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【現代思想とジャーナリスト精神】

五回連載「平和のためのコンサート」を持続する志④    

五回連載「平和のためのコンサート」を持続する志④    
                                        櫻井 智志
2017年05月03日
【平和のためコンサート、歴史的焦点】【Ⅲ】 2014年・2015年 第15回、第16回
                                   

【第15回】
 コンサートには今年もほとんど満員の聴衆がいらっしゃた。継続してコンサートにご参加された年輩の皆様方に「持続する志」を感じて、胸が熱くなった。
 第1部は、日体大で憲法学を教える新進気鋭の清水雅彦教授が『国民の目・耳・口をふさぐ秘密保護法~その内容と狙い』と題して講演された。ご著作『憲法を変えて「戦争のボタン」を押しますか?』(高文研2013年)と、共著『秘密保護法は何をねらうか』(高文研2013年)を紹介し、緻密な資料を配付してくださった。 以下に清水氏の講演資料を要約して、講演内容を記す。

【はじめに】
 澤地久枝さんの『密約』(1978年映画化北村和夫・吉行和子主演)や山崎豊子さん原作の『運命の人』(2012年TBSテレビドラマ)は、国家が秘密として設定したことで、それを報道しようとしたジャーナリストにいかに熾烈な権力的弾圧が待ち構えているか、それは国民にとってどのような否定的影響を及ぼすかを虚構のかたちで形象化していた。1980年代の中曽根康弘政権下で進められていた国家法案秘密案に対して、当時大学生だった清水氏も反対運動にご参加された。

Ⅰ 国家秘密保護法制の展開と内容
1 国家秘密保護法制の展開
 戦前にこの法制は、刑法85条の間諜罪、1937年の軍機保護法、1941年の国防保安法によって、組織は大本営の報道統制、隣組の相互監視、特高の「非国民」とみなされた者たちへの仮借ない取締によって進められた。報道統制は、戦争に相次いで敗北し続けているのに、「勝った、勝った!!」と国をあげての報道のシステムに乗せられた国民コントロールである。現在に通ずる教訓である。
 戦後は防衛庁1963年の三矢作戦研究、1977年の有事法制研究開始あたりからきなくさくなっていく。1978年の日米ガイドラインの締結からは、アメリカ製武器購入や共同演習などの情報の保全責任を問われるようになる。1979年に日米共同作戦研究が開始される。この年にはスパイ防止法制定促進国民会議が結成されている。以後、国際勝共連合による出版・集会・地方議会におけるスパイ防止法推進決議運動などが展開されていく。
 1983年には、対米武器技術供与が決定され、武器輸出禁止三原則の形骸化が始まっていく。1985年には国家秘密法案が提起される。第Ⅰ次案(1980年)、第2次案(1982年)、第3次案(1984年)と相次いで提案される。「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」が自民党の議員立法として国会に提出されるが、1985年12月に廃案となる。
 1986年には防衛秘密法案(「防衛秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」)が1985年法案の修正案として自民党が決定するが、国会提出はできなかった。1987年には、防衛秘密法案(「防衛秘密を外国に通報する行為等の防止に関する法律案」)や日米安保事務レベル協議としてインターオペラビリティに関する研究(作戦・情報通信・後方支援・装備面での相互運用性確保のための研究)が進められていった。
 1990年以降は、日米共同軍事活動へと拡大していく。1991年の湾岸戦争、1997年の新ガイドライン、1999年の周辺事態法、2001年のアフガン戦争、2003年のイラク戦争がそれらである。2000年のアーミテージ報告は、機密情報を保護する法律の立法化を要請している。2001年には自衛隊法改正がおこなわれ、防衛機密規定が挿入される(96条の2、122条。2003年、2004年をまたいで有事法制の制定がなされる。2005年には、日米安全保障協議委員会(2+2)が共有された秘密情報を保護するために必要な追加的措置要請をおこなった。

2 国家秘密保護法制の種類と内容
 従来の秘密保護法制では、次のようになされていた。
公務員法では、国家公務員法の守秘義務が100条、109条(1年以下の懲役)、111条(そそのかし・幇助)で定められていた。地方公務員法は守秘義務を、34条、60条(1年以下の懲役)、62条(そそのかし・幇助)で定めていた。
 刑法では、外患誘致罪(81条・死刑)、外患援助罪(82条・死刑または無期もしくは2年以上の懲役)、外患誘致及び外患援助の未遂罪(87条)、同予備・陰謀罪(88条・1年以上10年以下の懲役)。
 軍事法として、自衛隊法の守秘義務(59条、118条・1年以下の懲役、教唆・幇助)。
1980年代の展開に伴い、「スパイ防止法案」なのか「国家秘密法案」なのか、「国家機密法案」なのかが問われた。1985年で「機密」が4万4043件、「極秘」が5万1947件、「秘密」が130万3587件。法案内容や実態から検討すると、「国家機密法案」ではなく、「国家秘密法案」が実態に即している。
 9.11事件のどさくさにまぎれて、2001年の自衛隊法改正で広範な防衛秘密の定義がなされ、あいまいで危険な改訂となった。
 2007年の秘密軍事情報の保護のために、日米政府の協定GSOMIA(Gソミア)が結ばれ、秘密保護法への動機となった。

Ⅱ 今回の秘密保護法(秘密保全法案)
 秘密保護法施行にむけての政府の企図は、1960年代から何度も何度も企まれてきた。

1 「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」報告書(2011年8月)  この有識者会議は、五人の委員(懸公一郎・櫻井敬子・長谷部恭男・藤原靜雄・安富潔ら諸氏)と事務局の内閣情報調査室のほかに、警察庁、公安調査庁、外務省、海上保安庁、防衛省、法務省も出席して2011年1月から6月まで全6回開催された。

2 秘密保護法の検討
 口実は、尖閣諸島沖中国漁船衝突事件の際のビデオ映像流出がきっかけだった。元海上保安官は起訴猶予となった。この秘密保護法は、「戦争をする国」へ、「警察国家」へ、「新夜警国家」へが究極のねらいである。警察と軍隊とを融合化させていくことが目当てである。9.11事件以降テロ対策として警備公安部門の活性化が進んでいく。従来からの日米支配層の要求として、秘密保護体制の強化が叫ばれていた。軍事と治安の融合化で、軍隊が警察化し、警察が軍隊化する目論見があった。「国家の安全」を守るために自衛隊と警察の地位向上が目指されていた。
 しかし、この秘密保護法には、あまりに問題点が多い。ざっと俯瞰しても次の7項目に及ぶ問題を清水氏は取り上げた。
①立法事実論  ②秘密の拡大  ③対象の拡大  ④罰則の強化  ⑤国民の権利の侵害  ⑥三権分立の肥大化する行政の権限  ⑦民主主義と国民主権への制約

Ⅲ 自民党のゴールと考える明文改憲(「日本国憲法改正草案」)の検討
1 平和主義の否定
 日本国憲法前文は、「~する平和主義」として構造的暴力を否定している。憲法第9条は、「~しない平和主義」として物理的暴力としての戦争を否定している。それらの積極的平和主義の放棄は、国連人権理事会における「平和への権利」宣言に対する日本政府の対応とも呼応している重要な問題である。

2 国家主義  まず憲法前文第1段の主語から異なる。日本国憲法では、「日本国国民は」から始まる。自民党の改憲案では、「日本国は」へと変わっている。ここに国民主権ではなく、国家主義の重要な問題点が浮き彫りとなる。自民党草案は、1条に天皇元首化を定めようとしている。
 自民党改憲案は、「国家の安全」を掲げ、国家安全保障会議、国家安全保障戦略、国家安全保障基本法などでも貫こうと考えている。

3 人権規定
 自民党は、人権保障原理の変更を企図している。「公共の福祉」概念をなげすて改悪し、「公共及び公の秩序」を掲げている。相互に人権と人権が対立した時にそれを調整する原理として、「公共の福祉」の視点がすでに明示されていたものを、自民党2005年要綱は、「国家の安全と社会秩序」を唱えている。

【結びにかえて】
①安倍政権が秘密保護法を強引に制定したのか?3年間国政選挙がなく、臨時国会で制定しないと制定が困難になるという読みがあった。
②なぜ制定を阻止できなかったのか,?マスメディアの報道の遅さや足並みの乱れによって、反対運動の不十分さがあった。
③今後どうすればよいのか?秘密保護法を廃止、施行反対、適用阻止、チェック体制を確立。秘密保護法や解釈改憲に対して、あきらめずに意思表示し続けること、安倍政権を倒閣する。
④運動論について・・・政治は国会内の力関係以外にも、国民の運動や世論が大きく左右する。法が制定されてからも、反対運動を続けることが大切である。
 第2部はアンサンブル・ローゼの重唱、狭間壮さんのテノール独唱(はざまゆかさんの鍵盤ハーモニカの演奏)とから成る。アンサンブル・ローゼの演奏を、末廣和史さんがピアノで応援された。その様子について、講演をなされた清水雅彦教授が自らのブログ『清水雅彦の憲法・鉄道・バイクetc.』で丁寧に紹介している。
「6月15日第15回平和のためのコンサート」全文
http://blogs.yahoo.co.jp/constimasahikos/32795012.html
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私の講演の後は音楽コンサート。構成は、アンサンブル・ローゼのみなさんの重唱と、テノール歌手・狭間壮さんの歌とお話。さすが声がいいですね。この歌の中で、私は1974年の第1回広島平和音楽祭で美空ひばりさんが歌った「一本の鉛筆」を初めて知りました。
http://www.youtube.com/watch?v=2iennv9YhlA
この「一本の鉛筆」をテーマに、狭間さんが寄稿を募り、それを1冊にまとめている『一本の鉛筆があれば』という本を狭間さんが出版されているのですが、昨日はコンサートの帰りに参加者に1冊ずつプレゼントをされていました。
狭間さんが昨日歌った歌の中で、私が一番気に入ったのが「一人の手」でした。
http://www.youtube.com/watch?v=ngiCspqMQk4
講演と音楽コンサートというこの組み合わせもいいですね。この平和へのコンサートは、アンサンブル・ローゼの芝田貞子さんが中心になって続けられているようですが、大変頭が下がります。
http://www1.ezbbs.net/cgi/reply?id=sa104927&dd=29&re=978
http://www.geocities.jp/sazanami_tsushin/…/move3/m06072.html
狭間壮さんについては、昨日ピアノ演奏をしていたはざまゆかさんがブログを持っていらっしゃるので、こちらをご覧下さい。
http://blog.livedoor.jp/kenhamoyuka/
昨日は会場に憲法研究者が2人も参加されており、ちょっと恥ずかしかったですが、「一本の鉛筆」や「一人の手」という歌と、芝田さんや狭間さんの存在も知ることができ、大変有意義なコンサートでした。皆様も、是非、来年以降ご参加下さい。
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 友愛に満ちた清水氏の文章は、率直にこのコンサートの心髄を把握していて、さすがだと思わされた。氏のブログを引用したのは、音楽について丹念にユーチューブから動画を検索してご紹介に務めていらっしゃることに、本文のままがふさわしいと思ったからだ。芝田貞子さんが芝田進午先生の想いを継承し、それは見事に開花して、今年のように持続している。芝田先生や芝田ゼミ、バイオハザード予研究センターにゆかりのある皆さんが開場から大道具の移動、終了後の片付けに至るまで無償で支援なさっていた。さらに芝田貞子さんの主宰するアンサンブル・ローゼのクラシック歌手の皆さんや芝田貞子さんのご友人、芝田家のご家族の皆々様など実に家庭的で友好的な支援も、今年の成功を例年のように支えている大きな原動力である。
 反核文化の理論的研究と実践的イベントとして、芝田夫妻によって創始され、「ノーモア・ヒロシマ・コンサート」と合わせて、数十年に及ぶこの試みは、まさに国民的行事として定着している。応援されている方々や実践されている皆様もしだいに年齢を重ねている。それを着実に応援・支援されている若い世代も定着している。関係の皆さんのご健勝を願い、来年もぜひ参加したいと思う、しみじみと。

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【第16回】2015年平和のためのコンサート
新井秀雄氏講演『バイオ時代の感染症』(元国立感染症主任研究員)
「バイオ時代の感染症」

*講師は、国立感染研(旧予研)の主任研究官だった新井秀雄さんである。クリスチャンとして自らの信念を貫き、感染研を内部から毅然と批判なされた。その経緯は、『科学者として』(幻冬舎)から出版されている。このコンサートは、新井秀雄さんの講演に絞って記述する。
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講演者のプロフィール
新井秀雄さん
1942年静岡県生まれ。北海道大学獣医学部卒。獣医学博士。
国立感染症研究所主任研究官として百日咳、溶血連鎖球菌などの研究に従事する。長年、所内からバイオハザードの危険性を指摘し 、予研=感染研裁判では、住民側証人として法廷で証言を行う。 ドキュメンタリービデオ『科学者として』(本田孝義監督、1999年)に出演。同作は東中野BOXなど映画館で公開された。 2000年、自らの心情を綴った『科学者として』(幻冬舎刊)を出版。同書などの記述について、所内で厳重注意処分を受ける。 2001年3月、処分撤回を求めた民事訴訟を提訴、2007年敗訴確定。2003年3月末日、定年退官。 バイオハザード予防市民センター幹事。共著に『教えて!バイオハザード』(2003年、緑風出版刊)がある。
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講演の内容

はじめに
 芝田進午先生が亡くなられて十四年になる。私は芝田先生に、人間にとって大事なものは何かを教えられた。核時代の現在は同時にバイオ時代でもある。
1 感染とは
バイオ時代の特徴である感染とは、なにかを学問的原論てきに考えると、三つの要素があげられる。
①感染を受ける側の状態として、体力や家庭の状態がある。
②病原体がもつ病原性。静止的なものではなくダイナミックなものである。
③とりまく感染の温度や乾湿
 放射能の影響で宿主の変化もあげられる。
2 細菌
 細菌とは、存在がわかったのは顕微鏡が開発されてはじめて明らかになったものである。実態として、病原体として把握されるようになった。メイメイフックにより、二百数十倍の倍率の顕微鏡が開発された。
 17世紀、1600年代に、血液は水たまりの水のようなものとして学会に報告された。細菌が目に見えるようにしたのが、19世紀のパストゥールである。彼はバイオ技術を開拓していった。
 ドイツ人コッホは液体培養を固体培養に発展させた。液体培養、固体培養、純粋培養、それぞれ特有の培養が進められていった。
 細菌は19世紀終わりまでにはほとんどの細菌が発見された。20世紀に入ってから見つかった菌もある。
3 ウイルス
 ウイルスは細菌とは異なり、顕微鏡で見えない。1mmの10分の1までなら人間の目で見える。1932年に開発された電子顕微鏡、1959年にようやく超遠心器が開発されて、一気にウイルスの世界があきらかになってきた。
 スペイン風邪は1918年に大流行した。ウイルスによっておきたスペイン風邪は、四千万人から五千万人が死亡した。ウイルスは六億人に感染した。名前は「風邪」がつくので、認識しにくいが、中世に大流行して恐怖感をもって恐れられた疾病のように、致命的な大流行の悲惨さをもっていた。
 時々新しいウイルスが発見される。狂牛病はウイルスより小さいタンパク質によってひきおこされる。ウイルスは物質としてとらえられる。
4 バイオ時代
 現代は遺伝子操作が生命に関わっている生命時代である。
1953年にはDNAの二重螺旋が発見された。1967、1968年には、遺伝子組み換えがなされた。1975年には、研究をすすめるための倫理規制が決められ 、研究者たちのモラルの根深い様々な問題が根源的なものとして問われている。
 封じ込め施設は宇宙記述の開発に及ぶ。ポリメタル塩酸構造(PCR)が198年に開発、1900年にアメリカ人の遺伝子の研究が始められ、2000年にはヒトのゲノムの解析、1970年以降の感染症の新たな問題の発生にWHOは1990年に新しい感染症を「新興感染症」として定義した。遺伝子組み換え技術が、バイオ時代を特徴付け、新たな社会的課題となっている。
 1980年代のエイズ、2002年のSARS(重症急性呼吸器症候群)=「サーズ」やエボラ出血熱などが、遺伝子組み換え技術と関係しているのではないかと研究者の中からも一般からも懸念がもたれている。
 エイズ
 2012年にアフリカでは2500万人、東アジアでは88万人。ちなみにエボラ出血熱の感染者は2万5千人である。東アジアにおけるエイズは増える傾向にある。日本では正規のHIV(後天性免疫不全症候群)は1200人、エイズ感染者は484人。オセアニア州では少ない。
 サーズは、2002年に中国で始まった。2003年6月に8400人の患者と800人の死亡者が出た。ところがその後のサーズの患者はいないとのこと。中国のバイオ研究所ではサーズは数人。バイオテロ政策を入れ、バイオセキュリティの発展によると言われている。
 エボラ出血熱は病原性が強い。新興感染症として1976年にエボラ出血熱がスーダンで発見された。突発的な流行が10回出たが、2013年には西アフリカでエボラ出血熱が流行した。死者の対応についても、火葬する国もあればかつての戦前日本のように埋葬する国もある。「場の問題」が重要である。

5 P4施設と国際伝染病
 日本では武蔵村山市に国立感染症研究所分院として、対応予定の場所はあるが、きわめて伝染性の強度の伝染性疾患に対応するP4施設はない。
国際伝染病の扱いについては重要な論点がある。
研究目的であっても、強力な伝染性をもつウイルスの患者にきちんとした治療をおこなうには、その疾病の高度の医療的対応ができる国家と連絡をとりあい専門的な対応が大切である。検疫の段階で阻止することと国際的な共同研究の協力態勢をとることとがあわせて必要である。
 MERSは急性の疾病で450人の死者を出している。韓国ではMERSマーズはSARSサーズよりも病原体は弱い。体力のおちていて基礎疾患のある人には警戒がいるが、専門家の知見も参考にして対応することが必要である。
 ふたつきほど前には、50代以上では60~70才代で7,8人が80才以上では3人が死んでいる。高齢者に死者が集中しているが、特別に恐れる疾病ではない。
 テング熱も、あれほど去年の夏日本を震撼させたが、今年は死者も出ていないし、感染者は82人で昨年の56人である。検査を受ける人が多いことも、病気の重篤度は低い。さらにカからウイルスが出ていることが報告されていない。

6 バイオハザード 
 抗生物質の多用は、病原体を鍛える。抗生物質が効かないウイルスが増えている。遺伝子組み換え時代を念頭に感染症を考えることが大切である。インフルエンザのウイルスは、以下の例から考える課題をもつといえよう。西アフリカで生物兵器の巨大な実験場がつくられた。生物兵器の開発のために。現代の感染症は生活の様式に応じて、生物の様式に応じて、ひとつひとつ冷静な対応をしていくべきだろう。
 核時代のなかのバイオ時代は、世界の社会的実態と密接である。戦争によって化学兵器が開発され大量に使われることは、生物災害(バイオハザード)と関連している。社会的貧困は、疾病に陥った世界中の民衆の医療・保健衛生・福祉を劣化させる。
 戦争と貧困を減らすよう、なくすように取り組むことが、バイオ時代の感染症を根絶するひとつの、そして根本的な私たちの課題である。

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