アフリカ・ユーラシア見聞録

むかしむかしあるアフリカで・・・

異国で過ごす初正月(ハルツーム:スーダン)

2005-01-03 15:22:37 | 1st 北・東アフリカ
 スーダン




2004.12.31(土)

 今日は大晦日だ。昨日ホテルで確認した所、官公庁などの仕事始めは1月2日以降という事だ。
 昨日寝たのが0000時を過ぎていた事や連続移動の疲労もあったので起きたのは昼頃、市内を若干散策してこの日は終わる。


 スーダン


2005.01.01(日)


 2005年の新年はスーダンの首都ハルツームで迎える事となった。私にとっては海外初新年である。
 ただ、ここは日本と違って新年だからといって何か特別な変化がある訳ではなかった。
 それに年越しカウントダウンも他の事に気を取られていたのでいつのまにやら年が新しくなっていたというのが印象だ。

 この日は起きてから各大使館の場所を確認する事にする。
 鉄道駅を越えて歩きながら先ずは日本大使館だ。
 
カルツーム中央駅、首都のメインステーションであるにもかかわらず、このショボさはある意味感動的だった。
 
 
 地図通りの場所にあればよかった物の大使館は小移動しており、近くについてから一時間くらい探してようやく到着。聞けば1月4日以降からのオープンという事だ。日本大使館はスーダンでのタイムテーブルはおかまいなしにきっちりと三箇日をとっているらしい。

 そしてついでにエチオピア大使館へ。今度は三輪タクシーをつかってみる。
 大使館へは容易に到着、ここは明日からオープンだ。こうしてみるとエチオピア人の方が日本人よりも勤勉に思えてしまう。
 後はエリトリア大使館だが、ここは場所が分からず、ホテルのフロントが調べて教えてくれると言っていたので今日はいいだろう。

 私は市内をぶらぶらと散策して時間を潰す事にした。


 大通り。そしてナイル川、ここは撮影禁止といわれたのでこっそりと撮った。
 
(当時は写真を殆ど撮っていなかったので肝心の中心部は撮影していない。)



 スーダン


2005.01.02(日)


 今日は少し早く起きてエチオピア大使館へ。応対に出たのは黒人(日本人の一般的なイメージである黒人とは違う、どちらかというとアラビア人に近い)の女性で髪を金髪に染めている。私が3ヶ月のマルチが欲しいと「ここでは1ヶ月のシングルしか出せない」と言われる。私が『エリトリアに出来れば先に行ってジブチ経由でエチオピアと考えているし、ソマリランドにも行くつもりだからシングルでは厳しい、3ヶ月にしてくれ』とお願いしても彼女の回答は芳しくない物だった。

 少し悩んだがビザの申請を一度諦め、先にエリトリア大使館に行く事にする。

 エリトリアはエチオピアから分離独立した国で両国の関係は悪く国境は閉鎖している。スーダンからなら陸路で越える可能性もあるだろうというのが私の考えだ。
 だが、エリトリア大使館での応対は良かったが条件は悪かった。「エリトリアとスーダンの陸路国境は閉鎖しているので空路を取るかジブチまで行って海路にするかしかない。」との事だった。

 私はこれでスーダンからエリトリアへのアクセスを断念することにして、このまま素直に南下してエチオピアを目指すことにした。(余談ながら後で出会った旅行者が同時期にスーダンからエリトリアへの国境越えに挑戦していて、国境付近で軍隊に拘束され、結局越えられずにハルツームへ戻されたと言っていた)

 またエチオピア大使館に戻って今度はビザを申請する。南下ルートを取るとその後隣国を出たり入ったりするのは分かっていたがシングルしか出さないと言われていたので半ば諦めムードだった。
 だが、思いもかけない幸運が現れる、ビザの申請用紙を出して待っている間に受付にいた男が私に話しかけてきて「もう10ドル払ってくれ、それで君に3ヶ月のマルチを出す」と、言ってきたのだ。(ちなみに料金表通りの値段でシングルとの差額が10ドルなのでボラれている訳ではありません)
 どうして領事の気が変わったのかは分からないがゴネたのも少しは役にたっていたのだろう。
 1630時頃、ビザを受け取るときちんと3ヶ月のマルチで出してくれている。
 こいつは有難い。


 今日ビザが取れたのでハルツームでの一つの用事が終わった。
 物理的には出発できるようになったが、私にはもう一つやりたい事があった。
 「ハルツームの都市地図」を入手する事だ。

 今日は遅くてダメだったが明日は観光案内所に行ってみよう。


 スーダン


2005.01.03(月)


 朝から動き始めて観光案内所に行き地図をゲットする。これで何時でも動けるようになる。

 だがエチオピアへの国境へ向かうバスの出発は朝だ。そうなってくると今日一泊はまだここにいるしかない。

 お金も残りが少なくなってきて、次の交通費等を考えると現地通貨を手に入れるしかなくなっていたので私はまだ潤沢にあるトラベラーズチェックを両替しようと市内の銀行を片っ端から当たるが1件たりとも替えてくれない。カードはそれ以前の問題だった。止むを得ず持っているドルの現金を両替することになる。カードやチェックが使えない国の頼りは現金だけだが、限りがあるので減っていくのは心細い、どこかでまたドルのキャッシュを作らなくてはいけないだろう。

 その後は少し時間があったので市の中心へ行き本屋を探す。首都であるのにもかかわらず、発見した本屋はたった2軒、それも日本のどんな田舎の本屋でもこれより酷い所は無いだろうと思わせる程蔵書が少なく、それも埃を被っていた。
  

 ハルツームはエジプトのカイロと比べるまでもなく明らかに田舎だった。公共のゴミ箱は見当たらず、街中には黒く焦げた車のスクラップが堂々と放置されている。ゴミも所々散乱しているし、下水へ繋がる道の側溝には蓋が無く、夜歩いていると電灯も殆ど無いのでそこらかしこにトラップが仕掛けれれている様な状況になる。

 スーダンはアフリカ最大の面積を持つ国ち首都のハルツームの人口約300万人を擁しているのに混み合っているのはモスクを中心としたスーク(市場)付近ぐらいで後は閑散とした感じは否めないし、それに高層ビルも少ない。
 比べる対象が東京やカイロとなった事もあるが、それにしても何も無いと感じてしまうのは仕方の無い事だろう。

 だが、彼らが親切だった。ホテルのフロントの男が自慢げに「もし君がバッグをホテルの前の道路に置いて一晩放置しても誰も手につけないだろう」と言っていたが、これは誇張もあるだろうが、本来彼らの持っている性質の一つを表しているのだろう。このお陰で居心地はそれ程悪くなかった。

 ここで楽しかったのはホテルの近くの屋台での出来事だ。ここは牛の串焼きを売っていて、注文の仕方を聞くと「カウ(COW)」と言えばいいよと教えてくれたので肉好きの私は毎晩のように通って「パンとカウ」を食べていたのだ。
 彼らは美味しそうに食べる私に好感を持ってくれたらしく、出発の前日である今日、ここで給仕をしている若いスタッフが笑顔で「I Love You」と言ってくる。断っておくが彼はホモではない、私を外国人と見て友愛の情を表現するのに知っている英語を使っただけの事だ。だが、そのチョイスには思わず笑ってしまった。


泊まっているホテルの屋上からの夜景。ホテルのスタッフに頼んで上がらせて貰った。
 



 これで全ての準備は整った。明日はエチオピアに向けて出発だ。