
6歳のとき、山形県の片田舎にやってきた1人の米国人宣教師。
その肌の色は黒かった。
私が生まれて初めて出会った外国人でした。
その人の名はデニス・レオン・フォスターと言いました。
横須賀に従軍牧師として日本に来た後、
フリーの宣教師として山形県尾花沢市にやって来たのでした。
私が6歳のとき、そのフォスター宣教師のアパートへ遊びに行って、
イエス様の生涯というスライドを幻燈機で見せてもらいました。
当時の学校でも見せてもらったことのない映画のような世界でした。
そしてその後は賛美歌を歌いました。
フォスター先生の圧倒的なボーカルは、
小さな少年の度肝を抜き、放心状態にさせました。
それはスピリチュアルソングであり、まさしくゴスペルでありました。
それから10年後、高校生となった私はひょんなことから教会へ行き始め、洗礼を受けました。
そして聖歌隊の一員として賛美歌を歌い始め、
さらには教会の仲間と共にバンドをつくりゴスペルを歌い始めたのでした。
しかもオリジナル曲を作って歌ったのでした。
そのすべての原点は幼き少年のときに聴いた、
フォスター宣教師の歌でした。
しかし、1989年4月9日、彼は帰らぬ人となったのでした。
明日はフォスター宣教師の命日です。
1992年、私は母国である米国フィラデルフィアの出身教会まで単身で出掛けました。
何とか1人で英語でスピーチし、自分の歌をうたったのでした。
歌い終えたとき、牧師が後ろに立っていて、私を抱きしめてくれました。
「我が同胞を愛し、大切にしてくれてありがとう」
と言ってくれているみたいでした。
そして、意外な方向へと物語は展開していきます。
そのときのことを1998年に一冊の本にまとめ出版しました。
それが写真の「遙かなるフィラデルフィア」です。
内容はゴスペルのことだけでなく、
二十歳の学生時代に自殺未遂をして、
大学病院の精神科病棟に2度入院したことも赤裸々に綴っています。
ゴスペルが好きな人にも、
精神医療に関心がある人にも読める内容です。
価格は1500円でしたが、
ご関心のある方には1000円でお分けします。
ヒーリングセッションに来られた時に、
一言おっしゃっていただければ上記の値段でお分けします。
本の宣伝になりましたことを、ご容赦ください。
その肌の色は黒かった。
私が生まれて初めて出会った外国人でした。
その人の名はデニス・レオン・フォスターと言いました。
横須賀に従軍牧師として日本に来た後、
フリーの宣教師として山形県尾花沢市にやって来たのでした。
私が6歳のとき、そのフォスター宣教師のアパートへ遊びに行って、
イエス様の生涯というスライドを幻燈機で見せてもらいました。
当時の学校でも見せてもらったことのない映画のような世界でした。
そしてその後は賛美歌を歌いました。
フォスター先生の圧倒的なボーカルは、
小さな少年の度肝を抜き、放心状態にさせました。
それはスピリチュアルソングであり、まさしくゴスペルでありました。
それから10年後、高校生となった私はひょんなことから教会へ行き始め、洗礼を受けました。
そして聖歌隊の一員として賛美歌を歌い始め、
さらには教会の仲間と共にバンドをつくりゴスペルを歌い始めたのでした。
しかもオリジナル曲を作って歌ったのでした。
そのすべての原点は幼き少年のときに聴いた、
フォスター宣教師の歌でした。
しかし、1989年4月9日、彼は帰らぬ人となったのでした。
明日はフォスター宣教師の命日です。
1992年、私は母国である米国フィラデルフィアの出身教会まで単身で出掛けました。
何とか1人で英語でスピーチし、自分の歌をうたったのでした。
歌い終えたとき、牧師が後ろに立っていて、私を抱きしめてくれました。
「我が同胞を愛し、大切にしてくれてありがとう」
と言ってくれているみたいでした。
そして、意外な方向へと物語は展開していきます。
そのときのことを1998年に一冊の本にまとめ出版しました。
それが写真の「遙かなるフィラデルフィア」です。
内容はゴスペルのことだけでなく、
二十歳の学生時代に自殺未遂をして、
大学病院の精神科病棟に2度入院したことも赤裸々に綴っています。
ゴスペルが好きな人にも、
精神医療に関心がある人にも読める内容です。
価格は1500円でしたが、
ご関心のある方には1000円でお分けします。
ヒーリングセッションに来られた時に、
一言おっしゃっていただければ上記の値段でお分けします。
本の宣伝になりましたことを、ご容赦ください。
敬愛する鈴木実兄
突然、お便りする非礼をお許し下さい。私は大阪の高槻聖書バプテスト教会所属の教会員で立花秀子と申します。
貴著を読み進むにつれ、貴兄をフォスター宣教師の事実上の後継者と感じ、お便りしないでは済まされないと思い、筆を執りました。
実は私どもの教会では今年2012年度のクリスマス・コンサートに於きまして、「デニス・レオン・フォスター宣教師の生涯」を劇として取り上げ、上演する予定であります。(もちろんオラトリオの1部も上演する予定です)
それは私どもの教会の牧師であるジョージ・キング師が、かのフォスター師と生前に親交があり、同じ横浜に於いて、若き日に出会い、共に高槻で伝道をしようと誘いましたが、フォスター師は「私はまだ教会のない山形の尾花沢で伝道する」とおっしゃり、その時から、共にそして別々に日本の地で、同じ志のもとで信仰の友として交流があったからです。
私どもの教会には神学校があり、そこの神学生の一人の女性(三浦姉といいます)の息子が、尾花沢において、フォスター宣教師の導きで幼い頃、主の救いを得る(現在はアメリカBBC神学校において就学中)に至る、ある日の話の中から、祈りの結果、今年度のクリスマス・コンサートはフォスター宣教師の生涯にしようということになったからです。
と申しますのも、私どもの教会では過去19年間に於きまして、毎年クリスマス・コンサートを市内のホールに於きまして開催し、その演目は、ここ10年間ほどは埋もれてしまってはいけない信仰の偉人の生涯を取り上げているからです。
それにつきまして、色々と資料探しから始まりましたが、その姉妹から、山形の榎本姉と連絡を取っていただき、あかし集、また、メモリアル・コンサートの断片、3葉の写真、記念碑建立の経緯等、探し出すことが出来ましたが、今ひとつ、輪郭がはっきりせず、祈っていた所、ルツ宣教師という方が、貴兄の著書を調べて紹介してくれました。早速取り寄せて一読した所、驚くべきことに、その貴兄の著書の「遥かなるフィラデルフィア」の中に私の知りたかったフォスター師の日常のこと、伝道生活の一片、人となり、等々が描かれてありました。また読み進むうちに、貴兄のフォスター師に対する並々ならぬ絶大な尊敬と愛を感じ、かつ貴兄が事実上の後継者に等しいと感じ、これは貴兄にこの状況を知らせずに、脚本を執筆することなど、到底出来ないと、感じ、拙筆を取るに至りました。
私自身は救われる以前から東京で生まれ育ち、さる劇団を主催して20年間プロとしてプロデュースを手がけていたものでしたが、1981年に31歳で主イエス・キリストの救いを受け、その10年後に東京での生活を清算し、全てを主に捧げて、現在の主人とともにこの高槻市において、新たな教会生活を始めました。
その時から、キング牧師の指導により、私自身の前半の人生が清められて主に用いられるものとなり、現在に至っており、感謝しつつ毎日を生きております。
このコンサートのプロデュースも、キング師とともに、私自身は弱い器ですが、主が先導して下さって、毎年盛況のうちに市民に親しまれるものとなりつつあります。
ご参考までに、過去の一例といたしまして、Vol.10の「神の僕・長谷川保伝」(日本の国民皆保険制度、結核療養所設立、等をなされたクリスチャンの社会党議員)vol.11の「ボブ・トンプソン物語」(このかたは黒人で有名な歌手でしたがやめられて牧師になりました)Vol.16の「ロンドンからの愛の花/ペニー・フローレンス伝」(このかたは戦前にロンドンから来られ、日本の廃娼運動を助け、自らも危険を顧みず不幸な女性達を助け、戦後は孤児院を設立されて働かれた独身の女性宣教師です。)Vol.18の「魂の先駆者/新島襄伝」(同志社大学設立者)のDVD等(伝道用で非売品、もちろん無料のものです)を是非ご高覧頂きたく、お送り出来ればと思っております。(尚Vol.19の去年は私自身の病の為、劇は取り上げずカンタータの上演のみとなっています)
今年度は病も一段落しておりますので、またまた「殉教・デニス・フォスター伝」という大作に挑もうとしております。その折に格調高いフォスター師と貴兄の証を拝読させていただいて、身の引き締まる思いでした。
ご多忙中とは重々存じておりますが、勝手ながら、どのようにご連絡を取れば良いのかも解らず、甚だ失礼とは存じましたが、ご一報させていただきました。
また、この伝道コンサートに関しまして共にお祈りいただけましたら尚一層の励みとなりましょう。
末尾になり恐縮ではございますが、貴兄の伝道のますますのご発展をお祈り申し上げます。
栄光在主
2012年4月8日
高槻聖書バプテスト教会
牧師 ジョージ・H・キング
教会員 立花秀子
本日、写真とビデオ無事に届きました。貴重な資料をありがとうございました。資料の中に溢れるフォスター師の笑顔に励まされました。実様の何年か前のお顔も拝見しました。より親しみが増しました。大切に借用させて頂きます。取り急ぎお礼かたがたご報告申し上げます。
高槻:立花秀子。6/1310:00PM
ご連絡が遅れまして申し訳ありません。昨日は希望の日が取れなくて、本日1日遅れて、12月15,16日という期日が決定しました。本番は12月16日(日)です。ただ、日曜日しか取れなかったので、教会会議にかけ、決定すると思います。お祈り下さい。この日しか取れず、神様はこの火にして貰いたいようです。教会員の心が一致することを、祈っています。なお、別便にて台本お送りします。立花
ご連絡ありがとうございます。
私としては12/16でいいのではないかと直感で思います。
教会員の方々のご賛同をお祈りしています。
何はともあれ、フォスターさんの生涯を取り上げてくださることは、とても有り難いことです。
本来なら尾花沢でこの劇を上演したいと思うほどです。
台本をお待ちしています。
鈴木実様
はじめまして。
私は高槻聖書バプテスト教会の伝道師であり、みどりヶ丘病院ではクリスチャンナースとして常勤として働く堀川敦子と申します。
病院で働き始める時、キング牧師から「あの病院は高槻聖書バプテスト教会の伝道所です。」と、祈りを持って送り出されて、現在に至ります。
秀子姉とは、初回のクリスマス・コンサートから、ずっと一緒に重荷をもって奉仕してきました。私の大切な信仰の友です。
そして、今回、立花秀子姉から「遥かなるフィラデルフィア」をお借りして、読ませていただき、鈴木兄に直接お会いして、お話を聞きたい!
そして「愛の奇跡」という讃美を直接、この耳で聴きたいと強く心を動かされ、こうしてメールさせていただきました。
このクリスマスコンサートのために祈るうちに、フォスター先生についてもっと知りたいと思い、秀子姉からお借りした本を手にして、読み始めると同時に感動で胸がいっぱいになり涙で文字がにじんで、何度も感謝でいっぱいになっては祈り、スラスラとは読めませんでした。
神様がいかに罪人を愛し、ただ一人も滅びることなく永遠の命を与えるために、教会がひとつもできないほど強いサタンの力に支配されている尾花沢に、フォスター宣教師をお遣わし下さり、師を通して神様の愛の御言葉を宣べ伝えつつキリストの愛の行いを実践して、街の方々にも愛されて、天に召されて行った経緯を、改めて知ることができました。
同時に、いかにサタンが世界宣教の前進を阻み、人々の心の耳を閉ざし、心の目を閉ざし、福音を受け入れないように経巡る獅子のように必死で働いておるかを、改めて知らされ、両頬を打たれたように目の覚める思いをいたしました。
さらに、鈴木兄が、環境の変化や信仰の違いなどで、心身の健康を崩して行かれる様子が、我がことのように感じられ、ボロボロ泣きながら読みました。本当に、その経緯は私の心の壊れていくのとほぼ同じでした。
実は、2009年の春頃、平常の仕事の上に新型インフルエンザの対応に追われ、と申しますのも、「民間病院での始めての発熱外来」ということで計らずも私はNHKテレビや読売新聞等のマスコミの取材を受けニュースや新聞に大きく取り上げられました。
二重の仕事により、心身の疲労が蓄積して、抑うつ状態となり、同年9月より、うつ病の診断を受けて、休職し1年半、在宅療養をすることになりました。
そして、職場復帰をしてほぼ一年。
完治したかと思われた今夏に、職場の多忙故にまた再燃し、現在は在宅療養中です。
でも、これは神様が、今まで走り続けてきた私に下さった大きな休暇と受け止めて、神様の時計の針に合わせて毎日ゆっくりと歩んでいる所です。
今、高槻聖書バプテスト教会では、子供から大人まで、讃美とお芝居のお稽古で、大忙しです。
順調に進んでいますので、続けてお祈りいただきたいと思います。
そして、おっしゃっておられましたように、ぜひとも、練習を見に来て下さり、コンサート当日にもお越し下さり、フォスター宣教師をお遣わし下さった主をあがめ、共に主にご栄光を帰する舞台となりますように!切に希望しております。
牧師のキング師は、フォスター宣教師に、一緒に関西で伝道しようと申し出ましたが、「私は東北でまだ福音の伝えられていない教会がひとつもない尾花沢へ行く」と、おっしゃり、お二人は東西に別れて宣教を開始。今年キング師夫妻は日本宣教50周年の節目を迎えます。
キング師も、鈴木兄にぜひお会いしたいと申しております。
そして、コンサートにいらっしゃるなら、ぜひ食事と宿泊は確保するとも。
とにかく、教会あげて、大歓迎したい!!
のです。
「遥かなるフィラデルフィア」やCDを教会で販売させていただきいことなど、詳細は、後日、担当の立花秀子姉から連絡するのでよろしくお伝えするようにとのことですので今しばらくご連絡をお待ち下さいね。
鈴木兄のCD、特に「愛の奇跡」他、ありましたら一日も早くお送りいただけないでしょうか。
ぜひとも、聴きたいのです。
送料等着払いでけっこうですので、よろしくお願いいたします。
まずは、メールにてご連絡をお待ち申し上げます。
とりとめもなく、書いてしまいましたが、あまりの感動で胸がいっぱいで・・・。
主のご愛がこれほどまでも深くあればこそ、サタンも私たちクリスチャンの隣にいて、日々、熾烈な戦いを挑み、福音の前進を阻んでいますが、共に励まし合い、主の再び来臨されるまで、主の大命令をそれぞれの地で、果たして参りましょう。
鈴木兄が、特別な方法で主に大きく用いられていますことを主に感謝しつつ。
堀川敦子
コメントをお寄せくださり、誠にありがとうございます。
さて「愛の奇蹟」はカセットテープ録音であったため、CDはありません。
現在、CDにすべく録音機材を調整中です。
ですので、今しばらくお待ちいただけますようにお願い申し上げます。
コメントをありがとうございます。
今、あの本は4人目に渡されています。
本を読んだ人々が感想を、熱く語るようになって、フォスター先生の周辺がだんだん分かるようになり、ミュージカルの練習にも、自然に熱がこもってきています。
オラトリオ、難しいですが、すばらしい旋律に、歌うごとにため息が出てきます。
あれを全曲、歌うことができるなら、どんなにすばらしいことでしょう。
いずれ、やろうね。
と、聖歌隊の中では、話しています。
さきほど、秀子姉から、お手紙を読ませていただきました。
「愛の奇跡」楽しみにお待ちしております。
感謝して。
堀川敦子
愛の奇蹟を収録したCDを立花さまに送りました。
もう届いている頃だと思います。
ぜひ聴いていただければ嬉しいです。
よろしくお願いします。
CD、今週さっそく、聴きました。「愛の奇跡」岳でなく、他にも美しい曲がたくさんあって、驚きました。
愛の奇跡 、主の十字架と再臨への希望に溢れていて、とても感動しました。コンサート当日に、いらっしゃれたら、ぜひ、歌っていただきたいと思います。
こちらは8日に、キング師夫妻の宣教50周年集会が終わり、あとはコンサートの練習に集中。
明日、この歌をミーティングの時に、みんなに聴いていただこうと、思っています。
ぜひ、お越しいた抱けるように、お祈りしています。まずはお礼まで。
CDを聴いてくださりありがとうございました。心から感謝します。
「愛の奇蹟」は1977年2月に作詞作曲した歌です。当時、まだ18歳の高校3年生でした。そして、CDに収録したのは、1989年のものです。場所は日本キリスト教団西片町教会礼拝堂です。奇しくもフォスター先生が亡くなられた年でした。
現在の「愛の奇蹟」は、エンディングに新たな歌詞を加えて、力強く終わるようにしています。この新ヴァージョンの「愛の奇蹟」はきちんとしたスタジオで録音していないので、CDはまだありません。
高槻には11月23日の練習日と12月16日の上演日にお伺い致します。皆様にお目にかかれることを楽しみしています。また皆様の前で歌うことがゆるされるようでしたら、ぜひ歌わせてください。よろしくお願いします。