”お二人様の老後”


 年寄り夫婦の”日常”や”戯言”そして”泣き言”を書き連ねてみます。

アサリナのグリーンカーテン、失敗かも、、、。

2015-05-30 11:29:41 | 生活

 居間の東窓のグリーンカーテンを今年は”アサリナ”という植物で作ってみることにしたのだが、どうやらこれは失敗に終わりそうである。 「アサリナという植物で」と記したが、何しろ聞いたことも見たこともない植物なのでそう書かざるを得なかった。

 そもそも事の発端は妻が生協のカタログに「グリーンカーテン用に適している」という記載を見つけたことだった。 以前はゴーヤで、昨年はアサガオで作ったグリーンカーテンを今年はどうしようかと思案していた矢先のことである。 新しいもの好きの妻がそれにとびつき「これでやってみよう」と言いだした。 我が家はいつも”婦称夫随”でことを進めているので今回も「それでは」ということにして種を買った。 生協から届いたのはケシ粒のような種が十数個とピートモスで作られた播種床がセットになったものだった。 このセットを使っての「播種と芽生えのあれこれ」については以前、5月10日付のブログ 「すごく小さな命」 に記したような次第である。 そして、発芽した芽を”ポット苗”にし、所定の場所に定植する段取りになったころからどうも様子が思わしくなくなってきた。

 バットの播種床に出た芽生えは10本ほどだったが、ビニールの育苗ポットに移植出来たのは6、7本だったと思う。 なにしろ本葉が出るまで”面倒を見る”のに苦労した。 3,4本は芽は出たものの本葉が出る前に消えてしまった。 なにしろ種がケシ粒ほどに小さかったように芽生えも小さなものだったので水やりにしても苦労した。 芽が出たピートモスのバットには底に穴というものが全くなかったので灌水の加減が難しかった。

 ともあれ、ポット苗にしてしばらく様子を見ていたが何時まで経っても枝葉は小さくてパッとしない。 今月初旬の終わりころ”どうにでもなれ”という気持で自然生えのアサガオの間に定植した。 そして2週間ほどが経ったというわけである。  

 予定どうりにいけば、今頃はアサリナの蔓が4,5本支柱を巻き登っているはずだったのだが、グリーンカーテンが出来るはずの場所には南の端にゴーヤが1本とそれから北向きにアサガオが6,7本並んで蔓を伸ばし始めている。 ゴーヤは買ったものでアサガオは去年出来た種が自然に芽生えたものである。 ゴーヤ1本は”アサリナ”がどうなるか判らなかったので安全のために1本植えていたもので、もう1m以上になっているし側枝の分岐も順調である。 アサガオは自然生えなので種類もいろいろで、去年つくったもののどれがどれやら今のところ判らない。 なにしろ自然交配の実生苗なので去年のようなチャンとしたカーテンになってくれるかどうかも判らない。 そして、肝心のアサリナはその中に混じって未だ蔓の先がやっと認識出来る状態と言ったところである。 本数も2本に減ってしまった。

 ゴーヤが大きくなってきたので昨日例年のようにネットを張った。 ゴーヤは今月の内にはネットにとどくと思うが、後どうなる事やら、、、。 アサガオだけでも去年の勢いを見せてほしいと願っている。

 


”ネットの闇” って何だ ?

2015-05-25 14:31:40 | 生活

 15,6日頃から昨日までほとんどウンコが出なくなっていた。 大便が出なくなる、つまり便秘ということだったのだろうが、初めての経験だったのでかなり応えた。 たかが便の出具合と思うのだが、いざほんとに出なくなると実に実にいやなものである。 世間には便秘で困っている人たちがかなりおいでになるらしいが、そういった人々の苦しみの一端を体験したといった感じだった。 昨日、ようやく少しまともになりかけて、今朝やっと自分で納得いくような”排便”があった。 やれやれと一安心したところである。

 ウンコで苦しんでいる間に、ブログの更新がおろそかになってしまっていた。 ”ボケ防止”もウンコどうよう大切なことだから怠けないようにしないといけない。 そんなことを感じながらインターネットを眺めていたら、”ネットの闇”が深刻だとかどうとかいう記事が目に入った。 そして、ツイッターの画面らしきものが出ていて、2,3行ずつ勝手なことが書かれていた。 こういった2,3行のコメントが非難だの中傷だのと言われるやつになっていくのだろうか。 S.N.S.とかツィッターとかフェースブックとかいうものにかかわっていない我が身としてはそういった世界で騒がれる”ネットの闇”などということにはとんと縁がない。 いったい本当に大変な“闇”なのだろうか。 そんなもの見なければいいのに。 見なければ”無い”のだから。

 昔、50年ほど前、テレビというものが世に出てきた当時、知識人と言われた人々の多くが「これはバカ箱だ」といってその普及に警鐘を鳴らしたことがあった。 テレビの普及によって「日本人は総白痴化する」と騒いだものだった。 そして多くの人々がそれに共感もした。 しかし、50年たった今、世間のありようはご覧のとうりである。 そして新たに I.T. というものが現れ”バカ箱”どころか”キチガイ箱”になろうとしている。 「日本人は総キチガイ化する」と騒がなければならない。 今まさにその緒に就いているし、テレビの例が墓標のように屹立している。

 ”ネットの闇”などとネット上での誹謗や中傷などにかかわっていると、いずれ本当の闇に飲み込まれてしまうのではないか。 誹謗や中傷など、都合が悪ければ”見ないでおく”ようにすればいい。 パソコンやスマホはS.N.S.やツィッターなどのためだけにあるのではない。 コーヒーやアルコール、タバコやパチンコなどと同じで「もう、やーめた」と止めてしまえばどうってことないと思うのだが。

 そんな小さなことよりも、 ”I.T.” というこの巨大な”化け物”に飲み込まれないようにしなければならない。 しかし、”キチガイ箱”も所詮”バカ箱”と同じ道を歩まざるをえないのだろう。 これこそ本当に”ネットの闇”ということになると思うのだが、、、。


”パンドラの箱” 開けちゃった

2015-05-12 16:08:27 | 生活

 安倍首相がとうとうパンドラの箱の蓋をあけてしまった。 以前から勇ましいことや派手なことを口にして、しかもマスコミに北朝鮮や中国なみの圧力をかけたりして何とも危なっかしいことだと思っていたがとうとうやってしまった。

 安倍さんは自分がいじくりまわしていたものが”パンドラの箱”だったという意識は無かったのかも知れない。 何しろ彼は”戦争を知らない世代”なのだから。 茫然自失しながら嗅いだあの”焼跡の匂い”は知らないのだから。 そして、元気で活動的で勇ましいほうが”大和魂”に近く、”八紘一宇”の実現にふさわしい在り方だと思っているようである。

 しかし、彼とても日本人である。 そしてこの国の宰相である。 その言行が国益に反するとは思っていないだろう。 しかしである。 安倍さんの国益が日本国民の国益と合致するのだろうか。 合致しないまでも類似しているだろうか。 そこらへんが危ういのである。

 それと、日本が外国で戦闘行為をするかしないかは「時の政府の判断による」ということらしいが、これから先の政府の考え方を今の安倍首相が予想しうるのだろうか。 自衛隊の海外での活動について、今の安倍首相は彼なりの”一定の範囲内”ということを考えているのだろうが、安倍内閣はいずれ終わる。 そして次の、また次の政府がどう解釈するかは未定である。 またぞろ大東亜共栄圏だの八紘一宇だのと騒ぎださないとも限らない。 なにしろ、この国には”前科”がある。 将来像は未定だが、ただ”道筋”だけは明確に過去70年間とは全く違った道筋を描いてしまった。 この変革こそがパンドラの箱だったと思うのである。 

 パンドラの箱を開けたからには”後戻り”は出来ない。 自衛隊の海外での活動に制約を口にすればするほど、国際的に弱腰だの軟弱だのと言われ、果てはひきょう者呼ばわりをされるかもしれない。 「自衛隊員に危険が及ぶ」などとは到底言えないことになるのである。 

 これまでの政府はなんのかのと理屈を付け、のらりくらりと言い訳をしながら、果ては「非核三原則」などというあからさまな嘘をつきながら、それでも”専守防衛”と”集団的自衛権の否定”という理念は崩すことなく国際社会の荒波を乗り越えてきた。 パンドラの箱を開けることなく”外交”を実践してきた。 しかし、安倍内閣はそうした先人の努力の成果を台無しにしてしまった。 取り返しはつかない。

 引き返すことの出来ない道に入りこんでしまったからには、そしてその失策に気付いたからは、止まるか進行を遅らせることを考えるしか策は無い。 一時の高揚心と耳触りの良い掛け声に踊ってしまってはならない。 まずはとどまり、熟慮することだと思う。 それが今のわが国民に出来る“唯一のこと”だと思うのだが、、、。 ”美しい日本”、それは控えめで質素で平穏なものである。 この国に世界遺産など要らないのである。

 

 


すごく小さな命

2015-05-10 15:47:05 | 生活

 我が家の居間の東窓には例年グリーンカーテンを作ってきた。 つまり、窓の外の軒先に蔓性の植物を植えてネットに這いあがらせ、その枝葉でカーテンを作ってきた。 これまでは主としてゴーヤを植えてきたが去年はあまり連作をしても良くないだろうと思い植えるものを朝顔に変えてみた。 朝顔でも十分に軒先まで伸びてしっかりしたグリーンカーテンにすることができた。 そして今年はどうしようかということになり、思案をしていたところ妻がCOOPのカタログの中にめずらしいものを見つけてきた。 

 妻が見つけてきたのは”アサリナ”というグリーンカーテン用の蔓性植物で、生育が良くカーテンづくりに適しているという説明だった。 ”種まきセット”として商品になっているようで、妻はそれを一度買って作ってみようというのである。 生育適温が20度C以上と高くて夏から秋にかけて花を付けるというので、我が家のグリーンカーテンにはちょっと出来る時期が遅いのではないかと思ったが、新しいもの好きの妻が是非にと言うので買ってみることにした。 桜の花が散り終わった頃のことだったと思う。

 届いたのは、紙で出来たパン(皿?)の中にピートモスを板状にしたものが入った”播種床”と、小さなビニール袋に入った細かい、非常に細かい、ケシ粒のような種子が十数粒だった。 そんなオモチャか子どものママゴトの道具のようなものでまともな植物の苗が出来るかどうか大いに疑問に思った。 まず種が小粒すぎた。 家の軒先まで、4メートルあまりの高さまで這いあがる植物になるにはいかにも種が細かすぎると思った。  しかしせっかく買った”セット”である。 捨てるわけにはいかない。 なにはともあれ種まきをしてみることにした。

 4月の中ごろ、種をまくことにして包装を開けてみてまず不審に思ったのは、紙製の”播種パン”の底に穴が一つも明いていないことだった。 もし水を入れすぎたらお茶漬けのようにダブダブになってしまう。 水を切らさないようにというのだが、最初にどれだけの水を含ませたら良いのか書いてない。 1週間ほどで芽が出ると書いてあるが1週間もそのまま置けばパンのピートモスは乾燥してしまう。 説明書きのようにやっていてはラチが明かないと思い、自分なりに判断して自己流でやることにしてとりあえず種を播いた。 1週間ほどで芽が出るというが、発芽適温は20度C以上とある。 屋外に置いたのではだめだと思い播種パンを部屋の中に置いた。 

 そして、十日ほど前、なんとか十個ほどの芽が出てきた。 しかしこの芽がこれまた非常に小さい。 ゴーヤとかアサガオとかの芽と比べると10分の1以下といった感じである。 そして播種からそろそろ20日余りが過ぎるがまだ本葉は痕跡程度である。 いよいよ先行きはあやしくなってきた。 しかし、考えてみれば象でもクジラでも始めは受精卵一個からあの巨体が出来上がるのである。 今は小さな小さな命だがことによると「ジャックと豆の木」のようなことになるかも知れない。 どうなることか、期待せずに、それでも丁寧に育ててみようと思っている。

 


ライフスタイル変更 ・・・ ケチになって

2015-05-05 12:21:44 | 生活

 妻の膝の痛みがひどくなってきたので座り生活から腰かけ生活に変えることにした。 去年の夏ころから痛みを訴えるようになり整形の医院にも通うようになっていたのだが、近頃特に立ったり座ったりの際にひどく痛むようになったという。

 もともと身体が弱くて疲れるとすぐに畳の部屋で横になることが多かった。 だから、秋から春の間は居間の座敷に炬燵を出していた。 テレビを観る時もたいがいは炬燵に入り横になって観ていた。 しかし、とうとう炬燵に入ったり横に伸びた姿勢から立ちあがるのに不都合を感じるようになってしまった。 医師からもそういった生活は「膝の痛みにも良くない」と言われていたという。

 それなら、ということで椅子生活に変えることにした。 畳敷きの居間には以前からソファーがおいてあった。 そのソファーの位置を90度変えてテレビに近づけ、妻が横になりたくなった時にはソファーで横になることにした。 これなら横になったままテレビも観られるし 起居も楽である。

 妻の”場所”は決まったが私の”場所”がまだ未定だった。 ソファーに二人並んで座るのも雛人形みたいでおかしいし、妻は横になることが多い。 だからソファーは妻の専用ということにしなければならない。 そこでわたし用の椅子は新たに買おうということになった。 お二人さんはまず近くのニトリの店舗に行ってみた。 しかしなかなか満足のいくものが無かった。 次にこれも近くのモールにあるLIVINへ行ってみた。 LIVINではちょうど輸入家具のSALEをやっていてカナダや北欧からの椅子も展示されていた。 カナダ製のパーソナルチェアーに良さそうなのがあったが価格が9万円と高すぎた。 それに欧米の家具はどれも大きすぎる。 あちらはどこも部屋が広いし座る人の体格もいいので椅子も大きい。 どれも日本の庶民の家にはデカすぎる。 結局、観ただけで帰ってきた。 そして、疲れた。

 歳をとると買い物も大変である。 体力が要る。 妻は心臓やひざなどに病気を抱えているのでなおのこと大変である。 それで、翌日インターネットで調べることにした。 そして、リビング用のパーソナルチェァーは良さそうなものはどれも6,7万円以上はするものだと言うことが判った。 買う気は薄れた。

 いつ死んでもおかしくないような爺さんと婆さんが7,8万円もする椅子を新たに買うということはそうあっさりと決められることではない。 しかし、残り少ない余生を不自由をかこって生きていきたくもない。 思いあぐねていると、「ボロ屋さんで探すという手もある」妻が言った。

 私たちお二人さんは10年前に家を建て直したとき、新築家屋ではシックハウスの原因になるホルムアルデヒドの発生を極力抑えるよう設計士に依頼した。 使う”建材など”に注文を付けたというわけである。 だから新築の家で使う家具類も新しいものは極力避けるようにした。 新たに必要になった家具は古道具店を何軒も回って探した。 だから、中古の家具に抵抗感は無いし中古家具の販売店にも精通していた。 それで、「近いうちに行ってみよう」ということにした。

 ボロ屋行きを言い出していた妻が今度はまた別の思いつきをした。 「あなたがパソコン用に使っている”社長さんの椅子”をここへ持ってきたらどうだろうか」 というのである。 確かに私は自分の寝室にパソコンを置いており、それ用に大きな椅子を置いている。 背もたれが高く肘掛も付いていて、いわゆる”社長さんの椅子”というやつである。 それならリクライニングも効くしリラックスできる。 さっそく持ってきて座ってみた。 ちょうど良かった。 これで決まりだと思った。 

 パソコン用には妻が鏡台の前で使っていた事務椅子を移動し、鏡台には妻が以前膝がひどく痛かった時に調理用にキッチンで使っていた小さなコロのついた椅子を移動することにした。  これで万事解決した。 座り生活から腰掛け生活へは思いのほか安価に、「ただ」で移行することができた。 よく考え、出来るだけ節約を心掛けた末の結果だった。

 何事をするにも必要なことは熟慮である。 ”思いやり”と”ケチ心”を持って慎重に考えてみることである。 何をするにも、何を作るにも金をかければ速く簡単に結果を出せる。 しかし、その結果がbetterであるとは限らない。 betterな結論はいつも別にあるものだということを忘れてはならないと思う。 bestの結論など遥か手の届かないところにある。