セガレ用のミートソースを作っていてふと思い出したことがあります。
私が生まれて初めて食べたミートスパゲティは小学校3年の夏だったということを。
あの日、兄も初めて食べたらしいので兄はもう中学生でした。
その年の5月、私より二回り年上のイトコのお姉ちゃんがガンで他界しました。
私の母と親子ほど年の離れている長姉の子で、母とそのお姉ちゃんが数歳違いでした。
お姉ちゃんは小学1年と3歳になる娘がいました。
母の田舎である福井県に住んでいたのでお葬式には母だけ参列し、私たちはお盆に行きました。
お姉ちゃんの嫁ぎ先にも行きました。
そこにはおばあちゃんやおじいちゃん、ひいおばあちゃんも住んでいました。
お姉ちゃんの母である私の叔母さんもよく通っていたらしいです。
そこで私たちは昼食か夕食をみんなで食べました。
なぜか私の母が台所に立っていました。
その時は特に疑問にも思わなかったのですが、出てきた食事を見て私と兄は驚きました。
ミートスパゲティ。
見たこともないスパゲティがそこにはありました。
私たちは今まで食べたことのあるスパゲティ=母の作ったスパゲティ。
それはたったひとつ。
ナポリタン。
食べてみるとすげー!うまいぞーー!!
でも心の狭い兄妹は叫びました!
「なんで?なんでお母さん!!こんなん作れるん?
こんなん僕ら初めて食べたでーーーー!」
「ほんまやーー!なんで私らには作ってくれんかったん?!」
それはそれは母を 責める 責める 責める
聞けば亡くなったお姉ちゃんの娘のYちゃんとSちゃんが
「お母さんの作ったスパゲティが食べたい。」
と言ってたそうです。
年寄りばっかりのこの家でみんなで何度か試したらしいのですが
誰もミートスパゲティなんて知らなかったらしく、
私の憶測ですがきっと誰が何度作ってもナポリタンだったんだと思います。
でもこの幼くして母を亡くしたこの姉妹に食べさせてあげたい!
でもでも一体どうすればいいのか?
この幼い姉妹の説明と年寄りの理解力にも限界があったのでしょう。
そうなりゃ、ええぇ~い、末妹が盆にやってくるんだ、亡くなった母とも年が近い。
お前(私の母)、なんとかせい!
って感じで命じられたそうです。
母は作ったことも食べたこともないけど「きっとこんな感じ」って適当に作ったらしい。
でもやっと姉妹にビンゴ!だったようです。
そんな理由を聞かされてもどうも面白くないニコスケ兄妹。
その後もブツブツ文句を言いながら、母がナポリタンを出すと
「ミートソースがよかった…。」
と言う始末。
「あれ、めんどくさいねん。」
とあまり作ってはくれませんでした。そりゃそうだ。ナポリタンって簡単だもんね。
お姉ちゃんの娘さんたちにとってミートスパゲティは思い出の母の味だったんですね
。
私は母の作った餃子やコロッケが大好きでした。
出産後、我が家に手伝いに来てくれた時も餃子やコロッケが楽しみでした。
でも毎日マズい自分の料理を食べていたし、久しぶりに食べる母の料理はどれもおいしかったです。
また来年、産後に食べれるのかと思うと今から夫婦揃って楽しみです。
いつかセガレにとっての「母の味」ができますように。
「これだけはオカンが作るやつがええわ~~。」といつか言ってもらいたいなぁ。
「あるよ、ママ。
ヒガシマルのうどんスープで作ったうどん。おいしいよっ!」
・・・・・・。あ、ありがとう、でも嬉しくないよ、ママ。
セガレ、ミートソースは日によって全く食べてくれない日とがっつく日とあります。
私が生まれて初めて食べたミートスパゲティは小学校3年の夏だったということを。
あの日、兄も初めて食べたらしいので兄はもう中学生でした。
その年の5月、私より二回り年上のイトコのお姉ちゃんがガンで他界しました。
私の母と親子ほど年の離れている長姉の子で、母とそのお姉ちゃんが数歳違いでした。
お姉ちゃんは小学1年と3歳になる娘がいました。
母の田舎である福井県に住んでいたのでお葬式には母だけ参列し、私たちはお盆に行きました。
お姉ちゃんの嫁ぎ先にも行きました。
そこにはおばあちゃんやおじいちゃん、ひいおばあちゃんも住んでいました。
お姉ちゃんの母である私の叔母さんもよく通っていたらしいです。
そこで私たちは昼食か夕食をみんなで食べました。
なぜか私の母が台所に立っていました。
その時は特に疑問にも思わなかったのですが、出てきた食事を見て私と兄は驚きました。
ミートスパゲティ。
見たこともないスパゲティがそこにはありました。
私たちは今まで食べたことのあるスパゲティ=母の作ったスパゲティ。
それはたったひとつ。
ナポリタン。
食べてみるとすげー!うまいぞーー!!
でも心の狭い兄妹は叫びました!
「なんで?なんでお母さん!!こんなん作れるん?
こんなん僕ら初めて食べたでーーーー!」
「ほんまやーー!なんで私らには作ってくれんかったん?!」
それはそれは母を 責める 責める 責める
聞けば亡くなったお姉ちゃんの娘のYちゃんとSちゃんが
「お母さんの作ったスパゲティが食べたい。」
と言ってたそうです。
年寄りばっかりのこの家でみんなで何度か試したらしいのですが
誰もミートスパゲティなんて知らなかったらしく、
私の憶測ですがきっと誰が何度作ってもナポリタンだったんだと思います。
でもこの幼くして母を亡くしたこの姉妹に食べさせてあげたい!
でもでも一体どうすればいいのか?
この幼い姉妹の説明と年寄りの理解力にも限界があったのでしょう。
そうなりゃ、ええぇ~い、末妹が盆にやってくるんだ、亡くなった母とも年が近い。
お前(私の母)、なんとかせい!
って感じで命じられたそうです。
母は作ったことも食べたこともないけど「きっとこんな感じ」って適当に作ったらしい。
でもやっと姉妹にビンゴ!だったようです。
そんな理由を聞かされてもどうも面白くないニコスケ兄妹。
その後もブツブツ文句を言いながら、母がナポリタンを出すと
「ミートソースがよかった…。」
と言う始末。
「あれ、めんどくさいねん。」
とあまり作ってはくれませんでした。そりゃそうだ。ナポリタンって簡単だもんね。
お姉ちゃんの娘さんたちにとってミートスパゲティは思い出の母の味だったんですね
。
私は母の作った餃子やコロッケが大好きでした。
出産後、我が家に手伝いに来てくれた時も餃子やコロッケが楽しみでした。
でも毎日マズい自分の料理を食べていたし、久しぶりに食べる母の料理はどれもおいしかったです。
また来年、産後に食べれるのかと思うと今から夫婦揃って楽しみです。
いつかセガレにとっての「母の味」ができますように。
「これだけはオカンが作るやつがええわ~~。」といつか言ってもらいたいなぁ。
「あるよ、ママ。
ヒガシマルのうどんスープで作ったうどん。おいしいよっ!」
・・・・・・。あ、ありがとう、でも嬉しくないよ、ママ。
セガレ、ミートソースは日によって全く食べてくれない日とがっつく日とあります。
自分の兄弟のこととかなら覚えてるけどよそへ行った時のことなんてこれっぽっちも覚えてないや。
ちなみに私たち兄弟はミートソースもイマイチ好きじゃなかったなぁ。
3人とも、いつまでもミートソースのげっぷが出るからいやだ。って同意見だった。
そういや、ゆうさまが友達におまえんちのオカンのカレーメチャ旨いなって言われてから、カレーだけはウチで食いたいねんとか可愛いことをママンにいいはじめた・・・
あたしもそういって貰えるかしら?自信ないわ・・。
ナポリタンえぇや~ん。具はいってたんやろう?
わたしは幼少期、スパゲティが嫌いだった。
なぜなら母の作るものがまずかったから。
スパゲティにただのケチャップをまぶしただけ。具はゼロ。しかもなぜか毎回冷えていました。あれ出されるたびに恐怖を感じていたよ。
どんな味でもやっぱりママが作ったものが一番だと思いたい(よね?)
ところでまた今月こうのとり飛来せずでした。
早く子宝授かる方法伝授して下さいっ。
私、すごい子供のころの記憶があると思います。小学以前から結構あるよ。
ゆうさまみたいなこと言われたら母、メロメロやで、きっと。
《猫助さんへ》
そうなんよ、私も母の味と言ってほしい願望があるくせに自信がなくて…。
猫助母のナポリタン、それは恐怖やなぁ…。でもうちもあんまりおいしくなかったと思う。結婚してからダンナが作ったナポリタンの方がおいしいと感じたもん。
《やっぴーママさんへ》
あ、すみません、ホンマに木村様のみ、です。
どうでもいい情報かもしれませんが、排卵検査薬と妊娠検査薬がヤフオクでそれぞれ120円と100円で売られています。中国製ですが、一度買ってみました。えっと、どうでもいい時期に遊びで使ったのですがちゃんと反応しましたよ。薬局より安いですよね。
《けんけんぱ♪さんへ》
何でも食べてくれるなんてうらやましぃ。しかもどんぶりいっぱいって!どんな2歳児だ!