私は寝る前に、今日あった出来事をあーだこーだと反省する癖がある。
あの時ああ言えば良かったとか、あの時こうすれば良かったなど。反省しても仕方が無いんだけど、何だかそれをしないと眠れない。
昨日のイラン家族との会話は、よくもまあ、厚かましくも、お話できたもんだと赤面モノである。こんな時普通のニホンジンは知らん顔しているのかしらん。
でも、ベンチで隣同士になったら、知らないじーさんにでも「こんにちは、暑いですね」と声かけするワタシだから、しかもおぼっちゃまがフクをじーっと見ていたモンだから、ついつい話しかけちゃったんだから、でも、何時どこで英語を話す機会があるやもしらんので、これからは「一日5分」の無料の英語レッスンを始めようとヒソカニ決心した次第。
何しろ、私達の時代の英語は「ジャック&ベティ」で「This is a pen」で教わったんだもの。そこから半歩も上達していないのだから、話せなくて当然なのだ(えばるなってかw)
十数年前だったか、ハワイの友人とその友達と、わいわいお喋りしていた時、私はメインランドの何処かにどうしても電話で聞きたい事があった。
結構専門的な疑問だったし、それを顔も見えない電話で、ついでに英語で質問する自信がなかった。
私が困った顔をしていたら、ガイジンのおじさまが「ほわっとはっぷん?」とか何とか、つまりが「どうかしたのか?」みたいに聞いて下さった。そこで、私は赫赫云々と話して、
「そういう訳で、英語で電話をする自信が無いの~~」と話すと、「OK,ボクが電話してあげる」と気軽にケータイを取り出した。
あ~~!メインランドって遠いし、ケータイだったら、もっと電話代かかるじゃん!と咄嗟に感じた私は、私が書いたメモを見ながらケータイをプッシュしている彼に、「ちょっと待って、ケータイで電話したら、電話代高くつくやん?ここに固定電話があるやん、これだったら、多少安いんちゃう?」と言う意味で
「This is a telephone」と言ったら、彼が血相変えて、
「ボクがこれを電話だと認識していないと言うのか?これが電話と言うくらい分かる」と怒られた・・・・
私は「This is a pen」の応用版だと思ったのに・・・
以来私は「アイアムアボーイ」とか「ヒーイズアじぇんとるまん」なんて英語は信用しない事にしたのだ。
だが、最近はLGBTとやらもあるので、「あいあむあぼーい」と自己紹介しなくちゃ、男か女かわからん時もあるもんなあ。。。
どうすれば英語がペラペラになるんだろうか?やはり「英語圏で生活」するのが一番なのだろうな。今なら、貧乏生活だって気にならないんだから、外国へ行ってもやっていける自信はある。
アメリカにはESLと言って「英語を第二国語である人々にタダで英語を教えるスクール」もある。
今の私に無いものは「体力」だけだ。ダメダメじゃん!!
おこんばんはです
ついでに
トムとスージーも出演させてくんなまし。
後 20才 若かったら
「なせばなる なさぬは人の・・・」みたいになって海を渡っていたなぁ❗
あの角を曲がったら✨
しぇふ
「トムとジェリー」なら大好きなアニメなんですが。
次に私が見た教科書は中学生になった息子の教科書で「ほらいぞん」だったかしら、最初のページに「あいうおんなびーああすとろのうと」と書いてありましたっけ・・・・
後20歳若かったら・・・ねえ。。。
実際は20歳若かったら、「家事育児仕事嫁姑戦争」のまっただ中でございまして、それなりに活気がありました(^^ゞ
戻れるモンなら、そして行けるモンなら「イタリア」に行きたいなあ。
「64歳からのフランス留学」という本の表紙を見ただけで、激しく嫉妬したものです(´∀`*)ウフフ
もう現在は人間の3大欲も枯れてますのでねえ・・・
20代の頃、私も英語ペラペラなりたいと思案していました。
社内留学を希望するには頭が悪すぎてNG。
で、思いついたのが、外人の彼氏(^o^)短絡的
得意先のあちこちで言い回っていたら、とある会社からカナダ人を紹介されました。
独身、金髪&青い目にメロメロ(*^_^*)
しかし!仕事で来日している彼の日本語習得の方が格段に速く、そして私は振られたのでした(>_<)
続いていたら必死で英語を覚えたかも。
めげずに第二弾もあるのですが、それはまたいつか。
確かに20代の頃英語が出来たらなあと思いつつ、何の方針も立てられず、結局「ラジオ英会話」だったと記憶しています。ちっとも役に立ちませんでしたけど。彼、凄いですね。こんな難しい日本語を学ぶ気になるなんてね。私が外国生まれだったら、日本語なんて絶対勉強したいと思いまへんわ~(^^ゞ
ホテル迄の手段はバスだけ。にわか仕込みのイタリア語で運転手に「テルミニ行くあるか?」「のー!」で途方に暮れていたあの時、颯爽と現れた若者一人。
をを、私はきっと身ぐるみ剥がされて殺されるのだわと覚悟しました。
すると彼が「テルミニに行くのだったら、経由しなくちゃいけないよ。ボクが一緒に行きましょう」と、あさって方面のバスへ乗ったのです。
で、真っ暗な住宅街で降りた時も「ああ、最早これまで、首絞められたらどうしよう」と、多分顔は般若みたいになってたでしょう。
そして、バスが来て、無事中心街へ帰ってホテル迄送ってくれたのですよ。
外人はみなボッタクリとか思っちゃいけませんね。
「これから何処へ行くの?」と聞くと「あなたを送って来ただけだよ、同じバスで帰る」と言うので
「せめてバス代だけでも受け取って!」と言ったら、首を横に振って「ローマで悪い思い出作って欲しくないだけさ」なんて言ってオカネは取らなかったのです。
その代りメルアド交換して、その2年後位かな、今度はウイーンで会いました。
スペイン人で、5か国語話せると言ってました。今でもたま~にメールが来ますけど「彼女に振られた」とか「もう30歳になるが、まだ大学生だ」なんて、ひょっとして私を「お母さん」だと思っているのかもしれません。