ということで、勝手なスペシャル企画です。
少し前に、隣に居た同僚からこんな事を言われたのです。
弘前=ひろまえ
「ひろさき」でしょうとすぐさま返したのですが
よくよく考えてみると馴染みのない他の都道府県の人たちは「ひろまえ」と読んでしまいますね。
ということで、第一弾は弘前です。
弘前市によると地名の由来は下記です。
弘前は、以前「高岡」とか「鷹岡(鷹ヶ岡)と呼ばれていたそうです。
これは、城地が高台にあることや、昔は鷹が多く生息していたというところに由来があるようです。
高岡が弘前に改称された理由は、はっきりしておりません。
ひとつには、北海道への海上交通の要地で、その地勢が広大なところから「広崎」と呼び、それが「弘前」になったという説や、十三岬から松前(北海道)までの海を「尾閭(びろ)」と呼び、十三岬を「尾閭ヶ崎」と呼んでいたのをとって「弘前」としたという説のほか、イギリス人チェンバレンが唱えたアイヌ語に起源があるという考え方などがありますが、いずれも明らかではありません。
「信枚君一代之自記」には、「弘前」という名称が用いられたのは、寛永5年(1628
年)の8月20 日からと記録されています。
(参考「弘前市史 藩政編」
はっきりとわからないとは。
しかしながら昨日、Wikipediaで調べていた時に発見致しました。
1628年ですと、弘前藩2代藩主 津軽 信枚の時代になります。
この方、天海に弟子入りをしているのです。
※天海:安土桃山時代から江戸時代初期の天台宗の僧。南光坊天海、智楽院とも呼ばれる。大僧正。諡号は慈眼大師。徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した。
寛永4年(1627年)9月、高岡城の天主が落雷で炎上し内部の火薬に引火して大爆発を起こして焼失した。この天守炎上は、信枚の伯母(初代津軽為信の正室・阿保良の姉)が為信のため失意の内に病没した祟りと当時信じられ、それまで「高岡」と呼ばれていた藩都を翌寛永5年(1628年)8月、天海が天台密教での破邪の法から名付けた「弘前」と改めたとあります。
※破邪の法:手刀で空間を「臨兵闘者皆陣烈在前」の掛け声ともに縦横に切り、九字の真言を唱えつつ素早く九字の印を作り神聖な波動を送り邪を払う。
破邪の法でどうやって弘前が出てきたのかはわかりません。
弘く(広く)、そして破邪の法の前で縁起が良いのでしょうか。
さて、次回は弘前藩初代藩主、津軽為信から代々を紹介しましょう。
少し前に、隣に居た同僚からこんな事を言われたのです。
弘前=ひろまえ
「ひろさき」でしょうとすぐさま返したのですが
よくよく考えてみると馴染みのない他の都道府県の人たちは「ひろまえ」と読んでしまいますね。
ということで、第一弾は弘前です。
弘前市によると地名の由来は下記です。
弘前は、以前「高岡」とか「鷹岡(鷹ヶ岡)と呼ばれていたそうです。
これは、城地が高台にあることや、昔は鷹が多く生息していたというところに由来があるようです。
高岡が弘前に改称された理由は、はっきりしておりません。
ひとつには、北海道への海上交通の要地で、その地勢が広大なところから「広崎」と呼び、それが「弘前」になったという説や、十三岬から松前(北海道)までの海を「尾閭(びろ)」と呼び、十三岬を「尾閭ヶ崎」と呼んでいたのをとって「弘前」としたという説のほか、イギリス人チェンバレンが唱えたアイヌ語に起源があるという考え方などがありますが、いずれも明らかではありません。
「信枚君一代之自記」には、「弘前」という名称が用いられたのは、寛永5年(1628
年)の8月20 日からと記録されています。
(参考「弘前市史 藩政編」
はっきりとわからないとは。
しかしながら昨日、Wikipediaで調べていた時に発見致しました。
1628年ですと、弘前藩2代藩主 津軽 信枚の時代になります。
この方、天海に弟子入りをしているのです。
※天海:安土桃山時代から江戸時代初期の天台宗の僧。南光坊天海、智楽院とも呼ばれる。大僧正。諡号は慈眼大師。徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した。
寛永4年(1627年)9月、高岡城の天主が落雷で炎上し内部の火薬に引火して大爆発を起こして焼失した。この天守炎上は、信枚の伯母(初代津軽為信の正室・阿保良の姉)が為信のため失意の内に病没した祟りと当時信じられ、それまで「高岡」と呼ばれていた藩都を翌寛永5年(1628年)8月、天海が天台密教での破邪の法から名付けた「弘前」と改めたとあります。
※破邪の法:手刀で空間を「臨兵闘者皆陣烈在前」の掛け声ともに縦横に切り、九字の真言を唱えつつ素早く九字の印を作り神聖な波動を送り邪を払う。
破邪の法でどうやって弘前が出てきたのかはわかりません。
弘く(広く)、そして破邪の法の前で縁起が良いのでしょうか。
さて、次回は弘前藩初代藩主、津軽為信から代々を紹介しましょう。