今日にまたいでしまいました。
続きです。
■八咫烏の道案内と勝利
東征が良くないことを憂えた天照大御神は武甕槌神と相談して、霊剣(布都御魂)を熊野の住民の高倉下に授け、高倉下はこの剣を磐余彦に献上した。剣を手にすると軍衆は起き上がり、進軍を再開した。だが、山路険絶にして苦難を極めた。そこで、天照大御神は八咫烏を送り教導となした。八咫烏に案内されて、莵田の地に入った。
8月、莵田の地を支配する兄猾(えうかし)を討ち、10月、国見岳で八十梟帥を討った。12月、長髄彦と遂に決戦となった。連戦するが勝てず、天が曇り、雹が降ってきた。そこへ鵄(とび)があらわれ、磐余彦の弓の先にとまった。すると電撃のごとき金色の煌きが発し、長髄彦の軍は混乱し、そこへ磐余彦の軍が攻めかかった。饒速日命は長髄彦を殺して降伏した。
翌年3月、現:奈良県中部橿原市(畝傍町の橿原神宮が伝承地)の地を都と定める。大物主の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)を正妃とした。
※布都御魂:ふつのみたま。霊剣。建御雷神(たけみかずちのかみ)はこれを用い、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定した。荒ぶる神を退けるちからを持つ。石上神宮の御神体となる。
布都御魂はやがて拝殿の裏手の禁足地に埋められるが、明治7年(1874年)に当時の大宮司の菅政友によって発掘され、本殿内陣に奉安され、御神体として祭られている。その際、刀鍛冶師の月山貞一(初代)が作刀した布都御魂剣の複製2振が本殿中陣に奉安された。
※建御雷神:たけみかずちのかみ。日本神話に登場する神。雷神、刀剣の神、弓術の神、武神、軍神として信仰されており、鹿島神宮、春日大社および全国の鹿島神社・春日神社で祀られている。
※葦原中国:あしはらのなかつくに。日本神話において、高天原と黄泉の国の間にあるとされる世界、すなわち日本の国土のことである。
※高天原:たかあまはら他。天上界とされる。
※黄泉の国:よみ。日本神話における死者の世界のこと。
※高倉下:たかくらじ。日本神話に登場する人物である。
※八咫烏:日本神話で、神武東征の際に、高皇産霊尊によって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる烏である。一般的に三本足のカラスとして知られ古くよりその姿絵が伝わっている。ただし、古事記や日本書紀には三本足である記述はない。
三本足の意味には諸説ある。三足烏の伝承はアジアで広範な地域で見られる。
■そして即位へ
52歳であった。
『古事記』には、137歳。日本書紀』には127歳にして崩御した。
Wikipediaより
八咫烏と弓の先にとまった鵄が同一なのかは不明です。
布都御魂が発掘されてるということはあったのでしょうか。
あるのならばこの神話は本当!?
続きです。
■八咫烏の道案内と勝利
東征が良くないことを憂えた天照大御神は武甕槌神と相談して、霊剣(布都御魂)を熊野の住民の高倉下に授け、高倉下はこの剣を磐余彦に献上した。剣を手にすると軍衆は起き上がり、進軍を再開した。だが、山路険絶にして苦難を極めた。そこで、天照大御神は八咫烏を送り教導となした。八咫烏に案内されて、莵田の地に入った。
8月、莵田の地を支配する兄猾(えうかし)を討ち、10月、国見岳で八十梟帥を討った。12月、長髄彦と遂に決戦となった。連戦するが勝てず、天が曇り、雹が降ってきた。そこへ鵄(とび)があらわれ、磐余彦の弓の先にとまった。すると電撃のごとき金色の煌きが発し、長髄彦の軍は混乱し、そこへ磐余彦の軍が攻めかかった。饒速日命は長髄彦を殺して降伏した。
翌年3月、現:奈良県中部橿原市(畝傍町の橿原神宮が伝承地)の地を都と定める。大物主の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)を正妃とした。
※布都御魂:ふつのみたま。霊剣。建御雷神(たけみかずちのかみ)はこれを用い、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定した。荒ぶる神を退けるちからを持つ。石上神宮の御神体となる。
布都御魂はやがて拝殿の裏手の禁足地に埋められるが、明治7年(1874年)に当時の大宮司の菅政友によって発掘され、本殿内陣に奉安され、御神体として祭られている。その際、刀鍛冶師の月山貞一(初代)が作刀した布都御魂剣の複製2振が本殿中陣に奉安された。
※建御雷神:たけみかずちのかみ。日本神話に登場する神。雷神、刀剣の神、弓術の神、武神、軍神として信仰されており、鹿島神宮、春日大社および全国の鹿島神社・春日神社で祀られている。
※葦原中国:あしはらのなかつくに。日本神話において、高天原と黄泉の国の間にあるとされる世界、すなわち日本の国土のことである。
※高天原:たかあまはら他。天上界とされる。
※黄泉の国:よみ。日本神話における死者の世界のこと。
※高倉下:たかくらじ。日本神話に登場する人物である。
※八咫烏:日本神話で、神武東征の際に、高皇産霊尊によって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる烏である。一般的に三本足のカラスとして知られ古くよりその姿絵が伝わっている。ただし、古事記や日本書紀には三本足である記述はない。
三本足の意味には諸説ある。三足烏の伝承はアジアで広範な地域で見られる。
■そして即位へ
52歳であった。
『古事記』には、137歳。日本書紀』には127歳にして崩御した。
Wikipediaより
八咫烏と弓の先にとまった鵄が同一なのかは不明です。
布都御魂が発掘されてるということはあったのでしょうか。
あるのならばこの神話は本当!?