”お二人様の老後”


 年寄り夫婦の”日常”や”戯言”そして”泣き言”を書き連ねてみます。

鳩山首相の功績

2010-04-26 16:28:11 | Weblog

 支持率が落ちて、四面楚歌の鳩山さん。 しかし、何とか頑張っています。
近頃では全く擁護する人がいなくなってしまった感じですが、マスコミ等の評価は本当に正しいのでしょうか。 

 確かに、いろいろな欠点が目に付くと思いますが、鳩山さんにしても民主党にしても「初めてのこと」ばかりなのですから、「しょうがない面」も多々あると思うのです。 「普天間基地」にしろ「高速道路」にしろ、歯切れの無さや迷走ぶりにはあきれることも確かですが、歯切れが悪かったり迷走したりしているからこそ、「国民が目を向けた」のではないでしょうか。 
 これまでの過去の政権下で、国民みんなが今ほど「密度濃く」沖縄のこと、基地のこと、政策のこと、政治のこと、を考えたことがあったでしょうか。
 これまでは、ほとんどの国民が沖縄のことや政治のことなどは「関係ないこと」で済ませてきていたと思うのです。 
 
 鳩山首相が迷走し、煮え切らない「本音」を国民に見せているからこそ、国民も「まじめに」普天間のことやその他の政治のことに「思いをめぐらせる」ようになったのだと思います。 これこそ「大きな功績」だといえるのではないでしょうか。
 沖縄の基地に関する県民集会に「あれほどの人出」が過去にあったでしょうか。 鳩山首相が沖縄の人たちに基地の問題を「自分たちの問題」として「真剣に考えるきっかけ」を与えたのだと思います。
 そして、日本国民全体にも「沖縄の問題」というものが”本当にある”のだということを「考えさせた」といえると思います。
 これは現政権の「大きな功績」であり、鳩山首相の「大きな功績」であったと思います。 
 彼や彼らには「初体験」ばかりなのですから、「功績」を焦らずに、長い目で見つめる必要があるのではないでしょうか。


ローカルでマイナーなスーパーの値打ち

2010-04-16 14:47:06 | Weblog

 去年の後半頃からめっきり車に乗ることが少なくなった。 遠出をしなくなったこともさることながら、車で買い物に行くことが減ったことが一番大きな理由である。 「エコのため」という理屈もある。 「健康のため歩く」という理屈もある。 しかし、一番大きな理由は、妻が「近くのお店を大事にしなきゃ」と言い始めたことである。
 世はまさに大型スーパー全盛の時代である。 街中の商店街はシャッター街と化し、さらに小型の食品スーパーも少なくなり、人々は郊外の大型店へと買い物に行く。
 私たち”お二人さん” もつい最近まではそうだった。 二人で車に乗って10分か15分のショッピングセンターなどへ買い物に行っていた。

 しかし、去年のいつ頃だったか、街の中の小型のスーパーマーケットがドンドンと閉店して、街中に住む年寄たちが買い物をするところが無くなってきているというテレビ番組を見た。
 それ以来、妻はもっぱら一番近いローカルでマイナーの食品スーパーを利用するようになった。 そして
私もそれに付き合うようになった。
 気候やお天気がいいときは散歩をかねて歩いて行き、そうでなければ出来るだけ自転車で行くようになった。 車を利用するのは雨降りや厳寒の日ぐらいになった。 

 行くのを止めてみれば、日常の生活に必要な程度のものは近くのスーパーで充分に間に合う。 幸い我が家の場合は自転車で行ける範囲に食品スーパーとドラッグストアーがある。 歩いてでもいけない距離ではない。
 だから、私たち”お二人さん”はこの二つの店舗が営業を続けてくれている間は「年老いても」生活していけそうである。
 ウォーキングの帰りなどに、ときどき”手押し車”を押してゆるゆると田圃道を歩いている年寄りを見かけるが、「ああ、あそこの帰りだな」と、一安心しながらすれ違ったりする。 
 私たちがここに住み始めたころ、30年近く昔にはこの界隈にも食品スパーが3ヶ所ほどあったと思う。 それが郊外に大型店が出来るたびに一つまた一つと閉店においやられていった。

 その頃は私たち”お二人さん”も若かった。 郊外といっても住んでいるところそのものが名古屋市の郊外である。 だから、ほんの街外れで、車に乗れば10分そこそこのところに大型ショッピングセンターが出来るのだから、近隣の小型の食品スーパーが消えていくことにはほとんど”感心”をはらわなかった。 「若い」ということは「残酷なこと」なのだと最近になって悟った。

 当時、「独り暮らし」や「二人暮らし」の年寄りたちはそんな実態をさぞ「寂しい」思いで眺めていたに違いない。 その頃にも”年寄り”は居たはずである。
 今、最後に残っている”一店づつの食品スーパーとドラッグストアー”、これだけはなんとしても残ってもらわねばならないという思いが、私たち”お二人さん”に「買い物ドライブ」を止めさせているのである。

 ”エコ”だの”環境”だの”省エネ”だのと「お題目」を言っている段階ではない。 数年先に迫っている「年寄ってから」の買い物が出来るかできないかという生活に直結した「問題」を実感しているのである。
 ローカルでマイナーな食品スーパー、これこそが地域の年寄りの「命の綱」である。


大学の入学式?

2010-04-08 16:08:31 | Weblog

 昨夜、テレビを見ていて驚いた。 大学の入学式で父兄の同伴者が多すぎて式場に一度に入りきれず、二度に分けて式を行ったのだそうだ。
 どこを見ても満開の桜、いまや春爛漫である。 そんな折にわが子が入学式を迎えるとなれば親たる者はさぞ嬉しいことだと思う。 「入学するわが子を見てみたい」と思うのも理解できる。 しかし、それは小学校までのことである。

 いかに”金”と”気”を使って合格した大学か知らないが、大学生はもうすぐ大人の仲間入りをする年齢である。 年齢なぞ問題ではない。 「大学生」である。 「青年」である。
 まさか「独りで入学式に出られない」というわけではないと思うが、それにしても、学生も父兄も共に「気持ち悪い」あり様だと思う。 

 子供をそこまでにするのには、さぞ多くの”出費”と”心配り”があったこととと思う。 親は子供の教育に心身ともに「のめりこんで」きたのだと思う。 
 その結果、親は「子離れ」が出来ず、子は「親離れ」が出来ない親子関係が出来上がってしまった。 そんな状態では「まともな若者」は育たない。 大学を出ても「子供のまま」というような若者に育っていってしまうだろう。
 大学を出ても「就職できない」という実状も無理からぬことだと思った。 精神的に「自立していない若者」など企業としては雇用したくない。 

 我々の子供の頃、親が入学式に付いてくることを恥ずかしく思ったものである。 小学校でである。 中学校では父兄が付いてくるようなことは”知る限り”においてなかったと思う。 入学式を見に来た父兄もなかにはいたかもしれないが、それは極めて少数のことだったに違いない。

 そのむかし、中学、高校、大学と進学するということは、それにつれて「自立」の度を増し、「親との距離」を増して行くことだった。
 それにむかしは、高校や大学などは学力や経済力に恵まれた者だけがいけるところだった。 多くの子供たちが中学を出ると”就職”していった。 「自立」していったのである。

 今は時代が違う。 ほとんどの子供が高校や大学へ行く時代である。 だからといって、大学生までが「親離れしていない」状態が望ましい姿とは思えない。 親もそのように「子離れしていない」状態では子供が”窒息”してしまう。 それが「苦にならない」ような子供ではまともな大人にはなれない。

 「子供手当て」が支給され、「高校が無料」になる。 子供の教育にはこれまで以上に「税金」が使われることになる。 社会が子供を育てるようになるということは、子供は社会のものになるということである。 
 子供は親だけを見ていてはいけないし、親も自分の子だけを見ていてはいけない。 

 大学生の入学式に親が付いていくというような「気持ち悪い親子関係」は早急になくしてもらいたいものである。
 親は”大人”として、「子供とは離れたところ」での楽しみを見つけるべきである。 親がいつまでも「子供ベッタリ」というのは、「社会のあり様」として好ましくない。


”孤独”との付き合い方

2010-04-06 11:08:31 | Weblog

 人は年齢を重ねるに連れていろいろなものを失い寂しくなってくる。 体力、気力、精力といったような身体的能力から、友人や知人知己はては子供や配偶者までもなくしてしまう。 そして「孤独」を感じることとなる。 

 人間生まれてくる時は一人である。 言い古された言葉であり、「双子なら一人ではない」などとへ理屈を言ってもしょうがない。 “一人”で無意識のうちに生まれてくる。 そして最終的にはまた一人になる。

 どうして生まれてきたのか、生まれるときはどんな感じだったのか、人は全く記憶にない。 気が付いたときには母がいて父がいる。 そして幼少の頃は本能的に母を求め父を慕う。

 しかし、青年期になり、独立の心が生まれてくると母や父が疎ましくなる。 そして、新しい自分の世界を作り、新しい人々との社会を作る。 しかし、時とともに、その中での自分のありように疑問を抱いたりしてまた一人になる。 「青年の孤独」というやつで、そんな孤独を想う頃を人生の「思春期」とよんでいる。

 思春期の孤独は独立に向かうための孤独だと思う。 発展、向上、成長に向かうための“ポジティブな思考”の孤独である。 そうでなければならない。 それとは対照的に、人が“老い”を感じ始めたときに“老い”とともに感じる「孤独」はなんだろう。 その前方には思春期に「孤独」を感じたときのような「明るさ」や「ほのぼのとしたもの」は見当たらない。 ただただ寂しく孤独なだけである。 何故だろうか。


 それは「孤独」というものにたいする「対し方」に原因があるような気がする。 すなわち、「孤独」との”付き合い方”に違いがあるのではないだろうか。 若い頃の「孤独」は“夢想的”なものであるのに対して、年老いてからの「孤独」は“現実的”であり、それをより身近に感じる。

 そのように、年寄りになると孤独」を身近に、現実味を帯びて ”実感”するようになるのだが、「孤独」とは ”ネガティブ”なだけのものだろうか。 違うような気がするし、”違う”と思いたい。

 若い頃の孤独の中に”ポジティブ”なものを感じたように、年老いてから感じる孤独にもポジティブなものは見出しうると思う。
 要は「思いよう」である。 すなわち、「孤独の中へ放り出される」と思うか、「孤独中へ飛び込んでいく」と思うかの違いだと思う。

  「孤独」というものを「他者とのかかわりの密度」という観点から見てみると、それは「極めて希薄」なものだと思われる。
 そして”ポジティブ”な「孤独」はそういった「希薄な人間関係」を自ら求め、他者との「拘わりを拒絶している状態」と思えば良いのではないだろうか。 
それに対して"ネガティブ”な「孤独」は、他者との拘わりを外部から拒絶され、「疎外された状態」といえるのではないだろうか。

  要は ”主体性”の問題である。 自己の”主体性”を明確にし、自己を取り巻く環境も自分から求めたから存在するのだと思えば、「孤独」もまた自己を疎外するような "ネガティブ”なモノではなくなってくると思う。 「孤独に生きる」のではなくて、「孤独を生きる」と考えるのである。 それこそが「老い」にともなって迫ってくる「孤独」との上手な付き合い方のような気がする。 「老いれば寂しくなる」のはあたりまえである。


”旅行” と ”お土産”

2010-04-04 11:36:06 | Weblog

 旅行に出かけると、ほとんどの人が「お土産」を買ってくる。 何故か「当たり前のこと」のように、、、
 ”旅”に出かける目的はいろいろである。 既知の土地を訪れたり或いは未知の土地であったり、旅行に出かける当人にしても「その旅行に抱く気持ちや想い」はいろいろだと思う。 
 しかし、観光旅行に限ってみると、訪れる土地は未知のところが多いと思う。 とくに海外旅行ともなればそう同じところを何度も訪れない。 けっこう費用もかかるし、世界は広いのだから、その度ごとに「新しいところ」を訪れてみようと思うのが普通だろう。
 そして、ほとんどの人が「記念写真」を撮ってくる。 これもわれわれ日本人には”普通のこと”である。

 妻の友人がイタリアへ行ってきた。 新聞「赤旗」の集金に来る女性である。 「配達をしている人」ではなくて「集金に来る人」である。
 月に一回、集金のときに会って、気候が良くなってくると、門口に立って結構長話をしたりしている。 「日曜版」をとっているだけで、”理屈っぽい付き合い”ではないので、話といっても難しい話をするわけではない。 いわゆる女性の「世間話」というヤツである。
  そんな彼女がイタリア旅行のお土産だといって ”パスタの小袋”をくれたのだそうだ。 
 それからしばらく、妻と”旅行の話”になり、旅行のときに撮ってくる”写真の話”になった。
 旅行の記念写真というのは、自分や同行者がその旅行の間に受けた”感動”や”喜び”を記録しておくために撮るのだと思う。

 ”旅”に出て写真を撮ってくるのは、その旅で何らかの感動を覚え、その「感動」と「その日その時にそこに居たこと」を記録しておきたいからだと思う。
 旅をした当事者、とくにそれが複数であれば、その写真を見ていつか又そのときの感動や喜びを新たにし共有できる。

 「旅行の記念写真」はそんな目的で撮られることが多いのだと思うが、時にはそれが「その旅行」と無関係な人に見せられることがある。
 こういう場合、見せられた人は「某かの困惑」を覚える。 見せる人は感動や喜びを反芻しながら説明を加えて見せるのだが、見せられた人には共有する感動も喜びも無い。 だから、上っ調子の返事になり。「奇麗だね」とか「良かったね」とかいうような合槌しか口から出てこない。
 その写真の”土地”と”時”に共感できない人にとっては、記念写真も絵葉書もポスターの写真もたいして変りの無いものにしか見えないのだと思う。

 「そんな趣旨のこと」を妻に話すと、妻は「だから、みんなお土産を買って来るのよ」と言った。 お土産を渡すことによって「旅行」を多少なりとも共有するのだと言う。 「なるほど、そうか」と思った。
 お土産、例えば今回の「赤旗」の彼女のお土産 ”パスタの小袋” はパスタとイタリアのこと、10年ほど昔、姉がイタリアへ行ってきてやはり「パスタをお土産」に買ってきたことなどを思い出させ、イタリアというものを僅かながらでも身近に感じさせ、「パスタ攻めだった」と言う彼女の話に近づくことが出来たのだった。
 勿論、旅に出た人がお土産を買ってくる理由はひとそれぞれで、”義理”もあり”依頼”もあり”援助”もあるだろう。 しかし、どのような理由にしろ「他人のために買って来るお土産」というものは、意識するしないにかかわらず「そういった役目」をはたしているものなのだと思った。

 そう思って「自分たちのこと」を振り返ってみると、私たち”お二人さん”は旅行に行ってもほとんどといっていいほどお土産を買ってこない。 ”買いたい”と思わないのは、私たちに「係累」が無いからだと思う。
 子供がいないから孫もいない。 親たちもとっくに他界している。 兄弟姉妹とは「旅の感動」を分かち合いたいと思うほど”近しく”はしていない。 ましてや知人知己は論外である。 しいて言えば、妻が「すぐ上の姉」と”親密”であるくらいである。
 だから、旅行に出ても、「お土産」の必要性をほとんど感じない。 それはお土産が「そういった意味」をもつものであり、私たち”お二人さん”には「そういう付き合い」が無いからなのだと思った。

 ”妻の一言”、それにまた「目から鱗」の思いをしたというわけである。 七十間際の今ごろになって、、、。


”無能” と ”怠慢”

2010-04-01 12:25:41 | Weblog

 ”やりたい”と思うのになかなか出来ない。 こんなことが近頃多くなった。
「やってみよう」と思い、そうしようとするのだが怠惰になったのか、それとも能力が衰えたのか、思い通りにことが進まない。
 例えばこのようにブログを書いていても同じようなことを感じる。 先ず、「書くこと」がなかなかまとまらない。 何を書こうとするのか、決まっているようでいて定かではない。 だから、書き始めても文章に脈絡が無くなり、何を言いたいのか自分でも判らなくなる。 要するに、「作文の力」が衰えてきているのだと思う。 

 能力の”衰え”や”無能”を自覚し認めることは辛いことである。 哀しいし寂しいしさらには怖いことである。 だから、無意識的に”それ”に直面することを避けようとしてくる。 そうするとそんな己を”怠惰”だと思い、「何もやらないこと」を”怠慢”だと思うようになる。

 機械でも道具でも植物でも動物でも、どんなものでも古くなると形も性能も色も勢いも衰えて悪くなってくる。 人間でも同じである。
 人が古くなるとは、すなわち「加齢」である。 加齢による能力の衰えは絶対である。 どんなサプリメントも医療技術、美容技術も敵わない。 「若さ」には
敵いっこない。
 ”年寄り”も始めのうちは何とかしようと抗ったりする。しかし、七十を越える頃になると”それ”の無意味さを実感する。 そして「諦める」ようになる。 いかにも「悟った」かのように、、、。

 諦めて”無為”になり、次第に怠惰になって「怠慢」行き着く。 元はと言えば能力の喪失、つまり”無能”なのである。 人は結局、行き着くところ”無能”であり”怠慢”なのだと思う。
 「齢をとる」ということは、”寂しく””哀しく”そして”怖ろしい”ことである。
しかし、抗えるだけ抗ってみようと思っている。
 「ブログを書くこと」、これこそが「抵抗」であり「脳細胞の訓練」である。