エチオピア
2005.01.07(金)
バハルダールの出発は朝6時。今日はエチオピア歴でいうクリスマスだが、それがバスの運行に影響がすることが無いのは有難い。しかしこれで三回朝6時発の出発だ。今回の予定時間は半日強といった所だ、これこそ夜行バスには最適な時間なのにここでもアディス行はこの一便のみ。大体朝早く出発して夜到着して何をしろというのか分からない。
バスターミナルへは早めに行ってお決まりのように待つ。最初バスに乗るときどう考えても無理なのにその時私の近くにいた現地人が「大丈夫だ、中に載せれる」といい、実際に乗ってみると案の定というか網棚には入るわけもないし足元に置くスペースも無い、全く持って無駄な努力だ、彼の言う事をいちいち聞いてしまった自分に腹が立つ。仕方無しにバスの屋上に積み込みバスが出発したのは0630時だった。
途中で撮影したエチオピアのバス。
道中の景色
アディスに到着したのは夜1930時、日はもう落ちている。
アディスは標高2550mと高所にある街で赤道付近とはいえ冷涼だ。その気候は日本人の画家水野登美夫氏によって「アディスアベバは一年中秋」と表現されている。
冬という事も手伝って、私はガイドブックに乗っていた「ホットシャワー付」というホテルを目指し、ミニバスで駅に行きお目当てのホテルを見つけその晩の宿を取ることにした。
しかし、日本にいるとホテルで「ホットシャワー」が出ないと苦情がわんさか出るだろうが、ここでは「ホットシャワー」が売りになるというのはどうもしっくりと来ない。(そう言えばエジプト南部のアスワン以降から今までシャワーはすべて水シャワーだった)
久しぶりの熱い、といってもぬるい程度のお湯だったが久しぶりのホットシャワーは最高だ。
私はようやく一息ついてくつろぐ事にした。
2005.01.07(金)
バハルダールの出発は朝6時。今日はエチオピア歴でいうクリスマスだが、それがバスの運行に影響がすることが無いのは有難い。しかしこれで三回朝6時発の出発だ。今回の予定時間は半日強といった所だ、これこそ夜行バスには最適な時間なのにここでもアディス行はこの一便のみ。大体朝早く出発して夜到着して何をしろというのか分からない。
バスターミナルへは早めに行ってお決まりのように待つ。最初バスに乗るときどう考えても無理なのにその時私の近くにいた現地人が「大丈夫だ、中に載せれる」といい、実際に乗ってみると案の定というか網棚には入るわけもないし足元に置くスペースも無い、全く持って無駄な努力だ、彼の言う事をいちいち聞いてしまった自分に腹が立つ。仕方無しにバスの屋上に積み込みバスが出発したのは0630時だった。
途中で撮影したエチオピアのバス。
道中の景色
アディスに到着したのは夜1930時、日はもう落ちている。
アディスは標高2550mと高所にある街で赤道付近とはいえ冷涼だ。その気候は日本人の画家水野登美夫氏によって「アディスアベバは一年中秋」と表現されている。
冬という事も手伝って、私はガイドブックに乗っていた「ホットシャワー付」というホテルを目指し、ミニバスで駅に行きお目当てのホテルを見つけその晩の宿を取ることにした。
しかし、日本にいるとホテルで「ホットシャワー」が出ないと苦情がわんさか出るだろうが、ここでは「ホットシャワー」が売りになるというのはどうもしっくりと来ない。(そう言えばエジプト南部のアスワン以降から今までシャワーはすべて水シャワーだった)
久しぶりの熱い、といってもぬるい程度のお湯だったが久しぶりのホットシャワーは最高だ。
私はようやく一息ついてくつろぐ事にした。