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書と俳句展が開かれました

2014-08-25 07:16:57 | 雑感
地元公民館の生涯学習で書道と俳句に取り組んでいらっしゃる皆さんと、永年ご指導いただいてこられた先生との合同展作品展が商店街のギャラリーで開かれ行ってきました。生徒さんは皆さんぶどう栽培農家の方々。お忙しい農作業の間に公民館活動として書や俳句に取り組んでこられました。先生の熱心なご指導をいただいて20年近くになるとか。それぞれ素晴らしい作品でとても感動しました。これからの活躍を願っています。







通学合宿が始まりました

2014-06-02 04:48:22 | 雑感

通学合宿開校式


滋野コミュニティセンター全館借り切りです。


開校式後、地域のジャズバンドの皆さんが生演奏を披露してくれました。


夕食後は地域のボランティアの方による手品とこわいお話の会でした。

子供たちが共同生活をし、そこから通学するという通学合宿が3泊4日の日程で始まりました。主催はしげの里づくりの会。昨年に引き続いて2回目です。滋野小学校の4~6年生30名が滋野コミュニティセンターに宿泊し、地域の皆さんと長野大学の学生さんがサポートします。子供たちも布団の上げ下ろしや食事の準備、後片付け、お掃除など自分たちで行います。

この合宿を通じて子供たちも大きく成長することを願っています。

ながらくのお休みから回復です

2014-04-05 07:29:55 | 雑感
しばらくのご無沙汰でした。フェイスブックを始めたらそちらにはまり、ついつい手が抜けてしまいました。ご覧いただいている皆さん、申し訳ありません。大雪の記事を書いていた頃には200件を超えていたアクセスも、更新を怠るととたんに50~60件に激減。継続は力なり…を実感しています。

今週はとても忙しい日が続きました。議会だよりの配布、ぶどうの選定作業、孫のお守り、公的行事への出席などなどでした。議会だよりもやっと地元地区への配布が終わり、あと残りは600部です。合間の時間に少しずつでも配って行ければと思っています。

ぶどうの剪定は大雪のため大幅に遅れました。やっと終わりましたが枝を切るとそこから水が滴り落ちます。すでに水が上がってきているんですね。木でも春の準備が始まっているんですね。これからは枝を棚にテープで固定する誘引(ゆういん)という作業をしなければなりません。ほっておくと風で枝がこすれ芽がとれてしまいます。

そして孫のお守り。保育園がお休みなのでママも仕事があり、今週はほぼ毎日やってきました。孫と遊んだりとても楽しいのですが、やはり体力勝負にはかないません。やはり孫は来て良し、帰って良しですね。

そして4日には地元の滋野小学校の入学式でした。とても感動的な式典となりました。




孫が保育園を卒業します

2014-03-16 23:21:43 | 雑感
この春、上の孫が保育園を卒業し小学校に入ります。これまでの成長のひとコマひとコマを思い出すと感慨無量です。彼が生まれた7年前の4月、私の母(彼にとっては祖母)が亡くなりました。娘は大きなおなかで母の看病に、そして葬儀に参加してくれました。

葬儀もすんでやっと落ち着いた翌月の30日、彼が生まれました。なんと私の誕生日と同じでした。生まれたのは上田市立産院。お世話になったお医者さんは私の高校の時の同級生でした。そんなことがきっかけで、私もお産と助産所問題にかかわるようになりました。

彼はなかなか友達となじめないこともあり、娘は苦労したようです。そんな彼が昨年の運動会できちんと遊戯ができ、かけっこで一等賞になった時はとても感動しました。

そして、春からはピッカピッカの1年生です。



孫が保育園で作った紙版画の自画像です。なかなか味が出ていると思うのですがジジバカでしょうか。



下の孫も画いてくれました。こちらは年少さんです。

わが家のネコたちとの思い出

2014-03-09 20:54:13 | 雑感
今日からブログの装いも春バーションにしました。菜の花の中で蝶々が舞っています。とりわけ私は若草色が好きで、私のシンボルカラーにしています。当地でこんな風景が見られるのは5月のゴールデンウィークの頃になります。しかし、窓の外では雪が降り始めました。そんなに積もらないでしょうが、そろそろいいかげんにしてくれと言いたくなります。

そんな中、書類を整理していたら「わが家のニャンコ」という1枚のメモが見つかりました。一昨年アメリカに渡った下の娘が書いたものです。シロ、ポポ、クロ、ミミ、ノラ、モップ、スケ、ミヤケネコ、チャチャ。いずれもわが家で飼っていた猫たちです。中にはすでに亡くなったネコ、旅立ていったネコもいます。

わが家は転勤族でしたのでペットを飼うことはできませんでした。しかし下の娘が小学校に入る時実家に戻り、それを契機に拾ってきたネコを飼うことになりました。それから私を除き家族はすべてネコ好きになりました。この間ネコたちからたくさんの思い出をもらいました。

そんなネコたちとの記録がこのメモでした。私はネコの名前はわかりませんが、子供たちは実によく覚えていて、食卓の話題にものぼりました。いまわが家では岩合さんの「世界ネコ歩き」を楽しみにしています。



除雪ボランティアを募集します

2014-02-23 19:36:46 | 雑感
15日の豪雪で滋野地区では多くのビニールハウスが潰れました。ぶどうハウスはぶどう組合のボランティアによって片付けが進みましたが、個人でいちご栽培をしている農家などではなかなか片付けが進みません。

そこでしげの里づくりの会のご支援を得て、除雪ボランティアを募集いたします。このブログをご覧いただいている皆様にぜひご協力いただければと思います。

・日時: 3月2日(日)午前9時~午後4時
・集合場所: 滋野コミュニティセンター(東御市滋野)
・援農場所: 赤岩・田口さんのいちご畑(桜井・赤岩)
・持ち物 : スコップ、カッターナイフ
(注)カッターナイフはビニールを切るために使用します。

・支度: 寒くない支度でおいでください。

 主 催 しげの里づくりの会 道の駅「雷電くるみの里」
連絡先 滋野コミュニティセンター(0268)62-0401




(写真)倒壊したぶどう園での後片付け風景

倒壊したハウスの片づけをしました

2014-02-22 18:03:13 | 雑感
22日は一日好天に恵まれ大雪で倒壊したぶどう棚の片づけをしました。地域のぶどう組合の皆さんを中心に、農協の皆さん、市役所の皆さんの応援を得て雪を取り除き、倒壊したパイプからビニールを撤去しました。参加された皆さんはさぞお疲れのことと存じます。一日ありがとうございました。被害を受けた農家の皆さんからお礼の言葉がありました。これでハウスの撤去作業に入ることができます。


皆さんそれぞれスコップを持って集まっていただきました。


ハウスが地面までべったりと潰れ、ビニールの上に大量の雪が積もっています。


倒壊したパイプにぶどうの木が押しつぶされていました。


大勢の力で青空のもと作業がはかどります。


パイプに登ってビニールをはがしている人がいます。
手前の銀色の円筒状のものはボイラーの部品です。

やっとパソコンが復帰しました

2014-02-12 11:03:37 | 雑感


半月間にわたって不便をきたしていたパソコンの修理が完了して現役復帰となりました。皆様パソコンの近くではお茶やコーヒーはご法度です。大枚ン万円の思わぬ出費となりました。パソコンのありがたさが身に染みています。

さて2月11日に千葉県佐倉市までバス1台で行ってきました。11日は建国記念日でもありますが、江戸時代の郷土力士雷電の命日でもあります。雷電のお墓は私たちの東御市を始め全国に4ヶ所あります。そのうち命日に墓前祭を行っているのは佐倉市の妙覚寺だけ。ご住職はじめ檀家の皆様のご尽力にはただただ頭の下がる思いです。墓前祭を始めて37年。東御市の雷電顕彰グループの皆さんが参加して14~15年になるそうです。

私は今回で2回目となります。今回は初参加の方も大勢いらっしゃいました。東御市の市長にもご参加いただいています。こうした民間レベルでの住民交流がこれからもますます発展して行くことを願っています。あいにくの雪降りのお天気でしたが交流を深めることができました。

年賀状と野菜作りと地域づくりと

2014-01-25 06:51:43 | 雑感
お年玉年賀状の当選番号が発表になりました。わが家では初めて2等のふるさと小包が当たりました。皆さんのお宅ではどうだったでしょうか。

いただいた年賀状の中で、退職して農作業に汗を流しているというものが目につきました。私の友人たちの多くは還暦を向え、退職する年齢になってきています。毎日が日曜日となり近くの家庭菜園を借り野菜作りに精を出しているのでしょう。

しかし都会地なら農業などできません。身近に田んぼや畑があり、自然豊かな信州だからこそできる生活です。畑を耕し、苗を植え付け、成長を見守り、そして収穫を楽しんでいるんですね。

ところで日本の平均寿命は男性79.59歳、女性86.35歳だそうです。都道府県別では、日本一長生きの県は男女ともに長野県で、男性80.88歳、女性87.18歳だそうです。長野県はまさしく長寿の県です。

こうした長寿を支えている一つの要因に農業があるのではないでしょうか。都会生活では土に親しもうと思ってもそうした環境にありません。信州ではどこにいても家庭菜園を借りられます。そこで野菜作りに精を出し、希望すれば道の駅などで販売することもできます。

土と親しむ生活の中で地域の人々と知り合い、現役の頃とは違った隣近所の人々とのお付き合いが始まります。信州では昔から公民館活動がさかんで、都会では失われた地域のネットワークが生きています。退職して自宅にいるようになると早速地区の役員の肩から趣味の会や様々な地域活動のお誘いがあります。

信州で暮らすことで、退職してからも地域の中で自分なりの役割を見つけ、生きがいを持って生活することができます。そんなことが「濡れ落ち葉」や「ワシも族」になることなく、生き生きと健康で過ごせることにつながっているのではないでしょうか。

「生涯現役」-これが信州生活の中に息づいています。

(注)「濡れ落ち葉」と「ワシも族」-定年退職したご主人が地域活動に出かける奥様にまとわりつくさま。転じて粗大ゴミと化したご主人を皮肉っている。

阪神大震災から19年になります

2014-01-19 07:51:52 | 雑感
1月17日は阪神大震災の19年となります。あれからそんなになるんですね。私はあの日勤務先でその事実を知りました。朝自宅を出るときは大阪方面で地震があったとの報道はありましたが、現場の情報はなかなか伝わりませんでした。現場の映像が入ってきたのは私が職場に出勤してからでした。高速道路が横倒しになったり、駅周辺のビルがまるでおもちゃのようにバタバタ倒れている映像は今でも目に焼き付いています。

今でしたらインターネットで情報は瞬時に伝わりますが、その頃は一般的ではありませんでした。それでも私は電話に音響カプラという装置をつけて行うパソコン通信を行っていましたので、被災地の模様をある程度知ることができました。しかしパソコン通信は文字情報だけ、通信速度も300BPS(ビット・パー・セコンド)。画面に文字が一文字ずつ順番に表示されるといった有様でした。

その後何年かして淡路島の北淡震災記念公園を訪れる機会がありました。ここには地震を引き起こした野島断層が地表に現れており、地震によって引き裂かれた地面が保存されていました。驚くべきエネルギーの放出であったことが感じられました。

この年は私にとって転機となった年でした。1月末に私は銀行のシンクタンク「長野経済研究所」に転勤になり、仕事は支店での営業活動から調査研究活動に大きく変わりました。3月にはあの地下鉄サリン事件が起き、5月にはオウム真理教のサティアンに司直の手が入りました。11月にはウィンドウズ95が発売になりパソコンの周辺環境が大きく変わった年でもありました。

阪神大震災が起きたのは1995年1月17日朝5時46分、マグニチュード7.3、震度7、死者6,434名でした。私はこれからもこのことを決して忘れることはありません。

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