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是非にあらず

小手前の安心は無い

柴又女子大生放火殺人事件

2020年09月21日 18時49分15秒 | 事件
【話題】
1996年
ロングバケーション
アトランタ・オリンピック⇒「自分で自分をほめたい」
渥美 清 8月4日死去


【前日】
前日9/8
最高28℃
最低20.8℃
曇りのち晴れ

【当日】
1996年9月9日午後4時半ごろ
⇒平成8年 月曜日 一日中雨 最高23℃ 最低17.6℃
事件発生日は、朝から雨が降ったりやんだりしており、昼過ぎから強く降り出し始め、
15時0分過ぎにはさらに激しくなっていた。

【翌日】
後日9/10
最高25.4℃
最低18℃
曇りのち晴れ

1996年9月9日午後4時半ごろ、東京都葛飾区柴又3丁目の民家より火災が発生。約2時間後に消し止められ、焼け跡から上智大学4年生の女子大生の遺体が発見された。被害者の女子大生は2日後に海外留学を控えていた。遺体は口と両手を粘着テープで、両足をパンティーストッキングで縛られており、首を鋭利な刃物で刺されていたことから警察は殺人事件と断定。現場の状況や交友関係などから、顔見知りの犯行と思われた。

事件から10年経った2006年9月に、両足の縛り方が「からげ結び」という特殊な方法だったこと、現場に残されたマッチ箱の残留物から家族以外のDNAが発見されたことが公開された。

2014年9月に2階に遺体に掛けられていた布団に付着した血液から犯人と思われるDNA型が検出され、1階で発見されたマッチ箱に付着したDNA型とも一致したことが報道された。


【当日の家族】
父親は福島に出張中
姉も仕事でおらず

家には母親と被害者


【当日の時系列】
---------------------------
15時50分少し前:被害者がトイレに行くために自室から一階に降りてきた。
仕事に出かける準備をしている母親に「こんなに雨が降っていても自転車ででかけるの?」と話した。

被害者は昨夜遅くまで出かけていて...朝帰りだった。
母親が出かけたとき、まだパジャマ姿だった。
⇒事件前日、順子さんはファミリーレストランで中学時代の同級生の悩みの相談にのっている。帰宅したのは明け方だった。
?⇒パジャマからTシャツ短パンに着替えているとの情報がある。

15:50:母親が仕事のために家を出る、この時玄関に鍵はかけなかった。
?⇒火災後は玄関のカギはかけられていたとの情報がある。

16:35:出火。
16:39:隣家から119番通報。
18:00頃:内部が全焼、ようやく火が消し止められる。

2階で被害者を発見

【現場】
************************
■被害者は2階の両親の寝室で父親の布団の上で横向きに寝かされ、夏用の掛け布団を頭からかぶせられていた。布団の左右の端は体の下に挟み込まれていた。
?⇒夏物の掛け布団を頭から膝まで被せられていたとの情報がある。
■遺体は、被害者の自室側に頭があり出入口とは反対側に右向きで寝かされていた。
【参考】
https://ameblo.jp/maeba28/entry-12445664968.html
■被害者は首を右側に集中して6か所刺されて出血多量で死んでいた。
■口には粘着テープが貼られていた。
■両腕も粘着テープで縛られていた。かなり抵抗したとみられる傷が手に数か所あり、その上から粘着テープが巻かれていたので両手は殺害後に縛られたと見られている。
■両足はストッキングでからげ結びに結ばれていた。からげ結びは造園、足場組み立て、和服着付け、舞台衣装、古紙回収、電気工事、土木関係などの業種で用いる。造園業では「かがり結び」とも呼ばれる。
■着衣の乱れはなかった。
■気管にすすが付いていなかったことから殺害後に放火したとみられる。
■仏壇のマッチで1階東側の6畳和室の押入れに放火されていた。
■1階のパソコンにも火がつけられていた。
■マッチ箱を母の化粧箱付近に置いていた。
■父親が普段使用しているスリッパが2階に揃えて残されていた。
■引き出しが荒らされ1万円が無くなっていた。しかし、洋服ダンス内の預金通帳、留学のためのリュックサックにあったトラベラーズチェックや現金など十数万円は手つかずだった。
■旧1万円札(1986年まで発行された聖徳太子の肖像入りの紙幣) - 父親が1階居間の戸棚の引き出しに1枚だけ保管していた。
 現場検証で、戸棚の引き出しに物色された跡があり、その紙幣だけが見つからなかった。 
⇒一般的な相場は、1万円~1万7千円。流通量も多く、希少価値が少ない
 聖徳太子の1万円札は現在40代以上なら知ってる?


【犯行使用品】
刃物 - 小型ナイフのような鋭利な刃物で約8センチ、刃幅約3センチとみられる。まだ見つかっていない。
⇒果物ナイフorペティナイフ(警視庁HPより)
粘着テープ - 外部から持ち込まれ使用された。
⇒ガムテープ(警視庁HPより)
 布粘着テープと呼ばれるものであり、1巻が幅50ミリメートル長さ25メートル、価格は700円から800円、一般の製品より高価で主に梱包用途で販売されていました。全国に広く流通。


【犯人】
DNAより男性。
犯人が持ち込んで使用した粘着テープに三種類の犬の毛が付着していたことが2009年1月に判明した。
A型の血液が採取。
からげ結びに結ばれていた。からげ結びは造園、足場組み立て、和服着付け、舞台衣装、古紙回収、電気工事、土木関係などの業種で用いる。
?⇒焼け残ったドアノブからは指紋は検出されていないとの情報がある。
布団に付着していた犯人の血液から、手から血が滴り落ちる程の怪我をしていたと考えられる。
マッチ箱に繊維片が付着していた。この繊維片は軍手のような手袋の一部である可能性が高い。





柴又女子大生放火殺人事件

2020年09月20日 17時59分56秒 | 事件
柴又女子大生放火殺人事件(しばまた じょしだいせいほうかさつじんじけん)とは、1996年9月9日に東京都葛飾区柴又で発生した放火殺人事件。警視庁による正式名称は「柴又三丁目女子大生殺人・放火事件」

捜査が継続しているものの犯人は逮捕されておらず、未解決事件となっている。また、捜査特別報奨金制度(公的懸賞金制度)対象事件である。


1996年9月9日午後4時半ごろ、東京都葛飾区柴又3丁目の民家より火災が発生。約2時間後に消し止められ、焼け跡から上智大学4年生の女子大生の遺体が発見された。被害者の女子大生は2日後に海外留学を控えていた。遺体は口と両手を粘着テープで、両足をパンティーストッキングで縛られており、首を鋭利な刃物で刺されていたことから警察は殺人事件と断定。現場の状況や交友関係などから、顔見知りの犯行と思われた。

事件から10年経った2006年9月に、両足の縛り方が「からげ結び」という特殊な方法だったこと、現場に残されたマッチ箱の残留物から家族以外のDNAが発見されたことが公開された。

2014年9月に2階に遺体に掛けられていた布団に付着した血液から犯人と思われるDNA型が検出され、1階で発見されたマッチ箱に付着したDNA型とも一致したことが報道された。


Wikipediaより





草加次郎事件 謎

2013年06月29日 19時32分54秒 | 事件
疑問を上げればきりがありません。

・「そうか」なのか「くさか」なのか
・何故、ホステスなのか
・何故、石川啄木詩集なのか
・何故、エラリー・クイーンの推理小説なのか
・何故、急行 十和田なのか
・何故、親指の指紋なのか
・営団地下鉄銀座線爆破事件の時限爆弾に使われた時計の裏ぶたには「次は十日」と書かれていたが、その後ピタリと止まったのか



吉永小百合脅迫事件で1963年9月に届いた7通目の脅迫状に書かれた「走っている電車等から現金等を落とす」という現金の受け渡しは、1963年3月に公開された映画「天国と地獄」と同じ手法である。これは同映画公開後に現実世界で同じ手法が用いられた最初の事件とされている。


昭和三八年に公開され大ヒットした黒沢明監督の『天国と地獄』は身の代金誘拐をテーマとし、身の代金を列車から投下させる話であったが、彼もこれを見ていたと思われることが脅迫状から読み取れた。吉永小百合への七通目の脅迫状は地下鉄爆破当日に投函されたものであり、彼はこれを投函した後に、銀座線に乗り込み爆弾を、仕掛けたのである。脅迫状には『九月九日午後七時、上野発青森行急行『十和田』に乗り進行方向左のデッキに乗り、外を見る。青の懐中電灯の点滅する所に現金一〇〇万円を投下せよ』とあった。それまでの脅迫状は全て指定日の後の発見であり、指定日前の発見は、これが初めてであった。


横須賀線電車爆破事件(1968年)
犯人は、「捕まらなかった草加次郎を尊敬する」と述べた一方、「草加次郎さえ出現しなければ、列車爆破なんてやらなかった」とも述べている。


Wikipediaより



草加次郎事件 詳細2

2013年06月23日 12時09分45秒 | 事件
■吉永小百合脅迫事件
1963年の5月から8月にかけて女優の吉永小百合(当時18歳)宅に、「草加次郎」名の6通の脅迫状が届いた。脅迫状にはおでん屋台店主(後述)に撃ち込まれた弾丸と同じ弾丸が入っており、内容は100万円を要求するものであった。1通目から4通目までは小百合の父親が上野駅前の喫茶店まで来るように書かれていたが、犯人は現れなかった。

1963年9月6日に届いた「草加次郎」名の7通目の脅迫状には、9月9日または9月10日に「草加次郎」が指定した急行列車から現金投下のサインの場所で100万円を投下するという現金の受渡し方法が提示された。過去の6通の脅迫状と異なり、時限爆弾を示す絵が入っていた。

だが、9月9日と9月10日に列車に乗り込むも、現金投下のサインは現れなかった。

■上野公園おでん屋台店主銃撃事件
1963年7月15日午後7時45分頃、東京都台東区の上野公園でおでん屋台を開いていた27歳男性が何者かによって撃たれ、病院に運ばれたが全治3ヶ月の重傷を負った。

事件から10日後の7月25日、上野警察署に1通の封書が届く。封筒の中には弾丸が一発入っているだけで、他に手紙らしいものはなかった。この弾丸は鑑識の結果、おでん屋台店主の体から摘出した弾丸と材質や大きさが同じであった。

封筒の裏には「草加次郎」と書かれており、前年の連続爆破事件で残された「草加次郎」の筆跡と一致した。

■渋谷・東横デパート爆発脅迫事件
1963年7月24日午後3時頃に渋谷東横デパート(現・東急百貨店東横店)に500万円を要求する脅迫電話がかかる。声の主は3、40代くらいの男性。指定の受け渡し場所に警察が張りこむも、結局、犯人は現れなかった。

しかし、午後3時50分になって、同デパート西館9階の男子トイレで突然爆発が発生。怪我人は出なかった。爆発物はトイレの天井裏にあった、乾電池とキッチンタイマーを使用した時限爆弾であった。

8月11日夕方、同デパートの東館屋上で爆発があったが、怪我人はなかった。

8月14日昼前、同デパートに親展とされた速達小包が届けられ、開封すると爆発。男性職員が軽い火傷を負った。この小包には500万円を要求し、拒否すればデパート内で本格的な爆発を起こすと書かれた脅迫状が入っていた。犯人の指定した受け渡し場所に警察が張り込むも犯人は現れず、デパート内での爆発も起こらなかった。

捜査当局はこの事件と「草加次郎」との関連を調べたが、爆発物と脅迫状の筆跡が違うことから、「草加次郎」の名を騙った模倣犯ではないかとする見方もあった。

■営団地下鉄銀座線爆破事件
1963年9月5日午後8時14分頃、営団地下鉄(現:東京メトロ)銀座線京橋駅に停車中の車内で手製の時限爆弾が爆発、乗客10人(重傷2人・軽傷8人)が負傷した。

爆弾は時計じかけになっており、予定の時刻まで針が動くと爆発する仕組みになっていた。

二つの乾電池にはそれぞれ「次」と「郎」という文字が書かれていた。

■その他
鰐淵晴子(当時18歳)や桑野みゆき(当時21歳)の自宅住所宛てにも弾丸を同封した100万円を要求する脅迫状が届いていたことが判明。


Wikipediaより



草加次郎事件 詳細1

2013年06月23日 11時59分10秒 | 事件
■島倉千代子援護会事務所爆発事件
1962年11月4日午前11時頃、歌手の島倉千代子(当時24歳)後援会事務所に差出人名のない二重になった封筒が届いた。23歳の男性事務職員が封を開けると、中から細長い筒が出てきた。筒の中には紙が入っており、その紙を引っぱると筒が爆発した。筒から炎と白煙があがった。男性事務職員は右手に2週間の火傷を負った。

筒から紙を取り出すと、中に仕込んであるマッチがこすれて火薬に引火する仕掛けになっていた。筒の裏には「草加次郎」と「K」と書かれていた。

■麻布バーホステス宅爆発未遂事件
1962年11月13日、東京都港区に住む41歳のバーホステス宛てに島倉後援事務所と同じ円筒型小包爆弾が届くが、不発に終わった。

これには「草加次郎」とは一字違いの「杉加次郎」と書かれていたが、捜査当局は筆跡鑑定の結果、「草加次郎」と同一人物と判明した。

■ニュー東宝劇場爆発事件
1962年11月20日午後5時過ぎ、東京都千代田区有楽町のニュー東宝映画劇場(現在のTOHOシネマズ有楽座)で映画を見終わった19歳の女性観客が3階ロビーのソファーにあった円筒に触れたところ、筒が突然爆発した。女性は1週間の火傷を負う。

この筒にも「草加次郎」と書かれていた。

■日比谷劇場爆発事件
1962年11月26日午後4時半頃、ニュー東宝近くの日比谷映画劇場で2階男性トイレを掃除していた47歳の女性従業員が、掃除を終えて廊下に出ようとドアを開けると、開けたドアからの風で洗面台の上に置かれていた筒が落下して爆発した。怪我人はなかった。

この筒には火薬と乾電池が詰められ電気回路でつないであり、箱に衝撃を加えると電気が流れて発火する仕組みになっていた。

この筒にも「草加次郎」と書かれていた。この筒から犯人のものと思われる指紋が検出された。

■世田谷・電話ボックス爆発事件
1962年11月29日午後5時半頃、東京都世田谷区の公衆電話ボックスに入った25歳の男性会社員が、棚の上にあった『石川啄木詩集』を発見。会社員が本を手に取り、ケースと本の間に挟まっていた名前が書かれたしおりのような紙切れを引き抜いた瞬間に爆発。会社員は左手に5日間の火傷を負った。

本の真ん中には穴がくり抜いてあり、その穴にニクロム線を配線した電池と黒色火薬が詰められていた。しおりのような紙切れを引くと火薬が発火する仕組みになっていた。

しおりのような紙切れには「草加次郎」と書かれていた。

■浅草寺爆発未遂事件
1962年12月12日午後8時頃、東京都台東区の浅草寺境内で新書サイズのエラリー・クイーンの推理小説を同寺の夜警の警備員が発見。本が開かないため表紙を破ると、中には火薬と乾電池2個が仕掛けられていたことが判明。

この爆弾は爆発はしなかったため、未遂に終わった。構造は世田谷事件と全く同じものであった。


Wikipediaより



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