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是非にあらず

小手前の安心は無い

草加次郎事件

2013年06月22日 10時21分33秒 | 事件
草加次郎事件(くさかじろうじけん/そうかじろうじけん)は1962年から1963年に起きた爆破、脅迫、狙撃などの一連の事件である。

1962年から1963年の間に、十数件にわたって「草加次郎」名での爆破、脅迫、狙撃などの事件が相次いだ。犯人は複数回にわたって現金の受け渡しを指示したが、最後まで受け渡し場所に現れることはなかった。

犯人は指紋と筆跡を残しており警視庁は延べ1万9000人の捜査員を投入し、火薬・爆弾マニアなど約9600人をリストアップしたが、犯人を特定することはできなかった。1978年9月5日に公訴時効が成立。戦後日本の犯罪史に名を残す未解決事件となった。

■1962年11月4日、歌手の島倉千代子援護会事務所に爆発物を郵送し、同事務員を負傷させる。郵便物に「草加次郎」のサインを残す。
■1962年11月13日、港区麻布に住むバーホステスに爆発物を郵送。未遂に終わる。
■1962年11月20日、有楽町ニュー東宝劇場のロビーに爆発物を設置し爆破。観客1人に火傷を負わせる。
■1962年11月26日、有楽町日比谷劇場の洗面所に爆発物を設置。爆発したものの負傷者及び火災はなし。指紋が検出される。
■1962年11月29日、世田谷区の電話ボックスに爆発物を設置。電話ボックスを利用した1人を負傷させる。
■1962年12月12日、浅草寺境内の切り株上に爆発物を設置。警備員1人が負傷。
■1963年5月9日 - 7月22日、女優の吉永小百合宅に6通にわたる脅迫状を郵送。
■1963年7月15日、上野公園歩道にて自作ピストルで屋台の店主を狙撃。重傷を負わせる(のちに警視庁へ弾丸と拳銃を郵送)。
■1963年7月24日、渋谷東横デパートに脅迫電話を掛けた後、同デパートの洗面所を爆破。負傷者はなし。
■1963年8月11日、同デパートの屋上に時限爆弾を設置。爆発したものの負傷者はなし(のちに警視庁へ弾丸と拳銃を郵送)。
■1963年8月14日、同デパート店長宛に爆発物を郵送。事務員1人が火傷を負う。
■1963年9月5日、地下鉄銀座線の車内に爆発物を設置。10人が重軽傷。
■1963年9月6日、吉永小百合宅に脅迫状を郵送。100万円を要求。
■1978年9月5日、公訴時効成立。



Wikipediaより




名張毒ぶどう酒事件

2012年06月16日 12時55分30秒 | 事件
1961年3月28日の夜、三重県名張市葛尾(くずお)地区の公民館で起きた毒物混入事件。5人が死亡し、「第二の帝銀事件」として世間から騒がれた。逮捕・起訴され、容疑者の奥西勝(おくにし・まさる)は死刑判決が確定している。


1961年3月28日、三重県名張市葛尾の薦原地区公民館葛尾分館(現存しない)で、地区の農村生活改善クラブ(現「生活研究グループ」)「三奈の会」の総会が行われ、男性12人と女性20人が出席した。この席で男性には清酒、女性にはぶどう酒(ワイン)が出されたが、ぶどう酒を飲んだ女性17人が急性中毒の症状を訴え、5人が亡くなった。捜査当局は、清酒を出された男性とぶどう酒を飲まなかった女性3人に中毒症状が無かったことから、女性が飲んだぶどう酒に原因があるとして調査した結果、ぶどう酒に農薬が混入されていることが判明した。

その後、重要参考人として「三奈の会」会員の男性3人を聴取する。3人のうち、1人の妻と愛人が共に被害者だったことから、捜査当局は、「三角関係を一気に解消しようとした」ことが犯行の動機とみて、奥西を追及。4月2日の時点では自身の妻の犯行説を主張していたが、4月3日には農薬混入を自白したとして逮捕された(逮捕直前、奥西は警察署で記者会見に応じている)。しかし、逮捕後の取り調べ中から犯行否認に転じる。

一審:無罪
二審:死刑判決
最高裁:死刑確定

第7次再審請求

2012年5月25日、再審開始の取り消しを決定。被告人弁護側は最高裁判所へ特別抗告を行う意向を直ちに示している。

村八分の結果、奥西が否認に転じたことを知ると、家族への迫害が始まった。家族には一切口をきかず、家には投石された。果ては夕食中の被告宅に被害者遺族が押しかけ「土下座して謝れ」と詰め寄る事もあったという。

奥西勝(おくにし・まさる)は現在86歳である。
母は既に他界している。

Wikipediaより

実はこの事件、村人の証言が変化するのです。
まるで誰かに言われたように・・・

最近、冤罪が多いですがこの事件もそうなのでしょうか?
裁判は真実を求める場所ではないことは確かなようです。


津山事件

2012年05月28日 11時02分52秒 | 事件
1938年(昭和13年)5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両集落で発生した大量殺人事件。

2時間足らずで30名(自殺した犯人を含めると31名)が死亡し、3名が重軽傷を負うという、日本の犯罪史上前代未聞の殺戮事件であった。

犯人:都井睦雄(とい むつお)

被害者たちの証言
「凶行は極めて計画的かつ冷静に行われたとされている。」
「頼むけん、こらえてつかあさい」と足元にひざまづいて命乞いをする老婆に都井は「お前んとこにはもともと恨みも持っとらんじゃったが、嫁をもろうたから殺さにゃいけんようになった」と言って猟銃を発砲した(老婆は重傷を負い、後に死亡した)。しかしある宅の老人は、返り血を浴びた都井に猟銃を突きつけられたが、逃げることもせず茫然と座っていたところ、「お前はわしの悪口を言わんじゃったから、堪えてやるけんの」と言われて見逃されたという。またある宅でも、その家の主人が「決して動かんから助けてくれ」と必死に哀願したところ都井は「それほどまでに命が惜しいんか。よし、助けてやるけん」と言い残しその場を立ち去っている。

被害者は死者30名(即死28名、重傷のち死亡2名)、重軽傷者3名にのぼった。死者のうち5名が16歳未満である。

約一時間半に及ぶ犯行後、都井は遺書用の鉛筆と紙を借りるため、隣の集落の一軒家を訪れた。
その家の子供が以前から都井の話を聞きに来ていた縁から顔見知りであったため、その子供に頼み鉛筆と紙を譲り受けた。
都井は去り際にこの子供へ「うんと勉強して偉くなれよ」と声をかけている。その後、3.5km離れた仙の城と呼ばれていた荒坂峠の山頂にて、追加の遺書を書いた後、猟銃で自殺した。猟銃で自らの心臓を撃ち抜いており、即死したとみられている。
※都井は事件の数日前から実姉を始め、数名に宛てた長文の遺書を書いていた。

都井は遺書の中で、この日に犯行を起こす決意をしたのは、以前都井と関係があったにもかかわらず他家に嫁いだ女性が、貝尾に里帰りしていたからとしている。
しかし、この女性は実家に都井が踏み込んで来たときに逃げ出して助かり、逆に逃げ込んだ家の家人が射殺される場面もあった。他にもかねてから殺すつもりの相手が他所へ引っ越したり、他者の妨害にあったりして殺害することができなかったことと併せて、都井は「うつべきをうたずうたいでもよいものをうった」として反省している。また、同じく遺書には、真っ先に祖母を手に掛けたのは、「後に残る不びんを考えてつい」と書かれている。
※近隣の女性達とこの地域での風習でもあった夜這いなどの形で関係を持っていたとされる。都井は事件の前年、1937年(昭和12年)に徴兵検査を受けた際に、結核を理由に丙種合格(実質上の不合格)とされた。その頃から、都井はこれまで関係を持った女性たちに、都井の丙種合格や結核を理由に関係を拒絶されるようになった。


都井の親族であり、都井から襲撃を受けることのなかった一家が、企みを前々から知っていて隠していたのではないかと疑われ、村八分に近い扱いを受けたともいわれている。
※村八分:日本の村落の中で掟や秩序を破った者に対して課される消極的制裁(共同絶交)行為についての俗称。


70年以上が経った現在でも、現地でこの事件に言及することはタブー視されている。

70年後の証言
事件発生からちょうど70年後にあたる2008年(平成20年)、『週刊朝日』5月13日号にて津山事件関係者(90代老人)による証言記事が掲載された。
当時村に残っていたとされている夜這いの風習についてはこれを強く否定している。
ただし、彼の配偶者であった人物も当時、都井との関係があったとされており、また都井が残した遺書にその名前が記載されており、事件を決行することにした理由のひとつとして彼女の帰郷を挙げている。
この証言内容については「津山事件報告書(司法省刑事局)」の内容と照らして明らかに誤った内容があり、証言も含めた記事内容は信憑性の薄いものである。


Wikipediaより












木嶋被告の事件 その6

2012年03月21日 09時30分37秒 | 事件
お金目的に犯行に及んだと検察側は主張している。
この頃から(前から)援助してもらっていた男性が亡くなり収入源がなく、その後借金もあったそうだ。
弁護人は自殺又は火事によって亡くなったと主張。
両者の主張とも弱い為、難しい裁判となっている。

警察の捜査が甘い点が上げられる。
それと、当初自殺で処理してしまった事もあり証拠が不十分。
弁護側の反論も推測で弱い。


裁判(さいばん)とは、社会紛争の解決手段の一つであり、ある一定の権威を持つ第三者の判断に紛争当事者を従わせることにより紛争を解決させることに特徴がある。
ある基準に基づいて判断や裁定を行うこと。裁くこと。


疑わしきは罰せず。
近年、日本ではこの疑わしきは罰せずの原則に反して、性犯罪(強姦、強制わいせつ、痴漢など)やセクシャルハラスメントに関係する裁判で、「疑わしきは罰する」や「疑わしくなくても罰する」と言うが如き判決が相次いでいる。これは、警察や検察、裁判官が「被害を受けた」と訴えたの女性側の言い分を鵜呑みにして証拠無しで立件し、加害者と見なされた男性側の言い分が一切無視されることが原因になっている。
Wikipediaより


今までの記載は以下より参考又は抜粋致しました。

msn産経ニュース様、埼玉新聞様、毎日新聞様、朝日新聞様、スポニチ様、産経新聞様、Yahoo様、裁判・政治・経済・外交・エンタメもわかる法律相談所様、今この時&あの日あの時
様、( ’-’)ノにゃんこい!は来るよ様



木嶋被告の事件 その5

2012年03月20日 15時58分19秒 | 事件
会社員、大出嘉之さんは木嶋被告と旅行に行く予定であった。
レンタカーを借り木嶋被告の家に向かい、所沢方面へ向かったが途中で引き返し遺体発見現場の駐車場に来ている。
(夜午後7~10時ごろ。翌朝発見。)
車のキーとマッチ箱が車の中及び周辺で発見されなかった。
大出嘉之さんは後部座席で発見されている。練炭は助手席。
近くの温泉施設からタクシーで木嶋被告に良く似た人が目撃されている。
駐車場の隣はアパートがあり、車の持ち主が来たら殺害は失敗に終わる。
大出さんの携帯電話のメールを削除されている。
木嶋被告は大出さんが死亡した後、大出さん宅を訪れ、「(貸していた)写真を返してください」というメモを残している。
大出さんが母親に木嶋被告との交際を告げ、式場などの相談していた。女性との交際は初めてであり、落ち込みやすい性格。

平成20年5月に、インターネット上の結婚情報サイトに登録。
(プロフィールは仕事に音楽教室の講師、大学博士課程栄養学専攻)
木嶋被告「学生の方が経済的支援がしやすいだろうと思った。食に関するジャンルであれば話せると思った」

つづく・・・




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