流しそうめんが始まります。
私は、流しそうめんのモデルをやって10年くらいの実績があります。
子どもたちに、流しそうめんの食べ方を見せてあげるのです。
良いモデルのほうが得意で、全てに敬意を払った美しい所作で行います。
悪いモデルはものすごく悪くて下品でいたたまれないくらいきもちわるいです。
子どもたちは良い悪いのその間でしかやれないほど、極端です。
良いモデルのようにも出来ない。
悪いモデルのようにやるわけない。
で、自分で考えてがんばる。
これはパスタのパルメザンチーズにも言えます。
パスタのパルメザンチーズの場合は
少ししかかけないならひと粒もかけない。
かけすぎるならひと粒もかけない。
チーズをケチるのは本当のケチだからそんなことはしない。しかし、品がないのはもっと良くない。
さて、君ならどうする。
って感じです。
両極の間でどうするか。そこに自分がいるのです。
また、サウナと水風呂の関係にも言えます。
熱さに耐え究極に体を熱し
温度の低い水で究極に冷やす
熱さと冷たさの間で自分を見出すのです。
ハンパなら入るな。
やる気なく、体験しよう程度のヘマな覚悟で俺のサウナ室のドアを開けしめするんじゃねえ。
サウナ室の最上段で睨んでいたらそれは私か、同じフィロソフィーの漢です。
特に、薄べったい体で数人でイチャイチャ入ってくる学生たちにはがっかりです。なんだあいつら。風呂、映画、トイレは一人で入るもんなんだよ。公衆浴場でも入ったら一人ひとりなんだよ。
うるさくしてると、最上段から俺みたいのに「うるせいぞ」と言われ、素っ裸ですみませんと言うみっともないことになるわけだ。
すみません。
両極の間で自分を決める
ってとても大切なので
つい熱が入ってしまいました。
これににた話では
魚を与えるのではなく釣り方を教える
みたいなやつがあります。
これも両極に近いです。魚を与えるのは簡単で即座に腹を満たせます。
釣り方を教わってもいつまでも釣れないかもしれません。
その両極でどう導くかを問われているわけです。
良い人はまことしやかに魚と釣りの話をもちだしますが、そんなかっこいこといっても釣り方を教えられないやつは共倒れするだけ。
もっと身近で目の前で両極の間で自分はどうする、を示すほうがずっと親切だよね?そうだよね?えなに?なんか違う?
ふふ。
両極初心者だね。
ああああ、また熱くなっちゃった。
ごめん。
ヨタ話は後半にやって、見るべきは前半でやるはずが、サウナの話にまでなるとこりゃしょうがないよ。
さて
流しそうめんエレメントスタンドです。

つゆ、具、トッピング、薬味、天ぷらなどが並びます。
やります。

やってます。

似たような格好になるのは、しっかり流しそうめんに向き合うからです。
とります。

なにこれ。

こんにゃくゼリーです。
こんにゃくゼリーを流すときは、こんにゃくの含有量が大切です。
とります。

なにこれ。

こんにゃくゼリーです。
こんにゃくゼリーを流すときは、こんにゃくの含有量が大切です。
こんにゃくが少ないやつはブチギレになってしまいます。
ふつぎれです。ブチギレは俺です。
これは三メートル程度版かな。

これは三メートル程度版かな。

長いと管理が大変です。
機材の管理ではなく、人間の管理です。
交代させる合理的理由はスペースに入れないから、にするのです。
それにより、食べ過ぎ、居座り、食べられてない子への対応、休憩などができるのです。
また、長いとなんか不衛生に感じます。清潔が大好きな私には、長い竹の下の方なんてたまらなくやです。
コロナ禍でもやってました。
そういう方法を編み出してまでやってました。
流しそうめん一つでも、こう見えてけっこういろいろ考えてるんだ。