”お二人さん”の飼い犬 ”ハル”は色々なことをして遊ぶ。 いま生後6ヶ月、そんな仔犬には「この程度の遊び」が普通なのかどうか、大昔のことは忘れたのでよくは判らない。
自分独りで遊ぶ時はプラスチックと木の”噛み棒”が気にいっているようである。 私たち”お二人さん”と遊びたいときは犬用の”ボール”で、家の中で投げてやるとそれを咥えてきては私たちのどちらかの側へ転がす。 そしてまた投げよと「遊び」を催促する。 仔犬にしては”賢い”しぐさのように思ったりしている。
投げてやると思い切り突進していって咥えて戻ってくるのだが、その先がもう一つ理解できない。 くわえたまま離さない。 咥えているのを手で引っ張って「離せ」と言っても離さない。 ガンとして抵抗する。 取り上げようとしないで持ってきたことを褒めてやっていると離して転がす。
他にも小さい頃から遊んでいた、ゴム製の押すとピーピーと音がでる玩具が「お気にいり」である。 それを私たちのどちらかが持っているのを見ると、猛烈な勢いで取り返しに来る。 「これは絶対に私のもの」と思っているようである。
そんな時には素直に返してやる。 ハルにも独占できるものがあった方がいいと思うからである。 何でもかんでも「与えられる」「やらされる」「否定される」ばかりでは可哀そうである。 しかし、近頃、つまり6ヶ月に入った頃から特に「自己主張」が強くなってきた。
”人と犬の関係”はどうあるべきか。 これまで三十数年間も犬とともに暮らしてきたのだが、「犬との関係」についてことさら意識したことは余りなかった。 いつも一緒にいて、同じように想ったり感じたりしているものだと思っていた。 特別「思っていた」と言うほどのことでなく、そんなものだった。
ところが、”ハル”が来てから、そしてハルが成長するにつれて、”お二人さん”と”ハル”の関係を“意識”するようになった。 今のお二人さんにとってはハルはチョット違った”違分子”的な存在になっている。
その一番の違いは”エネルギー”である。 ハルはなにしろエネルギッシュである。 今月の始め妻が獣医の前でハルを抱いていて転び、それ以後まともに歩けなくなったので一緒に散歩にも行っていない。
それで、もっぱら私が散歩させているのだが、始めのうちはそれまでに行ったことのあるコースだけしか行かなかった。 妻が一緒だと”新しいエリア”や”新しいコース”を開拓していたのだが、私だけになった当初はなぜか”それ”ができなかった。
しかし、ハルは日に日に成長する。 いつまでも同じ散歩コースでは運動量が不足してくる。 だから、家の中を全速力で走り廻ったりする。 その早さは昔いたマルチーズのアキとは全然違う。 プードルは脚が長いせいか、なにしろ早い。 疾風のように駆け抜けていく。 ”お二人さん”は唖然として見ているだけである。 しかし、それでは”飼い主”としてのメンツが立たないので、頑張って「散歩の範囲」を無理に広げさせたりしている。 近頃ようやく「知らないエリア」にもついてくるようになった。
時々近所の2歳と4歳の兄弟(これは犬ではなくて人間の子供)が遊びにくるが、そんなとき、4歳の兄には手加減するが2歳の弟には思いっきり「かかって」いく。 弟のことは見下しているようである。 犬は仔犬でも人間を「値踏み」するようである。
昔、私たち”お二人さん”の「通念」では、犬は人に飼われているもので犬は人に従うものだった。 我が家でもこれまでの犬たちはそうだった。 飼い主の指示命令には絶対に従った。 ところが、今度の”ハル”はちょっと様子が違う。
飼い主が年寄りだからと侮っているのか、犬の犬種がプードルという「気位が高い」犬種だからか、理由は良くわからないが”ハル”は今までの犬たちに比べると飼いにくい。 ”かってツンボ”を決め込んだりする。
それと、ペットとしての犬の「ありよう」も変ってきている。 ”2年半”犬と離れていた間に”犬”たちは変ってしまった。
犬は「飼い犬」ではなく、「ペット」になってしまっているようである。 自分で小型犬を飼っておいていうのもおこがましいが、飼い犬はほとんどが小型犬になってしまった。 大きい犬を連れている人は以前に比べて少なくなった。 そして飼われている小型犬も「伴侶」というよりも「愛玩物」のようで、特に都市部に至ってはその傾向が顕著である。 要するに「犬の飼い方」がかわってきているようである。
「飼い方」が変るとともに「犬そのもの」も変ってきている。 住宅地で、そして室内で”飼い易い”ように犬の性質が変えられてきたようである。
そして「犬を取り巻く環境」も変ってきている。 ドッグフードも、獣医も、トリマーなども2,3年昔とは変わってしまった。 そんななかで”お二人さん”はプードルの”ハル”を飼い始めたのである。
狂犬病の注射も登録もまだ終わっていない。 トリマーにもまだ一度も行っていない。 三度目の予防注射を受けに行った獣医さんは「プードルは手入れを怠ると五右衛門のようになる」と言ったが、”行きつけのトリマー”を作る気はない。 妻もシャンプーやカットは出来るうちは「自分でやる」と言っているし、私もプードルカットのプードルよりは五右衛門のような小型犬のほうが連れて歩くにも心地よい。
近いうちに狂犬病の予防注射と登録などで獣医には行っても、トリマーには多分行かないと思っている。
”お二人さん”と犬の関係は、犬を取り巻く「いろいろ」が変っても、お互いに「伴侶」でありたいと思っているし、飼い犬を「ペット」のように「愛玩する」ということはできないと思っている。 犬は「飼い犬」であって「ペット」ではないと思っている。
この「思い」だけは変りようがない。