職場で二人して囲碁に興じるというのは紛れもなくサボリである。 そしてそんなサボリを看過している事務所のありようは紛れもなくムダである。 しかし、私の心に残っていたその光景はいかにもゆったりとした”余裕”というかほのぼのとしたものであった。 当時はそういったムダやムラが存在していたし世間もそれを容認する余裕を持っていた。 それは、ひとり私だけの感慨ではないと思っている。

 大学の文系即ちムダというのはいかにも狭小な「一文字せせりで頭でっかち」の官僚諸氏の精神行動だと思う。 「考えること」を放棄した人間、特に日本人の将来がどういうことになるのかは過去の歴史を照らしてみれば明らかである。 そのこと自体恐ろしいことなのだが、万に一つ、「文系見直し」が今国会で論じられている「安保諸法は違憲」との憲法学者の意見に対する”腹いせ”だったとしたら、もう「何をかいわんや」の心境である。

 効率や技術や金ではない「人間の余裕や幅」「人としてのゆとりや深み」、そういったものを包含していてはじめて大学は人間社会の最高学府としての存在意義があるのだと思う。  近欲な効率亡者には理解できないかもしれないが、、、。


ハルが病気になって

2015-06-11 11:21:41 | 生活

 今月の始め、ハルが体調を崩した。 下痢と嘔吐が2日続いた。 居間のカーペットの上で吐いたので妻が驚いて始末したのだが、そのとき浴室にも下痢をしているのに気付いて騒ぎが大きくなった。 ハルは小犬の時から時々黄色い泡状のものを少し吐くことがあったが、その場所はほとんどが廊下や浴室などだった。 雨の降る日には浴室にトイレシーツを敷いてそこでオシッコやウンコをさせているので、浴室の中や周りで粗相することはときどきあり、私たちお二人さんもそれにはほとんど注意することはなかった。 

 しかし今回は嘔吐と下痢気味のウンコ漏らしが同時だったので、これは普通ではないと思い翌日あわてて獣医に連れていった。 単なる食あたりか感染症によるものかはすぐには判らないということで、とりあえず注射をして薬をのんで様子を見ることになった。 そして、妻の言う 「いつもの注射3本」 が効いたのか帰宅後は比較的早く元気を取り戻した。 ところがその晩8時ごろまた吐いてしまった。 まだ治ってはいなかった。

 お二人さんの飼い犬のハルはこれまでの40余年間に飼ってきた犬たちとはいろいろな点で違った。 違いの第一は、ハルはお二人さんにとって初めての 「お金を払って買った犬」 だということである。 タダの犬と買った犬はやはり大きな違いがあった。 これまでの犬たちは「生まれてきた犬」だったが、買った犬は「作られた犬」という感じがした。 なにしろ、飼い易いことはこの上ない。 なんでも良く覚え「しつけ」に困ったことはほとんどなかった。 そして利口である。 人が飼うために都合のよい遺伝子を選択的に持たされており、都合の悪い遺伝子は持っていない。 4年間飼ってきて判ったのはそんなようなことだった。

 ハルはトイプードルである。 我が家にきて最初に獣医へ連れていった時、「どうして今度はプードルにしたのですか」と医師に聞かれた。 その医師は私たちお二人さんがそれまで飼っていた犬について良く知っていた。 だから、どうしてこんどはプードルにしたのかと聞かれてもその意味が判らなかった。 しかし、話をしていて 「この犬は手入れを怠ると五右衛門みたいになっちゃいますよ」と言われてなるほどと合点がいった。 医師は私たちが飼い犬に余りお金をかけないことを良く知っていたので、トイプードルには苦労するだろうと思ったのだと気付いた。

 私たちお二人さんは、ハルがトイプードルで獣医さんから指摘を受けていたにもかかわらず、ハルをそれまで飼ってきた犬たちのように、どちらかというとワイルドに育ててきたし現在もそのように飼っている。 去年の始めからもう1年半ほどトリーマーへは連れていっていない。 シャンプーもカットも妻と私で共同してやっている。 小犬の時から3年ほどは二月ごとくらいにトリーマーへ行っていたが、一昨年の暮れに「毛玉が多かった」という理由で全身短くカットされてしまった。 それを機に、その後トリーマー行きは止めて自分たちでトリミングをすることにした。

 トリミングといっても、月に1回ほどシャンプーをし、毛が伸び過ぎてみすぼらしくなってきたらバリカンとハサミで適当に切っているだけである。 ハルの散歩はもっぱら私の担当になっているのだが、近所の川の堤防道路へ行った時などはリードを付けたまま放してやる。 そうすると、好きなようにあちこち走ったり草むらに顔をつっこんで匂いを嗅いだりする。 もっとも、そうする前に川へ行くまでの間にウンコやオシッコは済ませてしまうことは言うまでもない。 最初の頃は戸惑ったり、危なかったりしたこともあったが、今では私から3、40mほどの間を後になったり先になったりしながら嬉しそうに走っている。 冬を真ん中として、その前後の田んぼの稲が刈り取られている間は、田んぼを好き勝手に走ったりしている。

 そんな風にワイルドに育ててきたし飼っていたのだが、先日病気になってやはりハルは血統書付きの西洋犬の小型犬だと気付かされた。 利口で飼い易いようだがひ弱である。 食べるということをとってもハルは口より大きいものは食べられない。 口で噛みついて引き裂いたり食いちぎったりということが出来ない。 口を開けさせて見てみるとなにしろ口の幅が小さくて細い。 蛇の口のようである。 体中の毛がフワフワしているので見た目はまあまあの口をしているようだが実体は違うのである。

 元気でお転婆で良く食べるのでついついこれまで飼ってきた犬たちと同じようなつもりで対してしまう。 これまでに飼った犬のうち最後のアッキーはマルチーズで西洋種の小型犬だった。 しかし、氏が違っていた。 アッキーは四国の讃岐で犬好きの妻の親戚の家で産まれた普通の飼い犬だった。 血統書などとは縁の無い犬だった。 もともと丈夫で雑な飼い方にも馴れていた。 だからハルのような犬に対処するにはそれまでの犬の飼い方とは少し違う新しい知識や方法が必要なのだと知らされた。

 ようするにお二人さんが以前飼っていたのは腕白もののガキ大将のようなもので、今のハルはいいところのオボッチャマといったような違いがあるのだと思う。 もっともハルはメス犬だが、、、。  お坊ちゃんでも腕白にはなれる。 深窓のお嬢様でもバリバリのキャリアウーマンになれないこともなかろう。 世間の通念でも獣医師の見方でも「どうかな?」と思われるようなことをしているのかもしれないが、自分たちなりに納得がいくような飼い犬になることを期待しながらこの先もハルとのつきあいを続けていくつもりである。

 お二人さんは飼い犬には”愛玩犬”であることは望んでおらず、”伴侶犬”であることを望んでいる。 ハルがいかにひ弱であっても、飼い犬に対するこの気持と姿勢だけはこれからも変わらないと思っている。

 


”相性”ということ

2015-06-07 14:52:30 | 生活

 関西は梅雨に入ったがここ東海地方はまだ梅雨入り前である。 しかし、今週中には入梅ということになると思う。 晴れの日が少なくなってきた。 この時期になると我が家の周りには決まってドクダミが花を咲かせる。 10年前に家を建て替える前から家の周りにはびこっていた。 建て替えの時敷地を掘り返し基礎を高くして裏庭や周囲にはかなり土を入れたのに、建て替えて何年かした頃よりドクダミはまたはびこり始めた。 私も妻もドクダミの花は嫌いでないので毎年はびこるに任せていた。 そして最近では家の周りに花が少なくなるこの時期、むしろ喜んで鑑賞しているくらいである。 

 我が家の庭にはなぜか地味な植物が良く育つ。 東と西の家の脇にはドクダミが、 南の裏庭にはツワブキとシャガ、そして北の道路の側溝脇にはユキノシタが植えたわけでもないのに毎年けっこう繁茂する。 ツワブキなどは株を減らすのに苦労しているほどである。

 そんな我が家でもなぜか根付かない植物がある。 これまでの経験ではサンショの木はどうしても枯らしてしまう。 鉢植えにしてもダメなのだから、土地との相性というよりも人との相性が悪いのかもしれない。  そして、一坪菜園で育てた作物の中ではホウレンソウが駄目である。 酸性土壌を嫌うというので留意して石灰を入れてみたがやっぱり駄目だった。 そのうち妻がどこかで聞いてきたらしく、「ホウレンソウは手を選ぶそうだよ」 と言いだした。 だから、ホウレンソウはもう作らないことにしている。 サザンカも植えたけれど枯れた植物である。 これも原因不明である。 同じ場所に今はイチイとヤツデとコデマリとアカメガシが各一本ずつと自然生えの常緑広葉樹らしきものが一本元気に育っている。

 ことほど左様に、動物でも植物でも相性の良し悪しということがやはり在るのだと思う。 お二人さんが飼っていた犬は今のハルが四匹目だが、それまでの犬たちはどれも15年以上の長生きをした。 そして、お二人さん自身、連れ添ってから「この秋で44年になる」といった塩梅である。 これも相性が良かったからだと思う。 そして相性も「運」のうちだと思っている。