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是非にあらず

小手前の安心は無い

木嶋被告の事件 その4

2012年03月20日 10時24分01秒 | 事件
無職、安藤建三さんの事件は同様に練炭が残されていた。
火事になった。
こちらも当初自殺として処理。
木嶋被告とはホームヘルパーとして出会っている。
木嶋被告と会った日に意識を4回喪失。
通常使用しない4畳半の部屋にふとんを引いてその上に寝た状態だったそうだ。
安藤建三さんは居間にふとんを敷いて寝起きしていた。
安藤建三さんはヘビースモーカーだそうだ。
検察側の無断カード使用について、クレジットカードの請求書を受け取った安藤さんは、木嶋被告に「何を買ったのか」というメールを送っている。
なぜ勝手にカードを使ったのか、という追及のメールではなく、買い物の内容を聞いている。安藤さんがカードを使うことを許可していなかったらこういうメールにはならないと指摘。
近所のスーパーの防犯カメラとATMでお金を下ろす木嶋被告が映っていた。
ATMで暗証番号を間違えている。
安藤さんの絵画がなくなっている。弁護側は安藤さんからもらったものだと主張。
パソコンがなくなっていた。

つづく・・・



木嶋被告の事件 その3

2012年03月19日 20時16分59秒 | 事件
寺田さんとの交際と重なる時期に木嶋被告が交際していた長野県の男性(当時49歳)に対する詐欺事件がある。
2008年12月と2009年3月に木嶋被告とホテルに行った際、木嶋被告が用意した飲み物を飲んで眠ってしまい、「睡眠薬のようなものが入っていたと思った」と証言した。そして、男性が寝ている間に現金などがなくなり、最寄の交番に駆け込んで事情を説明している。木嶋被告はこの男性に対する詐欺の事実を認めている。しかし、被告人質問で木嶋被告は、「ホテルの中の出来事は一切お話ししたくありません」と述べ、睡眠薬を飲ませたことがあるかとの質問には、はっきりとした口調で「ありません」と答えた。

寺田さんが死亡してから約3か月後の09年4月に、木嶋被告が 結婚サイトで知り合ったとされる別の男性にあてたメールがある。
 「カルチャースクールで知り合った年上の男性がいます。私は友人と思っていたが、相手が勝手に 結婚したいと思い込んでいる」「正直、気持ちが悪い」「精神的なストーカーのような人です」
 「ストーカーはやめて欲しい。連絡しないで欲しいと伝えた」―。木嶋被告は警察から事情聴取を 受けたこと、寺田さんが自殺したことなどを男性にメールし、「(死因は)自殺で死亡後に、4~5日放置されていたようです」などとつづった。

検察官からメールの内容について問われると、木嶋被告はやや興奮したように体を揺らし、 早口で「事実ではないことを書いた」「脚色した」と説明。だが、メールの男性が寺田さんで あることを認め、「当時、体調が悪く混乱していた」「寺田さんに対する嫌悪感が残っていた」 などと述べた。
また、検察側は寺田さんと同時期に交際していた複数の男性の存在を明かした。寺田さんと 出会った「結婚サイト」以外に、「妊婦系」「愛人不倫系」「ぽっちゃり系」など複数の出会い系サイトに登録した上で、男女関係を持っていたと指摘。関係を持った後に、「性交渉で出血した」
 「不倫を暴露する」などと脅し、架空の学費名目などで金を得ていたと追及したが、木嶋被告は
 「分かりません」「覚えていません」と繰り返した。


つづく・・・



木嶋被告の事件 その2

2012年03月19日 09時47分30秒 | 事件
検察側と弁護側のやり取り、木嶋被告の証言、事実を抜粋しています。

2009年1月、寺田隆夫さんは当初、自殺として処理された為、司法解剖は行われていない。
こんろ6つに入れた練炭16個も現場にはあったが押収はされていない。
事件直前に、寺田さんが確実に自宅にいる時間を指定して発送、寺田さん宅に届いた箱がある。
(練炭は1箱8個入りで流通しています。16個はちょうど2箱分。)
練炭とコンロだとすると、荷物の送料は記録されているものより高くなる。
同年1月30日に寺田さん宅を訪問した際、「浴室が不衛生で、冷蔵庫の整理整頓ができていなかった」ことなどから「結婚生活に不安を覚えた。お互いの幸せのために終わりにした方がいい」と思い別れ話をした。
別れ話をした後に現金400万円と1000万円以上の通帳を受け取ったと明かした。
「使ってほしいと言われ、受け取った」
パソコンがなくなっていた。同じ机の上には携帯電話が置かれていた。
警察官が寺田さんの携帯電話の履歴を頼りに、木嶋被告に電話した際、妹の名前をかたった。
死亡推定日は、木嶋被告と会った後の1月31日とされる。だが弁護側は遺体がホットカーペット上で発見された点に注目。専門家の意見を引き合いに出し、腐敗状況から2月1日以降の可能性を指摘。
死亡推定日が2月1日以降であれば、1月31日早朝には、(現場の)青梅を離れているので、木嶋さんの犯行はあり得ない。

つづく・・・



木嶋被告の事件 その1

2012年03月18日 11時05分40秒 | 事件
この裁判で木嶋被告の金銭感覚が異常だと報道されていたが、木嶋被告本人はいたって普通だったようだ。
それもそうで友達もいなく定職にも就いていなかったので、ましてや上京してその頃から受け取っていた金額が一般人とは違ったからだ。
比べるのがなかった木嶋被告が金銭感覚がずれていてもおかしくはない。
知り合った男性も同じであるからなおさらだ。
我々はどうしても自分の価値観で判断してしまう為、おかしいと思う。
が、木嶋被告の立場で考えればおかしいとは言えない。

さて、3人の男性への殺人罪などに問われている木嶋被告。
(寺田隆夫さん、無職、安藤建三さん、会社員、大出嘉之さん)
同時期の詐欺事件もあり。

さて、今回の事件はどれも状況証拠のみで直接的な証拠はない。
まして木嶋被告の自白もない。本人は殺害を否定している。

ただ、3つの事件とも現場には練炭が置いてあった。それが木嶋被告が事前に購入して個数と一致するのが妙に面白い。
また、無職、安藤建三さん、会社員、大出嘉之さんの事件では睡眠薬の検出もされている。木嶋被告は睡眠薬を使用していた。


つづく・・・






弘前大学教授夫人殺人事件

2012年02月24日 19時15分57秒 | 事件
1949年(昭和24年)に発生した殺人事件である。
当初有罪判決を受けた人物とは別の真犯人が後日発覚、冤罪事件となった。

1949年8月6日の夜、青森県弘前市で松永藤雄弘前大学医学部教授の夫人(当時30歳)が刃物で喉を刺されて殺害された。一緒の部屋で就寝していた教授の実母と教授の長女は無事であった。

教授が出張中。被害者に横恋慕していると噂があった同大学の医学生が逮捕。
→アリバイが証明されてすぐに釈放。

警察は現場から道路に点々と付着していた血痕を追跡し、その血痕が途切れた所にある家の家人・那須隆(当時25歳)一旦別件逮捕し、殺人容疑で再逮捕した。
→アリバイがあるとして容疑を否認。
着ていた開襟シャツに血痕が付着していた事などを証拠に起訴。

一審は無罪。
二審では古畑種基によるシャツの血痕の鑑定結果などから懲役15年の有罪判決。
最高裁でも二審判決が支持されて懲役15年の刑が確定した。1963年に仮出所。

真犯人が名乗り出てきた。
真犯人は冤罪男性の友人の一人で、自白当時は別件の強盗で服役していた。
真犯人は1970年の三島由紀夫割腹自殺(三島事件)の影響を受けて名乗り出てきたという。
当時19歳。機関士助手。ヒロポン中毒となり辞職。
実家のミシン屋の手伝いを始め、被害者宅にはミシンの修理に行ったことがあり、被害者とも面識があった。

むしゃくしゃすると夜にヒロポンを打って、一人歩きの見知らぬ女性に抱きつく、そんな生活が続いていた1949年5月6日の夜、弘前市の路上で女性に抱きついてレイプを試みるも抵抗されたのでナイフで刺して重傷を負わせる。
7月21日の夜、看護婦のレイプ目的で同市内の病院に侵入。
8月6日の夜、評判の美人であった被害者をレイプしようと家宅侵入して相手に抱きついたが、抵抗されたのでカッとなってナイフで喉を刺した。
9月2日の夜、再び病院にレイプ目的で侵入して逮捕。教授夫人殺害犯の容疑者の一人としてピックアップされていたが、嘘のアリバイを証明した人間のおかげで容疑から免れて、殺人以外はすべて自供して認めて懲役7年を刑務所で服役していた。

再審請求がなされたが、1974年に請求は棄却された。
再度請求し、1976年に再審が開始された。
裁判では、シャツの血痕は警察が事件後に人為的に付けた捏造であると裁判所は判断した。1977年2月15日、発生から28年後、那須に無罪判決が言い渡された。
真犯人は公訴時効が成立していたため、起訴されることはなかった。

那須氏は2008年1月24日に84歳で死去した。

Wikipediaより

那須氏は警察になりたかったらしく、自分で調べて警察に貢献しようとしたんだけどその行動が警察には不信に思われたらしい。
しかしながらアリバイは何処へ消えたのだろう。
警察は今も昔も何をしてるのだ!
そして裁判所も。
三島由起夫が役に立ったんだね。
歴史は人によって狂わされる。
古畑種基によってか・・・









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