アフリカ・ユーラシア見聞録

むかしむかしあるアフリカで・・・

エリトリア第2の都市へ(マッサワ:エリトリア)

2005-01-29 15:35:22 | 1st 北・東アフリカ
 エリトリア





2005.01.27(木)-29(土)

 エリトリアでの時間はまだある。私はエリトリア第2の都市であるマッサワへと向かうことにした。
 ガイドブックによるとかつては栄えていた港町だったが、独立闘争の舞台となり破壊された官邸や戦車、銃痕が残る民家等が見られるというのが興味をもった理由だ。

 朝早くバスターミナルへ行くとマッサワ行は長蛇の列。どれだけ待つのか?図りかねているとそこにいた並んでいるおじさんが「君はここにいろ、俺がポリスと話をつけてくる」と言ってくる。何の事やら分からなかったがポリスが私の所にやってきて、急に列の先頭に引率して割り込ませる事になる。『これは並んでいる人に申し訳ない』と、私は周りの人に『そんなつもりじゃなかったんだ』とまた最後列に戻ろうとすると、ポリスのみならずそこで並んでいた人までも「いいからあんたはそこにいなさい」と言ってくる。私は待つ事は嫌いだが、それでも割り込むのはもっと嫌だ。何よりもフェアじゃない。私はさらに戻ろうとするとポリスは「いいんだよ。君は外国人だ。勝手の分からないこの国で待つのは辛いだろう、ここで並んでいるみんなは慣れているからいいんだ。それにもし僕が君の国に言ったら君の国の人は親切にしてくれるだろう。だからこの国に来た時はこれぐらいの便宜は図ってあげて当然なんだ。」と語りかけてきた。『うーん』日本ではここまで丁寧にしてくれないだろう。だが、彼の言葉は心に沁みる。私は彼らの台詞に甘える事にしてバスに乗ることにした。

アスマラのバスターミナル、そしてマッサワまで乗ったバス。
 

道中の景色は最高だ。アスマラの標高は2300m、ここから紅海沿岸の街に出るので途中で雲を突き抜けていく。

 雲が眼下に見える。


 途中で昼食休憩した村で
 



 マッサワへは4時間くらいかかって郊外のバスターミナルへ到着。

 外に出てまず目に付いたのは真新しいモスクに政府系の施設だった。

 モスクと施設
 

 マッサワは少し変わった街のつくりをしている。大陸の端から橋を島と島につないで最初はタウルド・アイランド、そして港のあるポート・アイランドへと向かわなければいけない。安宿のあるポート・アイランドへはここから結構かかるのでシェアタクシーを利用して移動する。
 だが、ポート・アイランドではしっくりとする宿が見つけられず、ちょっと贅沢かとおもったがタウルド・アイランドとポート・アイランドの中間にある中級クラスの宿を取る事にした。

これがそのホテル。そしてホテルからポート・アイランドを眺めて。
 
 
 余談だが、このポート・アイランド付近で道路工事をしており、その監督官は中国人だった。
 

 マッサワは低地にあるので暑い、私は歩きとシェアタクシーと交互に交えながら観光する事にした。

破壊された宮殿や周りの施設
 



 戦車のモニュメント、噴水にされているのには笑ってしまった。


 

ちょっと離れた所からポート・アイランドを眺めて。


ホテル近くの港の風景


近代的な建物もあった。看板を見たら政府の港湾系のオフィスだった。



 暑かったが、独立戦争の傷跡と少ないとはいえ近代的な建物が混在するこの街の独特な景観が見れたのでマッサワでの滞在は楽しい物であった。

 2泊3日という短い時間であったが、私は十分に満足してここを後にすることとなった。

マッサワのバスターミナル。建物は新しい。


エリトリア日帰り観光(ケレン:エリトリア)

2005-01-26 15:33:13 | 1st 北・東アフリカ
 エリトリア





2005.01.26(水)

 アスマラはいい場所だが残念ながら都市は小さい、4日もみて回るとそろそろやる事も大体終わってしまっていたので日帰り観光にケレンという街を見に行くことにした。

 朝早く起きてターミナルに着くと結構な人が並んでいて一本目は逃す。それでも2本目の0630時発のバスを確保して一路ケレンへと向かう。

 距離は90Kmとさほど離れていないのだが到着するには3時間もかかる。バスがボロく、高地を走っているせいだろうか?

 到着したケレンのバスターミナル。


 観光しようと歩き始めて私は帽子(ジャングルハット)をバスに忘れた事に気付く、慌てて戻ったらバスはもう出発した後だ。たいした物ではないといえ、無くすのは辛い。
 幸いにしてケレンの街を歩いている時に帽子を売っている店があり、200円くらいで代用品が買えたのでそれ程痛手でも無かったが・・・


 ケレンの街並
 


 暇潰しと考えて来た物の印象はただの地方都市といった程度だ。

 ただ、この街には不釣合いに近代的な教会が建築中だったのにはちょっと驚いた。

近代的な教会。
 

何かのモニュメント



 3時間くらい散歩していたのだろうか?もうそろそろいいだろうと思い、バスでアスマラに戻ることにした。


帰りのバスからの景色
 


 ケレンへの日帰り観光。

 町は小さかったがいい暇潰しだった・・・

 

平穏な日々(アスマラ:エリトリア)

2005-01-25 15:31:47 | 1st 北・東アフリカ
 エリトリア





2005.01.22(土)-25(火)

 ジブチを出たのは深夜、アスマラに到着したのは0130時頃。この時間なのに銀行が空いていてトラベラーズ・チェック両替が出来てエリトリアの通貨である「ナクファ」を手に入れられたのは朗報だったが、外に出ても何も出来ない。
 私は空港の外に一度出てタバコを吸い、中に戻って始発のバスを待とうとすると空港は完全に閉め切られていた。

 新しい国の最初が文字通り「野宿」に。私の他にいた少ない乗客は迎えに来たピックアップ・トラックに乗って市内に向かってしまい私はポツンと一人になる。

夜の空港。



 朝0630時、ようやく始発のバスが来て私は市内に出れることになる。

 朝、到着したアスマラ市


 朝早い時間だったが歩き回ってホテルを探し、街の中心の教会前の宿を取る。トイレ・シャワー共同ながら部屋はきれいで目の前は教会という立地もいい。

泊まったホテルからの眺め


 


 ジブチ・シティーは人口こそ54万人と少なかったが街は喧騒としていたが、アスマラはそうでもない。人口は40万人とちょっと少ない程度だがそれ以上に街並が落ち着いて見えるしエチオピアやジブチのように絡んでくる人間が少ないのでより過ごしやすく感じる。標高も2300mと高地にあるので暑かったジブチの後では天国のようだ。

 この国はエチオピアから分離独立した国で、エチオピアと同様に以前イタリアの統治下にあった影響も有りイタリア料理店も何軒かあり、ピザも食べれるのは嬉しい。

 そして物価はというと、この国では闇両替があるが公定レートとの差は2,3割程度。最初に空港で両替して以降は闇で現金を両替して使っていたのでエチオピアと同程度といった感覚で安い。物価の高いジブチの後だから尚更安さを強くかんじてしまう。

 ここでやらなければいけないのはジブチビザ、ただこれはやけにあっさりと、しかも1ヶ月のマルチが即日で出ることになる。日本大使館のレターも必要ない(必要だとしてもここに日本大使館は無いのだが・・・)。ジブチ・シティーでの出入国管理局の態度の悪さが嘘のようにここのスタッフの人達はフレンドリーだ。

 エリトリアには10日いる予定だ。

 私はのんびりと観光しながら、今までの喧騒と離れてゆったりと過ごすことにする。

 丘の上の教会。


 見晴台付近のピラミッドモニュメント。移っている人物は案内してくれた少年。終始一貫親切で「人を信じる心」を思い出させてくれた。


 見晴台からのアスマラ全景


 ランドバウトにあった靴型のモニュメント
  

 
 アスマラにある中央郵便局。ここから小包を日本に送る。航空便で2kgで2000円くらいと安い。



 エリトリアの首都アスマラ、久しぶりに心休める、そんな場所となった。

激闘の記録第3話「獣達の宴」予告編

2005-01-21 22:05:32 | 1st 北・東アフリカ
激闘の記録に新作

第3話 獣達の宴

をアップ。


あらすじ:

 エチオピアを脱出してエリトリアへいく為に「暑い、高い、何も無い」と3拍子そろっている国「ジブチ」に入国を果たした「デューク東城」、彼を待っていたものは... 「想像を超える獣(けだもの)達であった...」
 

     果たして無事にジブチでの任務を遂行する事は出来るのか?

         どうする!ゴルコサーティーワン!!




舞台マップはこちら
 

です。

以前アップしていた物に写真を若干追加して誤字を分かる範囲で修正しています。
尚、この第3話にはエリトリアから戻ってきてジブチを抜けてエチオピアに戻る時の記事を「獣達の宴・続編」として既にアップしています。

アディスでの日々(アディスアベバ:エチオピア)

2005-01-15 15:29:44 | 1st 北・東アフリカ
 エチオピア


 


2005.01.10(日)-15(土)


 ここでまずやらなければならないのはビザ取りだ。だが、思いの他に時間がかかってしまった。

 先ず10日、次の目的地であるジブチのビザを取るには日本大使館から発行されるレターが必要なので早速向かうとこの日は日本の成人の日でクローズ!これでアディスに到着してから3日間何一つ次の行動へ向けての準備が出来ないこととなる。それにしても昨日までの2日間エチオピア人にずっと嫌な目に合わされてきていたが、日本大使館もエチオピア化していて旅行者に嫌がらせをしてきているように感じてしまう。

  翌11日は寝坊してしまい日本大使館へ行ったのは午後、担当者が会議で待つことになり1530頃にようやく面会してジブチへのレターの申請をする。またガイドブックにはジブチからイエメンへ渡れるとあり、そして先日あった日本人もイエメンから来ていたので出来ればこのレターもと思ったが、ここでイエメンのイギリス大使館へテロリストが爆破予告を出していると言う事を知り、またイエメンに行って戻って来るのも手間だしアフリカ大陸から出るというのもちょっと嫌だったのであっさりと断念する事にした。

 そしてその翌日の12日、日本大使館に午前中に行くも担当者は忙しく大分待つ事に、昼頃になってようやくレターを受領する。

 これでレターの申請と受領だけに3日間もかかってしまった。

 13日は早めに行動を開始してジブチ大使館でビザの申請へをする。受領は翌日だ。
 そして14日、この日にやっとジブチビザを受領する。
 
 もちろんビザの事だけに1日中費やしていたわけではなく、空いている時間で市内観光したりはしていたが、たった一つのビザを取るのに合計5日間(最初の祝日を除いても4日間)もかかるなんてこれから先が思いやられる結果だ。


 たが嫌な事ばかりではない。ここでは嬉しい出会いもあった。

 一人の日本人旅行者と知り合う事が出来たのもその一つだ。

 彼は日本人でこの時既に出国してから8ヶ月、全て陸路と海路でアジア、アラビアと横断してここまで来ていて、私がこれから行く予定にしていたジブチにイエメンからフェリーで入ってからここに来ていたのでその情報が聞けることも嬉しかったし、それにも増してスーダンの首都ハルツーム以来の日本人だったということもあり久しぶりの日本語の会話を楽しめたのが楽しかった。

 また、私はアフリカでインターネットが出来る等と考えておらず、日本でこそ光ファイバーでネットをやっていたが、そもそもネットにそれ程興味も無くメールアドレスすら持っていなかったので、彼がパソコンを持ち歩きホームページを作って更新までしているという事実には本当に驚かされた。(彼のホームページはこちらchuzo net)

 そう、彼が旅行で最初に出会ったモバイル・パッカーであり、そんな凄い人がいるというのは衝撃的だったのだ。




 総じてアディスは私にとって久しぶりの都会だった。人口は300万人ちょっととスーダンとそれ程変わりなく思えるが、ここではハルツームではお見かけしなかったヒルトンやシェラトン等の西洋型のホテルがある。それに暑かったハルツームと違って標高が高く涼しいここは快適に感じる。不自由に感じるとしたらスーパーマーケットが市の中心部に無い(微妙にしょぼいのはあった)事だろうか?

 それにイタリア統治下にあった影響か?イタリア料理店も多い。メニューに一杯載っていてもあるのはその中の何種類かだけというのはこれまでいた場所と変わりは無いが、アディスは首都だけあってピザやラザニアなら大抵の中級レストランで200-300円で食べられるのは嬉しい。ピザは不思議と味が薄く、塩をかけなければ食べれなかったがこれまでの食生活を考えると「革命」と言っていいだろう。

 食の選択肢が増えると冒険も出来るようになりインジェラにも挑戦した。ホテルのお姉さんがクルクルと指で器用に回しているのを見ると、クレープ生地のようで美味しそうに見える。だが、結局注文して食べると半分を消化する頃には口の中が酸味だらけになり敢え無く挫折、この後スープを替え(インジェラは主食で他にスープを注文してそれにちぎって浸して食べるのが一般的)2,3回はトライしてみたが結果はいつも一緒で最終的にはこれを食べるのを諦めてしまった。(インジェラに関しては旅人の間でも当たりはずれが激しくダメな人はずっとダメ[私の知人は「見た目雑巾、味ゲロ」と辛辣に表現していた]、当りの人は「俺はインジェラ大丈夫だぜ」と自慢気に言ってくる人が多かったが、大丈夫というのは本当に美味しいのか?それともただのOKなのか?これは今を持っても謎である)


 ここでちょっと面倒だったのは米ドルキャッシュの作り方だ。
 この国では航空機の出国チケットを持ってなければドルが買えないと知るが(ドルキャッシュを作るにはまずドルのトラベラーズチェックをエチオピアの通貨に両替してさらにそのエチオピアの通貨からドルを買うという2重両替をしなければならなかった)私はまだ日本とエジプトの往復航空券を持っていたのでそれは問題なかった。だが、これも知らなかった事で、もし航空券を持ってなかったとしたら、カードでの引出しが出来ないこの国で随分と不自由をしたことだろう。

 それと湿度の高さもあるがベッドにノミ、ダニ、虱、南京虫と生息しているのには頭を悩まされた。
 1日1日肌が露出している部分に赤い点々が増えていく。私の泊まっているホテルは現地で言う所の中級ホテルだがそれでもこの攻撃は止む事がなかった。


 色々とあったアディスだが最後の頃には街にも慣れてそう悪い印象では無くなっていた。
 
 列車の曜日が決まっているので出発は16日、いよいよ次は「暑い、高い、何も無い」ということで有名な国、ジブチへ向かう。

信じる心(アディスアベバ:エチオピア)

2005-01-09 15:28:20 | 1st 北・東アフリカ
 エチオピア


 


2005.01.08(土)


 今日は0830時に起きてホテルで卵とお肉のサンドイッチを頼んで食べ終わると直ぐに出る。急いでやらなければいけないのは両替だ。すぐ近くの馬鹿でかいエチオピア・コマーシャル・バンクへ行く事にする。日本と比較するととんでもなく厳重に感じるセキュリティーを過ぎ、中に入って両替する。カードは使えないがスーダンでは全く出来なかったトラベラーズ・チェックが難なく両替出来るのは助かる。

 この後はアエロフロートのオフィスを探してみる事にする。私が日本で買ったチケットは成田⇔カイロの往復チケット。片道は捨てるつもりだったが、期限が迫ってきていたのでキャンセル等を確認するのも悪くは無いと考えたからだ。
 だが、ガイドブックに載っていた場所は民間の旅行代理店に変わっていてそこの人もどうなったか知らず、その後数件旅行代理店たらいまわしにされた挙句に、ようやくアエロフロートのオフィスがアディスから撤退した事を知る。なんたる無駄な努力だったのだろうか!

 午前中はまだ時間があった。私はこれまでの旅行で今もっている「旅行人」というガイドブックではこの先アフリカを周る事は不可能だと気付いていたのでここで探してみるのも悪くは無いと思い始めた。(旅行出発前には「旅行人」にアフリカ全国載っていると勝手に思っていたが、実際は7割程度しかも情報は1999年の物となっていたので英語のガイドブック「ロンリープラネット」、それのアフリカ全国版が欲しくなっていた)

 そこで本屋を探していると現地の男が声を掛けてきて「ホテル?」と聞いてくる、私は『間に合っているし探しているのは本屋だからいいよ』と答えるてもついてこようとする。私は道路を渡るフリをして彼だけ渡らせたところで方向を変えて振り切ると今度は別の「高校生」と名乗る男が私に話しかけてくる。彼は身分証明証を私に見せて「僕は高校生だけど英語が話したいだけだし、君がガイドブックを探しているなら中古で売っている所を知っているから案内するよ」と言ってくる。私は1人でぶらぶら歩きたかったし、それに英語を話したいのに何故か英語が不得手な東洋人に話しかけてくる事にも胡散臭さを感じたので適当に相手をして退散願うことにした。本屋は見つけたけど今は閉まっていて午後は1330時からオープンとなっている。後回しにするしかないだろう。

 それならばと観光案内所へ向かう。私は地図を集めている。本屋で見る地図も悪くは無いが観光案内所で無料でもらえるものから狙うのがセオリーだ。そして1140時に到着すると1130時からクローズしていた。余計な事をやって時間を無駄に使い過ぎていたようだ。

 そういえば午前中もすでにずいぶんたってしまっていた。それにここで真っ先にやらなければいけないのはビザの方だ。
私はそこから歩いていける日本大使館へ行くと「今日は開いていないよ」とそこのガードマンに言われる。『えっ?なんで』と聞くと土日は休みだからだそうだ。スーダンはムスリムの国で休みは金曜だがエチオピアでは普通に土日が祝日だったのだ。『ハ~ァ』、こんな単純な事も忘れているとはどうかしている。

 仕方が無い、本屋が開くまで時間を潰すかと思うとバックパックを背負った男が声を掛けてくる。
 旅行者に見えなくも無いがどうやら現地人らしい。しかしこれでただ歩いているだけで3人目だ。この国がそういう国なのか?それとも私が初心者に見えるからなのか?いずれにしてもうっとおしい。

 ただ、彼は少し違って見える。バッグにキーを架けているのもちょっといい感じだ。(日本では先ず無いが、第三世界では盗難防止の為にバッグを前に抱えたり、鍵を架けてりするのは常識に近い)

 どうせ暇なので話を聞いてみるとジブチの方から戻って来たといっている。英語も問題なく話す事も気に入って色々と情報を収集する事にする。近くのローカルレストランに行って彼と話すとエチオピアでのロンプラは全土版は手に入らず、あってもエチオピア・エリトリア・ジブチの3カ国版くらいだろうと言う事やジブチへの行き方、アディスでのいいホテル(中級程度)の情報等を教えてくれる。さらに話を聞いているはこちらなのに私の分のジュース代まで出してくれようとする。私は「もう払っているからいいよ」と言い丁重にお断りしたが、エチオピアでまさか現地人がおごろうとしてくれるなんて・・・

 しばらくレストランで時間を潰して、そろそろ一度観光案内所でも見に行こうかと立ち上がると彼も「今日は暇だから付き合ってあげるよ」といいついてくる。観光案内所はクローズ、やはり土曜日の午後はもうやっていないらしい。
 彼にこれ以上付き合わせるのも悪いと思い始めていたので『もういいよ』と言っても彼は「俺も付き合う」と言ってくる。この先何をするかで考えていたのはさっき彼が勧めていたホテルを見てから市内観光でもということだが、市内観光中付き合われるのも不自由に感じる。私はじゃあホテルぐらいまでならと思い彼と一緒に歩き始める。

 『まあコイツは信用出来るだろう』

 ホテルまではそれ程距離はないらしい、が、彼は突然「喉が渇いたからちょっとビールでも飲みに休憩しないか?」と提案してくる。私は『まだいいし、それに俺はビールを飲まないぜ』と答えても何故か彼は執拗に迫ってくる。
 彼は今までの所は私に付き合う形で案内しているので、意に沿わないながらも『じゃあいいよ』といって彼に『どこにするの?』と聞くとそれまで歩いていた大通りからいきなり少し路地に入っていく。

 『んっ?』

 ちょっと不思議に思ったが彼は地元の人間だ。いい当てでもあるのだろうとついて行き、路地に入ってすぐの看板を出していない家屋に一緒に入っていく。

 中に入ると彼にとってはかつて知ったる場所という感じで手をパンパンと叩き、従業員を呼んでくる。最初に出たウエイトレスが注文を聞き彼はオレンジジュース、私はコーラを頼む。中は耳をつんざくような大音響が流れている。くつろいで話すにはいい場所ではない。そしてドリンクが出てくると何故か若い女性が次々に出てきて私に握手を求めてくる・・・

 『しまった・・・やられた・・・ここは売春宿だ!』

 私は即座に今回の絵が見て取れる。

 彼はバッグからモバイルを出してキーを叩きなにやら会話を始める。よからぬ予感。私は目の前のコークを一気に飲み干してウエイトレスを呼び会計を頼む。

 「25ブル(約350円)・・・」

 ローカルでビンのコーラが1.5-2ブル(20-30円)で飲める国でこの値段は破格だ。彼のジュース代も含まれているのは間違いないから実際の価格の5-7倍くらいというのが見積もりだろうか?

 ボラれているのははっきりしているしそれは悔しいがこのからくりが分かった今、一分一秒たりとも長くこんな場所に居たくは無い。時間が経てば経つほど何か仕掛けてくるだろうし、こちらは不利になっていく。私は言われるがままに金を払って直ぐにその家屋を後にする。

 彼は私の様子に慌てて、注文したジュースを一気に飲んで追いかけてくる。

 「どうしたんだ?急に??」

 『どうしたもこうしたもないだろう。お前、俺を騙そうとしただろう、値段を聞いたか?お前のと合わせたといってもあの値段は普通ではありえないぜ、それにあそこは売春宿だろう?なんであんな所に案内したんだ。俺は一言も“女を買いたい”なんて言ってないぜ』

 彼は私の剣幕に若干ひるんだ様子を見せたがそれでも何かを言おうとしてくる。私は機先を制し

 『もういい、折角信じていたのにもうお前を信用する事は出来ない。ジュース代は俺の奢りだ、お前を信じた自分の馬鹿さ加減へのレッスン料とでも思うことにするぜ。じゃあな!』

 と、吐き捨てる様に言って後ろを振り返ることなく彼と別れる。

 初日からまったくもって碌な出会いがありやしない。

 『エチオピア人を信用する』のはこれから少し考えることにしよう。


 時間はまだ十分にあった。

 私は本屋を見て、そこにたいした蔵書がないことを確認すると次はスーダンでアデルに売った双眼鏡の代わりを探しに行くことにした。

 先ずは可能性の高そうな所と考えてヒルトンやシェラトンのホテルの店を見ても無く、そしてピアッサ広場付近の眼鏡や等を訪れても双眼鏡は全く無い。そこで東アフリカ最大というメルカート(青空市場)に行って店を片っ端から当る事にした。何軒か周っているとまず600ブル(約8500円)くらいの中古が見つかるがこれは馬鹿みたいに高い値段だ。私が日本で買った物は新品で2000円くらい、倍率こそ6倍とここにある10倍のものより低かったが遥かに出来は良かった。これでは買えないとどこまで下がるか交渉するなんとか400ブル(約5600円)まで下がるがこの値段でも買うのは馬鹿馬鹿しい。ここで買うのを諦めてさらに探して合計40軒くらいは回った頃にもうこれ以上探しても駄目だという判断を下す。どうするか?これだけ探すと手に入れないのも悔しくなり、さっきの所にいって結局300ブル(約4200円)まで交渉して下げて中古の双眼鏡を購入する。

 しかし東アフリカ最大といわれるマーケットを探しまくって双眼鏡は一個しか見つからないとは・・・


 エチオピアの首都アディス、出足はどうやら最悪らしい・・・
 



初日に何となく撮影したアディス市内
 

 




 エチオピア



2005.01.09(日)


 今日は日曜日だ。やれる事にも限りがある。

 私はそろそろ心もとなくなっていたタバコの買い足しをするべく、銀行付近の路上でカートン売りしている男の所に行く。昨日値段を30ブルと聞いていた私の目星をつけていたタバコが無く、どうしようかと思案していると「まってろ、今持って来てやる」と言ってくる。しばらく待つと彼の手には私の期待するタバコが・・・30ブル手渡して『サンキュー』と言うと「違うぜ、35だ!」と、私が『何で?』と聞くと「俺はこのカートンを今30で買ってきたから手数料が5ブルで合計35だ」というのがその回答。『ハァ~』、さっき30ブルと聞いた値段は何だったんだ?俺が見つけるから手数料をくれと最初から言ってくれればこっちも時間と労力を天秤にかけてどうするか決めたものを・・・
 とはいいつつそれでも10箱で500円、探すのも馬鹿らしくなり彼から購入する。

 早速今日の出足もエチオピア人を信用してはいけないというレッスンから始まる。

 その後はジブチ行鉄道の時刻表を確認しに行く。ジブチ・シティーへの直行は無く、ディレ・ダワという東部の都市まで日・木・金の週3便、チケットは当日のみ販売らしい。

鉄道駅とその周辺
 

 


 今日確認できる事はこれくらいだ。私はアディスの全景を見るべくエントト山に登る事にした。

 私のホテルの近くに一杯いるタクシーのドライバーに聞くと往復130ブル(約1800円)。少し高いと思ってスタジアムまで歩いてそこで聞くと100ブル(1400円)というドライバーが現れる。
 
 よく聞く話は乗った後で「それは片道分の値段だ」という手口だ。それだけは避けなければならない。
 彼は英語を殆ど喋れなかったので私は何度も『ゴー&バック』とジェスチャーを交えて徹底する。彼は笑顔で「いいよ、それで」と答えている。
 
 交渉が纏れば出発だ。

 エントト山にいく途中のアディス市内の景色。
 

 そして山頂の小屋。


エントト山山頂からのパノラマ3連発







 山頂からの景色は素晴らしく、それにドライバーも親切でよくこちらのリクエストに答えてくれる。私は十分にアディスの全景を満足して街に降りていく。

 タクシーは順調に出発したスタジアムに到着。こういういい気分がした時は『チップ』を出すべきだろう。私は10ブル余分につけ、笑顔で彼に110ブル渡す。

 彼も笑顔でお互いに「サンキュー」となりいい時間を過ごした。というのがこの物語の結末だ。

 だが、事態は私の予想とは別の方向に進展する。そう、彼が急に激高して「おい、100じゃない、往復だからその倍だろう!!」と言ってきたのだ!

 『ハァ~・・・』

 そうなるのが怖かったから行く前にあれだけ散々言って確認していたのに・・・
 そして彼も納得した筈だったのに事が終わると豹変してくるなんて・・・

 既に手渡したチップの10ブルがとてつもなく馬鹿らしくなってくる。私は彼に

 『おい、行く前に散々いったろう!往復で100だ。それに気持ちとしてチップまでつけたのに何が言いたいんだ!』

 と強く抗弁してドアを乱暴に開けてタクシーを後にする。後ろから彼の「50ブル」の声が・・・倍はボリ過ぎと思ったのかディスカウントしたらしい。だが、そんなお金を払ってやるいわれも覚えも無い。

 しかしそれにしても・・・最後の最後にそんな事を言われて折角のいい気分が台無しだ!



 エチオピア、この国では『人を信じること』はやめにしよう・・・


(注:エントト山に行くには、当時私は旅行経験が浅かったのでタクシーをハイヤーしたが、ミニバスを乗り継いで山頂付近から歩いて観光する事も出来る)

アフリカ首都三ヶ国目(アディスアベバ:エチオピア)

2005-01-07 13:16:35 | 1st 北・東アフリカ
 エチオピア




2005.01.07(金)


 バハルダールの出発は朝6時。今日はエチオピア歴でいうクリスマスだが、それがバスの運行に影響がすることが無いのは有難い。しかしこれで三回朝6時発の出発だ。今回の予定時間は半日強といった所だ、これこそ夜行バスには最適な時間なのにここでもアディス行はこの一便のみ。大体朝早く出発して夜到着して何をしろというのか分からない。

 バスターミナルへは早めに行ってお決まりのように待つ。最初バスに乗るときどう考えても無理なのにその時私の近くにいた現地人が「大丈夫だ、中に載せれる」といい、実際に乗ってみると案の定というか網棚には入るわけもないし足元に置くスペースも無い、全く持って無駄な努力だ、彼の言う事をいちいち聞いてしまった自分に腹が立つ。仕方無しにバスの屋上に積み込みバスが出発したのは0630時だった。

 途中で撮影したエチオピアのバス。
 

 道中の景色
 


 アディスに到着したのは夜1930時、日はもう落ちている。

 アディスは標高2550mと高所にある街で赤道付近とはいえ冷涼だ。その気候は日本人の画家水野登美夫氏によって「アディスアベバは一年中秋」と表現されている。

 冬という事も手伝って、私はガイドブックに乗っていた「ホットシャワー付」というホテルを目指し、ミニバスで駅に行きお目当てのホテルを見つけその晩の宿を取ることにした。

 しかし、日本にいるとホテルで「ホットシャワー」が出ないと苦情がわんさか出るだろうが、ここでは「ホットシャワー」が売りになるというのはどうもしっくりと来ない。(そう言えばエジプト南部のアスワン以降から今までシャワーはすべて水シャワーだった)

 久しぶりの熱い、といってもぬるい程度のお湯だったが久しぶりのホットシャワーは最高だ。

 私はようやく一息ついてくつろぐ事にした。

湖の町(バハルダール:エチオピア)

2005-01-06 15:26:44 | 1st 北・東アフリカ
 エチオピア





2005.01.06(木)


 ゴンダールの次はバハルダールへと向かうことにした。

 この時採り得るルートは
1.ゴンダール→バハルダール→アディスアベバ
2.ゴンダール→アクスム(世界遺産)→ラリベラ(世界遺産)→アディスアベバ
 の2つがあった。
 2のルートで行くと世界遺産が2つ見れる、エチオピアに入る前は『行ってみたい』と思っていたがメテマやゴンダールでの経験からエチオピアがそれ程好きになれず、このルートで行くとアクスムまで2泊、アクスムからラリベラまで2泊、そしてラリベラからアディスまで2泊と随分と時間がかかってしまう。地図で見る限りはそんなに時間がかかりそうには見えないのだが、これは各都市を結ぶ直行便がないという貧弱なインフラのせいからきているのだが、私の目的は首都巡り、アスワン以降に栄えている都市を見ていなかった(スーダンの首都ハルツームも都会と言うよりちょっと栄えた田舎といった程度だった)事もあり、都市に飢え始めてきていたのでそのまま南下して首都のアディスを目指すことにした。

 出発は朝0600時。相変わらず早い。
 5時に乗り場に向かうと中にいたセキュリティーが「外にいると危険だから中に来い」とゲートをあけて私を手招く。 
 そして、なんだかんだ話していると「中に入れてあげたのにチップもくれない。日本人は卑しい」等と言ってくる。
 彼の言い方は高圧的だった。そちらが言うから素直に従って中に入ったのにそれで「卑しい」呼ばわりしてくるというのは理解に苦しむ。私は『お前が勝手に言い出した事だろう。こっちはそれに従っただけだぜ』と答えて適当に受け流す。

 そうこうして待っているとバスが準備に入る。見えているバスにこのセキュリティーはわざわざ案内して、私がバスに乗ろうとするとバスの屋根に荷物を積んでいる人間にチップを払う様にと忠告してくる。『ここでは荷物は有料なのか?』疑問は残ったが周りをみていると大体の人が払っているので今度は払わなければいけないのだろう。持ち合わせが10ブル札一枚しかなかったのでしょうがなしにこのセキュリティーに2ブル(約30円)借りて払う。
 彼はさらに私をバスの中の私の座席まで案内してこう一言

 「俺のサービスには幾らだ?」

 『・・・』

 『・・・・・・』

 『ハァ・・・・・』

 彼が私を案内していた時から最後はこのオチがつくとは見えていたが・・・
 最初に毅然と断らなかった私にも問題がある。しょうがなしに『2ブル』と言って、彼に持っていた10ブル札を渡す。お釣りの6ブルをきっちりと返してもらった事は言うまでもない。(後で気付いたがこういったことには大抵の場合1ブルで十分だった)

 だが、それにしてもチップの習慣が無い国から来たこちらにとっては価格が適正がどうかなど分からないのは難点だし、そもそもチップというのは「快いサービス」を受けたときに払うものだ。荷物代がかかるのならレシートを出して欲しいし(これも後で考えるとお約束みたいな物だったのでこんなのにいちいち領収証をきるというのは馬鹿馬鹿しい考えだった)、純粋なチップなら気持ちよく払わせて欲しい、彼のように「半ば強制」というのはどうも気分が悪い。

 バスは順調に出発してバハルダールには1130時に到着する。所要は5時間半、どうしてこれだけしか所要時間がかからないのに出発が朝0600時の一便しか無いのかは疑問だ。もう少しゆっくりと出てもいいだろうにエチオピアのバスは不可解に感じる。
 
 バハルダールに到着すると若い男が数人私を取り囲む。賑やかな事この上ない。

 それにガイドブックによるとこの町は「エチオピア旅行者の中で人が最も悪い」という評判を持っているそうだ。
その名に恥じずこの客引きたちは結構しつこい。

 そんな所になんで来たかというとゴンダールからアディスまで一日で行くバスの便が無く、経由地として選ぶのなら一応見所として「タナ湖」があるここしかないという消去法によるものでしかなかったのだからこれはしょうがない決断だった。(注:私は行かなかったがここから35km離れた所に「青ナイル滝」という見所もなる)

 そんな理由で来ていたので、客引きを相手にしているうちにどうでもよくなって最後には私も根負けしてしまい。その中の一人トーマスという男についていってホテルを取ることにした。

 話してみる彼は英語、フランス語、イタリア語、スペイン語まで話せるという事で少しびっくりする。それに中々頭の回転も速い。私は彼が気に入ったので折角だから彼をガイドとしてバハルダール市内の観光に雇うことにした。
 彼の勧めにそってレンタサイクルを市内を回る。

高台から眺めたタナ湖


 途中で現地人がトーマスに何やら話しかけた後で私に向かって何か言ってくる。
 訳も分からず彼に確かめると「君はいいガイドを雇ったね」と言ってくれてるよ。と答えてくれた。
 確かに彼と一緒にいる限り、人が悪いという評判のこの町で誰かが私に変に絡んでくる事は無かった。
 まあ一番最初に私に絡んできた一人が彼で、その彼にそのまま捕まったのだが・・・

タナ湖の湖畔から
 

 
 ガイドのトーマスは私の質問やリクエストに良く答えてくれて色々と案内してくれたのはヒットだ。

 ただ、一つびっくりとしたのは彼に案内してもらっていった観光案内所でそこのスタッフは私にすごい親切だったのに何故かトーマスを露骨に邪険にあつかった事だ。私が『彼は俺がガイドとして雇っているから問題ない』と言っても聞く耳を持たなかった。

 私は彼の仕事に満足したのでホテルに戻ってガイド料を払うと共にお礼にジュースを奢る。

 夜はレストランへ、7ブル(100円)のフライドフィッシュの定食は思いの他味が良く、エチオピアで最初に満足出来た食事となった。

 人の悪さで評判のこの町でそれ程ストレス無く過ごせたのは「トーマス」の力も大きかったのだろう(後で他の旅行者に聞くとバハルダールではいい思いをした人は少なかったし、人が悪いと言っていた人も多かった)。

 明日はいよいよ首都が拝める。


(このトーマスとはこの後アディスで1回、そしてザンビアの首都ルサカで2回、ばったりと会うことになる。記事としてはその時にあわせて書くが彼とは何かしら縁があったのだろう。)


世界遺産・ゴンダール城(ゴンダール:エチオピア)

2005-01-05 15:23:54 | 1st 北・東アフリカ
 エチオピア




2005.01.05(水)


 メテマは実に腐りきった町だった。
 スーダンを抜けた事により、いよいよこれから東アフリカが始まるというのに出足は最悪だ。

 エチオピアはサハラ以南の国、イメージするブラックアフリカの始まりと思いきやそうでもない。ここの主要民族はアムハラ人(エチオピア全体の話なら少数民族の宝庫でもあり、独自の風習を持っている部族も多く特に唇に皿を挟むムルシ族等が有名である)で彼らの外見は黒人というよりも色の非常に濃いアラビア人という感じだ。人は腐っているが女性は美人が多い事でも有名である。

 それにエチオピアはイタリア統治下が5年程度あった事はあるが基本的にアフリカで唯一植民地にならなかったという歴史もあり、独自の文化や風習、そして宗教があることでも有名だ。
 
 しかし旅行者にとっては迷惑なのがエチオピア歴にエチオピア時間だ。特にえエチオピアでの時間は我々の時間とは違う計算で1日24時間が朝昼と2分されていて大雑把にいうと彼らの朝の1時我々の朝7時となり彼らの朝の9時はこちらの午後の3時といったようになるからややこしい。バスのチケット等はエチオピア歴でかかれているので買うつど確認しなければ行けないのは面倒だ。彼らの中でもそれを分かっていて外国人には「インターナショナル」では何時と教えてくれる事も多いが油断をすると足元を掬われてしまう。

 メテマを朝の0600時に出発してゴンダールへは1330時に到着する。7時間半かかった計算だ。これなら夜行で走らせてくれて朝早く到着出来ない物かという疑問は残る。

 バスターミナルに到着すると同時に大量の子供に取り囲まれる。
 ここでも挨拶は人を指差して「ユー、ユー」だ。子供のうちから可愛げの無い事この上ない。彼らが「ハロー」という言葉を覚える日はくるのだろうか?メテマでの経験でエチオピアの印象はかなり悪くなっていたがこれでまた一段階パワーアップしたようだ。
 こちらが『あっちへいけ』と態度と言葉で示してもしらんぷりだ。無視して歩くとぞろぞろとついてくる。うっとおしい事この上ない。だがガイドブックに載っている地図を読み間違えたせいか直ぐに行き止まりにぶつかる。そこで私が急に反転して子供を睨む様にして逆進を始めると、これでようやくついてきていた子供たちがパッと散っていく。

子供からは開放されたので、ホテルを数件当たってから決めることにした。

 ここで見たかったのは世界遺産である「ゴンダール城」だ。そもそも私は城好きだし、ガイドブックに載っていた写真も良かったので実際にこの目で見たくなっていた。それにアフリカで見る最初の城だ。テンションも上がるという物だ。

 宿を決めたら早速見学に向かう。入場料は50ブル(約700円)だった。コーラ一本2ブル(約30円)で買える国で外国人料金とは言えこの値段は破格に高く感じる。

そしてはやる心を抑えながら城に飛び込んでいく。

 ゴンダール城


 

 中はガランドウだった・・・。
 

 城からは離れた離宮も訪れる。入場料は城に込みだから行かない訳にはいかない。
 

 ルックスこそなんとなく離宮だったが、中はそれ程たいした事はなかった。


 私にとっては悪くない見物だ。それに外に出ていると何かと現地人が絡んできたが、遺跡の中ではここでは完全に一人になれてのんびり出来る。
城はそれ程凄いという物ではないがアスワン以降に久しぶりに訪れた史跡なので私は十分に楽しむことが出来た。

 『エチオピアでの旅行もこれからは楽しく変わっていくかも?』
 と期待をしたが、その願いは夜あっさりと裏切られる。

 ホテルで夕食をと思いメニューを見る。かつてエチオピアはイタリア統治下だったことだけあってイタリア料理が豊富に載っている。
 エチオピアでの主食は「インジェラ」だが、ガイドブックを読むと酸味がとても強く、受け付けない人も多いとある。
 いずれは挑戦するにしても、今日の所は無難に済ませたい。それにスーダンではシンプルに屋台で肉を食べていただけだし、そして移動中はパンばかり食べていた。豊富なメニューから選べるというのはこの時の私にとっては何よりも嬉しい出来事だったしここで贅沢をしてもバチが当たる事はないだろう。
 だが、私はウエイトレスを呼んで注文をしようとすると、私が頼もうとしている料理が無い、それならばとメニューを見て次を頼むとそれもない。品を変えて繰り返しても一緒だ。『じゃあ何があるの?』と聞くと彼女はシンプルに「スパゲッティー」と答える。どうやらインジェラ以外で置いてあるのはそれだけらしい。
 『それなら始めからそう言ってくれればいいのに・・・』
 期待が膨らんでいた分落胆も大きい、私は止むを得ずこのスパゲティーを注文する。

 しかしこれしかないなら「メニュー」の意味はなんなんだろうか?
 それよりもメニューなんか見せずに最初からインジェラかスパゲティーしかないと言ってくれた方がよっぽど良心的という物だろう。


 エチオピア、まだ私に気分良くは過ごさせてくれないらしい。

ホテルから見たゴンダールの街並



激闘の記録「ボーダータウン」予告

2005-01-04 17:16:19 | 1st 北・東アフリカ
スーダン エチオピア




スーダンからエチオピアへの国境越えの記事を

「激闘の記録」「第2話 ボーダータウン

としてアップ。

あらすじは


 全く旅慣れぬまま何とかスーダンの首都ハルツームに辿りつき更にエチオピアに向けて良く訳の分からないままに前進を続ける「デューク東城」。しかしその前に腐りきったエチオピアの国境町の「メテマ」が罠を仕掛けて待ち構えていた。 

         果たして無事にエチオピアに入国することは出来るのか?

            どうする!ゴルコサーティーワン!!



舞台マップはこちら




です。



異国で過ごす初正月(ハルツーム:スーダン)

2005-01-03 15:22:37 | 1st 北・東アフリカ
 スーダン




2004.12.31(土)

 今日は大晦日だ。昨日ホテルで確認した所、官公庁などの仕事始めは1月2日以降という事だ。
 昨日寝たのが0000時を過ぎていた事や連続移動の疲労もあったので起きたのは昼頃、市内を若干散策してこの日は終わる。


 スーダン


2005.01.01(日)


 2005年の新年はスーダンの首都ハルツームで迎える事となった。私にとっては海外初新年である。
 ただ、ここは日本と違って新年だからといって何か特別な変化がある訳ではなかった。
 それに年越しカウントダウンも他の事に気を取られていたのでいつのまにやら年が新しくなっていたというのが印象だ。

 この日は起きてから各大使館の場所を確認する事にする。
 鉄道駅を越えて歩きながら先ずは日本大使館だ。
 
カルツーム中央駅、首都のメインステーションであるにもかかわらず、このショボさはある意味感動的だった。
 
 
 地図通りの場所にあればよかった物の大使館は小移動しており、近くについてから一時間くらい探してようやく到着。聞けば1月4日以降からのオープンという事だ。日本大使館はスーダンでのタイムテーブルはおかまいなしにきっちりと三箇日をとっているらしい。

 そしてついでにエチオピア大使館へ。今度は三輪タクシーをつかってみる。
 大使館へは容易に到着、ここは明日からオープンだ。こうしてみるとエチオピア人の方が日本人よりも勤勉に思えてしまう。
 後はエリトリア大使館だが、ここは場所が分からず、ホテルのフロントが調べて教えてくれると言っていたので今日はいいだろう。

 私は市内をぶらぶらと散策して時間を潰す事にした。


 大通り。そしてナイル川、ここは撮影禁止といわれたのでこっそりと撮った。
 
(当時は写真を殆ど撮っていなかったので肝心の中心部は撮影していない。)



 スーダン


2005.01.02(日)


 今日は少し早く起きてエチオピア大使館へ。応対に出たのは黒人(日本人の一般的なイメージである黒人とは違う、どちらかというとアラビア人に近い)の女性で髪を金髪に染めている。私が3ヶ月のマルチが欲しいと「ここでは1ヶ月のシングルしか出せない」と言われる。私が『エリトリアに出来れば先に行ってジブチ経由でエチオピアと考えているし、ソマリランドにも行くつもりだからシングルでは厳しい、3ヶ月にしてくれ』とお願いしても彼女の回答は芳しくない物だった。

 少し悩んだがビザの申請を一度諦め、先にエリトリア大使館に行く事にする。

 エリトリアはエチオピアから分離独立した国で両国の関係は悪く国境は閉鎖している。スーダンからなら陸路で越える可能性もあるだろうというのが私の考えだ。
 だが、エリトリア大使館での応対は良かったが条件は悪かった。「エリトリアとスーダンの陸路国境は閉鎖しているので空路を取るかジブチまで行って海路にするかしかない。」との事だった。

 私はこれでスーダンからエリトリアへのアクセスを断念することにして、このまま素直に南下してエチオピアを目指すことにした。(余談ながら後で出会った旅行者が同時期にスーダンからエリトリアへの国境越えに挑戦していて、国境付近で軍隊に拘束され、結局越えられずにハルツームへ戻されたと言っていた)

 またエチオピア大使館に戻って今度はビザを申請する。南下ルートを取るとその後隣国を出たり入ったりするのは分かっていたがシングルしか出さないと言われていたので半ば諦めムードだった。
 だが、思いもかけない幸運が現れる、ビザの申請用紙を出して待っている間に受付にいた男が私に話しかけてきて「もう10ドル払ってくれ、それで君に3ヶ月のマルチを出す」と、言ってきたのだ。(ちなみに料金表通りの値段でシングルとの差額が10ドルなのでボラれている訳ではありません)
 どうして領事の気が変わったのかは分からないがゴネたのも少しは役にたっていたのだろう。
 1630時頃、ビザを受け取るときちんと3ヶ月のマルチで出してくれている。
 こいつは有難い。


 今日ビザが取れたのでハルツームでの一つの用事が終わった。
 物理的には出発できるようになったが、私にはもう一つやりたい事があった。
 「ハルツームの都市地図」を入手する事だ。

 今日は遅くてダメだったが明日は観光案内所に行ってみよう。


 スーダン


2005.01.03(月)


 朝から動き始めて観光案内所に行き地図をゲットする。これで何時でも動けるようになる。

 だがエチオピアへの国境へ向かうバスの出発は朝だ。そうなってくると今日一泊はまだここにいるしかない。

 お金も残りが少なくなってきて、次の交通費等を考えると現地通貨を手に入れるしかなくなっていたので私はまだ潤沢にあるトラベラーズチェックを両替しようと市内の銀行を片っ端から当たるが1件たりとも替えてくれない。カードはそれ以前の問題だった。止むを得ず持っているドルの現金を両替することになる。カードやチェックが使えない国の頼りは現金だけだが、限りがあるので減っていくのは心細い、どこかでまたドルのキャッシュを作らなくてはいけないだろう。

 その後は少し時間があったので市の中心へ行き本屋を探す。首都であるのにもかかわらず、発見した本屋はたった2軒、それも日本のどんな田舎の本屋でもこれより酷い所は無いだろうと思わせる程蔵書が少なく、それも埃を被っていた。
  

 ハルツームはエジプトのカイロと比べるまでもなく明らかに田舎だった。公共のゴミ箱は見当たらず、街中には黒く焦げた車のスクラップが堂々と放置されている。ゴミも所々散乱しているし、下水へ繋がる道の側溝には蓋が無く、夜歩いていると電灯も殆ど無いのでそこらかしこにトラップが仕掛けれれている様な状況になる。

 スーダンはアフリカ最大の面積を持つ国ち首都のハルツームの人口約300万人を擁しているのに混み合っているのはモスクを中心としたスーク(市場)付近ぐらいで後は閑散とした感じは否めないし、それに高層ビルも少ない。
 比べる対象が東京やカイロとなった事もあるが、それにしても何も無いと感じてしまうのは仕方の無い事だろう。

 だが、彼らが親切だった。ホテルのフロントの男が自慢げに「もし君がバッグをホテルの前の道路に置いて一晩放置しても誰も手につけないだろう」と言っていたが、これは誇張もあるだろうが、本来彼らの持っている性質の一つを表しているのだろう。このお陰で居心地はそれ程悪くなかった。

 ここで楽しかったのはホテルの近くの屋台での出来事だ。ここは牛の串焼きを売っていて、注文の仕方を聞くと「カウ(COW)」と言えばいいよと教えてくれたので肉好きの私は毎晩のように通って「パンとカウ」を食べていたのだ。
 彼らは美味しそうに食べる私に好感を持ってくれたらしく、出発の前日である今日、ここで給仕をしている若いスタッフが笑顔で「I Love You」と言ってくる。断っておくが彼はホモではない、私を外国人と見て友愛の情を表現するのに知っている英語を使っただけの事だ。だが、そのチョイスには思わず笑ってしまった。


泊まっているホテルの屋上からの夜景。ホテルのスタッフに頼んで上がらせて貰った。
 



 これで全ての準備は整った。明日はエチオピアに向けて出発だ。