エチオピア
2005.01.10(日)-15(土)
ここでまずやらなければならないのはビザ取りだ。だが、思いの他に時間がかかってしまった。
先ず10日、次の目的地であるジブチのビザを取るには日本大使館から発行されるレターが必要なので早速向かうとこの日は日本の成人の日でクローズ!これでアディスに到着してから3日間何一つ次の行動へ向けての準備が出来ないこととなる。それにしても昨日までの2日間エチオピア人にずっと嫌な目に合わされてきていたが、日本大使館もエチオピア化していて旅行者に嫌がらせをしてきているように感じてしまう。
翌11日は寝坊してしまい日本大使館へ行ったのは午後、担当者が会議で待つことになり1530頃にようやく面会してジブチへのレターの申請をする。またガイドブックにはジブチからイエメンへ渡れるとあり、そして先日あった日本人もイエメンから来ていたので出来ればこのレターもと思ったが、ここでイエメンのイギリス大使館へテロリストが爆破予告を出していると言う事を知り、またイエメンに行って戻って来るのも手間だしアフリカ大陸から出るというのもちょっと嫌だったのであっさりと断念する事にした。
そしてその翌日の12日、日本大使館に午前中に行くも担当者は忙しく大分待つ事に、昼頃になってようやくレターを受領する。
これでレターの申請と受領だけに3日間もかかってしまった。
13日は早めに行動を開始してジブチ大使館でビザの申請へをする。受領は翌日だ。
そして14日、この日にやっとジブチビザを受領する。
もちろんビザの事だけに1日中費やしていたわけではなく、空いている時間で市内観光したりはしていたが、たった一つのビザを取るのに合計5日間(最初の祝日を除いても4日間)もかかるなんてこれから先が思いやられる結果だ。
たが嫌な事ばかりではない。ここでは嬉しい出会いもあった。
一人の日本人旅行者と知り合う事が出来たのもその一つだ。
彼は日本人でこの時既に出国してから8ヶ月、全て陸路と海路でアジア、アラビアと横断してここまで来ていて、私がこれから行く予定にしていたジブチにイエメンからフェリーで入ってからここに来ていたのでその情報が聞けることも嬉しかったし、それにも増してスーダンの首都ハルツーム以来の日本人だったということもあり久しぶりの日本語の会話を楽しめたのが楽しかった。
また、私はアフリカでインターネットが出来る等と考えておらず、日本でこそ光ファイバーでネットをやっていたが、そもそもネットにそれ程興味も無くメールアドレスすら持っていなかったので、彼がパソコンを持ち歩きホームページを作って更新までしているという事実には本当に驚かされた。(彼のホームページはこちらchuzo net)
そう、彼が旅行で最初に出会ったモバイル・パッカーであり、そんな凄い人がいるというのは衝撃的だったのだ。
総じてアディスは私にとって久しぶりの都会だった。人口は300万人ちょっととスーダンとそれ程変わりなく思えるが、ここではハルツームではお見かけしなかったヒルトンやシェラトン等の西洋型のホテルがある。それに暑かったハルツームと違って標高が高く涼しいここは快適に感じる。不自由に感じるとしたらスーパーマーケットが市の中心部に無い(微妙にしょぼいのはあった)事だろうか?
それにイタリア統治下にあった影響か?イタリア料理店も多い。メニューに一杯載っていてもあるのはその中の何種類かだけというのはこれまでいた場所と変わりは無いが、アディスは首都だけあってピザやラザニアなら大抵の中級レストランで200-300円で食べられるのは嬉しい。ピザは不思議と味が薄く、塩をかけなければ食べれなかったがこれまでの食生活を考えると「革命」と言っていいだろう。
食の選択肢が増えると冒険も出来るようになりインジェラにも挑戦した。ホテルのお姉さんがクルクルと指で器用に回しているのを見ると、クレープ生地のようで美味しそうに見える。だが、結局注文して食べると半分を消化する頃には口の中が酸味だらけになり敢え無く挫折、この後スープを替え(インジェラは主食で他にスープを注文してそれにちぎって浸して食べるのが一般的)2,3回はトライしてみたが結果はいつも一緒で最終的にはこれを食べるのを諦めてしまった。(インジェラに関しては旅人の間でも当たりはずれが激しくダメな人はずっとダメ[私の知人は「見た目雑巾、味ゲロ」と辛辣に表現していた]、当りの人は「俺はインジェラ大丈夫だぜ」と自慢気に言ってくる人が多かったが、大丈夫というのは本当に美味しいのか?それともただのOKなのか?これは今を持っても謎である)
ここでちょっと面倒だったのは米ドルキャッシュの作り方だ。
この国では航空機の出国チケットを持ってなければドルが買えないと知るが(ドルキャッシュを作るにはまずドルのトラベラーズチェックをエチオピアの通貨に両替してさらにそのエチオピアの通貨からドルを買うという2重両替をしなければならなかった)私はまだ日本とエジプトの往復航空券を持っていたのでそれは問題なかった。だが、これも知らなかった事で、もし航空券を持ってなかったとしたら、カードでの引出しが出来ないこの国で随分と不自由をしたことだろう。
それと湿度の高さもあるがベッドにノミ、ダニ、虱、南京虫と生息しているのには頭を悩まされた。
1日1日肌が露出している部分に赤い点々が増えていく。私の泊まっているホテルは現地で言う所の中級ホテルだがそれでもこの攻撃は止む事がなかった。
色々とあったアディスだが最後の頃には街にも慣れてそう悪い印象では無くなっていた。
列車の曜日が決まっているので出発は16日、いよいよ次は「暑い、高い、何も無い」ということで有名な国、ジブチへ向かう。
2005.01.10(日)-15(土)
ここでまずやらなければならないのはビザ取りだ。だが、思いの他に時間がかかってしまった。
先ず10日、次の目的地であるジブチのビザを取るには日本大使館から発行されるレターが必要なので早速向かうとこの日は日本の成人の日でクローズ!これでアディスに到着してから3日間何一つ次の行動へ向けての準備が出来ないこととなる。それにしても昨日までの2日間エチオピア人にずっと嫌な目に合わされてきていたが、日本大使館もエチオピア化していて旅行者に嫌がらせをしてきているように感じてしまう。
翌11日は寝坊してしまい日本大使館へ行ったのは午後、担当者が会議で待つことになり1530頃にようやく面会してジブチへのレターの申請をする。またガイドブックにはジブチからイエメンへ渡れるとあり、そして先日あった日本人もイエメンから来ていたので出来ればこのレターもと思ったが、ここでイエメンのイギリス大使館へテロリストが爆破予告を出していると言う事を知り、またイエメンに行って戻って来るのも手間だしアフリカ大陸から出るというのもちょっと嫌だったのであっさりと断念する事にした。
そしてその翌日の12日、日本大使館に午前中に行くも担当者は忙しく大分待つ事に、昼頃になってようやくレターを受領する。
これでレターの申請と受領だけに3日間もかかってしまった。
13日は早めに行動を開始してジブチ大使館でビザの申請へをする。受領は翌日だ。
そして14日、この日にやっとジブチビザを受領する。
もちろんビザの事だけに1日中費やしていたわけではなく、空いている時間で市内観光したりはしていたが、たった一つのビザを取るのに合計5日間(最初の祝日を除いても4日間)もかかるなんてこれから先が思いやられる結果だ。
たが嫌な事ばかりではない。ここでは嬉しい出会いもあった。
一人の日本人旅行者と知り合う事が出来たのもその一つだ。
彼は日本人でこの時既に出国してから8ヶ月、全て陸路と海路でアジア、アラビアと横断してここまで来ていて、私がこれから行く予定にしていたジブチにイエメンからフェリーで入ってからここに来ていたのでその情報が聞けることも嬉しかったし、それにも増してスーダンの首都ハルツーム以来の日本人だったということもあり久しぶりの日本語の会話を楽しめたのが楽しかった。
また、私はアフリカでインターネットが出来る等と考えておらず、日本でこそ光ファイバーでネットをやっていたが、そもそもネットにそれ程興味も無くメールアドレスすら持っていなかったので、彼がパソコンを持ち歩きホームページを作って更新までしているという事実には本当に驚かされた。(彼のホームページはこちらchuzo net)
そう、彼が旅行で最初に出会ったモバイル・パッカーであり、そんな凄い人がいるというのは衝撃的だったのだ。
総じてアディスは私にとって久しぶりの都会だった。人口は300万人ちょっととスーダンとそれ程変わりなく思えるが、ここではハルツームではお見かけしなかったヒルトンやシェラトン等の西洋型のホテルがある。それに暑かったハルツームと違って標高が高く涼しいここは快適に感じる。不自由に感じるとしたらスーパーマーケットが市の中心部に無い(微妙にしょぼいのはあった)事だろうか?
それにイタリア統治下にあった影響か?イタリア料理店も多い。メニューに一杯載っていてもあるのはその中の何種類かだけというのはこれまでいた場所と変わりは無いが、アディスは首都だけあってピザやラザニアなら大抵の中級レストランで200-300円で食べられるのは嬉しい。ピザは不思議と味が薄く、塩をかけなければ食べれなかったがこれまでの食生活を考えると「革命」と言っていいだろう。
食の選択肢が増えると冒険も出来るようになりインジェラにも挑戦した。ホテルのお姉さんがクルクルと指で器用に回しているのを見ると、クレープ生地のようで美味しそうに見える。だが、結局注文して食べると半分を消化する頃には口の中が酸味だらけになり敢え無く挫折、この後スープを替え(インジェラは主食で他にスープを注文してそれにちぎって浸して食べるのが一般的)2,3回はトライしてみたが結果はいつも一緒で最終的にはこれを食べるのを諦めてしまった。(インジェラに関しては旅人の間でも当たりはずれが激しくダメな人はずっとダメ[私の知人は「見た目雑巾、味ゲロ」と辛辣に表現していた]、当りの人は「俺はインジェラ大丈夫だぜ」と自慢気に言ってくる人が多かったが、大丈夫というのは本当に美味しいのか?それともただのOKなのか?これは今を持っても謎である)
ここでちょっと面倒だったのは米ドルキャッシュの作り方だ。
この国では航空機の出国チケットを持ってなければドルが買えないと知るが(ドルキャッシュを作るにはまずドルのトラベラーズチェックをエチオピアの通貨に両替してさらにそのエチオピアの通貨からドルを買うという2重両替をしなければならなかった)私はまだ日本とエジプトの往復航空券を持っていたのでそれは問題なかった。だが、これも知らなかった事で、もし航空券を持ってなかったとしたら、カードでの引出しが出来ないこの国で随分と不自由をしたことだろう。
それと湿度の高さもあるがベッドにノミ、ダニ、虱、南京虫と生息しているのには頭を悩まされた。
1日1日肌が露出している部分に赤い点々が増えていく。私の泊まっているホテルは現地で言う所の中級ホテルだがそれでもこの攻撃は止む事がなかった。
色々とあったアディスだが最後の頃には街にも慣れてそう悪い印象では無くなっていた。
列車の曜日が決まっているので出発は16日、いよいよ次は「暑い、高い、何も無い」ということで有名な国、ジブチへ向かう。