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【現代思想とジャーナリスト精神】

芝田進午・貞子夫妻と「平和のためのコンサート」

芝田進午・貞子夫妻と「平和のためのコンサート」


【序】
 コロナで途絶えていた「平和のためのコンサート」が21回目を開催する知らせをもらった。そうか、この空白はコロナ禍によるものなのだ。まず第21回目の具体的な中身を記す。そのあとに関連する考察を記す。なお芝田貞子さんは、故人芝田進午氏の妻としてずっとコンサートを内側から支え、進午氏が亡くなられてから以降はコンサートの主催者としてもご活躍されてきた。


【Ⅰ】 第21回平和のためのコンサート

2022年(核時代77年)


主催 平和のためのコンサート実行委員会
後援 アンサンブル・ローゼ
   ストップ・ザ・バイオハザード国立感染所の安全性を考える会
   バイオハザード予防市民センター
日時 2022年6月11日(土)午後2時開演(午後1時半開場)
料金 2,000円(全席自由)
会場 牛込箪笥(うしごめたんす)区民ホール
   都営地下鉄大江戸線 牛込神楽坂駅A1出口徒歩0分
   東京メトロ東西線 神楽坂駅2番出口徒歩10分
お問い合わせ TEL/FAX 03-3209-9666 芝田様方

プログラム
第一部 「折り鶴のとぶ日」
     語りと音楽による「つるのとぶ日」河原田ヤスケ アンサンブル・ローゼ
 末廣和史
      ヴァイオリン独奏  信田恭子 ピアノ末廣和史
       重唱   アンサンブル・ローゼ
(池田孝子・斎藤みどり・高橋順子・渡辺裕子・芝田貞子・
 嶋田美佐子・山田恵子)
        ピアノ 末廣和史

第二部  テノール独唱 狭間 壮 ピアノ はざま ゆか4曲他
      会場の皆さまとご一緒に

司会  長岡幸子




【Ⅱ】20回目の『平和のためのコンサート』で気づいた重要な問題提起

Ⅰ:第20回コンサート概要
 2019年6月8日。新宿区の牛込箪笥区民ホールで行われた第20回平和のためのコンサートは会場満員の観客と、出演アーチストの演奏歌唱が一体化して、20周年を飾るにふさわしいコンサートであった。


例年第一部の講演が、20周年を記念した企画となっていた。今回は「平和への祈り」という主題に特化して、【語りと音楽による「あの星はぼく」被爆二世の死】を訴えていた。詩:名越操さん、作曲:木下航二さん、編曲:腰塚賢二さんの作品である。河原田ヤスケ氏の語りとアンサンブル・ローゼによる歌唱(ピアノ伴奏末廣和史さん)によって表現されていた。


第二部。信田恭子さんのヴァィオリン独奏やロシア文学に造詣の深い伊東一郎氏の独唱(ピアノ伴奏:児玉さや佳さん)、アンサンブル・ローゼによる重唱(末廣和史ピアノ・信田恭子ヴァイオリン)、その他どれも芸術的に磨かれた内容だった。

私は入場していただいたプログラムを読み、鈴木武仁氏の寄稿文にはっとした。


Ⅱ:「平和のためのコンサート」と重要な市民運動
*転載
~第20回 平和のためのコンサート~によせて

      ストップ・ザ・バイオハザード

      国立感染研究所の安全性を考える会会長

                    鈴木武仁



 このコンサートは、芝田進午・貞子ご夫妻を初め、平和と安全を求める市民による裁判闘争、即ち国立感染症研究所の品川庁舎から現在の戸山庁舎への移転に伴うバイオハザード(生物災害)を防ぐ裁判闘争の支援を目的として始められました。



 以後、私たち「国立感染研究所の安全性を考える会」及びその前身である「予研=感染研裁判の会」は、これまで1989年から30年にわたる予研=感染研再移転要求運動を展開してきました。



 この運動の支援を目的に、2001年4月7日、東京信愛教会を会場に「予研=感染研裁判と新井秀雄さん支援コンサート」(180名)を開始し、2004年6月、名称を「支援コンサート」から「平和のためのコンサート」に一新、牛込箪笥区民ホール(400名)に会場を移し、今回第20回を迎えることができました。

 

 その間、オウム真理教サリン事件、阪神淡路大震災、東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故が発生したとはいえ、感染研が、人命に及ぶような大事故を起こさずに過ごせましたのは、皆様方の市民的監視とご支援があったがゆえと理解しております。ここに心より感謝を申しあげます。



 この鈴木氏の中にある【2001年4月7日、東京信愛教会を会場に「予研=感染研裁判と新井秀雄さん支援コンサート」】が2004年から現在のかたちに発展したという事実。2010年に出版された書籍に、芝田進午氏が死去後に、裁判原告団団長を継承した武藤徹氏が書いた文章に【2004年4月22日に、第一回の「支援コンサート」が開かれています。2003年の第四回まで開かれ、多額の寄付が寄せられました。以後は、「平和コンサート」に引き継がれています。】

とある。

(『国立感染研は安全か バイオハザード裁判の予見するもの』国立感染症研究所の安全性を考える会 編著(緑風出版)第一章 バイオハザード裁判とは?二 環境を守るために市民はどう立ちあがったか  武藤 徹 p35



 芝田夫妻は、「ノーモア・ヒロシマコンサート」を新宿区朝日生命ホールなど都内と広島大学教授だった広島市で多年にわたって開催した。それは、芝田進午氏の核時代と「人類絶滅装置大系としての核」廃絶についての広範な学際的研究を裏付けられている。

『現代の課題 Ⅰ―核兵器廃絶のために』青木書店1978年

『反核・日本の音楽 ノーモア・ヒロシマ音楽読本』汐文社1982年矢澤寛・木下そんき編

『核時代 Ⅰ―思想と展望』青木書店1987年

『核時代 Ⅱ―文化と芸術』青木書店1987年



 さらに、お住いの新宿区戸山に、予研(感染研の前身)が強制的に移転を強行する時、ライフワークも当時研究中の研究も停止して、国立予研・感染研について、住民自治会など戸山に住む住民や早稲田大学やなど公的施設の人々も反対運動に立ち上がった。



Ⅲ:芝田進午というひと



 私は、この文章を書き始めて、『国立感染研は安全か』と『実践的唯物論への道 人類生存の哲学を求めて』とを再読している。後者の中の『Ⅴ 核時代・バイオ時代における「実践的唯物論」の課題』『20 バイオ時代の危険と「実践的唯物論」の新しい形態の追究』「予研移転阻止闘争の開始」の箇所には、この問題に関わり、驚くべき浮かび上がった歴史の暗部が事実に基づき叙述されている。いまそのまま引用するのは先に延ばす。



 広島・長崎に核兵器を投下したアメリカ国家の首脳部と米軍は、なぜ広島に原爆を投下したか?それは、原爆攻撃のもうひとつの側面は、大量人体実験という側面だった。そして米軍のABCC(原爆傷害調査委員会)を支援するために国立予防衛生研究所を日本政府は設置した。



 さらに予研にはかつて七三一部隊に協力していた医学者が多数集められた。



 詳細ははぶくが、原爆投下―七三一部隊-国立予研は、無縁ではない。一つの連環を形成している。そのことが、核廃絶文化の一環のノーモア・ヒロシマコンサートと、「予研=感染研裁判と新井秀雄さん支援コンサート」とが「平和のためのコンサート」として結晶化する由縁があったわけである。



 新井秀雄氏は国立予研・感染研の主任研究員だった。敬虔なクリスチャンの新井秀雄さんは、芝田氏たちの考えを聴き、自ら芝田氏たちを支援する。それゆえに新井さんは処分を受ける。人間の本質は、うわべの主義主張ではなく、その人の「人間性と人格」に帰する。



 芝田進午というひとこそ、実践的知識人であるだけでなく、現代社会において人類生存のための最大の啓示を豊かに教え育む教師であった。~了~


【Ⅲ】第21回平和のためのコンサート

ここは2022年6月11日に開催されるコンサートを拝聴した後に執筆するつもりである。


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